Thursday, December 27, 2007

これは困ったぞ/Clean green NZ?

朝はまず、鶏に小麦やり、外に出してやることから一日が始まります。

太陽がずいぶんと南の水平線から、周りの雲を黄金色に染めながら昇ってくる頃。
卵を抱えてから21日目,いくつかまた、雛が孵ったようです。春から,多分,これで打ち止めになるはずですが,なんのかんの40羽近くの雛が孵ったことになる。

羊や牛を食の生産や消費の体系に取り込むのは初めての経験ですが、鶏はこれまでにも飼ったことがあります。雛を孵化して育てた経験もあります。オーストラリアにいたときは、3羽の雄鶏のもと、烏骨鶏やバーナベルダー種やアラカーナ種、30羽近い鶏に囲まれて暮らしていました。

卵製造機械のような種類ではなく,純血好み。毎日毎日産んではくれませんが、その方が自然だと思います。1年に100個,3日に一個も産んでくれたら御の字。

基本的には放し飼いで、朝と夕に小麦を少し,そして冬にはトウモロコシを与え、台所からの残飯やとうのたったレタスやらキャベツがあれば,それを与える。きれいな水と近所の浜で拾ってきた貝殻を砕いたものを補ってやるくらいで,あとは自分たちであちこち、ひっかき、ついばんで、卵を産んでくれます。

いつもいつも、なるべく自家製の出所がはっきりとした素材を与えたいとは思っていても,小麦だとかトウモロコシはいまのところ、どこかから持ち込まざるを得ません。近所の農家から飼料グレードの小麦を手に入れることもありますが,たいていはどこからきたのかわからないものを店で、買うしかありません。あんまり農薬とか使わずに,なるべくフツーに育てられた飼料であることを祈りながら。遺伝子組み換え作物なんかが混じっていないといいのだが。と思いながら。

ニュージーランドはクリーンでグリーンなイメージを売り物に農産物を輸出しているので、遺伝子組み換え作物,簡単には認めないだろうなあと思っていましたが、最近,政府はモンサント社製の除草剤,ラウンドアップに対応するトウモロコシ導入を許可することに決めたそうです。リジン含有の高いLY038は家畜の飼料として認められるのだそうです。

問題が二つ。

この報道でも指摘されていますが、一つは直接的なこと。家畜の飼料用のトウモロコシが「間違って」人間の食用として、加熱されるとガン、糖尿病またはアルツハイマー病を引き起こす恐れがあるといわれています。

もう一つは、間接的な影響で,たとえ、もともとの目的通りに家畜の飼料として使われたにしても,それを食べた家畜の卵や肉は人間の食用になるわけで,食物連鎖による人間への影響です。

鶏を飼って、卵は自給しているつもりでも,鶏を育てるために外からの飼料に頼らざるを得ないとしたら、ちっとも安心できない。

これは困ったぞ。

Monday, December 24, 2007

ブラッドフォード曲線/The Bradford Curve.

環境ゲテモノ化時代、ピーク以降の社会では一人一人に利用できるエネルギー量が低下するものとみられています。一人一人の使えるガソリンの量だけでなく,食料から何から,アブラ漬けで生産されるもの,すべての量が減るということです。
先進国では現在当たり前に思われていること,例えば,これまでのようにじゃぶじゃぶとアブラを燃やして食料を生産することはかなわなくなります。これまでのようにハウスでじゃんじゃん重油を燃やして季節外れに生産されたトマトやイチゴを食べるなんてことはかなわなくなります。世界の果てからえっちらおっちら、アブラ漬けで輸送された食料に頼る,なんてことも難しくなるはずです。

日本でも、エネルギー消費の少なかった100年前とかには人口の大半が農業に従事していたはずです。それが現在では1割以下。大半の人間がアブラ漬けの食料に頼っています。アメリカでは産業化以前には3割以上が農業に携わっていたのに,現在では2%くらいだそうです。

そういう歴史的な事実から将来を類推することはできますが,江戸時代にそうだったからといって,必ずしも過去が繰り返すわけではありません。昔の知恵や社会構成は参考にはなるものの,それがそのまま役に立つとは限りません。

エネルギー消費と農業人口,現在ではどうなのでしょうか。消費の少ないところでは農業人口は多くなっているのでしょうか。



(オイルドラムより)
これはカリフォルニア州のウィルッツの町で,地域経済のローカル化を進めるジェイソン・ブラッドフォードがエネルギー消費と農業人口の割合を国別にグラフにしたものです。

205の国について,国連食料農業機関(FAO)のデータをもとに、それぞれの国の総人口に対する農業従事者の人口を割り出し(縦軸),アブラ,ガス,石炭、電気など米エネルギー省EIAのデータをもとに個人のエネルギー消費(横軸)と対比させたものです。

さあ,これから何が見えるか。

もちろん,歴史的な考察同様,断定することは危険です。エネルギーには薪だとか動物の糞など,すべてのエネルギー源がカバーされている訳ではありません。それぞれの国勢調査がどれほど正確なものかわかりません。しかし,傾向は歴史的な考察と同じことを示しています。

低エネルギー社会では,自分の食べる物に自分で責任を持つ人間の数が多い。どうやら,それが来るべき社会のようです。

そんな時代の到来に向け,「帰農」なんかしなくても,少しずつでも自分の食べる物を自分で生産する。足りないものは歩ける範囲の場所で調達する。そんなふうに暮らしたい。たとえ、ピークが「ユダヤの謀略の所産」でゲテモノ化が「原発推進派の謀略」の所産で、どちらも現実にならなくってもちっともかまわない。

だって,そんな暮らし,気持ちいいんだもの。

Saturday, December 22, 2007

冬は厳しく/winter is hard.

鴨はあまりたくさんはいなかった。
母鴨がパンかごをさかさまにした。
鴨たちはグワッグワッと鳴いて不満そうに見えた。
水は黒かった そしてまもなく凍った。

冬は厳しかった、冬は厳しかった。
お金も銀行の中で凍った。
土曜の夕べの楽しみも
隔週にしかなかった。
アウリス・サリネン(訳:大束省三)

北半球では冬至(ということはつまり,南半球では夏至)の今日,「原油価格高騰」のおかげで寒冷地で灯油券の支給が始まったというニュースを読みました。先日「原油価格高騰」のおかげで小学校の給食の日数が2日減らされることになったというニュースもありました。フィンランド生まれの作曲家じゃありませんが、冬は厳しく、です。

報道は「原油高騰」の理由が何なのかはっきりと言わず,地震や台風と同じように、あたかも一過性のことでもあるかのような扱いです。「原油高騰」が ピークのおかげだとはっきり言及するところはありません。来年になれば,事態は好転し,これまでのように安いアブラをじゃんじゃん燃やして暖をとることができる。のでしょうか。

現在の「原油高騰」が一過性のものでなく,長期的なアブラ減耗時代の始まりであるとすれば,灯油券を配ったり、子供たちの給食の日数を二日減らすとか、そんなことでは追いつきません。長期的な対応が必要になります。「緊急事態」はこれから、いつまでもだらだらと続くとしたら、こんな策じゃ追いつきません。灯油券野必要な人の数は増え,子供たちの給食はもっともっと減らさなければならなくなるかもしれません。そんなことはありえないって?
通常原油の生産は未だに2005年に頂上を極めたまま,です。

アブラに首根っこをつかまれ、ズッポリな社会からアブラが抜けていくとき,最初に影響を受けるのは貧しい国や貧しい人たちです。日本(やアメリカ)のような「金持ち」の国でも弱い部分に向けて、影響が目に見える形で出始めたようです。

原油価格高騰のため、といえば,「いちご、トマト、花卉(かき)など農業用ハウスの暖房燃料などに重油を使用している農家約250戸を対象に、重油購入費を助成」という報道もあります。
個々の農家にとっては大変なことで同情します。しかし、(安い)アブラをじゃぶじゃぶつぎ込んで,季節外れなトマトやいちごをこれからも作っていくことはできるのか。長期的にみれば、ピーク以降の時代,こんな食料生産はとてもやっていけないのではないか。これまでが間違っていたんじゃないか。考えてみる機会だと思います。同様に,(安い)アブラにたよる海外からの食料調達も考えてみるべきでしょう。日本は食料の6割を海外からの輸入に依存しています。これがいつまで続けられるのでしょう。

農水省はクジラ屠殺に税金をつぎ込むより,国民の食を確保するためにやらなければならないことがあるはずです。

冬は厳しく。
いよいよ寒さが厳しくなるかと思われますが,皆様,健康には気をつけてください。

Friday, December 21, 2007

乳搾り/the land of milk (and money).

いずれ、乳を生産する動物は飼いたいとは思っていたけれど、現実には本をぱらぱらめくるくらい。牛がいいのか、それとも羊にしようか山羊なのかなんてペット選ぶような感覚であれこれ夢想していただけでした。
ニュージーランドは世界市場の3割以上を占める世界最大の乳製品輸出国だから乳製品も安いと思っていました。確かに乳業は輸出総額の2割、GDPの7%を占めるこの国最大の産業で、今年3月までの一年間に85億ドルの外貨を稼ぎ出す輸出産業の筆頭です(ちなみに外貨獲得第二位は木材で36億ドル、肉用子羊が23億ドル、肉牛が18億ドル、キィウィフルーツが8億ドル)。

しかし、引っ越して数ヶ月もしない10月にバターの小売価格が23%,チーズが7.3%,牛乳が3%の上昇。食品価格全体も去年の同時期に比べ3.6%の値上がりです。国連FAOによれば、乳製品の国際価格は前年に比べ100%から200%の値上がりなので、それに比べれば微々たるものですが、この傾向はこれからも続きそうです。それにつれ、自分のところでミルクを生産する必要性もどんどんと高まっていきます。

これで思い出すのはオイル・ピークに関連し,生産と国際市場に出回るアブラの量に関する説です。最近、NY Times(12月9日付け)Wall Street Journal(12月12日付け)など米国主要メディアで取り上げられていますが、ダラスの石油地質学者、ジェフリー・ブラウンが去年あたりから唱えているものです。

(日本語では「ん!」がこの記事を要約しているほか、取り上げています。また、Dr.Kさんのブログでもとりあげられています。)

簡単に言えば、産油国がアブラ景気で潤い、経済発展するにつれ,自国のアブラ消費が増加する。その結果,たとえ生産が増加しても、国際市場に出回るアブラの量は落ち込むというものです。ブラウンはアブラ輸出のトップ5カ国におけるアブラの消費は、これから10年の間に一日あたり500万バレル増加するだろうと予想しています。つまり、10年後にはそれだけのアブラが国際市場から消えてしまうというわけです。

たしかに、インドネシアや英国の例はそれを証明するかのようですが、ことはそれほど単純じゃないでしょう。

アブラ会社は民営であれ、国営であれ、国の外で高く売れるものなら,国内の価格をつり上げるもので、「国際価格」を払えない人は,国の外であろうが中であろうが知ったことじゃない。

ニュージーランドでも、国内消費者のために国最大の企業である乳業会社のフォンテラ社が牛乳や乳製品を安くするなんてことはないでしょう。企業というものはカネの色は選ばず,どこの国のどんな人でもかまわず商品を売りつける。それが使命なのですから。

それが高じると飢餓輸出になります。国内の人間が飢えていようとも輸出して金儲けをする。最近では,ジョージ・モンビオも取り上げていますが、スワジランドの例があります。ひどい干ばつのおかげで国民の4割が飢え、食料援助をあおいでいる。にもかかわらず、主食のキャッサバがバイオ燃料生産に回され、輸出されているのだそうです。10月末、国連人権委員会、食料の権利担当特別報告者ジャン・ジーグラーが口にできる作物をバイオ燃料生産に回すことは「人類に対する罪」だと言いましたが、スワジランドではそれが行われています。

アブラはちょっと,まだ自ら生産してまかなうところまで考えてませんが、乳製品はなんとかなるんじゃないか。うちで消費する分くらい、生産できるんじゃないか。

近所の家畜エージェントに相談すると、羊毛価格の低迷に加え、乳製品価格の高騰のおかげで、このあたりでも羊から牛に切り替える農家が増えており、値段が上がっている、しかも大口取引がほとんどで、一頭だけなんてのはほとんどでてこない。とのことでした。

このあたりで伝統的に羊が飼われてきたのは乾燥していて酪農には不向きだったからです。羊を飼うのがやっとだった場所で、産業としての酪農に切り替えるには、じゃぶじゃぶ水を撒いて牧草を育てなければなりません。灌漑設備などのために巨額の借金をしなければならず、ちょっとやそっとくらい乳製品の価格が上がっても、しばらくは首が回らない農家ばかりだそうです。

こりゃ山羊がいいかな、しかしフェンスを強化しないといけないなあ、なんて考えていたら、家畜エージェントから連絡。珍しいことに手頃な価格で元ペットの乳牛が売りに出たそうで、乳搾りの経験も設備もないのに、早速購入しちゃいました。





経験がないのは牛の方も一緒。ジェニーと呼ばれ、ペットだったとかで、これまで乳を搾られた経験がないそうですが、うちに到着そうそう子牛を産んで、ぼちぼちと乳を搾られています。まあ、売りに出すわけじゃなし、うちで必要なのは毎日1リットルから2リットルです。柵につないだだけ、露天で、海を見ながら搾ってます。

Wednesday, December 19, 2007

捕鯨船団に強敵出現(2)/Whales will tear us apart, again.

数日以内には南氷洋に到達し、チョーサ捕鯨を始める予定の日の丸捕鯨船団の前にまたまた強敵が出現した。
シーシェパードの「スティーブ・アーウィン」号が故障し、グリーンピースのエスペランザ号の出発も遅れているが,先月末の選挙で政権の座についたオーストラリアの労働党政権のスミス外相は高精度カメラを備える砕氷船を南氷洋に派遣、日本の捕鯨船団の活動を監視することを発表した。あくまでも監視が目的であり、乗り込む税関の人間は非武装であることをスミス外相は強調している。

オーストラリア政府による監視活動で、日の丸捕鯨船団は、少なくとも、これまでグリーンピースやシーシェパードなど民間の「テロ」団体や「海賊」だけを相手にしていた時のように,誰も見ていないのをいいことに、「密室」で好き勝手なことをして、好き勝手に言い繕うことはできなくなることはまちがいない。

さらにオーストラリアから、やはり今週、南氷洋に生息するミンククジラの頭数を確認する「チーム・ミンキー」が出発した。日の丸政府によれば、ミンククジラは多少収穫したところで絶滅の恐れはないとされている。今期のチョーサ捕鯨でも、935頭のミンククジラ(プラス50頭のナガスクジラ、そしてザトウクジラも50頭)のと殺が予定されている。チーム・ミンキーはオーストラリアの南極基地をベースに低空飛行する飛行機から10人の専門家が数週間かけて、目視で頭数を確認する予定だ。農水省などの主張は船からのチョーサによるもので、その科学的な信憑性はこれまでも疑われてきた。オーストラリア政府は国際司法裁判所への提訴も辞さない構えで,その際には、チーム・ミンキーの集めたデータが秤にかけられる。

ラッド新首相はバリの気候変動サミットで「オーストラリアはクジラの適切な保護に果たさなければならない国際的な義務を重視している」と発言し、税関の巡視船、オセアニック・バイキング号が捕鯨監視活動にまわされるだろうことは今週はじめから、各国のメディアで大々的に報道されていた。



税関のページより

日の丸捕鯨船団は舳先を戻す時間が与えられたにもかかわらず、日本政府や世論はそれを無駄にしてしまい、結局,オーストラリア政府が正式発表したのを受け,カンボー長官が「今後ともこうした調査捕鯨の必要性は外交チャンネルを通じて、説明していきたいと思います」とこれまでの発言を繰り返すにとどまった。

日の丸チョーサ捕鯨推進に固執する農水省の役人や政治家はシーシェパードやグリーンピースを「テロリスト」だとか「海賊」呼ばわりしてきたが、オーストラリアを「テロ国家」と呼ぶのだろうか。

日本の沿海ならともかく,はるばる南氷洋にまででかけ、世界を敵に回してしてまでチョーサする価値があることなのかどうか、もう一度、国民、ひとりひとりが考えなければならない。

ゲテモノ化と罰/climate and punishment

バリでの温暖化対策会議は、米国がこれからも交渉を続けることに合意して幕を下ろしました。メディアの論調はとりあえず、めでたしめでたし。でしたが、それじゃ、悠長すぎるんじゃないかしら。

16日、ロイターはワシントン発でネイチャー・ジオサイエンス誌に発表された研究を引用し、地球海面が国連気候科学者が予測する倍以上に上昇するだろうと報道しています。政府間パネルはこれまで、海面の上昇は今世紀中に最高で80センチほどと見積っていました。これでも大変なものですが、どうやら、すくなくともその倍は覚悟していないといけないようです。
これは地球の気候がいまよりもずっと暖かかった間氷期(約12万4,000年から11万9,000年前)を研究した結果に基づくものだそうで、当時、グリーンランドと南極大陸をおおう氷床が溶解していたおかげで、海面は最高でいまより6メートルも高かったようです。

Nasaのデータをもとに、グーグルアースを利用した水没シュミレーション地図は以前にも紹介しましたが、もう一度、貼付けておきます。

Saturday, December 08, 2007

捕鯨船団に強敵出現/The croc hunter to the rescue

今年も「調査」捕鯨船団が,クジラをと殺するため、はるばる日本から南氷洋を目指しているが,強敵がその行く手に立ちはだかっている。
昨年も数々の実力行動を展開した反捕鯨団体のシー・シェパードはメルボルンで待機中だが、抗議行動船をこのほど「スティーブ・アーウィン」号と改名すると発表した。

スティーブ・アーウィンは別名クロコダイル・ハンター、昨年9月にエイにさされて死亡してからも,世界の子供たちの間でその人気は衰えていない。

シーシェパードを日本の農水省やクジラ業界、一部メディアは「海賊」だとか「テロリスト」呼ばわりするが、ますます,国際的に孤立していくことは避けられないだろう。例えば「南氷洋でスティーブ・アーウィンが捕鯨中の日新丸に果敢に突入,操業中断に追い込みました」ってな調子で報道されたら、世界の子供たちのどれほどが日新丸につくだろうか。

未亡人のテリは「クジラ保護はスティーブの念願だった。昨年、クジラを守るため、シー・シェパードの抗議行動にどこかで参加できないものかって,その可能性を調べたほど」と語っている。アーウィンの遺志を次ぐものであることは間違いない。

日本の農水省(や狂信的なクジラ・ロビー)は、アーウィンのような保守的な人間を過激な行動に駆り立てようとした意味をしっかりと考えるべきだろう。農水省は今年も国粋的なヒステリックな論調を繰り返し,国際社会の笑い者になるのだろうが、省が代表するはずの日本という国の国益,もっと大きくは日本の国民にとってどれほどのダメージをもたらしているのか、そろそろ本気で問われなければならないだろう。

日本の沿岸ならともかく,南氷洋までわざわざ出かけ、世界を敵に回して意固地になってまでクジラを捕る価値はどこにあるのか。

すくなくともメディアの上で狩人がクロコダイル・ハンターに狩られる前に,捕鯨のもたらす功罪をもう一度問い直してみるべきだろう。

Wednesday, December 05, 2007

断髪/hair today, gone tomorrow 2007

南緯45度のこの辺りもさすがに12月を迎え,気温が20度をこす日があったりして、肩の辺りまでのびた髪がうっとうしくなってきました。昨年、髪を切ったのは春分のあたり、9月の末だったのでのびるわけですね。
でも,まだまだ,寒い日があるかなってちょっと戸惑いながら,近所の友人にどこか、床屋さん知らない?って聞いたら,小児がん基金への募金を募るキャンペーンを紹介されました。
こういうの、有名人がやったりする話は聞いたことあるけど、こちらでは全国各地,フツーの人も志願して,友人、知人から寄付を募るのだそうで、すでに450万ドル以上の寄付が寄せられています。

というわけで、これまでは何の前触れもなく春めいた日に髪を切ってましたが,今年は公開することにします。この近所の公開断髪は明日のことで,どれだけの寄付が集められるかわかりませんが,賛同される方はぜひ,寄付の方,よろしく。
詳しくは,こちらをご覧ください。

Tuesday, December 04, 2007

時代にふさわしい暮らし方/what now?

歴史には何年か、時には何十年か後になってから、「あぁ、あれが転換期だったんだな」という瞬間があります。人間というのは日々の所業に忙殺されがちで、その変化があまり急激なものでない場合、そういう瞬間を見逃しがちなものです。日々の雑事にかまけて、大変動の兆候も往々にして見逃してしまいがちです。


今年1年、大変動を告げる警告はいくつも発せられました。希有な時代を示す兆候や報告、警告はその気になりさえすれば、あちこちに散見することができます。現在私たちは、未曾有な時代を生きています。これほどの時代を人類はかつて経験したことはなかったんじゃないでしょうか。そういう時代認識のもとに、それなりの行動を起こすのか、それとも「これまで通り」を決め込み、ほおかむりをしてやり過ごそうとするのか。今ほど、個人1人ひとりの叡智が求められ、行動が問われている時代はありません。

(オーストラリアで発行される日本語月刊誌の草分け「日豪プレス」12月号のエコ・シリーズ最終回への投稿より)

つづきは日豪プレスをご覧ください。

Monday, December 03, 2007

山の下り方/how will you ride the slide?

ピーク文化もかなり底辺が広がってきましたが、このトゥーンもそのひとつ。


CartoonBrewより。

Sunday, December 02, 2007

お椀舟/coracle chronicle

うちから30キロほどの場所に人口1万2千人の町があります。この辺の行政の中心で、ちょっとした商店街があり、スーパーや動物関係の店、金物屋、市役所などもここにあります。1870年代のゴールドラッシュの頃にできた町で、近所で産出するホワイトストーン作りの建物がドシーン,ドシーンと鎮座する、それなりに豪勢な町です(実は最初にここを訪れたときに、古い銀行やらの建物に結構うっとりと見とれ、滞在を延ばしたのでした)。
うちからはクルマで20分ほど、アブラ代が往復でなんのかんの10ドルくらい(クルマのメンテ代とかそういうのは含まれておらず、単純なガソリン料金)です。まあ、たいていの買い物はここで済ませます。着いてしばらくは2、3日に一回、この町にでかけてましたが、だんだん、ストックがたまり、今では2週間に一度、買い物に出かけるくらいですむようになりました。あんまり出かけないので、でかければあれもこれも、図書館から本を借りたり、銀行に出かけたり、知人を尋ねたり、何でもすませるようにしています。これがなんとか、ひと月に一度くらいで済ませられるようになるのが理想で、そうすれば、いまの10倍くらいになってもなんとか、やっていけるだろうと踏んでます。

ただ、心配なのは結構アーティストや職人など、かなり面白い人間がいるので、それらの人間に会うために出かけなくっちゃならないかなあということです。今日も、ほとんどほかに用事もないのに、この町に出かけました「お椀舟レース」があったからです。





クルミを半分に割ったようなお椀舟、日本やベトナムでもありましたが、この辺の連中が参考にするのは、アイルランドやスコットランド、ウェールズのもの。それぞれ手作りで素材や形もいろいろ。

この町、ペニー・ファージングと呼ばれる前輪の大きな自転車が走ったり、休日には蒸気機関車が走ったりと、ビクトリア時代の町並みにあった活動が盛んで、それが観光の目玉にもなっています。アーティストや職人たちの中には、ピーク時代を意識した上で、「伝統」へ向かう連中もいます。日本でいえばオイル・ピークだから、江戸時代の技術を見直そうってな乗りでしょうか。知り合いの木工職人は電動工具など、いっさい使わず、人力だけで籠や鋤などの道具を作り上げます。

すでに「脱石油時代」を既に生きている連中が、手作りのお椀のような小舟を持ち寄り、速さを競い、お互いの舟を転覆させ合う。小さな浜は笑い声があふれてました。参加したのは10隻ほどですが、この「お椀舟レース」、どんどん、盛んになりそうな気がします。だって「適正技術」であり、おもしろいんだもん。

(本日の勝者、マイクが柳のかごのようなお椀舟をこぐ。これを作るのに一週間かかったそう。)

レースのあと、今日の勝者、普段は柳でかごを作るマイクがうちへ寄って、裏にある池で自作の舟に乗せてもらいました。なかなか、思うように舟を進めることができず、くるくるくるくる、回ってばかりでしたが、だんだん、櫂の使い方がわかってくるとおもしろい。思うような方向にもだんだん進めるようになります。でも、ちょっと強い風が吹くと、もう、木の葉のように風まかせ。これは仕方がありませんね。逆らえない。岸辺から「どこへ行くつもりなの」なあんて笑い声がきこえても、どうしようもない。


この池で魚を養殖しようというアイデアはありましたが、収穫をどうしようかとあれこれ考えてましたが、丸いお椀舟がどうやら解決策のようです。早速、作り方を習い、池に浮かべ、一寸法師のまねごとをするつもり。

Saturday, December 01, 2007

それから/Kia Ora

新しい場所にたどり着いて、1、2ヶ月もすれば落ち着くだろう、書き出せるだろうなんて思ってました。
如何に別な国とは言え、英連邦の同胞、南十字星を国旗にいただく隣国のこと、多少は違いがあるにしても、そのくらいでなんとか、いつもの暮らしのペースに戻るだろうと思ってました。7ヘクタールの農場に暮らすなんて初めてのことだとは言え、これまでの庭いじりやパーマカルチャーの経験から、何とかなるだろうと高をくくってました。

いやあ、甘い甘い。ブログどころか、私信にもちゃんと返事ができないうちに、もう、夏にさしかかろうとしています。皆様、ご無沙汰をお詫びします。

7月末に、それまで暮らしていた海抜千メートルのうちをあとに、オーストラリア大陸の内部をこれが見納めとばかりに二週間ほど旅してから、8月半ばにはニュージーランドの南島に到着しました。

(8月の夕陽)


(11月の夕陽)

前任者から14頭の羊と3羽の鶏とともに生産システムを引き継いでから、それこそ無我夢中です。いっぱしの極道を気取ったことはあっても、羊を追いかける牧童をやるとは夢にも思ってませんでした。

ちょうど春の出産シーズンで、到着するや、ぼこぼこと子羊が生まれ、何のかんので18頭の子羊がシステムに加わりました。羊の出産自体は何の手間もいらず、朝、見回りにいってみると,あらあら、子羊がまた生まれらあってな感じ。でも、春になって牧草が茂り出すまでは毎日毎日、干し草を配って回り、草が茂り出せば茂り出したで、一カ所のパドックの草だけが短くならないよう、あちらからこちら、羊を移動させ、それはそれで大変なことです。前任者がしっかりしたフェンスを残してくれたおかげで、新参牧童にもなんとか、手に追えないことはありませんが、それでも、何のかんの気がついてみると一日が終わっていたりします。何しろ、これまで本格的に四つ足動物の面倒を見たことはあまりありません。

春が来れば来たで、牧草が伸びてくるので、毎朝、干し草を配って回る作業からは解放されますが、今度は電気柵がショートしないよう、回りの草を刈り取らなければなりません。前任者は除草剤を使っていましたが、新参者はできれば使いたくないので、それなりに大変です。しかも、できればアブラも使いたくないので、鎌を片手草刈りをしてます。刈ったところは、段ボールや新聞を濡らして敷き詰め、その上にカーペットを敷く,そんな方法を試してます。果たして、どれほど効果があることやら。

春になれば、夏野菜の種まきもあります。前は種取りをして、自分のところで何年も育てた種のストックがあったのですが、もちろん、引っ越し前にすべて破棄しました。まったく白紙からのスタートで、種を手に入れなければなりません。近所の人がわけてくれたり、種会社から買い入れたり、それはそれで一苦労。しかも、これまでの経験がほとんどまったく役に立たない気候,土地です。近所の人にいろいろ尋ねて回り、何をいつ頃、植えたらいいのか、撒いたらいいのか,学ぶことばかりです。

トマトやなす、キュウリなどは、温室でないと結実しないそうで、幸い、前任者が温室を残していってくれましたが、これまで温室でモノを育てた経験がないんで、毎日毎日、期待と不安で過ごしています。

そんなこんな、慣れない土地で戸惑ってますが、その合間にふっと空を見上げると、息をのまされてばかりです。いやあ、本当にものすごい。海抜60メートル、浜が目と鼻の先な丘に引っ越して、毎朝、東の海から上る朝日にも圧倒されっぱなし。

(9月の朝日)

これからも忙しい日が続くと思いますが、うちの周りのこと、南島のこと、ニュージーランドのこと、そして、世界のことについて、書き始めます。また、どうぞ、よろしく。


(10月の朝日)

Tuesday, November 27, 2007

時代にふさわしい暮らし方

環境ゲテモノ化
オイル・ピーク時代のエコライフ

■2005年:越してしまった
後戻りできない一線
歴史には何年か、時には何十年か後にな
ってから、「あぁ、あれが転換期だったん
だな」という瞬間があります。人間という
のは日々の所業に忙殺されがちで、その変
化があまり急激なものでない場合、そうい
う瞬間を見逃しがちなものです。日々の雑
事にかまけて、大変動の兆候も往々にして
見逃してしまいがちです。
今年一年、大変動を告げる警告はいくつ
も発せられました。希有な時代を示す兆候
や報告、警告はその気になりさえすれば、
あちこちに散見することができます。現在
私たちは、未曾有な時代を生きています。
これほどの時代を人類はかつて経験したこ
とはなかったんじゃないでしょうか。そう
いう時代認識のもとに、それなりの行動を
起こすのか、それとも「これまで通り」を
決め込み、ほおかむりをしてやり過ごそう
とするのか。いまほど、個人1人ひとりの
叡智が求められ、行動が問われている時代
はありません。
11月に発表された気候変動に関する政府
間パネル(IPCC)の第四次評価報告書は、
未曾有の時代を告げる報告のひとつです。
今年、アル・ゴア元アメリカ副大統領とと
もにノーベル平和賞を受賞したIPCCの最
新の報告書はこれまで以上に深刻な状況を
伝えています。大気中の温暖化ガス濃度
( 二 酸 化 炭 素 換 算 ) は 2 0 0 5 年 半 ば に
455ppmに達してしまった、この報告はそ
う伝えています。オーストラリアの著名な
科学者、ティム・フラナリーによれば、こ
れは「ある種、越えられない一線と見られ
ていたもので、しかもそこまで悪化するに
はまだ、10年くらいはかかるだろうと思わ
れていた」のですが、後戻りできないと思
われていた一線を、人類はすでに2年前に
あっさりと越してしまったようです。報告
書が「これからどんな緩和策を取り入れ、
温暖化ガスの削減に取り組んでもその影響
が出るまで,一定の気候変化が避けられな
い。したがって適応策も取り入れなければ
ならない」と、かなり悲観的な警告を盛り
込んでいるのも、なるほど、です。
「温暖化」というとぬくぬく、ほんわか
とあったかくなるような印象があるので
「ゲテモノ化(英語ではglobal weirding
とかcli mate wei rdi ng)」という言葉を
使うようにしているのですが、環境ゲテ
モノ化はすでに現実なだけでなく、危険
水域に到達している。危険水域に至るま
で、もうしばらくはかかるだろう、とあ
てにしていた時間もない。切羽詰まって
います。私たちの呼吸する時代はそうい
う時代であること、それをまず、しっか
り肝に銘じていないと大変な思い違いを
することになります。
もうひとつの公式報告には、やはり11月
末に発表された国連気候変動枠組み条約
(UNFCCC)の報告書があります。今月3
日から14日まで、インドネシアのバリで
2012年に失効する「京都議定書」に変わ
る国際的枠組みを話し合う会議に先立って
発表されたものです。「京都議定書」や各
国での取り組みにも関わらず、2005年の
温暖化ガス排出量はこれまでで最悪であっ
たことが報告されています。「京都」を拒
否し続ける先進国の2つ、アメリカの温暖
化ガス排出量は2005年末の時点で1990年
レベルを16.3%上回っており、オーストラ
リアはと言えば1990年レベルを25.6%も
上回っていたそうです。「京都」を批准し、
対策義務を負う先進国が掲げている政策を
実行に移すならば、全体で2012年までに
(1990年当時の)10.8%の削減が見込まれ
るのは救いには違いありませんが、果たし
て、どこまで約束が実行できるのか、報告
書も疑問のようです。
そしてもう1つ、世界の通常原油生産は
2005年5月に頂点に達したのではないかと
の観測が強まりつつあります。有限な資源
であるアブラは掘り出していく限り、やが
てはなくなるものですが、その半分を使い
切った時点がオイル・ピークと呼ばれてい
ます。(グラフ参照)ピークは環境ゲテモ
ノ化の醜い双子です。
もちろんピーク以降も、まだこれまで使
ったのと同じだけの量のアブラが残ってい
ます。今すぐに枯渇するというわけではあ
りません。しかし、150年ほど前に生産が
始まって以来、ずっと右肩あがりで来た石
油生産ですが、いったん頂点を極めてしま
えば、それ以降、再び上向きになることは
ありません。どれだけ技術革新が進もうが、
ハイテク技術が導入されようが、どうしよ
うもない。すでに世界の65産油国のうち、
54がピークを越し、生産減耗に入ってい
ます。
ピーク以降もまだまだ量はふんだんにあ
るのですが、手に入るアブラはこれまでの
「チープ・オイル」ではありません。残され
たアブラは深海や極地など、手に入れるの
が難しい場所だったり、精製に膨大なエネ
ルギーを必要とする種類のアブラになりま
す。極地や深海などの油田はハリケーンや
嵐など、環境ゲテモノ化の巻き起こす「異
常気象」に対しても脆弱であることを忘れ
てはなりません。供給ラインはますます不
安定になります。
人間というのは、良質の自噴する油井が
あれば、そこから手をつけるもので、わざ
わざ、何千メートルの深海や極地などから
手をつけたりしません。近年発見される油
田が極地や深海であるのはそのためです。
楽に手をつけられるところはすでに手をつ
けてしまったということです。これは質に
ついても同様で、人間は精製に手間やエネ
ルギーのかからないアブラから使い始める
もので、「石炭のいとこ」のような種類の
アブラは当然、後回しになります。やはり、
ここ数年、アルバータのタールサンドやベ
ネズエラのオリノコ原油が話題になるの
も、簡単に使えるアブラを使い切ってしま
ったという証左です。
現在、世界では毎日毎日8,400万バレル
程度のアブラが消費されています。全エ
ネルギーの43%、交通運輸燃料の95%が
アブラに頼っています。チープ・オイルの
存在が経済のグローバル化を支え、我々
が享受する近代的で快適な生活を支えて
きたのです。その一方、チープ・オイルの
消費が環境ゲテモノ化に拍車をかけてき
たのです。
現時点で原油価格は1バレル100米ドルに
迫る勢いで高騰しています。年の初めから
比べると50%以上の値上がりになります。
2002年には20米ドルだったので、わずか5、
6年の間に5倍になったことになります。こ
の勢いでいけば、これから5年、6年後には
1バレル500米ドルもあり得ないことでは
ありません。もちろん、米ドル自体が弱く
なっていること、インフレなどを加味する
と単純に「史上最高値」ということはでき
ません。しかし米ドルの減退そのものに
「原油本位制」、そしてアブラに立脚する文
明の衰退が含まれていることを読み取るべ
きでしょう。
通常原油の世界生産はここ2年半、減耗
する一方であり、液体燃料全部についても、
ドイツのシンクタンク、エネルギー・ウォッチ
・グループは2006年にピークに達した、
これからは減耗すると10月に報告していま
す。もちろん、これらを上回る可能性が丸
っきりないとは言えません。しかし、「ピ
ークを過ぎた」という声は石油業界のトッ
プや産油国、そしてこれまで「ピーク」に
言及することを避けてきた機関や政治家、
メディアのなかからも上がっていることは
注目するべきです。
■不自然な食料事情:近代化の歪み
環境ゲテモノ化/オイルピークの影響は
衣食住、人間の必要のすべてを直撃します
が、一番心配なのは食料生産です。世界の
穀物備蓄はここ数年の豊作にも関わらず、
すでに2カ月分を切っています。拡大する
消費に生産が追いついておらず、備蓄をど
んどん切り崩しているのです。ゲテモノ
化/オイルピーク時代には、これまでのよ
うな飽食習慣を続けていくことはできませ
ん。世界各地からチープ・オイルで運ばれ
てきた食材を好きなだけ食べ散らかす、そ
ういう食習慣が持続不可能なものであるこ
とは言うまでもありません。
ゲテモノ化が本格化するにつれ、世界各
地で干ばつや洪水が頻繁化し、その規模も
烈しさを増していきます。何カ月も干ばつ
が続いたあと、雨が降ったと思えば土砂降
り、というように年間降水量の辻褄は合っ
ても、人間や植物に利用可能な水の量はこ
れからますます減少していくことが予想さ
れます。そして、水がふんだんにあれば良
いかと言うと、そうでもありません。過度
の湿潤は害虫やカビの発生につながります。
7月に2週間ほど、これが見納めとばかり、
それまで住んでいたシドニー郊外からアデ
レードまで内陸部を旅行する機会がありま
した。レッドガムが川辺に影を落とす姿は、
オーストラリアならではの独特の風景です
が、大陸そのものの未来を示唆するかのよ
うに、川も生態系も瀕死の様相でした。マ
レー川/ダーリング川流域はちょろちょろ
とした流れで、大河と言うにはほど遠い有
様で、こんなにやせ細るまで水を搾り取っ
ているのか、と悲しくなりました。
レッドガムは樹齢が500年から1000年に
も達し、ちょっとやそっとの干ばつにも耐
えられるはずですが、それが息絶え絶え、
死にかけていました。レッドガムの林の7
割以上が、すでに危機的な状況にあるとい
われています。未曾有の干ばつとやたらぼ
ったくりな取水のおかげで洪水が跡絶えて
いるので、種が発芽できない。だから新し
い木が生えてこない。そして、成木すら枯
れ始めていました。
全国農産物の約4割は、この流域で生産
されてきましたが、それも壊滅的な様相を
呈してきました。例えば、これらの川から
搾り取った水で稲作が行われ、日本へも盛
んに輸出攻勢がかけられてきました。しか
し、稲作農家への灌漑割当がなくなり、農
業資源経済局(ABARE)によれば、来シ
ーズン、米の生産は5万トンに落ち込むだ
ろうといわれています(業界筋によれば
1.5万トンに落ちるという報道もある)。オ
ーストラリアのように乾燥した場所で、稲
作はもともと無理だったのではないでしょ
うか。
そうかと思えば、昨今の水不足のおか
げで、VIC州では1週間に3, 000頭以上の
牛がと殺されているそうです。そのおか
げで、これまで高騰を続けてきた小麦価
格は少し下がっています。これまで家畜
の餌に回されていた分が市場に出回って
きたからです。
農家の苦労には同情するものの、よくよ
く考えてみると、近代型農業、自然を収奪
する農業、そして、そんな農業生産に頼っ
たこれまでの食生活の方がおかしいのでは
ないか。私たちは分不相応に、生産できる
以上のものを消費してきたのではないの
か。そして、オーストラリアなどの脆弱な
食料生産基盤を当てにして、経済連携協定
やら自由貿易協定を推進し、これまで何百
年も生産を続けてきた田んぼを潰して平気
な日本の自由貿易論者のもくろみがいかに
時代錯誤なもので、近視眼なものであるの
か。そんな気がしてきます。
「近代的な農業」は肥料から農機具燃料、
保存から輸送までチープ・オイルがなけれ
ば成り立ちません。パーマ・カルチャーの
開祖、デビッド・ホルムグレンが「オース
トラリアで口にするコップ1 杯の牛乳の
20%は石油である。ヨーロッパでは50%、
イスラエルでは80%が石油だ」と言ったよ
うに、私たちの口にする食物には大量のア
ブラがしみ込んでいます。アブラ生産が減
耗する時代には、当然、玉突き状態で食料
品、食材の値上げに跳ね返ります。
しかも、限られた農地や水をめぐり、バ
イオ燃料用の作物を生産するか、それとも
食料生産にあてるのか、そういう競争が激
化します。10月末、国連人権委員会、食料
の権利担当特別報告者ジャン・ジーグラー
が、口にできる作物をバイオ燃料生産に回
すことは「人類に対する罪」だと断罪する
ほど、すでに競争はし烈になっています。
例えば、世界の食物輸出の3分の2を賄う米
国では、来期収穫予定のトウモロコシの3
割がすでにバイオ燃料用に買い上げられて
います。
■食のローカル化:
アブラまみれの生活からの脱却
私たちの暮らすゲテモノ化/ピーク以降
の時代の対策として、もっとも有効なこと
は、自分の食生活に責任を持ち、食生活か
ら積極的にアブラを抜いていくことです。
これは「食のローカル化」であり、「食の
グローバル化」の対極となる行動です。自
ら口にするものは自らが育てる、「王様」
と不当に祭り上げられた「消費者」の座を
自ら進んで退位し、自分自身を「生産者」
と位置づけし直すことから食のローカル化
が始まります。
まず、食のローカル化は自宅の裏庭から
始まります。都会のアパート暮らし、ネコ
の額ほどの庭のない人もあきらめることは
できません。生産はアパートのベランダ、
屋上、どこでも始められるところから手を
着けます。近所に空き地があるかもしれな
いし、共同菜園があるかもしれません。
これがどれほどこれからの時代に重要な
ことであるのか、「エネルギー・ブレティン」
の編集者、アダム・フェンダーソンは次の
ように試算しています。
オーストラリアでは家庭あたり年間28.5
万リットルが直接消費されているが1万リ
ットルの雨水タンクを設置すれば、3割か
ら4割は賄うことができる。貯めた水を使
い、自宅で食料生産を始めれば、買わなけ
ればならない食料の量が減る。食料に含ま
れる水の量というのが半端ではなく、オー
ストラリアでは水消費の65%が農業用であ
る。つまり、ひと家庭では食料を購入する
ことで、毎年164.7万リットルを消費して
いる。自宅で食料生産を始めれば、大量の
水の節約につながる。
裏庭で食の生産を始めることは、温暖化
ガスの削減にもつながる。「我々はクルマ
に注ぐ以上のアブラを冷蔵庫に注いでい
る」と言ったのは前副首相のジョン・アン
ダーソンだが、オーストラリアでは1人当
たり、年間8バレルのアブラを食に費やし
(クルマにはその半分)、3トンの温暖化ガ
スを生産している。自ら食の生産者になる
ということは温暖化ガスの発生を抑え、ア
ブラ減耗時代の備えにもなる。
また、これまで埋め立て地を汚染して
いた「生ゴミ」や庭から出る「ゴミ」は
貴重な肥料になり、自宅で循環すること
ができる。家庭から出る「ゴミ」の6割以
上、年間1. 5トンはそれぞれの家庭で肥料
化できる。
食の生産者になるって言っても、食材の
すべてを裏庭で賄おうというのではありま
せん。半分でもできりゃ上出来ですが、そ
れにしてもものすごい量のアブラや水の節
約になり、ゲテモノ化の抑制になります。
そして、残りの半分も何千キロも離れた地
球のはてからアブラまみれで届く食物では
なく、近場の生産者から手に入れるように
する。グローバル化した食生活に慣れた体
には大変なことのようにも思えますが、な
るべく自分に近い場所で食料を確保するこ
とを心がける、それが環境ゲテモノ化/オ
イル・ピーク時代を生き残るひとつの戦略
であることは間違いありません。
2008年、ポジティブな時代に向け、第
一歩を踏み出せる年になることを祈ってい
ます。皆様、よいお年をお迎えください。


(日豪プレス12月号)

Tuesday, July 17, 2007

食のグローバル化ではなく、ローカル化

日本ではWTO(世界貿易機構)や自由貿易協定や経済連携協定の締結といった形で貿易の自由化の促進が声だかに叫ばれています。5月8日には経済財政諮問会議・グローバル化改革専門調査会からEPAの加速、農業改革の強化をうたう第一次報告書が発表され、大手マスコミから大きくもてはやされています。

経済財政諮問会議・グローバル化改革専門調査会というのは2001年1月に設置され、経済財政に関する重要な事をいろいろ調査審議するという機関です。グローバル化にあまりに熱心すぎるとか、出てくる「グローバル化」も米国の年次改革要望書の内容通りなものが多いとか、まあ、そういう批判が自民党の中からもあるようです。自分のことを棚に上げて、今更、んなこと言えないでしょうってな気もするし、この団体がグローバル化にしゃかりきな報告書を出すこと自体、その名前からもわかるように、あんまり驚くことじゃありません。それがこの団体の存続理由なんですから。

でも、米国べったりのグローバル化推進機関の出した第一次報告書を、大手マスコミが真っ当な批判もせずに持ち上げるとなると話は別です。

アサヒ新聞は5月10日の社説で大ヨイショしてます。
「わが国は農業保護が足かせになって貿易交渉を進められず、自由貿易の拡大という世界の流れから取り残されそうになっている。市場開放に耐えられる農業にしないと農業以外の国際競争力まで落ちる、という危機感が背景にある」。

そうかと思えば、トーキョー新聞はWTOドーハラウンドの決裂を受けた6月25日の社説で「自由貿易体制強化への動きを止めてはならない。日本は事態打開へ積極的に汗を流すべきだ」と政府や国民を煽ります。貿易の自由化で関税など農産物の国境措置が撤廃されれば、国内農業への打撃が予想されますが、それについて同紙社説は「痛みは避けて通れないが、むしろ、意欲のある担い手育成などの好機ととらえて自由化がもたらす痛みを克服する」べきであると結論しています。

ウハーッ。

21世紀に入り、世界各地で「市場原理」や「競争原理」の破綻を目にしているはずなのに、相変わらずこれらを金科玉条にして、すべてをゆだねようとする態度はどこから来るのでしょうか。なにか、これらのマスコミは隠し持った情報があるのでしょうか。疑問です。

グローバル化改革専門調査会がぶち上げ、マスコミが後押しする近代的で経済効率的な農業とは、単一作物を大規模な農場でなるべく人手をかけずに栽培する。それを何千キロも離れた市場に大規模流通させる。それが「カネになる」農業の中味なのですが、それはこれからも継続可能なものなのでしょうか。また、「安い食品」はどこにあるのでしょうか。いつまでも手に入るものなのでしょうか。たとえ、経済効率的な農業が「消費者」にはありがたいものでも、「生活者」のためにはどうなのでしょうか。

こういう言説を聞くと、いま、自分たちが呼吸するのがどういう時代であるのか、わかっているのか、疑問になります。何を口にして生きているのか、これから何を食って生きていくつもりなのか、それをはっきり把握し,そのうえで政策を提言したり、モノを言い、自由を律していかないと、その影響をもろに受ける自分の児孫から後ろ指を指されるのではないかと心配です。私たちはとても希有な時代を生きています。それは、これまでの「常識」があまり通用しない時代であり、あたりまえがあたりまえでなくなる時代です。

私たちの生きるのがどれほど特異な時代であるのか、英国政府のエネルギー政策諮問委員会のメンバーを務めるジェレミー・レゲットは、人類はふたつの大量破壊兵器を突きつけられていると表現します。「ひとつは、欧米経済を破壊し、実質的に資本主義そのものを破綻させることのできる、経済的な時限爆弾。もう一つは生態系を、すべて破壊させることができる生物兵器である」(「ピーク・オイル・パニック」作品社より)。

人類を脅かすふたつの大量破壊兵器とはもちろん、ピークオイルと気候ゲテモノ化のことです(一般的には「地球温暖化」といわれますが、何か、ほんわか,ぬくぬくと温かくなっていくようで,あんまり危機感を喚起しないので、エイモリー・ロビンスなどにならい「気候ゲテモノ化」という表現を使うようにしています)。

気候ゲテモノ化時代についてはかなりひろく認識されていますが、なかにはまだ、自分の目の黒いうちは大丈夫だ楽観する人も多いようです。ゲテモノ化時代はすでに始まっており、いま、それが現実なのです。すでに「季節外れ」だの「記録破り」なんてフレーズが連発され、これまでの気象記録や記憶、常識が使い物にならない、未曾有の領域で何が起こるかわからない、そんな時代に人類はすでに足を突っ込んでいます。環境ゲテモノ化時代はすでに始まっている、そのことをまず、肝に銘じておかなければなりません。そして、どれだけ非経済的で非効率的であろうとも、人間の食べるものはすべからく、自然という制約の中でしか生産しえないのです。

たとえば、日本の貿易自由化論者があてにする国のひとつにオーストラリアがあります。食肉、小麦、大麦では世界第二位の輸出国であり、オージービーフだとか、コメ、生鮮野菜などを日本に輸出している国です。同国は日本との間に最近「安保共同宣言」を結んだ国でもあり、ハワード政権は日本との間に経済連携協定を結ぼうと熱心に呼びかけています。頼りにしても大丈夫なように見えますが、さて、生産基盤のほうはどうなのでしょう。気候ゲテモノ化時代に、この国はこれまで通り、日本や世界の消費者のために安い食品を作り続け供給することができるのでしょうか。

オーストラリアはここ数年、第2次大戦末期の干ばつ,そして,1901年の連邦結成当時の干ばつなどが比較にならないほどの干ばつに喘いでいます。6月に入り、シドニーやメルボルン近辺では大雨があちこちで洪水を引き起こすほどの勢いで降り、シドニーの水瓶ワラガンバ・ダムは久しぶりに5割を超え,それが大きなニュースになるほどです。しかし、それでも、州政府は淡水化プラント施設の建設を決めています。お隣、ビクトリア州でも同様の施設の建設が発表されたばかりです。各地で送水用パイプラインの建設も進んでいます。これから水不足の恒常化は避けられない。それが一致した見方です。

まあ、60年に一度,もしくは百年以上に1度の規模の干ばつ、なんてのは頼りになる記憶や記録があり,なるほどって思いますが,「千年に一度」なんて表現も飛び出すほどの干ばつです。うーん,これは白人の入植(侵略)以前のことだぞ。先住民族の記憶に基づくものなのでしょうか。それとも「史上最悪」を言い換えただけなのでしょうか。

もちろん、ゲテモノ化時代は未曾有の領域であり、何が起こるかわからない、それが基本であり、水不足の恒常化と洪水が隣り合わせで存在してもまったく不思議ではありません。年間降水量の辻褄はあうかもしれませんが、降れば土砂降り、でも、次の雨がいつになることやらわからない。そんな降水状態では、人間にも植物にも使える水の量は限られてしまいます。

オーストラリアの農業を支えてきたのは大陸の南東部内陸に広がるマレー川/ダーリング川流域です。もともと降水量は少ない土地ですが、ここでコメや小麦や大麦、綿花に食肉など、全国農産物の4割が生産されています。最近ではワインの生産も盛んです。金額ベースで輸出の1/4を稼ぎ出し、オーストラリアを世界有数の食料輸出国にしてきたのは、この流域です。

しかし、この地域の乾燥ぶりは壊滅的です。農業資源経済局(ABARE)の2月の発表によれば、昨冬の小麦、大麦、菜種は軒並み6割減。夏作物のコメの作付けは90%も減っているそうです。しかも、これが近年の「千年に一度の干ばつ」だけが原因ではなさそうなことの方が長期的にはもっと重大です。塩害や富栄養はすでに数年以上前から指摘されており、長年にわたる無茶な取水に頼る農業のおかげで流域の生態系はひん死の状態です。ちょっとやそっとの乾燥にも耐え、寿命が500年から1000年に達することもあるレッドガムと呼ばれるユーカリの木さえ枯れ始めています。事の重大さに重大さに気づいた連邦政府は100億ドルの予算で、流域再生計画を打ち上げていますが、乾いた大陸から水を搾り取る環境収奪型の農業をこれからの時代、どこまで続けていけるのか、はなはだ疑問です。

気候ゲテモノ化の時代には恒常的な水不足,干ばつだけでなく、突風やサイクロンなど「異常気象」も多発し、大型化する、ブッシュファイヤーも頻繁になると言われています。

2006年3月には、オーストラリア北部を大型サイクロン「ラリー」が襲来しました。これがゲテモノ化時代の所産であるのかどうか、それはともかく、このサイクロンのおかげで、バナナの値段は急騰しました。バナナ生産の9割近くが集中していたからです。とたんにバナナ不足という事態になり、他の果物や野菜の値段を押し上げ、物価全体を押し上げることになりました。

単一品種を数少ない場所で生産することは,経済効率的かもしれませんが、ひよわであることをさらけ出した例です。値段は少々高くなっても、バナナがいろいろな場所で少しずつ,あちこちで作られていれば、一ケ所がサイクロンに襲われてもうろたえることはありません。「安い」農産物には、こうしたリスクを内包しています。しかも、こんな規模のサイクロンや颱風やハリケーンがごろごろ来る時代、気候変動を引き起こした張本人である人間は、そのつけを払う覚悟しておかなければなりません。

気候ゲテモノ化にはピークオイルという醜い双子がいます。レゲットが「資本主義そのものを破綻させることのできる、経済的な時限爆弾」と表現する、もうひとつの大量破壊兵器です。気候ゲテモノ化ほどには知られていませんが、こちらも壊滅的な破壊力を持っています。

ピークというのは「頂点」のことで、ピークオイルというのは有限であるアブラを半分採掘し尽くした時点のことです。アブラはまだ、これまでに使ったのと同じだけの量が残っているのですが、いったんピークに達してしまえば、それ以降、どれだけ、設備投資をしようが、どれだけ技術革新が進もうが、生産は下がり続けます。

人間というのは、何にしても楽に掘れる場所から掘り出すものです。わざわざ数千メートルの深海やアラスカの凍土から先に手をつけることはありません。そして、精製に手間のかからないアブラから手をつけます。石炭のいとこのようなタールサンドや、重質なオリノコ原油など、精製に手間のかかるアブラがつい最近まで見向きもされなかったのはそれが理由です。まだ半分残るアブラは、これまでのように簡単に手に入る良質なものではなくなります。ピークオイルというのは、安いアブラ(チープ・オイル)がふんだんに使える時代は終わった、終わろうとしていることです。

150年前に発見されて以来、アブラは私たちの生活を大きく変えてしまいました。自由貿易論者があてにするような安い農産品を遠隔地から手に入れられるのも、安いアブラがあるからです。結果として、よりたくさんの人口を養えるようになった大きな理由もアブラにあります。安いアブラのおかげで、「戦後育ちの我々は、食品価格というものは下がるものだとばかり思い込んできた」(英国インデペンデント紙6月23日付けの記事)のです。近代的で経済的な農業生産、流通、消費の過程はどれをとっても「チープ・オイル」抜きでは成り立ちません。

パーマカルチャーの開祖、デビッド・ホルムグレンが「オーストラリアの牛乳は20%が石油である。ヨーロッパではおそらく50%。そして、イスラエルの酪農のやり方を見る限り、イスラエルで手に入る牛乳は80%が石油だ」(「パーマカルチャーの原理,そして持続可能性を超えた道筋」より)というように、われわれの食物には大量のアブラがしみ込んでいます。

アブラまみれの農業生産は、、すでにピークから大きく揺さぶられています。チープ・オイル時代の終わりは「食料が安い(チープ・フード)」時代の終わりも意味します。大量にしみ込んだアブラの値段が上がるにつれ、食品の値段も上がるだけでなく、限られた面積の農地や水を代用アブラの生産に使おうという要求が高まり、食品の高騰につながります。上記インデペンデント紙の記事はこれをアグフレーション(農業とインフレーションの合成語)と呼んでいます。

「去年1年、英国では穀類価格が12パーセント上昇し、世界市場における乳製品は60パーセ ント値上がりした。コメの価格は世界中で上昇中だ。ヨーロッパにおけるバターの価格は昨年、40パーセント上昇し、小麦の先物は、この10年間で最高値で取引されている。大豆の価格は5割上昇、中国における豚肉価格は昨年にくらべ20パーセント上昇、インドの食料品価格指数は11パーセント上昇した。メキシコではトルティーヤの値段が60パーセント上がったため、暴動になった」(上記インデペンデント紙の記事より)。

オイルピークの訪れで安いアブラが手に入らなくなるにつれ、トウモロコシや砂糖、キクイモ,大豆などの作物をクルマの代用アブラに振り向けようとする圧力が高まります。バイオ燃料生産は世界中で急ピッチで進んでおり、たとえば、世界の食物輸出の2/3を賄う米国では来期収穫予定のトウモロコシの3割がエタノール製造に向けられることになっています。農作物をクルマの燃料にするか、それとも人間や家畜の食料にするのか、農地の利用法をめぐる争いはすでに始まっており、これが農産価格を押し上げているのです。

バイオ燃料は「再生可能」な農産物から作り出されますが、耕作可能な土地や水,肥料など,生産の条件には限りがあり、どれだけ反収をあげようと、無限に生産を伸ばすことはできません。たとえば、2006年度、全世界の穀物収穫は20億2000万トン、ここ5年の平均を上回る史上3位の豊作でした。しかし国連食料農業機関の報告によれば、世界の期末備蓄量、つまり次の収穫までの備蓄は57日分にまで減っているそうです。これは生産が頭打ち状態であるにも関わらず,消費需要は急増しており、備蓄の切り崩しが進んでいる、ということになります。

食料にするのか、それともクルマの燃料にするのか、地球上で生産可能な農産物の使い道を巡る競争はオイルピークの影響が本格的に現れるにつれ、激化していくことでしょう。言葉をかえれば、自由貿易論者があてにする「安い食品(チープフード)」を見つけるのは次第に難しくなるのです。食品はどんどん安くなる、そういう「常識」はアブラ生産が右膝下がりになる時代には通用しないのです。近場の農業が多少痛手をこうむろうが、遠隔地から安い食品を持ってくるから大丈夫というような考え方はアブラが減少する時代には、成り立ちません。自分の子供や孫のことを思うなら、自分たちの口にする食品からいかにアブラを抜いていくか、それを考えなければなりません。

さて、食物からアブラを抜いていくにはどうしたらいいのでしょうか。環境ゲテモノ化時代に「骨太な」食生活を構築するにはどうしたらいいのでしょう。
食のグローバル化という政策への対抗軸としては、食のローカル化が有効です。「国」の食料自給率を上げるべきだと声だかに叫ぶ方法もありますが、一人一人が意識改革をし、自分のからだから一滴ずつアブラを抜く努力をしない限り、それも空論に終わってしまうでしょう。まずは、地球のはてからアブラまみれで届く食品を拒否するところから始まります。グローバルな食生活、食の経済に慣れたからだには大変なことのようにも思えますが、食のローカル化は簡単にイメージできます。自分を中心に、同心円に広がる水の波紋を想像し、なるべく自分に近い場所で食料を確保することを心がければいいのです。国民皆農なんて言い方もありますが、食のローカル化はまず、「王様」と不当に祭り上げられてきた「消費者」の座から自ら進んで退位して「生産者」の地位を再獲得することから始まります。

都会のアパート暮らし、ねこの額ほどの庭もない人も、あきらめることはできません。「生産者」はアパートのベランダ、屋上、どこでも始めらるところから、生産しなくてはなりません。最初からすべてを賄おうというわけじゃありません。できるところからできるペースでゆっくりと、自らを「生産者」に変えていけばいいのです。近所に空き地があるかもしれないし、共同菜園があるかもしれません。もうひとつ、輪を広げて、同じ地域のプロの農家と提携していくこともできます。あくまでも生産者として、同一の地平にたちながら。こうやって、一人一人が食の生産に取り組み、食の経済をローカル化していく。一人一人がそういう視点を持ち、自らの手を土に突っ込み、口にするものからアブラを抜いていけば、国の食料自給率も自然に高まるでしょう。

環境ゲテモノ化時代、そしてオイルピークという時代、生き残る戦略は食のグローバル化ではなく、ローカル化です。

「増刊現代農業」8月号への原稿

Wednesday, July 11, 2007

そろそろ/a goodbye to this damn nation (damnation).

アルゼンチンでは首都のブエノスアイレスにたぶん1918年以来の雪が降り、パンパスも数センチ程度だそうですが雪に覆われたそうです。そうかと思えば、タラナキが先週竜巻に襲われたばかりのニュー・ジーランドの北島、今週はサイクロン級の雨風がオークランド以北を水浸しにしています。

これでも環境ゲテモノ化時代のまっただ中にいることを疑うなら、役立たずな目も皮膚感覚も耳もきっぱりと削ぎ落とした方がいいでしょう。

そして、原油価格は高騰を続け、需要と供給は逼迫状態が続いています。オイルピークの方も容赦なしで進行中です。これまで楽観的な「予測」ばかりをたれ流してきたIEAも、7月の報告書(これは無料リンクのpdf)で「ちょっと問題が」なんて言い始めてます。衰えたとは言え、曲がりなりにも産油国のイギリスでは大手メディアが大きく取り上げてますが、「アブラの大消費国」日本では相変わら知らんぷり、ですねえ。大丈夫ですか。ほおかむりしていて。今月の参院選とかでピークを争点に取り上げないと間に合いませんよ。

と、人のことばかり心配してもいられない。自分自身で取りかかれるところから取り組まないと。

なんて言いながら、減量を始めたのはかなり以前のような気がしますが、それでもまだまだ、そぎ落とさなければならない贅肉が腰の周りこびりついていて、わずらわしいったら。時間も残されておらず、贅肉の処分に躍起になっています。ひえーっ(と言いながら、明日は夜汽車に乗ってブリスベンへ音楽三昧の週末にでかけます。ああ、待ち遠しい)。

来月引っ越す村には因縁のように引き寄せられていたのかもしれない、って書きましたが、実はこの村とはニュー・ジーランドにでかける前に出会っていたのです。

IMG_0711.JPG
(近所の漁港から村はずれ、農場のある丘を見上げる)

去年の末,ばたばたと慌ただしく出発前に書いたブログのエントリーのひとつに、かの国のエネルギー・気候変動担当大臣、デビッド・パーカーのスピーチの訳出がありました。現職の大臣が「ピーク」を口にすることは滅多にない,しかも,それを正面から取り上げることもない。しかも,「ピークは重大だけど,環境変動の方がもっと危急の課題だ」って文脈で取り上げたのでした。そこまで理解している人が適材適所についている。ニュー・ジーランドってすげえなあと思ったものでした。しかも,そんなスピーチが人口300人程度の村で行われたってところにも感動したことを覚えてます。

それがこの村との最初の出会いだったのでした。

もちろん,この時は、まさかブログの上で「人口300人そこそこの村」と表記したこの村に出かけることになるとは夢にも思わず、現地を旅行し始めてからもすっかりと忘れていました。

そのことは、村外れにある物件を見に行って、気にいってからもまったく、脳裏の片隅にも浮かびませんでした。

さて、これはありそうかなって気がしてからも気は許せませんでした。何しろ、引っ越しはこれでおしまい、やりたいと思ってもピーク以降の時代、そんなに簡単にできるわけがない。やり直しはできず、後戻りもできない。あちこち、漂流してきた人生もこれで打ち止め。慎重の上にも慎重にならざるを得ません。骨を埋める場所です。

だから、物件を見に行った翌朝、おじさんに「相棒が数週間後に帰国したあと、もう一度戻ってきて、一週間くらいウーフさせてくれませんか」って、図々しくも申し出たのでした。断られて当然な厚かましい願いを、おじさんたちは二つ返事で快諾してくれました。波長がどこかであってたのかもしれません。

ここはどうしてこういうデザインなんだ。なぜ、この木はここに植えたんだ。なんて、それから一週間、重箱の隅を突っつくように非の打ち所をさがしましたが見つかりません。ウーフなんて言ってもほとんど作業らしいことはほとんどなし。肥料にする海藻を海岸に集めにいったくらいで、あとはあれやこれや、村や近隣の町を案内してくれるのについて回るだけ。あっという間に一週間が過ぎてしまいました。

滞在中、何日目かに政治の話になり、エネルギーの話になり、くだんのデビッド・パーカーが地元選出(先の選挙では選挙区で落選、比例で復活)であることを知りました。ああ、そう言えばあの大臣、去年の暮れにこれこれこういうスピーチをしたねと思い出して尋ねると、ああ、あれは通りを下ったとこにある、村の集会場でだ。そもそも、この村のエネルギーフォーラムが主催した集会でのことだ。ええっ。そうなの。奇遇と言えば奇遇、因縁と言えば因縁を感じました。

呼ばれるようにしてたどり着いたその村に、オーストラリアから環境難民がふたり、あとひと月もしないうちに流れ着きます。

Tuesday, July 10, 2007

長いお別れ・その2/a second long goodbye.

一時は30羽もいた鶏も徐々に行き先を見つけてやり、ついには一羽もいなくなり、朝も夕も、ちょっと気抜けするくらい、勝手の違う日々になりました。これまでは台所に鶏用のバケツがあったのに、それもなくなり、これまた、ちょっと寂しいくらいに勝手が違います。あっけらかん。
あと、10日もすれば、ネットの接続も切れてしまいます。彼の地へ移動し、新しく接続するまで,ブログの更新もこれまたお休みになりますが、皆様、ご了承ください。そうそう、これまでのメールアドレスも使えなくなりますので、まだ応急の連絡先を知らせていない方、早急にご連絡くださいませ(業務連絡)。

さて、これから引っ越していく村を実際に訪れたのは,もとはといえばその村に魚屋があったからでした。

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(北島,カイタイアの釣り道具店の看板)

南島最大の都会(といっても人口は30万)、クライストチャーチから物件を見ながら南下して、たどり着いたのがオァマルの町でした。人口は1万2千人ほどですが、1860年代に絶頂を迎えるゴールドラッシュの頃からの町で,その頃のカネで贅沢に建てられたライム・ストーン建築の豪壮な建物が、どしんどしんと鎮座する町です。そういう歴史の重厚さが現実に目に見える形で残る町並みってのには目がない方なので、近所に泊まることにしました。

宿のおかみさんから近所の話を聞くと、漁港が近くにあるということでした。そう聞いたら,たちまち,生の魚を手に入れたくなりました。ニュージーランドは島国で,どこの町にも魚屋の一軒や二軒ありそうなものなのに,これがどこにもない。ときどき、スーパーで売っているところもありますが、かなり、いい加減で魚と肉と野菜の区別もほとんどつかない店員が番をしてます。ネイピアの漁港,クライストチャーチの町中には何度でも通いたくなるような魚屋がありましたが,それは例外で、新鮮な魚はなかなか手に入らないのです(小さな魚屋は、かつてはどこの町にもあったのに、スーパーの進出で駆逐されてしまったのだとあとで知りました)。

宿のおかみさんに詳しく尋ねると、さっそく隣村の魚屋に電話してくれ,残っている魚を予約してくれました。その魚屋のある村に引っ越していくだろう、なんて、その時にはちっとも思いませんでした。隣にコンピューター・ショップを構える兄ちゃんが,お隣というだけの脈絡で魚屋の店番をしていて、なかなか、のほほんとしていい感じ。その晩は久しぶりで、タラの一種、ブルー・コッドの新鮮なところにありついたのでした。

村を再び訪れたのは、それからまた二、三日してからでした。

あたりをうろうろし,いくつか物件を眺めた夕方、たまたまのぞいた不動産屋の窓にその村のはずれにある物件が並んでました。土地は15エーカーで,なんとか,手の届きそうな値段です。不動産屋のお兄ちゃん,「ここはちょっと変わっているんだ」とか言いながら、先日空撮した写真を見せてくれました。興味をそそられ,いますぐにも見に出かけたかったのですが、今日はもう遅いから,明日,見に行けるように手配をする。そういうことでした。まだ,午後の4時くらい,しかも夏は日が長いので、まだまだ、見に行けそうな気分でしたが、まあ、ニュージーランドの不動産屋のペースにもすっかり慣れっこになっていて、そういうことですか。じゃあ、また明日。と分かれて、宿に向かったんですが、またぞろ,新鮮な魚が食べたくなってきました。あっ、それじゃ,先日の魚屋に行きましょ。とロゴでぶるんぶるん。

魚屋には先日のコンピューターショップのあんちゃんがいて,あれやこれや、話のついでに,くだんの物件がどの辺りにあるのか,そんな話になりました。そのうち、自ら漁に出る魚屋の店主が奥の方から出てきて,ああ,その物件なら知っている,案内しようか。ってな話になり,それじゃ,周りからだけでも見ておこう。あんまりひどかったら,明日、見に行く予定もキャンセルして、次の町を目指そう。と。魚の代金を払うと,早速ロゴに飛び乗り,魚屋のあんちゃんのトラックのあとを追いました。

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(海の見える丘の上にある農場)

農場の表まで案内され,魚屋の店主に礼を言って,相棒と二人,柵の外からのぞいていると中から、おじさんが出てきました。物件を外から見にきたというと,中からも見ていけという話になり,それじゃあ,まあ,お言葉に甘えてお邪魔しました。

夕立のあと,沖あいには虹がかかっています。うーん、偶然にしてはなかなか,でき過ぎです。

夕暮れ時,そろそろ晩飯時にもかかわらず,おじさんはそれからたっぷり2時間、案内してくれました。

おじさんは鳥が好きで,鳥の来る場所にしたかったと言うことで,近所では「木男」と呼ばれるほどに、広さは6ヘクタールほどの農場はびっしりと植林されています。丘の上まで木という木を刈り取り牧場にするのがあたりまえなニュー・ジーランドでは、なるほど「ちょっと変わって」ます。

冬には冷たい南極颪が吹く南の斜面には木が植えられ,防風林。しかも,エネルギー下降時代に備えるかのように、燃料用,資材用の木もどっちゃり植えられていて、中にはすでに収穫できそうなほどに育っている木もあります。もちろん果樹やナッツの木もたくさん植えられてます。ポサム対策はどうしているのか、と尋ねると、野菜畑と果樹園は波打ちトタン板の塀で囲われています。なるほど、これじゃ、ポサムも上れない。農場はトラクターなしでも経営できるように設計したそうで、いくつかの小さなパドックに区切られ、動物の移動も簡単にできそうです。2時間ほど農場を歩き回りながら、自分のやろうとしていることと驚くほど似てる。そんな気がして仕方がありませんでした。

その夜は相棒と二人で採点しながら、ほとんど非の打ち所がないのに驚いてしまいました。ほとんど、その気になりながら、でも、こういう時はちょっと、興奮を冷まして見るべきだ。なんて言い聞かせ、明朝、もう一度尋ねてみることにしました。
(続く)

Monday, July 09, 2007

数週でお別れ/a long goodbye.

引っ越しの日へ向けてのカウントダウンが続いてます。あと3週間もすれば、20数年暮らしたオーストラリアにもさようなら。

というわけで、相変わらず、いろんな締め切りに追われながら、あれやこれやに忙殺されてます。これが見納めかとばかり、いろんな場所やいろんな人、都合のつく限り出かけるようにしており、今週末にはブリスベンまで、パンクの元祖、セインツの再結成公演を見に行くつもりです。かつて音楽関係の仕事を一緒にやってた奴とふたり、夜行列車で出かけ、彼の地に暮らすゴー・ビトゥインズの生き残りとも一献する予定です。

その後もアデレードやメルボルンにも足を伸ばし、それやこれやの一切合切にけりをつけ、強力な蹴りを入れ、来月の半ばからニュー・ジーランドの南島で新しい生活を始めることになります。

引っ越していく先は南島の第二の都会、ダニーデンの北80キロくらいのところにある海岸沿いの村外れにある農場です。南緯46度、日本近辺で比較すると稚内よりさらに北になります。

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今年の始め、「骨を埋める場所」をさがしにいって、ここにたどり着きました。因縁、とでもいうのでしょうね。何かに呼ばれていたのかもしれません。見つかるべくして見つかったのではないか、そんな気がして仕方がありません。

ニュー・ジーランドへ出かけてったそもそもの理由は、環境ゲテモノ化時代、オイルピーク時代という未曾有の時代に、ここにいたらヤバい。やっていけないぞ、救命艇となりうる場所を探そう、ということでした。そして、あちこち探しまわり、ある地所が気に入って、購入をきめてみたら、信じられないことに、その村はピークに関し,国のなかでももっとも熱心な運動を展開している場所でした。あちゃ。

いま暮らしている場所はやばいぞ、ピークなどの非常時には耐えられないかもしれない、そんな心配があり、この近くに「非常用の備え」として小川の流れる農場を借金したカネで買ってありました。ところが「千年に一度の干ばつ」のおかげなのか、「救命艇」は無惨にも息も絶え絶え、ひからびた姿をさらしているのを目にして、はっきりと決心しました。ここはだめだ。

引っ越し先はオーストラリア国内を、まず、あちこち検討しました。しかし、どこもかしこも似たような状態です。このまま、ここにいたらやばい。うかうかしていたら、乾いた大陸の上でアブラ切れになり、ひからびてしまうぞ。どうしよう。隣のニュージーランドはどうだろう。そんな危機感を抱いて、やってきたのでした。

この村にたどり着いたのは、そうして、北島の北端から始めた旅も6週目、オーストラリアを出る前に目星をつけた場所を中心に、いろいろな物件を見てまわりましたが、なかなかこれという場所にであえず、こりゃ、もうだめかな。表示は日本語、ラジオも日本向けのまま、ホンダのロゴって中古車の中で、最初から計画を練り直さないといけないかな、なんて話が出始めた頃でした。

気候ゲテモノ化時代やオイルピーク時代に望ましい住まいの条件はいくつかあります。

自然の条件として、水が手に入ること、これは重要です。水がなければ、人間も動物も植物も育ちません。とは言え、ゲテモノ化時代のこと、これまでの数字はあくまでも参考にすぎません。まあ、それを参考にしつつ、雨を作り出す森林の近くが望ましい、アルプスに源を発する大河のそばもいいかな。というくらいです。

大地の力はもっと、頼りになるかもしれません。ゲテモノ化時代に降水量や気候の変化は予測できませんが、土地の持つ肥沃さはとりあえず不変です。

ゲテモノ化時代の海面上昇を考慮すると、あんまり、海岸に近い低地は避けたい気がします。そして、ニュージーランドは日本のような地震国であり、温泉とか火山はありがたいけど、地震プレートの集合する巣のような場所は避けたいなあ。

人工の条件としては交通インフラが重要です。どんなにすばらしいパラダイスのような場所でも,クルマに移動や物流を頼らなければならないような場所はアウト。問題外です。ピーク以降の時代に、クルマに物流を頼る店は営業が難しくなり、そんな店に食料を頼る暮らしは先細ることが目に見えてます。とても暮らしていけません。自分が出かけることよりも、食料などの物資がどうやって自分のところに届くのか、そういう意味で交通インフラは重要です。

じゃかすかとクルマが使える時代が終息していく時、頼りになるのは鉄道や港湾です。

現在稼働中の鉄道路線や港湾がベストです。鉄道なら旅客と貨物,両方が走っていればいいのですが、とりあえず、貨物だけでもまあオーケー。ピーク以降の早い時期に旅客サービスも復活することでしょう。その次は、廃線になっているものの,線路などのインフラは撤去されずに残っている,そういう場所。鉄道が再び必要になるとき,まず、復活するのはインフラの残る場所です。

船についても同様で,現在港湾設備があり、稼働している場所がベストです。特にニュー・ジーランドや日本などの島国では、沿海航路がエネルギー下降時代の物流の主力になるだろうと思います。港、そして、いまは使われていないが,かつて港として使われた場所、自然条件が整った場所などがピーク以降の時代「交通の要所」として、再び復活することでしょう。

家の場所としては、これら、鉄道の駅や港湾などの「交通の要所」から遠くても30キロくらいの地点がのぞましいのではないでしょうか。ピーク以降の時代、食料などのモノが届くとすれば、こういう場所になります。まあ,このくらいの距離なら、自転車でえっちらおっちら、何とかなる距離です。それ以上になるとつらい。図書館や大学などの高等教育機関,古本屋にレコード屋,なんていう、知的なポイントがこのくらいの距離にあるとありがたい。これらは、あるといいなあという施設ですが、郵便局,銀行,店,医者などは必要な条件で、それよりももっと近いところ、1キロから5キロ、歩いていける場所にあるのが望ましいです。歩いていける距離にあるといい。

ってな条件を満たす場所で、しかも、農場とうちを売却した金で買える範囲で、自分たちの食料を賄えるほどの生産ができそうな場所をさがして回りました。

相棒も私も、事態は深刻化する、しかも、今年の夏あたりから加速するだろうと言う読みでは一致してますから、一刻の猶予もならないなんてことはわかりきっている。そういう時代の勢いというか、時の流れ、性急さを加味しながら、見て回る物件、訪ねた場所を採点しながら、ロゴをびゅんびゅんと飛ばしていきました。
(続く)

Sunday, July 01, 2007

催し物案内

切り貼り転載,催し物案内です。
自分が見たことのあるのは6の「エンド・オブ・サバービア(都市近郊暮らしの終焉)」というオイルピークの古典作品だけですが、これだけでも出かける価値があります。「米国の郊外の生活はいかに?」なんて、他人事じゃなく「アブラ漬けの現代人すべての生活はいかに?」です。近所の方は隣近所お誘い合わせてお出かけください。
ーー転載ーー

第4回東京平和映画祭のお知らせ


7月7日(土)に開かれる今年の東京平和映画祭。テーマは、「食、農業、エネルギー」「戦争と平和」「過去から未来へ」。
明日からの考え方、生き方のヒントが満載。安い参加費で8本も見られて超お得です。(2、3本見れば元は十分とれます!)

(この2,3日、予約が急増していますので、なるべくサイト上でご予約ください。)

◆上映映画:
1.『食の未来』(D.ガルシア監督・2004年・90分):
  米国の遺伝子組み換え作物による食品支配の現状が分かる
2.『サルー・ハバナ』(井坂泰成監督・2006年・33分):
  都市有機農業で自給に成功したキューバをレポート
3.『戦争をしない国 日本』(片桐直樹監督・2006年・90分):
  憲法9条をめぐる今日に至る経過を克明にレポート
4.『軍需工場は、今』(小林アツシ監督・2005年・41分):
  日本の軍需工場で働く人々の現実が分かる
5.『911スペシャル』(きくちゆみ解説&映像・2007年・60分):
  911同時多発事件の真相とは? 映像と解説で綴る
6.『エンド・オブ・サバービア』(G.グリーン監督・2007年・80分):
  オイルピークとは何か?米国の郊外の生活はいかに?
7.『懐かしい未来』(ジョン・ベイジ監督・2004年・55分):
  ラダックの伝統的な文化から学び未来へとつなげるヒント
8.『地域から始まる未来』(レンダー・ワード監督・2004年・25分):
  グローバリゼーションのあり方を問う

◆日時:2007年7月7日(土)開場9:30 開催時間10:00〜21:00
 
◆会場:国立オリンピック記念青少年総合センター・
      カルチャー棟 大ホール(757名)
      渋谷区代々木神園町3-1 
      <アクセス>小田急線参宮橋駅下車徒歩7分
      http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html
◆参加費:29歳以下 会員1,500円・一般2,500円
       30歳以上 会員2,500円・一般3,500円
 ●一般チケット:チケットぴあ各店、電子チケットぴあにて
好評発売中!
           [P -コード:552-982]
 ●サイトでも、当日会場でも、『東京ピースフィルム倶楽部』に入会と同時にチケットを会員価格で購入可!
◆託児サービスあり。要事前予約。takuji at peacefilm.net
◆主催:「東京ピースフィルム倶楽部」
★【問合せ先】事務局:浅野 TEL:090-4459-3020
mail:info at peacefilm.net
ーーー転載終わりーーー

Monday, June 25, 2007

山頂より:その4/a peek from the peak #4.

WTO(世界貿易機構)や自由貿易協定や経済連携協定の締結といった形で貿易の自由化の促進が声だかに呼びかけられてます。いま、それがもたらす影響について、ひとつ書いているところですが、日本の大手マスコミの論調はひどい。まったく時代認識に欠けてますねえ。

たとえば、今日の東京新聞の社説はこうですよ。

「自由貿易体制強化への動きを止めてはならない。日本は事態打開へ積極的に汗を流すべきだ。」貿易の自由化で、関税など農産物の国境措置が撤廃されれば、農業への打撃が予想されますが、それについて同紙社説は「痛みは避けて通れないが、むしろ、意欲のある担い手育成などの好機ととらえて自由化がもたらす痛みを克服する」べきであると結論しています。

この無知さ加減はまったく何なんだろう。
こうした論調は日本のマスコミに共通しているようですが、正直、あきれてしまいます。

いま、自分たちが呼吸するのがどういう時代であるのか、何を口にして生きているのか、これから何を食って生きていくつもりなのか、そういう時代認識、歴史認識がまったく欠けています。

拙著やこのブログを読んでいる人には聞き飽きたことかと思われますが、人類は「ふたつの大量破壊兵器」に直面しており、現代人の生存は食料確保にかかっている。んなことは、まったく理解できていないようです。「避けて通れない」のは他人の痛みじゃないんすよ。あなたの空腹ですよ。一体、何喰って生きてくつもりなんでしょう。食料がどこでどんなふうに生産され,流通するのか、それを考えようともせず、空虚なアジテーションをする人間に報道人の資格はありません。

今日の東京新聞社説に代表される日本のマスコミに比べると、大手マスコミでは世界で初めて、今月、オイル・ピークを一面で、しかもマジで取り上げたイギリスのインデペンデント紙は6月23日付けで「世界は食料紛争に突入」という記事を載せています。

ダニエル・ハウデンの記事は、なぜ、バイオ燃料への需要が増しており、これからも増していくのか、その背景にオイルピーク(=チープオイル時代の終焉)があることには言及しておらず、その意味では突っ込みが今ひとつたりませんが、「安い食料(チープフード)」時代の終焉を認識し、そのしわ寄せがどこに行くのか、それを取り上げている点は重要です。

貿易の自由化がどんな社会をもたらすのか。これから何を食べていくつもりなのか、誰を餓死させるつもりなのか。我々の生きているいま、それを理解する一助として、インデペンデント紙の記事を下記に抄訳します。

(ちなみに、記事の中に出てくる世界穀物備蓄、53日分にまで下がるだろうとする予測もあります。ちょっと、出典がどこだったのか、見つからない!アブラのピークが食料ピークやその他のピークに連動していることは間違いありません。そこが、オイルピークの核心です。)

ーーーーーーーー
英国では穀類の価格が去年1年で12パーセント上昇し、世界市場における乳製品は60パーセ ント値上がりした。「安い食べ物(チープフード)」の時代は終わりに達しているのかもしれない。

戦後育ちの我々は、食品価格というものは下がるものだとばかり思い込んできた。60年前、英国の平均的な家庭は収入の1/3以上を食費につぎ込んでいた。現在では食費の家計に占める割合はその1/10だ。

ところが農産品の価格はここ数十年で初めて、急騰しており、どこまで上がるのか、アナリストにも予測できない。

この現象は農業とインフレーションを合成しアグフレーションと呼ばれている。「安い食べ物」を過去のものとするアグフレーションにはおもに2つの理由がある。食料需要そのものの増加、そして、農産物の代替エネルギー資源への転用だ。

中国とインドでは自分たちの両親が食べていたようなものでは満足せず、より多くの食肉を要求する新富裕層が何百万人という規模で生まれており、食物の需要を押し上げている。そしてその一方で、食べられる農産物をアブラの代わりにエネルギー源として使う、いわゆるバイオ燃料の需要が増加している。

コメの価格は世界中で上昇中だ。ヨーロッパにおけるバターの価格は昨年、40パーセント上昇し、小麦の先物は、この10年間で最高値で取引される。大豆の世界価格は5割上昇、中国における豚肉価格は昨年にくらべ20パーセント上昇、インドの食料品価格指数は11パーセント上昇した。メキシコでは、トルティーヤの値段が60パーセント上がり、暴動を引き起こした。

18世紀の英国の思想家、ロバート・マルサスは世界人口の成長が、食物生産能力を追い越し、大量の飢餓になるだろうと予測したが、それを思い起こさせる現状だ。

英国では小売業者の競争のおかげで、消費者はこれまで、食品価格上昇の初期の影響から遮断されてきた。しかし、スーパーマーケットはいつまでも、価格上昇を抑えることはできない。欧州委員会には、市民を保護するだけの備蓄はいまや、残されていない。共通農業政策という改革が、バターや食肉、粉乳の売れ残りをすべて、吐き出してしまったからだ。

そしてトウモロコシだ。

トウモロコシはそのまま消費される量は比較的小さいが、間接的には、食品経済の中で、莫大な量が消費される。牛乳、卵、チーズ、バター、チキン、牛肉、アイスクリームにヨーグルト、平均的な家庭の冷蔵庫にあるこれらの食品はすべて、トウモロコシが生産に使われており、トウモロコシの価格に左右されるのだ。冷蔵庫は、いわば、トウモロコシであふれているのだ。

トウモロコシの価格は過去12ヵ月で二倍にはねあがった。農業の狙いは次の収穫時まで、十分な食物を生産することにある。世界の穀物生産は 過去7年のうち6年、消費を下回った。そのおかげで、世界穀物備蓄は57日まで減少してしまった。これは、ここ34年間で最低のレベルだ。

価格上昇の原因は、トウモロコシがエタノール生産に振り向けられているからだ。米国では来年の穀物収穫の30パーセントが、エタノール蒸留所に直行する。米国が世界で取引される穀物の2/3以上を供給していることを考慮すれば、この先例のない動きは世界各地で食品価格を押し上げている。ヨーロッパでは、エネルギー・ミックスにおけるバイオ燃料の割合を20パーセントにしようというEUの目標達成のため、農民がエネルギー作物の生産に血眼になっている。

バイオ燃料なら、有権者はクルマの運転を続けることができ、しかも温室効果ガス排出対策にもなるため、エタノールは世界中の政治家に人気がある。しかし、「バイオ燃料は万能薬ではない」、アースポリシー研究所のレスター・ブラウンは先週、米国上院で行われた説明でそう発言した。「世界は、20億人の貧しい人々がクルマを所有する8億人と穀物をめぐり、直接争わなければならない段階に入った」。

食物経済がエネルギー経済と連動するという徴候は、すでに現れている。エタノール・ブームのおかげで、砂糖価格は石油価格を追うようになり、同じことが穀物についても起ころうとしていると、ブラウンは説明する。
「アブラの価格が上昇すれば、食品価格も上がる。アブラが1バレル、 60ドルから80ドルに急上昇すれば、スーパーマーケットにおける支払いも上がることは間違いない」

食品価格の上昇は先進国の人間にとってはライフスタイルの変更ですむが、それ以外の場所では生死に関わる問題だ。食品価格の急騰は、穀物輸入に依存する途上国で、すでに暴動を生んでおり、これから、暴動はさらに広がるだろう。
世界中で飢餓に苦しむ人間の数は数十年に渡り低下してきたが、その数は再び、上昇し始めている。国連は、食糧援助の必要な国として34カ国を指定している。食料援助プログラムへの予算は限られており、穀物価格が倍になれば、食糧援助は半減することを意味する。

食物に対する権利に関する国連人権委員会の特別報告者、ジャン・ジーグラーは、米国とEUがアブラの輸入依存を減らすため、エタノール生産の促進を進めていることを「偽善そのものでしかない」と糾弾している。ジーグラーは、食物の代わりにエタノールを生産することで数十万人もの人々が餓死に追いやるだろうと発言している。
ーーーーーー

Thursday, June 21, 2007

目線/Women in Struggle

またまま、切り張り転載情報になりますが、信頼できる筋からの情報によれば、「パレスチナでもほとんど語られることのない女性たちの姿を描いた映画」が日本全国各地で上映され、しかも監督のブサイナ・ホーリーも来日するということです。「今の時期にパレスチナから監督が来日できるのか(つまり、イスラエルが出国させてくれるのか)、それが心配だ」とのことですが、お近くの方、この機会をお見逃しなく。

下記、p-navi/infoより転載。
ーーーー(転載)ーーーーー
映画『Women in Struggle -目線-』と監督パレスチナから来日ツアー
パレスチナの女性たちの闘いを描いたドキュメンタリー『Women in Struggle -目線-』の上映と、ブサイナ・ホーリー監督トークツアー日本縦断が6月25日から始まる。

──札幌6月25日・26日、仙台27日、東京30日・7月1日、沖縄4日、広島6日、大阪7日、京都8日──

作品『Women in Struggle ー目線ー』について

「イスラエルの刑務所に拘留されていた元政治犯のパレスチナ女性たちが様々なStruggle (闘い)を呼び覚ます時。姉妹、母親、妻としての日常的な役割から離れてパレスチナの独立を目指して闘いに身を浸した4人の女性たちは、刑務所を出てからも、自らの内に「牢」を抱えながら、より大きな「牢」で日常を送っている。拘留時の耐え難い経験や現在のパレスチナでの日常生活の困難を自らの言葉で語る。」

(各会場で上映と監督トーク、さらに独自の取り組みなどが行われているので、それも楽しみ。詳細については ブサイナ・ホーリー監督来日トーク巡回上映 パレスチナからの目線 にて確認を)

[パレスチナでもほとんど語られることのない女性たちの姿が見られるので、この映画は楽しみにしてきたもののひとつ。しかし、今の時期にパレスチナから監督が来日できるのか(つまり、イスラエルが出国させてくれるのか)、それが心配だ]
ーー−(転載終わり)ーーー

あっ、ビーさん、絵はがき、ありがとう。また、沖縄に行きたくなっちゃった。

Wednesday, June 20, 2007

おちゃらけ有理!/yes the vivoleum men.

環境ゲテモノ化にしてもオイルピークにしても、そういう時代に対し正攻法でガチンコで渡り合うのもひとつ、もちろん重要なことではあります。

でも、こればっかりで突き詰めていくと、結構、袋小路に陥って、落ち込んでしまうんですよね。だから、時にはユーモアをふんだんに交えた奇襲戦法も考えなければなりません。たとえば、これらの問題をちゃかしてパロってしまうとか。おとなりのアマノさんなんかの得意な方法ですね。真剣な面してる連中の足許をひっくり返し、その真剣な面そのものをげらげらと笑い返してやるゲリラ的な戦法のことです。
さて、世界には「人類を直面する2つの大量破壊兵器」にゲリラ的な手法で取り組んでいる連中がいます。その名もイエス・メン。99年にwtoシアトル会議の非公式サイトを立ち上げ、パロって混乱させるところから始めたAndy BichlbaumとMike Bonannoの二人組、6月14日にはカナダのカルガリーで開かれたGO-EXPOって名前のカナダ最大のアブラ業界の会議に登場、なんと、エクソンとNPC(全米石油評議会)の人間に成り済まして、プレゼンをしちゃったってんですからすごい。
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それも、その日のメインイベントに祭り上げられてたってんですから、あらあら、主催者もユーモアが分かるのか、それともお粗末にいい加減なのか、わかりません。
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二人のプレゼンの内容は「新エネルギー源:ヴィヴォリウム」。ピークに直面してエクソンは新エネルギー源を開発中である。しかも原料は無尽蔵な人間である。「世界では毎年すでに温暖化のおかげで15万人が犠牲になっている。それを原料にエクソンは新しいエネルギー源を開発中である。その名もヴィヴォリウム」ってな調子で、パワポを見せながらブレゼンしたそうです。
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300人からの業界の人間が座るテーブルには、がんで死亡したエクソンの清掃人、レジーの亡骸から作られたというヴィヴォリウム製のローソクが配られ、ふむ。それなりの説得力があったようですねえ。

でも、ん!?。どこか変だぜって気づいた主催者が介入し、二人のイエスメンは警備員に排除されたそうです。

主催者側は懲罰に処するべきだって、頭から湯気立てて騒いでるそうですが、おいおい、ちったあ大人になれよ。警察は「不法侵入」くらいでしか取り扱えないと二人を微罪放免したそうです。

環境ゲテモノ化時代、オイルピーク時代、しゃかりきに真剣な面してグラフや数字や図を持ち出すのも大切だけど、個人的にはこういうゲリラ的なの、好きだなあ。おちゃらけ有理!自分でも刺激されて、何かやりたくなっちゃう。

(すべての写真はヴィヴォリウムより)

Tuesday, June 19, 2007

催し物のお知らせ

アンテナに引っかかった催し物の切り貼り転載告知です。
自分は「学会」の会員でもありませんが、面白そうではありますので、ご近所の方、お出かけください。

ーーーー(転載)ーーーーー
日時 2007年6月26日(火)14:00〜17:00
場所 東京大学 山上会館

主催 もったいない学会

講演内容
14:00-14:10 挨拶
14:10-14:40 石油ってなに 大久保秦邦  
14:40-15:10 ピークオイルをご存知ですか 三ヶ田 均
15:10-15:30 休憩
15:30-16:00 ピークオイル後生活はどうなる 佐藤裕久
16:00-16:20 脱石油社会をどのように生きる 生活編 小川 修
16:20-16:40 脱石油社会をどのように生きる 農村編 安藤 満
16:40-17:00 アンケート パネル
ポスターセッション 太陽、風力、地熱、小水力、バイオマスなどのについての発表

申込方法: guest@mottainaisociety.org に氏名、所属をご記入し、「6月26日のシンポジウム参加」と併せてご記入して、メール送信して下さい。
※入場無料

もったいない学会では、一般の方々を対象としたシンポジウムを開催いたします。
「石油ピーク」について分かりやすく解説し、「もったいない精神」に基づくあるべき対応について考えます。

この機会に、石油ピークについての理解を深めると共に、エネルギー問題あるいは生活哲学について考えて見ましょう。

今回は専門的な知識の必要はなく、身近な話題を中心に脱浪費「もったいない精神」の生活スタイルについてお話させていただく予定です。
「興味はあるけど、難しそうだし、気後れする。」と言う方には是非ご参加いただきたくご案内申し上げます。
幅広いお話を楽しくお聴きいただけると思います。
ーーーー(転載おわり)ーーーーー

オーストラリアは大丈夫か/Will she be right?

オーストラリアでは「何とかなるさ,大丈夫」って意味でShe’ll be right.なんて言います。あくせくすることはない、なるようにしかならない、オ−ストラリア人はこのフレーズを口にして、日がな一日、ビーチに寝転がることもあります。また、いったん逆境におかれれば、このフレーズを口にしながら、それに立ち向かっていくこともあります。

80年代の初め、「労働者天国」のオーストラリア経済の行く末を心配したハーマン・カーンとトーマス・ペッパーは、それをもじり本のタイトルにしたこともあります(邦訳は「オーストラリアは大丈夫か」というタイトルでサイマル出版から。翻訳は麻生雍一郎、堀 武昭という初期の日豪プレスではおなじみの顔ぶれ)。その心配を真に受けたのか、80年代のホーク/キーティング労働党政権のもとで金融の自由化、労働市場の自由化が進み、さらにそれを徹底的に踏襲したハワード政権の新自由主義的な経済政策のおかげで、オーストラリア経済は低インフレ、低失業率、低利を達成、二十一世紀にはいってからも世界がうらやむ好況です。

それもあってか、昨年11月に国連から発表された人間開発指標によればオーストラリアはノルウェー、アイスランドに次いで第3位にランクされています。世界の177カ国・地域について、個人所得だとか、文盲率、福祉や医療、寿命など人間社会を総合的に評価し「豊かさ」を計った結果なのだそうですが、オーストラリアは世界で3番目に住みやすい,豊かな場所ということです。が、どうでしょう、実感はあるでしょうか。「豊かさ」のファンダメンタルをよく見てみると、「オーストラリアは大丈夫か」と問いかけたくなるようなことばかりです。

今年の5月は観測史上、一番暖かい5月だったそうです。「地球温暖化」なんて言うと、どこか,ほんわか,ぬくぬくと温かくなっていくようで,あんまり危機感を喚起しないので、「気候ゲテモノ化」なんて言う人もいますが、とにかく未曾有の領域に突っ込んでいます。オーストラリアでは洪水や突風など「異常気象」の多発、サイクロンの大型化、ブッシュファイヤーの頻繁化、そして、水不足の恒常化が予想されています。もちろん、未曾有の領域なので、何が起こるかわからない。「季節外れ」だの「記録破り」なことばかりなので、これまでの気象記録や記憶、常識が使い物にならない、そんな時代を私たちは生きているのです。このことをまず、肝に銘じておかなければなりません。

「気候ゲテモノ化」への対策としては、それぞれの国に温暖化ガス削減を義務づけた京都議定書があります。オーストラリアは、森林による吸収を含めるという計算方法を強引にみとめさせたおかげで、先進国の中では数少ない、1990年に比べ10%の増加を認めらた国です。にもかかわらず、オーストラリアはいまだに調印を拒否しています。先進国では、オーストラリアとアメリカだけです。ハワード政権が「京都」を拒否するのはなぜなのでしょう。政治的な理由でしょうか。同じように「京都」を拒否するアメリカに連帯しているのでしょうか。わかりません。

この国の指導者は温暖化が遡上に上るたびに、中国などの途上国の温暖化ガス排出を槍玉に挙げます。確かに中国の二酸化炭素排出総量は13.8%(世界2位)ですが,個人あたりにすれば0.7トン程度。これに比べ,オーストラリアは総量では1.3%(15位)と微々たるものですが,一人当たりになると5トン(4位)です。「発展途上国」に難癖をつけるより,先進国の人間は「便利で豊かな暮らし」をあらため、これまでの「発展」のつけを払うのが先ではないでしょうか。

もっとも、ハワード政権は昨年9月あたりから、気候変動に対して、これまでのような「無視」を決め込むことは止めたようです。気候ゲテモノ化のコストを試算するスターン報告書がイギリスで発表されたり、世界最大のメディア網を牛耳るオーストラリア系アメリカ人、ルパート・マードックの豹変などを受けてのことでしょうか、何か、やっているというところを見せるようになってはきています。やはり9月あたりからですが、これまで温暖化を心配する人たちを笑い者にし,嘲笑してきたマードック系のメディアがみずからカーボンニュートラルを目指す、180度の転換をしています。

もっとも、スターン報告書については「オーストラリアの二酸化炭素排出は世界の1%程度。何をやろうが中国やインドが何もしなければ,すぐに帳消しになる量だ」とハワード首相。渋々とした調子は相変わらずです。それなら,中国やインドからの輸入を控えれば良さそうなものですが,そんなことをすれば,経済への影響が大きいだけに,もちろんおくびにも出しません。

昨年11月には2012年(マヤ暦によると世界が終末を迎える年)に失効する「京都以降」について、ナイロビで気候変動枠組条約第2回締約国会議が開かれました。当時のイアン・キャンベル「環境」大臣はまたぞろ、中国だの途上国だの、そんなことを口にして総スカンを食らいました。世界的な問題にオーストラリア政府はほおかむりを決め込み、世界の足を引っ張っている。これが一番心配です。

気候ゲテモノ化時代の様相を予測するのは困難なことですが、オーストラリアを直撃するのは水不足でしょう。ゲテモノ化時代、雨が何ヶ月も降らない、降れば土砂降りの洪水というような事態が懸念されています。つまり、年間降水量はこれまで通りかもしれなくても、雨の降る日が限られてしまい、植物や人間に使える量が限られてしまう。そんな状況で多発するであろうブッシュファイヤーにも、これまでのように消火用の水が手に入るのか、心配されています。

オーストラリアにおける個人あたりの水使用量は、世界各国と比べるとずば抜けています。乾いた大陸に暮らしているという自覚はあまりないようですが、これからはそんな暮らしはできない。大陸の大半では水不足が恒常的に続く、そう覚悟しておいた方が良さそうです。

ここ数年、大陸は、第2次大戦末期の干ばつ,そして,1901年の連邦結成当時の干ばつが比較に出されるほど、乾いています。まあ、60年に一度,もしくは百年以上に1度の規模なんてのは頼りになる記憶や記録があり,なるほどって思いますが,ラジオでは「千年に一度」って言ってます。うーん,先住民族の記憶に基づくものなのでしょうか。それとも「史上最悪」を言い換えただけなのでしょうか。

水は言うまでもなく、私たちの生活の基礎であり、これがなければ暮らしていくことはできません。淡水化プラントやダムを建てるとか、水の使用制限、リサイクル、不作,肉や穀物,野菜、果実の値上がりなど、このごろ目にするニュースは水不足から生じる話題ばかりです。電力の値段も大きく上昇することが最近報道されていましたが、これも水不足が影響しています。オーストラリアの電力は石炭火力に8割近くを依存していますが、これには大量の水が必要だからです。ハワード首相が環境対策としてぞっこんの原発にしても冷却用を含め、膨大な水を必要とします。原発先進国のフランスなどではここ何年か、夏の水不足のおかげでいくつかの原発の運転を停止しなければならない事態になっています。発電には水が不可欠なのです。経済成長も便利な暮らしも水不足に足を引っ張られそうです。

そして、金額ベースでオーストラリアの輸出の1/4を稼ぎ出している農業も水が基本です。食肉、小麦、大麦の輸出はそれぞれ世界第二位で、オーストラリアは世界でも有数の食料輸出国ですが、その基盤は水です。それがぐらぐらしています。昨冬から穀物の収穫は壊滅的で、家畜の飼料はもちろん、人間の食料も輸出しなければならない、そこまで追い込まれています。

オーストラリアの農業生産が集中するのはマレー川、ダーリング川流域ですが、長年にわたる無茶な取水のおかげで、川の生態系は破壊され、ひん死の状態です。日本へもオジービーフなんて牛肉、そして米や生鮮野菜を安く輸出していますが、乾いた大陸から水を搾り取り、輸出しているようなものです。そんな環境収奪形の農業は成り立つのか、たくさんの水を必要とする米や綿栽培がオーストラリアで可能なのかという議論が始まる一方,農業そのものをもっと降水量の多い大陸北部に移してしまえ、いや,大陸北部から運河やパイプで水を引っ張ってこよう,などという乱暴な議論も出ています。

干ばつでひからびているのは農地だけではありません。人間の考え方もいびつに尊大にひからびてしまったようです。

シドニーの水瓶,ワラガンバ・ダムは南部のショールヘイブン地方からパイプラインで水を引っ張ってきて,ようやく4割を保っている状態で,そうでもなければ2割を切るところまで貯水量が減っており、うちの近所,リスゴーからも取水しようという話が進んでいます。メルボルンなどビクトリア州全域も水不足。アデレードやパースも青息吐息,降水量が多いイメージのタスマニアも干ばつ状態です。なのに、都市を北へ移そうという意見はなかなか聞こえません。

水不足なら海水を淡水化すればいいじゃないか、テクノロジーが解決するだろうと考えがちですが、淡水化には膨大なエネルギーが必要になります。「気候ゲテモノ化」には「オイル・ピーク」という醜い双子がいます。そもそも、地球環境をゲテモノ化しているのは人類が燃やす化石燃料が原因とされています。150年前に発見されて以来、私たちの「近代文明」や「経済成長」、「近代型農業」や「近代的で便利な暮らし」を支えてきたのは安くてふんだんに使えるアブラです。しかし、アブラを含めた化石燃料は有限な資源であり、有限な資源というものは採掘していけばやがてなくなるものです。どれだけのカネをつぎ込もうが、「技術革新」が進もうと、ないものはない。アブラの生産ピークが近づいています。すでにピークに達したという研究者もいれば、数年内のことだという識者もいます。どちらにしても、いったん頂上を極めてしまうと、急激な減耗が始まります。

ピークというのは、全体の半分を使い切った時点のことで、まだこれまで使った量と同じだけのアブラは残っています。しかし、残りのアブラはこれまでのように簡単に手にすることはできません。人間というのは、楽に手に入るところから、手をつけるもので、深海や極地など、カネのかかる難しいところは後回しにするからです。そして、これから手に入るアブラはタールサンドやオリノコ原油など、精製も大変なものになります。安いアブラをじゃかすかと「湯水のように」使って平気な時代は終わったことは間違いありません。

右肩あがりの成長思考の中で育ってきた私たちには、数パーセントの減耗であれ、受け入れがたいことかもしれませんが、それがピーク以降の右膝下がり時代の現実なのです。

ゲテモノ化時代への対応、水不足への対応もオイルピークとの関連で探っていかなければなりません。私たちは気候ゲテモノ化とオイルピークという歴史的な瞬間を生きています。

そういう視点から眺めると、オーストラリアの豊かさって,けっこう、砂上の楼閣のようなところがあると思います。もっとも、それはオーストラリアに限ったことではなく、地球全体の問題、近代文明全体の問題ですが。

さて、それではどうしたらいいのか。問題がでかいだけに、自分一人では何もできないのではないか、無力感にとらわれがちです。しかし、人間社会は一人一人から作り上げられています。自分も地球の一員です。

できることはたくさんあります。地球環境のゲテモノ化を少しでもくいとめるには、みずから、エネルギー消費を減らすことです。例えば、クルマを2台使っているうちなら、1台で何とかならないだろうか。裏庭で野菜を作れば、たかが自分の腹を膨らませるために、生産から流通まで化石燃料がばんばん投入された食料に頼らなくてもすみます。

政府や自治体に働きかけることも大切ですが、一人一人が地球を慈しみ、分相応な暮らしを心がけることで大きな違いが出てくることでしょう。できることから、ゆっくりと取り組んでいく。それがオーストラリアの環境、地球環境をゲテモノ化から阻止する確実な方法です。
(日豪プレス7月号)
http://www.nichigo.com.au/topics/pick/2007/0707n_eco/index.htm

Monday, June 18, 2007

ガザに盲いて/eyeless in Gaza.

ガザの状況に関し、一般メディアの報道から欠落している視点を紹介する文章をいくつか紹介しときます。パレスチナの惨状を理解する手助けにしてください。
●早尾貴紀の「ハマスとファタハの抗争と連立内閣崩壊を言う前に——意図的な連立潰し
●p-navi infoの『なぜ「クーデタ」?
●天木直人の「ガザでホロコーストを見ることになる

これらに重要な点はほとんど網羅されていますがひとつだけ付け加えます。

アリ・アブニマーが6月14日付けのエレクトロニック・インティファーダの記事、「ブッシュの政策へのしっぺ返し」で伝えていますが、パレスチナには80年代にアメリカが中米で展開した「汚い戦争」と同じ構図が見えます。

それもそのはず、現在、ホワイトハウスで中東政策を担当する国家安全保障担当副補佐官エリオット・エイブラムズ(Elliott Abrams)はレーガン大統領の元、1980年代にニカラグアのコントラへの資金流用にかかわり、イランコントラ事件で議会への偽証罪で有罪判決を受けた人物です。エルサルバドル、エルモゾテにおける一般民間人の虐殺や残虐行為の隠蔽にも手を貸したことで知られる人物です。

エイブラムズが中東政策のチーフとして進めてきたのは「パレスチナにおけるコントラ」作りであり、その受け皿となっているのが、ガザの軍閥でパレスチナ自治政府国家安全保障顧問、ムハマド・ダーラン(Mohammad Dahlan)だと言われています。

この二人の名前は記憶しておいた方が良さそうです。

Wednesday, June 13, 2007

ハワードの誘惑/Howard i know.

地球がどんどん狭くなる時代のことであり、ある政策や選挙キャンペーンが他の国で採用されても不思議なことではありません。政策が人のためにも地球のためにもなるものならば、どしどしと真似られてほしいものです。

しかし、一国のリーダーが別の国の指導者になにがしかの「圧力」をかけ、政策変更を迫る、となると話は別です。

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最近出版された「ハワードの誘惑(Howard’s Seduction) 」の表紙

週末のカナダのグローブ・アンド・メール紙はオタワ発で、2006年1月の総選挙で誕生した保守党ハーパー政権の政策変更にオーストラリアのハワード首相が直接手を下した疑惑を報道しています。

グローブ・アンド・メール紙が問題としているのは先住民の自決,そして伝来土地の管理権利を認める国連先住民権利宣言です。20年以上にわたる交渉のあいだ、歴代カナダ政府は宣言の採択を目指し、各国を説いて回る立場でした。それが突然180度態度を変更したのはハーパー政権誕生から数ヶ月後、2006年5月のことです。

グローブ・アンド・メール紙は「政府筋が先週金曜明かしたところによれば」として、次のようにこの経過を伝えています。

スティーブン・ハーパー首相はハワード首相との会談の直後、ジム・プレンティス先住民族担当相を呼び、宣言支持の立場を改めるように指示した。


アメリカとオーストラリアは鉱業利権とのからみで最初からこの宣言に反対の立場であり、国連の場では孤立していました。カナダの翻意は願ってもない援護射撃になったことは間違いありません。

8月の国連人権委員会でカナダは反対票を投じます。カナダ(とロシア)の反対にも関わらず、宣言草案は人権委員会では可決され、総会へ送られましたが、結局、11月の国連総会の第三委員会の投票では、「棚上げ」にされてしまいました。

まだ政権につく以前のハーパーがハワード首相と直接顔を合わせたのは、2005年の国際民主同盟(International Democratic Union)の会議だったと言われています。国際民主同盟というのはサッチャーやブッシュ(父)などの肝いりで1983年に発足した保守党、保守政治家の集まりで、現在、ハワード首相が議長を務めています。世界の保守政治家はこの会合を通じ、意見交換をし、人的つながりを築いています。

ハワード首相は世界の保守政治家の間でスター的存在で、選挙戦術はもちろん、強硬な移民政策、追米外交政策、「京都議定書」骨抜き化など、各国の保守党からお手本にされています。金沢大学の宋安鍾は『現代思想6月号』の記事で、日本で現在進行中の「コリア系日本人」化プロジェクトの中にはハワード政権の国粋的政策の影が見えると書いています。

各国の保守政党とハワード首相の関係は、ただ単に手法をまねするとか、政策を採用することにとどまりません。その間には直接、人的なつながりがあります。

2005年、英国の総選挙で破れはしたものの、保守党の選挙参謀を務めたのはハワード首相の側近で選挙のベテラン、リントン・クロスビー(Lynton Crosby)でした。クロスビーは前述のIDUでも精力的な活動をしているほか、米共和党、台湾の国民党などにもアドバイスをしています。

カナダでは翌年1月の総選挙で、ハーパー陣営がやはり、ハワードもどきの選挙戦を展開しますが、このとき、保守党の選挙戦の相談役として駆り出されたのは、ハワード首相の選挙参謀、連邦自由党の幹事、ブライアン・ラフナン(Brian Loughnane)でした。

もちろん、ハーパー首相サイドはグローブ・アンド・メールの記事に対し「事実無根」と応えています。実際に何が語られたのかわからない密室の中でのことだけに、ハワード首相の側も否定することは間違いありません。

ハワード首相に率いられた保守陣営は4度の選挙を勝ち抜き、10年以上も政権の座にあります。最近でこそ、国内世論調査で野党党首のケブン・ラッドの後塵を排していますが、今年後半に予想される選挙本番ではどうでしょうか。

まあ、世界中に「ハワード的」な政治家や政策が蔓延し、世界がハワード化してしまえば、ハワード本人が政権にあろうがなかろうが、どうでもいいのかもしれません。

Friday, June 08, 2007

激しい雨が/a hard rain (is falling).

サイクロン「ゴヌ」が湾岸襲来!なんて心配をしていたら、はげしい雨と風をともなう嵐がシドニー近郊を襲っています。すでに9人が行方不明になっています。
シドニー北部の石炭積出港、ニューカッスルでは巨大な石炭輸送船が座礁しています。
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写真はthe ageより。

30年来とかの形容で呼ばれるものすごい嵐ではありますが、カテゴリーなんとかにもはいらないようなもので、カテゴリ−5,ゴヌの来襲を受けたペルシャ湾にいる巨大なタンカーは大丈夫なのか、パイプラインは大丈夫なのか、心配せざるを得ません。

と同時にオマーンやイランに暮らす人のことを思わずにはいられません。
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写真はweather undergroundより。

地球の反対側にいる人間は自分勝手にアブラの供給事情のことばかりを心配しがちで、もちろん、それも重要には違いないものの、CNNによれば、オマーンだけで25人が死亡、行方不明者も多数出ているようです。大変な災害です。ゴヌは熱帯暴風雨に勢力を弱めており、復旧作業が始まっているようですが、これ以上、人命が失われないことを祈ります。

ハワード首相やアベ首相、ブッシュ大統領がどう詭弁を尽くそうが、地球環境のゲテモノ化は現実です。

Thursday, June 07, 2007

帰属と離反/ohm sweet ohm.

新しい国への移住,旅券の切り替えなど個人的な事情もあり、国籍について、近代国家における国民とは何か、などについて考える機会が増えてます。

ここ30年近く、「多民族国家」と呼ばれるオーストラリアで根無し草、風来坊の移民を続けてきましたが、いま、ある国の「国民」になることを真剣に考えてます。
その件についてはまた、いずれ。

切り張り転載情報になりますが、早尾貴紀の講演が東京であるそうです。

19世紀の遺物である国民国家が上と下から、ものすごい勢いで解体されるいまどき、「単一民族国家」なんて幻想にがむしゃらにしがみつくのは日本とイスラエルくらいなものですが、日本/イスラエルを俯瞰する早尾貴紀の「多文化主義」から考えるシオニズムと天皇制」を読むと、話を聞きにいきたくなります。

ご近所の方はお誘い合わせてお出かけください。

*****早尾貴紀さんとともに「イスラエル・パレスチナ問題」を考える****

 「イスラエル・パレスチナ」というと遠い国の話であるかのように思いがちですが、イスラエルの政策の底に流れているレイシズム(民族的優越感)の思想は決して私たちと無縁ではありません。
 パレスチナの人々が置かれている状況とそれを生み出し続ける思想を検証しながら、「占領」、民族の和解、多文化共生の可能性、さらに帰還権・血統主義の問題など、イスラエルと日本に交錯する問題を早尾貴紀さん(東京経済大学非常勤講師)と一緒に考えませんか。お忙しいでしょうが、皆様、どうぞご参加くださいませ。


・日時  2007年6月11日(月)午後6時半〜8時半
・場所  ピールズ・プラン研究所会議室
      千代田区神田神保町3ー1ー6
       日建神保町ビル9FーB(1階は珈琲館)
      都営新宿線神保町駅 A1出口徒歩1分
      Tel:03 6856 2005
・講師  早尾貴紀さん
     (東京経済大学非常勤講師、パレスチナオリーブ・スタッフ)
・参加費 500円
・主催 市民の意見30の会 03-3423-0185

#予約は必要ありません。
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Tuesday, June 05, 2007

嵐とともに去りぬ/Gonu with the wind.

ペルシャ湾岸にカテゴリ−5のサイクロン「ゴヌ」が接近しています。
インド洋からホルムズ海峡にサイクロンが直撃というニュースはあまり聞いたことがありませんが、気候ゲテモノ化の時代ですから、あり得ることです。
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accuweather.comより

これを受け、ヨーロッパではすでに原油価格が3%上昇しています。

採油施設やパイプライン、油井にアブラ輸送船のルートが集中する場所だけに、それももっともなことですが、それにしても、何かダメージがあったりしたわけでもないのに、これほど敏感な反応というのは我々の生きている時代を象徴しています。アブラの需要と供給がそれほど逼迫しているということです。些細なことでもアブラの供給事情に一喜一憂しなければならない、それがオイル・ピーク以降の時代なのです。

日本語メディアでは日経がニューヨーク発の短信を載せているだけですが、自分たちの生きているアブラ文明の時代は脆弱であることを今一度肝に銘じなければなりません。

とりあえず、ここ数日はペルシャ湾岸を徘徊するゴヌの動きから目が離せません。

Monday, June 04, 2007

核のゴミ捨て場/Fair Dinkum!?

先週末の新聞によれば、北部準州のアボリジニが自らの土地を核のゴミ捨て場として差し出すことを決めたそうです。原発や核燃料サイクルの推進に躍起になるハワード政権、そして日本を含め、原発の恩恵にあずかる現代社会にとっては朗報です。

大陸のまっただ中、アリス・スプリングスとダーウィンの中間にあるテナント・クリークから120キロ離れたマッカティ地区(2241平方キロ)を所有するンガパ族のアボリジニは2年越しの秘密交渉の末、1.5平方キロを核のゴミ捨てに使われることに合意したということです。

連邦政府は低・中レベル核廃棄物、5000立法メートルの貯蔵に1200万豪ドルを払うそうです。この土地の所有を苦難の末に認められた70人からなるンガパ族は、このカネが「子供たちの教育」に必要なのだ、止むに止まれぬ選択であることを強調します。

自然と一体となって暮らしてきたアボリジニのなかには核廃棄物による汚染が「将来に禍根を残す」と心配する声ももちろんあります。準州政府は放射性廃棄物の投棄施設は認めないという法律を可決していますが、連邦政府は意にも介さず押し切る腹づもりです。

まだここがそういう目的に使える土地なのか、環境調査などはまだまだこれからのことだというのに、ビショップ科学大臣は「ここ、4、5年のうちにオープンするだろう」とすでに調査の結果が決まっているような口ぶりです。

アボリジニの苦渋の決断のなかに、何度も訪れた六ヶ所や福井でみたのと同じ構図が浮かんできます。

折しも、先週末はアボリジニを国民として認めるかどうか、国民投票が行われてから40周年でもありました。アボリジニはわずか40年前まで人間として認められていなかったということです。

67年の国民投票では9割が賛成票を投じ、アボリジニは国民として認められるのですが,それまでは「死にゆく民族」として文字通り人間以下の扱いをされていました。白人入植以来の組織的な虐殺こそ止んだものの、子供たちを親や家族から引き離し、里子に出し、施設に収容する政策は長い間続きました。この世代は「盗まれた世代」と呼ばれ、被害にあった子供たちの数は数千人にも上ります。やはり、先週末は「盗まれた世代」に関する政府報告書が作成されてから10周年でした。

これだけの時間が流れ、いくつもの報告書が作成されながら、アボリジニの生活や健康、教育水準はいまだに国民一般よりかなり低く、それは首相や担当大臣も認めるところです。監獄入りする率も一般国民に比べ13倍も高いことが報告されています。

いったん低レベル、中レベルの核廃棄物を受け入れてしまえば、「毒を喰らわば皿まで」で、やがて高レベル廃棄物まで受け入れるようになることは目に見えています。それが我々の暮らす現代社会のやり方です。

困窮に喘ぐアボリジニの足許を見すかし、札束を投げつけ、エネルギー問題の解決を計ろうとする現代社会は病んでいます。

三国同盟発足/Janus glares.

2日、日米豪三国の軍事大臣がシンガポールで初会合し、事実上、三国軍事同盟が発足した。
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(写真はAP=共同)

米国主導の三国軍事同盟は、ハワード首相が今年3月に来日した時「安全保障協力に関する日豪共同宣言」に署名し、できあがっていたが、担当の軍事大臣がそろい踏みするのは初めてだ。日本は戦後、米国以外とは軍事同盟は結んでなかったが、「防衛省」への格上げを機に、集団軍事化への動きは一気に加速しそうだ。

すでにサマワなどで日豪軍は一緒に戦っているが、これからも演習などを通し、現場におけるインターオペラビリティ(相互運用性)を高める作業が進むだろう。武器や兵器の米軍規格への統一もどんどん進行する。「文民」レベルではこれまで、米日(2プラス2),米豪(AUSMIN)の間で個別に行われてきた定期軍事/外交閣僚協議が三国間で行われるようになるだろう。

日米間の(2プラス2)と同じ形式の定期協議は1985年以来,それまでのアンザス外務大臣会議からニュー・ジーランドを外した形で米豪間で行われており、2プラス2プラス2、もしくはJAUSMIN、まるでジャスミンのような三国間の集団的枠組みへ「発展」するのは簡単だ。もっとも、三国同盟と言っても上記の写真にも見られるように、あくまでも米国主導であることを忘れてはならない。

こうした日米安保の危険な変質については、すでに70年代から山川暁夫などがJANZUSジャンザスの可能性を指摘していたが、ニュー・ジーランドが核搭載船の入港をめぐり80年代に脱落、三国軍事同盟に落ち着いた。

いつだったか、自分でも迫り来る三国同盟について「万華鏡」に書いたような気がする。JANZUSからNZが抜けるとJAUSなんだけど、その記事では,確か,この同盟をJANUSと呼んだような気がする。

JANUSというのはローマ神話で出入り口とドアの神様であり、英語のジャニュアリー(1月)はここに由来する。いわば門番であり、2つの顔で前と後ろに目を光らせている。

さて、日米豪三国軍事同盟はどんな門の番をし、誰から門を守るために組まれたのだろうか。

銃を持たない市民は目を光らせないといけない。

Friday, June 01, 2007

救地球コンサート/live earth

先日、ロック写真家のAkihiro Takayamaさんがコメントに書き込んでくれましたが、007年の07月07日、気候ゲテモノ化を訴えるコンサート、ライブ・アースが開かれます。

アル・ゴアの提唱でSOS - SAVE OUR SELVES(自分自身を救え)ってノリで、シドニーを皮切りに7つの国でコンサートが開かれます。日本では東京と京都の2箇所。どこもかしこもそれぞれ、そうそうたる顔ぶれで、おもしろそう。

ベテラン環境運動家のSGWさんは「正直言って、音楽の力ってどれほどのものか分かりませんが、若者の関心を引くという点についてだけは確かなものでしょう」とおっしゃってますが、まさしく同感。音楽の力で世界が変わるなんて幻想は持ってませんが、ハワード首相やアベ首相、ブッシュ大統領など、ゲテモノ化はまだまだ先のことだと思い、対策を先延ばしにしている人たちに対する、それなりの示威行為にはなるでしょう。

個人的な趣味ではやはりマイケル・ナイマンとymoで京都かな。

Wednesday, May 30, 2007

霧の中で立ち尽くす/lost in the bush.

売りに出した家がなんとか売れそうな気配で、うまくすすめば3ヶ月もしないうちにニュージーランドの南島へ向け、引っ越しってな感じになってきました。でもまだ、はっきりしたわけじゃなく、相変わらず、まったく落ち着きません。
この大陸には、かれこれ25年以上も暮らしたんですが、もう再び帰ってくることがあるのかどうか。そう思うと、会える人には会い、見納めかも知れないと、バンドもあれこれ見に出かけたり。いつか行こうと思いながら、ずっとのばしのばしにしてきた場所へもこれが最後の機会かもしれない、どしどし出かけるようにしています。

先週末はしばらくご無沙汰の友人と、ここから西へ80キロほど行ったところにある森の中へキャンプに行きました。その森の向こうには去年まで所有していた農場があり、よく通ったエリアです。最近降った雨のためか、思いのほか、潤って見えました。もっと枯れているのかと思ったのに、緑の牧草が広がるのを目にして、あらあら、決断を誤ったかしら,なんて思ったりしました。ハワード首相が常々口にするように、「雨は降る。必ず降る」。雨さえ降れば、オーストラリアは大丈夫なのかもしれないなあ。そんな気もしてきます。

それもこれも含めて、後ろ髪を引かれる気持ちがあることは間違いありません。住むところはいくつも転々としましたが、こんな気持ち、初めてです。

たぶん、ここ10年間、自分はこの環境に生かされてきたからでしょう。庭で育った野菜や果物を食べ、周りの薮の作り出す空気を吸い、景観に息をのみながら暮らしてきたからでしょう。

うちの庭なら、目をつぶっても,どこに何が育っているのか、すっかり頭にはいっています。次の春どころか、3ヶ月後にはここにいるのかどうかもわからないのに、レタスや水菜の種を撒き、雑草をむしったり、庭いじりをやめられません。

となりの薮も、道路を通す計画から守るため、市議会に出かけたこともあるし、雑草を取り除き、植樹をしたり、かなり濃密に関わってきた空間です。迷路のようなブッシュに迷うこともないし、どこにどんな植物が生えているのか、こちらもたいてい頭にはいっています。

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庭も薮も、今日は一面、濃い霧に覆われています。霧の中をふわふわと歩いていると、周りの自然が、自分たちを引き止めようと、精一杯の景観を作り出しているんじゃないか、そんな気さえしてきます。耳を澄ませばブッシュに暮らす植物や動物や昆虫などが口をそろえて文句を言っているようです。知人や隣人のつまらない戯れ言はまったく気にならないのに、木々のざわめきに立ち尽くしてしまいます。

清浄でおいしい空気を作り出してやったじゃないか。
はっとするような光景をいくつも見せてやったのに。
冬には枯れ枝で暖をとったじゃないか。
植物や動物や鳥もさんざ、見せてやったというのに。

お前は俺たちを見捨てていくのか。


もしかしたら、自分たちが引っ越したあとには「開発」がやってきて、ブッシュが切り払われ、蛇やワラビなども住処を奪われてしまうかもしれません。だから、言い分ももっともな気がします。

まあ、オイルピーク以後の時代、これまでのような「開発」なんか、やろうと思ってもできなくなるし、それに新しい住人は自分たちなんかよりも、ずっとましな人人間で、あれやこれや取り越し苦労かも知れない。

所詮、なるようにしかならないんだから、お互い様。
こっちはこっちでがんばるから、そっちもがんばれよ。


文句と言えば、家だってぶつぶつと言ってます。
これほどゆったりとした住み心地のいい豪邸にはそうそう住めるものじゃないぞって。

だろうね。気候がゲテモノ化したり、オイルピーク以後の時代って、そういう時代じゃなけりゃ、ずーっとここで安穏と暮らしていたかもしれない。

自分を育んでくれた家や庭やブッシュのぶつぶつ言う声が聞こえてくるのは、これからの暮らしは、いまよりもひどいものになるかもしれない、と不安があるからでしょう。

引っ越した先で、いまよりも大きな食物生産システムを作るつもりではいますが、それには時間もかかるし、もしかしたら、まったくポシャるかもしれない。どれだけ作りたいと思っても、種や苗木が手に入らないかもしれないし、気候があわないかもしれません。いま、ここで育ててる植物があちらでもうまく育つ、そういう保障はありません。この数ヶ月で食べ納めになる野菜や果物もあるでしょう。大豆は気候的にまったく無理みたいだし、柿の木なんてどうなんだろう。熟した柿を庭で収穫しながら、考えてしまいます。

引っ越していく先は南緯45度。日本近辺で比較すると北海道の北、稚内のまだ北あたりに相当します。さいはてな感じは否めません。どこでも、その地で育つものをありがたくいただく、それは承知しているつもりなのに、不安は尽きません。

Monday, May 28, 2007

ご飯、それともクルマ?/Think global, eat local.

日本のメディアによれば、2006年度の農業白書が閣議決定されたそうです。
農水省のウエッブに原文はまだ上がっていないようなので、ネット報道からの判断になりますが、食料自給率の向上を目指すと言う結論は当然としても、「バイオ燃料向け需要」がなぜ増大しているのか、あまり、踏み込んでいないようです。

産經新聞にいたってはレスター・ブラウンの「人類は穀物を燃料に使うか、食糧に使うかを争う時代に入った」という言説を紹介しながらも、バイオ燃料の需要増大が「温暖化対策」の一環であるかのように報道しています。

それが「代替燃料」によるしわ寄せであることを指摘するのは読売です。

ガソリンの代替燃料として需要が増しているバイオエタノールの原料となるトウモロコシなどの需要増などで、深刻な影響を受ける可能性があると白書は指摘した



ん!」「持続可能な社会を目指して」「バイオマス燃料情報局」などのブログを読んでいる人はすでに先刻ご承知だと思いますが、バイオ燃料への穀物振り向けはとりもなおさず、オイル・ピークが原因です。

当ブログでもバイオ燃料の矛盾についてはこちらですこし、書きました。

報道によれば、白書は食料の外国からの輸入依存は、生産地における気象異変などで安定供給がおぼつかなくなる恐れを指摘しています。

オーストラリアは日本に食料を輸出する数少ない国で、経済連携協定(EPA)もしばしば俎上に上がっていますが、すでにこの国は「千年来の干ばつ」という気象異変にとっ捕まったままで、自国で食べるものを輸入しなければならない状態にあります。気象変動はすでに現実であり、日本に輸出することなど、とてもかなわなくなるかもしれません。

よその国から食物という形で水やエネルギーを収奪する形の暮らし方はとても脆弱で、長続きするわけがありません。白書は自給率の向上を呼びかけていますが、自分の食べる物は自分で作る、それが人間としての基本であることをあらためて思い起こし、さあ、新緑の季節(北半球)、ベランダや庭、共同菜園などに出て、野菜の種を撒きませんか。

Sunday, May 27, 2007

市民査察者を解放せよ/Free Pine Gap 4.

平和活動家4人が大陸の中央、エアーズ・ロック(ウルル)の近くにあるパイン・ギャップという世界でもっとも秘密のベールに包まれた米軍軍事施設をテロ容疑で「市民査察」しようとして逮捕されたことは以前、ここで取り上げたが、その裁判がアリス・スプリングスにある北部特別州最高裁判所で明日から始まる。
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<http://groups.yahoo.com/group/pinegap4supporters/より>

米軍イラク侵攻前に「人間の盾」となり、その後、占領後のイラクに復興支援に入り、ファルージャで人質になったこともあるドナ・マルハーンも4人の被告の一人だ。

この裁判に検察側(連邦政府)が持ち出すのは、冷戦さなかの1952年に制定された防衛(特例)法。この法律によれば、法務大臣はどこでも「立ち入り禁止」に指定することができ、それを犯した人間は最高7年間の刑に処せられる。これまで55年間、一度も使われたことのない法律を持ち出すなんて、ほとほと、あきれるしかない。

心ある人にはオーストラリア産品のボイコット、観光旅行の取りやめを呼びかけます。

踊れ、グローズヌイ!/Dans, Grozny, dans.

もう10年以上も前になりますが、作家のセーノとハンブルグをふらふらしてた時に行こうか、なんて話した町のドキュメンタリー映画の上映の知らせを下記に切り張り転載。
ご近所の方はぜひ、お出かけください。
***以下、転送・転載歓迎***

『踊れ、グローズヌイ!』 京都初上映 6月17日(日)

2001年、ロシア占領下のチェチェンから
子どもたちの民族舞踏団がやって来た
熱狂のヨーロッパ公演と
瓦礫の故郷での練習風景を追う
パワフルなドキュメンタリー

日時:2007年6月17日(日) 15:00〜上映
場所:京都大学文学部 新館第一講義室
(出町柳駅より徒歩15分、吉田キャンパス内)
http://www.kyoto-u.ac.jp/access/kmap/map6r_y.htm

資料代:一般500円、学生・低所得者300円(相談に応じます)
主催:さぼてん企画
協力:アムネスティ・インターナショナル日本、チェチェンニュース
問い合わせ:Tel: 080-6208-3488 (さぼてん企画)
/メール:saboten1948[atmark*]mail.goo.ne.jp
([atmark*]に半角の@をお入れください)

*****

ドキュメンタリー映画
『踊れ、グローズヌイ!』

第1回シカゴ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ(2003年)
コペンハーゲン国際ドキュメンタリー映画祭CPH:DOX:2003大賞
トリノ・シネマビエンナーレ最優秀作品賞
モントリオール「芸術」映画祭最優秀作品賞

ヨス・デ・プッター監督 2002年作品 75分

*****

あらすじ

ロシア占領下のチェチェン共和国。首都グローズヌィにあって、チェチェン民族舞踊の名手、ラムザン・アフマードフは、戦火に追われて、散り散りになった子ども達を集めて、自らの児童民族舞踊団「ダイモーク(我が祖国の意)」を再組織した。そして、夏休みに一台のバスに全員が乗り込んで、西欧諸国への資金稼ぎを兼ねた公演旅行にでる。公演にはもう一つ、「チェチェン人はテロリストではなく、普通の人間だ」ということを西側の人びとに伝える目的もあった・・・。

このドキュメンタリーは、グローズヌイでの緊張した廃墟の中での暮らしと、公演旅行中の華やかな舞台シーンを交錯させながら、いかなる逆境が訪れようとも、絶望することなく、生き続けようとする「屈せざる民族」の気概を伝統的な民族舞踊に託して描き上げた。

[映画レビュー]

「華やかな舞台と音楽、それとは対照的な戦争で荒廃したチェチェンの風景、子どもたちのクローズアップが織り成す映像を見ていると、少数民族の苦難と人間性が伝わってくる」
(林克明さん、ジャーナリスト。以下より抜粋)
http://www.actiblog.com/hayashi/34143

*****

監督のヨス・デ・プッターは、1959年生まれのオランダ人。「オランダの光」のピーター・リム・デ・クローンと並ぶ世界的に知られたオランダを代表する記録映像作家。

[アムネスティ・インターナショナル日本より]
数々の賞を受賞した本作品は、残念ながら日本で公開される機会がこれまでなかった。しかし、チェチェン紛争下における人権問題を告発したり、難民となった人びとを支援したりする市民グループがその評判を聞き、わずかながら紹介する機会を作ってきた。日本語字幕がないため、英語の字幕での上映で、さらに日本語の吹き替えをその場で行うというやり方での上映だった。それでも本作品は、観た人びとの心に強烈な印象を残した。

今回、アムネスティ・インターナショナル日本が1月27、28日のアムネスティ・フィルム・フェスティバルを開催するにあたり、本作品に日本語字幕をつけ、公開することとなった。

●6/17 京都:『踊れ、グローズヌイ!』上映会
http://0000000000.net/p-navi/info/info/200705220102.htm

●6/24 茨城: 世界の現在を映すドキュメンタリー(『踊れ、グローズヌイ!』上映)
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20070519/1179586537

●7/1 大阪:『踊れ、グローズヌイ!』上映会
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20070418/1176870879

Saturday, May 26, 2007

怠惰有理!/less is more.

からだの調子が百パーセントではないことも手伝って、毎日毎日、かなりぐうたらな暮らしをしてます。それなりに人並みな後ろめたさも感じますが、下記のようなマンガを見かけると積極的に「怠惰有理!」と叫んでしまいたくなります。

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「お昼過ぎだってのにあなた、まだ寝てるの」
「寝てるわけじゃないよ、今日は環境にやさしく過ごすことにしたんだ」

これはマック愛好家(といっても、マクドやマカスとしても知られるバーガーチェーンではありません,念のため)のページ、the joy of tech comicで見かけましたが、「勤勉」に馬車馬のようにあくせく働くってのは社会のためにも惑星のためにもならない。怠惰に怠けるのがいいんだという考え方が、とっても現代的。また、個人がその気になりゃ、「環境にいいこと」や「低エネな暮らし」が簡単にできるってところも重要です。

右肩あがりの時代ならともかく、オイル・ピーク以後のエネルギー下降時代,環境ゲテモノ化時代、主流になるのはこういう価値観でしょう。エネルギーをばんばん消費し、二酸化炭素をじゃかすか生産し、なにがなんでも経済成長ってのは、もう時代遅れで何の役にも立たないのです。頭を右膝下がりに切り替えなくてはなりません。カナダには,週32時間労働を公約に掲げる「あんまり働かない党」というのもあります。

でも、働かなければ食っていけないじゃないか、ホームレスになっちまうじゃないか。そういう心配が怠け者志願者の頭をよぎります。それがこのマンガの最後のコマでも取り上げられています。

「働かないでどうやって食べていくつもり?」
「自分のサイトで炭素クレジットを売るんだ。ヒコーキやでかいクルマに乗り、二酸化炭素をばんばん消費する連中がカネを払ってくれるんだ」

夢のような話で、そこがこのマンガの落ちなのですが、周りを見回してみれば、現実はそこに限りなく近づいているようです。炭素取引というと企業単位の話ばかりのようですが、個人にそれぞれ、取引可能な炭素クレジットを与えるという案はアル・ゴア元米副大統領だけでなく、イギリスの環境/食料/農村地域担当のデビッド・ミリバンド大臣も言及しています。野宿者やホームレスの人たちを迫害する日本の役所はかなり時代遅れで、反地球的ってことになります。

頼むから動き回らないでくれ。ヒコーキに乗ったり、休みもとらず一目散に働く人は、それ相応の金を払え。そういう時代がぼちぼちやってきそうです。

Thursday, May 24, 2007

今年の夏は.../This summer I hear the drumming.

今年の夏(北半球)は、緊迫した状況になりそうです。アブラに頼る現代文明はこれまでになく流動的ですが、そんな状態をグラフで簡単に把握できるオイル・ウォッチ・マンスリーがRembrandt Koppelaar(ASPOオランダ)の手で発行されました。
これから毎月月刊で出るそうですが、今月号を見ると石油社会はもう、崖っぷちですね。

アメリカの原油備蓄は戦略備蓄(SPR)の7億バレル以外に3億3千万バレル以上と例年並みですが、なぜか、ガソリンが足りない。いわゆる「ドライブの季節」を前に、4月末のガソリン備蓄はここ50年間で最低の1億9千3百万バレル。価格は1981年の最高値を26年ぶりに更新しています。

メキシコ湾にハリケーンがひとつきただけで,世界中がぐらぐらになりそうな、紙一重のすれすれ状態です。

石油会社が不当にもうけているのではないかという疑惑もありますが、製油施設はフル回転しているのに追いつかないのだそうです。精製されたガソリンを輸入していますが、それでも需要に追いつかない。

製油施設をフル稼働してもガソリンの生産が追いつかないのは、原油の質が変化してきたからではないでしょうか。ガソリンなどの用途にあまり手間や時間をかけずに精製できる、甘くて軽いアブラが減り、精製に手間も暇も金もよけいにかかる酸っぱくて重たいアブラが多くなっているからではないでしょうか。

アメリカにおけるガソリン価格の高騰に連動するように、小康状態だったアブラの価格もじりじりと上昇しています。その一方、世界の原油生産は、EIAによれば2月の生産は日産7千3百万バレル。2005年の12月の史上最高生産を77万バレル下回っています。

というわけで、まだ5月だというのに、メキシコ湾のお天気が気にかかって仕方がありません。アブラまみれの便利で快適な暮らし、石油文明は今年の夏を乗り切れるのでしょうか。ハリケーンがひとつかふたつ、やってくるだけで簡単にぶっ飛んでしまうかもしれません。明日も明後日もいまと同じ快適な暮らしが続けられるかどうか、それはお天気しだいであり、それなりの覚悟をしておいた方がいいでしょう

Monday, May 14, 2007

ブレアと石油/so long Mr Blair, so long oil.

トニー・ブレア英首相が退陣を発表しました。
ブレア首相の功罪についてはメディアでいろいろ論じられていますが、あまり取り上げられないことをひとつだけ。
ブレア首相在任中の1999年、イギリスはイランやクゥエートなどと肩を並べる世界でも有数の産油国でした。しかし、この年に日産300万バレル近くを生産したのを最後に、それ以降、年率平均8%近い減耗を続けており、現在ではピーク時の半分以下、130万バレルに落ちています。ブレア首相の退陣が既定となった昨年、イギリスは1980年以来はじめてアブラの輸入国に転じました。

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オイルドラム(ヨーロッパ)より
2005年までは実際の数字、それ以降は予想。

ブレア首相のもとで、イギリスはオイルピークを迎え、アブラの輸入国になったことは記憶しておくべきで、中東への積極的な軍事介入政策もその関連で解釈されるべきでしょう。将来の世代は、北海油田の貴重な資源がイギリスや世界の将来のため、どんな使われ方をしたのかと問うのではないでしょうか。

Wednesday, May 09, 2007

現状と見通し/a peek from the peak.

4日付けのlivemintはリャド発で、アリ・ナイミ石油大臣の発言として、サウジ・アラビアが原油埋蔵量の76%増加を目指していると伝えています。現在は確認原油埋蔵量が2642億バレルと発表されていますが、さらに2000億バレル、上乗せする計画だということです。

いやあ、ものすごい数字で目がくらみそうですが、サウジがこの「埋蔵量(ほぼ)倍増計画」を口にするのは,この記事でも言及されていますが、これが初めてではありません。ナイミ石油大臣は2005年9月に南アフリカで開かれた世界石油会議でも同じような発言をしています。

「最新技術の適用により、確認埋蔵量は近く2000億bblの上乗せが行われる見込みである」

Jogmecのまとめた「増産計画と現状と見通し」(5ページ)より。

Jogmecというのは独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構のことで、「増産計画と現状と見通し」は「ピークオイル論」を否定するという立場で書かれています。

サウジのアブラ事情は「砂のベール」に包まれており、正確な情報を得ることは難しいのですが、「安定的かつ低廉な供給を資する」ことを目的のひとつに掲げる行政法人がサウジ政府=アラムコの「大本営発表」を鵜呑みにしているようではちょっと心配です。

そもそも、Jogmecに「現状と見通し」を書かせる契機となったのは、エネルギー投資銀行家のマシュー・シモンズが2005年5月に発行した「砂漠の黄昏」という本でした。ピークの古典ともいえるシモンズの著書の邦訳が「投資銀行家が見たサウジ石油の真実」というタイトルで出版されたそうです。

原本「砂漠の黄昏」の紹介

1982年にOPECは石油生産データの公開をやめ、それ以来、サウジの油田の状態についてはサウジ政府=アラムコの発表以外頼るものがないという情報統制が続いています。2005年10月に発行されたJogmecの「現状と見通し」もサウジの発表をそのまま繰り返しているにすぎません(Jogmecの「現状と見通し」はシモンズの心配をあまり真剣にとられていませんが、それが発表されて以降のサウジのアブラ生産はむしろ、シモンズの懸念を裏付けるものばかりです)。

シモンズが本書で指摘するように、それぞれの油田の状態はいまだに明らかにされていません。1990年、サウジは「埋蔵量」を前年の1700億バレルから一挙に2580億バレルに引き上げました。まったく第三者の検証を得た数字ではないにも関わらず、あたかもそれがそこにあるかのように、「確認埋蔵量」として一人歩きしているのです。現代石油文明はサウジのアブラに頼っていながら、それがどんな状態であるのかまったく知らされていないのです。

シモンズは情報統制を切り崩し、油田の状態を知るため、SPE( Society of Petroleum Engineers石油技術者協会)の発行する膨大な技術レポートなどを読み解いていきます。

たとえば、生産開始から50年以上をへてなお、世界需要の6%を供給する「石油文明の屋台骨」、ガワール油田の状態はどうなのでしょう。シモンズはひとつの章を「油田の王者」ガワールの分析に費やします。「最新技術」を駆使されて、骨の髄までしゃぶられてしまった油田は、ものすごい勢いで減耗します。北海油田やメキシコのカントレル油田は現実に、目の前で恐ろしい勢いで減耗しています。「油田の王者」、ガワールだけが自然の摂理を逃れられるとは考えられません。そして、石油文明にとっては恐ろしいことに、この巨大油田が急激な減耗を始めたとき、その穴を埋める油田はない。それがシモンズの主張の核心です。

本書の出版以来、世界各地のピーク研究者はシモンズの示した手法を用い、技術レポートの行間を読み、データをグラフで解析する作業を続けています。例えば、オイルドラムではガワールの「現状と見通し」について、技術レポートを引用した議論が続いており、サウジの埋蔵量は「1600億〜1800億バレル」という共通認識に達しつつあります。最近のオイルドラムにはSPEのレポートからガワール油田のウトマニヤ地区、アインダール地区の断面図が掲載されています。

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Oil saturation profiles in Uthmaniyah. Image source: Water in the gas tank by SS, original source is: Water Production Management Strategies in North Uthmaniyah Area, Saudi Arabia, SPE 98847, June 2006.

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Oil saturation profiles from the flank of N ‘Ain Dar. Image source: Water in the gas tank by SS, original source is: Water Management in North 'Ain Dar, Saudi Arabia, SPE 93439, March 2005.. These profiles are believed to lie just to the N of the small crest illustrated in Figure 5 of this SPE paper. They are therefore believed to mount the ridge well below the crest area of N Ain Dar.

残るアブラの層がかなり薄くなっていることもわかります。また、圧力を高めるため、長年にわたり水やガスを注入してきたため、採掘される水の比率(ウォーターカット)が増加し、現在では「アブラが浮いた水」が出てくるだけだとシモンズは指摘していますが、この断面図でもそれがわかります。

これが石油文明の屋台骨であるガワール油田の主力、北部の実情です。

まあ、はい、時間があれば石油文明の脆弱さを満天下に示した本書、手に取ってみてください。

Saturday, May 05, 2007

今世紀最大の油田/Bohai Bay bonanza.

中国の渤海湾で見つかった油田が話題になっています。

中国石油天然ガス集団(CNPC)の3日付けの発表によれば、油田は「冀東南堡油田」と名付けられたそうですが、埋蔵量に関しては30億という報道もあれば、75億バレルという報道もあります。大きな差がありますが、まあ、5億バレル以上の埋蔵量を持つ油田が「大油田」と呼ばれていますから、どちらにしてもこの新油田の規模は相当なものです。

石油漬け社会にとってこの油田の発見は「朗報」ではありますが、埋蔵量の見積もりが正しいにしても、これだけのアブラ、全部が採掘可能なわけではありません。実際に可採できる量は発表されている数字より、ずっと小さくなります。アブラの質については発表されていませんが、重質ならば精製がたいへんです。油田の場所は「近海」ということですが、採掘に必要なエネルギー収支も考慮しなければなりません。

そして、まあ、「今世紀最大」とはいうものの、それがどのくらいの規模かというと、仮に発表された埋蔵量全部が採掘されたにしても、現在、全世界の消費量の1ヶ月半から3ヶ月分をまかなうにすぎません。「今世紀最大」の油田にしても所詮この程度のもので、石油にどっぷりと浸かったコンビニ文明を維持していくためには、この規模の油田が毎月毎月、じゃかすかと見つからないと、とても心配になります。

Thursday, May 03, 2007

五十肩/frozen shoulder.

なんだ、おい、どうしたんだ。友人、知人、読者の皆さんからいろいろ、心配のメールをいただいています。ご無沙汰、どうもすみません。
昨年末からの肩の痛み、いろいろな方から指摘いただきましたが、どうやら「五十肩」のようで、整体のおばさんから言われて、ピュータにもなるべく触れないようにしています。今日はちょっと調子がいいんですが、普段はメールもろくに返事ができないほどです。(ちなみに「五十肩」のこと、エーゴではフローズン・ショルダーと言います。なんか、豚か牛の冷凍した肩肉って感じですが「凍肩」。)

んで、この凍った肩を解凍するため、整体から教わった運動をしたり、マッサージに通っています。マッサージのあとは右肩が軽くなったような気がして、調子に乗り何か書き出すんですが、10分もすると腕が上がらなくなる。左手だけで操作することも実験してみましたが、今度は左腕が痛くなってきます。あらあら。このまま痛みが長引けば、足の指を動員することも真剣に考えていますが、あんまり焦らないようにしています。

そうはいっても、やることはたくさんあります。

ニュー・ジーランドへ移住するためにはまず、現在暮らしている家を売らなければなりません。あれやこれや片付け、庭もそれなりの見栄えのするようにと、まあしょせんは付け焼き刃作業なんですが、うちは「楽パラ」にも書きましたが、あんまり石油を使わないような経営をしてきたんで、使える道具も限られています。自分で着替えも満足にできないからだでは、何か持ち上げるだけでも難儀なのに、芝刈りは手押しの芝刈りと鎌に頼らなければならず、あらあら、大変な作業です。

庭仕事も急いでやろうとすると、それなりに大変な作業であり、しかも、からだの具合の悪い時には大変なんだなあとあらためて実感しています。

そんなこんな、時間はかかりましたが、何はともあれ、ようやく、家を売りに出すことができました。「楽パラ」にはこの家のこと、ぼろくそに書いてますが、それは最初の観察の結果であり、その分析をもとに数年間、かなり住みやすい家になっています。不動産屋の広告にもありますが、ゆったり4部屋の家屋に果物、ナッツ、野菜にハーブありの庭、そして、雨水タンクが売りです。

と、気負っていたものの、すでに何人か見に来てますが、なんか動きが鈍いですねえ。

そういう過程で、あきれるほどの量の本やレコード、CD、その他諸々はすでに倉庫に入れてしまい、家の中はあっけらかんとする広さ。しかも、隅々まで埃をはらった家はまるで他人の家にお邪魔しているような気分です。中途半端で、とっても宙ぶらりんな生活です。 

気になることもたくさんあり、いろいろ書きたいことがたまっているので、この宙ぶらりん状態はちょうどいい機会なのですが、肩の痛みで思うようにいかず、歯ぎしり、ぎりぎり(と言っても、ぎりぎりするほどの歯も、若い頃の不養生がたたり、あんまり残ってませんが)。からだに無理がない範囲で、短いもの、少しずつあげるようにしていきます。

Wednesday, March 14, 2007

マンガマンガ/many rivers to cross.

あと4週もしたら現在住んでいる家を売りに出す準備に追われています。売りに出したからってすぐに買い手がつくわけではなく,買い手がつくまではニュージーランドに引っ越しもできない。そういう宙ぶらりんモードに移行しつつあります。


古本や古着その他、毎日毎日、どっちゃり近所のオプショップに運んでます。しかしまあ,よくここまで溜め込んだものだと我ながら嫌になってしまいます。

んで,そもそも,オーストラリを見切る理由にはいくつかあります。ひとつは水不足。この乾いた大陸にはすでにa2千万人以上が暮らし,しかもまだまだ増えそうな勢いです。それだけの人口を賄う水がこの大陸にあるのか。飲み水や生活用水だけでなく,食料生産など間接的な需要を含めて賄えるのか。ここ数年来の干ばつ,水不足は「記録的」、「千年に一度」「異常」など,様々に形容されます。その意味するものはともかく,水がなければ植物の生育も限られ,動物や人間の生存も限られてしまいます。人間にはエネルギー収支のあう形で水を作り出すことはできません。

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(北島北部の渓流)

んで,水を求めたニュージーランドの旅、山紫水明の島国なので川や渓流にたくさん出会いました。しかも,目にする川はどこも、なみなみとした水をたたえています。乾燥した大陸暮らしが長いので、ただ,川に水がふんだんに流れているなんて些細なことにもうっとりしてしまいます。川の基準がまったく違う。オーストラリアでは大河とでも呼べそうな川があちこちにゴロゴロしてます。オーストラリアでは小川のこと、一般にcreekと呼びますが,こちらではstream。なんか、もろに水量の違いが表れているような語感です。オーストラリアのほうはちょろちょろとした感じ,こちらは渓流って感じがします。小川をさすマオリの言葉は「マンガ」。音は日本語の「漫画」に近く,特に北島はマンガだらけ。マンガトキにマンガワラ,マンガトロにマンガパパとくれば笑わざるを得ません。

いろいろな川や,渡しや橋に遭遇しました。

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(これは川ではなく,ホキアンガ湾ですが,クルマを積んだ渡し船)

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(南島クライストチャーチ市内を流れるエイヴォン川を漕ぎ行く小舟)

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(南アルプスの雪解け水を流すクルーサ川。昔のニュー・ジーランド航空のカラーそのままな川の色に見とれてしまいました)

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(NZ版ナイアガラの滝。ははは)

国一番に長いのは、南島、クライストチャーチの南にあるラカイアにかかる全長1.8キロの橋です。南アルプスに端を発する川のひとつでカンタベリー平原の灌漑に使われている川は河口にさしかかり,だらっと広がっています。その平坦な地形を反映し、橋も上るでも下るでもなく淡々としています。となりの鉄橋も同じように淡々と平坦。鉄橋の方も,当然、国一番の長さ。
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(川岸の町、ラカイアの入り口に鎮座するは鮭のデカモノ)

一番幅の広かったのは,たぶん、オークランドのハーバーブリッジでしょう。1959年に開通した橋ですが,シドニーのものと比べると,どっしりとしたパイロンもないし、かなり安っぽい感じがします。もともとクルマ専用の4車線橋という基本設計のおかげでオープン後わずか10年足らずで飽和状態。仕方ないから、両側2車線ずつ、日本で製作したものを船で運んできて,両側にくっつけ8車線にしたってところがこれまたかなり安普請な感じです。石川島播磨が作ったくっつけ部分は「ニッポン・クリッポン」として知られていますが,ぼちぼち、耐用年数に近づき、すでにあちこち亀裂ができたり,ほころびが確認されているようです。

交通量が少ないところでは、反対に橋は縮んでしまいます。山道に差し掛かるとハーフ・ブジッジ(半分橋)なんて標識も出てきます。残り半分はどこにあるのだろうなんて思ったりもしますが、橋ってのは両側に桁のあるものだって認識なのか,山の片側だけに桁のあるところにそんな標識がありました。

オーストラリアに比べるとニュージーランドの道路は狭くて、しかも山がち、曲がりくねっています。崖に注意しながらスピードはあまり出さずに運転していると、現地人のドライバーは車間距離をつめてきて,機会があれば,死角のカーブでもびゅんびゅんと追い越していきます。まるで,目の前にクルマがいれば必ず追い越さなければならないとでも思い込んでいるかのようです。交通量が少ないおかげで、あまり事故にもならないようですが。こちらはかなりハラハラします。

まあ、それでも2車線あれば、御の字なのがニュージーランドの道路。ちょっと田舎にさしかかると、国道何号線だというのに1車線で片側通行の橋が頻繁に出てきます。どちらが道を譲るのか橋の優先権を示す標識が現れると,それまで2車線だった道は1車線の橋に収束します。優先権のない側は橋のたもとの停止線に止まり,反対方向から来るクルマに道を譲り,流れが途切れてからスタートします。

旅では空間や時間を未知の人間と共用する機会が増えるだろうとは思っていましたが,橋を共用させられるだろうとは予想していませんでした。

橋のこちら側で停まっていると、向こうからやってくるクルマのドライバーはほとんど例外なく,手を挙げ,「待っててくれてありがとう」ってな表情を見せます。反対にこっちが橋を渡り終えた時、クルマが停まっていれば,自然に会釈しちゃいます。クルマは意識共有の生まれにくい会話媒体ですが、1車線の橋を譲り合うことからコミュニケーションが生まれるようです。

これにもうひとつ輪をかけたオドロキの橋は南島の西岸で遭遇しました。1車線の橋も見飽きた頃で、アラフラ川を渡る橋へのアプローチにさしかかり,1車線橋の優先権を示す標識が現れた時にも別段気にしませんでした。と,今度は踏切の標識が出てきます。
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あれれ,と理解に苦しんでいると,次はここ以外では目にしたことのない標識です。

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タイヤを線路に挟まれないように自転車に注意を呼びかける標識でした。再びあれれと思って、振り返ると鉄道の線路がまっすぐに延びてきて、橋へ向かう道路に合流してきます。なんと、鉄道とクルマ共用,1車線の橋でした。

クルマと鉄道,両刀使いの橋はいくつもあります。シドニーのハーバーブリッジや瀬戸大橋なんかもその例ですが、それらは横に広かったり,縦に長かったりしていて、実際にレールが橋の真ん中を走っていてその上をクルマが往来することはありません。

昔はこういう1車線の鉄橋ってほかにもあったようですが、国鉄の相次ぐ廃線で、現役は近所のタラマカウ川というやはり幅の広い川にかかる橋と2つだけだそう。ラカイア川の2つの最長の橋の間には、1939年までクルマと兼用で使われた木製の鉄橋の橋桁が残っています。

渡ってみると,橋は幅が狭く,トラックやバスは窮屈そうです。橋の表面もかなりガタゴトします。口の悪いドライバーは「世界最長の木琴」などと言うそうです。ガタゴトガタゴト。が、もともと鉄橋だとすれば、それも仕方のないこと。文句は言えません。最大の優先権があるのは鉄道です。

鉄道は原乳の積み出しを主とする貨物輸送だけ、それも日に1往復程度の頻度ですが、列車がくればそこのけそこのけ。2両連結の大型トレーラーや大型バス、自転車からその他諸々,他の交通はすべて道を譲らなければなりません。

たぶん、もともと鉄橋として建てられ,交通の主力がだんだんクルマに移っていき、クルマ用の橋の需要が生まれてきた。しかし,川は長いし、建設費用もままならない。鉄橋は1日に多くても数度使われるだけだ。そうだ、鉄橋を共用しよう。ってな経過でこれらの橋は現在のような姿になったのではないでしょうか。
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今度来る時はぜひ,列車が橋を渡るところを見てみたいものです。たぶん,橋の入り口でいったん停まり,警笛を鳴らし、クルマがすべて通り終わり,安全を確認し、それからのろのろと橋を渡るのではないでしょうか。橋の反対側で貨物列車の通過待ちをするクルマやトラックや自転車の列。想像するだけで楽しくなります。

さて、シドニーでは今週末,ハーバーブリッジが75周年を迎えます。未だに堂々としたものですが、オークランドのほうはどうするんでしょうねえ。今更4車線の橋に収束することもできず,わずか50年足らずで役に立たなくなるクリッポンに頼ることもできません。もうこれ以上太らすこともできず,もうひとつ橋を建てようか,それともトンネルを掘ろうか。そういう相談なのだそうな。

相変わらず,クルマの数は右肩あがりで増加する,そう思い込んだ対応ばかりで,積極的に鉄道を導入し、クルマの量そのものを減らそうとか、オイルピークの影響でクルマの量は減り、公共交通の需要が増すとか、そういった先見性のある可能性はあまり考慮されていないようです。

マンガマンガ/many rivers to cross.

あと4週もしたら現在住んでいる家を売りに出す準備に追われています。売りに出したからってすぐに買い手がつくわけではなく,買い手がつくまではニュージーランドに引っ越しもできない。そういう宙ぶらりんモードに移行しつつあります。


古本や古着その他、毎日毎日、どっちゃり近所のオプショップに運んでます。しかしまあ,よくここまで溜め込んだものだと我ながら嫌になってしまいます。

んで,そもそも,オーストラリを見切る理由にはいくつかあります。ひとつは水不足。この乾いた大陸にはすでにa2千万人以上が暮らし,しかもまだまだ増えそうな勢いです。それだけの人口を賄う水がこの大陸にあるのか。飲み水や生活用水だけでなく,食料生産など間接的な需要を含めて賄えるのか。ここ数年来の干ばつ,水不足は「記録的」、「千年に一度」「異常」など,様々に形容されます。その意味するものはともかく,水がなければ植物の生育も限られ,動物や人間の生存も限られてしまいます。人間にはエネルギー収支のあう形で水を作り出すことはできません。

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(北島北部の渓流)

んで,水を求めたニュージーランドの旅、山紫水明の島国なので川や渓流にたくさん出会いました。しかも,目にする川はどこも、なみなみとした水をたたえています。乾燥した大陸暮らしが長いので、ただ,川に水がふんだんに流れているなんて些細なことにもうっとりしてしまいます。川の基準がまったく違う。オーストラリアでは大河とでも呼べそうな川があちこちにゴロゴロしてます。オーストラリアでは小川のこと、一般にcreekと呼びますが,こちらではstream。なんか、もろに水量の違いが表れているような語感です。オーストラリアのほうはちょろちょろとした感じ,こちらは渓流って感じがします。小川をさすマオリの言葉は「マンガ」。音は日本語の「漫画」に近く,特に北島はマンガだらけ。マンガトキにマンガワラ,マンガトロにマンガパパとくれば笑わざるを得ません。

いろいろな川や,渡しや橋に遭遇しました。

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(これは川ではなく,ホキアンガ湾ですが,クルマを積んだ渡し船)

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(南島クライストチャーチ市内を流れるエイヴォン川を漕ぎ行く小舟)

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(南アルプスの雪解け水を流すクルーサ川。昔のニュー・ジーランド航空のカラーそのままな川の色に見とれてしまいました)

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(NZ版ナイアガラの滝。ははは)

国一番に長いのは、南島、クライストチャーチの南にあるラカイアにかかる全長1.8キロの橋です。南アルプスに端を発する川のひとつでカンタベリー平原の灌漑に使われている川は河口にさしかかり,だらっと広がっています。その平坦な地形を反映し、橋も上るでも下るでもなく淡々としています。となりの鉄橋も同じように淡々と平坦。鉄橋の方も,当然、国一番の長さ。
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(川岸の町、ラカイアの入り口に鎮座するは鮭のデカモノ)

一番幅の広かったのは,たぶん、オークランドのハーバーブリッジでしょう。1959年に開通した橋ですが,シドニーのものと比べると,どっしりとしたパイロンもないし、かなり安っぽい感じがします。もともとクルマ専用の4車線橋という基本設計のおかげでオープン後わずか10年足らずで飽和状態。仕方ないから、両側2車線ずつ、日本で製作したものを船で運んできて,両側にくっつけ8車線にしたってところがこれまたかなり安普請な感じです。石川島播磨が作ったくっつけ部分は「ニッポン・クリッポン」として知られていますが,ぼちぼち、耐用年数に近づき、すでにあちこち亀裂ができたり,ほころびが確認されているようです。

交通量が少ないところでは、反対に橋は縮んでしまいます。山道に差し掛かるとハーフ・ブジッジ(半分橋)なんて標識も出てきます。残り半分はどこにあるのだろうなんて思ったりもしますが、橋ってのは両側に桁のあるものだって認識なのか,山の片側だけに桁のあるところにそんな標識がありました。

オーストラリアに比べるとニュージーランドの道路は狭くて、しかも山がち、曲がりくねっています。崖に注意しながらスピードはあまり出さずに運転していると、現地人のドライバーは車間距離をつめてきて,機会があれば,死角のカーブでもびゅんびゅんと追い越していきます。まるで,目の前にクルマがいれば必ず追い越さなければならないとでも思い込んでいるかのようです。交通量が少ないおかげで、あまり事故にもならないようですが。こちらはかなりハラハラします。

まあ、それでも2車線あれば、御の字なのがニュージーランドの道路。ちょっと田舎にさしかかると、国道何号線だというのに1車線で片側通行の橋が頻繁に出てきます。どちらが道を譲るのか橋の優先権を示す標識が現れると,それまで2車線だった道は1車線の橋に収束します。優先権のない側は橋のたもとの停止線に止まり,反対方向から来るクルマに道を譲り,流れが途切れてからスタートします。

旅では空間や時間を未知の人間と共用する機会が増えるだろうとは思っていましたが,橋を共用させられるだろうとは予想していませんでした。

橋のこちら側で停まっていると、向こうからやってくるクルマのドライバーはほとんど例外なく,手を挙げ,「待っててくれてありがとう」ってな表情を見せます。反対にこっちが橋を渡り終えた時、クルマが停まっていれば,自然に会釈しちゃいます。クルマは意識共有の生まれにくい会話媒体ですが、1車線の橋を譲り合うことからコミュニケーションが生まれるようです。

これにもうひとつ輪をかけたオドロキの橋は南島の西岸で遭遇しました。1車線の橋も見飽きた頃で、アラフラ川を渡る橋へのアプローチにさしかかり,1車線橋の優先権を示す標識が現れた時にも別段気にしませんでした。と,今度は踏切の標識が出てきます。
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あれれ,と理解に苦しんでいると,次はここ以外では目にしたことのない標識です。

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タイヤを線路に挟まれないように自転車に注意を呼びかける標識でした。再びあれれと思って、振り返ると鉄道の線路がまっすぐに延びてきて、橋へ向かう道路に合流してきます。なんと、鉄道とクルマ共用,1車線の橋でした。

クルマと鉄道,両刀使いの橋はいくつもあります。シドニーのハーバーブリッジや瀬戸大橋なんかもその例ですが、それらは横に広かったり,縦に長かったりしていて、実際にレールが橋の真ん中を走っていてその上をクルマが往来することはありません。

昔はこういう1車線の鉄橋ってほかにもあったようですが、国鉄の相次ぐ廃線で、現役は近所のタラマカウ川というやはり幅の広い川にかかる橋と2つだけだそう。ラカイア川の2つの最長の橋の間には、1939年までクルマと兼用で使われた木製の鉄橋の橋桁が残っています。

渡ってみると,橋は幅が狭く,トラックやバスは窮屈そうです。橋の表面もかなりガタゴトします。口の悪いドライバーは「世界最長の木琴」などと言うそうです。ガタゴトガタゴト。が、もともと鉄橋だとすれば、それも仕方のないこと。文句は言えません。最大の優先権があるのは鉄道です。

鉄道は原乳の積み出しを主とする貨物輸送だけ、それも日に1往復程度の頻度ですが、列車がくればそこのけそこのけ。2両連結の大型トレーラーや大型バス、自転車からその他諸々,他の交通はすべて道を譲らなければなりません。

たぶん、もともと鉄橋として建てられ,交通の主力がだんだんクルマに移っていき、クルマ用の橋の需要が生まれてきた。しかし,川は長いし、建設費用もままならない。鉄橋は1日に多くても数度使われるだけだ。そうだ、鉄橋を共用しよう。ってな経過でこれらの橋は現在のような姿になったのではないでしょうか。
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今度来る時はぜひ,列車が橋を渡るところを見てみたいものです。たぶん,橋の入り口でいったん停まり,警笛を鳴らし、クルマがすべて通り終わり,安全を確認し、それからのろのろと橋を渡るのではないでしょうか。橋の反対側で貨物列車の通過待ちをするクルマやトラックや自転車の列。想像するだけで楽しくなります。

さて、シドニーでは今週末,ハーバーブリッジが75周年を迎えます。未だに堂々としたものですが、オークランドのほうはどうするんでしょうねえ。今更4車線の橋に収束することもできず,わずか50年足らずで役に立たなくなるクリッポンに頼ることもできません。もうこれ以上太らすこともできず,もうひとつ橋を建てようか,それともトンネルを掘ろうか。そういう相談なのだそうな。

相変わらず,クルマの数は右肩あがりで増加する,そう思い込んだ対応ばかりで,積極的に鉄道を導入し、クルマの量そのものを減らそうとか、オイルピークの影響でクルマの量は減り、公共交通の需要が増すとか、そういった先見性のある可能性はあまり考慮されていないようです。