Tuesday, June 19, 2007

オーストラリアは大丈夫か/Will she be right?

オーストラリアでは「何とかなるさ,大丈夫」って意味でShe’ll be right.なんて言います。あくせくすることはない、なるようにしかならない、オ−ストラリア人はこのフレーズを口にして、日がな一日、ビーチに寝転がることもあります。また、いったん逆境におかれれば、このフレーズを口にしながら、それに立ち向かっていくこともあります。

80年代の初め、「労働者天国」のオーストラリア経済の行く末を心配したハーマン・カーンとトーマス・ペッパーは、それをもじり本のタイトルにしたこともあります(邦訳は「オーストラリアは大丈夫か」というタイトルでサイマル出版から。翻訳は麻生雍一郎、堀 武昭という初期の日豪プレスではおなじみの顔ぶれ)。その心配を真に受けたのか、80年代のホーク/キーティング労働党政権のもとで金融の自由化、労働市場の自由化が進み、さらにそれを徹底的に踏襲したハワード政権の新自由主義的な経済政策のおかげで、オーストラリア経済は低インフレ、低失業率、低利を達成、二十一世紀にはいってからも世界がうらやむ好況です。

それもあってか、昨年11月に国連から発表された人間開発指標によればオーストラリアはノルウェー、アイスランドに次いで第3位にランクされています。世界の177カ国・地域について、個人所得だとか、文盲率、福祉や医療、寿命など人間社会を総合的に評価し「豊かさ」を計った結果なのだそうですが、オーストラリアは世界で3番目に住みやすい,豊かな場所ということです。が、どうでしょう、実感はあるでしょうか。「豊かさ」のファンダメンタルをよく見てみると、「オーストラリアは大丈夫か」と問いかけたくなるようなことばかりです。

今年の5月は観測史上、一番暖かい5月だったそうです。「地球温暖化」なんて言うと、どこか,ほんわか,ぬくぬくと温かくなっていくようで,あんまり危機感を喚起しないので、「気候ゲテモノ化」なんて言う人もいますが、とにかく未曾有の領域に突っ込んでいます。オーストラリアでは洪水や突風など「異常気象」の多発、サイクロンの大型化、ブッシュファイヤーの頻繁化、そして、水不足の恒常化が予想されています。もちろん、未曾有の領域なので、何が起こるかわからない。「季節外れ」だの「記録破り」なことばかりなので、これまでの気象記録や記憶、常識が使い物にならない、そんな時代を私たちは生きているのです。このことをまず、肝に銘じておかなければなりません。

「気候ゲテモノ化」への対策としては、それぞれの国に温暖化ガス削減を義務づけた京都議定書があります。オーストラリアは、森林による吸収を含めるという計算方法を強引にみとめさせたおかげで、先進国の中では数少ない、1990年に比べ10%の増加を認めらた国です。にもかかわらず、オーストラリアはいまだに調印を拒否しています。先進国では、オーストラリアとアメリカだけです。ハワード政権が「京都」を拒否するのはなぜなのでしょう。政治的な理由でしょうか。同じように「京都」を拒否するアメリカに連帯しているのでしょうか。わかりません。

この国の指導者は温暖化が遡上に上るたびに、中国などの途上国の温暖化ガス排出を槍玉に挙げます。確かに中国の二酸化炭素排出総量は13.8%(世界2位)ですが,個人あたりにすれば0.7トン程度。これに比べ,オーストラリアは総量では1.3%(15位)と微々たるものですが,一人当たりになると5トン(4位)です。「発展途上国」に難癖をつけるより,先進国の人間は「便利で豊かな暮らし」をあらため、これまでの「発展」のつけを払うのが先ではないでしょうか。

もっとも、ハワード政権は昨年9月あたりから、気候変動に対して、これまでのような「無視」を決め込むことは止めたようです。気候ゲテモノ化のコストを試算するスターン報告書がイギリスで発表されたり、世界最大のメディア網を牛耳るオーストラリア系アメリカ人、ルパート・マードックの豹変などを受けてのことでしょうか、何か、やっているというところを見せるようになってはきています。やはり9月あたりからですが、これまで温暖化を心配する人たちを笑い者にし,嘲笑してきたマードック系のメディアがみずからカーボンニュートラルを目指す、180度の転換をしています。

もっとも、スターン報告書については「オーストラリアの二酸化炭素排出は世界の1%程度。何をやろうが中国やインドが何もしなければ,すぐに帳消しになる量だ」とハワード首相。渋々とした調子は相変わらずです。それなら,中国やインドからの輸入を控えれば良さそうなものですが,そんなことをすれば,経済への影響が大きいだけに,もちろんおくびにも出しません。

昨年11月には2012年(マヤ暦によると世界が終末を迎える年)に失効する「京都以降」について、ナイロビで気候変動枠組条約第2回締約国会議が開かれました。当時のイアン・キャンベル「環境」大臣はまたぞろ、中国だの途上国だの、そんなことを口にして総スカンを食らいました。世界的な問題にオーストラリア政府はほおかむりを決め込み、世界の足を引っ張っている。これが一番心配です。

気候ゲテモノ化時代の様相を予測するのは困難なことですが、オーストラリアを直撃するのは水不足でしょう。ゲテモノ化時代、雨が何ヶ月も降らない、降れば土砂降りの洪水というような事態が懸念されています。つまり、年間降水量はこれまで通りかもしれなくても、雨の降る日が限られてしまい、植物や人間に使える量が限られてしまう。そんな状況で多発するであろうブッシュファイヤーにも、これまでのように消火用の水が手に入るのか、心配されています。

オーストラリアにおける個人あたりの水使用量は、世界各国と比べるとずば抜けています。乾いた大陸に暮らしているという自覚はあまりないようですが、これからはそんな暮らしはできない。大陸の大半では水不足が恒常的に続く、そう覚悟しておいた方が良さそうです。

ここ数年、大陸は、第2次大戦末期の干ばつ,そして,1901年の連邦結成当時の干ばつが比較に出されるほど、乾いています。まあ、60年に一度,もしくは百年以上に1度の規模なんてのは頼りになる記憶や記録があり,なるほどって思いますが,ラジオでは「千年に一度」って言ってます。うーん,先住民族の記憶に基づくものなのでしょうか。それとも「史上最悪」を言い換えただけなのでしょうか。

水は言うまでもなく、私たちの生活の基礎であり、これがなければ暮らしていくことはできません。淡水化プラントやダムを建てるとか、水の使用制限、リサイクル、不作,肉や穀物,野菜、果実の値上がりなど、このごろ目にするニュースは水不足から生じる話題ばかりです。電力の値段も大きく上昇することが最近報道されていましたが、これも水不足が影響しています。オーストラリアの電力は石炭火力に8割近くを依存していますが、これには大量の水が必要だからです。ハワード首相が環境対策としてぞっこんの原発にしても冷却用を含め、膨大な水を必要とします。原発先進国のフランスなどではここ何年か、夏の水不足のおかげでいくつかの原発の運転を停止しなければならない事態になっています。発電には水が不可欠なのです。経済成長も便利な暮らしも水不足に足を引っ張られそうです。

そして、金額ベースでオーストラリアの輸出の1/4を稼ぎ出している農業も水が基本です。食肉、小麦、大麦の輸出はそれぞれ世界第二位で、オーストラリアは世界でも有数の食料輸出国ですが、その基盤は水です。それがぐらぐらしています。昨冬から穀物の収穫は壊滅的で、家畜の飼料はもちろん、人間の食料も輸出しなければならない、そこまで追い込まれています。

オーストラリアの農業生産が集中するのはマレー川、ダーリング川流域ですが、長年にわたる無茶な取水のおかげで、川の生態系は破壊され、ひん死の状態です。日本へもオジービーフなんて牛肉、そして米や生鮮野菜を安く輸出していますが、乾いた大陸から水を搾り取り、輸出しているようなものです。そんな環境収奪形の農業は成り立つのか、たくさんの水を必要とする米や綿栽培がオーストラリアで可能なのかという議論が始まる一方,農業そのものをもっと降水量の多い大陸北部に移してしまえ、いや,大陸北部から運河やパイプで水を引っ張ってこよう,などという乱暴な議論も出ています。

干ばつでひからびているのは農地だけではありません。人間の考え方もいびつに尊大にひからびてしまったようです。

シドニーの水瓶,ワラガンバ・ダムは南部のショールヘイブン地方からパイプラインで水を引っ張ってきて,ようやく4割を保っている状態で,そうでもなければ2割を切るところまで貯水量が減っており、うちの近所,リスゴーからも取水しようという話が進んでいます。メルボルンなどビクトリア州全域も水不足。アデレードやパースも青息吐息,降水量が多いイメージのタスマニアも干ばつ状態です。なのに、都市を北へ移そうという意見はなかなか聞こえません。

水不足なら海水を淡水化すればいいじゃないか、テクノロジーが解決するだろうと考えがちですが、淡水化には膨大なエネルギーが必要になります。「気候ゲテモノ化」には「オイル・ピーク」という醜い双子がいます。そもそも、地球環境をゲテモノ化しているのは人類が燃やす化石燃料が原因とされています。150年前に発見されて以来、私たちの「近代文明」や「経済成長」、「近代型農業」や「近代的で便利な暮らし」を支えてきたのは安くてふんだんに使えるアブラです。しかし、アブラを含めた化石燃料は有限な資源であり、有限な資源というものは採掘していけばやがてなくなるものです。どれだけのカネをつぎ込もうが、「技術革新」が進もうと、ないものはない。アブラの生産ピークが近づいています。すでにピークに達したという研究者もいれば、数年内のことだという識者もいます。どちらにしても、いったん頂上を極めてしまうと、急激な減耗が始まります。

ピークというのは、全体の半分を使い切った時点のことで、まだこれまで使った量と同じだけのアブラは残っています。しかし、残りのアブラはこれまでのように簡単に手にすることはできません。人間というのは、楽に手に入るところから、手をつけるもので、深海や極地など、カネのかかる難しいところは後回しにするからです。そして、これから手に入るアブラはタールサンドやオリノコ原油など、精製も大変なものになります。安いアブラをじゃかすかと「湯水のように」使って平気な時代は終わったことは間違いありません。

右肩あがりの成長思考の中で育ってきた私たちには、数パーセントの減耗であれ、受け入れがたいことかもしれませんが、それがピーク以降の右膝下がり時代の現実なのです。

ゲテモノ化時代への対応、水不足への対応もオイルピークとの関連で探っていかなければなりません。私たちは気候ゲテモノ化とオイルピークという歴史的な瞬間を生きています。

そういう視点から眺めると、オーストラリアの豊かさって,けっこう、砂上の楼閣のようなところがあると思います。もっとも、それはオーストラリアに限ったことではなく、地球全体の問題、近代文明全体の問題ですが。

さて、それではどうしたらいいのか。問題がでかいだけに、自分一人では何もできないのではないか、無力感にとらわれがちです。しかし、人間社会は一人一人から作り上げられています。自分も地球の一員です。

できることはたくさんあります。地球環境のゲテモノ化を少しでもくいとめるには、みずから、エネルギー消費を減らすことです。例えば、クルマを2台使っているうちなら、1台で何とかならないだろうか。裏庭で野菜を作れば、たかが自分の腹を膨らませるために、生産から流通まで化石燃料がばんばん投入された食料に頼らなくてもすみます。

政府や自治体に働きかけることも大切ですが、一人一人が地球を慈しみ、分相応な暮らしを心がけることで大きな違いが出てくることでしょう。できることから、ゆっくりと取り組んでいく。それがオーストラリアの環境、地球環境をゲテモノ化から阻止する確実な方法です。
(日豪プレス7月号)
http://www.nichigo.com.au/topics/pick/2007/0707n_eco/index.htm

No comments: