Wednesday, August 24, 2011

はるみにとって都合のよくない事実

『東電・原発おっかけマップ』(鹿砦社)から、泊3号の営業運転を許可した北海道知事にとって,あんまり都合のよくない事実を記載した部分と,北電の幹部について住所を転載。

電力会社からの献金は国政の場だけでなく、地方政治にも及んでいる。組織的な「個人献金」というまったく同じ手法がとられているところもある。たとえば泊原発を抱える北海道では、元通産官僚の高橋はるみ知事の政治資金団体「萌春会」に北海道電力の役員が毎年一斉に「個人献金」を行っている。やはり元経産官僚(望月晴文と同期入省)で一一年四月の選挙で福岡県知事に当選した小川洋の後援会代表を買って出たのは九州電力会長で、九州経済連合会長の松尾新吾だ。小川の前任者でやはり経産官僚の麻生渡前知事の政治団体には九電の役員が「個人献金」を続けてきた。そして、なかなか再起動できない高速増殖炉のもんじゅを抱える福井県では、西川一誠知事や地元の河瀬一治敦賀市長に、もんじゅの運転者である原子力研究開発機構の下請け三社からパーティ券の購入を通し、カネが流れている。
原発の立地、運転停止や再開,プルサーマルの受け入れをめぐっては知事が大きな力を振るう。電力会社や原発企業から流れるカネに感電し、ぶるぶるとしびれ切った頭で、はたして真っ当な判断ができるのだろうか。政界の原発汚染は高レベルで広範囲にわたっていて、集中処理施設がいくつあってもおいつかない。



国民政治協会への「個人」献金(07~09年度合計)
役職 献金額(万円) 住所
北海道電力 近藤龍夫 会長 75 札幌市中央区南十六条西7ー1ー7−503号
佐藤佳孝 社長 60 札幌市中央区南二十条西9−1−23−601号
大内全 副社長 40 札幌市清田区清田六条4−10−23
川合克彦 副社長 30 札幌市清田区平岡八条3−4−17
山田範保 常務 30 札幌市中央区南一条東6−1−10アジリア札幌大通東1305
その他7人 191
北海道電力合計 426

もひとつおまけにもっと徹底調査をしたサイト「通産出身の道知事、泊原発運転を容認のワケ 北海道電力役員からの一斉献金、計371万円也」もぜひご参照を。

地球にやさしい生活(という映画を観た感想)

今年後半(?)に日本で公開されるアメリカ映画「地球にやさしい生活」を観た感想。
予告編

邦題がとにかください(原題は「no impact man」)。配給会社のセンスを疑ってしまう。タイトルだけなら,絶対に観に行かない。dvdも(なにがしかの関係で机の上に載っていなければ)観ない。とにかください。題名の字体もださい。でも,行きがかり上観ちゃったんで,感想をメモ。しとく。

内容について。
ニューヨーク在住の一家(30代後半〜40代のカップル、プラスおしめをする年代の子供一人)が地球に負荷をかけない暮らしにがむしゃらに一年間突入。電気を使わず(ガスは使っているみたい),トイレットペーパーを使わず,コーヒーも飲まず、地下鉄も利用せずってな暮らしを期間限定(1年間)で実験するドキュメンタリー。

この映画ではあまり深く立ち入らないが,「やさしい生活」っていうと都市対田舎っていう軸で語られることが多い。特に日本ではそうだ。しかし,都市でもできることはたくさんある。また,都会暮らしの方が多分,負荷は田舎暮らしの方より少ないかもしれない。「自給自足」っていうとき,「自給(生産)」にばっかり目がいきがちで,「自足(消費)」の部分がおろそかになりがち。がむしゃらに生産するより,消費を減らす方がずっと簡単に負荷を減らすことができる。

都会暮らしの方が公共交通が発達し、公共施設が充実しているという利点もある。田舎なら,何でも自分たちで全部やらなければならないことも,都市ならば共有することができる。そういうところにこの映画は立ち入らない。

もうひとつの不満は,何かひとつやるとしたら何がいいかかと問われ,「環境団体にボラとして参加することだ」というコメントだ。この映画の最大の弱さだろう。他人に暮らしの変化を求めることは難しいが,自分の生活は自分で変えられる。自発的な行動の強さを矮小化するコメントだと思う。他人(地域社会,企業,政府)を変えるのは大変だけど,自らの生活、癖,習慣はずっと簡単に変えることができるものだ。

もうひとつ,この映画の弱点はどこかでうまく使える道具を持ち込むことで解決を図ろうとすること。他人のうちでうまくいっているものは、どこでも使えるだろうという思い込みが現代人にはある。電気の来ているところでは使える(電気)炊飯器も電気のないところでは全く役に立たない。乾いた環境ではうまくいく建築方法も湿った環境にはそぐわない。熱帯では寒帯で役に立つ知恵も機能しない。風の強いところでは使える方法も,風のないところでは使えない。一見当たり前のようなことだが,現代人はそれを忘れてしまっている。自然とうまく折り合いを付けようとするなら,そういった根本的な原理を思い出す必要がある。電気冷蔵庫を「非電化冷蔵庫」で置き換えるなどという小手先のごまかしじゃ,だめだ。

もし,自分が何かひとつやるとしたら何がいいかかと問われたら,なんと答えるか。まず,自分の暮らしの家計簿をつけることだ。一週間でかまわない。自分がどれだけのエネルギー(電気、ガス、ガソリン,水,食料,移動手段、情報など)を使っているのか,帳簿をつける。それら、自分の生活を支えているエネルギーがどこから来ているのか,たどる。そうすれば,地球環境に与えている負荷が見えてくる。それがわかったら,減らすものも見えてくる。そして,自分のいる環境を地図にすることだ。自分の生存に必要なエネルギー(電気、ガス,ガソリン、水,食料、移動手段、情報など)はどこからどのようにして自分のとこまでたどり着くのか。それを視覚化することだ。それがわかれば,冬のニューヨーク(や東京)なら,電気冷蔵庫は(多分)必要ないことがわかるだろう。
行動は,一番大きなものから取りかかるのがベストだ。やみくもになんでもかんでもただゼロにしようとすれば,ただ苦しいだけで行き詰まってしまう。気持ちよくやるためには,まず,観察,そして監査、そして行動だ。

リビア(3)


(リビアの原油生産)

反カダフィ勢力がリビアの首都トリポリを制圧したというニュースが流れているが、まだ情勢は流動的なようだ。ボリビアのチャベス大統領が指摘するように,Nato軍のリビア空爆は石油狙いに間違いない。

内戦以前,リビアの原油生産(日産160〜180万バレル)は世界全体(8800万バレル)の2%程度を占めていた。量としてはたいしたことはないが,ボリビアのオリノコ原油やカナダのタールサンドなどとは比較にならないくらい質がいい。精製に手間のかからない「軽くて甘い」アブラで、イタリアを中心にヨーロッパに輸出されていた。これが内戦開始からほとんど出回らなくなってしまった。ヨーロッパ(Nato)が他の国や地域には目をつぶっても、リビアに積極的に介入したのはこういう事情がある。


(サウジアラビアの原油生産。二つのグラフはスチュワート・スタニフォードのearlywarn.blogspot.comより転載)

リビアの政情が不安になってから,サウジアラビアは不足分を補う増産をすると繰り返し発言した。サウジの原油生産は確かに増えはしたが、その量はリビア分を補うほどではない。また、サウジの増産したアブラの質はわからない。

これからどうなるか。リビアに反カダフィ勢力の政権が樹立されるにしても,原油生産が内戦開始以前のレベルまで回復するには相当長い時間がかかるだろうことは間違いない。水道の蛇口を開け閉めするようにはいかない。破壊されたインフラ,技術者の不足など問題が山積みされている。

リビア(2)でも書いたように
1979年のイラン革命では同国の生産の半分以上が止まり、現在に至るまで完全には回復していない。1990年のイラクによるクウェート侵攻では両国の生 産量は数年間にわたり減少、クウェートの油井は荒廃した。2002年のベネズエラの石油産業の大規模ストライキでも生産は滞り、ストライキ以前の水準には 戻っていない。

下のグラフはイランとイラクの例だ。





(この二つのグラフはデイブ・サマーズのbittooth.blogspot.com/より転載)

この二つのグラフからもわかるようにイランとイラクのアブラの生産のレベルはそれぞれの国で政情不安があったあと,何年もたつというのにそれ以前のレベルまで回復していない。リビアの原油生産が数週間とか,数ヶ月で回復するだろうという楽観的な見方をする石油会社や政府もあるが,イランとイラクなどの例を見れば,もっと時間がかかるだろうと見る方が現実的だ。

リビアについて今年はじめにも書いたように,せいぜい2%のアブラが世界経済を不安定にならしめるほど、アブラの需給は逼迫している(そういう状況だからこそ,その程度の量なのにヨーロッパはひっちゃきにしゃかりきになるのだ)。
リビアの政治体制がどうなるにせよ、その状態はしばらくは変わらない。サウジなどの増産が間に合わなければ,経済は持ち直す前に悪化するだろう。


リビア(1)

リビア(2)