Friday, December 22, 2006

泰安洋行/Bon voyage.

船に乗る日が刻々と近づいてきていますが、このぼちぼちとやってくる感じがたまりませんね。飛行機とは違います。スローでいい感じ。いまだに26日の出航というだけで,時刻はわかりません。あんまり,朝が早いと大変だろうな。前の日はクリスマスで、きっと,あんまり仕事している人もいないだろうなあ。うーん,どんどんと心配になってきて,数日前に確認の電話をする。船が出る埠頭はそれでわかりましたが、出航時刻のほうは22日になんないとあんまりはわかんないねえと言われてしまいました。

埠頭はシドニーの南のはずれにあり、電車の駅も近くにない,一度も行ったことのない場所。どうやって行こうかしら。出航時間は潮の影響だとか,積み込みの具合だとか,タグボートの状況だとか,諸々に影響され,もっとあとにならないとわからない。このいい加減さ,嬉しくなります。船旅の遅さに体を慣らして行くのを、はい,楽しんでます。

なんて言いながら,のんきに構えていたんですが、今朝,港に電話したら,出港が早まったそうで、なんと明日。ひえーっ。一気にいよいよだ。いざという時のための水泳の練習もしていないってのに。

これから何ヶ月になるかわかりませんが,ほとんど宿無し、あちらからこちら,風の吹くまま気の向くまま,バックパックとピンクのサムソナイト片手にふらりふらりと風来坊生活にはいります。

今回の旅行からは、一応,何ヶ月かあとに戻って来るつもりですが、ピュータはもっていかないので、ブログは休みになります。

というわけで、ちょっと早めですが,はい,今年もお世話になりました。皆様、健康で幸福な新年をお迎えください。

Tuesday, December 19, 2006

山頂より:その3/a peek from the peak #3.

「石油専門家の中にはピークをすでに過ぎてしまった,ピークは今だ、いや、2010年までには訪れるだろうと言う悲観者もいる。楽観的に見ても、2020年とか,せいぜい2030年まで,世界にもう少しだけ,息をつく時間を与えてくれるだけだ」。
これは、OPECの重鎮の一人,リビア国営石油会社の委員長,ショクリ・ガネム(Shokri Ghanem)の発言です。

「しかし、まあ、世界のピーク生産がそれほど遠いことではないという点では、ほとんど合意しているようだ。それはこれから10年のうちに到達するかもしれない。ということは,世界経済が石油に大部分を依存することが出来る時間はあまり残されていないということだ」。
最新のOPECブレティンのp60に記載されているそうです。
ちょっと時間がなくて,原典にあたっていられませんが,todヨーロッパへの寄稿者,ジェローム・ア・パリのデイリー・コスへの記事からの引用です。

時間はあまり残されていないということは,ピーク問題に取り組める時間もあまり残されていないということです。石油にまかせっきりな生活はかなり、危うくなっていることは間違いありません。OPEC内部からの発言を真剣に受け止め、すぐさま、脱アブラな生活の構築に取りかからないと,時間がなくなるぞ。

Monday, December 18, 2006

(日豪プレス新年号の原稿)

(日豪プレス新年号の原稿)


あけましておめでとございます。
本誌「日豪プレス」も創刊30年ということで,まあ,めでたい限り。

いまから四半世紀以上前,シドニーにたどり着いたばかりで,ほとんど右も左もわからないのに、ダブルベイにあった編集室に押し掛け,勢いにまかせて、知ったかぶり、あれやこれや,あることないことでっち上げ,ページをもらったこと、つい昨日のことのように思い出します。

その頃,本誌もできてから4、5年だったんですね。なんだ,それならもっと高飛車に出てもよかったな。そんなことも知らなかった。とにかく,本誌は唯一無二の日本語メディアでした。

その頃から,隙間を探すのが得意だったんでしょうね。いまに比べると、ぺらぺらだった本誌の中に,文化を紹介する記事は坂井さんの連載する映画ものだけだと見て取り、音楽の記事なんかどうですって,言いよったのです。他人と既存の分野で競争するのはあんまり得意じゃありません。まあ,勝ち目がないので,それなら,自分の分野を作っちゃえっと。そういう腹でしたけど。

そうやってでっち上げて,はい、最初は音楽のこと,しばらく書かせてもらいました。連載2回目とか3回目で取り上げたミッドナイト・オイルってバンドのつるつる頭で,調子っぱずれな歌い手が野党の国会議員に当選し,環境/地球ゲテモノ化担当に任命される、今年の選挙で労働党が間違って勝ったりしたら,大臣ってんですから,時代も変わったものです。はい。んな昔の話です。

そうそう、あの記事でしたかねえ。ちょうど創刊したばかりの「地球のXXき方」ってガイドブックの編集の人間がこの国へも取材に来てて,ちょうど記事を見て,いくつか書いてほしいって話になって。それで、あのガイドブックの取材のために国内をあちこち回りました。それなりの評判だったようですが,すべてのきっかけは日豪プレスにあった,ということになりますね。

80年代の前半,インディのシーンも盛り上がってましたから,バンドを見に行くのが楽しくてたまりませんでした。ザ・バースディ・パーティとかゴー・ビトゥインズ,ラーフィング・クラウンズ。現在では「伝統の」なんて言われる連中が、夏になり,拠点としていたヨーロッパから戻ってきて,そのコンサートに出かけるのがフーブツシでしたから。んで,連中のいない間も,それなりにあれやこれや,おもしろバンドがぽこぽこあって,それらを見にでかけ,書いたりすることはとても楽しいことでした。

勢いのある時代だったと思います。パンクな時代というか、「ごちゃこちゃとしゃらくせえ、やっちゃえ」って。そんな「気合い」が通じる時代だった。シドニーの国営ラジオ局で,日本の現代音楽などを紹介する番組をやり始めたりしたのも,ちょうどその頃ですが、やっぱり,強引に,押し掛けて,あることないこと、でっちあげて丸め込んだ結果ですが。一度味をしめてしまうと、なかなか,やめられません。

音楽シーンの後ろには,マルチカルチャー、多文化主義を奨励する空気が漂ってました。「移民が持ち込む文化」をそれまでのように否定するのではなく,「違い」を尊ぼうという空気の流れがありました。単一で薄っぺらな文化社会からの脱皮の動き,と言えるかもしれません。なんでもありってな気風。

本誌を含め,エーゴ以外の言葉による出版や発言,文化の維持が奨励された時代で、移民テストが導入され,エーゴをしゃべるのは当たり前、そうでなけりゃ「非国民」だ,非オーストラリアだ。そういう押し付けがましい臭気がぷんぷんとする昨今とは比べ物にならない,活き活きとした時代でした。日本など,「ガイコク」からのテレビ番組を字幕で放送するテレビが出来たのもこの頃ですね。

そのうち,音楽シーンもしぼみ始め,本誌に書くのもだんだん億劫になってきて、確か,しばらく「休養」し、それから友人たちと作り上げた段ボール紙作りのキャラクターを抱え,シドニー各地を私的に観光して回る、何ともはやあんまり分けのわからない内容のページを書かせてもらいました。キャラを砂浜に寝かせてみたり,自殺の名所や、その頃設置され始めたばかりの「使用済み注射針ポスト」なんかの横に立たせ写真を撮る。その写真に、ほとんどまったく意味をなさない観光記録の文章をつける。そんな内容だった,と思います。

あの頃,事務所を一緒に借りていた連中と酒を飲みながら、出てきた企画ですが、同じキャラを漫画にしたり,tシャツ作ったり,何年続いたのか,覚えてませんけど,かなり長続きした「遊び」の一環でした。自分の暮らすシドニーのあちこち,探検して回りました。現在なら「保安上の理由」とやらではいれない場所にもいろいろ出かけ,それはそれで面白かったのですが,しばらくすると、探検したい場所もだんだんなくなります。

ちょうどスキャナーとかフォトショップが出始めた頃で,キャラクターはデジタルに変身し,「写真」の中に取り込めるようになり、そんなのを何回か。最初は面白かったけで,最後には、キャラクター自身、デジタル化した機械の中を都会の中のようにさまよう,確か,そんな写真で終わりにしたような気がします。あれが本誌との関わりは最後、かな。

ちょうどコンピュータを使い出した頃。いまからは信じられないほど旧式な機械の話だけど。

本誌とつきあい始めた頃は原稿用紙に鉛筆で手書きしてた原稿もそのころには、ワープロで打ったりするようになっていました。最初の頃は書き終わると,ダブルベイにあった編集室から誰か、とりにきてくれたり、自分で届けてました。最初は自分で出かけることが多かったですね。編集室には日本から何日遅れかで届く新聞が積んであったので、原稿をもってったついでにお茶をいただきながら,それをまとめて読む、なんて楽しみもありました。いまならネットのおかげで,日本の情報も家にいながらにして,ものすごい量が手に入ります。でも、情報なんて,集める気にさえなれば,方法はなんでもある,

編集室にはバシャンバシャンとタイプを打つ音がしてました。ホシさんやモトコさんやマサコさんとか専門のタイプうちの人が、手書きの原稿を読みながら、ひとつひとつの活字を拾う,そんなタイプの時代でした。字は汚いし、意味不明なことばかり書いていたから、印刷された誌面をみると誤字がたくさんあった。もともと,ほとんど意味にならない文章なので,気のつくひともいなかったし、自分でもアナログ時代のそういう誤解を楽しんでました。

手作業による誤解は、ワープロで原稿を作るようになると,少しは減ったけど,それでも時々ありました。だって、原稿はワープロ書きになったけど、タイピストの人が活字を拾って印刷用の文字にする作業はまだまだ、続いていましたから。最後の記事で、メインのキャラは確か,コンピュータ・チップの林立する中で立ち尽くすって格好だったけど,実際の誌面作りは,んなふうにひとつひとつ、アナログで手作りだった。

それから本誌を読むこともほとんどなくなり、オーストラリアの都市文化にも飽きてしまい,シドニーの季節のなさに耐えられなくなり,地球の患うビョーキに気がつき,人生もエネルギーという観点から見ることが多くなりました。シドニー郊外,標高千メートルの高原の町外れに暮らし始め,そろそろ10年近くになります。

その間に,あれやこれや,それまで考えていたこと,知ってしまったこと,などなど、エーゴや日本語で本を何冊か書きました。でも,もともと行動主義なので,庭をふらふらし,パーマカルチャーを学んだり,バイオダイナミック農法の本を読んだり,しまいには、ここからまたさらに西へ1時間半ほど行ったところにある場所に農場を買い,本格的に確固たる生活を築こうと画策もしました。でも,オーストラリアは首根っこまでズッポリと,干ばつ。ありゃ。水がなけりゃ,植物は育たないし,それをエサとする動物も育たないことに改めて気がつきまして、はあ、これは困ったぞ。

そんなこんなで、オベロンの農場を昨年末に売り払い,今年は「環境難民」の走りじゃないか,そんな気もしますが,湿潤なみどりの大地を求め,ちょいと,あちこち,ふらふらする予定です。水がなければ,水に流すなんて,粋な芸当も配慮も出来ない、じゃないですか。その顛末は、またいずれ本に書くつもりです。

ま、オーストラリアの将来がどうであれ,多民族社会のいく末がどうであれ,オイル・ピークもタイピストの誤植も、そんなこたあ、どうでもいい。

日豪プレスの創刊30周年、めでたいめでたい。坂井さん、お疲れさま。

Saturday, December 16, 2006

2つの国歌/ two national anthems.

いやあ,アオテロアは懐が深い。おもしろい。
普通の国だと国旗や国歌はひとつに決まってます。どこかの国ではそれを強引に押し付けています。ああ,醜いったら。なぜ,ひとつじゃないとまずいんでしょうね。どうして歌や旗がいくつもあったらまずいんでしょう。

アオテロアは世界でもまれな国です。なんと国歌が2つある。ひとつは「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」。オーストラリアではこれが廃止されて,いまの「アドバンス・ペケペケ」が採用されたが,ニュージーランドでは英国と共有するの国歌を残しながら,もうひとつ,「ゴッド・ディフェンド・ニュー・ジーランド」である。しかも,こちらはマオリ語バージョンもある。うーん。深いぞ。

「ゴッド・ディフェンド・ニュー・ジーランド」は1876年に南島のダニーデンで初めて演奏された曲で,それから延々と歌い継がれ,1940年の百周年を記念して「国民歌」に指定された。国歌がナショナル・アンセムなら,国民歌はナショナル・ソングだ。歌が最初に演奏されて100年を迎える1976年,この歌はソングからアンセムに昇格します。

使い分けは,微妙で,ニュージーランド(英国兼任)の王族のいる席では「〜セイブ・ザ・クイーン」が演奏され,オリンピックなどニュージーランドの国威発揚の場では「〜ディフェンド・ニュー・ジーランド」だそうです。また、両方,演奏されることもある。

ふむ。この辺の使い分け,ぜひとも,現地で体験してみたいものです。

Friday, December 15, 2006

アオテロア式の四股踏み/Haka!

アオテロアからビクトリア州の山火事に消防士が派遣されていることは両国が一衣帯水の関係であるという文脈で,前に書きました。

そのくらい,近いのですが,うーん,こういう写真を見ると両国の間にはそれでも一定の距離がある,違いがあるって感じます。消防士たちがハカをやっているところだそうです。

相手を威嚇する儀式で,アオテロア式の四股踏み、でしょうか。手を叩き、足を踏み鳴らし、声を上げ,気合いを示します。ハカはスポーツの場では有名ですが,迫り来る山火事を前に,ハカ。タスマン海のこちら側では目にすることのない気魄のこもった儀式です。すごいノリだなあ。
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SMHより。

さあ,あと10日で家を出て,自ら望んで宙ぶらりんでホームレスな状況にはいります。旅から旅への旅烏。アオテロアの消防士たちのように気合いで臨まないとなあ。

Wednesday, December 13, 2006

暗黙の秘密/Vanunu in a 'democratic' state.

「失言」とやらががぽろり,ぽろり、同じ時期にいくつも出てくると,なんか,そこにある種の意図的なものを感じてしまいます。もちろん、イスラエルの核兵器の開発,保有は、今時、誰も疑うものがいない暗黙で公然な秘密です。みんな知っているけど,おおっぴらにしゃべっちゃいけない,ってやつ。しーっ。
イスラエル政府を支持する米国政府やイスラエル政府のトップから,この時期に「国家機密」ががまとまって暴露されると,理由は何なんだろうって,考えちゃいます。イランへの威嚇なのでしょうかねえ。しーっ,しーっ。

理由はともかく,最初に「失言」したのはラムズフェルドの後がま,新国防長官のロバート・ゲーツ。今月5日、上院軍事委公聴会で、「イランは東にパキスタン、北にロシア、西にイスラエルという核兵器保有国に囲まれている」とぽろり。

イスラエル政府はこの発言を非難しましたが、二番目の「失言」の主がイスラエルのオルメルト首相だからたまらない。11日に放送されたドイツのテレビとのインタビューで、自国を核兵器保有国の中に挙げてしまいました。

訪問先のドイツで、「イスラエルに核があるから,西側はイランの核開発に強い態度をとれないのではないか」と質問されたオルメルト首相は次のように応えています。

「イスラエルは民主国家であり、他国を脅したりしない。しかし、イランはイスラエルを地図上から消滅させると公言している。(そのイランの)核兵器保有を、米国やフランス、イスラエル、ロシアと同列に論ずることができるのか」と。

まあ、イスラエル政府が躍起になって言うように,これらの国は「核兵器保有国」ではなく、「民主国家」なんだ。そう読めないこともありません。でもなあ。米国やフランスはともかく、ロシアやイスラエルが「民主国家」ってのは、いくらなんでもなあ。強弁すぎやしませんか。

民主主義国家では最低でも,「言論の自由」が保障されているはずですが,イスラエルにはそんなそぶりがちっとも見えません。イスラエルが曖昧に口を濁したがる「核兵器開発/保有」を1986年に公表した内部告発者、モルデハイ・バヌヌは海外で拉致され,国家反逆の罪に問われ,18年間投獄され(うち11年は独房)ました。こんな国が「民主国家」ですって?この「民主国家」では,「公然の機密」をぽろりとやったオルメルト首相もバヌヌと同じように反逆罪に問われるのでしょうか。

バヌヌは,2004年に釈放されたあとも,海外渡航を禁止され,外国のジャーナリストとの接触を禁じられ,事実上,自宅軟禁状態にあります。このたびのオルメルト首相の「機密暴露」をどう思っているのかな,と思ったら,今朝のラジオで発言していました。

外国ジャーナリストとは接触禁止なので、そのかどで,また逮捕されるかもしれない危険を冒しながら,バヌヌはオーストラリアのABCラジオのインタビュー(テキストオーディオ)に応えています。


そのなかで、バヌヌは「これで,イスラエルに核があることがはっきりとした」のだから、自分がが20年前にやったことが正しかったと認めることを要求しています。そして、「20年にわたる拘束から解放し,私を自由にしてほしい」と。

さてはて。米国、フランス,ロシアと並び「民主国家」を気取るイスラエル政府は、この呼びかけにどう反応するのでしょうか。

ラズベリー三昧/a bower in the garden.

今年もラズベリーをむしゃむしゃと食べる季節がやってきました。何年か前,ほんの数本、苗木を植えただけ、ほとんど何も世話らしいこともしていないのに,ラズベリーはよく育ち,毎年毎年,実を付けます。気候にあうんでしょうね。地域や気候にあう植物が毎年毎年,こうやってたわわに実を付けてくれると,金なんかちっともなくてすかんぴんなのに、あんまり気にならなくなります。

12月の初め,夏の始まりとともに実が真っ赤に熟しはじめると、庭にいるのも楽しくなります。ちょこっと作業をしてから,実を口に入れる。甘酸っぱい味が口に広がるのを楽しみながら、次の作業に取りかかります。

そんな日が何日かすぎ,ちょっと暑くなると収穫は本格的になります。小さなバスケット片手に、熟したのを摘んでいく。友人がやってくれば,むしゃむしゃ、やりながら,一緒にかごに摘みながらおしゃべりを楽しむ。1時間もすれば,1キロから2キロ近くになります。

八百屋では小さなプラスチックのパネットに150グラム入りが並んでいます。5ドルから6ドルもします。なので小売価格に換算すると毎日,30ドルから40ドル近い収穫があることになります。

毎日、毎日,そういうラズベリー三昧な日がクリスマスの頃まで,2〜3週間くらいは続きます。

んでも,現実的には、毎日毎日,そんなに量は食べられるものじゃありません。どこか,友人のところへお邪魔する時にお土産にしたり、近所へもお裾分け。それでも残った分は,ビンにつめて真空保存。来年,また食べられる夏になるまで,時々,ビンをあけ、夏の味を楽しみます。

今年はラズベリーだけでなく、桑の実も食べきれないくらい,たくさんなりました。こちらも、指を紫色に染めてほおばりながら,かごに摘んでいきます。その手を休め,ふっと見上げると,上の方では鳥たちも宴の真っ最中。いろんな種類の鳥が桑の実をついばんでいます。

よく見ると,サテン・ニワシドリもいます。サテン色したニワシドリ。漢字で書くと庭師鳥、エーゴではbowerbirdと呼ばれる鳥です。

この鳥のオスは木の枝などを拾い集めてきて,手の込んだ「あずまや」を作り上げます。それは見事な「建築」です。あずまやにいたる通路や周辺の「庭」は、青い色で飾りたてられます。「庭師」と言われるだけあり,その庭の飾り付けもなかなかです。ニワシドリのオスが「庭」を飾り立て、「あずまや」を作るのは,もちろん、メスの関心をひくためで、季節になるとせっせと「愛の巣」作りに励むのです。

「あずまや」はお隣の薮のなかで,何年か前に見かけたことがある。いまでもあそこにいるのだろうか,あとでのぞきにいこうかな,なんて、思いながら庭を歩いていると,一角に,「青」が散らばっています。

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近寄ってみると,あらあら、あずまやが一軒。木の枝作りのあずまやのまわりには紙くずに布の切れ端,洗濯バサミ、ソフトドリンクのふた。どこから集めてくるのか,と思うくらい、青い色に飾られています。

しばらくの間,じっと見入ってしまいました。
拡大してみるとわかりますが,このあずまやもとても巧みで、まねをしようと思っても出来ないでしょうね。

ラズベリーもいいけど,青い実のなるブルーベリーとか、育ててみようかしら。この辺の気候にはあうのかな。

Tuesday, December 12, 2006

安い石油時代のたそがれ/The end of cheap oil

現役の政権担当者で、オイル・ピークの存在を公式に認める人間はあまりいません。
国政レベルとなると,アオテロアのヘレン・クラーク首相くらいでしょうか。現役の政権担当者には、それなりの政治的な意味がともなうので,往々にして,こういう発言ができないものです。
そういう首相のもとですから、エネルギー相(環境問題相兼任)のデイビッド・パーカーがピークと気候変動について、かなり突っ込んだ話をしていること自体は驚くことではないかもしれません。でも、「いずれピークに達することは間違いなく,政策的な見地からすれば、与えられた時間は限られています」って、まさにその通り。

タスマン海のこちら側,気候変動にようやく重い腰を上げ,足を引きずるように場当たり的な策を発表するだけの政府のもとで暮らしていると、パーカー大臣の言葉は輝いて聞こえます。現役の大臣の発言にはひとつひとつの言葉に責任をともなうわけで、軽々しいことは言えません。それでも,ここまで踏み込んだ発言を期待することができるんだ、そういう希望の文脈も含め、下記にパーカーのスピーチを10月30日に発表された政府発表のテキストから全訳します。

この発言は南島にある2つの都会,クライストチャーチとダニーデンの間にある人口303人(2001年の国勢調査)の小さな村で開かれたエネルギー・フォーラムにおけるものです。日本初のピーク専門ブログの「ん!」ですでに一部紹介されていますが,アオテロア政府のサイトより,全文,下記に紹介します。

アオテロアへの期待を過度に膨らませることは慎まなければなりませんが,日本やオーストラリアでも現役の大臣がこう言う発言をできるようになると,少しは世界も変わるのではないか,そう思いませんか?

パーカーのスピーチのあとですが、11月4日に、南島のリグナイト(泥炭)を開発すれば、これから300年間は国内の交通燃料を賄えるという内容の報告書が経済開発省から発表されました。その報告書は「これを開発すれば,他の国で炭化水素燃料が枯渇したあとでも我が国には燃料が十分残っているだろう」と報告していますが,それについて、パーカー大臣は「リグナイトがあることはすでにわかっている。しかし、この報告書は経済というきわめて狭い見地からのものであり、二酸化炭素排出など環境への影響を考慮していない」と開発に否定的な見解を発表しています。

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今晩ここで話す機会を与えていただき,ありがとうございます。私は、メディアを通じあなた方の団体の活動を注視してきましたが,将来のエネルギー需要、その供給をどうするのか、そういう議論にイニシアティブとリーダーシップを発揮してきたことに感心しています。

エネルギー担当大臣として、私には、国民が手頃な価格でエネルギーを獲得できるようにする役目があります。同時に、気候変動担当の大臣として、エネルギー生産、輸送、工業や農業から排出される温暖化ガスを減らす役目があります。これら、私に課されたふたつの役目は、今日ここで行われる議論に関連します。

たくさんの質問があるかと思いますし、私も皆さんの意見を拝聴したいと思いますが,まず,この問題に関する政府の立場を説明させてください。

●オイルピークについて
皆さんの一番の関心はオイル・ピークと、石油がますます高くなるにつれ、社会,特に皆さんの暮らす地域社会はどう対処すればいいのかということだと思います。

オイルピークというのは、通常原油の世界的な生産がピークに達する時のことを指します。世界的な原油生産がピークに達してしまえば、原油の日産は時間とともに減少していくと予想されています。

ピークがいますぐに訪れるならば,大変なことでしょう。私たちの社会は何十年にもわたり、アブラと天然ガスを生活の中心要素として、その消費を増加させてきました。最近の需要増加は、著しい速度で工業化する発展途上国(特に中国)の需要の伸びに拍車をかけられてきました。

通常原油が生産ピークに達するのが来年のことなのか,それとも、これから十年から二十年のことなのか,議論の余地はあります。しかし、いずれピークに達することは間違いなく,政策的な観点からすれば、どちらにしても、与えられた時間は限られています。

原油価格の上昇で油田の探査は刺激され、これまで非経済的と見られた油田の生産が可能になります。価格の上昇やテクノロジーのおかげで、天然ガスや油母頁岩(オイルシェール)、亜炭などからも液体燃料の抽出が進むでしょう。これらの非在来型のアブラ源は莫大な規模になります。通常原油がもたらした「安い」アブラはピークに達するでしょうが,化石燃料全体についてみれば、世界にはこれから二、三十年くらい、使える量がたっぷりとあります。

●エネルギー安全保障
もう一つの懸念は、エネルギーの安全保障の問題があります。国際的な観点からすると、それはアブラの供給が中断する懸念を指します。世界の石油生産の多く、そして、これまでに発見された石油埋蔵のほとんどは,中東など地政学的な心配のある地域にあり、石油供給の中断はあり得ることです。

「安い」アブラのピークとエネルギー安全保障のおかげで、アブラの供給が途絶える、値段が上昇することを心配する人もいます。政府はアブラの安定供給に対する脅威について、懸念を抱いてはいますが、アブラがなくなるということは考えていません。

アブラなどの化石燃料はこれからも手に入るでしょうが、これまでのような使い方を続けていくことは望ましいことではありません。

なぜでしょうか。

●気候変動
政府にとり、より深刻で差し迫った問題は気候変動であり、だからこそ、我々は国を挙げて温暖化ガスの生産を減らすことに,積極的に取り組まなければならない理由です。
もし,世界が温暖化ガス排出にブレーキをかけなければ大変なことになる、海外のエコノミストが警告するのをつい最近,耳にしたかもしれません。(註:スターン報告書のこと)

ニュージーランドのように農業に基づく経済は、変化し不安定な気候に特に経済的な影響を受けます。気候変動は、かんばつが起こりやすい地域ではより多くのかんばつを引き起こし,洪水が起こりやすい場所ではさらなる洪水を引き起こします。水と大気に関する国立研究所による調査によれば、ニュー ジーランドの東部のほとんどで、これまでは二十年の周期だったかんばつが2080年代までには五年間隔になるだろうと予想されています。かんばつが時には二年連続で起こることも予想され,そうなると、回復する時間は与えられません。

最近では1997年から98年にかけ、大きなかんばつに襲われましたが、経済への影響は10億NZドルに上りました。2004年2月の洪水の損害は3億ドル以上に上ると見られています。こういった種類の出来事がずっと頻繁に起こるならば、我が国の農業はどうなってしまうのか、とても想像することができません。気候変動は、我々の世界が持続可能な生き方をしていないことを示す兆候です。それは私たちが取り組まなければならない問題であり,ニュージーランド政府はそれに取り組む所存です。

●持続可能なNZ
この週末、党大会において(クラーク)首相が持続可能性を強調する発言をしたのを耳にしたかもしれません。

政府は21世紀における社会民主主義の中心的な価値は持続性にあると考えており,ニュージーランドがその実現の先頭に立つことを望んでいます。

持続可能な生き方をし,温暖化ガス排出を減らすためには、再生可能エネルギー資源を最大限に活用しなければなりません。

●エネルギー効率
これは、我々の手にするものを浪費しないことを意味します。長い間、ニュージーランドでは電気が安かったので,倹約する必要はありませんでした。

しかし、マウイの天然ガスが枯渇し、発電コストは上がっており、そして、再生可能なエネルギー源を最大限に活用するためには、我々はできるだけ効果的なエネルギーの使い方をしなければなりません。

●ニュージーランドのエネルギー戦略
将来のエネルギー需要を考える際、大切なことをまとめたのがニュージーランドの「エネルギー戦略」です。来月発表される戦略の草案は、どのようにしたらエネルギーをより効果的に使うことができるかについて検討しています。

どこへ投資し,どんなテクノロジーに投資するのか、個人としてはどんなものを購入し,どんな生き方をするのか,「エネルギー戦略」では態度の変化を検討します。

「エネルギー戦略」は行動やプロセス、建物やインフラ基盤のアップグレード、デザイン、場所と管理について、しっかりとエネルギー効率を考慮するものです。

この一環として、政府では国のエネルギー効率と省エネ戦略の見直しを進めており、それはエネルギー戦略草案を構成するものとなります。

草案の焦点は、エネルギー効率を高めることであり,再生可能なエネルギー源の使用の促進です。

すでに発表されたり、開発中のイニシアティブのほとんどが、相乗的な利益を生み出すということは大切なことです。

たとえば、断熱されて暖かな家ならば,暖房費が安くつきくだけでなく、そこで暮らす人は健康なので、医療費もあまりかかりません。自動車もエネルギー効率が高く,ちゃんと整備されていれば、燃費は安く,公害も少なく,健康的な環境が保たれることになります。

「エネルギー戦略」の核心は、活力ある経済を維持するために必要なエネルギー資源の信頼できる供給にあります。

「エネルギー戦略」の草案では、エネルギーのインフラへの投資に関する不確実性に取り組むでしょう。

長い目で見ると、気候変動に関する政策とそれに関する規制などについて明確にすることが、時間の面からも,費用効果の点からも、効果的な投資をしやすくするでしょう。

同様に、エネルギー戦略がニュージーランドの持続可能なエネルギー社会への移行段階において、再生可能エネルギーや地熱エネルギーがどんな役割を果たせるのか、はっきりさせておくことは重要です。

温暖化ガス排出は、早晩、その代価を支払わなければならず、排出を低減させる方向に向け、生産や消費活動、設備投資を変える誘因になるでしょう。

「エネルギー戦略」は、温暖化ガスの排出を増やすことなく、エネルギー需要に応ずることができる可能性と手段を考慮するものです。

例えばカーボン捕獲と貯蔵など、きれいなテクノロジーが現実的で経済的になるまでは,すくなくとも、これからの世代にとり、再生可能エネルギーを選択することが好ましいことを示す必要があります。

したがって、「戦略」は再生可能エネルギーの開発を支持するため、価格の点でも競合できるよう、様々なオプションを考慮します。

「戦略」では、炭素の排出を低減したり、無排出の代替開発の障害を克服するため、確実性をもたらし、エネルギー革新のためによりダイナミックな環境を提言します。

●バイオ燃料
たぶん、皆さんの最大の関心事であるかと思われる問題、交通燃料の代替について、少し,話そうかと思います。明らかに、田舎では、公共交通機関は限られており、出かけたり、商売のため,近所付き合いの手段として,必然的に、クルマは重要であります。ここのような地域では、交通用燃料の値上げは、したがって、非常に応えます。

交通セクターから排出される温暖化ガスを減らさなければならないという火急の理由もあります。つい先頃,私はエネルギー見通しに関する報告書を発表しました。報告書では我々が政策基準を変えなければ、運輸から排出される温暖化ガスはこれからの25年間に35パーセント増加するとしています。

バイオ燃料の重要さはここにあります。ご存知かもしれませんが、運輸燃料に占めるバイオ燃料の最低割合をどこに定めるべきかついての提案受付をちょうど閉め切ったところです。政府の提案は2012年までに、2.25パーセントを最低限とするというものでした。

バイオ燃料は輸入することもできますが,国内の農業セクターから最低ラインを満たすために必要な原料は十分手に入るでしょう。

ニュージーランドには食肉産業が生み出す獣脂が十分にあり、それをバイオ・ディーゼルに転換するなら,ディーゼル需要の5%近くを満たすことができます。また、現在でも酪農産業から生み出される乳清をエタノールにすることで、ガソリン需要のおよそ0.3%が満たされています。乳清などの副産物からは、もっとたくさんのエタノールを製造することができるでしょう。

これらの再生可能エネルギーなどに運輸燃料を多様化することは、輸入された石油への依存を減らし,大気の質を改善することにつながります。

もちろん、温暖化ガスの排出も減らすことになります。現在提案されているような最低ラインが満たされ、バイオ燃料が化石燃料を置き換えるならば、京都議定書に義務づけられた100万トン以上の二酸化炭素の排出を減らすことは苦もなく達成できるでしょう。これは、第一次京都議定書に規定される政府責任を履行することになり、1600万ドル以上の節約に相当します。

さらに重要なことは,これが出発点にすぎないということです。ひとたび立法上のフレームワークと基盤が確立されれば,バイオ燃料が運輸燃料に義務づけられる最低限のレベルを上回る量を補うことは十分期待できることです。

●結論
私たちの目の前には大きな挑戦が待ち受けていますが、私たちはその取り組みに全力を注いでいます。ニュージーランド国民すべてがそれに参加しなければなりません。

その意味で、あなたがたのようなコミュニティが、これらのエネルギー問題について、一生懸命に、自分たちでなんとかしようと取り組もうと努力していることはすばらしいことです。

Monday, December 11, 2006

水に流せない/Oz'n'NZ

あと2週もしたら東に向けた船に乗るからというわけでもないのでしょうが,アオテロア(ニュージーランド)関連のニュースが目につきます。

オーストラリア連邦下院の法制と憲法委員会は4日に報告書を発表し,隣国アオテロアとの間で、法制度などの均一化を提唱し、両国の「合併」まで視野に入れた入れた委員会を両国の参加で設置することも提唱しています。

いまから1世紀以上も前,オーストラリア大陸で植民地政府の代表が集まり,連邦を結成する会議が開かれていたとき、アオテロア(ニュージーランド)も新しい連邦への参加を検討していた歴史があります。結局,アオテロアは新国家には参加せずに独自の道を歩むことになります。代わりに,それまで不熱心だった西オーストラリアが土壇場で参加し,現在のかたちの連邦国家は1901年に発足し、両国は,それぞれ主権国家として別々な道を歩いてきました。

しかし,もともと,近代国家としては同じ英国の植民地から出発した立憲君主国,どちらの国も国家元首は未だにエリザベス2世です。国旗のデザインもちょっと目には区別がつかないほど似ています。両国で使われているコインもほとんど区別がつきません。お互いにとり、どこの国よりも似ていることは間違いありません。

安全保障や防衛についてはANZACS(Aust NZ Army corps)の伝統があるし,80年代の非核宣言以来、アオテロアがANZUS条約から閉め出されているとはいえ,一衣帯水の関係にあります。どちらかの国で、そこだけでは手に負えない自然災害が発生すれば,一番最初に助けを求めるのもお互いの国です。つい最近も、ビクトリア州で燃え盛る山火事に各州から消防団が動員され,それでも足りないので,ニュージーランドから47人の消防士が派遣されています。逆に,ニュージーランドで手に負えない災害が発生すれば,オーストラリアに助けを求めるでしょう。

しかも、1983年からは「経済関係緊密化協定(CER)」が導入され、ほとんど関税も輸入規制もなく、資本や労働の移動もほとんど自由、ほとんど「ひとつの経済」と言えるのではないでしょうか。そうした現実を追認して,制度化し,経済活動の緊密化をさらに進めよう、その向こうに「合併」も視野に入れようというあたりが、今回の報告の真意でしょう。

だから、まあ、「オーストラリアとニュージーランド、ついに合併の動き?」という見出しも、ある程度納得がいきます。

しかし,2つの国のあいだには、いくつか大きな違いがあります。ひとつは国のサイズ。オーストラリア(人口2千2百万)は世界最小とはいえ,大陸国家です。アオテロア(人口412万)はポリネシアに属する海洋性諸島国家。どちらも、もともとはゴンドワナ大陸の出身ですが,アオテロアは直接には南極大陸から切り離された島です。オーストラリアでは火山活動はとうの昔に終わり,地形も比較的なだらか、砂漠の多い乾燥した大陸です。反対にアオテロアは火山列島で,日本の富士山そっくりなタラナキ山をはじめ,背の高い山脈があり,温泉もある列島です。オーストラリアには石炭や鉄鉱石,ウランなど,鉱産資源が豊富にありますが、土地はやせており,ここ10年は干ばつに苛まれています。アオテロアには肥えた土地と豊富な降水がありますが、鉱産資源はほとんどありません。

これらの自然環境が違うだけでなく,両国の間には兄弟(どちらが兄なのか,それは意見の分かれるところですが)の間のようなライバル意識があります。それは主にスポーツの場で発揮されます。

もっとも有名なのはラグビー(ユニオン)のオール・ブラックスとワラビーズですが,クリケットならブラック・キャップスとオーストラリア。バスケット・ボールではトール・ブラックス対ブーマーズ、ホッケーならブラック・ステックス対ホッケールーズ/クッカバラズ,サッカーならオール・ホワイツ対サッカールーズ,スワンズ対マチルダズ。人口の差にも関わらず,スポーツの場ではなみなみならぬ対抗意識があります(しかし、ニュージーランドのチーム,オール・ブラックスの影響なのでしょうか、黒が多いですねえ。冬が本番のラグビーなら黒いユニフォームも苦になりませんが,夏の暑い太陽の下,黒いユニフォームじゃクリケットの選手も大変だろうな,と老婆心。)

経済の規模もかなりの差があります。2005年の数字ですが,ニュージーランドの国民総生産は1千億ドルをちょっと超えるくらい。オーストラリアはその6倍,6千300万億ドルです。オーストラリアにとり,ニュージーランドは第三位の輸出国にすぎませんが、ニュージーランドにとって、オーストラリアは大のお得意様。輸出入ともオーストラリアが全体の1/4近くを占めます。

これだけ見ると、より大きく,身近な市場に「合併」「統合」することで経済を活性化させよう、そういう声がむしろアオテロアの方から出てきそうなものです。85年以降,先進国の中で、アオテロアの経済成長率はもっとも低く、かつては先進国の中で一二を争うほどだった生活水準も現在は20位以下に落ちています。しかし、今のところ,そういう声は少数意見であり,政党の中で,オーストラリアとの間にこれまで以上の緊密化をよびかけるのは,現労働党政権の閣外連立パートナーのひとつ,ユナイテッド・フューチャー(統一未来)党くらいです。もっとも,この党にしても「貨幣の統一」を口にする程度で,それ以上には踏み込んでいません。

オーストラリア側から求愛の声が出てくるのはなぜなのでしょう。うーん,不思議な気がします。アオテロアの人たちも,なぜ,いまさらって不思議がっていることでしょう。何か,アオテロアにはくさんあり,オーストラリアがのどから手が出るほど欲しいものがあるのでしょうか。

そんなことを考えていたら、ひとつ、ありますね。水。経済の一体化,法制度の一体化を進めることは両国にとってためになる,とかなんとか言いながら,実は水の確保を画策しているのかもしれません。そう勘ぐりたくなるくらい,オーストラリアの水不足は深刻です。水は各州政府の管轄ですが、それぞれ,もっとダムを建てるだとか,淡水化プラントの建設だとか,そういう小手先の政策をいろいろ打ち出しています。干ばつ,水不足のおかげで,食品の値上がりが現実のものになっているだけに,本当、水を手に入れるためにはなりふり構わず。というのもわかる。

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んな思っていたら,シドニー・モーニング・ヘラルド紙のひとこま漫画もそこのところ,辛辣についています。

日本では水の重要さがあまり認識されませんが,世界のあちこちでは、水のために「併合」だとか、水をめぐる「紛争」なんてことが頻発化するでしょう。

Sunday, December 10, 2006

潮力発電/tidal au go go.

現代社会の便利さの中で暮らしていると忘れがちですが,地球上で人間が手にできるエネルギー源は三つしかありません。太陽エネルギー、それに,地球自身のもつ熱(地熱や火山)、そして、月の引力エネルギー(潮力)です。
化石燃料も過去の太陽エネルギーが凝縮されたものですし、風力も、太陽の力で温度差が生まれ,空気が移動することから生まれるものです。

地球上で手に入るエネルギー源は三つしかない。地球環境がゲテモノ化し,安くて豊富なオイルがピークを越した時代,エネルギーをどうしたらいいのか。いろいろ議論が進んでいますが、このことはもっとも基本的なこととして理解しておかなければなりません。

地球環境のゲテモノ化を理解し,迫り来るオイルピークに対処するため,グリーンでクリーンな解決策に人間は知恵をめぐらせています。ソーラーに風力,「げ」の字は出てくるは,バイオだ,エタノールだとかまびすしいのですが、その時に肝に銘じておかなければならない原則があります。

それは、それぞれの場所で可能な解決方法は異なるということです。

近代化以降の時代,つまり,いま,我々の生きている現代社会ですが、ここでは、どこかでひとつの方法を編み出し,それが世界津々浦々で通用する、そういうことがあり得ました。しかし、それは安くてふんだんなアブラに頼っていたからこそできたことであり,その大前提が崩壊しつつあるこれからの時代にはもう通用しません。まさに,「崩壊する新建築」、そのもの,ですなあ。

んで,近代以降の新建築がぼろぼろと音を立てて崩壊するこれからの時代,それぞれの地域の事情,特性にあわせ,それぞれの場所にふさわしい解決策を探さなければなりません。他の場所でうまくいった方法が参考にはなるものの,ある場所で使える方法が別の場所でも適用されるとは限らないことも、しっかりと覚えておく必要があります。

これからの時代,他人がどこかで作ってくれた解決方法、処方箋に頼ることはできません。グローバル化に慣れた現代人にとっては、ええっと耳を疑うようなことかもしれませんが,西日本で使える方法が東日本では使えるとは限りません。それぞれの地域にあった解決策を探らなければなりません。世界標準な解決方法はもはや存在しないのです。

たとえば、日本やアオテロアなどのように、火山/温泉のある場所では地熱の利用が考慮されますが,火山のないオーストラリアでは、そんな処方箋は使い物になりません。また、日本の田舎のように水田用の用水路が発達し,水が豊富な場所では小型水力の可能性が大いにあります。しかし,未曾有の干ばつがつづく褐色の大陸には水もなく,用水路も発達しておらず,現実的ではありません。

さて、四方を海に囲まれたアオテロアでは潮力を利用する発電所の建設計画が進んでいるそうです。オークランド近くのカイパラ湾に 1 MWの発電容量を持つ22メートルの高さのタービン、200機が設置し、200 MWを発電する計画が進んでいます。計画通りに来年から着工すれば、2011年には発電所が完成し,全国の4%の電力が潮力で賄われる予定です。潮力は文字通り,潮の満ち引きを利用するもので,潮の干満が大きなところが好適地になります。日本でも瀬戸内海辺り,どうなんでしょうね。

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Crest Energyより)

これからの石油減耗の時代には,再生可能エネルギー源をひとつひとつ吟味していかなければなりません。風の強い場所では風力を利用し,潮の流れのある場所では潮力,火山のある場所では地熱。ってなように、それぞれの地域の特性にあうエネルギー源を選択しなければなりません。これからは知恵を絞らないと。

どこでもお手軽に「げ」の字ってのは安直でださいし、実際のところ,現実的じゃありません。

Tuesday, December 05, 2006

気候ゲテもの化/climate weirding

エイモリ・B. ロビンスのインタビューを読んでいたら、climate weirdingというフレーズにでっくわしました。普通、「気候変動」という意味ではclimate changeという言葉が使われますが,weirding。weirdingには「異常」であるってな感覚がこもっていて、なかなかいいなあ。昨今の干ばつや山火事の多発を見ていると,確かに「変動」なんで生易しい状態ではありません。「変動」というより、すくなくとも「異常化」のほうがずっとわかりやすい。「奇動」というか「ゲテもの化」しているような気がします。

んで,ちょこっと調べてみると,ロビンスとの共著が日本でも翻訳出版されているポール・ホーケンはglobal weirdingというフレーズを使っていますね。あっ,これもピンがあっている。「温暖化」っていうと,どこか,ほんわか,ぬくぬくと温かくなっていくようで,あんまり危機感を喚起しません。地球「奇天烈化」とか,地球「異常化」とかの方がずっと本質をついているのではないでしょうか。

なので、これからはglobal weirdingやclimate weirdingを語彙に取り入れることにします。日本語では、うまい言葉、ご存知ですか?

(ホーケンは、「人工社会」の元祖のひとつであるスコットランドのフィンドホーンについて「フィンドホーンの魔法」という本を書いてますが、いつか,読んでみたいと思います)。

Monday, December 04, 2006

カナの大虐殺者、逮捕を免れる/Viðrar Vel Til Loftárása

ニュージーランドで地裁の要求した戦争犯罪容疑者の逮捕に法務長官が介入し、覆される事件が起きた。ここ2年ほどの間に、パレスチナ人が戦争犯罪人として提訴したモファズ元国防相(現交通相)、そしてドロン・アルモグ将軍(元ガザ地区のイスラエル軍総司令官)が同じように逮捕を免れたことがある。

「英国に続いて、ニュージーランドでもまた…。イスラエルの戦争犯罪を裁きの場所に持ち出そうというパレスチナ人たちの努力はまたしてもとん挫させられてしまった」という知らせをp-navi infoの編集人、ビーさんから聞いて,びっくりした。ニュージーランドの労働党政権には,ここの政権よりいくらかましかなと思っていたこともあるから。そういう思い入れは禁物,ですね。戦争犯罪容疑者を法廷にひっぱり出すことすら阻む「法治社会」ってどれほどのものなのだろう。考えてしまう。これじゃ、いつでも「空爆日和」じゃないか。

下記にイスラエル元軍司令官、NZで逮捕を免れるをp-navi infoより転載しました。

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ニュージーランドを訪問中の元イスラエル軍司令官、モシェ・ヤアロンに対し、オークランド地裁が戦犯容疑で逮捕状が発行したのは11月27日のこと。ヤアロンは「カナの大虐殺者」として知られており、昨年12月にはニューヨークで民事訴訟が起きている。96年にイスラエル軍は、レバノン南部、カナのUNFIL(国連レバノン暫定隊)本部に対する攻撃を行い、そこに避難していた100人以上の難民を虐殺した。これを指揮したのが、当時、諜報部長官を務めいたヤアロンだと言われている。ヤアロンはその後、2002年7月9日から2005年6月1日までイスラエル軍の最高司令官を務め,パレスチナ占領地において、数えきれない人権侵害と戦争犯罪を犯した疑いがもたれている。

ユダヤ民族基金(JNF)*1の資金集めのためにニュージーランドを訪問していたヤアロンに対する容疑は、2002年7月22日にイスラエル軍がガザの密集地に対し行った空爆*2への関与で,ジュネーブ条約第4条違反の疑い。民間人への攻撃を禁止するジュネーブ条約に調印するニュージーランドでは、条約違反は刑法犯罪になるため、オークランド地裁は警察に逮捕を要請したのだ。

地裁に訴えを起こしたのは、パレスチナ人権運動家のジャンフリー・ワキムで、地裁はこの訴えに『十分な理由』があると判断し、逮捕令状の発行を決めた。しかし、警察はヤアロンの逮捕には向かわず、ヤアロンの監視を続ける一方で、法務次官にアドバイスを求めた。

11月28日、次官などからアドバイスを受けたマイケル・カレン法務長官は、地裁の決定を覆し、逮捕状の発行を取り消す決定を下した。「証拠が不十分であり、立件が難しい」というのがその理由。「他の国でも逮捕状が出ておらず、戦争犯罪を裁く国際司法裁判所も、この件を取り上げていない」とも付け加えている。

カレンはヘレン・クラーク政権の与党労働党の副党首であり、法務長官ポストのほか,副首相。蔵相、高等教育相、院内総務を兼任する実力者だ。もともとは経済と社会保障政策が専門で、法律家ではない。法律の経験がない人間が法務長官に任命されることはそれまでに1度しかなく,2005年に任命された時には論議を呼んだ。そういう背景を考えると、今回の判断も自ら法律的な判断を下したのではなく,イスラエルに対する配慮なのか、勝ち目のない闘いを避けるためなのか、政治的な判断である可能性が強い。法務長官はこの決定にあたり、イスラエル政府とのあいだで一切コンタクトがなかったと発言している。

この介入をめぐり、国内で賛否両論が飛び交っているが、ニュージーランド政府の国際的な評判を下げることになることは間違いない。逮捕が取り下げられたヤアロン自身は、ニュージーランドのメディアによれば,すでに出国したようだが、3日付けのハアレツ紙は「私は逃げない」というヤアロンのコメントを掲載、いまだ、ニュージーランドにいることをにおわせている。

この知らせにパレスチナ人権センター*3の代理を務めるロンドンの事務弁護士事務所、ヒックマン&ローズは「パレスチナの犠牲者たちは失望している。ヤアロンは法廷に示された証拠に基づき、逮捕され、起訴されるなり、引渡されるなり、適当な措置がとられるべきだった」と声明を発表した。

*1…ユダヤ民族基金(ケレン・カイエメット)
1901年設立の土地開発基金。イスラエルの土地の大部分を所有する。
イスラエル建国以前からパレスチナの土地を購入し,開発を行ってきた。建国後はイスラエル国家の一機関であると同時に海外に離散するユダヤ人の団体、世界シオニスト機構の一部でもある。

*2…2002年7月22日の深夜、イスラエル軍は「暗殺政策」に基づき、F16機から1トン爆弾をガザの人口密集地に落とした。ハマスの指揮官、サラ・シハーダを狙ったとされているが、世界でも有数な過密地区に落とされた爆弾は近隣の人々を殺傷した。この爆撃で民間人15人以上が殺され、150人以上が怪我を負った。オークランド地裁への訴えを起こした原告の一人、ラエド・マタルは妻や3人の子供を含む7人の家族を失った。ヤアロンはこの攻撃に中心的な役割を果たした疑いがもたれており、地裁に提出された書類によれば、自らこの作戦に関与したことを認めている。

*3…パレスチナ人権センター(PCHR)は、世界各地の法律事務所と協力し、イスラエルの戦争犯罪容疑者の告発を行っている。イスラエルの司法当局は政府が採る「暗殺政策」の合法性について判断することを拒否し、その政策に基づく個々の「暗殺」についても捜査を拒否しているからだ。PCHRによれば、イスラエル政府の「暗殺政策」「先制攻撃政策」のおかげで、2000年9月から2006年9月の間に、法によらない処罰で少なくとも376人が殺され、さらに少なくとも209人の民間人が巻き添えになって殺された。
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雲を追いかけて/the land of amazing clouds.

永住の地を探す旅に、船に乗るまであと3週間。あれやこれや,ばたばたしています。

彼の地の事情を調べ,地理に親しみ,土地や自然を理解し,政治体制を学ぶ作業中です。まあ,どこまで予習をしても実際,肌で感じてみないことには何もわかりはしないのですが。

んで,その一環として気象情報を毎日チェックしています。ここに比べると,予想通り,雨がばしゃばしゃと降っています。いいぞ,いいぞ。

なんて、http://metvuw.com/を見ていたら,ものすごい写真がいくつも載ってます。空を見上げることが大好きな性分なので、こんな写真を見ると,わくわくしてしまいます。こんな空の下で暮らしてみたいなあ。
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写真はすべてhttp://metvuw.com/より。

Sunday, December 03, 2006

山火事/fire still burns.

12月を迎え,標高千メートルの高原は、30度を超す暑さ(日陰)で夏本番。今日は風はあまりありませんが,どんよりとした煙が漂っています。この煙、うちから西へ150キロほどのところにあるマジー周辺で発生した火災の煙だそうですが,この辺あたりまで漂って来るほどの大火のようです。

そうかと思えば,麓のシドニー市内も市の北,ハンターで燃え盛る山火事の煙が立ちこめているようです。

うちの近辺で11月半ばに燃え出した山火事もまだ完全に鎮火したわけではありません。現在までのところ,人家への被害はありませんが,人を寄せ付けない谷の底で,まだまだ火は燃えているそうです。今週も火曜に風が吹く,いや水曜だ,などと天気予報で言われていましたが,幸いなことに大した風ではなく,こう着状態が続いています。ちょろちょろと舌を出しながら,渓谷で強い風が吹き荒れる時をじっと待っているようです。

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(地図はNSW Rural Fire Service Blue Mountains Districtより)

地図で黒くなっているところがこれまでに焼けた場所です。うちがあるのはカトゥーンバの住宅街の北の外れ,火がまだ燃える前線からは8キロほど離れています。風向きによっては一気にやってくる可能性があるだけに、気が気じゃありません。雨樋の栓もずっと、したまま。来るならいつでも来いと、身構えています。ヘリコプターの音が頭上に鳴り響いても、頭を上げることもなくなりました。

明日からの週末、所によっては雨の予想もありますが,ここひと月以上,雨を見ていないんで,空から水が降るってどんなものなのか,すっかり忘れてしまいました。土も風も,皮膚もからからに乾いています。水がなければ植物は育たず,人間も動物も生きていかれない。つくづくと思い知らされます。

これだけ乾燥していると,火事はどこでも起こります。一触即発。一昨日,うちから西へ40キロほどのリスゴーの町の知人のところへ昼食に出かけ,帰りがけ,ふっと見上げると山から煙が上がっています。
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この火はこれまでのところ封鎖線内で収まっています。
火事と火事の恐れと顔を突き合わせ,煙におびえ,土ぼこりのなかで水の心配をする。乾いた大陸の山火事のシーズンはまだまだ,これからが本番です。

Tuesday, November 28, 2006

The Lion King Goes Postal

On September 11, Japanese voters go to the polls to elect 480 Lower House members of the Japanese Parliament, or Diet, in truly bizarre circumstances. Bizarre, in that the polling date was deliberately chosen because of what happened in New York and Washington four years ago. Bizarre, because whatever the election outcome, it will not alter the make up of the Upper House which rejected the Japan Post privatisation bill put forward by Prime Minister Koizumi Junichiro - this rejection being the supposed trigger for the early election in the first place. And bizarre because of the outlandish figure of Koizumi himself.

Koizumi (whom the Japanese media calls the 'Lion King' because of his super-abundant mane) is a product of the political turmoil that has dominated the country for more than a decade. Politics in Japan was once predictable and stale. Before 1993, the LDP factions had simply rotated the prime ministership among themselves. But since that August day in 1993 when the Liberal Democratic Party (LDP) lost its grip on power, albeit briefly, for the first time since its inception in 1955, it seems that anything goes.


Heizo Takenaka, Postal Reform Minister
and Junichiro Koizumi, Japanese Prime Minister

In the end, there were only ten months of non-LDP government, but that period signalled the beginning of the end of the LDP's one-party rule. No longer able to win a majority in its own right, the LDP was desperate to use whatever means possible to get back into power, and in 1994 it did just that with a tactic that would have been unthinkable during the preceding four decades: a grand coalition with its arch-enemy, the Socialists, then the largest opposition party. And with a Socialist leader at the helm.

This moment marked the fall of an invisible Berlin Wall, and the Socialists have since gone the way of those Eastern bloc nations - into oblivion.

The LDP has, in the meantime, clung to power in a coalition with the other minor parties. Their political fortune now hinges heavily on their junior coalition partner, the Komei Party, a political wing of the country's biggest religious cult, Soka Gakkai. Without this support, estimated to be worth at least nine million votes, the LDP is sure to lose power. Some analysts claim that the Koizumi administration is already a Soka Gakkai government.

Although he is a third generation politician, and has been in parliament since 1972, Koizumi had never been considered to be a serious leadership contender before 2001. At the time, his promotion to the party's top job was seen as an act of desperation. It had become apparent that the party would lose the upcoming Upper House election under the scandal-ridden Prime Minister Mori Yoshiro. Ironically, to restore its political fortune, the party had to resort to a man who has openly declared that he intends to 'destroy the party.'

He may not have destroyed the party, yet, but he has all but destroyed the rival faction. As Koizumi came from the faction created by his mentor and former Prime Minister Fukuda Takeo, who had been beaten many times by another former Prime Minister Tanaka Kakuei and his faction, it is hardly surprising that he seems intent on taking revenge on his old mentor's behalf.

Since coming to power with the promise of administrative reform, he has privatised the Public Highway Corporation, the old Tanaka faction's domain of influence. And now he has his sights set on Japan Post, another traditionally Tanaka faction domain.

It should be noted here that Japan Post is not just a public, postal-service provider with 24 000 post offices around the country, it is also a national bank and insurance provider. With total assets of 350 trillion yen (more than $4 trillion), it is one of the world's biggest banks. The repercussions of the sell-off are far greater than Koizumi and others even hint at. The Japan Post assets, mostly invested in government bonds and loans, have been the core of the country's industrial policies. The privatisation of Japan Post might spell the end of this. Koizumi may be remembered as the man who destroyed Japan Inc, Japan's brand of state capitalism.

Factional revenge on Koizumi's part is one explanation for his enthusiasm for privatising Japan Post, but perhaps another more important reason is pressure from the US administration. In 1993, Japan and the US agreed that there were structural impediments in Japan which needed to be reformed, and that the impediments would be listed in an annual report issued by the US under the name of the US-Japan Regulatory Reform and Competition Policy.

While they have no intention of privatising their own postal service, the US administration has targeted Japan Post since 1994. When questioned by parliament, Koizumi has denied this, but the US embassy in Tokyo exhibits the report on its website. US insurance giants and banks have been lobbying for a 'level playing field' for a long time. Japanese leaders have caved in to Washington's demands before, but never so blatantly.

Perhaps the most bizarre aspect of all of this is the way that Koizumi called the election. He dissolved the Lower House when a number of dissatisfied members of his own party voted down the Japan Post privatisation bill in the Upper House. A deadlock like this, according to the Constitution, should be solved by a joint sitting of parliament, but Koizumi opted for a Lower House poll even though the result will not alter the make up of the Upper House.

Postal deregulation is controversial to say the least. It has split the conservatives into pro-US economic rationalists and more traditional nationalist conservatives. Just like the republican debate in Australia some years ago, there are many who agree with privatisation in principle, but not with Koizumi's wholesale sell-off. Many fear deregulation would result in a winding back of a universal postal service, as well as the loss of many jobs and assets.

In the upcoming election, any Lower House LDP members who voted against the bill are not just being disendorsed but also hunted. In an unprecedented move, the party is standing its own high profile candidates, dubbed 'assassins', against each and every dissenter. In thirty three out of 300 electorates (the remaining 180 MPs are chosen from the party list in proportional representation), renegade LDP incumbents are fighting against these officially endorsed candidates or assassins.

The majority of the mass media is not predicting that the opposition leader Okada Katsuya will win, but a Koizumi victory is by no means a foregone conclusion. The media is heavily Tokyo-based and does not necessary reflect the mood swing in country areas, which are traditionally the LDP's stronghold. People in the country resent the cities, especially Tokyo. They see their essential services being cut in the decades since deregulation. The benefits of these cuts are only reaped by Tokyo and other cities. The postal deregulation package is not a popular one in the countryside.

On top of this, many LDP branches in the countryside, especially in those thirty three electorates with renegade incumbents, are tired of the heavy-handed treatment of their local members by the Prime Minister. Some branches openly refuse to work with the endorsed candidates and are sticking with their own members. The revolt in the countryside may make Koizumi a victim of his own arrogance.

If he wins, Koizumi will continue his reform agenda well beyond Japan Post. As happened in New Zealand in the late 1980s, postal deregulation in Japan will be the beginning of a large-scale, public asset sell-off.

As if all this were not enough, it seems that heaven also wants to take part in the drama a category five typhoon, Nabi, is slowly moving through the Japanese islands this week and 2005's 9/11 may be remembered by the Japanese as another day of brutal destruction.

(New Matilda, Wednesday 7 September 2005)

Koizumi's Landslide

On election night in Japan (11 September 2005), as the results trickled in from thousands of kilometres away, I was trying to fathom why the Japanese electorate had voted the way it did. The incumbent Liberal Democratic Party (LDP) won 296 seats and its coalition with the Komei Party now occupies more than two thirds of the 480 seat Lower House of the Japanese Parliament, or Diet.

The voter turnout was one of Japan's highest ever, certainly under the current electoral system 67.5 per cent of the electorate took part, no mean feat given the voluntary voting system.

Some say the victory was due to Prime Minister Koizumi Junichiro's shrewd strategy of turning an election focused entirely on the privatisation of the Japan Post into a referendum on his version of privatisation. Just a simple yes or no. Nothing else was really an issue in the media. Everything else the pension crisis, the mounting fiscal deficit, Japan's military commitment in Iraq, constitutional amendments was a non-issue. The fact that he declared that he would stand down within twelve months of this election - when his term as President of the Party expires - did not bother the electorate either.


Japanese Prime Minister Koizumi Junichiro

Maybe it was the electoral system that does not allow for the distribution of preferences, which was responsible for the lopsided result. Post-election research by the Mainichi Shimbun, one of Japan's national dailies, clearly shows this distortion. The LDP won 219 seats in 300 electorates, more than 70 per cent, even though it received only 47.8 per cent of the vote. The main opposition, the Democrats, won only 52 seats, less than a quarter, although the party received 36.4 per cent of the votes. Nowhere highlighted this discrepancy more strikingly than in Tokyo, where the LDP won 23 of 25 seats, with only about 50 per cent of the votes.

Others say the electorate was mesmerised by Koizumi's dramatic and exciting 'theatre', in which anti-reformist LDP 'rebels' were hunted down by high-profile, young and aspiring LDP candidates nicknamed 'assassins'. In acknowledgment of the role played by these loyal candidates, Koizumi has rewarded them with promotion and cabinet posts.

How such stunts were able to distract attention from the mounting deficit is hard to understand. The combined public deficit of national and regional governments now stands at nearly 1000 trillion yen (A$12 trillion) or more than eight million yen (A$100,000) per capita of the population. And this total deficit is increasing by 3.9 billion yen (about A$500 million) every hour.

Despite his promise to cut down the deficit, Koizumi, in fact has added 170 trillion yen to it, since he came in to power in 2001.

Perhaps, thanks to an injection of public money, Japan's economy is in better shape, at least on paper, but the real picture does not look that rosy. Gloomy signs are everywhere. During Koizumi's reign nearly 70,000 small to medium business have gone bankrupt. The unemployment rate has come down from the historic high of 5.5 per cent in October 2002, but it is still hovering around 4 per cent.
Unemployment as well as under-employment is particularly serious among the young, with the 'Freeters' (Japlish/Engrish for job-hopping part-timers) and 'Neets' (Not in Education, Employment or Training) estimated to be around fifteen million, out of a population of 127 million. The number of people taking their lives is increasing remorselessly and has now reached more than 30,000 a year of which 40 per cent are men of working age.

The mass media was largely to blame for not taking up these issues, repeatedly preaching the mantra of deregulation and labelling anyone opposing Koizumi as anti-reform traitors. The media helped to create the illusion that all problems would be solved by privatisation.

Their almost complete silence on Amaki Naoto epitomised this. Amaki, the former Japanese Ambassador to Lebanon, who was sacked over his criticism of the Iraq war, stood against Koizumi in his electorate centred on the port city of Yokosuka, near Tokyo. The electorate has been held by the Koizumis for three generations and Amaki had no real chance of upsetting the current incumbent. His sole aim was to highlight Japan's involvement in the US war in Iraq, but unlike Andrew Wilkie, who stood against John Howard in Bennelong at the last Australian election, Amaki hardly got any coverage in the media. Although he did not set foot once in his own electorate during the campaign, Koizumi retained his family seat with a record number of votes.

Maybe it was the strong leadership factor, which, it is said, is called for in a time of crisis. Everyone simply loves a winner, hates to back the wrong horse. Maybe the electorate was 'mind controlled,' as one of the renegade LDP MPs, Kamei Shizuka concluded on election night. Kamei, a former cabinet minister and party heavyweight, who was instrumental in installing Koizumi in the top job in the first place, was forced to set up a new party and fight off Horie Takafumi, a high profile IT millionaire, parachuted down by Koizumi.

'Everyone had cerebral concussion,' summed up another former LDP heavyweight Kato Koichi. Otherwise, why would they vote for a party whose secretary general had promised to raise taxes, not cut them?

What Koizumi will do beyond the passage of the privatisation bill through the Diet is anyone's guess. As he once proclaimed, he 'likes politicking rather than policies.' More uncertain is the question of who will succeed him and what he/she will do with Koizumi's huge majority should he relinquish his post as he says he will in September next year?

There are hardly any opponents left inside or outside the party. The once mighty faction created by Tanaka Kakuei is a shadow of its former self returning just 36 MPs from this election while the old Fukuda faction, to which Koizumi belongs, has won the most with 56.

There are more non-aligned MPs than ever, many of whom are Koizumi sympathisers and supporters. The Upper House MPs whose voting down of the privatisation bill caused the Prime Minister to call the general election, will now have to vote for it or be kicked out. The power of the Upper House overall will wane, and it may become a mere rubber stamp for the Lower House.

The opposition Democrats have lost more than 60 seats, or a third of their previous share in the Lower House, including those of many leaders. Okada Katsuya's replacement leader will be chosen next week, but whoever gets the job will have an enormous struggle ahead to regain lost ground. The party is only seven years old and is made up of a fragile coalition of former Socialists, LDP and rightwing Democratic Socialists and may disintegrate.

During the coming political reorganisation, Tanaka Yasuo, the popular novelist cum governor of Shinshu (Nagano) prefecture, and also the leader of the newly formed New Party Nippon, may play a bigger role.

The 9/11 election result is likely to open the door to constitutional 'reform'; that is, the scrapping of Article 9, which renounces war, fulfilling a long time ambition of the LDP. It may alienate the Komei party, their junior coalition partner, but their support is not as vital as before.

Koizumi will, in response to a call from George W Bush, extend the deployment of Japanese troops in Iraq at the end of the year, another step towards turning its 'self defence' forces into a fully fledged army. This would certainly discourage Japan's neighbours from approving a seat for Japan in an expanded UN Security Council. Japan's relationship with its Asian neighbours is already strained due to Koizumi's repeated visits to the Yasukuni Shrine, a shrine which does not only commemorate Japan's war dead but also glorifies imperial wars of the past.

(New Matilda, Wednesday 14 September 2005)

Monday, November 27, 2006

Tastes Like Chicken

'Warning! Warning!' shrieked the captain of the Nisshin Maru - sounding like the robot from the 1960s TV series Lost in Space - as he collided with the Greenpeace boat in the Antarctic Ocean earlier this month.

As we watched the images on TV, I confessed to my partner that I used to eat whale meat often. She didn't seem as surprised as when I told her about eating horse.


Thanks to Scratch

I grew up eating whale meat. I remember eating a lot of it in the lunches prepared at my primary school. It was rather stringy, tough stuff. I am not sure if I liked it, but we were told that it was a part of our compulsory education to eat up.
When I got to high school, lunch was no longer supplied and my mother prepared it for me. She usually packed my lunch box with rice, pickles, and fish or grilled whale meat. I don't know if it was the quality of the meat she got or her cooking method but her grilled whale with soy sauce, mirin and ginger was delicious. She sometimes deep-fried the marinated meat for dinner as well.

Since we lived miles away from the nearest ocean (I did not see the sea until I was 12), we never had sashimi whale, but we had plenty of the tinned stuff. In my late teens in the 1970s, when going out camping in the bush with my mates, we would take a bag of rice and tins of whale meat. The tinned stuff was okay, not marvelous, but handy. It was like tinned tuna today - not as good as the fresh stuff, but cheap and ubiquitous.

Whale meat was certainly plentiful in those days. In the mid-1960s well over 200,000 tons of whale meat was consumed every year in Japan. The country's three main operators had a fleet of 86 catching boats, 14 freezer equipped freighters,?seven fuel tankers and 36 cargo boats between them - with a combined crew of 12,000. The 'economic miracle' boom of the 1960s and early 1970s was, you might say, fuelled by whales.

Only a couple of decades before, Japan had been devastated and starving. In 1946, the defeated nation looked on with restored pride and anticipation as its whaling fleet departed to the Antarctic. The catch they brought back filled many hungry stomachs. Nearly half of Japan's meat intake in the latter half of the 1940s and the 1950s was whale.

In those days, Shimonoseki - a town with a population of 250,000 at the western tip of Honshu, Japan's main island - was one of many thriving whaling ports. The city's main thoroughfare is still named after Taiyo Fishery (now known as Maruha), one of the three main whaling operators. The locals used to be able to look up at a huge neon sign of a whale that glowed on the roof of Taiyo's headquarters. Business must have been booming, as the company even owned its own professional baseball team, aptly called the Taiyo Whales. (The team was later relocated, as was the parent company, but it remained the Whales until 1992, when it became the more cutesy Baystars.)


Thanks to Bill Leak at The Australian






Shimonoseki may not be as thriving now, but it is the only working whaling port left in the country - the home of Japan's Antarctic 'research' whaling fleet. Naturally, it hosted the International Whaling Commission (IWC) conference in 2002.

Despite the claims made by the pro-whaling lobby and the Japanese Government's Fishery Agency, Japan's whaling tradition does not go back far. Of course, coastal whaling may go back some centuries in parts of the country, but modern whaling was introduced only a century or so ago, and the Japanese first arrived in Antarctic waters in 1934.

Whale did not last long as the national tucker because the efficient, modern method of industrial mass-culling almost wiped the animals out. All the other whaling nations withdrew from Antarctic waters as whaling was no longer commercially viable. Japan's three whaling companies, Maruha, Nissui and Kyokuyo, were also forced to shed their whaling operations and these were merged into one company, Kyodo Hogei, in 1976.

In 1987, Japan finally abandoned commercial whaling and the company became Kyodo Senpaku, which owns and operates the country's only whaling fleet and carries out so-called 'research' whaling under contract from a semi-government body called the Institute of Cetacean Research (ICR), also set up in 1987.

Under this 'research' scheme, the Government's Fishery Agency sanctions the research and pays out about one billion yen a year in subsidies. The ICR does the research, while Kyodo Senpaku does the actual whaling. Apart from the taxpayer contribution through the Fishery Agency, this 'research' operation is mostly financed by the sale of whale meat. 'By-products of research' as they are called, are sold in ordinary sushi bars, specialist restaurants, or at local supermarkets, in slabs, slices and thin rashers like bacon. It is estimated that in 2000, ICR sold some 2500 tons of 'by products' and raised four billion yen.

ICR also releases some 300 tonnes of whale meat cheaply to local government agencies to promote the culture of whale eating, but some of this meat ends up as a source of corruption. In 2004, questions were asked in national parliament about the sale of 17 tonnes of whale meat to Ashibemachi near Nagaski in the southern island of Kyushu, the previous year. The mayor of this town of 9000 people requested 35 tonnes and got 17 tonnes - more than 5 per cent of the annual amount set aside for promotion. He got the whale meat, but the payment of 53 million yen was made by a local businessman, not by the town. Had this not been exposed, the businessman would have made more than 110 million yen in profit, some of which would have been donated to a local MP whose job was to make sure it all ran smoothly.

Despite the government's attempt to expand whale-eating culture, there seems to be a glut. According to the 1999 market research conducted by the English firm MORIA (Market & Opinion Research International) at the request of Greenpeace and the International Fund for Animal Welfare, only 1 per cent of respondents ate whale meat and they only ate it once a month or less. This is not the 'national staple' the whaling lobby wishes to portray.

Japan's consumers may be also well aware that big marine creatures like whales tend to accumulate more pollutants like PCB, mercury and DDT from the environment. (link: safetyfirst website).

I found some of the responses in Japan to the collision between the Greenpeace boat and the Japanese whaling ship earlier this month very alarming. Greenpeace was branded the agent of 'Western' imperialism, environmental terrorists and pirates. Although I am not necessarily a supporter of Greenpeace, the denunciation of them as foreign by the same people who munch happily on McDonald's and KFC makes me cringe. Japan has 3700 McDonald's outlets - more than any other country outside the US - yet they first arrived in 1971.

These confused wannabe nationalists forget that eating meat was not really a tradition in Japan until some 150 years ago, and that the kind of whaling that is carried out now is not the traditional coastal style, but a modern method developed in Norway.

Real nationalists are those who put the national interest, and the health of the population, first. These wannabes should realise that their arrogant and childish behaviour over whaling, including rampant vote buying at the IWC, only damages Japan's status in the international community.

The world's second richest nation should not be permitted to behave like a starving one. If Japan wants to earn a voice in the international community and a permanent seat on the UN Security Council, it should behave in a more mature manner.

(New Matilda, Wednesday 18 January 2006)

Nuclear Debate: Glowing Reports

When you hear the word nuclear, you tend to think of advanced, shiny new technology. You may think of boffins in white coats twiddling knobs and gazing at computers.

In my radio active days, I stumbled into a number of nuclear coalfaces. From the Ranger uranium mine in northern Australia to a forgotten high-level waste storage site in Siilamae, Estonia, and in between these to many reactor sites in Japan. I was an accidental nuclear tourist. When I was not taking souvenir shots of these places, I spoke to the workers and locals, scientists, government ministers, officials and experts from the utilities — the lot.



What I found was that we have made some utterly stupid decisions, just to keep the air-cons running. We know future generations will point their fingers at us, but hey, we know we won’t be there to be held to account. Unless there are more Harrisburgs and Chernobyls of course.
Take the example of Fukui Prefecture, on the west coast of Japan’s main island of Honshu. It is close to Kyoto, the old imperial capital and it’s had a rich and long history as a provider of seafood as well as being a transport hub — the gateway to the Asian mainland.

But modern Fukui is known by a different name: ‘the nuclear main road.’ The narrow 80 km coastal strip hosts 15 nuclear reactors, perhaps the world’s heaviest concentration. It was here that Japan’s commercial nuclear program began. The electricity from the Tsuruga #1 power station ceremoniously lit a light bulb at the opening of the Expo in nearby Osaka in 1970. Not too far from the ageing Tsuruga #1 stands Monju, the nation’s first fast breeder reactor, which was meant to produce more fuel than it consumed, but was shut down in 1995 when it spewed out its coolant, natrium, causing a fire.

The beginning of nuclear power in Japan was rather low key and modest. Tsuruga #1 only produces 357 megawatts (MW) of power. (Eraring in NSW, Australia’s largest coal-fired power station, has a 2640 MW capacity.) Now, nearly four decades later, with 55 commercial reactors, Japan produces a total of 49,500 MW of nuclear power.

Nuclear power in Japan was first sold as the dream energy source, promoted with generous pork barrelling. Local public officials were routinely wined and dined, bribed and their opponents silenced. As a result of its acceptance of nuclear power plants, Fukui has more impressive public buildings, sports grounds, public halls and so on. For a while, the locals lived like addicts. When the money from one reactor dried up, they just accepted another one. What difference does it make to have one or three reactors? Until there was no more room.

They must be used to be living with danger by now. Like radiation itself, danger cannot be seen, but it is in the air. To live with reactors is to live with the constant fear of the next big accident. It could happen any time.


Thanks to Fiona Katauskas

Accidents do occur often. The most recent fatal accident occurred a couple of years ago. The Mihama #3 reactor emitted steam in June 2004 which killed five workers and severely injured six. There was no radiation leak, the utility claimed, but it could not guarantee next time.

Next time may be caused by a terror attack or a natural disaster such as an earthquake. Fukui’s only a stone’s throw away from North Korea. A nuclear attack on Japan can be easily achieved by blowing up one of the reactors in Fukui, even without a nuclear bomb.

The northern part of the Prefecture was shaken in 1948 by a magnitude 7.1 quake which claimed more than 3000 people. Should an earthquake like this (equivalent to a 50 megaton explosion) occur under one of the reactors, it would be doubly devastating.

The locals have been spared so far, but workers have constantly been exposed to radiation. They just don’t show up on the stats, unless there are fatal accidents. Out of 70,000 workers at the reactor sites, less than 10 per cent are directly employed by the utilities. The rest are contractors and subcontractors, a disposable workforce.

The homeless, the destitute, day-labourers and teenage daredevil delinquents are routinely recruited for the task of cleaning up the bellies of the nuclear beasts. They are called ‘nuclear gypsies’ and like real gypsies, they move from one plant to another, their dosages of radiation unmeasured. Some estimate more than 1000 of these subcontracted gypsies have died from cancer and other radiation related illness since Tsuruga #1 came online. Thousands more are suffering right now.

Even a so-called ‘new generation’ reactor needs to be cleaned and maintained by humans. What right do we have to send fellow humans into such deadly places, so that we can maintain a convenient lifestyle?

The by-product of our nuclear lifestyle is radioactive waste. I stumbled onto a pile of such waste in Estonia in 1994. I was on assignment for Japanese television checking out the remains of the once mighty Soviet Union. It was outside the town of Sillamäe, near the border with Russia. We literally walked into a glowing tailings pond, only metres away from the Baltic Sea. No guard, no sign, no fence. Anybody from anywhere could have ended up there, just as we did.

The Sillamäe waste dump was visited by the National Geographic magazine later the same year. One picture in the August 1994 issue showed a guy in full body protective gear holding a Geiger counter, which was showing the over-the-top radiation there. They knew where they were going — we did not. We just arrived without any protective gear. A large amount of high-level waste was sitting there, abandoned. With the collapse of the Soviet Union, no one seemed to know what to do with it.

Any reactor, even a so-called ‘new generation’ one, produces deadly waste which has to go somewhere and be stored for a very, very long time. How we think we can guarantee it will be looked after safely is beyond me. Australia has existed as a Western civilisation for only a couple of hundred years. This deadly waste will remain deadly for much longer than that, longer than the longest ‘civilisation’ we have ever had so far. It is fine for Jim Lovelock, the father of the Gaia concept and a nuclear proponent, to say that he is happy to have high level waste in his backyard, but he will not be around for tens of thousands of years, will he?

Irresponsibility is what a nuclear powered society is all about. It can only survive on the sacrifice of the host community, which has to live with constant fear, the physical sacrifice of workers, and by dumping the deadly waste on future generations.

How dare we?

(New Matilda #117, Wednesday 22 November 2006 )

Thursday, November 23, 2006

銀輪議員/on your bike.

米中間選挙の結果のひとつで大手マスコミが取り上げないニュースをもうひとつ。

APによれば、自転車「党」(といってもこちらは正式な「党」じゃなくて、巨人「党」とか、ああいう乗り,ですけど)というか,銀輪族というか、自転車の重要性を認識する政治勢力も民主党の躍進で,大きく躍進しそうです。
自転車「党」の議員(全員,民主党、ですね)で、ミネソタ選出のジム・オバースター(Jim Oberstar)は、90年代から自転車道の設置など,様々な自転車関連プロジェクトに連邦予算を獲得した実績のある人ですが,議会の交通委員会の委員長に就任する見込みです。昨年は自転車や徒歩通学を奨励する「Safe Routes to Schools」プログラムの実施に大きな役割を果たしました。

かつて自転車整備士をしていたこともあるオレゴン選出のピーター・ディファジオ(Peter DeFazio)議員は,道路や橋などを担当する議会の陸上交通小委員会の委員長に就任する予定です。やはりオレゴン選出でキャピタルヒルいちの銀輪族と言われるアール・ブルーナウアー(Earl Blumenauer)は交通委員会,もしくは歳入委員会の要職に就任の予定。

公共交通や自転車の重要性を認識した人たちが委員会の要職に就くことは、これだけで,クルマどっぷりのアメリカの交通政策が一夜にして変わることはないと思いますが,それでも、すこしはましになるのではないかと期待しちゃいます。

日本の国会ではどうなんでしょう、銀輪族なんているのでしょうか。

Wednesday, November 22, 2006

山頂にて/world oil production in November.

世界の石油生産の現状を示す数字が米エネルギー省のEIAから発表されました。それをオイルドラムのケバブがグラフにまとめています。
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オイルドラムより)

高原状態なのか頭打ちと言うのか,通常原油(原油とコンデンセートをあわせた数字)の生産は昨年12月にくらべ1億バレルほど低下しています(一番グレーな部分)。それより,ちょっと薄いグレーが天然ガスをあわせたものです。一番薄いグレーは、その他のタールサンドやオリノコ原油やエタノールなどをあわせた数字です。これらの数字はちょこっと伸びていますが,これらはエネルギー収支が高く(したがって経費もかかり)通常原油や天然ガスの減耗を緩和することはできるかもしれませんが,穴埋めにはなりません。

グラフにはいろいろな人の予測が重ねられていますが,一番現実に近いのは薄緑色の線です。これは2003年にアリ・サムサム・バクティアリが予想したものです。これらの予想の中では一番古いもので2002年のデータに基づきながら,これまでのところ、一番正確です。バクティアリについては下記のエントリーを参照ください。

ハッピー・オイル・ピーク・デイ!?/Happy Oil Peak Day!?

ピーク以後の生き方/what solution?

余剰能力はもうどこにもない/no spare capacity

いっちゃん能天気なのが紫色の線です。どこまでも右肩あがりの上昇線を描いていて、ため息が出そうになります。これは日本のマスコミでもしばしば引用されるケンブリッジ・エナジー・リサーチ・アソシエーツ(CERA)のものです。設立者のダニエル・ヤーギンはピューリツァー賞を受賞した人かも知れませんが,すでにこんだけはずれていたら,信用しますか?しかも,これが2006年の予想ですよ。

誰の言うことが現実に近いのか,そして,現在という瞬間が歴史的にどこにいるのか,このグラフは如実に示しています。明日は昨日までのように右肩あがりにはいきません。自分の生活がどれだけ石油に頼っているのか、まず足下から見直してください。他人事じゃないんだから。

25基の原発/new clear haze.

ハワード首相の肝いりで発足した「原子力政策タスクフォース」の中間報告が発表されました。原発の経済性について,予想通り,石炭に温暖化のコストを転嫁し、相対的に高くしなければ太刀打ちできないとしています。しかし,温暖化は深刻であり,切り札は「げ」の字しかない。温暖化に真剣に取り組むつもりなら,最初の原発は,建設から10年から15年で建てられる。そして、2050年までに25基の原発、国内の電力需要の3割が担えるだろう。とまあ、勇ましい結論です。
報告書はウランの濃縮の可能性についても言及しています。現在は掘り出したイエローケーキを輸出するだけのオーストラリアですが,いよいよ、濃縮から「げ」の字、そして廃棄物の貯蔵まで含む、核サイクルに踏み出しそうです(外国から廃棄物を「輸入」することは禁止されていますが,それを解除する法案が来週,国会を通過する予定)。1年近く前に書いた記事の予想通りなので,ちょいとくらくらしそうです。興味のある方は下記の記事,ご参照ください。
参照:核サイクルへ加速するオーストラリア/Welcome to the new clear daze!

世界で確認されるウランの40%を抱え,現在は30%くらいを生産する国だけに、道義的には「げ」の字に進むことは何の問題もありません。どころか輸出したウランから生じる廃棄物まで面倒をみるのが筋ではないかと思います。最近は中国とのビジネスに深入りしていると言われるボブ・ホーク元首相は、核廃棄物はカネになると発言しています。推進者たちは、道義を枕に,だから廃棄物を受け入れましょうって方向ですが,もちろん,自分は、そこまでやる覚悟がないならウランを掘り出すなって方向です。

そして今回の報告書の殺し文句は温暖化です。つい最近まで,温暖化や気候変動を気にすることもなかった政権が、「げ」の字に踏み込まなけりゃ,温暖化対策とは言えない。そう言って,腕をねじ上げようとしています。

電力の供給は現在のところ州政府の管轄であり,連邦政府が決めたからと言って,原発がすぐに建設されるわけではありません。そして,州政府は今のところ,労働党がすべて握っており,今回の報告にも否定的な反応です。州政界の野党の保守勢力も冷ややかな反応です。いくつかの州では、原発禁止を州法で決めているところもあります。

しかし,だからといって原発が建てられないかと言うと,ことはそう簡単ではありません。

ひとつは数週間前,連邦最高裁が連邦政府の導入した雇用法に下した合憲判決です。雇用関係も,電力供給や鉱業認可と同様,これまでは州政府の管轄であると考えられていたエリアです。連邦政府の導入した雇用法は連邦憲法違反であると州政府は訴えたのでしたが,ハワード政権に任命された裁判官たちはこれを合憲としました。この判決の意味は大きく,オーストラリアの連邦制度を根底から覆すかもしれません。電力供給=原発、そして,ウラン採掘の是非もすべて,連邦政府が州政府の決定を覆すことができることを意味します。すでに,マクファーレン産業大臣はその可能性を示唆しています。「州政府が気候変動に真剣に取り組まない(=原発を受け入れない)なら,連邦政府がやるしかない」と言って。

もちろん,もっとソフトな道筋もあり得ます。ひとつの州が政権交代などにより,誘致に名乗りをあげれば、連邦政府は手厚い援助(=金)を差し出せばいいだけです。それぞれの州を競争させれば,われもわれもと原発の誘致に名乗りを上げることでしょう。日本でも隣り合う自治体を競争させるってこと,ありませんでしたっけ?


そんなこんな、予想通りの展開ではありますが,オーストラリアは時代遅れな核時代へ邁進しそうです。1950年代ならともかく、いまさらなあ。

(自分はこれまでにカカドゥ国立公園の中にあるレンジャー鉱山から,エストニアのシラマエにある高レベル核廃棄物貯蔵施設,そして,その間にある原発をいくつも見学し,そこで働く人や地元の人,科学者や電力会社の人間,大臣から官僚、いろいろな人に話を聞きました。そうした核経験を雑誌,ニュー・マチルダの最新号に書きました。エーゴで、しかもカネを払って購読しないと読めませんが,興味のある方はご覧ください。
http://www.newmatilda.com//home/getArticle.asp?NID=277&AID=1940)

Tuesday, November 21, 2006

山が燃える/bushfires rage.

先週の月曜、隣町の近所で落雷発火した山火事が燃えています。
いまのところ、家屋や人間へ直接の被害は出ていませんが,これまでに国立公園を中心に2000ヘクタールが燃え,風向き次第では隣町やうちの近辺もやられそうです。本日,麓では気温が40度を越し,山の上でも日陰で32度。

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シドニーモーニングヘラルド紙より)

うちの近辺だけでなく,西のオベロンやシドニーの北でも火事が発生しているほか,南オーストラリアやビクトリアでもかなりの数の山火事が燃えています。南オーストラリアでは4000人を超す消防団が投入されているそうです。まだ11月だというのに,まるで夏本番。乾ききった大地を火事が吹き荒れそうです。

もう,山火事は何度も経験していますが,地平線にもくもくとわき上がる煙に落ち着くことはありません。うちの近所でも400人を超す消防団,80台の消防車,15機のヘリコプターが消火活動に当たっているそうですが、焼け石に水。住宅地への延焼を防ぐのが精一杯。明朝は,時速80キロを超す突風が予想されており,まだまだ,危機はこれからです。

今日は朝早くから雨樋にたまった葉っぱや木の枝を取り除く作業をし、庭全体に普段よりたっぷりと水を撒きました。家の中、北と西の窓やドアに火の粉が舞い込まないよう目張りをし,バケツをいくつも用意し,庭を何度も歩き回り,火が来たときに燃えそうなものを片付けます。雨樋に栓をし、いざというときには水をためる手はずも整えると,もうあたりは暗くなっています。北の方の空が不気味に焼けています。

一段落して,ビールを一杯,まだ,これから,いざという時の非難に備え,荷物をまとめなくてはなりません。

あまり,ひどくならないといいなあ。

Monday, November 20, 2006

世界の笑い者/world's laughing stock.

ナイロビの気候変動枠組条約第2回締約国会議が終わりましたが,オーストラリアは醜態をさらしたようです。

中国や途上国の温暖化ガス排出を槍玉に挙げたイアン・キャンベル「環境」大臣は、一人当たりの排出量では比べ物にならないのを棚に上げて,と総スカンをくらったようです。「京都」を拒否し,「京都以降」を語るハワード政権を、FoEオーストラリアは「気候変動への取り組みを15年間遅らせようとしている」と非難しています。

ちなみに中国は総量では13.8%(世界2位)ですが,個人あたりの二酸化炭素排出量は0.7トン程度。これに比べ,オーストラリアは総量では1.3%(15位)と微々たるものですが,一人当たりになると5トン(4位)。ものすごい量です。

「発展途上国」の「発展」云々より,先進国の人間が「便利で豊かな暮らし」をあらため、これまでの「繁栄」のつけを払うのが先ではないでしょうか。

もっとも,京都に調印していないオーストラリア代表はあくまでもオブザーバー資格だったそうで、キャンベル大臣の話を聞いていた人はまばらだったようです。

つい最近(ルパート・マードックに言われる?)まで、ハワード首相は温暖化を心配する人たちを鼻でせせら笑い、「京都」に加わることを拒否しながら、「京都2」を呼びかけるオーストラリア政府には誰も真剣に耳を傾けるものはいません。

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(11月17日付けシドニーモーニングヘラルド紙のひとこま漫画。作者:Alan Moir)


ハワード首相が「経済が大切だ」って言うのも,オーストラリアの発電の8割近くが石炭で,暮らしも経済も石炭に大きく依存しているから。これを削るなんて、よほど勇気がなけりゃ。でも,待てよ,ハワード首相が明日,「京都」を締結しても、オーストラリアは炭素排出を減らさなくてすむじゃない。

森林による吸収分を含めた計算方法を強引にみとめさせたおかげで、一人当たりではものすごい量の炭素を排出しているにも関わらず,オーストラリアは先進国では数少ない,増加(1990年に比べ10%増加)が認められているのだから。

それなのに、「京都」を拒否するのはなぜなのでしょう。政治的な理由でしょうか。同じように「京都」を拒否するアメリカに連帯しているのでしょうか。わかりません。

「京都」は拒み続けるものの,最近になり,ハワード首相は温暖化を渋々認めています。しかし、これは石炭と並ぶもうひとつの外貨獲得鉱産資源,ウランを使う原発導入への布石なのかもしれません。温暖化の対策として原発,と。

政府発注の「原発開発の経済性をめぐる報告書」が明日,発表されますが、たぶん,その中では炭素取引が導入され,石炭が割高になれば,「げ」の字にも経済的な競争力があるってな結論になるのではないかと危惧しています。

Thursday, November 16, 2006

京都でオイルピーク講演会のお知らせ/peak oil in Kyoto.

ちょいと急ですが,今月27日,京都大学で「石油資源・環境の将来を考える」講演会が開かれます。物理探査学会の主催です。講演者はASPO-International(国際ピークオイル+天然ガス研究学会)の代表,ウプサラ大学教授のシェル・アレクレット、ASPO-Australia(オーストラリアピークオイル+天然ガス研究学会)代表のブルース・ロビンソン、そして京都大学の芦田譲教授です。お近くの方はこぞってお出かけください。
ーーー以下、転載ーーー
日時:平成18年11月27日(月) 14:00~18:30
場所:京都大学百周年時計台記念館 百周年記念ホール
京都市左京区吉田本町京都大学吉田キャンパス内
参加費:無料、同時通訳付き(イヤホン無料貸出)

社団法人 物理探査学会では京都大学で開催する第8回SEGJ国際シン ポジウムの機会を利用して,広く一般の皆様を対象に一般公開講演会を 開催します.
この講演会では,2年ほど前から高価格になった石油について,なぜ価格 が高騰したのか,またこの石油の将来は我々の生活とどのように関係して くるのかをお考え戴くため,海外および国内からお呼びした講師の方々に 「石油ピークについて」と「石油ピークへの対応策」に話題をしぼったご講演 をお願いしました.この機会に、是非石油ピークについてのご理解を戴き,我々の生活を支えるエネルギーについてお考え頂きたく思います.
講演内容
1.石油ピーク:そのリスク
ウプサラ大学教授 シェル・アレクレット
2.オーストラリアにおける石油ピークの影響
石油・天然ガスピーク研究会オーストラリア世話人
ブルース・ロビンソン
3.日本における石油ピークの認識
京都大学教授 芦田 讓
4.公開討論会-石油ピークとその対策-
ーーー転載終わりーーー

Tuesday, November 14, 2006

中国とピーク/China awakes?

ピークや温暖化について,世界からの情報を追うのにここ何年か世話になっているサイトがいくつかあります。そのうちのひとつは、世界のメディアから関連情報をクリッピングするpeakoil.comです。2年ほど前に,ヒューストンのテク技術者が始めたサイトで、日本ではあまり知られていないようですが,お隣,中国ではかなり注目されているようです。

先日,このサイトの訪問者をISPを国/都市別に表示する地図が掲載されました。ピークなどの問題に興味を持ち,心配する人間がどこにいるのか,どんな人間なのか気になるところです。サイト開設者のアーロンによれば、NSAや米軍関係もかなり頻繁、定期的に来るそうです。

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訪問者は世界各地に広がっていますが、ひときわ目を引くのは北京の上の巨大な丸です。なお,円の大きさは訪問者の数に比例しています。この地図の元になった国別アクセスの表を見てみましょう。
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訪問者の数が一番多いのはもちろんアメリカ。そして、その次にカナダ,英国がきます。この辺りまでは順当ですが,驚くのはその次に中国が来ることです。しかもアーロンによれば,中国の数字は過去3、4ヶ月だけのものだそうで、それ以前には中国からの訪問はまったくなかったそうです。つまり,ここ3、4ヶ月というわずかの期間に、イギリスから過去2年間のアクセスに匹敵するほどのアクセスがあったことになります。

これはどう解釈したらいいのでしょうか。中国をズームインしてみると,以下のようになります。

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アーロンによれば,政府関係ももちろん、あるそうですが,ほとんどは大学や企業からのアクセスだそうです。

中国では12月に石油生産ピークの原点を解き明かすマット・シモンズの「砂漠の黄昏」の翻訳が出版されるそうですが、peakoil.comサイトへのアクセス急増はエネルギー政策/オイルピークへの取り組みが大きく変動する前触れなのかも知れません。

すくなくとも、ガワールがピークに達することの世界的な意味が理解されようとしていることだけは間違いありません。

Monday, November 13, 2006

さよならオーストラリア/ship a hoy.

11月9日に発表された世界各国の豊かさを計る国連人間開発指標によれば、もっとも暮らしやすい国は6年連続でノルウェーだそうです。これは世界の177カ国・地域について、個人所得だとか、文盲率、福祉や医療、寿命など人間社会を総合的に評価した結果だそうです。これによると、オーストラリアはアイスランドに次いで,第3位。
うーん。自分がいま,愛想を尽かして見切りを付けようとしているのは、公式には世界で3番目に住みやすい,豊かな場所なのか。
少々戸惑ってしまいます。

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でも、この指標、表紙からもわかるように水問題を取り上げてはいますが、ただでさえ乾燥した大陸が「千年に一度の干ばつ」に首根っこをむんずとつかまれている状態なんか,あんまり考慮していないようです。

毎日聞こえてくるのは干ばつのひどさや,淡水化プラントやダムを建てる話だとか,水のリサイクル、不作,肉や穀物,野菜、果実の値上がり,水不足から生じる話題ばかりで,オーストラリアの豊かさって,けっこう、砂上の楼閣のようなところがあると思います。温暖化とオイルピークという歴史的な現実から眺めれば,この国の暮らしやすさは底の浅いもので,とても長続きするようなものには見えません。

ちなみに、日本は7位ですが、こちらも食料自給率が4割くらいではとても心もとない状態です。今日の「豊かさ」にしても添加物のてんこもりじゃ,とても,薄っぺらく見えます。

最近の拙著を読んだ人とか,友人たちはすでにご存知かと思いますが,ここ10年ほど、「ここではないどこか」へ逃げ出したい気持ちは募るばかりです。友人と田舎に土地を買ったり,国内もあちこち,いろいろ検討しましたが、干ばつは全国的です。どこにもオアシスは見つかりません。雨が降らないと,食べるものも作れず,水や食料をめぐり,醜い争いになりそうです。しかも、この国には石炭やウランがふんだんにあります。アブラの供給が途絶えたりすれば,すぐに,そっちへ誘惑されてしまいそうです。

「二大政党制」という見せかけだけでの民主主義にもすっかり飽きてしまいました。これから,議論して、腹をくくらなけりゃならない重大な問題が山積みされているというのに,どちらの政党も似たり寄ったり、グレーな袋小路で立ち尽くしているような気分で、ため息が出るばかりです。「暮らしやすさじゃ世界第3位」の場所には,暮らしやすい明日を作り出すための政治体制も見いだせません。もう,この国には,どうにも未来が見いだせないのです。

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そんなこんなで,もう5,6週したら、この国をしばらく離れることにしました。クリスマスの翌日,シドニーを出航する船に乗る手配をちょうど終えたところです。ドイツ船籍の貨物船,というかコンテナ船ですが、これに揺られて5、6日。大陸の東岸から2千キロほど離れた島に出かけます。そこで,骨を埋める場所を探し、最低でも数ヶ月、あちこち見て回るつもりです。住めそうな場所が見つかるといいなあ。

もちろん、どこへ流れていっても,そこにはそれなりの問題があることは承知してます。でも,沈没しつつある船の上で,それにしがみついて、デッキチェアの位置をあれこれ,議論するのは性に合いません。できれば、まだ時間のあるうちに,船から逃げ出すネズミのように,ケツをまくりたいのです。

(なお,どさ回りにはピュータをもっていかないので、このブログもクリスマス以降、何ヶ月になるかわかりませんが,更新することはありません。あらかじめお断りしておきます。)

Saturday, November 11, 2006

アメリカ初の炭素税導入/just do it.

アメリカで火曜日に行われた投票で民主党が両院で過半数を占めたことは日本でも大きく報道されていますが、同じ日にロッキー山脈の麓に人口9万人ほどの町で重要な法案が可決されたことは見過ごされているようです。
MSNBCによれば、コロラド州ボルダーで、炭素税の導入が可決されたそうです。ヨーロッパではすでにいくつかの国で導入されており、日本でも導入が検討された炭素税ですが,世界最大の汚染国,アメリカで初めてだそうです。

具体的には電気の使用量に応じ,料金に上乗せという形でそうで徴収されるようで平均家庭ではひと月,$1.33、企業は$3.80 の「値上がり」になる見込み。年間に百万ドルとが見込まれる税収は、家庭や企業でエネルギー効率的な使い方を広める目的に使われるとのこと。

ロッキー山脈の麓,コロラド大学のある人口9万人ほどの学園町はこれまでにも環境問題への取り組みで名を馳せてきた場所なので、あり得ることではありますが,58%が賛成票を投じたそうです。

ボルダーはすでに「京都議定書」を独自に「採択」し,二酸化炭素の減少(90年レベルの7%減)に取り組んできました。市で排出されする二酸化炭素の半分が発電によるものであることから,今回の「炭素税」導入へとつながった、USA Today紙はそう説明しています。

なかなか動こうとしない連邦政府,国に働きかけるのは大切ですが、住民レベル、地方自治体レベルでやれることはある。取りかかれるところから取りかかれ,ということでしょうか。

Friday, November 10, 2006

マードックの豹変/at his majesty's request.

標高千メートルの高原もぼちぼち初夏の気配,それもそのはず,先月終わりから夏時間が始まりました。果物の木にはそれぞれ,小さいながらもたくさんの実がなっています。サクランボの中にはぼちぼち色づき始めたものもあり,うまくすれば,もう何週間かあとには食べられそう。
暑くもなく,寒くもない,ぬくぬくとした気候にさそわれて,あっちで草取り,こっちで種まきなど、朝から日が暮れるまで外に出ていることが多いこのごろです。冬の反動ですかね。

庭をふらふらする時のおとも、以前は乾電池式ラジオを使ってましたが,それが壊れて買い替えるときにソーラー・パネルのついたものにしました。一応、蓄電池がはいっているので,日が暮れたり,曇ったりしてもしばらくは鳴ってますが、だんだん音が小さくなり,しまいには消えてしまいます。でも、そういう時って,あんまり外へ出ないので,不都合ではありません。日のある間,庭仕事しながらラジオを聞くという本来の目的にはまったく何の支障もありません。ソーラーにしてから、乾電池を買うこともなく、捨てることもなくやってきました(唯一の難点は、庭をあちこちして、音が小さくなり,そのまま置き忘れ,夜中に雨に降られること。2台ほど、それでだめにしてしまいました)。

今日は朝からぬるま湯のような気候の中,ラジオで世界の情勢を把握しつつ,隣の公有地で火事対策作業です。ラジオからはクリケットの実況中継も聞こえてくるので,はい,これも夏の始まり。ですね。

うちの東と南には住宅が建て込んでいるので、ブッシュファイヤー(山火事)が来るとすれば,うちの西と北、ブッシュが茂る公有地のほうからしかありません。うちから15メートルくらい、枯れ枝や枯れ草、可燃物があまりない状態で夏を迎えるのが理想です。公有地なので本来はお役所が管理するべき場所ですが,他人をあてにしてはいられません。火事になってから,あれこれ文句を言ってもあとの祭りです。んで、祭りならあとよりも先の方が好きな体質だけに,火事がきてもなるべく燃えないような体質を心がけます。特に,ここ数年は干ばつの影響で,ブッシュファイヤーの季節が早まり,長引く一方なので,気が抜けません。拾い集めた枯れ枝は冬の薪用として積み重ね,枯れ草は鎌で刈り取り,集めて果樹などのマルチにする。そんな作業を繰り返します。あまり暑くなってからだと疲れちゃうので,山火事のシーズンが本格化する前に終えておきたい作業です。ほあ。

今年もすでに大陸のあちこちで山火事が発生しています。幸いなことにあまりひどい事態には至ってはいませんが、第二次大戦末期の干ばつ,そして,1901年の連邦結成当時の干ばつが比較に出されるほど、大陸は乾いています。まあ、60年に一度,もしくは百年以上に一度の規模なんてのは頼りになる記憶や記録があり,なるほどって思いますが,ラジオでは「千年に一度」って言ってます。うーん,先住民族の記憶に基づくものなのでしょうか。それとも「史上最悪」を言い換えただけなのでしょうか。とにかく、これから3、4ヶ月,どれほどの大火が乾いた大陸をなめ回してもまったく不思議ではないことだけは確かです。

干ばつの影響は山火事の恐れだけではありません。干ばつは農業を直撃しており,それにともなう食料品の猛烈な値上がりが心配されています。フツーのオーストラリア人はメシの値段が多少上がってもあまり気にかけないかもしれませんが,水と穀物で作られるビールの値段も上がりそうで,こちらにはかなり敏感に反応するのではないかと思います。

オーストラリアでは、小麦などの穀物はともかく,金になるというだけで,綿や米など大量に水を必要とする作物を無茶な取水をしながらやってきたわけで、干ばつのダメージは壊滅的です。今頃収穫の冬作穀物は1360万トン(昨年比63%減)という予想です。野菜や果物,そして肉類の生産も大幅に減り値上がりが予想されています。オーストラリアは世界でも有数の食糧輸出国なので、影響は世界的です。日本などにも牛肉や米などを安く輸出していましたが,それも過去のことになりそうです。


ハワード首相は「農家や田舎に暮らす人には同情するし,それなりの手当をするつもりだ。経済への影響が心配だ」と相変わらず,経済が最大の関心なことのようですが、農産品は金額ベースで輸出の4分の1を占めているので,経済への影響も深刻なものになりそうです。

これを機会に、たくさんの水を必要とする米や綿栽培がオーストラリアで可能なのかという議論が始まる一方,農業そのものをもっと降水量の多い大陸北部に移してしまえ、いや,大陸北部から水を引っ張ってこよう,などという乱暴な議論も出ています。

干ばつでひからびているのは農地だけではありません。

シドニーの水瓶,ワラガンバ・ダムは南部のショールヘイブン地方からパイプラインで水を引っ張ってきて,ようやく4割を保っている状態で,それをしなければ2割を切るところまで貯水量が減っており、うちの近所,リスゴーからも取水しようという話が進んでいます。メルボルンなどビクトリア州全域も水不足。アデレードやパースも青息吐息,降水量が多いイメージのタスマニアも干ばつ状態です。なのに、都市を北へ移そうという意見はなかなか聞こえません。

この壊滅的な干ばつに対処するため,ハワード首相は州政府との間で火曜日に水に関する緊急のサミット会談を開きました。火曜日は「国を止める競馬レース」と呼ばれるメルボルンカップの開かれる日(ビクトリア州では公休日)であり、オーストラリア的な伝統を無視するのかという声があったり,サミットが発表されたのが日曜日のことであり,付け焼き刃な臭いがすることは事実です。

田舎の干ばつや都市の水不足に危機感を抱いたということもあるのでしょうが,ハワード政権の気候変動に対する取り組みが変わってきていることは事実です。

スターン報告書がきっかけなのか,報告書が発表される直前に,大規模なソーラー発電所の建設が発表されました。800ヘクタールに太陽の動きををトラッキングする2万枚の鏡を配置し,年間27万MWhを発電する発電所だそうで,ビクトリア州のミルデュラに2013年の完成を目指して建設されるとのこと。これで4万5千世帯の電力を賄えるそうです。似たような規模のソーラー発電所がいくつか,各地に建設されるそうですが、詳細は発表されていません。

もっとも、スターン報告書については「オーストラリアの二酸化炭素排出は世界の1%程度。何をやろうが中国やインドが何もしなければ,すぐに帳消しになる量だ」とハワード首相。相変わらず,渋々とした調子は相変わらずです。それなら,中国やインドからの輸入を控えれば良さそうなものですが,そんなことをすれば,経済への影響が大きいだけに,もちろんおくびにも出しません。

「中国とインド」といえば、温暖化対策にはこれらの国をくわえなければだめだ、とハワード首相と同じような口にする世界の大物がいます。

世界最大のメディア網を牛耳るオーストラリア系アメリカ人のルパート・マードックです。

ハワード政権と同じように,9月末あたりからですが、これまで温暖化を心配する人たちを笑い者にしてきたマードック系のメディアが豹変しています。世界中のマードック系メディアの温暖化に対する態度も急変しています。


マードックは今週、東京で行った講演で、それがイギリスで衛星テレビを経営する息子の一人、ジェームスに言われたものだと認めています。(ちなみに、この講演,日本のメディアは取り上げていないか,取り上げても「日本での事業拡大に意欲」てなレベルでしか見ていませんが、ここでマードックはアメリカのイラク政策を支持したことを後悔しないと語ったほか、温暖化についても世界中のオフィスをカーボン・ニュートラルにすることなどを発表しています。)

マードックがそれぞれの新聞やテレビの論調に直接口を出すタイプのメディア経営者であることを考えると、世界のメディア王の変節は温暖化対策にも大きな影響をもちます。賛成するかどうかはともかく,マードック系のメディアを敵に回したいと願う政治家はあんまりいないはずです。

ハワード政権の温暖化への態度の変節には、「だから原発を」って持ち出す口実にしたい意図も見えますが、マードック・メディアと連動しているような気がします。

マードックの豹変の影響はオーストラリアだけにとどまらないでしょう。中間選挙の影響もあるでしょうが,「京都」を拒み続け、温暖化に懐疑的なブッシュ政権の取り組みにも影響を与えるでしょう。それはそれで、地球にとってはいいことなのでしょうが、市民社会にとってはどうなのでしょうね。一人の人間の見方に世界の命運がかかっているなんて,とっても前近代的な気がするのは自分だけでしょうか。

Tuesday, November 07, 2006

人生の達人に生き方を学ぶ/an old sage.

3冊まとめての3冊目は「共生共貧:21世紀を生きる道」です。
著者の槌田劭は自分の好きな作曲家,アーヴォ・ペルトと同じ年,1935年生まれだそうですから,今年71歳になる人生の大達人です。もともとは京大などで教えていた科学者ですが、1973年に第一次オイルショックの経験から,地元京都で「使い捨て時代を考える会」を結成,リヤカーを引いて古紙の回収から生活の見直しを始めた脱石油時代型暮らしのパイオニアです。
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槌田には、これまでにインタビューなどで2度ほどお目にかかったことがありますが,身のこなしの軽い仙人のようなひょうひょうとした人です。この本は2年前に京都で話を聞いたとき、1981年出版の「共生の時代」(樹心社)と一緒にいただき、それ以後,何度も何度も,繰り返し読んでいます。

なぜ,繰り返し読むかといえば,ひとつは彼が実践者であるからです。スローなんとかって言葉がはやりになっており、ねこもしゃくしもスローなんとか,パーマなんとかなんて口にします。しかし、現実にそれを実践する人はあんまりいません。槌田の場合はそんな言葉がもてはやされる何十年も前から、ちょうどパーマカルチャーがオーストラリアで編み出されるのと同じ頃から「使い捨て時代」とオイルピークを見据えた暮らしをしています。

この本はオイルピークの歴史的な瞬間を意識する人,自然の限界を悟り,その中で慎ましやかな暮らしを模索する人,パーマカルチャーをありがたがる人間にはまず読んでほしい本です。自分も彼の教えている京都精華大学へ学びにいこうかなんて思ったことは一度や二度じゃありません。

オイルピークへの対策を考えるときには大きく分けて2つの道筋があります。

ひとつは現状維持派。例えば,現在うちに2台のクルマがあるとします。ピーク以降これを維持するためにはどうしたらいいだろうと知恵を巡らせるのが現状維持派です。アブラの入手が難しくなり、値段が高くるなら,何か代替になる燃料はないか,エタノールか,バイオ燃料かそれとも電気自動車かハイブリッドか。そう思いを巡らせるのが現状維持派です。

もうひとつの道筋は、これを契機にこれまでの暮らしぶり,現状を見直す方向です。現在,2台あるクルマは果たしてそもそも必要なのだろうか。そう考えてみることです。もし、1台でもやっていけるなら,問題は半分解決したことになります。もし,多少の不便をしても、2台ともなくてもやっていけるなら,ヴォアラ,もう代替え燃料をどうしようかなんて悩む必要はなくなります。

最近も,インドで暮らしてる友人が訪ねてきて,トイレットペーパーの話になりました。73年のオイルショックのときにはアメリカだけでなく,日本でもうわさ話からトイレットペーパーのパニックになりました。みんながみんな、インド人のようにトイレットペーパーを使わない暮らしをしてりゃ,あり得ない話だよね。うーん。そのとおり。けつを拭くのに紙をつかう、トイレットペーパーが必要だ,そういうアタマがあるから、それが不足すると耳にすると大変だとパニックになる。でも,はなっから,そんなもの、必要都市内生活をしていればパニックになりようがありません。

とは言っても,人間というものは、楽をしたがるもので,いまの便利な暮らしが維持できるなら,むざむざ投げ出そうとは考えないものです。なるべくなら,いまの暮らし方を維持したがるものです。トイレで紙を使わない生活を夢見ながら,未だに自分もトイレットペーパーを使っています。しかし、オイルピークは歴史の必然です。必ず,訪れるものです。

そして、ピークの本質は食料問題です。そこまで理解しても,自分などは,大変だ、なんとかしなくっちゃ、自分の食べる分くらいは自分で作るようにしよう。そう考えるものです。

ところが槌田はこう言います。
「世に”常識”とされていることが正しいとは限らない。非常識と思えることが真実だということもある。食をめぐる常識には,そのようなことが少なくない。二十一世紀には環境と資源の限界に直面して,飢える未来が待っているだけに、食をめぐる常識には注意したい」。

そして、
「栄養水準を熱量ではかり,成人男子が一日に必要な熱量は二千四百キロカロリーなどと言われる。しかし,生活の仕方の違いや体質によっても異なるものだ...機械的な数字でいのちの働きを表すことは,命の強靭さや弾力性を思えば無理である。日常生活のあり方や体質改善の努力によっては,どこまで摂取カロリーを減らして大丈夫なのか,私にはまだわからない」と告白します。

が、自身の断食をやった経験から,半分でも暮らしていけるんじゃないか。槌田はそう説きます。食糧難時代がきても,需要そのものを減らせばへっちゃらだ、と。そっちへ向かうのです。一日千キロカロリーでやりくりできれば,従来の食糧供給で二人の人間を養うことができる。槌田はそう言います。そういう言葉を目にすると,何のかんの言っても自分を含めて,人間ってのは現状維持派なんだなあと認識します。

槌田は自分自身のエネルギー需要をどこまで削れるか,それをまるで楽しむかのように、苦しそうな様子もなく,軽々とやってしまいます。すごいなあ。いい加減な自分には、断食はとてもできそうにありませんが,少しずつ、食べる量やエネルギー消費を減らしていこうと心がけています。そして,できるかどうかわかりませんが,いつの日か,仙人のような槌田のいる場所にたどり着ければいいなあと思います。

Saturday, November 04, 2006

バイオ燃料は切り札か/biofuel=biodisaster.

バイオ燃料がピーク以降の時代の切り札的存在として世界各国で盛んに開発が進んでいます。以前にも書きましたが,村とか部落単位とか小規模なものならともかく,海外から輸入したり輸出したりということになると,これはもう,本末転倒、環境破壊にほかなりません。
署名の締め切りまであまり時間がありませんが,バイオ燃料議論への参考資料ということも含め,Global Forest Coalitionのシモーン・ロヴェラからの要請(エネルギーブレティン経由)を訳出しておきます。賛同する方は下記へメールをお送りください。

ーー
親愛なるみなさま、
バイオ燃料の危険性について、気候変動枠組み条約会議へ送る手紙を下記に付します。バイオ燃料を輸出用に大規模に生産することは、環境や社会に悪影響をもたらすものであることから,バイオ燃料の輸出入に対する助成金など不公平な支援全ての即時撤廃を要求します。地域や国単位でのバイオ燃料生産には、持続可能な形態があるかもしれないことは認めるものの,バイオ燃料の生産が先住民族や地域社会、生計に否定的な影響をもたらさないよう,厳重な規則と実効措置がとられることを求めます。
この手紙への署名を集め始めたところですが,賛同される団体,個人は11月4日までに(simonelovera@ yahoo.com)へその旨連絡ください。この件について、意見も歓迎します。
よろしく。

シモーン

---
下記に署名するNGO、先住民族団体,農民運動,そして個人は、気候変動枠組み条約会議の参加者に対し,バイオ燃料の輸出入に対する助成金などの不公平な支援の全てを即時撤廃することを要求します。

バイオ燃料の地域社会レベルにおける生産と消費は、発展途上国において、特に地方の女性の持続可能な生計において重要な役割を果たすであろうことを我々は認めます。小規模で、しっかりと管理された持続可能な形であれば,国家レベルにおいても、バイオ燃料は有益でありえます。しかし、バイオマスの消費と生産のありかたは、地域社会との関連で慎重に分析されなければなりません。それは、持続可能な生活様式を維持し、それを強化する適応可能な方法を取り入れるべきで,需要の増加や社会経済的な状況の変化につきものの健康への悪影響や、副作用を避けなければなりません。ソーラー・エネルギーは伝統的なバイオマスにとって代わる持続可能な選択肢であり得ます。

バイオ燃料の国際的な取引は食糧自給や、地方の暮らし、森などの生態系に否定的な衝撃をすでに引き起こしています。しかも、これらの悪影響は急速に蓄積するものと見られています。バイオ燃料を輸出向けに大規模に生産することは、木やサトウキビ、トウモロコシ,ココヤシ、大豆などの作物の大規模な単一栽培につながります。これらの単一栽培は、すでに世界中で地方の人口減少や森林伐採の最大の原因になっています。バイオ燃料源としてのこれらの作物への需要が急速に高まれば,次のような事態が生ずることは避けられません。

●土地の奪い合いがすすみ,土地集中や小規模農家駆逐,森などの生態系の広範囲にわたる農地化が更に進行する。

●現在食糧の生産に使われる耕地が燃料作物の生産に転用される結果,食品の価格は目の玉が飛び出すほど高騰し,社会の最貧層をさらに貧しくさせ,飢えや栄養失調を引き起こす。
●地方における失業と人口減。
●先住民族や地域社会の伝統、文化、言語、精神的価値の破壊。
●人間の健康や生態系を悪化させる農薬の広範な使用。
●流域の破壊と川、湖や水系の汚染。
●かんばつなど、地域的な気候の劇的な変化
●遺伝子組み替え作物が広範に使用されることから巻き起こされる先例のない危険。

これらは特に女性や先住民族に悪影響を及ぼします。経済的に底辺におかれ,水や森といった天然資源に依存する人たちを直撃します。

バイオ燃料は、災害を作り出すことに他なりません。(潜在的な)生産国の既存の法的な拘束力、標準、規則や取り締まり体制は、上記のような影響を防ぐには全く不十分です。バイオ燃料の国際的な需要は、マレーシアやブラジルといった主要供給国の生産をすでに上回っており,ココヤシやサトウキビのように有害な作物の生産拡大を大きく促進しています。生産国のNGOや社会運動は、上に述べたような社会や環境への悪影響は大規模な単一栽培には避けられないことであることを強調しており、これらの作物を「責任ある形で」単一栽培する可能性をすでに拒否しています。

バイオ燃料の輸出入にはどこもグリーンなところがないばかりか,持続可能でもありません。我々は先進各国に、植民地主義の一形態にすぎない形で途上国の地域社会や先住民族の土地や生計を破壊するのではなく、みずからのエネルギー消費を持続可能なレベルに下げ、これまでそうした行動をとらずに積み重ねた環境への負債を支払い、ソーラー・エネルギーや持続可能な風力エネルギーへの投資を劇的に増やし、地球の気候システムを破壊してきた責任をとるよう求めます。

我々は全ての政府に対し,国レベルにおけるバイオ燃料の生産が先住民族や地域社会の生計や生態系を破壊しないようにすることを確約するよう、環境と社会的な標準や規則を作り上げ,実効することを求めます。企業は生産から発生する社会的な損害,環境的損害に対し責任をとるよう厳格に求められるべきであり、もし,企業が環境や労働法に違反した場合、速やかに起訴されなければなりません。
Signed (as of 30/10):

Global Forest Coalition
Pacific Indigenous Peoples Environment Coalition
Institute of Cultural Affairs, Ghana
Oilwatch
Red America Latina Libre de Transgenicos
Elsa Nivia
RAPALMIRA
RAP-AL Colombia
Acción Ecológica, Ecuador
Instituto de Estudios Ecologistas del Tercer Mundo, Ecuador
Fundacion para la Promocion del Conocimiento Indigena, Panama
FASE-ES, Brazil
Ecological Society of the Philippines
Forest Peoples Programme, UK
Asociacion Indigena Ambiental, Panama
Worldforests, Scotland
Bhartiya Kissan Union
Robin Wood, Germany
Sarhad Conservation Network, Pakistan
Centre Internationnal d'Etudes Forestières et Environnementales, Cameroon
Onehemisphere, Sweden
WALHI/Friends of the Earth-Indonesia
KEPS/HKCA, Pakistan
Munlochy Vigil, Scotland
Grupo de Reflexion Rural, Argentina
Timberwatch, South Africa
Fundacion Ambiente Total del Chaco, Argentina
Corporate Europe Observatory
Costa Carrera, Chile
Tom Lines
Rob Law

(原文)
Please find below an alert to the Conference of the Parties of the Framework Convention on Climate Change on the risks of biofuels. The letter calls upon governments to suspend all subsidies and other forms of inequitabe support for the import and export of biofuels, in the light of the negative environmental and social impacts caused by the large-scale export-oriented production of biofuels. While recognizing that some forms of locally and nationally oriented biofuel production could be sustainable, the letter also calls for strict regulations and effective enforcement measures, to ensure biofuel production at the national level does not impact negatively upon Indigenous Peoples and local communities, and their livelihoods.
We just started gathering signatures to this letter. Please let us know before Saturday 4 November (at simonelovera@ yahoo.com) if your organization is willing to support it. Other feedback is welcome too.

Simone Lovera
Campaigns coordinator
Global Forest Coalition

Bruselas 2273
Asunción, Paraguay
tel/fax: 595-21-663654
www.wrm.org.uy/GFC/
Email: simonelovera@ yahoo.com

The undersigned NGOs, Indigenous Peoples Organizations, farmer’s movements and individuals call upon the Parties to the Framework Convention on Climate Change to immediately suspend all subsidies and other forms of inequitable support for the import and export of biofuels.

We recognize that the local production and consumption of biomass plays an important role in sustainable livelihood strategies of, in particular, rural women in developing countries. Certain small-scale and strictly regulated sustainable forms of biofuel production can be beneficial at the national level. However, the modalities of biomass consumption and production must be carefully analyzed in conjunction with communities, to introduce adaptive measures that will maintain and enhance the patterns of sustainability, while avoiding negative impacts on health and the adverse effects inherent to increases in demand or changes in socioeconomic settings. Solar energy often offers a sustainable alternative to traditional biomass.

Meanwhile, international trade in biofuels is already causing a negative impact on food sovereignty, rural livelihoods, forests and other ecosystems, and these negative impacts are expected to accumulate rapidly. Large-scale, export-oriented production of biofuel requires large-scale monocultures of trees, sugarcane, corn, oilpalm, soy and other crops. These monocultures already form the number one cause of rural depopulation and deforestation worldwide. The rapidly increasing demand for these crops as a source of biofuel will lead to:
• increased land competition leading to further land concentration, the marginalization of small-scale agriculture and the widespread conversion of forests and other ecosystems;
• arable land that is currently used to grow food being used to grow fuel, leading to staggering food prices and causing hunger, malnutrition and impoverishment amongst the poorest sectors of society;
• rural unemployment and depopulation;
• the destruction of the traditions, cultures, languages and spiritual values of Indigenous Peoples and rural communities;
• the extensive use of agro-chemicals, which deteriorate human health and ecosystems
• the destruction of watersheds and the pollution of rivers, lakes and streams;
• droughts and other local and regional climatic extremes; and

• the extensive use of genetically modified organisms leading to unprecedented risks.
These effects will have particularly a negative impact on women and Indigenous Peoples, who are economically marginalized and more dependent on natural resources like water and forests.

Biofuels are a disaster in the making. Existing legally binding standards, regulations and enforcement mechanisms in the (potential) production countries are absolutely insufficient to prevent the above-mentioned impacts. International demand for biofuels is already surpassing supply in key countries like Malaysia and Brazil, giving an important push to the expansion of destructive crops like oil palm and sugar cane. Initiatives to produce these monocultures “responsibly” are rejected by many NGOs and social movements in the production countries themselves, who have emphasized that the above-mentioned negative social and environmental impacts are inherent to the large-scale production of monocultures.


There is nothing green or sustainable to imported or exported biofuel. Instead of destroying the lands and livelihoods of local communities and Indigenous Peoples in the South through yet another form of colonialism, we call upon Northern countries to recognize their responsibility for destroying the planet’s climate system, to reduce their energy consumption to sustainable levels, to pay the climate debt they have created by failing to do so until now and to dramatically increase investment in solar energy and sustainable wind energy.
We also call upon all governments to develop and effectively enforce environmental and social standards and regulations that ensure that national biofuel production industries do not destroy the livelihoods and ecosystems of Indigenous Peoples and local communities. Corporations should be held strictly liable for any social and environmental damage that has occurred and they should be effectively prosecuted if they do not uphold environmental and labor laws.


Signed (as of 30/10):

Global Forest Coalition
Pacific Indigenous Peoples Environment Coalition
Institute of Cultural Affairs, Ghana
Oilwatch
Red America Latina Libre de Transgenicos
Elsa Nivia
RAPALMIRA
RAP-AL Colombia
Acción Ecológica, Ecuador
Instituto de Estudios Ecologistas del Tercer Mundo, Ecuador
Fundacion para la Promocion del Conocimiento Indigena, Panama
FASE-ES, Brazil
Ecological Society of the Philippines
Forest Peoples Programme, UK
Asociacion Indigena Ambiental, Panama
Worldforests, Scotland
Bhartiya Kissan Union
Robin Wood, Germany
Sarhad Conservation Network, Pakistan
Centre Internationnal d'Etudes Forestières et Environnementales, Cameroon
Onehemisphere, Sweden
WALHI/Friends of the Earth-Indonesia
KEPS/HKCA, Pakistan
Munlochy Vigil, Scotland
Grupo de Reflexion Rural, Argentina
Timberwatch, South Africa
Fundacion Ambiente Total del Chaco, Argentina
Corporate Europe Observatory
Costa Carrera, Chile
Tom Lines
Rob Law

Tuesday, October 31, 2006

沖縄ロハス/a slow life.

3冊まとめて感想の2冊目は、「沖縄ロハス(ウチナーロハス)」。
知事選たけなわ,パトリオットミサイルが配備されたことを「県民は喜んでもらいたい」と防衛庁長官が発言してはばからない沖縄に関する本です。こんな政府をいつまで我慢しなけりゃならないんでしょうね。本当に。ふざけんじゃねえ。あたしゃ、我慢しませんよ。

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といっても,「沖縄ロハス(ウチナーロハス)」の本の視点はそういう政治的なところではなく,もっと地に足がついたものです。あたしはオイルピーク時代という観点から,とても楽しく読みました。ピークの到来はわかったものの,それじゃ,どうしたらいいのか,という次元で参考になる一冊です。

内容は盛りだくさんです。

●沖縄野菜
●パーマカルチャー
●沖縄農業
●かりゆしウェア
●沖縄マングローブ
●泡瀬干潟
●ウチナースローフード
●循環型社会の礎

自分は沖縄に行ったことは片手で数えられるほどしかありません。いつもいつも、夜な夜な泡盛と三線に撃沈され,何がどうやら,むにゃむにゃで、あんまり覚えておらず、決して「専門家」じゃありませんが、それなりに、よだれの付いたメモをたどりながら,いくつか沖縄に関するラジオ番組を作ったり,エーゴでオキナワに関する本も書いたりしてきました。そんな素人の視点から「沖縄でパーマ」について,この本で書いています。

さて、沖縄といえば、泡盛もそうですが,おいしい食べ物をいつも思い出します。
スバにゴーヤ、いもに島豆腐,チャンプルーにンブシー、ヤギに豚にイカにグルクンなどなど。書いているだけでよだれが出そうになります。

でも、筆者のひとりで沖縄・奄美スローフード協会を発足させた田崎聡のによれば、「2002年の日本の食料自給率は先進7カ国の中でもっとも低く,その中でも特に主食の米や穀物の自給率は,沖縄県で2.2%と極端に低くなっている。野菜類は32.5%とはなっているが全国に比べても一番低い数字である」ということです。

うーん,そうか,沖縄で口にするものって、たいていはどこか,よそからもってきたものだったんだ。アブラが減耗していくこれからの時代,島の食料事情は大変そうです。

でも「しかし,私たちはもう一度,スーパーもコンビニもまったくなかった時の沖縄の食生活を思い出して,あえて休日,ゆっくり子供と畑に行って野菜の収穫をしたり、郷土料理を作って楽しむと言ったことを実践していかなければ,長寿=沖縄のコンセプトを維持していくことは不可能であろう」と考え,行動する田崎のような人間がいることは貴重です。

この本は沖縄という場所でどんな食物が育てられるのか,どんな食べ方ができるのか,衣食住はどうなのか、ゴミはどうすればいいのか,そういう生活の根源的な部分に光を当てた本です。アブラ時代の到来前,自給していた時代を照射したりしながら,現状をあぶり出し,これから,何ができるのかを問いかけます。

考えてみりゃ,アブラがじゃぶじゃぶと使えるようになる前,それぞれの人間の生存は,衣食住の生産から「ゴミ」の処理まで,それぞれが暮らすバイオリージョン(これは「江戸時代の国」にほとんど一致するようです)でやってたわけで、それは沖縄に限ったことじゃありません。自分の出身地の信州や、この本を編集した天空企画の智内の出身地である伊予でも、江戸でも下野でも、それぞれの地域で手に入る自然資源を融通し,慎ましくやってきたわけです。

ピーク以降の暮らし方は近代国家の単位ではなかなか編み出せないと思います。だって,近代の「国」そのものがアブラに浮かんでいるんだから。東京から沖縄までって、台湾や韓国から沖縄までより遠いんだから。そういった物理的距離を圧殺できたのは、安いアブラのおかげなんですから。

もちろん、丸ごと昔に戻るということはあり得ませんが、安いアブラがじゃぶじゃぶ手に入る時代が終わるにつれ,昔の知恵は思い起こされなければなりません。「日本」という国の中で一律な食品や一律なやり方が通用するようになったのは、産業化、近代化以後のことであり、その前にはそれぞれの地域で,身の丈にあった「自給可能な時代」があったわけです。

ピーク以降の時代の処方箋はそれぞれの地域,場所によって違います。気候,風土が違うからトーゼンです。グローバリゼーションの対局として再ローカル化が言われていますが,各地について一冊,早急にこういう本が書かれることが対策のひとつでしょう。たとえば、「信濃の自給」とか、「江戸の自足」,「伊予の生存」とか、これをきっかけに、それぞれの地域で近代化(安いアブラ)以前の暮らし方を地域ごとに見直す生活を見直す本ができるといいですね。

地域の特産品が生まれたのは何も観光客目当てだったからじゃありません。その地域ごと、気候や風土にあわせ,育ちやすいものを育て、それを保存し,食べるというように、地産地消の文化の中から自然に生まれてきたものです。まだ,記憶の残るうちに、各地の衣食住の文化を眺めることは,ピーク以降の時代の暮らし方の参考になることは間違いありません。

この本は,それを自覚させてくれます。そういう観点から,オキナワにキョーミのない人にもこの本はとてもおすすめです。

(ただひとつ、難癖を付けると,帯の売り文句「自然とともに生きる。リアルなロハスは沖縄にある」ってのは気になります。というのも,パーマカルチャーだとかロハスだ,スローあーだこーだと口にする人たちがケータイに縛られ,新幹線やヒコーキを疑問をもたずに利用して,せかせかとしているのを目にしているからです。スローなんとかとかロハスとか,環境を本気で気にするなら,まずヒコーキをやめろ。沖縄へも本土から行くなら,えっちらおっちら船で行ってこそスローでしょ。んな苦言を呈してみたくなります。もちろん,誰でも,いますぐ取りかかれるわけじゃないけど,できるところから,ギアをひとつずつ落としていかないとね。)ほい。

Sunday, October 29, 2006

濃縮ウラン弾?/the sick wind blows.

イスラエル軍がレバノン戦でアメリカ製のバンカーバスターや燐弾を使用したことは自ら認めているが,中東専門家のロバート・フィスクはインディペンデント紙(28日付け)で,ウランを使用した新型爆弾を使った疑いがあることを報じている。

フィスクによれば,イスラエル軍が使用したのは,いわゆる「劣化」ウラン弾ではなく、より放射能の強い「濃縮」ウランを何らかの形で使用した新型兵器ではないかと見られている。

欧州議会の設置した「欧州放射線リスク委員会(ECRR)」のクリス・バズビー博士の報告書は、レバノン南部のKhiamとAt-Tiriにイスラエルの爆撃でできた2カ所のクレーターから採取した土壌サンプルから、ウラン同位体の集積が確認されたとしている。同位体比は108で「濃縮」ウランの存在を示しているそうだ。

バズビー博士らは「濃縮ウラン」弾の可能性として,小さな核分裂装置を伴う実験兵器,もしくは劣化ウランの代わりに濃縮ウランを使用したバンカーバスターではないかと報告している。

イスラエルのハアレツ紙(28日付け)は外務省スポークスマンの言葉を引用し,「イスラエルは国際法に合致する合法的な兵器,弾薬を使用している」と言っているが、これはフィスクが指摘する通り、まったく答えになっていない。以前にも取り上げたが、DIMEなど、国際法に制約される前の新型爆弾であれば,やりたい放題やっても「合法」だからだ。ガザで使用されたDIME同様、どこでこの新型爆弾が開発され,イスラエル軍はどんな経路でそれを手に入れたのか,気になるところだ。レバノンも、誰かがどこかで開発した新型兵器の実験に使われたのかもしれない。

ガザでもレバノンでも、イスラエル軍は国境の向こうであれば、非武装の民間人であろうが、実験のターゲットにすることをまったく厭わないが,Khiamは国境の向こうと言っても、わずか2マイル(3.2キロ)ほどだ。放射能を帯びたほこりや塵は、風向き次第で,簡単に自国領へも到達する。「濃縮ウラン」兵器の使用が事実とすれば,イスラエル軍は自国民の健康すら気にかけていないことになる。「ならず者国家」の国民は国境のこっちにいても、ちっとも安心することはできない。

Saturday, October 28, 2006

ピークオイル・パニック/Half gone.

こもんずの地主、高野さんが提唱した「3冊まとめて」って書こう書こうと思いつつ3冊たまらず,やっと3冊たまったぞと思ったらあのコラム,どこかに行っちゃったようですねえ。
あらあら。

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なので,一冊ずつ紹介していきます。まずは作品社から出版の翻訳もの、「ピークオイル・パニック」から。原本はジェレミー・レゲットの「ハーフ・ゴン/Half Gone(半分終了)」です。
もう何年も前から,オイル・ピークと地球温暖化が気になって仕方がありません。これらが人間社会を直撃する2つの危急の課題だとか、なるべく客観さを気取り、あんまり扇情的にならないようにしているけど,本当は膝ががくがく震えて,時には言葉にすることもできず、絶望の淵でどうしようもないほど落ち込んでしまうこともあります。

そういう直接の怖さもありますが,もうひとつ、何で,みんな,ヘーキな面してるんだろうってレベルでの怖さもあります。自分のような未熟者がこれほど苛まれてるってのに,一緒に仕事したり、尊敬するジャーナリストやライターや報道者たちは気にならないのだろうか。なぜ声を上げないのだろう、って不思議で仕方がありません。そのレベルの怖さも相当なものです。

まあ、温暖化などのもたらす気候変動に関しては米国とオーストラリアを除き,世界中で合意ができつつありますが,ピークに関しては、いまだに認識が薄いようです。だから、地球環境を心配する人の中で,ピークを理解する人が少ないのはある程度,うーん,わかる気がしますが,ピークを語る人たちの中で地球の物理的な枠を理解している人が少ないことには、首をひねってしまいます。

今年7月にイタリアで開かれたASPO(ピークオイル研究学会)の第5回国際大会の講演者の中でも、気候変動との兼ね合いでピークを論じたのは本書の著者レゲットだけだったそうです。環境から見れば,かなりトンデモな解決方法を口にする「専門家」もいたようです。たとえば、米国政府エネルギー省の要請で通称「ハーシュ報告書」をまとめたロバート・ハーシュ。

彼は、タールサンドを掘り出せるだけ掘り出し、石炭という石炭を液化しろ、淡々とそう語ったそうです。んなことすれば,自動車を走らせる液体燃料は獲得できるかもしれませんが,地球環境がめちゃくちゃになるなんてことは、まったく頭になかったようです。超深海油田,超ヘビーなタールサンドや重質アブラとか、そんな高エネルギーな消費社会を続けていたら,地球が持たないだろうということには気づかないわけです。

そうかと思えば,世界中に原発を3000基建てれば問題解決!って、日本政府やオーストラリアのハワード政権が喜びそうな,名前を出すのもはばかるようなピーク「専門家」もいたそうです。原発で電気自動車を走らせれば,オイルピークもすっかりへっちゃらってわけです。

「げ」の字については、最近,オーストラリアでもハワード首相が入れ込んでいます。ジェームス・ラブロックやティム・フラナリーといったそれなりに影響力のある「環境専門家」たちの言説を引き,「げ」の字の推進をぶち上げています。ウランもアブラ同様,使いっきりの資源で,現状の数の原発を賄うだけでも20年以内にピークに達するだろうと言われているのに,そんなことを意に介さず、です。

おまけに、「げ」の字は温暖化には脆弱で,この夏、フランスやスペイン,ドイツなどでは猛暑でいくつもの原発が操業停止に追い込まれています。温暖化は原発なんか,簡単に停めちゃいます。な〜んの役にも立ちゃしません。

「げ」の字について、第5回大会でレゲットはみずからのプレゼンのあと、例の原発を3000基建てれば、すべての問題は解決すると前日発言した人から,ピーク以降の時代に原発の果たす役割について質問されたそうです。

レゲットは、「英国政府のエネルギー政策諮問委員会のメンバーという立場上,言葉を選ばなけれならないが」と前置きしてから、こう答えたそうです。

これからの時代に「原発に果たせる役割があるなどと考える人間は、まったく気がふれている(utterly insane)」。

まったく気がふれている。も一度,繰り返しましょうか?
まったく気がふれている。

「げ」の字推進者に対してこれ以上適切な回答はないでしょうね。

ピークをしっかりと認識する人たちでさえこのていたらく。ピークと温暖化、この2つのでかい問題がしっかり絡み合っていることを理解する人がそれだけ少ないってことかもしれないし,その恐ろしさが身にしみていないってことでしょうね。だから、この2つを人類が直面する「最大の大量破壊兵器」とするレゲットの著作は貴重です。

そして、「最大の大量破壊兵器」に直面する人類の前に立ちふさがる勢力は強力です。

ピークへの対策を阻むのは「京都」への合意の過程を阻み,骨抜きにしようとしたのと同じ勢力です。本書でも明らかにされるように,ひとつは石炭や石油企業(いわゆる炭素ロビー)と自動車業界です。それらが「京都」への過程でどれほど汚い手を使ったのか,本書でも数章がそれに割かれています。もっと怖いのは,ピーク問題でも同じメンツが暗躍していることです。それを思うと絶望的になってしまいます。

オイルピークがそれほどの問題なら,なぜ,各国政府は手をこまねいているのでしょうか。
本書には「二〇〇四年の夏には、もういい加減、(英国)政府だって、早期減耗問題に気がついているだろうと思ったものだ。私は英国政府の再生可能エネルギー諮問委員会に関わっていたから、政府の高官に会う機会も多く、そういう機会には、ピークオイルがいつ頃だと思うか、必ず尋ねることにしていた。問題じゃない、貿易産業省のトップに近い人間はそう言った。何も知らない、大蔵省の役人はそう答えた」と書かれています。政府の役人はそれほど無知なのでしょうか。それとも、無知を装っているだけなのでしょうか。

最近見たピーク関連ビデオ,Oil, smoke and mirrorsでは、ブレア政権の元環境大臣,マイケル・ミーチャが「もちろん、政府関係者はみんな知っている。各国政府のみんながピークをわかっている。ピークに関する政府間交渉が行われないのは,ひとえにアメリカ政府がそれを拒んでいるからだ。アメリカがそういう国際交渉を通じて,公正な取り分を決めるやり方ではなく,自分一人、軍事力でそれを確保することを決めたからだ」と発言しています。なるほど、温暖化対策の国際的な枠組みの受け入れを拒否したアメリカのことゆえ、あり得ることです。だから、ピーク問題に関する国際的な「議定書」だとか,枠組み作りは結局,残念ながら、時間の無駄になるのかもしれません。

個人的には、本書でレゲット自身の提案する解決方法について,うーんという部分もあります。例えば,レゲットはサハラ砂漠にソーラーパネルを並べれば電力は賄えると書いています。それは「げ」の字なんかよりずっといいことは間違いありません。でも、それだけの電力がもともと必要なのでしょうか。

レゲット自身,ピークが根本的にはエネルギー供給の問題であり,それをクリーンで持続可能なエネルギー源で賄えれば大丈夫,と考えているような節があります。それは不思議なことではなく,ピーク論者の中でも,自分の知る限り,ピークの怖さがメシの問題であると理解する人間は数えるほどしかいません。オイルピークが食糧問題だと認識するのは,自分の知る限り,「ピーク議定書」を提唱するリチャード・ハインバーグ、パーマカルチャーの創始者のデビッド・ホルムグレン、アイルランドのキンセールで「エネルギー下降計画」を策定したロブ・ホプキンス、それにメルボルンでピーク問題の主要メディアである「エネルギー・ブレティン」を編集するアダム・フェンダーソンぐらいです。

それらは差し引いても,レゲットの本はピークって何だろうという人にはぜひ、読んでほしい本です。

同書に関するページ。

ビーさん,p-navi info
sgwさん、「ん」
益岡さんのページ
アマゾンのページ

Thursday, October 26, 2006

歴史的な瞬間/world oil production in Oktoober.

2006年10月の世界アブラ生産事情をtheoildrumのKhebabがまとめています。
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この労作をみるとEIAやIEAの報告や見通し,そして、これまでにもここで紹介したピーク論者の予想が一目で俯瞰できます。ここで何度も取り上げている元国営イラン石油会社副社長でありイラン史講師(テヘラン大学)のアリ・サムサム・バクティアリの予想がかなり現実に近いですね。

今年はアブラ価格がこれまでの最高値をつけたにもかかわらず,2004年以来の頭打ち状態が続いています。生産は2005年12月を上回ることがありません。私たちはオイルピークという歴史的な瞬間を生きているのかもしれません。

まだ,それを実感できずに,右肩あがりな将来を思い描く人は、このグラフを凝視してください。

Wednesday, October 25, 2006

いちばんいいこと/down my spine.

大げさなイントロに続いて,そんな一説で始まる十代の切なさを歌う曲(”Shivers”, the Boys next door)に共鳴していた時期がある。いまはすっかり、こぎれいになった町の汚い一角に暮らしていた頃だ。近所の連中の間でも人気があったから,喫茶店にあるジュークボックスからは,何時間かに一回,その曲が聞こえてきたものだ。売れない作家や,映画監督にミュージシャン,詩人に俳優や絵描き,ジャンキーやなんかと一緒に,何杯もコーヒーを飲みながら、一日中、自分も厭きた振りをしていた。

しばらく聴いてなかったあの曲が耳に鳴り響き始めたのは数日前,晩飯を食べながら,ラジオを聞いている時だった。

「環境にいいこと,何をやっているか教えてください」とラジオのクイズ番組の司会者が聞いている人に呼びかけていた。クイズ参加者はそれぞれ、風呂やシャワーの排水を庭に撒いているとか、庭で野菜を作っているとか、古紙をゴミにせず,リサイクルに出すようにしているとか,そういうことを得意そうにしゃべっていた。みんな,それなりに意識が高まり,自発的にいろいろやり始めている。それはそれでいいことに違いない。でも、誰も,人間の存在そのものを疑うものはいなかった。

夕飯の前に読んだニューサイエンティスト誌の記事がいけなかったのかもしれない。その記事は人間こそが環境破壊の元凶であるというわかりきったことを伝えていた。

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人間がいなくなりゃ,地球環境にはどれほどいいことか。タイムズ紙でも似たような図(ビッグ・ギャブのpeak energy経由)を見た。人間さえいなくなれば,絶滅に瀕する植物や動物は復活するチャンスを与えられる。1日から2日で光公害も終わり,3ヶ月もすれば大気も回復する。50年すれば,魚のストックも回復する。などなど。いいことだらけだ。

わかりきったことには違いないが、そういわれてみりゃ,人間にできる一番環境にいいことは,テメーの首を絞めることなのかもしれない。一人いなくなるだけでも,地球への負荷はずっと減る。だから、メシ食うな。息をするな。糞をたれるな。クルマに乗るな。電気を使うな。ケータイを捨てろ。ヒコーキをやめろ。その方がずっといい。人間の存在そのものが地球にはメーワクなんだ。

だから、それから、ずっと、死のうと考えている(でも,それは自分のスタイルに合わない。だから,実は厭きた振りをするだけさ)。