Wednesday, June 13, 2007

ハワードの誘惑/Howard i know.

地球がどんどん狭くなる時代のことであり、ある政策や選挙キャンペーンが他の国で採用されても不思議なことではありません。政策が人のためにも地球のためにもなるものならば、どしどしと真似られてほしいものです。

しかし、一国のリーダーが別の国の指導者になにがしかの「圧力」をかけ、政策変更を迫る、となると話は別です。

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最近出版された「ハワードの誘惑(Howard’s Seduction) 」の表紙

週末のカナダのグローブ・アンド・メール紙はオタワ発で、2006年1月の総選挙で誕生した保守党ハーパー政権の政策変更にオーストラリアのハワード首相が直接手を下した疑惑を報道しています。

グローブ・アンド・メール紙が問題としているのは先住民の自決,そして伝来土地の管理権利を認める国連先住民権利宣言です。20年以上にわたる交渉のあいだ、歴代カナダ政府は宣言の採択を目指し、各国を説いて回る立場でした。それが突然180度態度を変更したのはハーパー政権誕生から数ヶ月後、2006年5月のことです。

グローブ・アンド・メール紙は「政府筋が先週金曜明かしたところによれば」として、次のようにこの経過を伝えています。

スティーブン・ハーパー首相はハワード首相との会談の直後、ジム・プレンティス先住民族担当相を呼び、宣言支持の立場を改めるように指示した。


アメリカとオーストラリアは鉱業利権とのからみで最初からこの宣言に反対の立場であり、国連の場では孤立していました。カナダの翻意は願ってもない援護射撃になったことは間違いありません。

8月の国連人権委員会でカナダは反対票を投じます。カナダ(とロシア)の反対にも関わらず、宣言草案は人権委員会では可決され、総会へ送られましたが、結局、11月の国連総会の第三委員会の投票では、「棚上げ」にされてしまいました。

まだ政権につく以前のハーパーがハワード首相と直接顔を合わせたのは、2005年の国際民主同盟(International Democratic Union)の会議だったと言われています。国際民主同盟というのはサッチャーやブッシュ(父)などの肝いりで1983年に発足した保守党、保守政治家の集まりで、現在、ハワード首相が議長を務めています。世界の保守政治家はこの会合を通じ、意見交換をし、人的つながりを築いています。

ハワード首相は世界の保守政治家の間でスター的存在で、選挙戦術はもちろん、強硬な移民政策、追米外交政策、「京都議定書」骨抜き化など、各国の保守党からお手本にされています。金沢大学の宋安鍾は『現代思想6月号』の記事で、日本で現在進行中の「コリア系日本人」化プロジェクトの中にはハワード政権の国粋的政策の影が見えると書いています。

各国の保守政党とハワード首相の関係は、ただ単に手法をまねするとか、政策を採用することにとどまりません。その間には直接、人的なつながりがあります。

2005年、英国の総選挙で破れはしたものの、保守党の選挙参謀を務めたのはハワード首相の側近で選挙のベテラン、リントン・クロスビー(Lynton Crosby)でした。クロスビーは前述のIDUでも精力的な活動をしているほか、米共和党、台湾の国民党などにもアドバイスをしています。

カナダでは翌年1月の総選挙で、ハーパー陣営がやはり、ハワードもどきの選挙戦を展開しますが、このとき、保守党の選挙戦の相談役として駆り出されたのは、ハワード首相の選挙参謀、連邦自由党の幹事、ブライアン・ラフナン(Brian Loughnane)でした。

もちろん、ハーパー首相サイドはグローブ・アンド・メールの記事に対し「事実無根」と応えています。実際に何が語られたのかわからない密室の中でのことだけに、ハワード首相の側も否定することは間違いありません。

ハワード首相に率いられた保守陣営は4度の選挙を勝ち抜き、10年以上も政権の座にあります。最近でこそ、国内世論調査で野党党首のケブン・ラッドの後塵を排していますが、今年後半に予想される選挙本番ではどうでしょうか。

まあ、世界中に「ハワード的」な政治家や政策が蔓延し、世界がハワード化してしまえば、ハワード本人が政権にあろうがなかろうが、どうでもいいのかもしれません。

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