Sunday, February 05, 2012

ぼろぼろの地球はどこまで人口をまかなえるのか:国連報告書

国連の「地球の持続可能性に関するハイレベル・パネル(GSP)」が先月30日に出した報告書は、もっと危機感を持って読まれるべきだが,メディアの報道も受け取る人の対応にも切迫感がない。何か,別な惑星の他人事のような受け取り方だ。

報告書は「世界人口 は現在の約70億から2040年までに90億近くに増えるとみられるほか、ミドルクラス人口は今後20年間で30億人増えるため、資源に対する需要は飛躍的に拡大」すると警告している。

この報告書が予想する数字の中で,たぶん、一番人目を引くのは90億という全体の数字だろうが,最も深刻な意味を持つのは,現在約10億といわれているミドル・クラスが3倍に増えること。人口の絶対数ももちろん重要だが,それ以上の意味を持つのはその人口がどれだけメシを食い,どれだけエネルギーを消費するかということだ。ぶっちゃけると、世界の人がみんなバングラディッシュの人並みな暮らしをしていたら,問題はぜんぜんない。ところが,アメリカ人や日本人のように暮らしていたら地球が3つも4つも必要になる。

ミドルクラスの一番の問題は、自分たちが裕福な暮らしをしていることに気づかないことだ。つまり、わたしたちのこと。そこそこの暮らしをしているだけじゃないかと思い込んでいる。「絶対的な貧困に生活する人は世界人口の46%(1990年)から27%に減った」が、それでも20億の人が飢餓に喘いでいる。それなのに、今でもわれわれはエネルギーや食料を(ほとんど無意識のうちに)じゃかすか使っている。

この中間層の伸びを加味して,国連の報告書は「2030年まででも、現在よりさらに少なくとも50%の食糧、45%のエネルギー、30%の水が必要になる」とはじき出す。報告書は一体,それがどこから手に入るのかには言及していない。

今から20年足らずの間に,どこから今の5割増の食糧を手に入れらるのか。もちろん,飽食国家の無駄をなくすことでかなりの人口が養えるのは事実だが、それにも限りがある。世界の耕地面積にも限りがある。年間伐採される森林は520万ヘクタール、すでに魚の85%が乱獲、枯渇した。

日本に暮らしていると分かりにくいが、真水も世界では次第に手に入りにくくなっている資源のひとつだ。食糧を生産するためには土地だけでなく,水も必要だ。インドなどでは恐竜がいた頃にできた水にすでに手をつけている。無駄をなくし,節水に努めていっても、やはり限りがある。今の3割増の水需要をどう確保するのか。

エネルギーはどうなのか。今、世界では一日に8800万バレルの原油が消費されている。これの5割増といえば1億3000万バレル以上の原油(換算)のエネルギーが必要になる。これはいったい、どこから来るのか。

国連報告書は「世界で急増する人口の需要を満たすのに十分な食糧、水、それにエネルギーを確保するための時間がなくなりつつある」と指摘しているが、時間さえかければどうにかなるものではない。どんなに時間や金を費やし,知恵を出し,労力をつぎ込んでも解決できないことがある。使いっきりの資源は,まさにそれである。人間が使える土地や水などにも限りがある。地球には限りがある。

GSP報告は、これらの水やエネルギーや食糧が見つからなかった場合、30億の人々が貧困に追いやられる恐れがあると警告する。それだけの数の人間が生と死の瀬戸際に追いやられ,もうまかなえなくなるという意味だ。もう,収奪できる空気も,森林も,水資源も,魚もあまり残されていない。増え続ける人口を養うには,地球はすでにぼろぼろだ。そして自分はその30億の一人になるかも知れない。あなたの子供もその一人になるかも知れない。

昨今,エコ、エコとねこもしゃくしも口にする。エコってのが本来の意味で,生態系に根ざした生き方ということならば,生態系の経験は次のような事実を突きつける。

手に入るエネルギーや食糧が増える時,人間を含めた個体は増える。それが70億であり,90億の人口だ。しかし,手に入るエネルギーや食糧が減る時,それに支えられた個体の人口は減らざるをえない。人間だけが生態系の制約を受けないという理由はまったくない。人口がこのまま増え続けるということ有限な地球環境の中ではあり得ない。減らざるをえない。

問題は,いかにして,人口を減らし,特に中産階級の環境負荷を減らすかということであり,それを他人任せにすれば,きわめて非人道的なやり方を強いられることもありうる。どんな理不尽なことであれ,生態系の要求は容赦なしだ。

その実感がなければ,エコはうわっすべりする。

2030年の話だ。今うまれた赤ん坊が成人に達する前の話だ。報告書は「小手先の細工では不十分で,現在の世界的な経済危機は大がかりな改革の機会」だというが,世界中で10億といわれるミドルクラスの人間には,どこまで,それが理解できのか。あなたとわたしの生き方が問われている。

Wednesday, February 01, 2012

ネイチャー誌のピークオイルに関する記事

ネイチャー誌の1月26日号にピークオイルを認める論文が出て、そのことが話題になっている(原文はネイチャーのサイトでは有料だが、こちら(pdf)で閲覧できる)。

論文を書いたのは米ワシントン大学で気候変動プログラムの創立理事、ジェイムス・マレーと英オックスフォード大学のデビッド・キング卿(2000年から07年まで英政府の主席科学顧問)の二人。

論文は「気候変動への対策:原油生産はティッピングポイントをすぎた」というタイトルが示す通り、気候変動の専門学者からの視点になっている。
論文の主要な点は下記の通り。

●経済への波及効果が大きく、しかも直接であるため、化石燃料の消費を抑制することが火急の課題である。
●2005年がティッピング・ポイント(転換点)だった。それ以後、需要は伸び、価格が上昇しているにも関わらず、原油生産は天井(一日7500万バレル)にぶつかったかのように増えていない。
●世界経済が現在立ち直ろうとする経済危機も、原油価格の上昇が引き起こしたものだ。
●経済は、これからおこるであろう原油価格の動きに耐えられない。
●化石燃料依存から脱却することでしか、健全な経済発展は望めず、気候変動にも対応できない。
●化石燃料依存からの脱却は何十年も要するものであり、今すぐ取りかからなければならない。
●問題は原油の枯渇ではない。原油はふんだんにある。なくなるのは、これまでのような安い原油だ。
●原油市場は弾力を失い、わずかな需要の伸び、供給の不安でびくびくする。
●タールサンド、オリノコ原油、深海原油、極北原油、液化石炭なども非在来型原油は役に立たない。
●あまり騒がれなかったが、2008年からの不況は「信用危機」だけが引き起こしたものではなく、原油価格危機もその理由である。
●歴史的に見て、世界の経済成長と原油生産の間には密接な関係がある。
●原油の生産が伸びられなければ、経済も成長できない。
●気候変動への政策取り組みは鈍かったが、ピークオイルに端を発する経済の鈍化が短期的には、気候変動への対策となる。
●原油生産の減少に取り組むことのできない政府は、不況だけでなく、気候変動のもたらす壊滅的な影響をもろに被ることになる。
●各国政府は無駄を省き省エネへ更なる取り組み、石油製品への税率を上げ、クルマの制限速度を下げ、公共交通機関の奨励、再生可能エネルギー源の開発へ税制優遇などにとりかからなければならない。

内容はピークを研究してきた人にとって、何も目新しいことはないし、ピーク問題の最大の問題である食料への言及がないなど不満は残るものの、やはり、権威のある雑誌に、権威のある学者が書いたということはそれだけで、大きな意味を持つ。

また、これまではピークを研究するもののあいだでは気候変動への理解があったのに、一般的に、気候変動を研究するものにはピークへの理解がほとんどなかっただけに、この論文を契機に早急な対応に取りかかることができればいい。ひとり一人のレベルでは、飽食はもうできないことを自覚する契機になればいい。

シェルの地質学者、キング・ハバートが(アラスカを除く)アメリカのピークに言及してから56年。コリン・キャンベルとジャン・ラエールが別な科学誌、サイエンティフィック・アメリカン誌で地球全体のピークに言及してから13年、右肩上がりを夢見て、これまでどおりに石油漬けの暮らしをだらだらと惰性で続けてはいけないことが、ようやく世間でも認められたようだ。

飛行機と肥満

最近,しばらくぶりに飛行機に乗る機会があった。
ここ何年も空港に行くことすらなかったから,蛍光灯の光に戸惑いながら、よろよろと搭乗口へ急ぐ。今回利用したのは,食事や飲み物、娯楽に別途に料金のかかる格安航空会社だから、預け入れの荷物もしっかり計量され,超過分には相応の料金が徴収される。機内食にはほとんど手をつけることもなくなっていたから、それには困らなかったけど,機内がちょっと肌寒く感じたんで、毛布を借りようとしたら,それまでカネをとられるのには少し驚いた。しかもクレジットカードでないと払えないから、信用が欠如した自分のような人には毛布も借りられない。

こうした格安航空会社の参入で老舗の航空会社も、経営合理化というコストの切り詰めを余儀なくされる。クルーを労働力が安く、条件もいい加減な国から調達し,機体の整備も労賃の安い場所に移す。正規雇用はどんどん解雇され,劣化した労働条件と雇用の不安定なパートタイムと派遣に頼る。格安航空券は、こうしてうまれてくる。格安航空会社の中には,搭乗客にべつなものやサービスを売りつけ,そのあがりでコストを補うというビジネスモデルで営業するところもある。こうなると、旅客輸送会社なのかなんなのか分からなくなる。安全な運行なんか、二の次だ。老舗も格安に衣替えしたり、それができないもののなかには倒産するものも出てくる。

しかし、どんなビジネスモデルをとっても、どれだけサービスを削っても、航空会社のコストで最も大きなものは燃費だ。人件費や整備費をどれだけ圧縮しても、飛行機を飛ばさないことには航空会社ではあり得ない。

飛行機を飛ばすために、どのくらいの燃料が必要になるかについては、いろいろな要素が絡むが決定的なのは重量だ。単純に、重量が重くなればなればなるほど燃料はかさむ。だから,機内持ち込の手荷物だけのチケットが安かったりする。また20キロ以上の預け入れ荷物に超過料金が課されることになる。

いくつかの航空会社ではすでに導入しているところもあるそうだが、これから航空業界の競争がもっと進めば,搭乗客の体重にも同じルールを適用するところが出てくるかも知れない。シートベルトを締めながら,周りを見回してそう思う。体重が増えれば当然,飛行機への負荷が増し,それを運ぶために燃料もよけいに必要になるからだ。

世界人口の14%以上が肥満だといわれている。米国が肥満世界一であることは知られているが、人口の3割が肥満だといわれている。ニュージーランド、英国、オーストラリアといった英語圏の諸国も、人口の2割を超す人が肥満だ。肥満は普通,所得との関連で説明されるが、メキシコが米国に次いで肥満率が高かったり、アジアで所得の高い日本や韓国では肥満比率が低いことなどを見ると,必ずしも相関関係があるとは言えない。食事を含めた生活様式が肥満に影響しているようだ。

日本の肥満率は人口の3.2%でたいしたことはないようだが,これまでは肥満とは無縁とみられていただけに増加傾向は気になるところ。日本ではある調査によると、1950年から2007年までの間に30代の女性の体重が49.2キロから53キロに増え,同年代の男性は55.3キロから70キロに増えた。17年間に3.8キロ。男性は14.7キロ増加した。オーストラリア人の平均女性の体重は1926年には59キロからだったのが2008年には71キロと12キロ増え、男性は同じ時期に72キロから85キロと13キロ増えた。

乗客の平均体重が2キロ増えると,A380を利用したシドニーからシンガポール経由のロンドン路線の場合,3.72バレルの燃料がよけいに必要になる。現在の価格で472ドルに相当する。たいした額には感じられないが,これが一日に3便ならば1500ドル,往復3000ドル,一年では100万ドル以上とたいした額になってしまう。これまでのように、どんぶり勘定でやっていけた時代なら別だが、過当競争の激化する時代、とても見逃せすことはできない。

元カンタス航空の重役の試算によれば75キロが分岐点になるそうだ。これを超える人は,1キロあたり増えるごとに超過料金をはらい、徴収する。体重が100キロなら14.5ドル。逆に50キロなら14.5ドル割引になる。一定の体重を超える人には超過料金を課し,体重の軽い人には割引をするというシステムの導入が検討されているそうだ。

現実的な導入方法をどうするか、まだ,紆余曲折はあるだろうけれど,原油価格の高騰や業界の競争激化をみると、案外、早く導入されるんじゃないか。クリスマスや正月でごちそうを食べ過ぎ,少し太めな人が多い機内を見渡して、そんな気がした。