Saturday, September 30, 2006

山頂より:その2/ a peek from the peak #2.

面白い広告をネットで見かけたよと知らされました。
オイルピークを示す曲線を地球が転がり落ちていくのが描かれています。


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広告主は倫理的投資ファンドです。

墜落を待つな。今すぐ飛び降りろ。
燃料電池、電車,自転車などアブラの要らない交通機関に投資しろ。

自分では確認できていませんが,知らせてくれた知人によれば,ニュー・サイエンティストのサイトで見かけたそうです。

まあ,広告主がそういう傾向の会社であり、投資を呼びかける先が脱アブラ時代の交通機関なので,ありそうだとは言え,オイル・ピークを示すハバート曲線、広告でこんなふうに使われるほど一般的に認知されるようになったんですねえ。つい、何年か前までは誰も知らなかったのに。ピーク時代の認識が深まってきたということでしょうか。ひとつの兆候として,保存しときましょ。

Friday, September 29, 2006

土地利用を巡る競争の激化/fuel or food?

現代社会に暮らしていると忘れがちなことですが,どれだけ電力やガソリンがあろうと、それ自体では、直接腹を膨らせることはできません。金もそう。どれだけ金持ちでも、店に出かけたりして,それを食物と交換しないと腹は膨らみません。逆に,自宅の庭や近所の共同菜園に野菜や穀物が育っていれば,ちょっとやそっと貧乏しようがヘッチャラなものです。
何度も指摘していますが、オイル・ピーク問題の一番重要なポイントは食料問題です。穀物や砂糖、大豆を代用アブラに使おうとする要求が強まる中で,「燃料対食料」、限られた農地の利用法を巡る競争、農産物の使い道を巡る競争はますます激化しています。
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24日,ムンバイ発のロイター電はパームオイルや大豆油の値段の高騰を伝えています。価格を押し上げているのは、バイオ燃料としての需要の高まりです。この記事によれば,年間消費量1億2千トンのうち,「代用燃料」の原料に使われているのは900万トンです。来年は300万トンの供給増が見込まれているものの,需要は650万トンの増加が見込まれています。すなわち、供給が需要に追いつかない状態です。

アブラヤシの油を搾って生産されるパームオイルは世界中で3千万トンほど生産されており,そのうち半分はマレーシアで生産されています。1トンあたり、3月には1500から1700リンギで推移していたパームオイルの値段がすくなくとも1800リンギ(現在のところ1リンギが32円くらいでしょうか。すると、57600円ですか。)に上がりそうだと報告されています。

大豆油の方は、現在の520ドルから600ドル(1トン)へ上昇するだろうと報告されています。最大の輸出国のブラジルがバイオディーゼルへの転用に熱心なためで,来年期には1割の輸出減,翌年には4割減が予想されています。

日本でも輸入大豆油を原料にする食品や、パームオイル入りの「環境にやさしい」洗剤の値段がちょこっと上がるかも知れません。しかし、値上がり分はパームオイルが1トンで3200円〜9000円というくらいで,「先進国」の人間にとってはパームオイルや大豆油がちょっとやそっと上がっても,どうということはないでしょう。すくなくとも死活問題じゃありません。

ところが、例えば,輸入されるパームオイルや大豆油を食用に頼ってきたバングラデッシュのような国ではどうでしょう。ここ最近は年5%の経済成長を続けていますが,それでもバングラデッシュの一人当たりの平均GDPは1日あたり5ドルほどです。そういう状況の人たちにとっては、1ドル2ドルという「先進国」の人間にとっては屁でもないような微々たる上昇が死活問題になりかねません。

もっとも,食料は十分にある,燃料用の作物を作るだけの余力はあるという人もいます。現在の飢餓問題は現行の流通制度の問題だ。それももちろんあるでしょうが,実際にエタノールの原料に転用されるために砂糖の値段が高騰し、トウモロコシなどの穀物備蓄の切り崩しが進んでいる現状では、あまり説得力を持ちません。ぎりぎりではあったが、これまで通りの生活を維持することが難しくなっているというのに、それはバイオ燃料の生産ではない、食料の流通が間違っているからだと言っても,バングラデッシュのような国では聞き入れられないのではないでしょうか。

バイオ燃料はジャーニー・トゥ・フォーエバーが指摘するように,手作りできる技術であり、地元で原料を栽培したり,地元の廃油などを転用できるという利点があります。正しく使えば、地域社会のエネルギー自立にもつながります。ひとつの農場や村や町、近隣社会という単位で、原料に収穫後の植物廃棄物や廃油を使うなら,バイオ燃料はピーク以降の暮らしで重要な役割を果たすことは間違いありません。

しかし、バイオ燃料を現在のアブラの代替としてとらえ、大規模に精製し,大規模に流通させ利用しようという方向はむちゃくちゃに乱暴です。まず、エネルギー効率の問題があります。現在のような化石燃料を原料とする肥料を大量投入し,化石燃料に頼る農業では,下手すると,生産されるエネルギー以上のエネルギーを投入しなければなりません。

また、バイオ燃料は植物から作り出されるものですが,植物が「再生可能」だからといって,バイオ燃料が無限であるかのように捉えることは間違いです。植物を育てるのには肥料のほかにも、土や太陽や水などが欠かせませんが、太陽以外は有限です。耕作可能な土地は世界でも限られており、これをさらに広げようとすれば森林伐採につながり、表土の流出につながり,ただでさえひどい温暖化をますます促進することになりかねません。水不足は世界各地ですでに深刻化しています。これ以上、傷口を広げずに生産をあげられるとはとても考えられません。

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ガス欠でクルマが運転できなくても,腹がそれなりに膨れてりゃ,「社会不安」なんかにゃならないものです。しかし、腹が減ってくるとどうでしょう。腹を膨らます食料を他人まかせにしていれば、たっぷりガスがあっても,何かある度に不安になるのは仕方のないことです。

「先進国」の人間の快適な生活は、これまでも「途上国」の人間を搾取することで成り立ってきましたが,ピーク以降の暮らし方の選択でも、しわ寄せを受ける人たちがいることを地球市民の一人として、より一層、意識しなくてはならないでしょう。

Tuesday, September 26, 2006

このご時勢に/fly no more.

週末には気温が上がり,時速100キロを超す突風が吹き荒れ,ニューサウスウエールズ州だけで50を越すブッシュファイヤーが発生した。十軒近い家屋が焼失し,焼死者も出ている。火は沈静化したとはいえ、まだ現在でもあちこちで燃えている。まだ,9月だというのに、すでに本格的な山火事の季節だ。

冬の間、クリケットの選手と同様,ほとんど耳にすることのなかった消防のトップの名前がメディアに頻繁に登場している。11月や12月の夏本番ならともかく,まだ,9月だぜ。

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写真はエイジ紙より

今年はひどい年になりそうだ。150人を超す焼死者を出した83年に匹敵する、いや,それ以上,史上最悪のシーズンを警告する声も専門家から上がっている。それでも,連邦政府は「温暖化を証明する証拠はない」と言い続けるのだろうか。

薮の中に住まわしてもらっている身だから,いざという時の覚悟はできている。山火事の燃料になるような枯れ枝などを拾い、最善の備えはするつもりだが,こればかりは運を天に任せるしかない。

そうかと思えば,ビクトリア州では遅霜で,咲き始めていた石果の花がやられ、壊滅状態だという。サイクロンがバナナ産地を直撃し,バナナの値段が上がったように,杏や桃などの値段が急騰しそうだ。

うちの近辺もすっかり春モードで杏子や桃,リンゴや梨がきれいな花をつけている。こんなところへ霜が降りたら大変だ。今夜はビクトリア州を襲った寒波が吹き込み,何日ぶりかでストーブに火が入った。しばらくご無沙汰の湯たんぽも再登場。霜が降りないといいなあ。

こういう気候変動なご時勢に,成田空港の暫定滑走路を北に延伸する工事が始まるという記事を読んだ。

三里塚には「和解」ムードの立ちこめた90年代に何度か取材に行ったことがある。「反対派」の農民たちは齢を重ね,数が減り、便利な暮らし,経済発展を求める地域社会の中でかなり孤立していた。それでも、成田空港問題を地球的な課題と捉え,足下の農地を守ろうとしていた。泊めてもらった農家の一人は日焼けした茄子の葉を見せ,温暖化のせいじゃないかなって心配そうだった。それからわずか10年足らず,彼らの危惧,心配が現実のものとなりつつある。

これまでの政治的な過程のあれこれをまったく抜きにしても,なんとも時代遅れなお役所仕事的な発想としか言いようがない。航空需要が無限に伸び続けるだろうと本気で考えているのだろうか。オイルピークという逼迫するエネルギー事情の影響を真っ先にもろに受けるのは航空ギョーカイだ。航空に頼る観光業なんてのも,これから数年後にはかなりお寒い状況だろう。米軍ですら代替燃料を真剣に考えている時代だぜ。

温暖化というにっちもさっちもいかない現実の方はどうなんだ。ヒコーキの排出する二酸化炭素は自動車(7千万トン)の半分くらい,毎年4千万トン(1990年には2千万トン)という数字があるが、自動車の3倍も温暖化に影響を与えるのだそうだ。しかも、自動車は「京都」の枠組みで削減取り組み対象にはいっているが,飛行機の方は「京都」の外だ。こういう事情を本気で心配する連中の間では,禁煙ならぬ「禁飛行」を宣言する人も出始めている。これこそ、「児孫のために自由を律す」である。

自分でも,飛ぶことにはほとほと愛想が尽きているし,ピーク以降の状況に体を慣らす意味もあり、自主的に飛ぶのをやめることにした。もう飛べないよって他人から言われるのを待つより、自主的に飛ぶのをやめることにする。

もちろん、会社の規定だからとか、飛ぶのを簡単に自粛できない世の中ではある。自分一人が飛ぶのをやめたって,その影響はたかが知れたものだという人もいる。でも、社会というのものが一人一人の集まりであるなら,一人一人が意識変革することでしか社会は変わらないのではないか。そんな気がする。温暖化を本気で心配し,児孫のためを思うなら,一人一人が各個撃破,できるところから取り組むしかない。

幸いなことに自分は自分一人の意志でやめられる。だから,唯我独尊に「脱飛行宣言」(といっても,あとひとつ、隣国への飛行予定は残ってますが,これもできるだけ船にできないかと変更を画策中)。でも,どこへも出かけないってわけじゃない。歩いたり,自転車に乗ったり,自動車や鉄道,そうでもなけりゃ,船を使うつもりでいる。

自分のようないい加減な人間がそこまで考える時代に,化石燃料の産物である建築資材を投入し,農地を踏みつぶし,滑走路の延長である。一体,何を考えているのだろう。バイオ燃料の生産か食料か、農地の奪い合い競争が始まるといわれている時代に,北総台地のおいしい農地をコンクリートで埋めちゃおうってんだから。温暖化の猛威をもろに受けるであろう自分らのガキや孫にはどのツラ下げて,説明するつもりなのだろう。

また,これから10年たった時、一体なぜこんなバカなことをしたのだって、社会全体が頭を抱えているかもしれない。アブラ切れで飛べなくなったでっかい金属の固まりを前にして、ああ,こんなのを飛ばしていた時代があったねって。

Sunday, September 24, 2006

オーストラリアの大減耗/steep descent ahead.

オーストラリア農業資源経済局(ABARE)から6月四半期の鋼業統計が発表された。
(統計全文はこちらから購入可能。要約はこちら
オーストラリアはOECD(先進国)の中では数少ないエネルギーのネット輸出国ではあるが、その大半は石炭(世界一)と天然ガス(世界第5位)であり、石油に関しては,ずっと輸入に頼っている。
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aspo-australiaより

70年代にバス海峡油田の生産が始まったおかげで石油危機の影響はあまり受けなかったが,そのバス海峡油田が85年にピークに到達,それからは規模の小さな油田が減耗の穴を埋めてきたが、それもままならなくなり,いよいよ2000年3月を境に大減耗が続いている。
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www.peakoil.org.auより

今期の生産は3月期よりわずかに上昇したものの,ピークに比べると半分以下。
ピークはわずか6年前の話だ。

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EIAより

オーストラリアで特に心配されるのはディーゼル燃料。外貨を稼ぎ出す農業、鋼業のトラックやトラクターなどを稼働させる血液であり,トラック輸送に頼る物流もディーゼルなしでは成り立たない。その44.9%は輸入に頼っている。経済成長率が何パーセントだと自慢したところで,ディーゼル供給に依存する足下はお寒い限りだ。

こうしてかつての産油国が輸入国になり、数少ない産油国、数少ない油田への依存がどんどん高まっていく。サウジアラビア、世界最大のガワール油田に世界中が依存している。ここがこけたら皆こけるのは避けられない。その前に,世界は果たして,アブラそのものに頼らない社会に脱却することができるか。オーストラリアは需要との差をとりあえず輸入で賄うことができるが,世界全体がピークに達した時,それを代替えする燃料もなければ,その差を補う「どこか」は存在しない。

Friday, September 22, 2006

春が来た/hair yesterday, gone today.

今朝,髪を切りました。
毎年この頃になるとやる春の儀式。特に日にちは決まってませんが、気分として,そろそろ春かなという時,あっという間に行われます。蛇を踏みつけそうになったり,ひいきのフットボール・チームが今季最終戦を戦った午後とか,あの花この花,咲き始めたのに気づいた時とか,諸々の理由がきわめて主観的に加味され総合判断します。まあ、あーだこーだ言っても結局,人間の摂理,自然の摂理なのか、だいたい今頃,昼と夜の長さが同じになるころが多いのですが。
昨春にざっくりと切って以来伸ばしっぱなしだから、キュアのロバート・スミスかバースデイパーティのニック・ケイウ゛(古いなあ)かなんてくらいな長さ、いい加減に伸びた髪を、あらよっと、あっけないくらいの軽さではさみを持ち出し,じょきじょきじょき。
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数年前までは近所の床屋に出かけてましたが,このごろは自分でばっさりやってしまいます。断髪の当日こそ、あちこち,まだらな仕上がりで周囲の人間はあれこれ言いますが,二、三日もすれば,それなりに落ち着くものなので、本人はあんまり気にしません。所々、カミソリで剃ったり,短く刈り込み,微妙な濃淡の残る頭蓋に春の日差しが直接あたり,昼間は結構、これまでよりも温かいくらい。でも,夜になると,頭にスカーフを巻かないと、すかすかで、体温が逃げていきます。
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短髪用に眼鏡も変え,スカーフを頭にのせ,足取りも軽やか、着るものもすこしずつ軽くなっていきます。

んな具合に春が深まっていきます。

Thursday, September 21, 2006

湯たんぽ/hotty hotty hotty, oi oi oi.

高原もだんだん暖かくなり、今日も町へ出かけた帰り,裏の小径でひなたぼっこしている蛇を危うく踏みつけるところでした。
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(写真:はい,笑ってちょうだい。ぱちり)

これまで毎日,しがみついていた薪ストーブからもだんだんに解放されつつあります。
今週は火を焚くのも夕方から夜にかけての数時間だけ,まったく使わない日もあります。

同じように冬の間、ずっとお世話になった湯たんぽともだんだん疎遠になりつつあります。湯たんぽというと、日本ではブリキ製が一般的ですが,こちらではゴム製ばかりで、店でも日本型のは見かけません。うちにはいくつか,日本で物珍しさに仕入れてきたのがありますが,普段使うのはゴム製です。

湯たんぽについては「四畳半の住人」さんがするどい考察をしており、下記のような利点をあげています。長くなりますが,引用させていただきます。(なお、湯たんぽについてだけでなく,「四畳半の住人」さんのサイトには快適な生活の神髄だらけ。是非、ご覧ください)

• ヒーターの類いと異なり皮膚が乾燥しない。
• 乾燥しないので、咽が乾かない。
• ほかほかと自然な暖かさがあります。
• 体全体(布団全体)が温かく、朝も快適に起きられます。
• 電気の消し忘れがないので寝坊した朝でも安心。
• 問題となっている電磁波が発生しない。
• だんだんと温度が下がるので、体に優しい。
• 電気代もかからずエコロジー。
阪神大震災でも大活躍→阪神大震災時の「湯たんぽ」、心尽くしの湯たんぽ
まいにち中学生ニュース 被災地へ湯たんぽ トルコや雲南を救済 〔現在リンク切れ)
• 一人分が安価なので、人数分揃えられる。
• 翌朝も気分の良い温かさが持続。
• 残り湯(まだ熱い)で顔や食器を洗える。
• 屋外でも簡単に使えて温かい(テント泊の方、お試しを)。
• 電源不要なので病院で入院中の人も使える。
(引用終わり)

欠点については「スイッチポンと使えないことでしょうか」とおっしゃっていますが、うちでは冬の間、薪ストーブの上でいつでもお湯が湧いているので,この点も申し分ありません。

シドニーに暮らしていたころは,さすがに亜熱帯な気候なので,湯たんぽを使うのは冬でも二、三度あったかな。だから、毎日のように,本格的に湯たんぽを使うようになったのは標高千メートルの山の上に越してからです。冬が寒くて長いこのあたり、冬の暖房をどうするか,それはほとんど死活に関わる問題です。

最近はうちの近辺でも簡単にスイッチを入れるだけのガス・ストーブや電気ストーブを使う人が多いようです。これらは確かに便利です。しかし、その便利さの裏側を考えると、簡単には使えません。

たかだか,部屋や寝床を暖めるだけだというのに膨大な量の燃料が使われ,巨大なシステムを使わなければならないと思うと,ほとんど気絶しそうです。タンカーでえっちらおっちら。パイプラインや電線もものすごい距離になります。こういう巨大システムはすべからく脆弱です。停電やガスの供給がストップしたときにはお手上げで,死活問題だというのに自分ではどうすることもできません。これが便利さの中身であり、その代償です。

そんなこんなで,うちの暖房の主力は近所で切り出した薪を燃やすストーブです。ひと冬,何のかんの、2トンから3トン近くの薪が必要になります。以前は,気の遠くなるようなところで切り出された薪を業者から購入していましたが,ここ何年かは自前でそろえられるようになりました。自分のような人間には、歩いていける距離にある近所の林に出かけて,薪を切り出し、それで暖をとる,その方が巨大なシステムに頼るよりずっと理解しやすいです。

でも、ストーブひとつだけでは家中を暖めることはできません。そこで湯たんぽが登場します。「四畳半の住人」さんは寝床を暖めるだけに使っているようですが,うちでは寒さ厳しい季節になると、昼間から湯たんぽの世話になります。薪ストーブのやかんに沸いた湯を湯たんぽに移し,相棒手作りのカバー(フェアアイル!)をかけ、仕事部屋に持ち込みます。これを膝の上におき,時々手を温めれば,寒さも苦になりません。
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(写真:編み物が得意な相棒は湯たんぽカバーもこんな具合にフェアアイル・スタイルで編み上げてしまいます。)

湯たんぽは水を保温媒体として使うわけで,パーマカルチャーをちょいとかじったりした人だと、薪ストーブにホットジャケットと呼ばれるパイプをくっつけ,水を暖め,それを各部屋には配管する,なんて仕組みを考えます。ストーブで暖められた温水が循環し,遠く離れた部屋も温まる。そういう仕組みを考えるでしょう。発展させれば,冬の間は風呂からシャワーから,一家の給湯もそれで賄ったりできます。もしかしたら発電源としても使えるかもしれません。薪ストーブはきわめてローカルなコジェネ施設にもなり得ます。こうしたスマートテクなやりかたは見栄えもいいし、いつか,お金がたっぷりあったり,必要な材料が格安に手に入るときには自分でも考慮したいオプションです。

でも、そこまでしなくても当分は湯たんぽで十分。これは適切な技術とか、身の丈にあった技術という考え方で,確かに少々手間がかかり,面倒かもしれないが,それでとりあえずのところ十分に機能する技術のことです。冬の間,ぬくぬく気分を快適に手にするのにハイテクもスマートテクもいらない。セーターをもう一枚,服を一枚重ね着し、湯たんぽが一丁あればいい。当然,寿命は来るでしょうが,面倒なメンテも必要なければ,重大な事故も起こりようがない。原発で発電し,その電気でストーブを使うことと比べてみてください。これ以上適度なレベルの技術はないのではないかと思います。

北半球はこれから寒くなる季節ですが,今年はぜひ,湯たんぽをお試しあれ。

Wednesday, September 20, 2006

粋な人たち/shout and deliver!

ここしばらく,地元の知人の映画作りを手伝っています。
自分の役割は制作者が東京で撮ってきた映像、インタビューの翻訳をやるだけで、大したことじゃありませんが、映像の仕事に関わるのは久しぶり。昔は、テレビ局でこんなこと、連日やってたんですけど、何時間かスクリーンを見つめ、耳をそばだてているとそれなりに疲れます。でも、それはNHKの連続ドラマやつまらない映画を見ている時とは違い、心地よい疲れです。

翻訳という仕事の性格なのでしょうか、他人の言葉を別な言語で言い換える仕事では,書かれたり話された内容と自分が共振する部分が大きいほど,よい仕事ができるようです。翻訳者も人間ですから、いかに黒子に徹するのが仕事とはいえ,言いにくいことばかりだと精神的に参ってしまいます。

今回お手伝いするドキュメンタリー映画の題材は25年間,沖電気の不当解雇に抗議し、徒手空拳、自分一人で戦いを挑みつづける「シンガー・ソング・ファイター」の田中哲朗です。かつての職場の門前に毎日でかけ,ギターをつま弾き歌を歌い,社員や一般の人間に訴える田中哲郎はご存知の方もいるかもしれません。こちらでも2月ほど前に「門前25周年記念」が新聞で報道されました。

今日は朝から田中の「戦友」で,中学の先生で卒業式で君が代に立たなかったことで処分された根津公子のインタビューを訳したんですが、そしたら,あらまあ奇遇。本日の東京新聞に根津の近況を伝える記事が載ってます。

田中も根津も、信念を貫き通す人で,ある意味では立ち回り方が下手で、バカな人たちです。25年も毎日毎日,不当解雇反対,人権侵害を訴え,元の職場に出かけるなんて,とてもじゃない,自分にはできないでしょう。人生の半分,ですよ。根津にしても3ヶ月の停職中、元の職場,新任校、都教委の門前に毎日「出勤」したそうです。3ヶ月でも,大変そうだなあ。

自分なら、新たな闘争の場を求めるとかなんとか、自分も周りも言いくるめ、さっさとケツをまくり,逃走するに決まってます。きわめていい加減な人間だということは誰よりも自分で承知しています。

だから、自分には田中や根津のように闘うことはないでしょうけれど、彼らの放つ真っ当な言葉を世界の人に伝える手伝いはできると思います。いい映画になるといいなあ。

世界中で真っ当な意見を押しつぶそうとする圧力が増しつつあるご時勢,こういう人たちの存在を知ると安心します。人間もまだまだ、そんなに捨てたものじゃないのかもしれない。上記の東京新聞の記事につけられたデスクの言葉を借りれば,ヤボで下品な人ばかりじゃない。

「旗を振ってお題目を並べるのはヤボだが、旗ならぬ権力を振り回すのはもっとヤボ。それに迎合しちまって、長いモノに巻かれるやからは下品でいけねえ。江戸庶民の伝統は「意気地」と「心意気」。それが粋ってもんだ。」

できるだけ粋な生き方をしたいものです。

Monday, September 18, 2006

山頂より:その1/ a peek from the peak #1.

山頂にたどり着いた時代を感じさせる出来事をちょこりちょこちょこ、メモしていきます。

原油価格はこのところ下降気味ですが、こうした価格の不安定化もピーク時代の特徴のひとつであることは以前から指摘されています。高値でも「安定」していれば、経済や社会への影響も少ないのですが,急激な上昇や急激な下降といった「不安定化」は経済や社会の不安につながりがちで、まさにピーク論者が「議定書」を呼びかけ警告する理由です。

もうひとつの兆候はこれまで「否定」したり「無視」したりしてきた人たちがあっさりと,あたかも当たり前のようにに,大したことでもないかのような文脈で言及し始めることです。
本日のシドニー・モーニング・ヘラルド紙は,(経済面で)IEAのマンディル事務局長がABC-TVで行ったインタビューに基づく記事を載せています。記事の重点は,少なくともこれから2年間、原油価格が60ドルを割ることはないというところですが、この中で,驚くほどさらりとピークが言及されています。

マンディル事務局長が,少なくともここ2年ほどは「価格は快適なレベル」に戻らないだろうとするのは、新規油田施設での生産が始まるのは2年後であり,精油設備も2010年以降にならないと精製能力の拡大が見込めないからだそうです。「快適なレベル」が具体的にはどの位をさすのか,マンディル事務局長は答えなかったようですが,4〜50ドル台をさしているものと思われます。ピーク論者の中には今年末にも100ドルを超えるとするものもおり,それに比べるときわめて楽観的な予測です。

記事の中では副次的に扱われていますが,マンディル事務局長によれば、在来型の石油,いわゆるフツーの石油について、「これから数十年のうちにピークが訪れるかもしれない("Maybe we will witness peak oil in the coming decades.")」とのことです。きわめてさらりとした扱いです。

その発言の前振りは、エネルギー・ピークが訪れるのは「ずっと先」のことである、です。そして、その理由は、タールサンド,液化石炭,液化天然ガス、そして、超深海油田があるからだ、そうです。つまり、オイル・ピークは来るかもしれないけど,大丈夫,非在来型の燃料があるから、何にも心配することはない。

いやあ,さらりと楽観的に言ってくれます。

フツーじゃないアブラを精製するエネルギー・コスト,フツーじゃない場所から石油を掘り出し,輸送するエネルギー・コストがどれほどのものであるのか,まったく考慮されていません。これじゃ、いくら、大丈夫だと言われてもなあ。

もうひとつ読み取れることはIEAは「エネルギー」に関する団体であり,フツーの石油に固執するものではない、ということです。最近になり,IEA発行のオイル・マーケット・レポート(石油市場報告)にエタノールなどバイオ燃料が生産量として勘定に組み入れられるようになったのも、なるへそ、納得です(すでにブラジル、アメリカ,ドイツに関してはバイオ燃料が勘定にはいっていたが,世界各国に拡大された)。

IEAがフツーの場所から生産されるフツーの石油について、ピークが近い将来訪れるかもしれないと認めたことだけは、しっかりと記憶しておきましょう。

驚くほどさらり、と言えば,バイオマス燃料情報局が15日付で、日刊工業新聞が先週の「エネルギー 安全保障と環境のはざまで」という特集記事のなかで、あっさりとピークに言及していることを報告しています。

「エネ庁はMHが海洋産出試験を経て生産に向かうのは2016年以降と判断。現状は数年前よりは探査技術が向上し、MHの分布エリアははっきりしてきた。ただ地下にあるMHをどう分解するのか課題は多い。原油が生産のピークに向かう中、MHが天然ガスシフトを加速するアクセレーターとなれるのか。」
(文中のエネ庁は経済産業省傘下の資源エネルギー庁、MHはメタンハイドレートのこと。)

バイオマス燃料情報局長によれば、日刊工業新聞はこれまでにピークに言及したこともないそうですが,あたかも既成事実のように、当然とあっさりとした書き方です。

これまでピークを否定した人たちや見向きもしなかった人たちが、オイル・ピークを当たり前のように捉えること自体悪いことではないでしょう。しかし、それが簡単に乗り越えられるもの,何か別な燃料で簡単に代替できるかのような幻想を与えることは危険であり,間違っています。

Saturday, September 16, 2006

天国で謀反!/mutiny in heaven

(アホウドリ/番外編その2)


昔よく聞いたバンドの歌のひとつにこんな一説がある。

これが天国だって?
おろさせてもらうぜ

安っぽいブリキの風呂桶にもがまんがならねえ。
くずやネズミでいっぱいだ。
一匹、俺の魂の上を走る。
瞬間,地上のゲットーへ戻ったかと思ったぜ。

極楽のネズミ,極楽のネズミ。
ごめんこうむるね,天国で謀反!
(ザ・バースデイ・パーティ:天国で謀反!)

考えてみりゃ,これが今,人間が天国に物理的に一番近づける行為についての感想だ。

ごめんだね、おろさせてもらうぜ。天国なんて,まっぴらごめんだ。

俺のこれまでおかしてきた罪か?いくつもあるぜ。知りたいなら教えてやる。罰や褒美の話さ。

最初に乗ったのはヒコーキもどきさ。ガキの頃、近所の国宝の城の中庭にあったけちくさい遊園地で紐につり下げられたブリキのヒコーキでぐるぐると。空中高く飛ぶことは怖くもあり,快感だった。地を這う人間がとっても小さく見えたっけ。でも,それは所詮おもちゃで,塔の周りを回るだけでどこにもたどりつけはしなかった。降りてみれば,前と同じ場所だった。

本物のヒコーキに乗って、どこかへ行ったのはオーストラリアに来たときだ。当時の飛行機じゃ,8千キロをひとまたぎすることができず,あちこち,降りたり上ったり。本物でもそんなよたよたしたころの話だ。当時のカネで40万とかしたかな。往復だけど,エコノミーの値段だぜ。おいそれと気軽には飛べない時代の話だ,

3、4年はおとなしくしてたかな、それから。大陸はあちこち,行ったさ。ああ,ヒコーキも乗ったよ,何回か。でも,まだまだ鉄道やバスが多かったね。何しろ,飛ぶのは高かったし,時間はたっぷりあったから。夜行バスや夜汽車の方が性に合ってたのかもしれないね。

日本へは一度戻ったけど,それだって,かなり決意のいることだった。もう帰って来れないかもしれない,そんな悲壮な面持ちで、身の回りすべて整理してからヒコーキに乗ったものさ。友人たちに長くなるかもしれないお別れをして。ああ,悲壮なものさ。

そのあとくらいからだね、バンドやラジオやテレビの取材に関わるようになって。それから10年間ちかく、あちらやこちら,ツアーや取材にかこつけて、飛びまくったね。

背中に翼が生えたような気になって,飛ぼうと思えばどこでも飛んでいけた。最初は物珍しいから,楽しかったさ。空港へ向かうがらがらのバスの中、隣に座った娘と恋に落ち、その娘を追っかけて太平洋を越えたりしたこともあった。たくさんのすばらしい人たちに出会えたんだから、悪いことばかりじゃなかったことは認めるよ。何ヶ月ぶりかに地上に降りてみると,すっかり様相が変わっていて面食らうこともしばしばだった。それが楽しい時期もあったな。でも、しばらくしたら、もう背中の羽が苦痛で仕方ない。まだ,いっぱいいろいろ、行ってないところがたくさんあるってのに,もう、飛行機に乗るのが苦痛になってしまった。

飛行機だけじゃない、空港も搭乗員も隣の乗客の体臭も耐えられなくなり,しまいにはもう,へべれけに酔っぱらい、らりらりじゃないと飛べないほどになってしまった。プラスチックに蛍光灯,コンクリにまずい空気。エアコンに汚い屁。当たり前さ,背中を突き破ってはえ出した翼ってのは、どろりどろり、アブラまみれだったのさ。

これが天国だって?おろしてくれ,もううんざりだ。

飛行場で醜態をさらすことなんか,ちっとも苦にならなかったね。場末の空港で大げさに反吐を吐いて、目を上げたら自分の書いた旅行ガイドをひろげる人の前だったなんてこともある(びっくりさせてごめんね)。カイピリーナを飲み過ぎたブラジルからの帰りには途中で停まったリオで、こらえきれなくなってタラップの外から、飛行機の窓へげろを吐いたこともある(ごめんね,驚かせて)。空港ですごす時間を少しでも短くするため,いつも到着するのはぎりぎりで,フライトに乗り遅れることなんてしょっちゅう。トイレで酔いつぶれてたおかげで、乗り継ぎの便が飛べなかったこともある。

まいってたのは気持ちだけじゃない,からだもひどかったね。皮膚はかさかで、ぼろぼろさ。血の巡りも悪くなる。それもそのはずさ、よく見たら,背中の翼はアブラでできていたんだ。腕の血管にぶっとい注射針を突き刺し,安物のアブラを注入しないとだめなんだ。アブラをちょうだい,アブラをちょうだいって。どくんどくんとちょうだい。ちょうだい。もっとちょうだい。

これが天国なら,おろしてくれ,もううんざりだ。

数日前,背中の翼をのこぎりでごりごりと切り取った。
俺たち,最近の移民にとっちゃあ、そりゃ,大変な決断さ。アブラでてかてかの翼がなくなった今,もう海を延々と渡るしか,生まれ故郷に戻ることもできず,両親にも友人や知人にも会うことはできないんだから。大変な決断さ。

でも、もう、これ以上,きたねえ屁をまき散らしながら,アブラまみれの翼を背中に抱えるつもりはない。翼を切り取った今,もう、飛ぶことはできない。隣の国へ行く用事がひとつ、それが終わったら,もう飛ばない。飛行機も,飛行場もすべておさらばだ。ああ、あの臭い屁をかがなくてすむと思うとせいせいするぜ。

これが天国だって?冗談じゃねえ。おろしてくれ,もううんざりだ。

Wednesday, September 13, 2006

アホウドリ(番外)

飛行機だって?アホウドリのようなもので,ちょっとの間空を飛んだかもしれないが,いまはもう絶滅寸前,もう時間の問題でしょ。ってな調子で,飛ぶのをやめることについて書き出しています。

今から10年ほど前までは東京とシドニーが感覚的には隣町に感じるほどで、そこからまたあちこちへ、取材だツアーだ,何のかんの理由を付け年に何度も飛び回ったものです。それがまあ,心理的につらくなり,しまいには飛行場に着く前にぐでんぐでんに酔っぱらったり,ラリラリになっていないと飛行機にも乗れないようになってしまいました。

んなことを思い出しながら,あれこれデータ的なことを調べたり,そういう合間にあっちへふらり、こちらへふらり。そしたらこんなのにでっくわした。

「強制的に米牛肉を食べさせられる恐怖〜米航空会社の機内食問題〜」という仰々しいタイトルの記事にでっくわした。普段はなるへそって意見を述べる人だけに,わくわくと読み出したのに、ちょいと残念。本来なら,ちゃいますよって直接いうべきなのだろうけど,つてがない。あっちのサイトで一般に公開するほどのことでもない。ので,ここにメモ。

それはまず、「9月上旬、調査研究でカナダのノヴァスコシア州及びニューファウンド・ラブラドール州にでかけた」という書き出しで始まります。

あたかもそれが至極当然のように航空会社のフライトをあれこれ,値段やらルートやらを比較し,結局はコンチネンタルで飛んだそうです。「仕事でハリファックスなどによく行くが」って、飛ぶことそのものの環境的なコストなどはまったく考慮されていないようです。

いやになるほど飛び回った自分のことを棚に上げ,他人のことをとやかく言えたものじゃありませんが、このご時勢に,飛行機で無頓着にびんびん飛び回る人から「環境云々」って聞かされても,あんまり説得力がないような気がします。

もちろん、大事な用件で飛ばなけりゃならない場合ってのはあるでしょうけれど、飛ぶことをあまりに当たり前に捉えているような気がします。

そして,話は「本題」の機内食に移ります。「最初に断っておくが、ここでの問題では、よく言われる機内食がうまいとかまずいと言う問題ではない」。はあ〜っ。

それから延々と,微に入り細に入り,機内食で米国産牛肉しか選択がなかったことを述べ,文句を言い、しまいには、「ひるがえってリスクがある場合でも、最終的に自己の責任であれっても、複数からひとつを選択できることが民主主義社会の最低限の基盤である」とものすごい結論に到達します。

食肉製造機に穀物を投入するため、空きっ腹を抱えるしか「選択」のない人たちのこと、食肉製造のもたらす地球環境への負荷よりも、先進国で「民主主義社会」を享受する事の方が大切だって感覚,わかりません。

「もっと言えば、機内にはベジタリアンや宗教的理由で豚であれ豚肉でも食べれない乗客もいるだろう。それらに細かく対応しろとは言わないが、今回の一件は、テロ対策の名のもとに、どんどん疲弊し、多様性をなくす米国社会、企業の一端を垣間見た気がする」ってのは明らかに事実誤認に基づく飛躍した結論です。

かつての社会主義国の飛行機では,そういう経験もしましたが,いまどき、ありえないのではないでしょうか。もっとも,最近は飛行機に乗らないので,確かじゃありませんが,自分のように工業的に生産された肉を拒否する人間や宗教上の理由で肉を食べない人たちはずっと、スペシャルミール(特別食)をリクエストしていました。チケットを買う時でも予約を入れる時でも一言お願いすれば,ギャラリーから一番離れた席に座っていても,誰よりも早く食事にありつけますよ。

石器と石油/oils ain’t stones.

アル・ゴアが自身の主演するドキュメンタリー映画,「都合の悪い真実」のプロモーションで来豪しています。

マクファーレン産業大臣は映画を「娯楽作品」だと酷評し,「当選しなかった大統領候補」にアドバイスを受けるつもりはないと国会で発言したそうです。ハワード首相もゴアに会うつもりはなく、試写会への招待もむげに断っています。さすが、先進国のなかではアメリカ以外唯一「京都」批准を拒むハワード政権の面目躍如です。

が、試写に出かけた人の評価はまずまずで,マスコミでもあちこち取り上げられ,それなりのインパクトはあるようです。近所の映画館に来たら見に行こうと思っています。未曾有の干ばつや凶暴化するハリケーン、台風などを「娯楽」として楽しむことができるかどうか,疑問ですが。

んで、今朝、トーストをかじりながらラジオを聞いていたら,ゴアがインタビューされていました。

性急さが伝わるなかなかなインタビューでしたが,ただひとつ気になったのは,「石器時代発言」です。

これはあちこちで繰り返される発言で「石器時代が終わりを迎えたのは石が不足したからではないように、石油時代の終わりも石油不足が招くのではない」というやつ。

最近読んだジェレミー・レゲットの「Half Gone(邦訳は作品社より益岡賢訳、「ピークオイル・パニック」というタイトルで近刊予定。しかし扇情的なタイトルだなあ)」にもシェイク・ヤマニの発言として収録されていました。サウジの元石油相の場合は,西側諸国が燃料電池など、ガソリン・エンジン以外の開発に本腰をいれはじめたら、あっという間に石油の時代が終わるだろうとOPECの代表たちに警告を発するという文脈での発言で、ゴアの場合は、「だから,まだ石油があるうちに自主的に石油時代を終わらせようね」と,ヤマニがまさに恐れたことを実行しようと呼びかけているわけです。

ゴアの意図するところに異論はありませんが,石器と石油の本質的な違いを見逃しているのは気になります。石はアブラのような燃料ではなく,燃やせばなくなるものじゃありません。アブラは化学製品や化学肥料の原料にもなりますが,基本的には燃やせば終わり,使いっきりの燃料です。また、アブラはきわめて優れた化石燃料であり、石が銅や鉄に取って代わられたように、アブラが別なひとつの燃料に取って代わられるということはあり得ないと思います。脱石油時代は、なにかひとつのエネルギー源に頼るのではなく,様々なエネルギー源の組み合わせでやりくりし,エネルギー消費そのもの減らしていく時代です。

Monday, September 11, 2006

平和をおねがい/Da pacem Domine

何年前かのこの日,たぶん,かの地のクラシック音楽専門局では、この人の曲を何曲かかけていたに違いない。だって,この人の誕生日だもの。

ラジオ局で選曲の仕事をしていたら,これほど使いやすい理由はないものね。自分が好きだからってだけだと他人をなかなか納得させにくいけど、「今日は35年生まれの作曲家の誕生日です。続けて3曲お聞きください」なんてね。安直だけど,説得力がある。
そんなわけで朝からずっと、うちでは窓の外の鉛色の空を見上げながら,もちろん、もうひとつの911も想起しながら、アーウ゛ォ・ペルトの作品をエンドレスで聞いている。

静寂で始まり,鐘が鳴り響き、降下しながらまた静寂で終わる「ベンジャミン・ ブリテンへの追悼歌」が流れてくる。そういえば、マイケル・ムーアが映画「華氏911」の中で使ってたっけ。ジェイソン・クリオットは「鏡の中の鏡」をバックに、事件直後,悲嘆にくれる人の表情だけをスローにコラージュして「サイト」というショート(未見)にまとめた,なんてどこかで読んだことがある。

でも、今年のペルト誕生日のお気に入りはアカペラ曲「ダ・パーチェム・ドミネ」だ。スペインのエスペリオンXXIのジョルディ・サヴァールの委嘱で2004年に開かれた「平和祈願」のコンサートのために作られた曲だ。中世の音楽に魅せられてきたペルトの本領発揮で、美しいアカペラが平和への祈りを奏でる曲だ。もちろん,ペルトの頭には自分の66歳の誕生日以降の出来事が頭にあったに違いない。

 Da pacem Domine
 in diebus nostris;
 quia non est alius
 qui pugnet pro nobis,
 nisi tu Deus noster.

平和をちょうだい 主よ いますぐに
だって あんたのほかに
われらのために戦ってくれるものはいない
神様 あんたしかいない
(もちろん、ラテン語はわかんないので,エーゴからの訳)

このラテン語のテキストは長い間伝わるものだそうで,これまでにもたくさんの作曲家が曲をつけてきたが、神様はいつになったらわれらの願いをかなえてくれるのだろうか。「もうひとつの911」で倒されたアジェンデ大統領が最期の言葉で呼びかけたように「私は諦めない」。

「自分の音楽はプリズムを通り抜ける光のようなものだ。聞く人によって少しずつ意味が違い,音楽体験のスペクトラムが生まれる。ちょうど,光が虹を作り出すように」(ペルト)。

鉛色の空が晴れて,虹が見える日が来るといいな。

Thursday, September 07, 2006

ジャックが救世主?/Jack the Saviour?

ここの地主,高野さんは最新のインサイダーで「メディア全体が“ワイドショー化”しつつあると言えないか」と書いています。

日本ならば秋篠宮夫妻に生まれた赤ん坊や,こちらならエイにさされて死んだクロコダイルハンターが,ここ二、三日、メディアのワイドショー化を象徴しています。さて、猛獣使いや世継ぎの陰に隠れがちですが,アブラ関連でもワイドショー化を裏付けるような報道があります。

「米シェブロン、メキシコ湾深海で原油試掘に成功」(日経5日付け)というやつ。

日経の報道は「試掘に成功」と控えめですが、日本初のオイルピーク専門ブログの「ん!」が指摘するように,ジャックという名前の油井で,試し堀がうまくいったという話題,海外ではかなりなスペースであちこちの媒体で大げさに報道されています。

自分が目にした中で極めつけはグローブ・アンド・メイル紙の「ピーク論者はジャックを知らなかった」というタイトルの記事です。

「象はまだ絶滅していない」という書き出しで,こうしたアブラの発見はこれからも続く,これでオイルピーク論は破綻した,そう宣言しています。

あらまあ,楽観的なこと。

油田の規模が報道されているように30億から150億バレルの規模だとしても、大騒ぎするほどの量ではありません。世界では一日に8千万バレルを越すアブラが消費されています。仮に150億、すべてが採掘可能だとしても、わずか半年分にすぎません。アメリカ一国でも2千万バレル以上を毎日消費しているので,たかだか2年分です。

その量も量ですが,問題はこの油井がニューオーリンズから400キロ以上も離れた沖合で、しかも海底6千メートル以上の深度であることです。今年はおとなしいものですが,ここはハリケーン銀座です。採掘が始まれば,日経も指摘するように「生産コストの低減」が課題になります。すなわち、1バレルのアブラを掘り出すため,どれだけのエネルギーを注入しなければならないのか、エネルギー的に採算が取れるのかということです。1バレルを掘り出すために,それ以上のアブラ(エネルギ−)が必要になるようならば,それでは採算が取れません。どれだけの量が埋まっていようが,エネルギー的に採算に合わなければ,そのアブラは使いものになりません。

ピーク論者が常々指摘するように,ピーク以降もまだまだ,アブラは大量に残っています。しかし、ピーク以前とは違い,アブラが見つかるのは深海やハリケーン銀座になり、それを使えるようにするためには膨大なエネルギーが必要になります。

しかも,老朽化する既存油田の減耗を補うためには,このクラスの油田が毎年、次々に発見されていかなくては、とてもじゃない、G&Mのように楽観することはできません。「ん!」が指摘するように久しぶりの「内野安打」でこのばか騒ぎ。しかも,この「試掘成功」の知らせ、「大本営発表」的にたくさんのメディアで報道されてはいるものの、必ずしも確認のとれたものではなく,「内野安打」ですらないかもしれません。何か、政治的な意図を持ったものであるかもしれないことを指摘する声も出始めています。(例えばエネルギーブレティン。)

こういうふうに、情報が錯乱するのもピーク時代のひとつの兆候,でしょうか。

Wednesday, September 06, 2006

シベリア解凍/Siberia melts.

説明されなければなんでもない写真なのに,その意味を聞かされると泣いてしまう。
アーウ゛ォ・ペルトを聞いていたりしたら、いちころだ。

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(写真は欧州宇宙局(ESA)の報告より。右下から左上に向けて流れるのは、世界第5位の長流、エニセイ川。モンゴルに発し、シベリアを東と西に分け、えっちらおっちらと4023キロ、北極海に流れ込む。今年8月7日に撮影。)

シベリアの上空は何度も飛んだことがある。ウォッカを飲み過ぎて淀んだ目の下に白い凍った大地が延々と続いていた。ような気がする。それが夏の話なのか冬の話なのか,どちらにしても,ソ連崩壊のころの話なのであんまり定かじゃない。今と同じようにペルトを大音量で耳に叩き込み,そのダイナミックな悲哀に、目を潤ませて,あれやこれや,つまらないことを,さも大事なことのように考えていたに違いない。今と同じように。

そうやって、自分のようなどうでもいい人間たちが、大量に,たいした用事でもないのに,じゃかすかと温暖化ガスをまき散らしたおかげなのか,シベリアではこの40年間に気温が3度も上昇したそうだ。

エニセイ川の西には世界最大のピート(泥炭)の湿原があるそうだが、上記の欧州宇宙局の発表によれば,西シベリアの凍った湿原が融け出したそうだ。ここ1万1千年で初めてのことだ。

「凍った湿原には温室効果ガスであるメタンや二酸化炭素が何十億トンも封じ込められており、解凍による大気中への放出が心配されています。」

緑のシベリアの写真を見ると,じわじわと温暖化ガスが立ち上るのが見えるような気がしてきて、また,泣いてしまう。

人間の将来なんか、正直言って,どうでもかまわない。こんな糞のような人類なんか,どうなってもかまわない。でも,地球が痛んでいるのに悲しくなってしまう。借り受けた星を人間はこんなにしてしまった。地球がこうやって、あちこちで涙を流しているってのに,それを感じらることのできない人間の存在が悲しくてしかたがない。人類の将来なんかどうなろうが、知ったことじゃない。勝手にくたばりゃいい。

シャッフル・モードのスピーカーからペルトのFestina lenteが聞こえてくる。ゆっくり急げって意味の言葉だそうで,古代ローマ帝国のアウグストゥスのお気に入りな言葉だったそうだ。怠惰になりがちな自分を正当化するときにはとても都合のいい格言だ。ペルトの作品は同一の旋律を早く,普通、倍速という三つの速度で奏で合う。

ゆっくり,急げ。
自分はゆっくりすぎたのかもしれない。
急いでいなさすぎるのかもしれない。

知人の一人は最近,金輪際、飛行機に乗ることをやめると宣言した。
シベリアが解凍するのを目にして,自分も,もう,飛ぶのはやめようと思う。

Tuesday, September 05, 2006

奇々怪々/selling oil to Saudi?

世の中には不思議なこともあるもので,世界一の産油国であるサウジ・アラビアがアブラの買い付けをしていることを9月2日付けのロイター電がシンガポール発で伝えています。

(サウジが世界一,といっても、モスニュースによれば、8月の生産ではロシアがこれまでで最高の975万バレルを達成し,サウジを上回ったそうですが。)

国営石油企業のサウジアラムコ社が買いつけたのはアブラのなかでは一番値段が安い、いわゆる重油です。しかも、粘度が380センチストローク (cst) という、ものすごくどろどろと粘度が高い高粘度C重油というやつだそうです。普通のディーゼルに使われるA重油が20cSt以下なので、どのくらいドロリとしているのか想像がつきそうです。サウジはこれをトンあたり$15で16万トン購入したと報告されています(これをバレル換算するとどのくらいになるのか,ちょっと計算できてませんが,安そうな感じであることはわかります)。

シンガポールの業界筋は、このクラスのアブラはだぶついており,買った方が安くつくからだと説明しています。確かに,製油施設をもっと値段の高いアブラや石油化学原料を精製するのに使った方が経済効率がよくなるのではないか,という理屈はわかりますが,それでも何とも釈然としないものがあります。

ちなみに、普通,高粘度C重油は大型ディーゼル・エンジンやタービンなどが用途だと言われていますが,本当にそうなのか,という疑問がわいてきます。先日も報告しましたが、サウジアラビアの最大油田(ということは世界最大)であるガワール(公称日産550万バレル)の減耗がはげしく,現在は300万バレルがやっとだという情報があります。しかし、それではどうやって,サウジは日産900万バレル近い生産を維持しているのか,ほかの油田だけでは到底200〜250万バレルの穴を埋める能力はありません。その記事の中で,「貯蔵タンクの備蓄を切り崩しているという可能性」を検討しましたが、「そうだとすると,それが底をついたときサウジの生産量は急激に落ちる」ことになります。

この情報を最初にもたらしたリチャード・ハインバーグに、先日、シドニーでの公演の際に直接質問すると,精度の高い情報であることを強調し,彼も備蓄の切り崩しが進んでいるのではないかという見方でした。

そういう観点からこのロイター電を読み直すと、いろいろなことが想像できますが、それはあくまでも憶測にすぎません。確実なことは、サウジアラビアが「経済的な理由」にせよ何にせよ,アブラを購入するのはこれが初めてのことだ。それだけです。
(5/9/6)

Monday, September 04, 2006

じゃあどうするんだ/ and what do you do?

ハリケーン・シーズンが始まったというのにハリケーンが来ず,原油価格は小康状態を保っています。文字通り,嵐の前の静けさなのでしょうか。
で、オイル・ピークはわかったけど,どうしたらいいんだ。そういう疑問がわいてきます。個人や家庭で消費を減らし、水やエネルギーを確保し,食料をできるだけ生産していくことはできます。でも、100パーセント自足できるわけではありません。例えば,ゴミの回収はどうするんだ。足りない食料はどこから調達するのか。電気や水,下水,そういう当たり前に思っているインフラをどうするのか。などなど。個人や一家庭でできることには、どうしても限りがあり、そこで町内や地域社会でお互いに助け合うことが必要になります。

世界中の市や町でピークに対する取り組みが始まっていることはここでも何度か取り上げてきました。アメリカではすでに4つの都市,町がピーク決議を可決し,取り組みだしています。アイルランドのキンセールはすでに「エネルギー下降計画」を作り上げ,着々と地域社会で取り組みを始めています。イギリスのトットネスでも取り組みが始まっています。
参考
http://www.the-commons.jp/commons/main/rick/2006/05/search_and_mitigate.html#more
http://www.the-commons.jp/commons/main/rick/2006/04/onya_san_franciscans.html#more
http://www.the-commons.jp/commons/main/rick/2006/04/the_path_of_descent.html#more

そういうほかの町での取り組みを知るにつけ,じゃあ,自分のところではどうなんだ。足下から行動しなけりゃだめじゃないか。行動のともなわない知識には意味がない。と,まあ,ずっと思い続けていたわけですが,年老いて重くなった腰を上げ,地元のブルー・マウンテンズ市当局に取り組みを求めるための手紙を作成し,2,3日の間に50人近くの署名を集め,dvdと一緒に市議会議員全員に送りました。

署名をしてくれた人の中には,ちょうど近所をツアー中のリチャード・ハインバーグやデビッド・ホルムグレンといった、ピークやパーマの世界的な巨頭の名前も見えますが,ほとんどは地元や近所の人たちばかりです。ピークなんて知らないだろうなあ,と思っていたのに、署名集めに回っていくと,すでに雨水タンクを設置したり,野菜畑を作っていたり,2台あったクルマを1台にしたり、隣人たちが取り組み始めていることを知りました。うれしい驚きでした。この署名をきっかけに、近隣社会のつながりを強めていければ良いなあと思います。

これはあくまでも最初の一歩にしかすぎず、まだまだ,いろいろなことをしていかなければなりませんが,果たして市当局はどう反応するでしょうか。また,報告します。

下記、市議会議員に送った手紙の原文,英語ですみませんが,一応,記録としてここに掲載します。エーゴ圏にお住まいの方で,ピーク対策を考えている方は,これをテンプレートにして,それぞれの場所で署名を集めたり、市当局の行動を求めるためなど,ご自由に活用ください。また,日本でもこういう感じでそれぞれの場所で,村や町,市に働きかけていくことは可能だと思います。

だって,自治体は自治が基本でしょ?だったら、やらなけりゃ。

ーーーー
Dear Blue Mountains councillors,

We, the undersigned, are writing to urge the Council to tackle one of the most difficult problems our modern society has faced. There is an emerging consensus now that we are close to global peak oil production, if indeed it has not already happened. Global peak oil is a reality and it affects us all, in every facet of our lives.

People from all political persuasions throughout the world are realising the  need to take oil depletion seriously and to act as quickly as possible to minimise its impact. This is not a political issue, but a matter of survival.        

Yet, despite the enormous impact that global peak oil will have on all of us, scientist Jeremy Leggett writes in his book Half Gone (2005) "Our society is in a state of collective denial that has no precedent in history, in terms of its scale and implication". Leggett argues that we are very close to the peak, if we have not already passed it and that we are not prepared for the consequences.

The consequences are far reaching and that’s where the Blue Mountains City Council comes in. Although peak oil is a global issue, the consequences will be local. This is why a growing number of local councils throughout the world are taking it seriously. Bloomington, Indiana recently became the fourth US local council to adopt a Peak Oil resolution, following the lead of Franklin in New York, San Francisco, and Portland, Oregon. These councils are in the process of setting up task forces to implement necessary measures.  Kinsale in Ireland has already devised an “Energy descent action plan”. Totnes in Devon is working on a similar plan. However, as Professor Richard Heinberg said recently in a Sydney Morning Herald interview: "(V)ery few communities are planning for this transition. (But) if we just let market forces rule, the result is going to be economic, political and social chaos".

The US Department of Energy funded report on Peak Oil (known as the Hirsh report) stated: "(e)ven crash programs will require more than a decade to yield substantial relief. We have to act now."

We demand that the City of the Blue Mountains takes immediate steps to prepare for peak oil. This is a vital time for political leadership and action.

For further information, please contact us at Peak Energy Action Katoomba.

Yours sincerely,

(4/9/6)

Saturday, September 02, 2006

本の流通/free books?

検索エンジンを超えた活動を展開するグーグルからまたひとつ、新たな機能が発表されました。

グーグルが各地の図書館の蔵書をスキャンし、デジタル化し,検索できるようにする作業を進めていることは報告されていましたが,いよいよ、それらの本(PDFファイル)の無償配布が始まったそうです(日本語ではCNet Japanがこれを報道しており、過去の関連情報も詳しいです)。
このプロジェクトは2004年に発表されて以来,出版社や作家など著作権所有者から激しく非難されており、米国出版社協会(AAP)などがグーグルを提訴しています。

ほうほう。何しろ,ピュータを新しく(中古)してから、こういうのもああいうのもできるようになったので,最近は新機能も怖いものなし。で、さっそく,何冊か,読みたかったけれど、絶版で手にすることができなかった古典作品を探してみます。

すると。

すっかり絶版だと思ってた本が再発されているじゃないですか。早速オンライン書店でオーダーしました。でも,無償ダウンロードにこだわりがあるので,別なタイトルを探してみます。こちらはまだ、著作権が残っているそうで,これまでのブックサーチ同様,触りだけしかみられません。無償配布は、すでに著作権の切れている本(パブリックドメイン)に限られているので、今もまだ流通している本には適用されません。そして,現在のところ,対象言語はエーゴのみです。

なので、まだ実際にはダウンロードし、印刷して読む。そこまではやってないので,使い勝手がどれほどのものかわかりません。試した方,ぜひ,ご報告を。

著作権所有者のはしくれとしては、自分の書いた物で他人が不法に金儲けするのは困ったことだけど、本だけでなく、新聞や雑誌などの印刷物の流通にかかるエネルギーが馬鹿にならないことは承知しておくべきだと思います。

「ざ・こもんず」の執筆者、読者の中には伝統的な意味での著作権所有者がたくさんいらっしゃいますが,このあたり,どう考えますか?

(3/9/6)

Friday, September 01, 2006

憂鬱な春/early spring warns.

ふらりふらふら、陽気に誘われ,庭をほっつき歩いていたらまだ8月が終わっていないというのに蛇にでっ食わした。うちには守護神のように蛇が何匹か住んでいて、春先に冬眠から醒め、うつらうつらとひなたぼっこをするのにでっ食わすのは毎年のことだから、それ自体,あんまり驚くことじゃない。驚いたのは春の訪れの早さだ。6月がめちゃ寒かったから,春は早いだろうなあと思ってはいたが,日本など北半球の感覚でいえば2月が終わる前に,突然春がやってきた。だって、たいていは9月にはいって、そろりそろりと温みだし,春の兆候である蛇に出会うのは9月の終わりころかな,って感覚。蛇との遭遇で春の訪れを意識してみると、あらあら、標高千メートルの高原は、春の兆候だらけです。
冬の間枯れていたチャイブが芽を伸ばしています。あれあれ、もう、こんなに。早速ちぎって味わいます。うーん、春の味。目を上げると桃や杏の木のつぼみが膨らみだしている。通りに出てみれば,梅の花が咲きだしている。うわあ,気づかないうちにこんなに春だ。

ここ数年は一年に一回,春先に頭を丸刈りにし、あとは伸びるのにまかせるというきわめていい加減な髪型を採用しています。冬には耳も隠れて防寒用になりますが、今は一年でも一番髪が長い時期。この調子だと,今年は髪を切る時期も早まりそうです。

寒い冬を過ごしたあとだけに,春の訪れに、もちろん、心は浮き浮きします。家の中で薪ストーブを抱きかかえるような生活から,庭にいる時間がどんどん長くなる。それはそれで気持ちがいいんだけど、これって,ちょっと早すぎるんじゃないかしら。何か,悪い予兆じゃないかしら。そういうクエスチョンマークが心の中に広がりつつ世界を見回すと,あらやっぱり。

最新のシュピーゲル誌は温暖化の影響でグリーンランドで牧畜やジャガイモの生産が上がっていることを報じています。このページの写真をみると,氷河の溶けたグリーンランドはほとんどタスマニア辺りと変わらないような光景でびっくりしてしまいます。

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そして、ガーディアン紙は26日付けで、春の早い訪れは「地球温暖化により季節のタイミングが狂わされているのを示す最初の決定的な証明」であると報道しています。

これはヨーロッパ17カ国から科学者が参加し,1971〜2000年に集められた542の植物種と19種の動物について、植物の開花や秋の落葉のタイミング、昆虫の季節的なふるまいの変化など、12万5,000の記録と観察を分析した研究に基づくもの。

それによれば「ヨーロッパ全域で1970年代初期に比べると,春の訪れは6〜8日早まっている」とのこと。秋の訪れも「過去30年の間に、平均で3日、遅くなっている」そうです。地球は間違いなく温暖化しています。

「この研究では季節の訪れるタイミングが変わってしまったことが明らかになったばかりではなく,温暖化の影響が著しい地域において,その傾向がより顕著であり」、早春の気温が10年間に1度上がったスペイン(ちなみにイギリスは30年で1度の上昇)では、春の訪れが2週間も早まっているのだそうです。

この影響で,植物の葉が出たり、花が咲いたり、実がなったり、そういう活動の8割について、時期が早まっていると研究は報告しています。これが生態系にもたらす影響は計り知れません。というのも、「温暖化に対し,生物がどれもが同じように適応しているわけではない」からで、たとえば、ある特定の植物をえさにする昆虫をえさにする鳥がいて、そのうちのひとつが温暖化に,ほかと違う適応をすれば、すべてのシステムが崩れてしまうことになります。

例えば,長距離を旅する渡り鳥。まだ、早い春の訪れに適応していないようで、食事の場所へ着いたときにはすでにえさがなくなっているかもしれません。渡り鳥が食卓にたどり着いたときには「すでに前菜が片付けられ,メインコースも半ばを過ぎている」ようなものだとのこと。

ヨーロッパで春が早まっているからといって,温暖化の影響がオーストラリアでも同じように現れるとは限りませんが,植物や昆虫,鳥などはすでに温暖化に対応し始めていることだけは明らかです。そういう「下等生物」よりお利口なはずの人間ときたら、オーストラリアのハワード首相のように、いまだに「決定的な証拠は出ていない、経済が大事だ」と月曜放送の番組で語り、気候変動を現実のものとして受け止めようとしません。感受性が欠けているのでしょうか、人間は春がすっかり沈黙するまで気がつかないのかもしれません。

早い春の訪れに心は踊るものの,はげしく痛みます。

(1/9/6)

冬の終わり/and the barrackers are shouting!

9月は冬の間,毎週週末、ボールの行方に一喜一憂した蹴球のシーズンが決勝リーグに突入し,月末の決勝に向かいどんどんチームが脱落していく季節です。フットボールのシーズン=冬の終わりは、夏のスポーツがぼちぼちと始まる時期でもあります。しばらく聞かなかったクリケットの選手の名前が聞こえ始めるのもこのころ。
冬のスポーツである蹴球、フットボールといえばオーストラリアではすくなくとも4つの球技を差します。ひとつはサッカー。世界的な蹴球で、近年の国際的な人気の高まりで、国内にプロ・リーグ(なぜか安直にAリーグ)もできましたが、なぜか、伝統的な冬ではなく,夏にプレイされます。なので,この蹴球はぼちぼちシーズン開始です。

ラグビー・ユニオンは日本でラグビーとして知られる蹴球。長いあいだ「名誉だけのためにプレイする」アマチュアリズムでやってきましたが、最近になりプロ化。南アフリカやニュージーランドのチームとの対抗戦で人気が上がってきています。そのユニオンから発達したのがラグビー・リーグ。より荒々しいプレイが売り物で、肩の上に直接頭がのっている選手が多いのも特徴ですが、ニュー・サウス・ウエールズやクイーンズランドでは人気があります。

しかし、うちでは蹴球といえばオーストラリア式です。試合に出かけるのはシーズンに1度か2度ですが,自分のチームの試合の日にはチームカラーの黒と白で身を固め,ラジオやテレビの中継に声を張り上げて応援します。アメフト、カナフト,アイフト,世界各地ではいろいろな蹴球が発達しましたが、そのなかでももっとも風変わりなゲームと言われています。色々な蹴球がありますが、楕円形のグランドでプレイされるのはオ式ぐらいなものでしょう。(詳しいルールについては日本オーストラリアンフットボール協会のサイトを参照してください。)

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(写真はボールをつかもうと,懸命に手を伸ばすコリンウッド・マグパイズのデイン・スワン。リアルフッティより)

と,まあ、世界標準にはほど遠いローカルでマイナーな蹴球ですが,地元オーストラリアではプレイする人間の数,試合への動員、テレビの視聴率などから、もっとも人気のある蹴球です。冬の間はあちこちのグラウンドで地域のリーグ戦が戦われ,なかには100年以上の伝統を誇るクラブやリーグもあります。まあ,古けりゃ良いというものじゃありませんが、それだけ生活に密着したスポーツであることは間違いありません。親から子,子から孫へと同じチームを応援する,同じチームでプレイするなんて例も。

そしてそれらの頂点に全国的なプロリーグ、オーストラリアン・フットボール・リーグがあります。16チームで争われてきたリーグ戦は今週末で終了,来週からはベスト8による決勝リーグに突入します。ベスト8の顔ぶれは決まったものの,順位はまだまだ流動的、今週末の結果で大きく変化しそうな気配で、昨年の今頃,すでに上位4チームはガチガチだったのに比べると大きな違いです。(順位がどうなるかはこちら

今シーズンはパースに本拠を置くウェスト・コースト・イーグルスとアデレイドのクロウズの2チームが独走,その勝ちっぷりからしても、この2つがずっと本命とみられてきました。しかしこの2チームも9月を目前に故障者が出たり,調子を落としたり,やや失速気味で、まだまだ予断を許しません。

去年は下から数えて2位、22試合のうち勝ったのは5つだけだった我がチーム,今年は大方の予想に反し,すでにベスト8入りを決めています。観客動員もチームの調子に比例するように,11の主催ゲームの観衆は53万2千人ほど、1試合平均5万人近くが詰めかけました。今週末の試合に2万4千人ほどが詰めかければ,リーグ新記録を達成します。

チームの調子はここへきて2連勝と上昇気流に乗りつつありますが、今週末,勝ってもベスト4は難しく,このポジションから勝ち抜いていくのは並大抵のことではありません。しかし,まあ,昨シーズンの倍以上の勝ち星を挙げたので、はい,まあ,まずまずなシーズンだった。そう思っています。
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(写真は空中高く飛翔、マークを狙うコリンウッド・マグパイズの19歳の新人,デイル・トマス。新人王の呼び声も。リアルフッティより)



いや、決勝リーグ戦でひとつ勝てばわからんぞ。9月最後の土曜日、オ式蹴球の殿堂、メルボルン・クリケット・グラウンドで行われる決勝戦にまで進むんじゃないか。なんて心の中では密かに思っています。春の長く影の伸びる夕陽の中,チームソングの歌いおさめができるんじゃないか。なんて。はい,我がチームのファンはみんな楽観的なので。

そうそう、それぞれのチームにはチームソングがあります。チームソングはよく知られた歌のメロディをちょこっと拝借した、とてもポストモダンな歌ばかりです。例えば,セインツは「聖者が街にやってくる」、ドッカーズは「ボルガの舟歌」とまあ,安直な引用が多いのですが。我がチームのチームソングの元歌は19世紀末のボア戦争への志願者を求める歌だそうです。倶楽部ができたころはよく知られた歌だったのでしょうが,現在ではもちろん,元歌よりも我がチームの歌としての方がすっかり有名です。

試合が終わると,勝者の歌がスピーカーから流れ,グラウンドのファンは大声で歌に加わります。試合後のロッカールームでは選手が輪になり,チームソングを歌います。テレビやラジオで観戦していても,歌ってしまいます。

さあ,今年はあと何回,チームソングを歌えることでしょうか。
Carn the Pies!

(2/9/6)