Tuesday, December 18, 2012

I want my mate released!


My mate is illegally detained by the Osaka police. I want him and others released at once.
Please sign the petiition.
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Monday, December 10, 2012

モジモジ君(ら)を返せ


あちこちから、ダチが逮捕されたという知らせが届く。

一人は何週間か拘束されたあと、やっと釈放されたばかり、人を傷つけたり、カネやものを失敬したわけじゃない。他人の権利を侵したわけでもない。今日、また、一人、逮捕されたという知らせが入った。電車の駅構内を通過したことがその理由だという。なに、これ?これじゃ、いつ何時、誰が逮捕されてもおかしくない。一体、ここはどこなんだ?日本はこれでも自由主義、民主主義の法治国家なのか。

今日逮捕された三人のうちの一人、モジモジさんは一緒に関電への抗議行動に行ったこともある戦友。その時はいちゃもん難癖つけてきたザイトクと自分の間に入り、醜い攻撃から身を守ってくれた。そうそう、それまで見たこともなかったオーストラリア式のフットボールの決勝戦をテレビ観戦しようって誘ったら、見に来てくれて、あっ、これおもしろい球技だねって。

自分の話を本当におもしろそうに真剣に聞いてくれた人。

最近は大阪市が躍起になってやろうとするがれき焼却処理に反対する運動の先頭に立っていた。それで狙い撃ちされたに違いない。

日本はもうすでに法が恣意的に適用される警察国家、独裁国家になってしまったのか。

ダチをいますぐ返せ。

**以下、救援ブログより引用**

「現時点で詳細不明ですが、
今わかっているかぎりでは、
10月17日、午後5時からおこなわれた
「放射能汚染ガレキ / ストップ!11月試験焼却 / 大阪市役所包囲行動」にさきだち、
午後3時から大阪駅・東北角の歩道上で街頭宣伝がありました。
45分程度の街頭宣伝を終えて、参加者は大阪市役所にむけて
三々五々歩いて移動しました。

その際に、大阪駅構内の東コンコースを北から南へ通り抜けたのですが
当日は、JRの管理職とおぼしき面々が多数動員され、
私たちの移動を妨害するということがありました。

駅構内を抜けた後は、今度は
公安警察が移動を執拗に妨害してきました。

参加者は妨害にたいして抗議しながらも
整然と、大阪市役所に向かい、5時からの
大阪市役所包囲行動に合流したのです。

それを今頃になって、
おどろおどろしく3つの罪名をかぶせて
事後逮捕におよんだのです。」

大阪で今、勾留されているのは、この一連の関係で7名!
異常事態です。

逮捕された人たちはこれ以前への不当逮捕への救援も
精力的に行ってきました。

大阪府警などへの抗議をよろしくお願いします。

抗議先:
大阪府警本部     TEL 06-6943-1234
大阪府警・曽根崎署  TEL 06-6315-1234

また、多額の救援費用が必要になってきます。
ぜひ、こちらにも協力をお願いします。

▼カンパ振込先▼

 郵便振替「00980-2-195109」
 加入者名「関電包囲行動」

 ※通信欄に「12.9救援カンパ」と必ず明記してください。

(関電包囲行動さんの口座をお借りしています)


救援公式ブログ
http://blog.goo.ne.jp/garekitaiho1113

○これまでの大阪不当弾圧の簡単まとめ

8月30日 大阪市ガレキ説明会@中之島公会堂にて、
まともに市民の質問に応えられず、一方的打ち切りをした
ことに対し、継続を求めた市民たちを機動隊が
暴力的排除する。(逮捕者なし。ケガ人がでた)

10月5日 関電本店前 「転び公妨」で1名逮捕→起訴
(この日のことに関して、事後逮捕1名)

11月13日 大阪市によるガレキ説明会前に此花区民ホールで
「建造物侵入罪」で4名逮捕→一人釈放。3人起訴。ただし、
罪状は「威力業務妨害」となった

そして、今日、12月9日。上記のように3名。(1名は11月に
逮捕された人が再逮捕となっている)。


Friday, October 19, 2012

自転車を都市住民の足に!


千葉県では「自転車利用の増大に対処し、自転車交通の安全と円滑を確保するとともに、スポーツ・レクリエーション等を通じ心身の健全な発達に資するため、自転車道の整備を推進」している。震災で破壊された個所もあるが、利根川沿い、外房にはかなり長いサイクリングロードが整備されている。
サイクリングロード地図
こうした専用道路も大切だが、本当に「心身の健全な発達に資する」ためならば、レクリエーションやレジャーとしてではなく、普段の生活の脚として自転車の利用の促進を図りたい。自転車が使いやすい町になれば、クルマの利用が減り、都市の渋滞緩和、大気汚染の防止、温暖化ガス排出抑制にもつながる。
●現状。

社会実情データ図録より転載
県別で見ると千葉県の人口100人当たりの自転車保有台数(推計値)は埼玉、大阪などに次いで多い。比較的平坦であり、電車との接続が容易な都市部での利用が多いと思われる。
ちなみに自転車の普及が一番少ないのは沖縄県。沖縄は肥満度(男女とも)の一番高い県でもある。肥満の原因は過食と運動不足だと言われ、結果は医療体制への負担となる。沖縄では肥満と糖尿病が増えている。アメリカ式のファストフードが本土に先駆け60年代からあり、脂っこいものを大量に取込む食文化が広がっていた。米軍基地のもたらした健康被害のひとつと言えるかもしれない。本土の各県でも肥満率が高くなっている。食生活の改善、そして運動が医療体制への負担を減らす予防となる。肥満を防止し、医療体制への圧力を減らすためにも自転車は効果がある。

社会実情データ図録より転載
●世界の状況

社会実情データ図録より転載
12の国について、交通手段別のトリップ数構成比のグラフがある。出かける時の手段に自転車が使われる比率が大きい順に、オランダ、デンマーク、日本、ドイツ、スウェーデン、スイス、オーストリア、英国、フランス、イタリア、カナダ、米国となる。
カナダ(74%)や米国(84%)は自動車の比率が高い。それが国民の運動不足を招き、肥満比率の高さにつながっている。
●未来からの俯瞰
IEA(国際エネルギー機関)が認めるように在来型のアブラ(いわゆる普通の原油)は2006年に生産ピークを迎えた。それ以降、エネルギー効率の悪い油田(たとえば深海油田や極地の油田)、タールサンドやオリノコ原油などの非在来型のアブラの比率がどんどん高まっている。アブラの価格は10年前に比べ、5倍近くになり、これからも上昇していくだろう。
石油時代の後半に差し掛かり、これまでのようなエネルギーを大量に使う生活は根本から揺るがされる。
日本では輸入される石油の4割近くが運輸に使われている。ピークオイルを過ぎた時代、これまでのように交通、運輸をアブラに依存していくことは難しい。
そして何より、自転車は陸上の移動手段の中で、もっともエネルギー効率が良い。

社会実情データ図録より転載
●モデル
都市部では、オランダやドイツの諸都市のように、普通の道に自転車道を設ける。または場所によってはクルマの乗り入れを禁止する。駐輪場を市内各地に設けるなどして、とにかく自転車を使いやすくする都市計画が望まれる。クルマを使いにくくし、自転車(や徒歩、公共交通機関)を奨励する様々な仕掛け、仕組み、措置が必要になる。
自転車製造業、町の自転車屋、自転車の修理や再生などのほか、自転車タクシーなどが雇用を生み出し、自転車の利用により、健康が維持され、医療体制への圧力も弱まるだろう。

ベロタクシー

Wednesday, October 17, 2012

パーマカルチャー:下降の時代を楽しく幸せに暮らすための処方箋


11月初頭にコモンズから出版されるデビッド・ホルムグレン著『パーマカルチャー』から、訳者あとがき(のようなもの)を転載。

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●袋小路な時代
本作が2002年にオーストラリアで出版されてからの10年間、特に顕著になってきたのは窒息するような閉塞感だと思う。何をやっても何も変わらない無力感に苛まれ、ガラガラポンのリセットを待望する空気が世界に充満しているような気がする。数字の上では豊かになっているはずなのに、幸福の実感はどんどん薄れている。日本では、毎年3万人以上が絶望から自殺に追い込まれている。行き場のないやるせなさが蔓延している。別な価値観や生き方が求められている。
言葉を換えると、人間は進化を求められているんじゃないだろうか。でも、どんなふうに進化したらいいのか、それがわからない。昔に戻ることはできないし、ただシンプルにってこともできない。だれにもまだ答えは分からないのかもしれない。だから、立ち尽くしちゃう。はっきりしていることは、これまでと同じやり方ではいけないってこと。道筋は見えないけど、これまでの方向じゃだめだってことだ。これまでのように未来にツケをまわして、つかの間の上昇や拡大を盲信し、人間の能力を過信し、飽食を続けていくことはできない。もうだめだ。本物の幸福は財布の中身では測れないところ、もっと別なところに見つかるのかも知れない。
閉塞感ややるせなさを生み出しているのは、これまで数十年通用した「しあわせの処方箋」が役に立たなくなっているからだ。現代文明を支えてきた安い石炭や石油などの炭化水素燃料が手に入らなくなり、右肩上がりに成長を続けていけなくなってきたからだ。化石燃料を燃やし続けたツケ払いも迫っている。これまでのやり方、常識を変えなけりゃならない。

2011年3月11日、日本の住人は未曾有の地震と津波、そして現在もまったく収束のめどすら立たない原発事故に遭遇して、ガラガラポンになっちゃった。これらの災禍からいろいろなことがはっきりしたが、いざという時、頼りにできるのは自分自身だと気がついた人が多いだろう。どん詰まりの時代に政府や企業をあてにはできない。

ホルムグレンが『未来のシナリオ』(農文協、2010年)でも指摘するように、こうした激動の時代には単純明快に即決行動をとるように見えるファシストや独裁者が台頭しやすくなる。民主主義がもたもたと議論を踊らせてる間に、問答無用の連中がのしてくるというわけだ。
ファシストや独裁で危機にうまく対応した例もある。90年代のキューバは、ピークオイルという危機に社会がどう対応したらいいのか、いくつもの例を見せてくれた。都市農業や裏庭農業、公共機関の地方分散などをとおしてキューバ社会はソ連とコメコン国際分業体制の崩壊がもたらした危機を曲がりなりにも乗り切ることができた。でも、これらの方策が独裁政権のもとで有無をいわさずに行われたことも忘れてはいけない。カストロのような独裁者ならともかく、ひとつ間違えたら、北朝鮮になる危険もある。ロシアンルーレットで運を天に任せ、独裁者の慈悲に期待するのか、それとも下降の快感を味わいながら、人間性を再獲得し、脱炭化水素時代を民主的に創造していくのか。その選択は人間一人ひとりにかかっている。

●ピークオイルと気候変動の発症
人間社会がこれまで経験したことのない時代にパーマカルチャーは「下降の文化」としての真価を発揮するだろうとホルムグレンは説く。上り坂の時代にはそれに見合った産業文化が必要だが、下り坂の時代にはそれでは通用しない。パーマカルチャーは下降の時代を楽しく幸せに暮らすための処方箋なのだ。


本書が02年に発刊されてからの10年の間にエネルギー下降の時代はさらにくっきりと姿を現し始めた。本書が出版された頃には冷笑されることの多かったピークオイルについての理解も、10年を経て、いまでは現実として受け止められるようになった。
10年の間でもっとも象徴的な出来事はIEA(国際エネルギー機関)が2010年の年次報告『エネルギー概観』の中で、「原油生産のピークは2006年だった、その生産が二度と上向くことはない」と、さらりとピークオイルに言及したことだろう。楽観的な予測を繰り返し、ピークオイルの「ピ」の字にも言及せず、様々な人の警告に耳を貸さなかったIEAがである。ホルムグレンが本書の序章で語る「エネルギーの山頂」を人類はすでに越し、下山への準備に残された時間はそれほど残されていないということが、公式に確認された瞬間だった。
もうひとつ、ピークオイルに関してこの10年間の象徴的な出来事をあげるなら、権威ある科学誌のネイチャーが2012年にピークオイルについて論文を掲載したことだろう(1月26日号)。「気候変動への対策:原油生産はティッピングポイントをすぎた」と題された論文を書いたのは米ワシントン大学の気候変動プログラムの創立理事、ジェイムス・マレーと英オックスフォード大学のデビッド・キング卿(2000年から07年まで英政府の主席科学顧問)だ。タイトルが示す通り、気候変動の専門学者からの視点になっている。
この論文の主要な点は下記の通り。

●経済への波及効果が大きく、しかも直接であるため、化石燃料の消費を抑制することが火急の課題である。
●2005年がティッピング・ポイント(転換点)だった。それ以後、需要は伸び、価格が上昇しているにも関わらず、原油生産は天井(一日7500万バレル)にぶつかったかのように増えていない。
●世界経済が現在立ち直ろうとする経済危機も、原油価格の上昇が引き起こしたものだ。
●経済は、これから起こるであろう原油価格の動きに耐えられない。
●化石燃料依存から脱却することでしか、健全な経済発展は望めず、気候変動にも対応できない。
●化石燃料依存からの脱却は何十年も要するものであり、今すぐ取りかからなければならない。
●問題は原油の枯渇ではない。原油はふんだんにある。手に入らなくなるのは、これまでのような安い原油だ。
●原油市場は弾力を失い、わずかな需要の伸び、供給の不安でびくびくする。
●タールサンド、オリノコ原油、深海原油、極北原油、液化石炭などの非在来型原油は役に立たない。
●あまり騒がれなかったが、2008年からの不況は「信用危機」だけが引き起こしたものではなく、原油価格危機もその理由である。
●歴史的に見て、世界の経済成長と原油生産の間には密接な関係がある。
●原油の生産が伸びられなければ、経済も成長できない。
●気候変動への政策取り組みは鈍かったが、ピークオイルに端を発する経済の鈍化が短期的には、気候変動への対策となる。
●原油生産の減少に取り組むことのできない政府は、不況だけでなく、気候変動のもたらす壊滅的な影響をもろに被ることになる。
●各国政府は無駄を省き省エネへ更なる取り組み、石油製品への税率を上げ、クルマの制限速度を下げ、公共交通機関の奨励、再生可能エネルギー源の開発へ税制優遇などにとりかからなければならない。

ピークオイルについてかじったことのある人に何も目新しいことはないどころか、それがもたらす最大の問題である食糧供給についての言及がないなど不満は残るが、やはり、権威のある雑誌に権威のある学者が書いたということはそれだけで大きな意味がある。また、ホルムグレンが『未来のシナリオ』でピークオイルのもたらすエネルギー危機の速度と気候変動の発症の度合いを複合的にとらえ、4つのシナリオで検討したように、これまではピークオイルの研究者には気候変動とのからみで複合的に問題を捉える傾向があった。しかし、気候変動を研究するものにはピークオイルへの関心がほとんどなかっただけに、気候変動研究者がこの論文を書いた意味は大きい。

もちろん、未登頂の高みが、雲の向こうにあるはずだと思う人はたくさんいる。でも、アメリカではハーシュ報告書(米国エネルギー省の要請で行われた世界的な原油生産のピークとそのインパクト、影響緩和とリスクマネージメントに関する研究報告書。主任研究員だったロバート・ハーシュの名前を取り、ハーシュ報告書と通称される。2005年に作成されたが、しばらくは入手が難しく、ある高校のサイトに掲載されていた)やオーストラリアではBITRE117報告書(インフラ交通、地域経済局Bureau of Infrastructure, Transport and Regional Economicsの研究報告書。2009年に作成されたものの、2年ほど、発表されなかった。現在もBITREのサイトには掲載されていない)などのように、各国政府はピークオイルを研究している。イギリスでは政府内に対策委員会が設置され、その影響を緩和するための政策作りにリチャード・ブランソン(バージン)などの企業人も加わり、具体的な審議にはいっている。原油の消費ではほかに類を見ない団体である米軍(ERDC報告書[陸軍のエンジニア・調査研究センターEngineer Research and Development Centerによる報告書]、2005年)はともかく、ドイツ軍(BTC報告書[ドイツ連邦軍改革センター(Bundeswehr Transformation Centre)による報告書]、2010年)もその影響を研究している。そして、これらの研究はネイチャー誌の論文同様、その影響が社会の多岐にわたることを認め、速やかな対策を施すことを呼びかけている。

ピークオイルの醜い双子である気候変動も、この10年、危険水域にどんどん踏み込んでいる。兆候はいたるところに見える。常識や記録を塗り替える洪水や干ばつ、山火事、豪雨、寒波や熱波があちこちでたくさんの被害を生み出している。世界的には「最も温暖だった年」の記録が更新され、いろいろな国で最高気温の記録が更新されている。降雨量も嵐も型破りなものばかりだ。2005年に「百年に一度」の干ばつを経験したアマゾンの熱帯雨林は、二酸化炭素を大量に排出する場所になってしまった。

●世界の動き
ギリシャ神話にはカサンドラという未来の災禍を予言する美しい王女がでてくる。でも、カサンドラの予言にはだれも耳を貸すことがないという呪いがかけられていた。安いエネルギーが右肩上がりで手に入る時代の終焉を告げ、下り坂の時代の生き方を説くホルムグレンも現代のカサンドラのひとりなのかも知れない。ただし、ホルムグレンとカサンドラとの違いは、パーマカルチャーのメッセージは世界中で受け止められ、実行に移されていることだ。
エネルギー下降時代に社会はどうしたらいいのか、人間はどう生きたらいいのか。エネルギーの頂から積極的に、しかも創造的に下山する動きは世界中で始まっている。

映画『幸福の経済学』を作ったヘレナ・ノーバーグ・ホッジが力説するように、これからの時代を幸せに生きるために不可欠なのは食の地産だ。安い石油に頼り、地球の裏側までのびきった供給網に頼る暮らしを少しずつ自分のそばへたぐり寄せることだ。豊穣な下降の道筋をデザインする動きは世界中で始まっている。グローバリゼーションの中でこなごなに破壊されてしまった地域経済、社会、文化を取り戻す動きは世界で始まっている。
そうした運動の主役は政治家ではない。企業でもない。それは個人であり、地域社会だ。自分の幸福はカネでは買えない。幸福を取り返すためには自ら行動を起こしていくしかない。無味無臭で季節感すらないのっぺりとしたグローバル化した社会に決別し、自分の暮らしを自分の手に取り戻し、家族の手に取り戻し、地域社会の中に据え付けるしかない。
その方法はひとつではない。それぞれの場所で、それぞれにあう形で、創造的なやり方が編み出されている。自家菜園、都市農園、田舎への帰農などもそうだし、たとえば、ゲリラ・ガーデニングもある。都会の空き地に食べられる植物のタネをまき、食料生産の場所に変えていくのだ。夜影にまぎれ公共の空き地に果樹の苗木を植えて回る連中もいる。そうかと思えば、自らの食糧消費を減らし、都市の生み出す余剰で暮らすフリーガンと呼ばれる連中もいる。スーパーのゴミ箱に積極的に飛び込み、まだ十分食べられるのに賞味期限切れというだけで捨てられる大量の食物をゴミの流れから拾い出し、それで暮らす人たちだ。自ら生産はしなくとも、現代の大量生産、大量消費社会に異議を唱える方法はたくさんある。
パーマブリッツと呼ばれる運動もある。パーマカルチャーと電撃戦を意味する単語を組み合わせたものだが、インスタントにお手軽に庭をパーマカルチャー式な畑に変えちゃおうという運動だ。ピークオイルのウエッブ雑誌の老舗である『エネルギー・ブレティン』の創立編集者のアダム・グラブなどが始めたもので、庭の改装デザインはパーマカルチャーを学んだ連中があたるが、実際の作業にはボランティアが参加する。そうやって、ほかの人の庭の改修を何回か手伝うと、自宅の庭を改修してもらう資格ができる。パーマブリッツを通して、地域社会作りもできるという一石二鳥の社会運動だ。メルボルンで始まったバーマブリッツ運動は、世界に広がりつつある。
こうして、地域社会や地域経済をグローバル化から地域住民の手に取り戻そうとする社会運動で最もよく知られるのは、パーマカルチャーを教えるロブ・ホプキンスが2005年にアイルランドのキンセールで始めたトランジション・タウン運動だろう。ピークオイルと気候変動への現実的な対応として、世界各地の町や村に飛び火し、地方の行政を巻き込みながら、野火のようにじわじわと広がりつつある。トランジション・タウン運動の骨格はパーマカルチャーだが、運動に関わる人の中にはパーマカルチャーなんてまったく知らない人も増えている。そのくらい一般に浸透しつつある。

●90億の人口、40億の中産階級
2012年1月、国連の「地球の持続可能性に関するハイレベル・パネル(GSP)」が「世界人口は現在の約70億から2040年までに90億近くに増えるとみられ、ミドルクラスの人口は今後20年の間にさらに30億人増えるため、資源に対する需要は飛躍的に拡大する」という内容の報告を出した。
この報告書が予想する数字の中で、たぶん、一番衆目を集めるのは90億という数字だろう。しかし、最も深刻な意味を持つのは、現在約10億といわれる中産階級が4倍にふくれあがることだ。絶対数の増加も重要だが、もっと大きな意味を持つのはその人口がどんな質の暮らしをするのかということだ。どれだけメシを食い、どれだけエネルギーを消費するかということだ。ぶっちゃけた話、世界人口が90億に増えても、みんながバングラディッシュ人レベルで暮らしていたら問題はない。ところがアメリカ人や日本人のような暮らしをするなら、地球は3つも4つも必要になる。
この中間層の伸びを加味して国連の報告書は「2030年まででも、現在よりさらに少なくとも50%の食糧、45%のエネルギー、30%の水が必要になる」とはじき出す。
今の5割増の食糧はいったいどこから手に入るのか。もちろんフリーガンたちのように、飽食社会の無駄をなくすことで養える人口があるのは事実だが、それにも限りがある。世界の耕地面積にも限りがある。すでに毎年520万ヘクタールの森林が伐採されている。魚の85%はすでに乱獲され、枯渇の危機に瀕している。
日本に暮らしていると分かりにくいが、真水も世界では次第に手に入りにくくなっている資源のひとつだ。食糧を生産するためには耕地だけでなく、水が必要だ。インドなどでは需要を賄うため、井戸の深度がどんどん深くなり、現在では何千万年も前、恐竜が闊歩する時代に溜まった水に手をつけている。無駄をなくし、節水に努めていっても、やはり限りがある。今の3割増の水需要をどう確保するのか。
エネルギーはどうなのか。今、世界では一日に8800万バレルの液体燃料が消費されている。これの5割増のエネルギーはいったいどこから来るのか。
報告書は「世界で急増する人口の需要を満たすのに十分な食糧、水、それにエネルギーを確保するための時間がなくなりつつある」と指摘している。しかし、時間さえかければどうにかなるものではない。どんなに時間やカネを費やしても解決できないことがある。使いっきりの資源はまさにそれだ。人間に利用できる土地や水などにも限りがある。地球には限りがある。
GSP報告は、これらの水やエネルギーや食糧が見つからなかった場合、30億の人々が貧困に追いやられる恐れがあると警告する。それだけの数の人間が生と死の瀬戸際に追いやられ、もうまかなえなくなるという意味だ。収奪できる空気や森林、水資源や魚もあまり残されていない。増え続ける人口をぼろぼろになった地球はもうまかなえない。そして自分は生死の境をさまよう30億の一人になるかも知れない。あなたの子供がその一人になるかも知れない。
これは冷酷なことのようだが、生態学的には当然の帰結なのだ。生態系では手に入るエネルギーや食糧が増える時、人間を含めた個体数は増える。それが70億であり90億の人口だ。ここまで増えるのは、それをまかなえるエネルギーがあったからだ。しかし、手に入るエネルギーや食糧が減っていく時、個体数はそれに見合うように減らざるをえない。それが生態系だ。人間だけが生態系の制約を受けないという理由はまったくない。人口がこのまま増え続けるということは、有限な地球環境の中ではあり得ない。人口は減らざるをえない。それがエコロジーなのだ。

問題はいかにして、人口を減らし、特に中産階級の環境負荷を減らすかということであり、それを他人任せにすれば、きわめて非人道的なやり方を強いられることにもなりかねない。どんな理不尽に思えることも、生態系の要求は容赦なしだ。背に腹は代えられない。その実感がなければ、エコ談義は空回りする。

国連報告書は「小手先の細工では不十分で、現在の世界的な経済危機は大がかりな改革の機会」だというが、世界中で10億といわれるミドルクラスの人間には、それが理解できているのか。あなたと私のことだ。私たち中産階級の一番の問題は、自分たちが裕福な暮らしをしていることを自覚していないことだ。そこそこの暮らしをしているだけじゃないかと思い込んでいることだ。そして自分たちの「ささやかな」暮らしは昨日よりも明日はもっと豊かになるだろうと思い込んでいる。自分の息子や娘たちの時代はいまよりも、ずっともっとましになるはずだ。人類は発展するものだと思い込んでいる。

右肩上がりの飽食時代に慣れた身にはつらいことかも知れないが、下山していく時、もう一度、世界を見直し、自分の立つ場所を確認しなければならない。自分の息子や娘が大きくなる頃、水はどこから来るのか。まずは、その現実をしっかりと見つめることだ。食糧やエネルギーはどこから手に入れるのか。自然という生産システムに自分はどう関わるのか。
楽しく優雅な下山の道筋を考える時、パーマカルチャーはきっと役に立つだろう。限界を見極めた上で、そこに知恵を働かせること、有限な自然を理解し、そのうえで快適な暮らしを作り出すこと。それがパーマカルチャーの神髄なのだから。数あるパーマカルチャーについて書かれた本のなかでも、本書は知恵を働かせる思考回路の作り方を解き明かしているので、何度も何度も繰り返し読むことになるだろう。一気に読むような本ではない。トランジション・タウン運動を始めたロブ・ホプキンスはこの本を「とても密度の濃いチョコレート・ケーキだ」と例えた。少しずつ、少しずつ、味わいながら消化するのがいい。コーヒーを一口すすり、またページをめくる。ホルムグレンが唱える原理を自分の境遇に当てはめ、反芻し、理解し、議論する。そして行動に反映する。それをくり返していくうちに、優雅な下山が始まっていることだろう。

●発刊にいたるまでの経緯
本作は、本当なら、もっと早くに翻訳が出版されているはずだった。最初に話が持ち上がったのが04年にホルムグレンが日本に講演に呼ばれた時で、翻訳の一次稿は翌年には仕上がっていたのだから。そのツアーにオーストラリアから通訳兼ツアマネとして帯同することになる前からこの本は何度も読んでいた。
最初に翻訳出版の話を聞いた時、これだけ密度の濃い、量も半端じゃない本は大変だろうなと思った。なにしろ、ホルムグレンが20年以上のパーマカルチャー生活の実践から抽出した12の原理だ。小手先の技術じゃない。その技術にいたるための考え方、思考の回路を手にするための羅針盤だ。
これからの時代にとても有用な本だから、なんとか形にしたい。どうしようかなあ。やるべきだけど、とてもできそうもない。そんなことを考えている時、頭に浮かんだのは、その数年前に出版された『自家採種ハンドブック「たねとりくらぶ」を始めよう』(現代書館)だった。
オーストラリアのパーマカルチャー実践家の手になる『自家採種ハンドブック』の翻訳出版のやり方は斬新だった。全国どころか海外から参加した翻訳作業者がネット経由でつながり、翻訳文章はネットの書庫で共有され、表現の不確かなところ、分からないところがあれば質問し合い、別な人が目を通し、査読し、意見を交わす。ネットという通信手段の利点をうまく使い、水平的につながり、そんなところが、きわめてパーマカルチャーなやり方だと思った。コンセプトとしてはそれまでにも存在してたし、ネット環境が格段に整った今なら珍しいことはない。でも、当時は技術的に可能になったばかりだったから、とても画期的で斬新な気がした。自分はいろいろな事情でほんの少ししか関われなかったけれど、顔も知らない人との協働作業にとても興奮し、本の内容以上にわくわくしたことを覚えている。
信州安曇野のパーマカルチャー宿、シャロムヒュッテに逗留し本書の翻訳をやろうかどうしようか考えた時、まず頭に浮かんだのは『自家採種ハンドブック』の中心スタッフの一員であり、兵庫で百姓をやる福本夫妻を引き込むことだった。ネットワーク運営のつぼを心得ただんなの福裕さん、そして在宅翻訳者の福麻さん、この二人をうまくたぶらかせばどうにかなるかも知れない。
てなわけで、福本夫妻を説き伏せたあとは、想像通り、葉子さんと市川さんは福本夫妻が紹介してくれ、綾さんと須藤姉妹は、こっちの張ったクモの巣に自ら飛び込んできてくれた。眺めてみると、ものすごい顔ぶれで、約束の翌年初めには一次稿が終わっていた。だから、本書は本当ならば、その年の3月か4月には出版されるはずだった。
ところが、作業を終えて、何ヶ月にもなるのに、本が出る気配はまったくない。どうしたんだと思っていると、最初に話を持ち込んだ人の手で約束は反古にされてしまった。

その後、いろいろな人の手を煩わせ、いくつもの出版社に本書を持ち込んだ。でも、結局、今日まで日の目を見ることはなかったのだけど、いろいろ、伝手を通じていろいろな出版社に話を持っていってくれた陶芸家の西城鉄男さん、作家の清野栄一さん、翻訳者の須藤晶子さん。実ることはなかったけど、本当にありがとう。

もっと早く本書が出ていたらよかったとは思う。でも、その反面、これも運命的なもので、もしかすると天の配剤かなと最近は思うようになっている。むしろ原著が出版されて10年を経て、しかも、日本でフクシマのあとに出版されるってのも、実は大きな意味があるのかもしれないなあと思うようになった。
そういうものなんだよね、何事も。起こることは起こる時に、起こるような形でしか起きないのかも知れない。原著が出版されてからの10年間に起きたことを振り返ってみると、本書の内容は今の方が10年前よりも理解しやすくなったのではないかって気がする。この本の翻訳がこういう形で出ることは最初から運命づけられていたのかも知れない。

翻訳作業が長かったので、たくさんの友人や家族の世話になった。ありがとう。名前をいちいち挙げていくときりがないが、いつものように鴨川自然王国の皆さん(ヤエちゃん、ミツヲさん、カズマにケンタ、石井さん、ガミちゃん、そして登紀子さん)に本当に世話になった。ありがとう。

特に校正段階にはいってからは、浦安の典子さんとはなに遊んでもらったのが、物心両面で大きな支えになった。ありがとう。

天空企画の智内好文さんが翻訳原稿を持って、根気強くいくつもの出版社を回ってくれなければ、本書は日の目を見ることはなかったに違いない。智内さんの励ましがなかったら、きっと、めげて、すねてたままだった。本当にありがとう。最終的に本書の出版を引き受けてくれ、丁寧な校正作業をしてくれたコモンズの大江正章さんにも感謝。

今日も地球のどこかで、ヴァレインズやザ・クリーンの良質ポップに心を躍らせながら。
rita

電気自動車の環境負荷


環境意識の高まりで電気自動車(EV)の普及が進んでいる。エコカーと位置づけられ、日本でも充電スタンドの数が増え、災害時の緊急電源としての利用が可能なことから、特に都市部で導入が進んでいる。ガソリンスタンドの閉鎖が進む農村部でも自宅で充電できる利点を生かし、軽トラが発売されるなど、農村部へも浸透しそうだ。自動車企業はEVをこれからの成長分野として位置づけ、開発やインフラの整備を急いでいる。

たしかに運転中は排ガスを出さないので環境への負荷は従来の内燃機関に頼るクルマよりは少なそうな電気自動車だが、生産から廃棄までライフサイクルで見た場合どうなのか。これまであまり、信頼できる研究はされてこなかった。

最近『インダストリアル・エコロジー』誌に発表されたノルウェー科学技術大学の研究によれば、電気自動車は、特に発電に石炭が使われる場合、温室効果ガス排出量はガソリンやディーゼルエンジンのクルマよりも格段に大きくなることがわかった。

電気自動車はライフサイクルでもたらす環境への影響の半分は製造過程で出る。この研究によれば、従来のクルマの製造過程に比べ2倍のインパクトを温暖化にもたらす可能性があるとしている。

特に影響が大きいのはバッテリーで、製造過程で排出される温暖化ガスの35~41%を占める。アルミが多用されるインバーターや冷却装置も温暖化ガスの大きな排出源だ。また、アルミだけでなく銅やニッケルも従来のクルマ以上に必要で、これらはスモッグ、酸性化雨の原因にもなりかねない。

電気自動車の環境決済は、走行を始める前にかなりマイナスからスタートすることになる。だから走行中は「きれい」かもしれないが、ライフサイクルで見れば、従来のクルマとせいぜいどっこいどっこいか、劣ることになると研究はまとめている。

運転中に使用される電力が「クリーン」なものであればともかく、石炭や石油などの化石燃料によるものであれば、電気自動車の環境負荷はさらに大きくなり、場合によっては、従来のクルマの方がよっぽど環境に「やさしい」こともあり得る。

現在ヨーロッパにおける発電エネルギーミックスで、一般にいわれているように15万kmを寿命として計算すると、自動車企業が主張するように、電気自動車はガソリン車に比べ20〜24%、ディーゼル車に比べ10〜14%の温暖化ガス排出量を削減することができる。

しかし、天然ガス火力の場合、電気自動車の温暖化ガス削減量はガソリン車の12%と減り、ディーゼル車とはほとんど変わらなくなってしまう。さらに石炭火力発電はもっと酷くなり、ガソリンやディーゼル車に比べ17~27%も温暖化ガス排出量を増やしてしまう。

電気自動車は長く使い続けるほど、環境への価値が増すことを研究は指摘する。
「20万kmまで使えば、ディーゼル車と比較して17-20%、ガソリン車に比べれば27-29%の温暖化ガス削減になるが、反対に10万kmしか走らなければ、ガソリン車に対して9-14%の削減にしかならず、ディーゼル車とはほとんど差がなくなってしまう」

電気自動車の寿命はバッテリーにかかっている。バッテリーの技術は徐々に向上しており、電気自動車自体の寿命ものびる可能性がある。しかし、従来のエンジンも燃費の改善が進んでいる。ガソリンからディーゼルへの移行も加速するだろう。

電気自動車がはなから環境に「やさしい」と決めつけず、場合によってはマイナスになることも考慮しておかなければならない。導入を考えるならば、まず、どんなエネルギー源が発電に使われているのかを確認する、そして、バッテリーはどのくらいの期間保証されているのか、確認しろと報告書は結んでいる。

Tuesday, October 09, 2012

地域通貨/ブリストル・ポンドの実験


イングランド南西部の港町,ブリストルで先月始まった実験が世界の注目を集めている。

イギリス全体でも8番目に人口の多い(周辺の町を合わせ約56万人)都市で,国の法定通貨であるポンドと等価交換される独自の地域通貨,ブリストル・ポンドが発行されたからだ。

経済のグローバル化の進行で,地方で使われたお金はどんどんと域外へ流出してしまう。地元の中小企業は必要な資金が借りられず,地方経済は空洞化する。全国どこに行ってもおなじみのチェーン店が並ぶ構造をどう変えたらいいのか。地域で使われるカネを地域の中で循環させ、地域経済の活性化が地域通貨の目的だ。

地域経済の主権を地元の人の手、企業に取り戻すという地域通貨の理念に共感できても,実際に使うとなるとかなり使い勝手が悪い。日本などでも限られた商店街だけでしか使えないとか、また受け取った側は経理が煩雑になるなどの理由で,なかなか浸透してこなかった。

それはイギリスでも同様で,ブリストル以前にもいくつかの都市で地域通貨が導入されたものの,そうした理由であまり広がってこなかった。BBCによれば,ちょうど3年前にストラウド(グロスターシア)でも,ストラウド・ポンドと呼ばれる地域通貨が鳴り物入りで導入されたが、昨年はわずか4000ポンド(初年の半分)が発行されたに過ぎないという。環境意識が高いとされるストラウドでも,ボランティアの熱意が冷めてくるにつれ,煩雑さから敬遠されているのだろうと分析している。崇高な理念だけではだめなのだ。

その一方で,世界にはたくさんの成功例もある。ドイツのバベリア地方で2003年から流通するキームガウワは昨年55万キームガウワが市場に出回り,取引高は620万キームガウワだった。ユーロと等価交換だから620万ユーロ(約6200万円)が域外に流出せず,地方経済に貢献したことになる。

ブリストル・ポンドがキームガウワのように成功するかどうかはわからないが,これまでの地域通貨にはない特徴を備えていることは間違いなく、他の自治体ににも大きな参考となるだろう。



まず、これまで地域通貨といえば,商品券に毛がはえたようなものが多かったが,ブリストル・ポンド札は精巧な作りで,まるで本物の貨幣と変わらない。実は,「本物」のポンド札より偽造しにくい工夫が凝らされていると言う。ブリストル・ポンドは9月半ばに10万ポンド(約1250万円)が発行され,来年には600万ポンドの取引を目指している。

使い勝手でいえば,ブリストル・ポンドはこれまでの地域通貨のように、加盟する350以上の地元商店や業者で使えるだけでなく,オンライン決済にも使用できる。たぶん,地域通貨では世界で初めてではないだろうか。

市当局が地域通貨を保証し,地元の信用金庫が発行から決済を担当するだけに、美術館など公共の施設で利用できるのはもちろんだが、地方税の納付もブリストル・ポンドでオーケーなのだ。公務員給与の支払いの一部も地域通貨だから、公務員が積極的に使わざるをえない。自治体がこれほど積極的に関わる地域通貨はイギリスでも初めてだろう。

金融危機に際し,中央銀行は通貨の量的緩和政策をとりがちだが,経済弱者を救うことはなく,経済中枢はともかく,地方経済は疲弊するだけだ。グローバル化した経済に対し,地方自治体は無力だと思われがちだが,ブリストルのように地域通貨の流通に積極的に関わることで,地場の中小企業を支え,地方経済の活性化を促すことができる。

それが五井平和賞を受賞した『幸せの経済学』の監督、ヘレナ・ノーバーグ・ホッジやパーマカルチャーの創始者,デビッド・ホルムグレンが言うような地域経済の再建の一助になることは間違いない。

9月28日のスケッチ

旅先で見かけたポスターにつられ,同郷の「広告界の神様」太田英茂の作品展を見る機会がありました。花王石鹸など,昭和初期の日本で広告戦略やデザインに新しい境地を開いた人です。また、日本の近代デザインの基礎を築いた河野鷹思、木村伊兵衛、原弘、亀倉雄策などを育てたことでも知られる人です。戦前のフォトモンタージュや斬新なコピーなどにはあらためてうっとりとしましたが,これまで知らなかったこともありました。太田は,戦争末期に郷里に戻り,村のあり方,農と食などを村の若者たちと論じていたのだそうです。そればかりか、医食同源を唱え、マクロの元祖ともいわれる石塚左玄の「科学的食養長寿論」を写本するほど影響を受けていたようです。戦後,再び東京に戻った太田は酒悦の広告などを手がけますが,77歳の1969年,「人生の最終ラウンドは山村にこもり,自然の子となり,自然と人間の関係,人間とその社会,人類のあるべき未来像,この一連のテーマと唯物史観に立って激しく取ッ組みながら,原始に近づけた生き方から,体得と読書と啓示をとおして飽かず追求しようと思っています」と「蒸発宣言」を出し,再び郷里の梓村に戻り、そこで生涯を閉じました。

うっとりしながら美術館を出て,まだ暑い日差しの空を見上げると,なぜかピーター・ポール&メアリーなどのカバーで知られる名曲「500マイルズ」が口をついて出てきました。汽車がごとんごとんと離れていくにつれ,心も離れていく、そんな歌を久しぶりに口ずさみながら、思えば,ニュージーランドの南島の人口300人の村をあとに,着の身着のままの流浪モードに入り、3年近く経っていることに気づきました。ホームレスにペニレス,まるでその歌詞のような自分が、ここまで何とはなしに生きてこられたのもあちこちの知人,友人たちのおかげです。

こういう自分はまるで、寄生虫のような存在だなあと思うことがあります。流浪モードで他人の世話になるしか仕方のない自分を正当化するつもりはないんですが,自然の中では寄生関係はかなり当たり前なことだそうです。バクテリアなんかはほとんど,そういう関係だそうです。寄生とまでいかなくても,共生や共働も,弱肉強食の競争関係よりも普通なんだそうです。ダーウィンの説を社会に応用した社会的進化論には,無政府主義者のクロポトキンが『相互扶助論』(翻訳は大杉栄)で的確に反論しています。80年代以来世界を席巻する新自由主義で、人間は個に分断され,競争を煽られています。ひとつ,立ち止まって,競争はそれほどいいものなのか,自然なものなのか,考えてみるのもいいかもしれません。

太田は数々の名句を残しましたが、特に元気付けられ、手帳に書き写したのは「今からでもおそくない。よき最後はこれからの毎日の過ごし方にかかっている」でした。これからまだまだ、しばらくは心も身体も流浪モードが続きそうですが,太田のように「正面向きの生活」に立ち向かっていこうと思います。

Sunday, June 03, 2012

怒りつづける/maintain the rage



私は怒っています。

「カマタミノルもカトウトキコも、この男フジモトトシオも、海も、大地も、空気も、みんな怒っている」( 「海よ、 大地よ」より)

あなたはいかがでしょう、まだ怒りに震えていますか?


歌手 ・ 加藤登紀子と医師 ・ 鎌田實が、放射能に苦しむ福島の子どもたちへのふたりの熱い思いと渾身の怒りをこめ、 今までにない朗読と歌の珠玉のミニアルバムを作りました。福島の詩人、 和合亮一と 若松丈太郎の作品、加藤登紀子の書き下ろし、鎌田實の朗読も聞けます。

不条理に泣き、闘志をかきたてられる一枚。
ふくしま ・ うた語り』

発売日:6月6日
価格:¥1,500
製品番号:GNCD-0004


このCDは自費出版、自費流通で収益は全額、 福島の子どもたちのために使われます。是非、一人でも多くの人が聞いて、買って、流通してください。

【トラックリスト】
1. 貝殻のうた 作詞 : 和合亮一 作曲 : 伊藤康英 歌: 加藤登紀子
2. 神隠しされた街 作詞 : 若松丈太郎 作曲 ・ 朗読 ・ 歌 : 加藤登紀子
3. スマイル ・ レボリューション 作詞・ 作曲 ・ 朗読 : 加藤登紀子
4. 海よ、 大地よ 作詞 ・ 朗読 : 鎌田實 作曲 ・ 歌 : 加藤登紀子
5. 貝殻のうた インスト

Saturday, April 07, 2012

対麻薬戦争は失敗


オーストラリアでは1953年までヘロインも合法だった。それが非合法化され大麻、コカイン、スピード、アイス、エクスタシーなどすべての麻薬とひとくくりにされ、刑法で取り締まられる「対麻薬戦争」が始まった。「対麻薬戦争」では麻薬所持者、使用者は警察に取り締まられ、司法に裁かれ、罪人として監獄につながれる。この戦争で麻薬は撲滅できたかと言えば逆で、ここ30年ほど、このやり方で問題は解決しないのではないか、失わなくていい命を奪っているのではないか、要らないところに税金が濫用されているのではないか、というように根本的な政策の転換を求める声があがってきた。「対麻薬戦争は失敗であり、われわれはこどもたちを殺し、犯罪者にしている」と結論し、すべての麻薬の非犯罪化を求める報告書が4月3日に連邦議会に提出され、麻薬をどう扱うのか、社会のなかでの議論がいっそう高まっている。

この報告書を作成したのはオーストラリア21というシンクタンクで、福祉問題の専門家であるボブ・ダグラス名誉教授とデビッド・マクドナルド(社会調査コンサルタント)。その作成には二人の元州首相、上院議員のボブ・カー外相(元ニューサウスウエールズ州首相)、ジェフ・ギャロップ元西オーストラリア州首相のほか、ミック・パーマー元連邦警察長官、元ニューサウスウエールズ検事総長のニコラス・カウドリー、ポール・バレット元防衛次官、マイケル・ウッドリッジ元連邦厚生大臣などそうそうたる顔ぶれが関わった。

注意しなければならないのは、合法化と非犯罪化で、報告書は合法化は求めていない。麻薬の売人と個人の使用者をわけて捉え、少量を所持する使用者はこれまでのように犯罪者として刑務所に閉じ込めるのではなく、交通違反のように罰金を科し、カウンセリングやリハビリなどを通して健康、福祉の問題として扱うべきだと提言している。

ニューサウスウエールズ州で精神疾患に苦しむ人の3割から、研究によっては8割が薬物を使用していると言われている。ただでさえ社会からはじかれた人々は、薬物所持が見つかることをおそれ、治療にもなかなかかかろうとしない。また、刑務所でそれらの疾患が悪化することもある。

ワシントンDCのシンクタンク、ケイトー研究所によれば、10年前に薬物を非犯罪化する前には、そんなことをすれば、リスボンは麻薬を求める旅行者のメッカになるだろうとか、麻薬使用者が激増するに違いないと怖れられたが、いずれも実現していない。

麻薬の使用が非犯罪化されてからもポルトガルの使用者はほとんど減りも増えもしていない。ヘロインを週に一度以上射つ人の数は2001年から07年の間に1%から1.1%に増えた。大麻に関してはヨーロッパで使用者が少ない国で、ほかのほとんどの薬物でも使用が減っている。一方、麻薬に誘発される問題は減っている。エイズ患者、HIVにかかる人の数は激減した。HIVの感染はヘロイン、コカインなど射ち込むための注射針を使い回しすることが大きな原因だったが、感染者すの数は1400から400に減った。過剰摂取でのたれ死にする人の数は年間400人から290人に減った。HIV感染者に占める中毒者の割合は56%から20%に減った。その一方、治療プログラムに参加する人の数は1999年には6000人だったのが、2008年には4倍の24000人以上が参加した。

中毒者が治療を拒否する最大の理由は逮捕を怖れるからだと言われている。ポルトガルでは少量(個人使用の10日分)の所持が見つかった場合、その薬物は没収され、弁護士、医師、ソーシャルワーカーからなる委員会に送られ、罰金、カウンセリング、コミュニティワークなどのなかから適切な罰則を言い渡される。いずれにしても逮捕され刑務所につながれることはなく、犯罪歴もつかない。

ポルトガルの経験は使用者が救済されるだけではない。社会、経済的なメリットも見逃せない。たとえば、オーストラリアでは年間に30億ドルが「対麻薬戦争」に費やされている。その75%は刑の執行(警察、司法、刑務所などのコスト)に使われ、予防や治療などにはわずか18%が回るだけだ。ポルトガルのように非犯罪化すれば、治療を必要とする人に膨大な予算をまわすことが可能になる。

薬物を包括的に目の敵にすることで、警察は間違った敵を追い回し、街や家庭が戦場になり、社会を蝕んできた。非犯罪化すれば、警察は罪のない個人を追い回すのではなく、犯罪組織や売人組織という、社会の本当の敵を追いつめることに時間や労力を費やすことができる。「対麻薬戦争」で潤ってきた組織犯罪は非犯罪化で収入が減ることは疑いない。当局が取り締まりに躍起になるにつれ、殺人事件や暴力沙汰が多発してきた。南米諸国のなかにもそれに音をあげて非犯罪化を検討する国がある。

カー外相は州首相時代の経験から、いくつか、法律で禁止された麻薬の非犯罪化が必要だと発言する。特にカーが言及したのは大麻の使用だ。
「警察が大麻使用者の取り締まりに血眼になるのは、有効な時間や労力の使い方なのだろうか。自分が州政府に関わっていた時、警察は駅で警察犬を使い大麻使用者を捕まえようと躍起になっていた。被害者のいない犯罪に警察力を使うよりも、例えば公共交通に安心して乗れるようにするとか犯罪組織が牛耳る地区を一掃する、そういったことの方が警察力の適切な使い方ではないかと思ったものだ」

オーストラリアでは西オーストラリア州が最近、再び、犯罪化したが、首都特別地域(ACT)、北部準州、南オーストラリアで個人使用量の大麻所持は非犯罪化されている。白旗を揚げるのはどんな戦争でも勇気がいる。しかし、泥沼に足を取られ負け戦を続けることは間違っている。税収が減り、限られた警察や司法の予算で効果をあげ、死ななくてもいい人間の命を救うためにも、間違った敵を相手にした「対麻薬戦争」は今すぐ、やめなければならない。間違った戦争をやめるための議論が、少なくとも、オーストラリアでは正式に始まった。

天然ガスは100年分あるのか

福島原発事故以降、電力各社は原発の再稼働がままならないまま、ほかのエネルギー源へのシフトを迫られている。なかでも天然ガスへの依存が増えている。脱原発論者の中にも天然ガスがあるから全部の原発を止めても大丈夫だと主張する人もいる。世界的には2005年から原油生産が天井に突き当たった感じで生産が伸びず、原油価格の高騰がつづいてきた。それを受け、玉突き状に天然ガスの需要が増えている。
増加する天然ガス需要に応えるように天然ガスがたっぷりとあるかのような楽観論が広がっている。4月5日付けの東京新聞も「埋蔵量は40年分/代替エネに日本期待」という見出しでアメリカのシェールガス・ブームを報告している。シェールガスというのは頁岩層から採取される天然ガスの一種で、埋蔵量ので1/3を占めるといわれ、今世紀にはいり特に注目されている。従来のガス田ではないので非在来型と呼ばれ、採取用にフラクチャー(割れ目)をつくるのでフラッキングと呼ばれる技術が導入されるようになって、浸透率の低い頁岩層からの商業的な生産が可能になったガスだ。ガス鉱区の一つ、バーネットで竪坑による生産は1982年に始まっていたが、水平採掘と高圧水や化学薬品、泥などで割れ目を開くフラッキングの導入でシェールガスの生産は飛躍的に向上した。ガス櫓の数は2003年に3000だったのが現在は9000に増加した。

このシェールガス・ブームを受け、オバマ米大統領は1月末に遊説先のラスベガスで「我々の足元には、アメリカを100年支えられるほどの天然ガスが眠っている。我々は、天然ガスにおいてはサウジアラビアだ。大量の資源を手に入れたんだ」と高らかに宣言した

だが、はたして天然ガスは本当にそれほどの量があるのだろうか。天然ガスは膨大な埋蔵量があることは間違いないが、オバマ大統領がいうように「アメリカを100年支えるほど」もあるのだろうか。東京新聞のいう「40年」の出所は分からないが、オバマ大統領の「100年」については、元ネタはどうやら「ガス可能性委員会(PGC)」が2011年4月に発表した報告書だと思われる。
この報告書はこれから人間が手にできる天然ガスの量を2,170兆立方フィート(tcf)と見積もっている。それを2010年の消費量である24tcfで割ると95年になる。オバマ発言にみられる「100年」はここが出所だ。この報告書の「100年分近く」が一人歩きしている。
この報告書をまとめたPGCとはいったいどんな団体かというとガスの業界団体で、委員長のLarry M. Gring自身、Third Day Energy LLCというテキサスのガス会社の社長だ。


というわけで、この報告書そのものが業界に都合のいい内容のものであり、そこに書かれている数字もそのまま真に受けるのではなく、投資を呼び込むためのものと理解した方がいいだろう。

細かく見るとまず2,170兆立方フィート(tcf)という埋蔵量だが、このなかには「確認されたもの」、「可能性があるもの」、それだけでなく「もしかすると採掘できるかもしれないもの」がすべて含まれている。この数字にはほとんど確実に手に入りそうなものから、どこかにあるかも知れないものまでみんな含まれているのだ。存在が確認され採掘が確実なものに限ればわずか273
tcfにすぎない。仮にその全部が採掘できたにしても、2010年の消費量で計算すれば、たかだか11年分にしかならない。東京新聞の「40年」にも遠く及ばない。「可能性があるもの」は536.6
tcfで、これは現存するガス田に確認はされていないものの、可能性があるのではないかという量。「未発見のガス田」が687.7
tcfで、これは何かというと、まだ発見されていない新しいガス田からの量。どこかにあるだろうが、まだ見つかっていないガス田を見込んだ数字だ。そして最後の518.3
tcfはもっときわどいspeculativeという分類だ。投機的とか事実に基づかないことを表す言葉で、もしかすると、どこかにあるかも知れないくらいの感じ。さらに176
tcfが石炭層にあるんじゃないかと思われるガス。当然だが、「確実」に比べると、どんどん希望的な観測度が強まっていく。もう一度繰り返すと、確実に採掘可能なもののすべてが採掘できたにしても、たかだか11年分にすぎない。「100年分」だとか、「40年分」という数字も中身をしっかりと見てみれば、業界の希望的観測にすぎないことが分かり、かなり危なっかしいことがわかる。
また、「100年分」とか「40年分」という時に採用される消費量は現在のものであり、それが増加することは見込んでいない。PGCの報告書では、天然ガスは二酸化炭素の排出量が少ないから、石炭に代わり発電に使うとか、トラックの燃料にするとか、消費の増加を訴えている。ガス推進勢力は投資を呼び込みたいのだが、ガスにエネルギー源をシフトすれば、いったん作った設備は変えられない。ガスを使い続けるしかない。そして、消費量が倍増すればたとえ「100年分」あるガスも50年しか持たないことになリ、11年分は5年半しか持たない。天然ガスも万能の切り札ではない。

Sunday, March 18, 2012

ウィキリークス創設者、アサンジュ、上院議員に立候補か

公文書のすっぱ抜きで知られるウィキリークスの創設者、ジュリアン・アサンジュが生まれ故郷で現在も国籍のあるオーストラリアの上院議員に立候補するかもしれない。ウィキのツィートはそう伝えている。
スウェーデンのお尋ね者の身であり、現在暮らしているイギリスでも自宅監禁中だが、アニメ「シンプソンズ」の放映第500回にゲスト出演したり、ロシアの英語衛星テレビ局「ロシア・トゥデイ」でトーク番組の司会をしたり、と話題には事欠かない。
ロシア・トゥデイのトーク番組は「あすの世界」という名称で、アサンジュが「政界の重要人物、思想家、革命家」などのゲストに話を聞く30分番組で、予定されるゲストにはイランのアハマディネジャド大統領やベネズエラのチャベス大統領、米言語学者のノーム・チョムスキーなど、ロシアの同盟国や反体制の論客の名前が挙がっている。

オーストラリア上院の半数改選は来年なので、ちょっと気がはやいかも知れないが、ウィキのサイトが言うように、独自の政党を立ち上げるのであれば、はやすぎることはない。オーストラリア国内におけるウィキへの支持の大きさを見れば、下院選挙にも候補者を立てるかも知れない。前述のウィキのツィートはビクトリア州のレイロー選挙区に候補者を立て、労働党首相のジュリア・ギラードの首をねらう可能性にも言及している。
オーストラリアの上院議員は人口の多少に関わらず各州(12人かける6)と準州(2人かける2)から選ばれ、連邦制度の下で州の利益を代表することがその役割とされているが、日本の参議院よりも大きな力を持っている。アサンジュが上院に立候補するなら、生まれ故郷のクイーンズランド州が最も妥当だが、ほかの州から立候補することもありうる。彼がどの州から立候補するか、また、ギラード首相の選挙区への刺客の名前は「おって発表する」と前述のツィートは書いている。
新政党を起こして上院議席を争うことになれば、これまでアサンジュやウィキを支援してきたみどりの党との関係はぎくしゃくするかも知れない。
みどりの党は2010年の上院選挙で各州で1議席を獲得、現在9人の議席を上院(定数76)に占めている。上院でキャスティングボートをにぎっているが、しかし、ウィキがアサンジュなど上院に候補者を立てれば、それぞれの州で最後の議席をみどりの党との間で争う展開になるはずで、票の食い合いは避けられない。これまでのような好調な関係は維持できなくなるかもしれない。

Sunday, March 11, 2012

the impression on the first anniversary

In response to Michael Hanlon who claims the media has switched its attention too much away from an earthquake which killed tens of thousands of people to the nuclear accident at Fukushima. He argues the old power station stood up well, as shown by the fact that nobody has died from radiation fallout.  
On Australian Broadcasting Corp (ABC) radio national's science show.

http://www.abc.net.au/radionational/programs/scienceshow/japan-one-year-after-its-earthquake-and-tsunami/3880304

Sunday, February 05, 2012

ぼろぼろの地球はどこまで人口をまかなえるのか:国連報告書

国連の「地球の持続可能性に関するハイレベル・パネル(GSP)」が先月30日に出した報告書は、もっと危機感を持って読まれるべきだが,メディアの報道も受け取る人の対応にも切迫感がない。何か,別な惑星の他人事のような受け取り方だ。

報告書は「世界人口 は現在の約70億から2040年までに90億近くに増えるとみられるほか、ミドルクラス人口は今後20年間で30億人増えるため、資源に対する需要は飛躍的に拡大」すると警告している。

この報告書が予想する数字の中で,たぶん、一番人目を引くのは90億という全体の数字だろうが,最も深刻な意味を持つのは,現在約10億といわれているミドル・クラスが3倍に増えること。人口の絶対数ももちろん重要だが,それ以上の意味を持つのはその人口がどれだけメシを食い,どれだけエネルギーを消費するかということだ。ぶっちゃけると、世界の人がみんなバングラディッシュの人並みな暮らしをしていたら,問題はぜんぜんない。ところが,アメリカ人や日本人のように暮らしていたら地球が3つも4つも必要になる。

ミドルクラスの一番の問題は、自分たちが裕福な暮らしをしていることに気づかないことだ。つまり、わたしたちのこと。そこそこの暮らしをしているだけじゃないかと思い込んでいる。「絶対的な貧困に生活する人は世界人口の46%(1990年)から27%に減った」が、それでも20億の人が飢餓に喘いでいる。それなのに、今でもわれわれはエネルギーや食料を(ほとんど無意識のうちに)じゃかすか使っている。

この中間層の伸びを加味して,国連の報告書は「2030年まででも、現在よりさらに少なくとも50%の食糧、45%のエネルギー、30%の水が必要になる」とはじき出す。報告書は一体,それがどこから手に入るのかには言及していない。

今から20年足らずの間に,どこから今の5割増の食糧を手に入れらるのか。もちろん,飽食国家の無駄をなくすことでかなりの人口が養えるのは事実だが、それにも限りがある。世界の耕地面積にも限りがある。年間伐採される森林は520万ヘクタール、すでに魚の85%が乱獲、枯渇した。

日本に暮らしていると分かりにくいが、真水も世界では次第に手に入りにくくなっている資源のひとつだ。食糧を生産するためには土地だけでなく,水も必要だ。インドなどでは恐竜がいた頃にできた水にすでに手をつけている。無駄をなくし,節水に努めていっても、やはり限りがある。今の3割増の水需要をどう確保するのか。

エネルギーはどうなのか。今、世界では一日に8800万バレルの原油が消費されている。これの5割増といえば1億3000万バレル以上の原油(換算)のエネルギーが必要になる。これはいったい、どこから来るのか。

国連報告書は「世界で急増する人口の需要を満たすのに十分な食糧、水、それにエネルギーを確保するための時間がなくなりつつある」と指摘しているが、時間さえかければどうにかなるものではない。どんなに時間や金を費やし,知恵を出し,労力をつぎ込んでも解決できないことがある。使いっきりの資源は,まさにそれである。人間が使える土地や水などにも限りがある。地球には限りがある。

GSP報告は、これらの水やエネルギーや食糧が見つからなかった場合、30億の人々が貧困に追いやられる恐れがあると警告する。それだけの数の人間が生と死の瀬戸際に追いやられ,もうまかなえなくなるという意味だ。もう,収奪できる空気も,森林も,水資源も,魚もあまり残されていない。増え続ける人口を養うには,地球はすでにぼろぼろだ。そして自分はその30億の一人になるかも知れない。あなたの子供もその一人になるかも知れない。

昨今,エコ、エコとねこもしゃくしも口にする。エコってのが本来の意味で,生態系に根ざした生き方ということならば,生態系の経験は次のような事実を突きつける。

手に入るエネルギーや食糧が増える時,人間を含めた個体は増える。それが70億であり,90億の人口だ。しかし,手に入るエネルギーや食糧が減る時,それに支えられた個体の人口は減らざるをえない。人間だけが生態系の制約を受けないという理由はまったくない。人口がこのまま増え続けるということ有限な地球環境の中ではあり得ない。減らざるをえない。

問題は,いかにして,人口を減らし,特に中産階級の環境負荷を減らすかということであり,それを他人任せにすれば,きわめて非人道的なやり方を強いられることもありうる。どんな理不尽なことであれ,生態系の要求は容赦なしだ。

その実感がなければ,エコはうわっすべりする。

2030年の話だ。今うまれた赤ん坊が成人に達する前の話だ。報告書は「小手先の細工では不十分で,現在の世界的な経済危機は大がかりな改革の機会」だというが,世界中で10億といわれるミドルクラスの人間には,どこまで,それが理解できのか。あなたとわたしの生き方が問われている。

Wednesday, February 01, 2012

ネイチャー誌のピークオイルに関する記事

ネイチャー誌の1月26日号にピークオイルを認める論文が出て、そのことが話題になっている(原文はネイチャーのサイトでは有料だが、こちら(pdf)で閲覧できる)。

論文を書いたのは米ワシントン大学で気候変動プログラムの創立理事、ジェイムス・マレーと英オックスフォード大学のデビッド・キング卿(2000年から07年まで英政府の主席科学顧問)の二人。

論文は「気候変動への対策:原油生産はティッピングポイントをすぎた」というタイトルが示す通り、気候変動の専門学者からの視点になっている。
論文の主要な点は下記の通り。

●経済への波及効果が大きく、しかも直接であるため、化石燃料の消費を抑制することが火急の課題である。
●2005年がティッピング・ポイント(転換点)だった。それ以後、需要は伸び、価格が上昇しているにも関わらず、原油生産は天井(一日7500万バレル)にぶつかったかのように増えていない。
●世界経済が現在立ち直ろうとする経済危機も、原油価格の上昇が引き起こしたものだ。
●経済は、これからおこるであろう原油価格の動きに耐えられない。
●化石燃料依存から脱却することでしか、健全な経済発展は望めず、気候変動にも対応できない。
●化石燃料依存からの脱却は何十年も要するものであり、今すぐ取りかからなければならない。
●問題は原油の枯渇ではない。原油はふんだんにある。なくなるのは、これまでのような安い原油だ。
●原油市場は弾力を失い、わずかな需要の伸び、供給の不安でびくびくする。
●タールサンド、オリノコ原油、深海原油、極北原油、液化石炭なども非在来型原油は役に立たない。
●あまり騒がれなかったが、2008年からの不況は「信用危機」だけが引き起こしたものではなく、原油価格危機もその理由である。
●歴史的に見て、世界の経済成長と原油生産の間には密接な関係がある。
●原油の生産が伸びられなければ、経済も成長できない。
●気候変動への政策取り組みは鈍かったが、ピークオイルに端を発する経済の鈍化が短期的には、気候変動への対策となる。
●原油生産の減少に取り組むことのできない政府は、不況だけでなく、気候変動のもたらす壊滅的な影響をもろに被ることになる。
●各国政府は無駄を省き省エネへ更なる取り組み、石油製品への税率を上げ、クルマの制限速度を下げ、公共交通機関の奨励、再生可能エネルギー源の開発へ税制優遇などにとりかからなければならない。

内容はピークを研究してきた人にとって、何も目新しいことはないし、ピーク問題の最大の問題である食料への言及がないなど不満は残るものの、やはり、権威のある雑誌に、権威のある学者が書いたということはそれだけで、大きな意味を持つ。

また、これまではピークを研究するもののあいだでは気候変動への理解があったのに、一般的に、気候変動を研究するものにはピークへの理解がほとんどなかっただけに、この論文を契機に早急な対応に取りかかることができればいい。ひとり一人のレベルでは、飽食はもうできないことを自覚する契機になればいい。

シェルの地質学者、キング・ハバートが(アラスカを除く)アメリカのピークに言及してから56年。コリン・キャンベルとジャン・ラエールが別な科学誌、サイエンティフィック・アメリカン誌で地球全体のピークに言及してから13年、右肩上がりを夢見て、これまでどおりに石油漬けの暮らしをだらだらと惰性で続けてはいけないことが、ようやく世間でも認められたようだ。

飛行機と肥満

最近,しばらくぶりに飛行機に乗る機会があった。
ここ何年も空港に行くことすらなかったから,蛍光灯の光に戸惑いながら、よろよろと搭乗口へ急ぐ。今回利用したのは,食事や飲み物、娯楽に別途に料金のかかる格安航空会社だから、預け入れの荷物もしっかり計量され,超過分には相応の料金が徴収される。機内食にはほとんど手をつけることもなくなっていたから、それには困らなかったけど,機内がちょっと肌寒く感じたんで、毛布を借りようとしたら,それまでカネをとられるのには少し驚いた。しかもクレジットカードでないと払えないから、信用が欠如した自分のような人には毛布も借りられない。

こうした格安航空会社の参入で老舗の航空会社も、経営合理化というコストの切り詰めを余儀なくされる。クルーを労働力が安く、条件もいい加減な国から調達し,機体の整備も労賃の安い場所に移す。正規雇用はどんどん解雇され,劣化した労働条件と雇用の不安定なパートタイムと派遣に頼る。格安航空券は、こうしてうまれてくる。格安航空会社の中には,搭乗客にべつなものやサービスを売りつけ,そのあがりでコストを補うというビジネスモデルで営業するところもある。こうなると、旅客輸送会社なのかなんなのか分からなくなる。安全な運行なんか、二の次だ。老舗も格安に衣替えしたり、それができないもののなかには倒産するものも出てくる。

しかし、どんなビジネスモデルをとっても、どれだけサービスを削っても、航空会社のコストで最も大きなものは燃費だ。人件費や整備費をどれだけ圧縮しても、飛行機を飛ばさないことには航空会社ではあり得ない。

飛行機を飛ばすために、どのくらいの燃料が必要になるかについては、いろいろな要素が絡むが決定的なのは重量だ。単純に、重量が重くなればなればなるほど燃料はかさむ。だから,機内持ち込の手荷物だけのチケットが安かったりする。また20キロ以上の預け入れ荷物に超過料金が課されることになる。

いくつかの航空会社ではすでに導入しているところもあるそうだが、これから航空業界の競争がもっと進めば,搭乗客の体重にも同じルールを適用するところが出てくるかも知れない。シートベルトを締めながら,周りを見回してそう思う。体重が増えれば当然,飛行機への負荷が増し,それを運ぶために燃料もよけいに必要になるからだ。

世界人口の14%以上が肥満だといわれている。米国が肥満世界一であることは知られているが、人口の3割が肥満だといわれている。ニュージーランド、英国、オーストラリアといった英語圏の諸国も、人口の2割を超す人が肥満だ。肥満は普通,所得との関連で説明されるが、メキシコが米国に次いで肥満率が高かったり、アジアで所得の高い日本や韓国では肥満比率が低いことなどを見ると,必ずしも相関関係があるとは言えない。食事を含めた生活様式が肥満に影響しているようだ。

日本の肥満率は人口の3.2%でたいしたことはないようだが,これまでは肥満とは無縁とみられていただけに増加傾向は気になるところ。日本ではある調査によると、1950年から2007年までの間に30代の女性の体重が49.2キロから53キロに増え,同年代の男性は55.3キロから70キロに増えた。17年間に3.8キロ。男性は14.7キロ増加した。オーストラリア人の平均女性の体重は1926年には59キロからだったのが2008年には71キロと12キロ増え、男性は同じ時期に72キロから85キロと13キロ増えた。

乗客の平均体重が2キロ増えると,A380を利用したシドニーからシンガポール経由のロンドン路線の場合,3.72バレルの燃料がよけいに必要になる。現在の価格で472ドルに相当する。たいした額には感じられないが,これが一日に3便ならば1500ドル,往復3000ドル,一年では100万ドル以上とたいした額になってしまう。これまでのように、どんぶり勘定でやっていけた時代なら別だが、過当競争の激化する時代、とても見逃せすことはできない。

元カンタス航空の重役の試算によれば75キロが分岐点になるそうだ。これを超える人は,1キロあたり増えるごとに超過料金をはらい、徴収する。体重が100キロなら14.5ドル。逆に50キロなら14.5ドル割引になる。一定の体重を超える人には超過料金を課し,体重の軽い人には割引をするというシステムの導入が検討されているそうだ。

現実的な導入方法をどうするか、まだ,紆余曲折はあるだろうけれど,原油価格の高騰や業界の競争激化をみると、案外、早く導入されるんじゃないか。クリスマスや正月でごちそうを食べ過ぎ,少し太めな人が多い機内を見渡して、そんな気がした。

Tuesday, January 31, 2012

東電:てめえのケツも拭けない「ならず者企業」

今年もスイスのダボスで開かれた世界経済フォーラム(WEF)の年次総会が1月29日に閉幕した。フォーラムの会員企業経営者や知識人、各国の代表など招待されたものが一堂に会して、資本主義社会をだらだらと延命させるためにあれこれ議論する場として知られている。今年は「高くなる一方の失業率を抑えるためには経済の成長が欠かせない」なんて、あくびが出そうに退屈な認識で一致したそうだ。この連中には危機感が欠如しているようで、これじゃ資本主義の将来も心配になる。

資本家とそれに吸血する政治家どもに対する抗議も毎年行われているが、今年は、あちこちに裸で出没して抗議行動をすることで有名なFEMENというウクライナの女性団体が「貧乏なのは、てめえらのせいだ」とか「危機はダボスで作られる」「ならず者たちがダボスでらんちき騒ぎ」なんて、期待通り、やっぱり裸の上半身に殴り書きにして登場したりして、一層の注目を引いた。

これにくらべるともっとおとなしいけど、資本家どもの集まりに呼応して、この時期に「世界最悪の企業」を選ぶことが行われてきた。地球に害を与え人権を侵害した企業はThe Public Eye Awardsとして表彰されることが2000年から行われている。

この賞の主催はスイスのNGO「ベルン宣言」とスイスのグリーンピース(09年までは地球の友)。毎年、前年の8月ごろから選定が始まり、11月にはそれが6企業にしぼられ、1月に投票が始まり、ダボスで年次総会が始まる頃には最終の投票結果が出るというのが毎年の恒例。

今年ノミネートされた6社は最終投票順(と投票数)に以下の通り。
1 25042票 VALE(ヴァーレ)
ブラジルの総合資源開発企業。鉄鉱石などの生産販売が主力。 アマゾンのど真ん中、ベロモンテ州に巨大な水力発電用のダムを建設したことでノミネートされた。


2 24245票 東電
いわずと知れた核汚染企業。「儲け追求のあまり、安全性無視の結果、放射能を撒き散らし、事故後には情報隠し、隠蔽、改ざんをおこなった」とまことに真っ当な理由でノミネート。

3 19014票 SAMSUNG(三星)
有害物質を労働者に通知せず、無防備に使用し、たくさんの労働者に癌を発病させた韓国の企業。


4 11107票 BARCLAYS(バークレイズ銀行)
投機的な食物先物取引で、世界の貧困層を飢餓に追い込んだ功績が評価された英国の「名門」銀行。 


5 6052 SYNGENTA (シンジェンタ)
世界最大の農薬製造企業。その殺虫剤、殺菌剤、除草剤により大地を汚染し、農民数千人を殺したとされるスイス企業。

6 3308票 FREEPORT(フリーポート)
45年にわたり、西パプアで薄給の現地鉱山労働者数千人を酷使し、その自然環境を汚染し続けているアメリカ企業。

今年はずっと東電がトップを走り、当然ながら東電の理由で、ぶっちぎりで栄冠を獲得すると思われていた。しかし、投票終了の一週間くらい前からそれまで3位だったブラジル企業が猛然と追い上げ、結局、800票差で抜き去られてしまった。「最悪のならず者企業」の汚名を逃れるために、何らかの投票操作が行われたのではないかとの疑惑も出ている。もしそれが本当ならば、本物のならず者だ。

で、「最高のならずもの企業」の地位を免れた東電の紹介を見ると、それっぽいキャッチコピーが出てる。
WHAT WE CREATED WE COULD NOT HANDLE
自分のケツも拭けない情けない企業
。
言い得て妙。

Friday, January 27, 2012

2012年のアブラ動向

2012年もひと月が終わろうとしているが、経済の潤滑油である原油市場は波乱含みだ。ナイジェリアの内乱やイランという生産国の不安を抱え、去年国際市場からなくなったリビアの分もまだ回復できていない。いつ供給が減ってもおかしくない状況で、しかもその穴を埋める余剰生産能力はきわめてタイトだ。

この状況を反映し、国際通貨基金(IMF)は25日、経済制裁でイラン産の原油が市場に出回らなくなり、それをほかの産油国が穴埋めできなければ原油価格はが2割から3割上がるかも知れないと報じた。価格の上昇はあり得るが、必ずしもそうなるとは限らず、ヨーロッパの債務問題がますます深刻になれば,むしろ、価格が暴落する怖れもある。

ヨーロッパ経済はドイツとともに牽引車であるはずのフランス国債が格下げされ泥沼化の様相だ。これがますます悪化すれば,原油の需要が激減し供給がだぶつくこともある。しかも、ヨーロッパの危機が減速気味の中国を含め,世界経済に波及すれば原油価格は2008年後半のように乱降下することもある。

米エネルギー省EIAが今月初めに発表した報告によれば、2008年や70年代の石油危機のように大騒ぎはされなかったが、2011年の原油価格はこれまでの最高を記録した。メディアがなぜ大騒ぎしないのか、世間の大半はなぜ無関心でいられるのか、わからない。

2008年は7月に原油が1バレルあたり150ドルに迫るまでに上昇したが、その後は需要の激減に伴い、年の終わりには44ドルまで急落した。2011年は年の初めから原油価格が高止まりし、ウエストテキサス(WTI)よりも現状を反映するブレント価格は年平均111ドルで、前年比で4割増、2008年に比べてもバレルあたり14ドル高いままだった。昨年第4四半期の世界の石油消費量は2009年以来はじめて減少した。すでに世界経済が冷え始めた兆候と見ることもできる。

原油価格の上昇の影響も深刻だが、安くなればいいというものでもない。

需要の激減,そして価格の崩壊は産油国を直撃する。サウジアラビアは補助金で国内のガソリン価格を抑え、クゥエートは現金や食料をばらまき、アルジェリアは政府が食料価格に介入し、「アラブの春」の波及を防いだ。原油の売り上げを国民にばらまくことで国民の不満をそらすことができたが、価格が崩壊し、需要が減れば、これらの国でもそれができなくなる。産油国のなかでも「アラブの春」にさらされ、政情不安が広がるところがでてくるだろう。中東をはじめとする産油国の政情不安を原油の消費国はなんとしても回避したいところだが、いかんせん,できることはほとんどない。

消費国にとっても価格の低下は、直近はともかく、深刻な問題を先送りにすることになるので歓迎できない。たとえ,2008年の後半のようなレベルまで下がらなくても、80ドル台に下がるだけでも、現在の高値でかろうじて採算の取れる油田は生産を停止せざるをえない。原油の生産は水道の栓をあけたり締めたりするようにはできず、採算が取れないからといって生産を停止した油田を再稼働させるためには時間も更なる投資も必要になる。需要と供給のさらなる逼迫を数年後に先送りすることになる。

JODI(Joint Organization Data Initiative)が1月後半に発表した最新の報告によれば,サウジは2011年第4四半期、日産1千万バレルを越す生産をあげた。これはこれまでの30年間で最大の生産量だ。消費国にとって生産の増加自体もありがたいが、それ以上にありがたいのは10月には毎日2百万バレルを越し、2002年以来最高レベルに達した国内原油消費が11月には184万バレルと9.2%減ったことだ。

問題はサウジがこのレベルの生産をいつまで続けられるのか。また,イランやナイジェリアの危機が深刻化した時に,どのくらい早く,そして,どこまで生産をあげることができるのか。そして、サウジは国内の消費はこのまま抑えておくことができるのか。予断を許さない。

Monday, January 23, 2012

スマートな落とし穴

節電や省エネの方策のひとつとして昨今とりあげられることの多いものにスマートグリッドがある。スマートハウス,スマートシティなども含めた「スマート」なシステムは、エネルギー消費を抑えたり気候変動への対策として、また脱原発の文脈の中でとりあげられることも多い。

「スマート」というのは賢いという意味だから、スマートグリッドとは「賢い電力網』ということになる。もともとはアメリカで考案されたもので、発電設備から末端の電力機器までコンピュータで電力網のなかの需給バランスを最適化するよう調整し、事故や過負荷などを抑え、コストを最小に抑えることを目的とするものだ。従来の中央での一括的な制御だけではなく、自律分散的な制御方式も取り入れ、エネルギーの効率的な生産、消費を図るものだ。簡単にいえば、コンピュータにエネルギーの流れを管理させ、賢くエネルギーを使おうとするシステムのことだ。

これを住宅などの建物、都市に取り入れるものが、スマートハウスであり、スマートシティということになる。スマートハウスの「2020年の関連市場は、世界市場が2011年比441%の11兆9,431億円、国内市場が同比279%の3兆4,755億円となる見通し」との試算もある。新たなビジネス機会と捉える企業も多い。

日曜の東京新聞の付録にも「環境ジャーナリスト」の手になる『ITとエネルギーが”結婚”無理なく「創エネ」「省エネ」』と題するヨイショ記事が載っている。

「例えば,わが家の電気代の上限を決め,消してもさほど困らない家電を登録しておきます。すると,上限に近づくにつれ,自動的に登録してある順に家電を消したり「弱」に切り替えたりして,設定した電力消費量まで減らしてくれるのです」とこの記事は、「スマートなシステム」を導入すれば節電や省エネが簡単にできるかのような幻想を振りまく。

しかし、はたして賢いシステムは本当に節電や省エネにつながるのだろうか。そうなることもありえるが、実際はエネルギー効率が格段に向上しても,エネルギー消費量は横ばいか増加することがほとんどだ。コンピュータ、テレビ,クルマのエンジンはそのいい例だ。たとえば、プラズマの技術はそれ自体、それまでの技術よりエネルギー効率は向上した。しかしテレビが大型化したり、販売台数が増えれば、消費するエネルギーの量はほとんど変わらなくなってしまう。ハイブリッドエンジンがエコだからといって、自動車の台数が増えたり、ドライブする距離が増えれば元の木阿弥だ。節電や節エネのために開発された技術も、節電や省エネにもつながるとはかぎらない。むしろ、エネルギーの効率が良くなったおかげで、エネルギーの消費量は増えるという逆説は19世紀半ばにそれを指摘したイギリスの経済学者ウィリアム・ジェヴォンズにちなみ「ジェヴォンズの逆説」と呼ばれる。

スマートなシステムのもうひとつの問題は個別の器具や家庭での電力使用量だけに目が行きがちになることだ。例えば,100wの電球よりも15wの電球の方が消費エネルギーは少ない。電気器具も3時間使うよりは2時間使う方が使用電力量が少ない。というように。使用中のエネルギーに注目することは重要だが、それらの器具や家を作るためにどれだけのエネルギーが投入されたのかということを忘れがちになる。それの寿命がきたとき、廃棄するためにどのくらいのエネルギーが必要になるかということも見落としがちだ。

現在使用される家電は使用中に使われるエネルギーよりも大量のエネルギーが製造過程で投入されるものがほとんどだ。だから、それを勘定に入れず、使用中の電力やエネルギーの多少だけに腐心してもとても賢いとはいえない。

たとえば、スマートなステムの中枢を司るコンピュータについて、それを生産するためにどのくらいのエネルギーが投入されるのか。現在ネットで見つかるのは2004年に行われた研究だけだ。それは1990年に製造されたコンピュータについての研究だが,製造の過程で83%のエネルギーが使われ、実際の使用中にはわずか17%ということだ。だからコンピュータを実際に使用する時にどれだけ節電しようが、すでに大量のエネルギーが投入されてしまっているので、やらないよりはましだが、焼け石に水ということになる。

1990年製造のコンピュータとそれから20年後に作られたものを比べると,新しい製品の方が格段に進歩したように感じるかも知れない。確かに図体は小さくなり軽量で、できる仕事は格段に増え、しかもスピードも早くなっている。製造のために投入されるエネルギーも少なくなったように錯覚するかも知れない。しかし、作業が早くなったのは中に入る半導体が「進歩」したからであり、使われる半導体の数も格段に増えたからだ。したがって、投入されるエネルギーは増えているはずだ。

半導体の材料はシリコンだが、この製造にも膨大なエネルギーがかかる。日本にはシリコンの原料となるケイ素が2億トンあるというが、ほとんど利用されていない。なぜかといえば、それは二酸化ケイ素を還元し、金属シリコンにする時に膨大な電力が必要になるからだ。日本は電力の安い国で金属シリコンに還元されたものを輸入しているのだ。このことだけを見ても、賢いシステムの中核には膨大なエネルギーが投入されることが分かる(しかも、このエネルギーコストには「研究/開発」や「教育/訓練」などに投資されるエネルギーは勘定されていない)。

それでも製造過程で投入したエネルギーより大きな節電や省エネができれば問題はないのだが、「スマート」なシステムは、たぶん、そこまで頭が回るほど賢くはないようだ。

Thursday, January 19, 2012

イラン制裁の効果

イランの核兵器開発を巡り,それを阻止しようとするアメリカとの間で駆け引きが続いている。アメリカは昨年暮れに,イランの中央銀行と取引する金融機関を制裁する法律を制定した。原油売り上げに歳入の半分以上を頼るイランの輸出を止めることで,核兵器開発の中止を迫ろうとしている。それに対しテヘランは世界で取引される原油の2割が通過する動脈であるホルムズ海峡の実力封鎖の可能性をちらつかせている。

アメリカ自身はイランから原油を買っていないため、経済制裁が思惑どおりにはこぶかどうかはイランから原油を輸入する国にかかっている。特に,鍵を握るのはヨーロッパと中国だ。現在,ヨーロッパ以外でイランから原油を買う国は中国、日本,インド、韓国,台湾,トルコ、南アフリカ,スリランカの限られた国だけだ。アメリカ政府はそれらの国の経済機関がイランと取引した場合,自国の金融機関との取引を禁止すると脅している。

イランの原油生産は79年の革命の混乱で落ち込んだまま、未だにそれ以前のレベルに回復していない。70年代なかばには日産600万バレルを生産しそのうち500万バレル以上を輸出していたが,90年代はじめから生産は日産約400万バレルのまま,ほとんど増えていない。生産が伸び悩む中、イランにおける一人当たりの使用量は70年前後に比べるとほぼ倍増し,サウジ(40バレル/一年)には遠くおよばないものの,イギリスやフランスやドイツなどの「先進国」にほぼ肩を並べるレベルの年間約8バレルにまで増えている。国内消費量は2010年に生産の半分近い約200万バレルにまで達している。国際市場に出回るイラン原油そのものがどんどん減ってきている。

イラン原油のほぼ1/4を輸入するEUは制裁への参加をいち早く表明しているものの,加盟諸国がそれぞれイランと売買契約を結んでいるため,全面禁輸に踏み切るのは,早くて今年7月過ぎと見られている。 EUがイラン原油の禁輸に踏み切っても,イランが約45万バレルを別な国に売りさばくことができれば、禁輸の効果は薄れてしまう。

日本、韓国,台湾は国際市場に出回るイラン原油の約1/3を輸入している。アメリカの「同盟国」として,それぞれ経済制裁に基本的には同意しているものの,具体的な実施日時はまだ発表されていない。日本の民主党政権のように政府内の意思統一が図られていない場合もある。これらの国はEUが買わないイラン原油をのどから手がでるほど欲しいにも関わらず,アメリカの制裁とを天秤にかけると,手を出せないかもしれない。

スリランカは国内で消費される原油をすべてイランに頼っている。トルコ,南アフリカはそれぞれ自国で消費する原油の3割にあたる約18万バレル、約10万バレルをイランに頼っている。これらの国は禁輸には簡単に同調できない。しかし,かといって,ヨーロッパ向けのイラン原油が市場に出回っても、それを買いイランへの依存を高めることはエネルギー安全保障の観点から難しい。

中国はイランの輸出する原油の1/4以上にあたる54万バレルを輸入しており,アメリカの経済制裁の鍵を握るもうひとつの国だ。中国が同調しなければ制裁はほとんど効果がない。それどころか,中国はヨーロッパ分の原油を戦略的な備蓄として、たぶん,市場価格より安い値で買い取ることも予想され,そうなれば,アメリカの制裁はまったく意味をなさなくなる。

残るインドは国際市場に出回るイラン原油の約1/5にあたる37万バレルを輸入している。インドから見ると,イランはサウジに次ぐ原油供給先であり,制裁には反対を表明している。これまでのドル建て決済に代わり,ルピーで清算する話し合いをテヘランとの間で始めていることを現地紙は報じている。

イランに対する経済制裁の最も大きな問題は,それぞれの国がイランから原油を買わないとしたら,一体その穴をどこからの原油で埋めるのかということだ。イランからの原油が消費全体の1割を占める日本から玄葉外相が出かけたように,世界各国の首脳のサウジ詣でが続いているのはこのためだ。

サウジ首脳は訪れる外国首脳に,日産一千万バレルの生産を約束したり,増産を口にするが,それがはたしてどこまであてにできるのか。そして仮にサウジに増産できたとしても,増え続ける国内需要がそれを相殺してしまい,結局国際市場には出回らない可能性がある。

中国、インド、サウジの事情などを考えあわせると,イランに対する経済制裁はほとんど、たぶん,効果がないだろう。

Monday, January 09, 2012

玄葉外相がサウジに原油お願いの効果

玄葉外相が7日、サウジアラビアのアブドルアジズ外務副大臣と会談し、フクシマ後、増加する火力発電用の原油需要をまかなうため、原油の安定供給と価格安定を要請したそうだ。サウジ側はその要請に応じたと国内のメディアは報じている。しかし、これは額面通り受け取ることはできない。

サウジが約束しても,原油の安定供給や価格の安定はできないだろうと疑う背景には,サウジの原油生産が2003年から日産800から950万バレルくらいで推移してきたことがひとつ。この間に原油価格は何倍にも上がり、増産できれば増産するだけの理由があったこと。そしてじっさいに何度も「増産する」と繰り返しながら,実際は増産しなかった過去がある。本当に増産できないのか,それとも、カネなんか欲しくないと意識的に増産してこなかったのか,それは分からない。これからも増産しないとは限らないが、これまでをみると,あんまり期待はできないだろう。

安定供給や価格安定に懐疑的にならざるを得ないもうひとつの理由はサウジ国内の需要増加だ。昨年10月現在、国内消費量は約200万バレルだったが、伸びは年率7%だ。

生産が頭打ちで国内需要が伸びると,オイルピークを研究する人たちの間でELM(Export Land Model)という名前で知られる問題がうまれてくる。簡単に説明するとこういうこと。

サウジのような産油国は原油の需要が増え価格が上がると収入が増える。それに伴い国内の景気も良くなり,国内の原油需要が増す。それにともない,産油国は外国に輸出できる量が減り、国際市場に出回る原油も減る。歴史的にはインドネシアや英国がこのパターンをたどった。そして,今,サウジもこのパターンをたどりつつある。

これは、オイルピーク問題の研究者の間ではずいぶん前から言われてきたことだが、ちょうど先月,ロンドンのチャタム・ハウス(王立国際問題研究所)というシンクタンクから、この問題に関する報告書が出た。

それによれば,サウジ国内の原油需要がこのままの勢いで伸びていけば、これから10年で需要は倍増する。サウジは近隣のMENA諸国で吹き荒れる「アラブの春」が自国に波及するのを防ぐため、ガソリンなどの国内価格を安く抑えている。サウジの原油生産そのものが仮に現在のレベルで維持されたにしても,需要の伸びは輸出に回る量をどんどん浸食し,国際市場に出回る原油の量は大きく減ってしまう。また原油収入に頼る政府も基盤を脅かされ政情不安につながるかもしれない。


(灰色の線が生産量,青い線が輸出量,水色が国内需要。チャタムハウスの報告書より)

それを避け,輸出量を確保するため,報告書は国内価格の引き上げ,節約,代替エネルギーの導入などを含め、サウジの石油離れを呼びかけている。それらの策が早急にとられなければ,2020年までに一日あたり,200万バレルが国際市場から消えてしまい,価格は上昇すると報告書は指摘している。サウジの外務副大臣がなんと言おうと、このままじゃ、安定供給なんかおぼつかないし、価格の安定も難しくなるとこの報告賞は指摘している。

世界でも有数の産油国自身が石油離れをしなければ、世界に社会的、経済的、政治的な問題を引き起こすというのが、この報告書のポイントだ。需要と供給が逼迫するオイルピークの時代の現実をよく表している。

でも,現実的には国内価格の引き上げは「アラブの春」を呼び込むことになりかねず、サウジ政府も簡単には手をつけられない。サウジでは代替エネルギーの開発がそれなりに始まっているが,エネルギー需要をそれなりに賄うまではまだまだ時間がかかるだろう。結局,消費国が原油需要を落とさないで、産油国にそれを求めても難しいだろう。

こうみてくると,玄葉外相は,税金を使ってサウジまでなにをしに行ったのだろうかと思わずにいられない。「隠された問題」という副題がついてはいるが、チャタムハウスの報告書はマル秘報告書でもなく,今月初めからネットに上がっている。40ページくらいだから、一国の外相なら簡単に読めるはず。だれか玄葉外相に教えてあげてくれないかなあ。

Sunday, January 08, 2012

オーストラリアがインドにウラン輸出の真相

原発の燃料となるウランの埋蔵量で世界全体の23%を持つオーストラリアがインドへの輸出に踏み込みそうだ。ギラード首相のもと、ファーガソン資源大臣などを中心に、これまでの禁輸政策の見直しが議論されてきたが、昨年12月の労働党大会でけんけんごうごうの議論の末、インドへのウラン輸出が承認された。中道左派政党の労働党にとり、ウラン輸出は微妙な問題で、輸出解禁に積極的な党内右派からも個人的な理由で反対する議員が出た。しかし、結局は核不拡散条約に加わる北朝鮮やイラン、世界最大の独裁国である中国への輸出が認められているのに、世界最大の民主国家への輸出が認められないのはおかしい、経済的な利益を逃すべきではないという議論に押し切られてしまった。

昨年の労働党大会でこそ経済効果が正面に出されたものの、この政策変更を迫ってきたのは「温暖化対策」としての原発だ。オーストラリアの政策変換は2006年にシドニーで開催された「クリーンな開発と気候のためのアジア太平洋パートナーシップ」(Asia-Pacific Partnership for Clean Development and Climate)にまでさかのぼる。この設立会議には米豪、中国、インド、韓国、日本の6カ国から閣僚が送り込まれた。その前年、モントリオールで開かれたCOP11で、この6カ国の代表は日本原子力産業会議の主催するワークショップでパートナーシップについて協議し、大筋で合意に達していた。クリーンで効率的な技術(=原発)を途上国(=中印)で開発することが温暖化対策につながる。原発先進国の日米韓、そしてウランを売りたい豪が中印に原発の開発を迫る。それが「温暖化対策」に名を借りた原発推進パートナーシップの構図であり、今回の労働党の政策変換を促した枠組みだった。

日本国内で「原発は環境に優しい」という嘘をばらまき、官僚や政治家を洗脳し、原発輸出を経済政策の中心に据え付けた茅陽一などの戦略がこのパートナーシップの下敷きになっていた。

この枠組みに従い、ブッシュ米大統領はインドを訪問し、F16やF18の売却だけでなく、原子力協定に合意した。ブッシュの「代官」を気取るハワード前首相もブッシュに続くように訪印し、「それなりの国際査察を受けいれるなら、輸出は検討する」とそれまでの発言を翻した。2007年の選挙でハワードを破り、首相に就いたラッド前首相は労働党の政策の縛りにあい、インドへのウラン輸出に踏み切ることができなかった。それが昨年末の党大会で修正されたのである。

オーストラリアは埋蔵量こそ豊富だが、生産はこのところ頭打ちで2010年~11年の生産はここ10年間の平均である8500トンを大きく下回る7000トンにとどまった。生産停滞の理由は皮肉にも気候変動がもたらす未曾有の干ばつだと言われている。温暖化に効果のあるはずの原発の燃料生産が、温暖化のおかげで滞ってしまったのだから皮肉だ。それもあってか、政策変換を議論した党大会では原発を「温暖化対策」として位置づける議論はほとんどなされなかった。

「温暖化対策」が口実にすぎないことは明らかで、ブッシュ大統領は訪問先のニュー・デリーで、米豪や日本の本音は中国とインドを化石燃料獲得競争から押し退けるのが本音であることを伺わせる発言をした。「インドが原発開発をすることで、化石燃料の需要が減ることになれば、それは私たちに経済的な利益をもたらします。化石燃料の需要の抑制はアメリカの消費者の利益につながります」

インドでは現在6カ所の原発で20基の原子炉が運転中で、総出力は4780メガワット(MWe)。一カ所の原発では刈羽柏崎をうわまわる世界最大規模の発電所の建設がが西部マハラシュトラ州ジャイタプールですすんでいる。2010年には、2032年をめどに原発の発電量を63000メガワット(MWe)にまで増やそうという計画が発表されたが、フクシマ以降、立地を予定される場所で反対運動が高まっており、この計画が達成されるかどうかは分からない。インドにはウラン鉱床があるものの、量は微々たるもので、これから増え続ける原発の燃料確保が急務になる。2011年にインドが輸入したウランは1305トン。

労働党の政策変換を受け、オーストラリアはインドとの間に原子力協定を協議することになる。実際にウランが輸出されるようになるまでにはまだ、時間がかかるだろう。

日本でもインドとの原子力協定が国会で議論されており、フクシマさえなければ、今頃、原子力産業協会や原子炉メーカーなどの原発マフィアのもくろみ通りに事が進んでいたはずだ。昨年12月末の野田首相訪印の際も協定の締結交渉の促進が再確認された。

すでに原発輸出国のフランス(2008年)韓国(2011年)、アルゼンチン(2009年)、カナダ(2010年)はインドとの協定を結んでいる。原発などのインフラ輸出で経済再生を図ろうとする日本の企業だけでなく、官僚や政治家は気が気ではない。ウランを売り込みたいオーストラリアもカザフスタン(2011年)やカナダに先を越されてしまったという思いがある。

インドに輸出されたウランや原発が第二、第三のフクシマを引き起こそうが知ったことじゃない、それが核弾頭に組み込まれようがかまわない、カネに目の眩んだ者たちのなりふり構わない危険な争いが進行中だ。フクシマが収束しておらず、放射能は全国各地に拡散し、濃縮しているというのに「安全神話」や「温暖化効果」と「経済効果」の嘘を臆面もなくばらまき続ける連中の精神はどんな構造をしているのだろうか。良心の呵責なんてあるのだろうか。原発のもろさやいい加減さをどこまで取り繕うことができるのか。こういう連中は、もう何回フクシマを経験したら目覚めるのだろうか。

泥沼

船体にひびが入った僚艦ブリジッドバルドー号をフリマントルに護送し、再び南氷洋に戻るシーシェパードの旗艦、スティーブアーウィン号(SI)を追跡中の第二昭南丸に8日未明、3人の環境活動家が乗り込んだ。

オーストラリア国内の報道によると、3人はゴムボートで接近し、鉄条網などを乗り越えて昭南丸に乗り込んだという。SI号からは2隻のゴムボートがおろされ、この抗議活動を手助けしたという。

3人はオーストラリア国籍を持ち、西オーストラリアの環境団体、フォーレストレスキューのメンバー。

「自分たちをオーストラリア国土まで連れて行き解放すること、そして、オーストラリアの水域から出て行け」と要求している。SI号の追跡をやめさせることが目的だと見られている。3人が乗船した時、昭南丸の位置は南緯32度、東経115度21分で、岸からの距離は26キロの地点で、オーストラリアの排他的経済水域の中での出来事である。
鯨研側は「日本へ連行し裁判にかける」と強硬な姿勢だが、第二昭南丸はこのまま、3人を乗せたまま航行するのか、それとも、3人をどこかの港でおろすのか、大きな決断を迫られている。
すでに、みどりの党は3人の解放を政府に要求している。もし、シーシェパードのメンバーでもない3人のオーストラリア人を乗せたまま航海を続ければ、オーストラリア政府は介入せざるを得なくなる。外交問題にも発展しかねない。強攻な姿勢をとり続ければ、ただでさえチョーサ捕鯨に批判的なオーストラリア国内の世論を敵に回すことになる。現在のところ、第二昭南丸はSI号を追っているが、コメントをさけている政府も世論の高まりにいずれは口を開かざるを得ない。
3人を要求通り、どこかの港に下ろすとすれば、その間にSI号の行方を見失いかねない。別な船に洋上で引き渡しができればいいのだが、鯨研の態度を見る限り、それを交渉するだけの外交能力があるとは思えない。

日の丸捕鯨船団はまたもう一歩、泥沼に足を踏みこんでしまった。

Sunday, January 01, 2012

イニシャルズSS

今年も南氷洋に夏が訪れ、水産庁、鯨研が送り込む日の丸「チョーサ」捕鯨船団とシーシェパードのおいつおわれつの攻防が始まった。捕鯨船に「Research」という文字を大書きし、水産庁や鯨研は捕鯨が「科学的な調査」のためだと強弁するが、科学に名を借りた国営商業捕鯨であることは世界中が承知している。退却を「転進」と言いくるめた過去が思い出される。

水産庁/鯨研は11月に成立した第三次補正予算で「チョーサ」捕鯨名目で23億円の追加が認められ、当初の7億とあわせると、なんと例年の3倍から6倍の予算を獲得し、カネはふんだんにある。今年は水産庁の監視船も船団に加わり、「海賊行為」「テロ行為」を取り締まる体制だ。

一方のシーシェパード側は今年のクジラ防衛戦を「神風(Devine Wind)作戦」と呼び、旗艦スティーブ・アーウィン(SI)号、ボブ・バーカー(BB)号と高速船ブリジット・バルドー(BB)号の3隻に加え、無人偵察機を導入し、昨年同様、捕鯨船団の母船の日新丸を追尾し、捕った鯨の受け渡しを徹底的に妨害する構えだ。

すでに昨年12月25日、SS側は無人偵察機により日新丸の位置を確認。目標の2割程度に終わった昨年同様、今年も目標を大きく下回る数のクジラしかチョーサできないものと早くも危ぶまれていたが、SS側の追跡が荒れ狂う南氷洋に阻まれ、遅れている。船体にひびが入った高速船BBを修理するため、旗艦のSI号は日新丸の追尾を中止し西オーストラリア州のフリマントルに航行中だ。そのSI号には第二昭南丸がぴったりと張り付いているそうだ。

「こっちは腐ったバター(酪酸)を投げるのが精一杯だってのに、向こうは武装した保安官を乗せているんだぜ」とSSのポール・ワトソン代表はオーストラリアのメディアに語っている。海上保安庁から派遣される保安官が捕鯨船などに乗り込むのは2007年と昨年に続き3回目。海保は人数や装備の詳細は明らかにしていないが、今回は「過去最大の規模」だと言う。

緊張が高まってはいるが、オーストラリア政府は野党の南氷洋への監視船の派遣要求を退け、両者に自制を呼びかけるにとどまっている。南氷洋で事故があれば救出の義務を負うオーストラリアやニュージーランドの世論は、日本が復興予算を「チョーサ」捕鯨に振り向けたニュースを受け、これまで以上に厳しいものになっている。

震災、津波、そしてフクシマが未だ収束しない状況で、なぜ、これほどの予算をチョーサにつぎ込むのか。それだけのカネがあれば、食品の放射能を計測する器械を全国の学校や寿司屋、魚屋や八百屋に配置できるんじゃないか。海に放射能を垂れ流すのをやめるためにカネを使うべきじゃないか。そんな声も聞こえてくる。

その疑問に明快に答えてくれるのは元水産官僚で、捕鯨スポークスマン時代はとんちんかんな発言で国際社会の爆笑や嘲笑をかった小松正之政策研究大学院大学教授。



小松の説明を聞くと「チョーサ」が何のために行われるのかはっきり見えてくる。フクシマのおかげで、安全安心な水産食料の調達がむずかしくなった。まだ汚れてない南氷洋のクジラを食べるのは理にかなっている。震災で東北の人の雇用がなくなったから、南氷洋で捕鯨をやろう。過激派やテロリストが邪魔をするなら軍を派遣して、しょっぴいてきて、日本の法律のもとで裁いてやれ。
1930年代に満州に出かけた時とほとんど変わらないロジックだ。
小松は「チョーサ」の理由に世界的な食糧供給の逼迫も持ち出す。ピークオイルには言及してないが、畜肉生産にはエネルギーがかかる、クジラはエネルギーをかけなくて収穫できる、なんてことも「チョーサ」を正当化する理由に挙げている。だから、クジラを食べるのは環境にもいい。持続可能な未来食であると結論する。
この発言を聞いて思い出すのは、フクシマ後に東電顧問に返り咲いた加納時男が参議院議員時代に行った数々の発言だ。原発ヨイショのために気候変動とピーク・オイルを持ち出していた。あたかも、原発がすべての問題に効く万能薬、特効薬でもあるかのように。どちらも、ためにする議論でしかない。最初に捕鯨ありき。最初に原発ありき。自らの目的を正当化するためだけに、人類が直面する様々な難題を持ち出し、あたかもそれが解決策であるかのように言うところは、まったく同じだ。
クジラ肉の在庫はだぶついている。捕鯨は水産官僚の天下り先になっているという指摘もある。
国難に面したいまこそ、百害あって一利無しの「チョーサ」に巨額の税金をつぎ込むのをやめ、仕分けのメスを入れるべきではないか。メンツにこだわらず、甘い汁を吸い続ける水産官僚をバッサリ切る時ではないか。荒れ狂う南氷洋で人身事故が起こる前に英断を下すことが急務だ。