Tuesday, October 09, 2012

9月28日のスケッチ

旅先で見かけたポスターにつられ,同郷の「広告界の神様」太田英茂の作品展を見る機会がありました。花王石鹸など,昭和初期の日本で広告戦略やデザインに新しい境地を開いた人です。また、日本の近代デザインの基礎を築いた河野鷹思、木村伊兵衛、原弘、亀倉雄策などを育てたことでも知られる人です。戦前のフォトモンタージュや斬新なコピーなどにはあらためてうっとりとしましたが,これまで知らなかったこともありました。太田は,戦争末期に郷里に戻り,村のあり方,農と食などを村の若者たちと論じていたのだそうです。そればかりか、医食同源を唱え、マクロの元祖ともいわれる石塚左玄の「科学的食養長寿論」を写本するほど影響を受けていたようです。戦後,再び東京に戻った太田は酒悦の広告などを手がけますが,77歳の1969年,「人生の最終ラウンドは山村にこもり,自然の子となり,自然と人間の関係,人間とその社会,人類のあるべき未来像,この一連のテーマと唯物史観に立って激しく取ッ組みながら,原始に近づけた生き方から,体得と読書と啓示をとおして飽かず追求しようと思っています」と「蒸発宣言」を出し,再び郷里の梓村に戻り、そこで生涯を閉じました。

うっとりしながら美術館を出て,まだ暑い日差しの空を見上げると,なぜかピーター・ポール&メアリーなどのカバーで知られる名曲「500マイルズ」が口をついて出てきました。汽車がごとんごとんと離れていくにつれ,心も離れていく、そんな歌を久しぶりに口ずさみながら、思えば,ニュージーランドの南島の人口300人の村をあとに,着の身着のままの流浪モードに入り、3年近く経っていることに気づきました。ホームレスにペニレス,まるでその歌詞のような自分が、ここまで何とはなしに生きてこられたのもあちこちの知人,友人たちのおかげです。

こういう自分はまるで、寄生虫のような存在だなあと思うことがあります。流浪モードで他人の世話になるしか仕方のない自分を正当化するつもりはないんですが,自然の中では寄生関係はかなり当たり前なことだそうです。バクテリアなんかはほとんど,そういう関係だそうです。寄生とまでいかなくても,共生や共働も,弱肉強食の競争関係よりも普通なんだそうです。ダーウィンの説を社会に応用した社会的進化論には,無政府主義者のクロポトキンが『相互扶助論』(翻訳は大杉栄)で的確に反論しています。80年代以来世界を席巻する新自由主義で、人間は個に分断され,競争を煽られています。ひとつ,立ち止まって,競争はそれほどいいものなのか,自然なものなのか,考えてみるのもいいかもしれません。

太田は数々の名句を残しましたが、特に元気付けられ、手帳に書き写したのは「今からでもおそくない。よき最後はこれからの毎日の過ごし方にかかっている」でした。これからまだまだ、しばらくは心も身体も流浪モードが続きそうですが,太田のように「正面向きの生活」に立ち向かっていこうと思います。

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