アブラをどれだけ掘り出せるか、その量は重要ではない。
1バレルの原油を獲得するために何バレルの原油が必要なのか,重要なのはエネルギー収支だ。
エネルギー収支というのは、投入したエネルギー量と産出されるエネルギー量の比率のことです。
地球上で手に入るエネルギー源は太陽熱、地熱、潮力だけです。人間がエネルギーを作り出すことはありません。人間にできることは、それらのエネルギーを別な形に変えたり、消費することだけです。ですから、ある形のエネルギーを得るには別なエネルギーを投入しなければならない。投入するエネルギーと獲得されるエネルギーの比率、それがエネルギー収支と呼ばれています。
先日イタリアのピサで開かれたASPOの第5回大会の講義から、この分野の先駆者,ニューヨーク州立大学(シラキュース)のチャールス・ホール教授のスピーチを抄訳で紹介します。
(「エネルギー収支」の考え方がある程度までは役に立つものの、いくつか、欠点も指摘されています。ひとつは、これがあくまでも経済的な考え方であり、経済の範疇の外にあるもの,例えば「自然がただでもたらすエネルギーや作用」がすべて把握されなかったり,人間の文化や蓄積された知識,これらをエネルギー的に換算できないことです。
経済の範疇の外にある「無料のエネルギー」を数値化し,教育やコミュニケーションなど、人間の知恵をエネルギー換算し,総合的に捉える概念はエメルギーEmergyと呼ばれます。ハワード・オーダムとユージン・オーダムがその提唱者で、ホール教授には,ハワード・オーダムとのエメルギーに関する共作もあるようですが、ここでは、その違いには目をつぶり,話を進めたようです。ここでも「エネルギー収支」という訳語をあてておきます。)
●アブラをどれだけ掘り出せるか、その量は重要ではない。1バレルの原油を獲得するために何バレルの原油が必要なのか,重要なのはエネルギー収支だ。
●対策を考えるときも,常に「エネルギー収支」を考慮しなければならない。代替エネルギーを生産するために、それよりも大きなエネルギーを投入しなければならないオプションは使い物にならない。
●オイルピークがもたらす問題をテクノロジーの発展や市場メカニズムは解決できない。科学技術の発展もエネルギー収支で判断する必要がある。
●たとえば石油探査や採掘技術は大きく「進歩」したかのように見えるが,石油生産のエネルギー収支は悪化する一方だ。1930年には1バレルに相当するエネルギーを投入し、100バレルを得ることができた。1970年までにその比率は1:30に減少し、今日、その数字はおよそ1:15だ。
●エタノール生産のエネルギー収支はマイナスではないにしても,せいぜい1:5であり、非常に効率が悪い。
●従来の新古典主義の経済学は、エネルギー資源の有限性という現実を無視したものであり、これからの「石油時代の後半」には「生物物理学的な経済学biophysical economics」に取って代わられるだろう。