あと4週もしたら現在住んでいる家を売りに出す準備に追われています。売りに出したからってすぐに買い手がつくわけではなく,買い手がつくまではニュージーランドに引っ越しもできない。そういう宙ぶらりんモードに移行しつつあります。
古本や古着その他、毎日毎日、どっちゃり近所のオプショップに運んでます。しかしまあ,よくここまで溜め込んだものだと我ながら嫌になってしまいます。
んで,そもそも,オーストラリを見切る理由にはいくつかあります。ひとつは水不足。この乾いた大陸にはすでにa2千万人以上が暮らし,しかもまだまだ増えそうな勢いです。それだけの人口を賄う水がこの大陸にあるのか。飲み水や生活用水だけでなく,食料生産など間接的な需要を含めて賄えるのか。ここ数年来の干ばつ,水不足は「記録的」、「千年に一度」「異常」など,様々に形容されます。その意味するものはともかく,水がなければ植物の生育も限られ,動物や人間の生存も限られてしまいます。人間にはエネルギー収支のあう形で水を作り出すことはできません。
(北島北部の渓流)
んで,水を求めたニュージーランドの旅、山紫水明の島国なので川や渓流にたくさん出会いました。しかも,目にする川はどこも、なみなみとした水をたたえています。乾燥した大陸暮らしが長いので、ただ,川に水がふんだんに流れているなんて些細なことにもうっとりしてしまいます。川の基準がまったく違う。オーストラリアでは大河とでも呼べそうな川があちこちにゴロゴロしてます。オーストラリアでは小川のこと、一般にcreekと呼びますが,こちらではstream。なんか、もろに水量の違いが表れているような語感です。オーストラリアのほうはちょろちょろとした感じ,こちらは渓流って感じがします。小川をさすマオリの言葉は「マンガ」。音は日本語の「漫画」に近く,特に北島はマンガだらけ。マンガトキにマンガワラ,マンガトロにマンガパパとくれば笑わざるを得ません。
いろいろな川や,渡しや橋に遭遇しました。
(これは川ではなく,ホキアンガ湾ですが,クルマを積んだ渡し船)
(南島クライストチャーチ市内を流れるエイヴォン川を漕ぎ行く小舟)
(南アルプスの雪解け水を流すクルーサ川。昔のニュー・ジーランド航空のカラーそのままな川の色に見とれてしまいました)
(NZ版ナイアガラの滝。ははは)
国一番に長いのは、南島、クライストチャーチの南にあるラカイアにかかる全長1.8キロの橋です。南アルプスに端を発する川のひとつでカンタベリー平原の灌漑に使われている川は河口にさしかかり,だらっと広がっています。その平坦な地形を反映し、橋も上るでも下るでもなく淡々としています。となりの鉄橋も同じように淡々と平坦。鉄橋の方も,当然、国一番の長さ。
(川岸の町、ラカイアの入り口に鎮座するは鮭のデカモノ)
一番幅の広かったのは,たぶん、オークランドのハーバーブリッジでしょう。1959年に開通した橋ですが,シドニーのものと比べると,どっしりとしたパイロンもないし、かなり安っぽい感じがします。もともとクルマ専用の4車線橋という基本設計のおかげでオープン後わずか10年足らずで飽和状態。仕方ないから、両側2車線ずつ、日本で製作したものを船で運んできて,両側にくっつけ8車線にしたってところがこれまたかなり安普請な感じです。石川島播磨が作ったくっつけ部分は「ニッポン・クリッポン」として知られていますが,ぼちぼち、耐用年数に近づき、すでにあちこち亀裂ができたり,ほころびが確認されているようです。
交通量が少ないところでは、反対に橋は縮んでしまいます。山道に差し掛かるとハーフ・ブジッジ(半分橋)なんて標識も出てきます。残り半分はどこにあるのだろうなんて思ったりもしますが、橋ってのは両側に桁のあるものだって認識なのか,山の片側だけに桁のあるところにそんな標識がありました。
オーストラリアに比べるとニュージーランドの道路は狭くて、しかも山がち、曲がりくねっています。崖に注意しながらスピードはあまり出さずに運転していると、現地人のドライバーは車間距離をつめてきて,機会があれば,死角のカーブでもびゅんびゅんと追い越していきます。まるで,目の前にクルマがいれば必ず追い越さなければならないとでも思い込んでいるかのようです。交通量が少ないおかげで、あまり事故にもならないようですが。こちらはかなりハラハラします。
まあ、それでも2車線あれば、御の字なのがニュージーランドの道路。ちょっと田舎にさしかかると、国道何号線だというのに1車線で片側通行の橋が頻繁に出てきます。どちらが道を譲るのか橋の優先権を示す標識が現れると,それまで2車線だった道は1車線の橋に収束します。優先権のない側は橋のたもとの停止線に止まり,反対方向から来るクルマに道を譲り,流れが途切れてからスタートします。
旅では空間や時間を未知の人間と共用する機会が増えるだろうとは思っていましたが,橋を共用させられるだろうとは予想していませんでした。
橋のこちら側で停まっていると、向こうからやってくるクルマのドライバーはほとんど例外なく,手を挙げ,「待っててくれてありがとう」ってな表情を見せます。反対にこっちが橋を渡り終えた時、クルマが停まっていれば,自然に会釈しちゃいます。クルマは意識共有の生まれにくい会話媒体ですが、1車線の橋を譲り合うことからコミュニケーションが生まれるようです。
これにもうひとつ輪をかけたオドロキの橋は南島の西岸で遭遇しました。1車線の橋も見飽きた頃で、アラフラ川を渡る橋へのアプローチにさしかかり,1車線橋の優先権を示す標識が現れた時にも別段気にしませんでした。と,今度は踏切の標識が出てきます。
あれれ,と理解に苦しんでいると,次はここ以外では目にしたことのない標識です。
タイヤを線路に挟まれないように自転車に注意を呼びかける標識でした。再びあれれと思って、振り返ると鉄道の線路がまっすぐに延びてきて、橋へ向かう道路に合流してきます。なんと、鉄道とクルマ共用,1車線の橋でした。
クルマと鉄道,両刀使いの橋はいくつもあります。シドニーのハーバーブリッジや瀬戸大橋なんかもその例ですが、それらは横に広かったり,縦に長かったりしていて、実際にレールが橋の真ん中を走っていてその上をクルマが往来することはありません。
昔はこういう1車線の鉄橋ってほかにもあったようですが、国鉄の相次ぐ廃線で、現役は近所のタラマカウ川というやはり幅の広い川にかかる橋と2つだけだそう。ラカイア川の2つの最長の橋の間には、1939年までクルマと兼用で使われた木製の鉄橋の橋桁が残っています。
渡ってみると,橋は幅が狭く,トラックやバスは窮屈そうです。橋の表面もかなりガタゴトします。口の悪いドライバーは「世界最長の木琴」などと言うそうです。ガタゴトガタゴト。が、もともと鉄橋だとすれば、それも仕方のないこと。文句は言えません。最大の優先権があるのは鉄道です。
鉄道は原乳の積み出しを主とする貨物輸送だけ、それも日に1往復程度の頻度ですが、列車がくればそこのけそこのけ。2両連結の大型トレーラーや大型バス、自転車からその他諸々,他の交通はすべて道を譲らなければなりません。
たぶん、もともと鉄橋として建てられ,交通の主力がだんだんクルマに移っていき、クルマ用の橋の需要が生まれてきた。しかし,川は長いし、建設費用もままならない。鉄橋は1日に多くても数度使われるだけだ。そうだ、鉄橋を共用しよう。ってな経過でこれらの橋は現在のような姿になったのではないでしょうか。
今度来る時はぜひ,列車が橋を渡るところを見てみたいものです。たぶん,橋の入り口でいったん停まり,警笛を鳴らし、クルマがすべて通り終わり,安全を確認し、それからのろのろと橋を渡るのではないでしょうか。橋の反対側で貨物列車の通過待ちをするクルマやトラックや自転車の列。想像するだけで楽しくなります。
さて、シドニーでは今週末,ハーバーブリッジが75周年を迎えます。未だに堂々としたものですが、オークランドのほうはどうするんでしょうねえ。今更4車線の橋に収束することもできず,わずか50年足らずで役に立たなくなるクリッポンに頼ることもできません。もうこれ以上太らすこともできず,もうひとつ橋を建てようか,それともトンネルを掘ろうか。そういう相談なのだそうな。
相変わらず,クルマの数は右肩あがりで増加する,そう思い込んだ対応ばかりで,積極的に鉄道を導入し、クルマの量そのものを減らそうとか、オイルピークの影響でクルマの量は減り、公共交通の需要が増すとか、そういった先見性のある可能性はあまり考慮されていないようです。
古本や古着その他、毎日毎日、どっちゃり近所のオプショップに運んでます。しかしまあ,よくここまで溜め込んだものだと我ながら嫌になってしまいます。
んで,そもそも,オーストラリを見切る理由にはいくつかあります。ひとつは水不足。この乾いた大陸にはすでにa2千万人以上が暮らし,しかもまだまだ増えそうな勢いです。それだけの人口を賄う水がこの大陸にあるのか。飲み水や生活用水だけでなく,食料生産など間接的な需要を含めて賄えるのか。ここ数年来の干ばつ,水不足は「記録的」、「千年に一度」「異常」など,様々に形容されます。その意味するものはともかく,水がなければ植物の生育も限られ,動物や人間の生存も限られてしまいます。人間にはエネルギー収支のあう形で水を作り出すことはできません。
(北島北部の渓流)
んで,水を求めたニュージーランドの旅、山紫水明の島国なので川や渓流にたくさん出会いました。しかも,目にする川はどこも、なみなみとした水をたたえています。乾燥した大陸暮らしが長いので、ただ,川に水がふんだんに流れているなんて些細なことにもうっとりしてしまいます。川の基準がまったく違う。オーストラリアでは大河とでも呼べそうな川があちこちにゴロゴロしてます。オーストラリアでは小川のこと、一般にcreekと呼びますが,こちらではstream。なんか、もろに水量の違いが表れているような語感です。オーストラリアのほうはちょろちょろとした感じ,こちらは渓流って感じがします。小川をさすマオリの言葉は「マンガ」。音は日本語の「漫画」に近く,特に北島はマンガだらけ。マンガトキにマンガワラ,マンガトロにマンガパパとくれば笑わざるを得ません。
いろいろな川や,渡しや橋に遭遇しました。
(これは川ではなく,ホキアンガ湾ですが,クルマを積んだ渡し船)
(南島クライストチャーチ市内を流れるエイヴォン川を漕ぎ行く小舟)
(南アルプスの雪解け水を流すクルーサ川。昔のニュー・ジーランド航空のカラーそのままな川の色に見とれてしまいました)
(NZ版ナイアガラの滝。ははは)
国一番に長いのは、南島、クライストチャーチの南にあるラカイアにかかる全長1.8キロの橋です。南アルプスに端を発する川のひとつでカンタベリー平原の灌漑に使われている川は河口にさしかかり,だらっと広がっています。その平坦な地形を反映し、橋も上るでも下るでもなく淡々としています。となりの鉄橋も同じように淡々と平坦。鉄橋の方も,当然、国一番の長さ。
(川岸の町、ラカイアの入り口に鎮座するは鮭のデカモノ)
一番幅の広かったのは,たぶん、オークランドのハーバーブリッジでしょう。1959年に開通した橋ですが,シドニーのものと比べると,どっしりとしたパイロンもないし、かなり安っぽい感じがします。もともとクルマ専用の4車線橋という基本設計のおかげでオープン後わずか10年足らずで飽和状態。仕方ないから、両側2車線ずつ、日本で製作したものを船で運んできて,両側にくっつけ8車線にしたってところがこれまたかなり安普請な感じです。石川島播磨が作ったくっつけ部分は「ニッポン・クリッポン」として知られていますが,ぼちぼち、耐用年数に近づき、すでにあちこち亀裂ができたり,ほころびが確認されているようです。
交通量が少ないところでは、反対に橋は縮んでしまいます。山道に差し掛かるとハーフ・ブジッジ(半分橋)なんて標識も出てきます。残り半分はどこにあるのだろうなんて思ったりもしますが、橋ってのは両側に桁のあるものだって認識なのか,山の片側だけに桁のあるところにそんな標識がありました。
オーストラリアに比べるとニュージーランドの道路は狭くて、しかも山がち、曲がりくねっています。崖に注意しながらスピードはあまり出さずに運転していると、現地人のドライバーは車間距離をつめてきて,機会があれば,死角のカーブでもびゅんびゅんと追い越していきます。まるで,目の前にクルマがいれば必ず追い越さなければならないとでも思い込んでいるかのようです。交通量が少ないおかげで、あまり事故にもならないようですが。こちらはかなりハラハラします。
まあ、それでも2車線あれば、御の字なのがニュージーランドの道路。ちょっと田舎にさしかかると、国道何号線だというのに1車線で片側通行の橋が頻繁に出てきます。どちらが道を譲るのか橋の優先権を示す標識が現れると,それまで2車線だった道は1車線の橋に収束します。優先権のない側は橋のたもとの停止線に止まり,反対方向から来るクルマに道を譲り,流れが途切れてからスタートします。
旅では空間や時間を未知の人間と共用する機会が増えるだろうとは思っていましたが,橋を共用させられるだろうとは予想していませんでした。
橋のこちら側で停まっていると、向こうからやってくるクルマのドライバーはほとんど例外なく,手を挙げ,「待っててくれてありがとう」ってな表情を見せます。反対にこっちが橋を渡り終えた時、クルマが停まっていれば,自然に会釈しちゃいます。クルマは意識共有の生まれにくい会話媒体ですが、1車線の橋を譲り合うことからコミュニケーションが生まれるようです。
これにもうひとつ輪をかけたオドロキの橋は南島の西岸で遭遇しました。1車線の橋も見飽きた頃で、アラフラ川を渡る橋へのアプローチにさしかかり,1車線橋の優先権を示す標識が現れた時にも別段気にしませんでした。と,今度は踏切の標識が出てきます。
あれれ,と理解に苦しんでいると,次はここ以外では目にしたことのない標識です。
タイヤを線路に挟まれないように自転車に注意を呼びかける標識でした。再びあれれと思って、振り返ると鉄道の線路がまっすぐに延びてきて、橋へ向かう道路に合流してきます。なんと、鉄道とクルマ共用,1車線の橋でした。
クルマと鉄道,両刀使いの橋はいくつもあります。シドニーのハーバーブリッジや瀬戸大橋なんかもその例ですが、それらは横に広かったり,縦に長かったりしていて、実際にレールが橋の真ん中を走っていてその上をクルマが往来することはありません。
昔はこういう1車線の鉄橋ってほかにもあったようですが、国鉄の相次ぐ廃線で、現役は近所のタラマカウ川というやはり幅の広い川にかかる橋と2つだけだそう。ラカイア川の2つの最長の橋の間には、1939年までクルマと兼用で使われた木製の鉄橋の橋桁が残っています。
渡ってみると,橋は幅が狭く,トラックやバスは窮屈そうです。橋の表面もかなりガタゴトします。口の悪いドライバーは「世界最長の木琴」などと言うそうです。ガタゴトガタゴト。が、もともと鉄橋だとすれば、それも仕方のないこと。文句は言えません。最大の優先権があるのは鉄道です。
鉄道は原乳の積み出しを主とする貨物輸送だけ、それも日に1往復程度の頻度ですが、列車がくればそこのけそこのけ。2両連結の大型トレーラーや大型バス、自転車からその他諸々,他の交通はすべて道を譲らなければなりません。
たぶん、もともと鉄橋として建てられ,交通の主力がだんだんクルマに移っていき、クルマ用の橋の需要が生まれてきた。しかし,川は長いし、建設費用もままならない。鉄橋は1日に多くても数度使われるだけだ。そうだ、鉄橋を共用しよう。ってな経過でこれらの橋は現在のような姿になったのではないでしょうか。
今度来る時はぜひ,列車が橋を渡るところを見てみたいものです。たぶん,橋の入り口でいったん停まり,警笛を鳴らし、クルマがすべて通り終わり,安全を確認し、それからのろのろと橋を渡るのではないでしょうか。橋の反対側で貨物列車の通過待ちをするクルマやトラックや自転車の列。想像するだけで楽しくなります。
さて、シドニーでは今週末,ハーバーブリッジが75周年を迎えます。未だに堂々としたものですが、オークランドのほうはどうするんでしょうねえ。今更4車線の橋に収束することもできず,わずか50年足らずで役に立たなくなるクリッポンに頼ることもできません。もうこれ以上太らすこともできず,もうひとつ橋を建てようか,それともトンネルを掘ろうか。そういう相談なのだそうな。
相変わらず,クルマの数は右肩あがりで増加する,そう思い込んだ対応ばかりで,積極的に鉄道を導入し、クルマの量そのものを減らそうとか、オイルピークの影響でクルマの量は減り、公共交通の需要が増すとか、そういった先見性のある可能性はあまり考慮されていないようです。