Sunday, January 22, 2006

気候変動はすでに手遅れなのか/Too late to act?


地球はそれなりの意志を持つとするガイア説の言い出しっぺである環境科学者のラブロックの言説はずっと注目されてきました。1月16日付けの英国インデペンデント紙への寄稿では、人間が引き起こした気候変動はすでに戻れないところまできてしまったという絶望的な意見を述べています。非常に重大な警告を含む記事なので、「地球は長ければ10万年も続く熱病に患かろうとしている」と題された記事を下記に訳出します。
なお、温暖化、気象変動に関して、環境NGOでの経験豊富な小倉正さんが温暖化いろいろというブログで逐一、世界の動きを追っています。小倉さんは今回紹介したラブロックの意見について、科学者のメッセージはいかにあるべきかまた、環境NGOのメッセージはいかにあるべきか、そして、温暖化対策としての原発問題をどうとらえたらいいのか、などについて意見や感想を述べあうフォーラムも設置されています。

ラブロックの発言に絶望してしまうのか、それとも奮い立たされるのか。地球を熱病から救うため、食事のレベルや生活水準はどこまで落とす覚悟があるのか、など、何でも構いません。意見をおよせ下さい。間に合うのかどうか、行動のための討論を始めましょう。


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若い婦人警官が自分の仕事のもたらす使命感に大喜びしているところを想像してみてください。次に、その警官が、行方不明の子供が近くの森で殺されて見つかったと家族に告げなければならない場面を想像してください。任命されたばかりの若い医師でもいいでしょう。活発な腫瘍が転移して広がっていることが検査でわかったと患者に告げなければならない場面を想像してください。医者や警官なら、惨い真実を告げられて、なかには無為に否定しようとする人もいますが、たいていの人は威厳をもってそれを受け入れるということを承知しています。

反応がどうであれ、悪い知らせをもたらす任務に慣れてしまうということはめったになく、その任務をほとほと嫌悪する人もいます。私たちは死刑を宣告するすさまじい責任を裁判官から取り除きましたが、裁判官には、少なくとも、死刑を宣告することを道徳的に正当化することがしばしば許されていました。医者や警官には、義務から逃れる術がありません。

この文は、同じ理由で、これまででもっとも書きづらいものです。私のガイア論は地球がひとつの生物であるかのように振舞うということですが、生き物は何でもそうですが、健康なこともあれば、病気にかかるることもあります。ガイアのおかげで、私はこの惑星の医者を任じてきました。私は自分の任務を軽々しくは考えていません。そして、今、私自身、悪い知らせを告げなければなりません。

世界中にある気候観測所は病院における病理学研究室のようなもので、地球の健康状態を報告します。気候の専門家は、地球が重態であり、これから10万年続くかもしれない熱病にかかろうとしていると診断しています。私は地球家族の一員として、地球の親密な一部として、これを読んでいる人や文明が重大な危機にあることを告げなければなりません。

私たちの惑星は、動物と同じように、誕生から30億年以上のほとんどのあいだ、ほかの生物が住めるように自らの健康を保ってきました。運が悪いことに、私たちが汚染を始めたのは、ちょうど太陽が過熱する時代でした。ガイアは私たちのおかげで熱病にかかり、すぐに、状態が悪化して昏睡状態に陥ることでしょう。ガイアが熱病にかかって昏睡状態に陥ることは以前にもありましたが、その時は回復に10万年以上かかりました。これは私たちの責任であり、そのつけも私たちが払わなければなりません。21世紀が深まるに連れ、温帯では8℃、熱帯では5℃、気温が上がるでしょう。熱帯ではほとんどの土地が低木の薮と砂漠に変わり、すでに食料生産のために切り開かれている地表の4割の土地に加え、これらの土地は温度調節の用をなさなくなるでしょう。

奇妙なことですが、地球温暖化は、北半球のエアゾール汚染が日光を宇宙に向け反射するおかげで、抑制されています。しかし、この「グローバル・ディミング(地球漸暗化/薄暮化)」は一時的なものであり、数日のあいだに煙のようになくなってしまい、私たちは地球規模の温室の熱にさらされることでしょう。私たちは煙によってかろうじて冷やされた虚構の気候のなかに暮らしており、今世紀が終わるまでに10億人以上が死に、かろうじて我慢できる気候の残る北極圏で何組かのカップルがほそぼそと生き残っているだけでしょう。

地球が自らの気候や構成を調整することを理解せずに、人間は自分達にそれができるかのように勘違いし、自らの手でそれをやろうとするへまをしでかしました。そのおかげで、人間は自らを最もひどい奴隷制に突き落としました。地球のかじ取りを気取るなら、大気や海洋、地表を生物が住めるように保つ責任があります。それをガイアは人間にこれほど手酷く扱われるまで、私たちのために気前よくやってくれたことですが、人間の手には負えない任務であることがすぐにわかるでしょう。

それがどれほど不可能なことであるのか、自分自身の体温がどう調節され、血液の成分が調節されるのか、考えてみてください。腎臓疾患のある人は御存じのように、毎日毎日、水や塩、タンパク質の摂取の調整に砕身しなければなりません。透析による技術的な治療は助けにはなりますが、健常な腎臓の代わりにはなりません。


私の新刊、「ガイアの復讐」はこれらの考えを追求するものですが、科学が地球の本質を認識するのに何故こんなに時間がかかったのかと読者は疑問に思うかも知れません。その理由は、ダーウィンの提示した考え方が非常に優れており、しかも明確であり、それを理解するのにこれだけの時間がかかってしまったからだと思います。ダーウィンの時代には、大気と海洋の化学についてほとんど知られていませんでした。有機体は環境に順応すると同様に、まわりの環境を変えるのかどうか、彼の時代にはそんなことを疑う理由はほとんどなかったでしょう。もし当時、生命と環境の密接な関係が知られていれば、進化というものが有機体だけではなく、惑星の表面全体にも及ぶということをダーウィンは見抜いたに違いありません。そうであれば、私たちは地球をまるで生物のように見なしたはずで、自分達の腹を満たしたり、家の調度のためだけに、地球の皮膚である森林や海洋の生態系を使ったり、空気を汚すことはできないと悟ったかもかもしれません。それらの生態系は地球という生き物の一部であるから、手を触れないでおこう、そう本能的に悟ったかも知れません。

さて、私たちはどうしたらいいのでしょう。まず最初に、変化のすさまじいペースを自覚し、残された時間がほとんどないことを肝に命じなければなりません。そして、それぞれの社会や国は手に残された資源をうまく使って、文明を長もちさせる方法を探らなければなりません。文明というものはエネルギー集約的であり、スイッチをオフにすれば墜落してしまいます。ですから、動力に頼りながら降下していく安全策が必要になります。英国諸島についていえば、私たちは自分達だけのことではなく、人類すべてについて考えるのに慣れています。環境の変化はグローバルですが、その結果について、私たちはここ、イギリスで立ち向わなければなりません。

残念ながら、私たちの国はまるでひとつの大都会であるかのようにまで、都市化してしまい、農地や林はわずかな面積しか残されていません。我々の暮らしは世界との貿易に依存しています。しかし、気候変動のおかげで、食料や燃料を定期的に手に入れることはできなくなります。

私たちの食事のレベルを第二次世界大戦当時に落とせば、国民を養うだけの食料は生産できるでしょうが、バイオ燃料用だとか、風力発電用の土地が余分にあると考えるのは滑稽です。私どもは生き残るために最善をつくすでしょうが、悲しいことに、アメリカや経済発展途上の中国やインドなど、温暖化ガスの主な生産国が期限以内にそれを削減するとは思えません。最悪事態が起こり、生き残る者は物凄い気候に順応しなければならないでしょう。

恐らく最も悲しいことは、人間と同等かそれ以上のものをガイアも失うということです。野生の生命体や生態系が絶滅するだけでなく、人間の文明という貴重な資源も惑星は失います。人間はただ病原であるだけではありません。人間は知性とコミュニケーションを通し、惑星の神経系を成しています。私たちを通して、ガイアは宇宙から自分の姿を眺めることができ、宇宙における自分の場所を知り始めるのです。

人間は地球の疾患ではなく、地球の心であるべきです。私たちは人間のニーズや権利だけを考えるのをやめ、生きている惑星、地球を痛めつけてきたこと、ガイアとの和解が必要なことを勇気を持って直視するべきです。うちひしがれ、残虐な軍閥に率いられる烏合の衆になる前に、まだ交渉する力があるうちに、それをしなければなりません。特に、我々が肝に命じなければならないのは、人間は地球の一部であり、まさに地球が我々の家だということです。

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コメント
ガイアのラブロック博士、今回の記事、そして「ガイアの復讐」と題された2月2日発売の新著もたぶんそうだと思いますが、気候変動はすでにどうしようもないところまできてしまった、とかなり絶望的なトーンです。大雪に、大雨、旱魃、台風にハリケーン、永久凍土は溶け出し、ガイア自体が変動に対応し始めているような徴候があちこちに出ています。その結果、「今世紀が終わるまでには10億人以上が死に、かろうじて我慢できる気候が残る北極圏で何組かのカップルがほそぼそと生き残っているだけでしょう」。

ガイアが熱病に冒されている、だから解決策として、ってところで原発を持ち出して、ここのところすっかり「原発推進派」にその言説が利用されることの多かったラブロックですが、この記事ではげの字も出てきません。新著のほうではどうなんでしょう。ラブロックの言説でいつも気になるのは、「需要は増えていくものであり、それを賄うには」、っていう議論の展開です。んで、その答えは原発ってパターン。「需要を押さえろ」とか「贅沢は敵だ(笑)」なんて言わない。

今回の記事では「げ」の字の代わりに「私たちの食事のレベルを第二次世界大戦当時に落とせば、国民を養うだけの食料は生産できるだろう」と、生活のレベルを落とすことを示唆してます。そして、「バイオ燃料用だとか、風力発電用の土地」は余分にあるわけではない。そう言っています。これは大きな救いです。

イギリスで第二次大戦って言えば、国民が一丸になって、ナチドイツの攻撃に耐え、勝った、そういう意味があります。そこまで落とさなければならないけど、やればこの前のように勝てる、そんな意味が第二次大戦にこめられているのかも知れません。ただ、大戦は60年以上前に終わったことで、ふた世代以上経って、その記憶がどれだけ残っているのか、疑問です。飽食の時代を経験した現代の英国民がそこまでできるのかどうか。それじゃあ、北欧諸国やアイスランド、カナダやグリーンランドの土地を買い漁ろう、ってな方向へ行く人が多いんじゃないかって心配です。

ラブロックの絶望的な記事への反応を見ると、普段は「環境汚染はこんなにひどいんだ」ということの多い環境団体の連中が「いやいや、まだ、それほどひどくはない、まだ絶望するには早すぎる。できることはある」と言っていたりして、不謹慎には違いありませんが、おもしろい。ラブロックの意見は現実的なのかも知れませんが、人々を悲観的にしてしまい、もう何をやっても手後れなんだと諦めさせてしまうことにもなりかねません。

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