Wednesday, December 28, 2005

狂牛病時代/Not very NAIS

狂牛病の恐れがある中でアメリカからの牛肉輸入が再開され、日本ではあれやこれや、様々な批判が噴出している。ほとんどは自ら食料の6割以上を外国に頼っている情けない状態を棚上げにして、アメリカの食肉生産体制の杜撰さを指摘している。そうかと思えば、どこそこの外食チェーンは、ほかと比べて良心的だから支持しようなんて、まったくあきれてしまう動きもある。

見のがされがちなのは、(日本などの)「消費者」の信頼回復の名目で、アメリカでは恐ろしい動物の管理システムが導入されつつあることだ。2003年には世界の牛肉市場の18%を占めていたのに、翌年にはそれが3.2%近くに減ってしまったのだから、アメリカの畜産業界は必死だ。なんでも、いったんアメリカで導入されてしまえば、それが世界標準になることの多い御時世、とても他人事ではない。

導入されつつあるのはNational Animal Identification System (NAIS)と呼ばれるシステムで、いくつかの州ではすでに義務付けられており、全国的にはまだ任意登録制だが、2008年初頭からは義務制になる。

National Animal Identification System

これは、牛だけでなく、豚や鶏や羊や馬どころか鳩(!)まで含め、すべての家畜をデータベース化し、GPSを使って監視するシステムだ。このシステムのもとで、動物にはすべて15ケタのID番号が与えられ、連邦農務省の巨大なデータベースに登録されるのだ。データベースにはDNAや、網膜のスキャンなど、より詳細な情報を登録することが検討されている。動物自身には遠方からでも読みとれるタグや、マイクロチップが挿入され、生まれた時からと殺されるまで、動向を報告することが義務付けられることになる。狂牛病から鳥フルなど家畜の病気は発病と同時にたちどころに判明し、動きを辿れるというのがこのシステムの狙いだ。

こういうシステムはすべての動物が登録されなければ機能を発揮しない、という理由で、例外は全く認められず、例えば、自給用に裏庭で飼う動物や乗馬用に飼われる馬も登録を義務付けられることになる。飼い主は名前や住所、電話番号を登録し、7ケタのID番号を取得しなければならない。未登録の動物を飼っているのが見つかれば罰則が適用され、獣医など第三者が未登録の動物を見かけたら報告することが義務付けられる。

このシステムの狙いは生産管理を通して(日本などを含む)消費者の信頼回復だと言われているが、それは大企業による、大規模生産が小規模農家や裏庭の自給生産を駆逐する動きにほかならない、と反対する者も多い。事実、羊を1頭、豚を1匹、鶏を1羽飼うだけでも、ID番号の取得が義務付けられ、報告義務が発生するので、事務手続きが煩雑になり、小規模に有機農業などをやる農場などは、すでに廃業を考えているところもある。

そうでなくとも、有機や放し飼いをやっているところだとか、アーミッシュの村だとか、エコビレッジ、コミューンなど経済の範囲外で自給用の動物を育てるところはまっ先に狙われるだろう。大手の家畜生産者以外は「普通でない」というだけで槍玉に上げられるのは間違いない。「悪いことしてなけりゃ、恐れることなんかないじゃん」というが、「悪いこと」をしているかどうか、それを決めるのは管轄の政府機関だ。恣意的に利用され、嫌がらせに使われることも十分可能なことは、昨今明らかになったFBIなど情報機関が環境団体や市民団体をによる対テロ目的の盗聴対象にしていたことからも明らかだ。

このシステムの意図は導入を農業省と進めている顔ぶれからも想像がつく。これを後押しをするのは全米豚牛生産者(NPP)やモンサント、カーギル社などの大企業だ。小規模農家を駆逐し、食の支配を確立しようとする大企業の姿が見える。モンサントは遺伝子組み替え植物を通し、植物の所有、支配を画策していることはよく知られているが、その野望は植物に留まらない。今年8月には、なんとブタを自分達の発明として特許を申請している。


2005年8月2日付けのグリーンピースの発表

このグリーンピースの記事の中に、
「地球は平坦。
ブタはモンサントの発明品。
遺伝子組み換え農産物は安全」
とオーウェルに倣った表現があるが、この会社は世界の食物供給の支配を企んでいる。このシステムの導入に積極的に関ってきたのもその戦略の一環であることは間違いない。

クルマや銃の登録ならともかく、技術的にこんな大規模な登録制度は現実として、無理だろうと楽観する向きもある。確かに、こんな大掛かりなことがちゃんとできるなら、著作権だってちゃんとコントロールされていて、海賊版なんか出回るはずがない。そうたかをくくることはできる。でも、管理強化の徹底にはちょっとしたきっかけがひとつあれば十分で、すでに狂牛病や鳥フル、狂鹿病など、「消費者」をその気にさせる条件は整っている。あとは、パーマカルチャーを気取って、裏庭で飼われている未登録の鶏から鳥フルが発生でもすれば、それで十分だ。

さて、NAISのもとで、日本を含めた「消費者」は安心して、アメリカ産の肉を食べることができるのだろうか。

たぶん、無理だろう。発病の発見は早くなり、その広がりは抑えられるかもしれないが、発生の原因を根絶することはできないからだ。狂牛病や鳥フルなどを生み出すのは大企業の大量生産方式そのものであり、いくら管理を強化しても、その原因を根絶することは無理だからだ。

大量生産方式の元で、どこの誰が食べるのかわからない「食肉」を作る「生産者」は自分が食べるものじゃない、知り合いが食べるものでもないから、成長ホルモンでもなんでも入った餌をじゃんじゃん使って、とにかく早く、安上がりに、大きく育てることだけを考えるものだ。高く、たくさん売れればいい。「生産者」はそんなことしか考えなくなる。資本主義的にはまことに正しい大規模生産の神髄だ。早く、安く、でかい、そんな「エサ」を求める「消費者」にはお似合いの「生産者」だ。

こうした顔の見えない連鎖は加工者も同じで、自分で食べるものを作る、知っているひとに食べさせるわけじゃないから、顔が見えない「消費者」のことを考えろ、なんて、言ってもそれは無理。安い「エサ」を「消費者」が望むなら、「生産者」も加工業者も、安い「エサ」を提供する。もともと、安くて早い「エサ」にそれなりの品質を要求する方が間違いなのだ。モラルも基準もない「消費者」が「生産者」に質を要求するなんて、大量生産された肉に安全を求めるなんて、はなっから間違っている。

こういう文脈で理解するなら、内閣府のプリオン調査会の座長、吉川泰弘教授の「最終的には消費者が判断することだから、アメリカ産の牛肉が不安だと思う人は、買わなければいい」という発言はまことにまっとうなものだ。

本当に食の安全を求めるなら、どこでどんなふうに作られたのかわからないものを口にするのをきっぱり止め、どこの誰が作ったのか、わからないような加工食品は口にしないようにするしかない。政府に文句を言ったってだめだ。具体的には自分で食物を育てるか、知り合いの農家から手に入れるしかないのだ。

これをきっかけに「消費者」は肉食と外食、加工食品を食べることをきっぱり止めればいい。目が醒めた人は「消費者」なんか止めて、人間に戻り、自分が何を食べるのか、なにが安全な食べ物なのかなんて判断を他人任せにすることを止め、これをきっかけに食料の自給率を高めることを考えてみてはいかがだろうか。安全な卵を食べるため、自分で鶏の一羽でも飼えばいい。そしたら、NAISがつぶそうとしているのは、まさにそうした自発的な食の安全の確保であり、人間へ戻る過程だって気がつくだろう。NAISが、大規模生産方式に反発する小規模農家や、自給用に裏庭で鶏を飼う人を押しつぶそうとするものだということがよくわかるだろう。小規模農家はそれでなくても経営が苦しいところが多い。事務手続きが煩雑になり、登録費も負担し、経営破たんするところが出るだろう。

政府に要求しなけりゃならないのはNAISのような大規模システムではなく、支持が必要なのは近所の小規模農家であり、まちがっても、大規模外食チェーンなんかじゃない。

NAISの恐ろしさは、アメリカで義務付けられれば、それが世界に波及するだろうという地理的な広がりの問題だけじゃない。いったんシステムが出来上がってしまえば、ことは家畜だけでおさまらない。質的な広がりが予想されることだ。

例えば、犬や猫が人間に噛み付くからとかなんとか、ペットが、その次にシステムに組み込まれるだろう。そうして、動物の登録が終われば次は人間だ。今でも「犯罪者」にチップを組み込んで監視しろ、という意見がある。特に性犯罪を犯したものや、麻薬常用者なんて「社会の屑」は、刑期を終えてからもどこにいるか、わかるようにしたほうが社会の安寧のためだ。そんな調子で、「テロ容疑者」、「サヨク」、一般犯罪者がその次だ。他の文化、地域からの移民なんてのも、現東京都知事あたりなら考えるに違いない。

子供の安全を心配する親たちは今でもケータイを持たせているが、それでも安心できない。いっそ、こういうシステムに組み込んだ方がずっと「安心」だ。大人だって、そうだ。政府関係の機関、原発や大工場、空港などで働く労働者はテロ対策のため、素性や居所がわかるようにしたほうがずっと「安心」だ。えーい、面倒だ、人間全部、チップを埋め込んじまえ。てなことは、極めてあり得るシナリオだ。まるでPKディックの描いたような、管理された未来社会だ。

日本の善良な「消費者」たちが、アメリカに「安全な牛肉」なんか無邪気に要求していると、こんなところへ行き着いてしまうのだ。
(28/12/5)

Sunday, December 25, 2005

Mよ、安らかに/Lamentate on Christmas

キリストが生まれたとされる日に、死がテーマの作品を何度も繰り返し聞きながら、昨夜、急死を知らされた知人Mのことを思い出している。

Mは昔、日本へよく行っていた頃お邪魔する事務所で映像作りの仕事をしていた。特に一緒に仕事をすることはなかったが、隣の机から読み終わった週刊誌や新聞を回してくれたり、あれやこれや雑談して、時々タバコを恵んでもらったりしたはずだ。酒を飲んだりメシを食ったりすることはあんまりなかったけど、しゃがれ声と笑い顔は憶えている。

確か、ヘビーメタル系の音楽が好きだったんじゃなかったっけ。こっちはメタルといってもジャンクメタルを叩く連中の日本ツアーをやったことがあった。チケットが売れなくて、友人、知人に動員をかけた時、Mは喜んでサクラになってくれた。あんまり恥ずかしかったんで、結局、感想は聞けずじまいだったけど。

生命あるものはいつか死ぬなんてことは理解しているし、死を恐れぬ振舞いも人一倍してきた。もっと悲しい死に方なんか世界じゅうにゴロゴロしているし、時間だけ長く生きればそれがいい人生だとも思わない。でも、自分より若い知り合いがぽっくりと先に死んじゃって、それを知らされるのは何度経験しても、生理的に耐えられない。

キリストの誕生を祝う日に、サンタが一枚のCDをくれた。
エストニア生まれの作曲家、アルヴォ・ペルトの新作、ラメンタテだ。独特な音空間を作り出すペルトはずっと好きな作家のひとりだ。サンタは、いつもは一緒に暮らす相棒が化けただけだから、そのへんのことはすっかりお見通しだ。

ライナーに掲載されたペルトの言葉によれば、ラメンタテはロンドンのテート・モダンという元発電所を改造した現代美術館でペルトが2002年10月に観た「マルシアス」という作品に触発された作品だ。マルシアスは、ギリシャ神話によれば、アポロンに音楽の技くらべを挑んで、負けたあと、生きたまま皮を剥がれてしまう半獣半人の笛の名手。アニッシュ・カプーアの作品のほうは長さ155メートル、高さ35メートル、スチールの骨組みに赤いビニ−ルを貼り付けたもので、写真を見ると、とにかくでかい。
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世界最大級のアート出現 !

これを見た時のことをペルトはこう書いている。

「タイム・ワープすると未来と現在が同時に見られるそうだが、自分は生きているはずなのに、死んだ自分が生きている自分を見ている、そんな気がした。突然、自分の人生を別な角度から見ていることに気がつき、自分にはまだ死ぬ準備が出来ていないことに気がついた。残された人生でなにが達成できるのか、自らに問いかける気分になった」

1935年9月11日生まれのペルトが巨大なマルシアスを前にして、そう問いかけたことから生まれたのがこの作品だ。

「交響曲#3」を思わせる曲があったり、ピアノとオーケストラの絡みあいがあったり、最近のペルトらしからぬところもあるが、ひとつひとつの音色、余韻に思いを込め、美しくも物悲しい悲哀な空間を描くとこはペルトの独壇場。一見単純な旋律は反復されるうちに増幅し、荘厳で込み入ったメランコリアな音空間を作り出す。「ミゼレリ」、「鏡の中の鏡」、「アリーナのために」、「ベンジャミン・ブリテンの追悼歌」など、過去の作品の断片がさりげなく引用されていて、それもおもしろい。死をテーマに、ペルトは、生と激しく向きあっている。

ペルトは死と苦難について、こう言っている。
「この世に生を受けた人間、誰にとっても死と苦難は関心事だ。それとどう折り合いをつけるか(もしくはつけられないか)が、意識的であれ無意識であれ、それぞれの人間の人生への態度をきめるものだ」

生き残ったものは、精々、死者のことを胸に秘めながら生き続けるしかない。
クリスマスにペルトのラメンタテを聞きながら、そんな当たり前のことを思った。
Mよ、安らかに。
あたしゃ、これからもムニャムニャし続けるからね。
(25/12/5)

核サイクルへ加速するオーストラリア/Welcome to the new clear daze!

12月上旬、いくつか、重要な法案が上院で可決成立した。雇用関係を大幅に改定する法律、そしてアメリカの愛国法に匹敵する対テロ法はメディアでも取り上げられ議論を呼んだが、ほとんど注目されなかったのは放射性廃棄物処理法だ。これは北部準州にある連邦所有地に2011年をめどに、低/中レベルの放射性廃棄物の貯蔵施設を建設することを可能にする法律だ。

オーストラリアはウラン埋蔵量では世界の三分の一を持つが、これまでは核開発へのかかわりに慎重な政策をとってきた。ウランの輸出は連邦政府の管轄で、70年代から大きな論争になってきた。しばらくは、ウラン価格が低迷していたこともあり、いわゆる「3鉱山政策」のもとでウラン採掘を3つの鉱山に限る政策が保守、労働党の合意とされてきたが、現在はレンジャー(北部準州)、オリンピック・ダム(南オーストラリア)を中心に世界で生産されるウランの2割近く、9300トン(7900 tU)が毎年、オーストラリアから輸出されている。このうち、日本へは2700トンが輸出されている。

Uranium Information Centre

日本とのかかわりについては京都精華大学の細川弘明の
「豪州ウラン開発問題と日本の関わり」が詳しい。

ここ数年のあいだに核政策もすっかり積極的に変わり、核のゴミ捨て場を確保したことで、オーストラリアは核体制確立への動きが一気に加速する可能性もある。

ウラン鉱床が集中するのはダーウィンを首都とする北部準州で、準州内だけでもウラン資源は120億ドルと見積もられている。1978年に準州として制限つきの自治が認められて以来、鉱業における採掘許可は準州政府が与えてきた。6月に行われた準州議会選挙では、新しいウラン鉱山を許可しないことを公約に掲げた労働党のクレア・マーティン準州首相が再選された。

しかし、8月、連邦政府の資源大臣のイアン・マクファーレンはウラン採掘に関する決定権は連邦政府の手にあると発言し、準州政府の手から核政策に関する権限を奪い取った。言い換えれば、中国などアジア各国での核開発でウランの国際価格が高騰するなか、連邦政府は準州内で新しい鉱山を許可するぞということだ。連邦政府の発言をうけ、ウラン採掘の免許をもつ12以上の資源会社は鉱床の探索に本腰をいれはじめている。90年代に巻き起こった反対運動の結果、ストップしたままになっている世界遺産指定のカカドゥ国立公園内のジャビルカ鉱山(リオティント/ERA所有)の開発も再び遡上に上がっている。ジャビルカは存在が知られていながら未開発の鉱床のなかでは世界最大のものだといわれている。アボリジニのなかにはウラン採掘など鉱業開発に反対するものも多く、先住民族の土地所有権とからみ、反対運動が再燃することはほぼ間違いない。

6月の準州選挙の際、マーティン準州首相はウラン採掘反対のほか、核のゴミ捨て場を認めないことも公約していた。それは、国内唯一の原子炉から出る廃棄物の投棄場所として、北部準州が候補として囁かれていたからだ。

北部準州は核のゴミ捨て場に反対する

国内にはシドニー市内南部のルーカス・ハイツに出力1万キロワット、医療用アイソトープを取り出すための原子炉がある。百万キロワット級が普通な日本の原発と比べればかなり小振りだ。1960年に運転を開始、老巧化した炉に代わり、2002年から、低濃縮ウランを燃料とする軽水炉(出力2万キロワット)がアルゼンチンのINVAP S.E. 社の手で建築されている。この炉は今年12月に試験運転を始め、2007年には営業運転に入る予定だ。

このルーカス・ハイツの原子炉から出る廃棄物はこれまでフランスやイギリスに送られていたが、これが2011年から返還される予定で、連邦政府はあちこち、核のゴミの投棄場所を探していたのだ。しばらくは、オーストラリアなどからの援助が頼りのナウルに押し付けようという動きもあった。ナウルにはハワード政権が無理矢理、難民収容所を押し付けたこともあったが、破産して沈没寸前とはいえ、さすがに核のゴミだけは受け入れなかった。

国内で白羽の矢が立ったのは南オーストラリア州だ。しかし、1950年代に英国が行った核実験の記憶がなまなましく、州労働党政権の反対も激しく、この案は頓挫した。そして、新たに候補地にあがったのが北部準州だ。準州だから、州ほどに力が強くない。準州以外から放射性廃棄物を持ち込むことを禁止する法律が作られ、マーティン準州首相が選挙公約し、当選したにもかかわらず、ハワード連邦政権は、選挙の翌月、準州内にある3ケ所の連邦政府の所有地を核のゴミ捨て場にすることを発表した。今回上院で可決されたのがそれを可能にする法案なのだ。

3つの連邦所有地は爆撃訓練とかの軍事目的の土地で、ふたつはアリス・スプリングスのすぐ北にあり、もうひとつはキャサリンの郊外にある。現在のところ、連邦政府は、建造される貯蔵施設を国内の廃棄物の受け入れに限定しているが、将来はわからない。海外からの廃棄物を受け入れろ、と積極的に発言するのはボブ・ホーク前首相だ。ホーク前首相は労組委員長の出身だが、引退後、中国ビジネスに大きく食い込んでおり、核政策では現政権より積極的な発言をしている。9月末のABCテレビのインタビューで次のように発言し、世界から核のゴミを受け入れることを提案している。
「使用済み核燃料の安全な貯蔵は世界的な問題だ。オーストラリアにとっては経済的なボーナスも大きい。入超なんかすっぱり忘れていい。将来、オーストラリアは世界を安全な場所にすることで何十億ドルも稼ぐことになるだろう。毎年、毎年、何十億ドルだ」

Hawke backs Aust as nuclear waste repository

核施設というのはどこの国でもそうだが、ひとつできてしまうと、既成事実がどんどん積み重ねられていくものだ。最初は「低レベル廃棄物の中間貯蔵施設」として作られた施設が「中レベル貯蔵施設」になり、やがて「高レベル施設」になることは不思議なことではない。国内向けに作られた施設でも、政治的な環境さえ整えば、日本などアジア各国から核廃棄物を受け入れるようになっても不思議ではない。

核燃料や核廃棄物は輸送が難しいものだが、政治的な環境はともかく、すくなくとも、輸送体制はすでに整っている。

拙著「おもしろ大陸」(光文社知恵の森文庫)で、その当時(2000年)急ピッチで建設の進んでいたアリス・スプリングスとダーウィン間を結ぶ鉄道についても取り上げた。南オーストラリアのアデレードからアリス・スプリングスまでだった鉄道のダーウィンまでの延長は70年近く、手をつけられないでいたが、1420キロの延長工事は、2001年にとりかかってから2年半というこの国では異例な早さで完了した。

この路線延長の大きな理由は核燃料、廃棄物の輸送ではなかったのか、そう思わせる理由がいくつかある。まず、90年代後半、路線延長を連邦政府に働きかけたのがテキサスに本拠を置く資源開発/国防企業のハリバートン社だからだ。当時のCEOはチェイニー現米副大統領だ。この鉄道を建設し、これから50年間にわたり経営権を持つのはアドレイルADrail社で、これはハリバートンの子会社、KBR社が50%を所有する合弁企業だ。

ハリバートン社は、ZNetのジェーソン・レオポルドの記事によれば、イラクの石油権益を巡り米国防省とのあいだで秘密合意を結んでいたといわれ、9/11以降のいわゆる対テロ戦争で利益をあげる唯一の企業だとも言われている(この記事の日本語訳は益岡賢のサイトで読める)。

米国防省は秘密裡にハリバートン社にイラク石油産業運営を指名していた

オーストラリアではアデレード〜ダーウィン鉄道の建設、運行からメルボルンのF1グランプリの開催まで手広く手掛けている。2000年のシドニー五輪では選手村の設計、施行を担当、水道やエネルギーなどの公共インフラが民営化されるごとに買い漁っており、現在パース、アデレードなどの水道を握っている。もちろん、軍事プロジェクトへも激しく食い込んでおり、イラク派遣軍の施設建設や管理なども担当し、2000年にはわずか250万ドルに過ぎなかった受注額が2003年には1800万ドルと急増している。2015年完成予定で沿岸警備用に無人飛行機をつかったシステムも開発中だ。

halliburtonwatch

アリススプリングスからダーウィンまでのびた鉄道には豪華寝台車ガン号が乗り入れ、観光客の誘致も盛んだが、ハリバートン社が建築、経営に関わる鉄道は軍事利用がかなり早い時期から検討されていたようで、開通から半年もしない2004年7月には、ここ21年で最大規模の軍事鉄道輸送が行われ、200台を越す軍事車両が輸送された。

しかし、この鉄道の本質のひとつは建設前にはあまり公表されなかったが、原子鉄道であり、核燃料の輸送だ。沿線にはひとつの鉱山としては埋蔵量世界一とされる南オーストラリアのオリンピック・ダム鉱山(WMCリソ−シズ社所有)などがある。ハリバートン鉄道を使った最初のウラン輸送は2005年1月17日に行われた。オリンピック・ダム鉱山から採掘されたウランは4台のコンテナに積まれ、いったんわざわざアデレードまでトラック輸送され、それから列車に積み換えられ、40時間、ダーウィンまで輸送された。輸送が本格化すれば、鉱山から鉄道までは80キロほどなので支線が建設されるだろう。

そして、連邦政府が核のゴミ捨て場を計画する3ケ所もハリバートン原子鉄道からさほど遠くない場所にある。鉄道から支線がのびることは間違いない。ルーカス・ハイツから核廃棄物が輸送される場合も、反対や危険の多いトラック輸送ではなく、シドニーから船積みしてダーウィンへ、そしてそこから鉄道輸送というルートになるだろう。

ウラン採掘、輸出政策の見直し、核廃棄物の貯蔵施設の確保、輸送体制も整い、オーストラリアは核体制確立に向けてまい進する。
(25/12/5)

Tuesday, December 20, 2005

歯なしのはなしとシェイン・マガウアン/Pogue Mahone

入れ歯がゆるゆるになったんで、歯医者に行ったら、修理に何日か、かかるという。それで、何日か入れ歯なしで暮らしてる。上のほう、残っている歯は片手で数えられるくらいだし、下のほうもぼろぼろと抜けはじめている。でも、ものを噛むのに支障はなく、自分では気にならないけど、一緒に暮らす相棒は、お願いだから、笑わないでねと懇願する。そう言われるとよけいに笑いたくなって、にかっと笑って鏡を見ると、まるでポーグスのシェイン・マガウアンのようだ。

ポーグスはもともとPogue Mahone(ゲーリック語で「ケツをなめてちょうだい」ってな意味)というバンド名で80年代に登場し、哀愁を帯びたメロディにペーソスとひねりのある歌詞、とてもアイルランドな音楽をやる連中だ。マガウアンは、これまたアイルランドの伝統なのか、アル中の気があり、歯がぼこぼこで、いつ死亡のニュースが伝わってきてもおかしくないような暮しをしていたはずだ。でも、まだ、確か、くたばっていない。はずだ。まあ、こっちも似たような暮しで、まだ、くたばってないけど。

「レイニー・ナイト・イン・ソーホー」なんてヒット曲を鏡の前で歌ってみる。fだとかvのように、上の歯を必要とする音はどうやって発音するんだろう。

それから、何枚か、ポーグスの古いアルバムを引っぱり出して聞く。あの曲はどのアルバムに入ってたんだっけ。とかなんとか。手許にあると思ったアルバムがどこかへ行っちゃったことにも気付く。あれれ。

近所のレコード屋へ行って、なくなっているアルバムにについて尋ねると、ニ-ル・ヤングの新盤かけてるくせに、「うちはそういう人気バンドのは置いてないんだよね」なんて言われてしまう(ちょっとしか聞かなかったけど、ニ-ル・ヤングの新盤は良さそうだ)。あれれ、ボーグスってそんなに人気バンドだったっけ。

うちへ戻り、ネットで調べるとけっこうライブ活動もやっているようで、今年7月には日本でもコンサートをやったそうだ。ボーグスなんて、過去のバンドで、マガウアンはほとんど死にかけ、なんて思ってたのは、あらあら、自分だけだったようだ。世間ではなかなか、現役の人気バンドだったんだことを改めて確認する。自分の無知にはあらあらだけど、嬉しくなってしまう。

こっちだって、もう何日かしたら、ぴかぴかの入れ歯だぞ。
そしたら、誰ももう、笑うのを止められない。ぞ。
(20/12/5)

Sunday, December 18, 2005

バヌヌを即刻解放せよ/Free Vanunu now!

標高千メートルの高原の町に引っ越すまで、ずっと、シドニーの繁華街、キングス・クロス近辺で暮らしていた。キングス・クロスってのは売春宿、セックスショー、エログロのいかがわしい店があったり、バックパッカー御用達の安宿があったり、終夜営業の飲屋やパブがあったり、ライブバンドの出るパブがあったり。それなりにボヘミアンで、コスモポリタンな雰囲気もあった。だらりとあっけらかんとしたシドニーではそれなりの緊張感があるエリアで、また都市暮しにもどるとしたら、あのへんしかないだろうなあ、なんて思う。いろんな場所を逃れて来た逃亡者が隠れる場所もたくさんあった。

今から20年ほど前のことだが、同じ界隈に暮らしていたのがイスラエルを逃れてきたモルデハイ・バヌヌだ。それまで19年間勤務したディモナで行われている核兵器開発を世界に暴露しようと決意するのは、このあたりで暮らしていた時のことだ。バヌヌはクロスにある教会でキリスト教に改修した。

バヌヌに直接面識はないはずだが、どこか、クロスの深夜営業のカフェで言葉を交わしたような気がずっとしている。あの頃、クロスのどこかですれ違ったり、出会っていてもちっともおかしくはない。

その後、バヌヌはイスラエルの核開発を英国のメディアにすっぱ抜く。極秘の核開発を暴露されたイスラエルはモサドの女エージェントを送り込み、その罠にはまったバヌヌはローマで拉致され、イスラエルに連れ戻されてしまう。

国家反逆罪にとわれたバヌヌはそれから18年間、監獄で過ごす。そのうちの11年以上は独房暮らしだ。

バヌヌは2004年4月、ようやく釈放されたが、いまだ「自由の身」ではない。もうこれ以上何も暴露することはない、と言っているにも関わらず、バヌヌにはイスラエルを出ることが許されず、外国人との接触も禁止され、国内での行動も大幅に制限されている。

それでも、バヌヌは禁をやぶり、いくつか、外国のプレスとのインタビューに応じてきた。20年近い監獄暮しだから、内容に目新しい情報はないが、イスラエルの核開発を告発する態度は変わっていない。

大丈夫かなと心配していたら、2005年11月18日、バヌヌは再びイスラエル警察に逮捕されてしまった。彼の裁判は来年1月15日から始まる予定だが、焦点はイスラエルの核開発でもバヌヌの国家反逆でもない。

裁かれるのは、万人の表現の自由であり言論の自由だ。

人間には、誰にでも、何の制約も受けずに、ものを言い、表現する自由があるならば、イスラエル政府がバヌヌの口を塞ぎ続けることをこれ以上許すことはできない。

世界は勇敢な告発者がイスラエル政府の手で20年近く獄につながれるのを許してきた。しかし、もうこれ以上、イスラエル政府の行いを黙認することは許されない。

イスラエル政府は即刻、バヌヌを完全に解放せよ。

参考サイト
抗議の宛先("Free Vanunu now!"など簡単でも構わない)

関連情報
ナブルス通信
P-navi info
アムネスティひろしま
(18/12/5)

経済プ-ムの背景と家の自作ブーム/OECD report on housing

最近は家を自作することを考えたり、住いについて関心がある。まわりにも、関心を持つ人が多い。住まい、というかシェルターは衣食住というように人間の必要性のひとつに数えられている。本来なら、屋根の下で雨露をしのぎ、それなりの快適さを追求することは誰にも当たり前に認められた権利であるはずだ。

かつては割安感があり、持ち家が普通と思われていたオーストラリアだが、パリに拠点を置くシンクタンク、OECDが15のいわゆる先進国を対象に行った調査によれば、もっとも住宅価格の割高な国になってしまったようだ。
www.oecd.org

オーストラリアの住宅価格は賃貸との比較では最高で、他の国の平均を5割以上も上回る。収入との比較においても、他の国の平均を5割ほど上回り3番目だ。住宅ローンと収入を比較すると、4番目の大きさ、それぞれの家庭の可処分所得に対する負債の割合いは143パーセントにものぼり、1990-91年の49パーセントに比べ3倍になった。シェルターの確保が大きな負担になっていることがわかる。

2004年には収入の3割以上を住宅費にあてなければならない人口が約1割近い170万を数え、住宅価格の上昇は低所得者層だけでなく、人口の大半を占める中産階級にまで影響を及ぼし始めている。手ごろな価格の住宅が減る一方、公営住宅ストックもここ10年の間に3万軒減り、住宅状況は悪化する一方だ。家の自作を考える人たちの増加の背景にはこんな事情もある。田舎への回帰傾向の理由の一端も都市を中心とする不動産バブルにある。

「住宅価格を過度に押し上げ、手に入りにくくしてしまった元凶」は、民主党の元リーダー、アンドリュー・バートレット上院議員が指摘するように、不動産投資への減税政策だ。
http://theage.com.au/news/national/house-prices-world-highest/2005/11/30/1133311106610.html

言い換えれば、オーストラリアのここ数年の景気の良さは、住宅価格の高騰、住宅建設ブーム、不動産バブルに支えられたものなのだ。景気のよさは住宅という本来は人間の必要性を満たすためのものを金儲けの対象にした見返りなのだ。

住宅価格を適正なレベルに下げろという圧力は強まってきているが、景気の失速につながりかねないので、政府は簡単に政策を変更することはしないだろう。

しかし、バブルというのものはいずれ破たんする。

OECDレポートも指摘するように、現在の住宅ブームにおける 「住宅価格の累増は、以前の増加をはるかに上回るもの」であり、期間も過去最長のブームの二倍を超えている。政策の変更が遅れれば遅れるほど、崩壊の危険は高まり、その規模も膨らんでいく。
(18/12/5)

Tuesday, December 13, 2005

ピーク以後の生き方/what solution?

ビジネス書の配給会社の8CR(800-CEO-READ)は、毎年、アメリカの経営責任者のあいだで読まれるベストセラーのリストをまとめ発表している。アメリカの企業の社長がどんな本を読むかなんて、普段はあまり気にしないが、今年のリストは、ひっかかる。オイル・ピーク関係の本、「Twilight in the Desert: The Coming Saudi Oil Shock and the World Economy(砂漠のたそがれ:迫りくるサウジのオイルショックと世界経済)」が13位に入っているからだ。
http://home.businesswire.com/portal/site/google/index.jsp?ndmViewId=news_view&newsId=20051208005098&newsLang=en

この本の著者、 マシュー・シモンズは世界最大のエネルギー投資銀行であるSimmons & Co. Internationalを1974年に設立し、会長をつとめる投資銀行家で、ブッシュ(父)大統領のエネルギー政策顧問も務めた人間だ。

シモンズはこの本で、世界一の推定埋蔵量を持つと言われ、世界があてにするサウジ・アラビアの埋蔵量が言われているほどではないのではないか、と鋭いメスを入れる。彼は世界がオイル・ピークを迎えるのは2007~2009年だろうと予測している。
http://www.simmonsco-intl.com/

8CRのベストセラーリストは、少なくとも、アメリカのビジネスマンのあいだではオイル・ピークに関して、それなりの常識が形成されつつあるということだろう。

しかし、オイル・ピークを理解する人でも、はてさて、どんな具合に対処したらいいのか。その解決法となると千差万別で、その理解度のほどを暴露してしまうこともある。なにしろ、もともと、ピーク説を唱えたキング・ハバートにしても、石油が有限だから原子力を開発しろと言ったのだ。現在、オイル・ピークを意識する人のあいだにも、安い石油がふんだんに手に入らなくなるなら、原子力開発を急げという声がある。いや、水素燃料電池の開発を急げという人もいる。実際、燃料電池に使われるプラチナの価格は上昇中だし、原発燃料のウランもかなり高値をつけている。

原発の推進ロビーは地球温暖化でもオイルピークでも何でも、自分達の都合の良いように利用したがるものだが、忘れてはならないのは、ウランにしてもプラチナにしても、石油と同じように地球から掘り出す鉱産資源であり、掘っていけば、石油と同じようにやがてピークを迎え減耗するものだということだ。12月9日付けの鉱業界サイトには、パン・アメリカン・シルバー社の社長が「銅がどうやらピークに達したようだ」と発言した記事が載っている。
http://www.mineweb.net/sections/base_metals/675068.htm

NSW大学環境学部のマーク・デイィセンドルフ教授は、「オーストラリア・サイエンス」誌(2005年7月号)で、現在の数の原発を使っていっても、ウランは20年以内に枯渇すると述べている。それがどの程度、正確なのかはともかく、ウラン資源もやがてピークを迎え枯渇することは間違いない。オイル・ピーク後の時代、ほんの数瞬、原発は代替になるかもしれないが、応急処置に過ぎない。恒久的な代替ではなく、あとに残されるゴミは恒久的だ。

エネルギー消費を右肩上がりで上昇させながら、代替エネルギーでまかなうなんてことはできない。腹を括って、消費を減らすしかないのだ。オイル・ピーク以後の時代の対応について、国営イラン石油会社(NIOC)の幹部、アリ・サムサム・バクティアリが10月28日付けのホームページでピーク以後の社会の処方せんを書いているが、まずは、心の持ち方を変えるところから始めなければならない。
http://www.sfu.ca/~asamsamb/homedown.htm#

ピーク後の石油減耗時代に、ばら色のシナリオはありえない。「いつもどおり」や「これまでどおり」はあり得ないのだ。そう、考え方を改めるところから始めなければならないようだ。

(13/12/5)

Sunday, December 11, 2005

ドナ・マルハーンらのパイン・ギャップ市民査察/Pine Gap and PG

平和活動家でイラク開戦前に「人間の盾」となり、その後、占領後のイラクに復興支援のボランティアで入り、昨年4月、ファルージャで人質になったこともあるドナ・マルハーンが、今度はオーストラリア政府に逮捕された。

彼女は他の3人とともに12月9日未明、オーストラリア大陸の中央、エアーズ・ロック(ウルル)の近くにあるパイン・ギャップという世界でもっとも秘密のベールに包まれた軍事施設をテロ容疑で「市民査察」しようとして逮捕された。

彼女のブログによれば、「すべてのテロに反対するクリスチャン」という団体は、パイン・ギャップがテロ活動の根源であるとして、テロ情報を求めるホットライン電話にその旨通報し、ロバート・ヒル防衛大臣にも連絡をとり、調査を要求したが、聞き入れなかったため、今回の査察行動となったとしている。
http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/177

この軍事施設は米国が世界に展開する情報網の中でももっとも重要で、巨大なもののひとつと言われている。1968年に設立されて以来、巨大なレーダーや人工衛星から収集された情報を処理し、ミサイルや爆撃機に目標を通知し、イラク攻撃の際にもここが実質上の「最前線」だったと言われている。米豪あわせて1000人近い人員が勤務し、軍関係だけでなく、CIAから国家安全保障局(NSA)、国家偵察局(NRO)などの情報関係機関もここに駐屯していると言われている。

4人の裁判は来週からアリス・スプリングスで開かれる予定だが、テロに敏感なこの御時世、場合によっては最高7年の刑が言い渡される恐れもある。

驚くのは、上記のブログによれば、この団体は11月ころからパイン・ギャップの査察に向かうことを防衛大臣や当局に連絡してきたというのに、4人がやすやすと施設に侵入してしまったことだ。これほどの施設にこれほどやすやすと侵入できるとは。

11月15日付け、まだ、パイン・ギャップに出発する前の彼女からの報告はTUP速報565で日本語で読める。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/cea6c66b600687d0042905c4099935f5

査察チームの写真や宣言は下記のサイトで読める(英語)。
http://www.melbourne.indymedia.org/news/2005/12/100969.php


ーーー(TUP速報565より)ーーー
私は、その昔、良心的高校生だった1980年代にオーストラリアのロックバンド、ミッドナイト・オイルのおかげで、パイン・ギャップのことを知るようになりました。

「米国軍が命令を承認したノノ」と、私はリーダーのピーター・ギャレットにあわせて大声で歌ったものです。そして、自分の土地に米軍施設があるのを快く思えない何千人もの他のオーストラリア人とともに、彼も加わったパイン・ギャップ閉鎖全国キャンペーンに参加したものでした。
ーーーここまでーーーー

このTUP速報565の中で言及されるミッドナイト・オイルの曲は「米軍」という曲で、フィル・コリンズや高橋幸宏などとも仕事をしたことのある敏腕プロデューサー、ニック・ロウネイが絶妙なプロダクションをしたアルバム「10,9,8,7,6,5,4,3,2,1」に収められている。82年のリリースで、確か日本でも
出たはずだ。

その次のアルバム、「レッド・セイルズ・イン・ザ・サンセット」は東京のソニー・スタジオで、やはりロウネイのプロデュースで録音された。スタジオに入り浸ったロック写真家の伊藤ヒロのカメラの音が使われたり、トイレで録音したり、それなりに楽しいアルバムだった。日本が世界にほこるコラージュ・アーティスト、木村恒久が担当した干上がったシドニー湾のジャケットは印象的だった。

バンドのシンガー、ピーター・ギャレットは前回の選挙で労働党から出馬して当選し、現在は国会議員だ。20年以上前、「米軍の御墨付きを与える/それはお前の国にとってはマイナス/見渡す限り、爆弾や塹壕が並ぶ/誰が問題を設定するのかノノ」と歌ったものだが、皮肉にもドナ・マルハーンが逮捕された金曜日、ほかの労働党の議員とともに「反テロ法」に賛成票を投じた。「反テロ法」についてはまた後日、書くつもりだが、自分が20年前に歌ったような歌を歌ってたら逮捕され、何日も罪状も知らされず拘束されても文句を言えないような内容の法律だ。こんな法律に賛成票を投じるとは、党議拘束なのだろうが、マルハーンなど若い連中を鼓舞したかつての闘士は、すっかり与党の犬になってしまったようだ。皮肉ぶりには呆れるしかない。
(11/12/5)

古タイヤで家をたてる、その2。A tyred old house #2.

信州安曇野、臼井さんという粋人の経営するシャロム・ヒュッテという粋な宿で働くゴカちゃんがオーストラリアくんだりまで休暇に来たんで、えっさほいさ、一緒にテントと寝袋を担いで、近所で古タイヤで家を建てている人のうちへ3日ほど手伝いに行った。

鳥がピーチクパーチクあちこちからさえずり出すのとともに起きだし、昼ごろまで作業をする。日中は暑いので昼御飯のあと、シエスタ。夕方になって、またもぞもぞ起きだし、えいやっさ、日の傾きかけるころまで、もうひと作業。それから、ひとシャワー浴びて、近くのパブに出かけ、沈む夕日を眺めながら冷たいビールを飲む。これがうまい。ので、もう一杯。んで、もう一杯。あとはキャンプに戻って、ばたんきゅう。夜中に時々目をさますと、近くの小川から蛙のかけあう声が聞こえてきたり、それはそれは、な生活でした。

日の出とともに起き、日の入りとともに眠る、なんてかなり理想的なキャンプ生活で、しかも、汗をかいたあとのビールは本当に格別。ビールのおいしさのためだけに汗を流すこともまったくいとわない自分に気付いたりします。はあ。

実際の作業工程はいたって簡単。こつを飲み込めば、自分のような家作りどころか大工仕事にもまったくしろうとな人間にも、家の壁くらい、簡単にできてしまいそう。

まずはミキサーに粘土質の土を投げ込み、水で混ぜ、泥(セメント5%)をこねます。


ミキサーで泥をこねるゴカちゃん。

んで、こねた泥を一輪車にあけて、運び、それをタイヤに詰めていく。それだけ。タイヤに泥が詰まったら、また、その上にタイヤをのっけていく。タイヤはこちらで一番普通に手に入る直径65センチのもの。ということは壁も65センチの厚さになる。これは、結構な厚さ。こちらの日干しレンガの標準が25センチから30センチだから、2倍以上の厚さ。断熱効果は抜群でしょう。

タイヤ工法の利点はいくつか、この前も書いたけど、泥を詰めていく時、あんまり水平とか垂直、そういうことを気にしないでいいということ。日干しレンガだとか、ストローベール工法だと積んでいく時、ちゃんと水平を出さなけりゃならないし、ラムドアース工法でも枠を移動する時、かなり神経質になっちゃう。それがタイヤ工法だと、かなりアバウト。あとで、調節できるから、なんて調子でかなりいい加減に積み上げ、泥を詰めていく。



タイヤに泥を詰めていくデビッド。

と、まあ、工程自体は単純。ただ、特に日本でセルフビルドを推賞する連中が言うような「楽しさ」だけじゃないことは確か。それなりに汗を流す覚悟がいる。からだがあまり丈夫でない人、丈夫でも汗を流す覚悟のない人にはとても薦めません。作業後に冷たいビールを飲むためだけに汗を流すことをいとわない、自分のような人間にはできるんじゃないかと思いますが。

でも、自分がタイヤで家を作るとしたら、もっと算段を考えると思う。だって、2人、3人と手があった方が確実に楽。実際にデビッドがひとりでやっている時は、4つか5つ分の泥をこね、タイヤに詰め込むだけで疲れてしまうそうですが、ゴカちゃんと自分が手伝うだけで、1日30個は楽勝。だから、自分でやるとしたら、近所の人や知り合いの力を「結」だとかなんとか、うまいこと言い包めて借りてくるか、もしくはウーフなど、ただ同然で手伝ってくれる人を泊める施設を作ってから取りかかるのがベストではないかと思います。間違っても自分でひとりでは決して取りかかるものじゃない。どんなに作業後のビールの味が格別でも、とてもじゃない、大変すぎます。

デビッドが建ててる家はほぼ、10メートルから20メートル、200平方メートルの家で、壁の高さが2メートル40センチ。これだけの壁を作るのに、600から700のタイヤが必要になるそうです。ということは、まあ、雨の日とか、休みとかを勘定に入れても、2、3人でやれば、壁は2、3ヶ月でできてしまう。

あくまでも壁をちょこっと作っただけの経験で、基礎とか屋根とか、まあ、その他難しいことがいろいろあるはずですが、とりあえず、家作りなんて、それほど大袈裟なことじゃない。誰だってやる気になりゃできる。そう言ってしまいましょう。しかも安上がり。デビッドの家は、基礎や水まわり、電気工事などをプロに任せたり、屋根や窓を特注にするつもりだそうですが、それでも6万ドルくらいであがるんじゃないかとのこと。もっと安い材料を使えば、3万ドルくらいですむかもしれない。日本円にすれば300万円足らず。それで家が立つ。しかも、埋め立てに回される廃材利用だから、環境にもいいことをした気分になる。
人間の住まいなんか、やろうと思えば、そのくらいでできてしまうものなのだなあと気付いたことは大きな収穫。なのではないでしょうか。はい。

ゴカちゃん、ごくろうさま。
(11/12/5)

Tuesday, December 06, 2005

オイル・ピークに対応しエネルギー政策変更の兆し?/Review of energy policy in the US?

世界で生産される石油の1/4を消費するアメリカは、オイル・ピークをどれほど真剣にとらえているのか。それを考察する記事が12月1日付けのFalls Church Newsに載っている。

ピークについてブッシュ大統領は聞き及んでいるのだろうか。遅くとも(北半球の)昨年の夏には聞いていたはずだ。ガチガチの保守で大統領に近いとされるロスコー・バートレット議員(メリーランド州/共和党)が、ホワイトハウスに出かけて説明したと本人が言っている。バートレット議員はこの問題を議会でいち早く取り上げ、11月中旬、オイルピークに関する決議を下院に提案した人物だ。


11月21日付けのglobal public mediaによれば、バートレット議員の提案した下院決議の要旨は下記のとおり。
http://www.globalpublicmedia.com/articles/572

1)エネルギーの値段を手頃に保ち、環境への影響を抑え、なおかつ貿易赤字を抑え、経済繁栄を保っていくため、合州国は石化燃料の生産効率を高める一方、再生可能なエネルギーや持続可能でクリーンなエネルギーに基づく経済への移行ヘの努力を加速し、迅速に行動するべきである。
2)合州国は同盟国とともに、「月へ人間を送ったアポロ計画」に匹敵する規模、創造力、切迫感をもつエネルギー計画を打ち立てることで、ピークが引き起こす問題に総合的に対処するべきである。

さて、オイル・ピーク問題を聞かされていたとしても、大統領/政権の対応はこれまで生産増加と節約を口にするくらいで、生温いものだった。

ところが12月1日付けのFalls Church Newsによれば、ブッシュ政権のエネルギー政策にオイル・ピーク問題を反映した変化の兆しが見られるそうだ。以下は、Falls Church Newsでこれまでもいくつか、ピークに関する記事を書いてきたトム・ホイップルによる記事の要約。(記事の中で言及される答申について、いつ頃出るものなのか、NPCに問い合わせのメールを送ったが、今のところ、返事は来ていない。)
http://www.fcnp.com/539/peakoil.htm

まず、USA Today(11月24日付け)に、エネルギー省長官が全国石油審議会(NPC)に「業界が経済を損ねない価格で十分な量の石油と天然ガスを製造する能力の研究」を10月5日に要請したという記事が載っている。このUSA Todayの記事は、たぶん、政権からのリークによるものだ。

さらにその翌日、より保守的でよりブッシュ政権に近いとされる ワシントン・タイムズがピークについての記事を載せている。IEAの首席エコノミストが前の週に外交評議会で行ったスピーチに基づくもので、表面上は石油はまだたくさんあり、十分な投資と新技術で乗り切れるという楽観主義に満ちていたが、すべてが順調ではないことを示す徴候は行間から読み取れる。

NPCは石油やエネルギーの大企業経営責任者175人ほどからなる組織で、トルーマン大統領が1946年に設立した、エネルギー問題に関する諮問機関。現在はエクソン・モービルのCEO、リー.レイモンドが会長。

業界のリーダーが答えを求められているのは「差し迫ったオイル・ピークは現実のものなのか」ということだ。これから何年もアメリカが必要とする安い石油を、業界は供給し続ける能力があるのかどうか、はっきりしろ、と。エネルギー政策が現行のままでいいのか、それとも、方針変更が必要ならば、そのための理由を求めているのである。政権がこういう要求を業界に求めること自体、それほど遠くない将来、政策の変更があり得ることを示す徴候である。

もし、業界からの答えが、「原油供給は少しきつくなっておりますが、議会が我々の欲するところに、望むようなものを建てさせていただければ、しばらくはまだ大丈夫です」というものなら、ブッシュ政権はアラスカでの原油採掘に援護射撃を求めるためだけに研究を要請したことになる。

しかし、もし業界からの報告が、安い石油時代が終焉にさしかかっていることを正直に認める内容ならば、状況は一変する。報告書が「ピーク・オイル」という言葉に言及するだけでも、政策変更が差し迫っていることを示す興味深い徴候になる。
(6/12/5)

古タイヤで家を建てる/a tyred old house

先週から、近所で家を建てている人のところに手伝いにいっている。この人は古タイヤを使って家を建てている。

人間の必要は衣食住といわれるが、なかでも食は庭に野菜の種を播き、果物の樹を植えていけばどうにかこうにか、真似事くらいは経験できる。「食料自給」なんてことになると、目眩がくらくらしそうになるくらい、大変だろうなあと思うけど、土いじりはできる。「自給」するためにはそれなりの広さがいるし、鶏などの家畜の餌から穀物、しかも冬の分まで貯える、貯蔵もしっかりして、翌年栽培用の種取りもするなんてプロセスまで考えると、到底見当がつかない。

それでも、住に関する未熟さに比べたらずっとましなことは事実。シェルターとか住まいについて考えるようになってからも、ぼんやりとデザインはできるけど、結局は手に負えないだろうと思っている。これは専門家の仕事だ。素人にやれることじゃない。と。何しろ、大工仕事はまったくのしろうとで、うちで鶏を飼おうと決めた時も近所の知人に小屋から何から作ってもらわなければならなかったくらいだ。ふたつ目の鶏小屋もやはり、知人に作ってもらった。鶏小屋くらい、なんとか作れるようになったのは三つ目から。それから、雛用の小屋やアヒルの小屋を作り、家禽用の小屋ならなんとかこなせるまでになった。

翻ってみれば、生まれついてからずっと、専門家の建てた家の中で暮らしてきた。住まいを作るのは、大工や設計士などプロの仕事であり、家はお金を払って買うものであり、借家、アパートなら金を払って借りるものだと思いこんでいた。つまり、金でどうにかしなけりゃならないもの、プロの技術とプロの工具がないとどうにもならないものだと決め込んでいた。

だから、そうじゃない生き方をしている人を見る度にうらやましく思ってしまう。例えば、路上生活者は駅の構内や橋の下で、拾い集めた段ボールやシートでそれなりのシェルターを作ってしまう。他人が建ててくれた住居に、金の力でおさまることしかできない自分に比べ、彼らの自立心やたくましさに圧倒されてしまう。オーナービルドだとかセルフビルドがもてはやされる世の中だが、DIYシェルターの究極はこういう路上生活者じゃないかと思う。こういう人たちのたくましさに比べ、自分を含めた現代人のなんとひ弱なことか。自分で建てたものなら直すこともできるが、他人任せにしてると、耐震設計をごまかされても、せいぜい、文句をいうことしかできない。

そんな視点から、いつの日か自分でも家のひとつやふたつ、建てられるようになればいいなあと思いながら、最近は積極的に家を建てるのを手伝っている。

んで、古タイヤ。
産業廃棄物として捨てるのが当たり前な古タイヤを建材として再使用(リサイクルではなく、リユース)する、そのコンセプトは前々から気になっていた。アメリカでアースシップという名前で使われているのは聞いたことがあったが、実際に使われる例を見るのは初めて。なので、しばらく、お手伝いすることにした。

基本的には、コンクリートの基礎の上にタイヤを並べ、その中に粘土質の泥にセメント少々混ぜたものをこねて押し込んでいく。隙間にも、泥を流し込む。それだけ。タイヤが600もあれば、かなり大きな家の壁ができてしまう。1日、ふたりがかりでタイヤを20もやれば、かなり疲れてしまうが、雨の日や休みを計算に入れても、3ヶ月もすれば、ずぶの素人でも壁ができてしまうのだ。

古タイヤを使う利点は、同じ泥を使う日干しレンガだと、作って、それから積んで、と二度の作業になるが、これだと一回の作業で済んでしまう。タイヤのリムに泥を満遍なく詰めるのが、ちょっと難儀といえば難儀だが、ラムドアースのように、土を押し固める作業もいらないし、重い枠を移動させる作業も必要ない。枠のタイヤはそのまま壁の中に残していくからだ。これだけ厚い壁だと、保温効果も抜群だそうだ。

脱石油時代を生き抜けるかどうか、それは近代社会が大量輸送と大量消費のために大量生産した「ごみ」をどうクリエイティブに活用するかにかかっている(リユースであり、リサイクルではない)。だから、古タイヤを建材にするアイデアがおもしろいと思う。最近はメインストリームの建築家のなかからも船積用コンテナーなど、ふんだんにある安価な素材を建材のベーシックなユニットとして活用することを提唱する連中がでている。最近見かけた例は下記。
http://www.andrewmaynard.com.au/styx01.html

藁をベールにする器械をわざわざ輸入しなけりゃならない国で、ストローベール建築がエコな建築だなんて本末転倒、こっけいなこと言っている人たちより、本来的な意味でずっとエコだと思う。

詳しいことは、次の本に書く予定だが、うん、古タイヤの家、これなら自分でもできそうな気がしてる。

そうそう。
パワーツールとかを使う度に、かつて一緒に仕事をしたドイツのバンド、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのことを思い出す。ドリルやジャックハンマー、鉄板をひっぱたいて音楽を奏でる連中だ。80年代には何度か日本ツアーもやったことがある。そのバンドのシンガー、ブリクサ・バーゲル
トが最近、ホーンバックというDIYチェーン・ストアのコマーシャルをやっているんだそうだ。かつての同僚が知らせてくれた。
http://blog.veer.com/archives/000889.html

まあ、リーバイスのコマーシャルをやろうとしたり、マキタとかリョービなど、ドリル会社がスポンサーになってくれないか、なんて真剣に願ってた連中だから、驚きはしない。うちのコンピュータじゃ見れないけど、蚊取り器(っていうのかなあ?)、敷石、ドリル、ペンキのスポットに出ているそうで、かなりおもしろいようだ。あとで図書館に行った時、ついでに覗いてみようっと。
(6/12/5)

変わった形の雲/chemtrail?

今日も天気がいいんで庭に出て、あちこち、あれやこれや、ふらふらして、ふっ
と空を見上げるとにょきりと雲が立っている。立っている、って表現がどうなの
か、わからないけど、そうとしか表現のしようがない。

こんな雲に最初に気付いたのは去年、ベランダでコーヒーを飲んでる時だ。やっ
ぱり、ふと空を見たら、異様な形の雲に気がついた。んで、そういうのは目にし
たことがなかったので写真に撮った。

それまでもそういう雲はあったけど気がつかなかっただけなのか、それとも、そ
ういう雲が最近の出来事なのか。
山の上では空気の動きが激しいのか、それともただ単に雲に近いからなのか、そ
れまでも興味深い形の雲が見られることが多かったけど、こういうのは初めて
だった。
それからは、それまで以上に空を見上げることが多くなった。

日本では地震雲に関心が集まっているようで、天変地異との関連を考えてしま
う。今のところ、これと言って直接思い当たることはない。

オカルト系のサイトを見ると、UFOだとか、そういうのとの関連で語られている
し、陰謀系のサイトでは、似たような雲をケムトレイルと呼んで、人工的なもの
だと解釈しているようだ。でも、これまで、こういう雲に出会った時には飛行機
どころか未確認飛行物体も見ていない。日本でも似たような雲が観察されている
ようで、米軍の環境兵器だとか、そんな解釈もある。

空を眺める暇人が増えたのか、似たような雲が増えているのか、おもしろい形の
雲に気付く人が増えたのか、それとも単にデジカメとインターネットが普及した
だけなのか。どんな理由なのかわからないが、この手の雲の写真はあちこちのサ
イトに載っている。ここ数年、シドニー上空で見られるこういう雲の写真を集め
たサイトは下記。
http://www.gaiaguys.net/Chemtrails.Sydney.htm

うーん。この雲、なんだろう。何かを伝えようとしているのだろうか。
空ばっかり見てたせいか、首が少し痛くなってしまった。
(4/12/5)

Sunday, December 04, 2005

Wild world

夏が来た、なんて言ってたら今日は嵐に停電。

うちの近所でもビールを飲みはじめる頃(午後5時)から空がゴロゴロいい始め、6時ころから土砂降りの雷になった。キャンベラでは折れたの下敷きになって、人がひとり、死亡したそうな。

マスコミはヘロインの運び屋がシンガポールで処刑されたことばかり取り上げている。日本の新聞にも豪州発で取り上げられるほどだ。運び屋が暮らしてたメルボルンでは、死刑執行の時刻に教会が男の生きた年のぶんだけ鐘を鳴り響かせ、昨夜から朝にかけ各地でローソクを灯す黙とう集会も開かれたそうだ。クイーンズランドの州議会は処刑のころ、一分間の黙とうをしたそうだ。いつもや正論を
述べることが多い緑の党の党首、ボブ.ブラウン上院議員まで 一緒になって、あれやこれや、言っている。

以前、ヘロイン中毒の連中の中で暮らしていた。試したこともある。体にあわなかっただけで、ヘロヘロに染まる機会はいくらでもあった。何人も、才能があり、若い音楽家や写真家、アーティストなんかが過剰摂取で死んでいった。大騒ぎされることもなく、たいてい、誰にもみとられず、死んでいった。暗い裏道で、注射針を血管に突き立てたまま。ゴミ箱の中でげろにまみれて死んだやつもいる。そんな連中のことを知っているからか、金のためだけに志願した運び屋になぜこれだけ同情が集まり、大騒ぎをされるのかわからない。

死刑そのものには反対だし、オーストラリアへのトランジットで捕まったとか、色々、うさん臭い部分はあるが、ちょっと、これは過熱し過ぎじゃないか。クイーンズランド議会はヘロインの運び屋が外国で処刑される度に黙とうするんだろうか。日本やアメリカのいくつかの州では死刑が執行されてるってのに、マスコミは取り上げることもない。ブラウン議員は対テロ法の審議では司法の独立が犯されかねないって言っているくせに、シンガポールの司法の決断に介入しろってのも筋が違うんじゃないだろうか。

普段は某略説なんかあまり信じない方だが、これだけマスコミが大騒ぎし、世間がそれにのっかると、当然ほかのニュースは隅に押しやられちゃうわけで、何か誰か、こっそり隠しときたい出来事がほかにあったんじゃないかって疑ってしまう。

んで、7時を過ぎた頃から停電。でも、うちでは平然としたもの。懐中電灯をつけ、ローソクに火をつける。晩御飯の支度中だったけど、鍋をトランギアに移して平然としたもの。あんまり、驚きもしなかった。近所ではどうしてるかしらないけど、うちではこの程度のことはまったく当たり前に、顔色ひとつ変えない。外では雷鳴が鳴り響いてるってのに。

停電で一番気に触るのは、コードレスの電話器。ビービーとうるさくてしかたがない。どこかに静めるスイッチがないものか、探してみたけど、停電することなんか想定しないで作られたに違いない。停電する度に布でくるんで引き出しに放り込む。ピーピーとうるさいったらありゃしない。もう30分近く鳴きっぱなしだ。

アヒルは頭の上で雷鳴がゴロゴロ、グワオンってな無気味な音を立ててるというのにまったく意に介した様子もない。蛙も喜んで大はしゃぎ。鶏はあんまり濡れたがらないのか、早めに床に着いたというのに。

で、イカのチリ炒めにサラダ、イラン式のそら豆とディルを米に炊き込んだ晩御飯を食べる。ローソクの灯で、なんて久しぶり。

夕食のあと、近所を懐中電灯片手に歩く。丘の上の病院だけは灯がこうこうとしているけど、民家はみんなローソクの灯なのか、ふわりとしてる。丘の上にあがると、停電してないエリアだけが闇の中に浮き上がっている。

もう3時間近くも停電したまま。午後、訪ねてきた友人はパーティに誘ってくれたけど、こんなに停電したらどうするんだろうか。DJが入るとかいってたけど、合唱でもしてるんだろうか。うちなら、手回しのラジオだけじゃなく、手回しの蓄音機にピアノ、バイオリンとエンタテイメントには事欠かないないけど。

なんて思いながら手回しラジオをつけると、雷鳴の合間に今朝処刑された運び屋のニュースが聞こえてくる。幸いなことに、「天も彼の死を嘆き悲しんでる」とまで言う人はいない。
(4/12/5)

Friday, December 02, 2005

Crude designs

イラクへの「有志連合軍」による侵略は当初から、世界二位の埋蔵量を持つ(推定1150億バレル)とされる石油資源の支配が目的だと指摘されてきた。「有志連合」政府、特にブッシュ政権はそれらを陰謀説のたまものだと一蹴してきたが、11月23日にロンドンで発表された「crude designs(原油狙いの乱暴な計画)」は、1972年の国有化で追い出されいたBP、エクソン、シェブロン、シェルの石油メジャーが着々とイラク石油支配に着手する様子が具体的に示している。

48ページからなる報告書を製作したのはPlatformやWar on Want(貧困との戦争) New Economics Foundation(新経済財団)などの市民団体。

イラクでは新憲法に基づいて12月に国民議会選挙が予定されており、その後に石油資源開発を決めることになっているが、政府は選挙が行われる前から、法案が可決される前から、石油会社との契約交渉をすでに始めている、と報告書は指摘している。

報告書によれば、メジャーはイラク政府と生産物分与協定(PSA)を交渉しており、これが締結されれば、メジャーはインフラや採掘など、初期の設備投資を行い、その見返りとして生産された原油の割合を受け取ることになる。通常のPSA協定では投資に対する平均利益率は12パーセント前後だが、メジャーはなんと42~162パーセントを要求しているそうだ。契約期間も異様に長期であり、これから40年間にメジャーがイラクから搾り取る額は1270億ドルから1940億ドルにも上ると推定されている。

イラク政府は将来の生産を担保に融資を受け、自前で石油開発をすることもできるし、たとえ、メジャーの投資を受けるにしても、契約時期を短くしたり、もっとまっとうな利益率にすることができるはずだが、こんなやらずぼったくりになるのは米英両政府から圧力があるからだと同報告書は指摘している。

かつての「植民地経営」を思わせるような、こんなえげつない商売をしていたら、イラク国民のあいだに反米英感情が広がるのも無理はない。

crude designsの原文はpdfでダウンロードできる。
http://www.carbonweb.org/crudedesigns.htm

(2/12/5)

Thursday, December 01, 2005

東チモール、1975年の嘘、隠ぺい、もみ消し工作Lies, cover-ups and hush-ups in East Timor, 1975

1975年、東チモール侵略の際、インドネシア軍の行った残虐行為について、西側政府はどこまでその事実を掴んでいたのか。その事実を英国政府は知りながら黙認し、国際社会に黙認を求め、インドネシア政府に加担したことを示す外交文書が公開された。

(1日付けのザ・タイムズ紙(ロンドン)に要旨が報道されたということだが、その原文はまだ見つからない)以下はメルボルンのジ・エイジ紙などに掲載された記事などからの要約。

http://theage.com.au/news/NATIONAL/Australia-UK-hushed-up-Balibo-killings/2005/11/30/1133311106799.html

http://www.theage.com.au/news/national/britain-lied-about-1975-timor-deaths/2005/11/30/1133311106658.html

1975年のクリスマス・イブ、ジョン・フォード駐ジャカルタ英大使はロンドンへの電報で、インドネシア軍は制圧した東チモールの首都、ディリで「略奪と殺害、蛮行の限り」を尽くしたと報告した。しかし、同大使は「蛮行について尋ねられたら、私たちの手許には情報が全くないと言うことを進言する」と付け加えた。

その理由は「チモールは、米国が口をはさんだり、関わりになりたくない地域としてキッシンジャー(米国務長官)があげるリストの上位にある場所」だからで、「我々も米国の例にならうべきだと確信する」と大使は述べている。

その進言に従うように、国連安全保障理事会の議長をつとめていた英国は「チモール問題に熱を上げないように」しむけ、インドネシア政府の東チモール侵略に対し、国連はやんわりとした非難を出しただけだった。

同大使は、バリボの町でインドネシア軍の侵略を撮影していて殺された5人のTVクルーについて、インドネシア側に詳細を追求しないよう、ジャカルタのオーストラリアの大使館に進言していたことも分かった。

1975年10月、5人の殺害から8日後に送られた電報で同大使は、次のように言っている。

「ジャーナリストたちの身の上に何が起きたのか、こちらで事実上把握しているのだから、インドネシア側が出したがらず、出せもしない情報を要求することは無意味だとオーストラリア側には言っておいた」

「抗議をしたところで、ジャーナリストたちの遺体が出てくるわけじゃないんだから、我々も、この件に関し、抗議は控えるべきだと思う」

「それに、5人は自らの意志で戦闘地帯にいたんだから」

オーストラリア大使館は自国人を含む5人がインドネシア軍により殺害された事実を知りながら、英国大使の要請に従い、黙認を決めこんだのだ。

「バリボの5人(オーストラリア人2人、英国人2人、ニュージーランド人ひとり)」はインドネシア軍により殺されたのではないかという疑いが根強くあるが、オーストラリア政府は長い間、5人は戦闘の巻き添えになって死んだというインドネシア側の説明を繰り返してきた。

来年早々、シドニーで開かれる予定の公聴会では、両政府が東チモール侵略に関し、これまでついてきた嘘ともみ消し工作の実体ががさらにあきらかになるだろう。
(1/12/5)

Eternally yours

何日も続いた雨があがり、ちょっと蒸し暑いけど、初夏の陽気に誘われ、庭をぷ
らぷらりぶらぶら、一日が過ぎてしまう。
ちょっと汗をかいて、ぼうぼうにのびた雑草と格闘。寒かったのと、雨ばっかり
だったんで播いてなかった種を播く。あれやこれや、雑草のこと、山火事のこ
と、鶏のことなど色々考えながら。

今年は雨が多いので雑草が恐ろしい勢いで茂ってる。早め早めに刈っとかない
と、山火事になった時が心配だ。何しろ、このへんで、ここ10年とかの間、山
火事で燃えてないのはうちの近辺2キロくらいだから、燃える材料はどっちゃり
とたまってる。とりあえず、うちの建物の周り、20メートルくらいは枯れ草な
どないようにしておきたいんだけど。などと鎌をふるう。石油減耗の時代に
ウィッパースニッパーなんかは役にたたない。
先週、近所から調達した2羽のアヒルの調教にカタツムリやなめくじをバケツに
拾い集めながら、啄む鶏の間を縫って、庭を歩き回る。今年はこれまでに10羽
の雛が孵り、あと2、3日中にはもう何羽か孵るだろうと、とらぬタヌキの皮算
用ながら、何羽か余裕が出る予定なので、青い卵をうむアラカナ、濃い茶色の卵
をうむバーナベルダー、それに烏骨鶏、どれも純血、近所で鶏が欲しい方は連絡
を下さい。

果物は雨が多かったせいなのか、サクランボはほとんど全滅。苺も去年より少な
め。ラズベリーは、もう何日かすると食べられそう。実は紅くなりかけているけ
ど、口にすると、まだまだ酸っぱい。プラムや杏、桃は実がなっているけど、熟
すまでにはもっと気温があがらないと。これまで寒かったからか、夏物野菜の生
育もあんまりよくない。今年はいくつトマトを食べられるんだろう。

今日は久しぶりに、庭のいすに腰掛け、ビールを飲む。考えてみれば、わずか、
数日前にはストーブを焚くほどの寒さだった。明日、豆腐を作るために大豆を水
につけたけど、夏ののりで8時間でいいのか、それとも冬の間隔でもっと長くし
ないといけないのか、ちょっと考えてしまう。

そんなこんな、ぶつぶつ言いながら、ザ・コモンズヘの投稿をあれこれ書き出す。
カテゴリーのいくつかは、今日、偶然聞いていたThe Saintsというオーストラリ
アのバンドの1978年のアルバムモEternally Yoursモの中のタイトルからい
ただくことにしよう。当時は(今もか?)とってもダサイ町、ブリスベン出身な
がら、パンクなんて言葉がうまれる前からパンク音楽をやってたイカシタ連中
だ。ラモーンズやピストルズがパンクの元祖だと思ってるなら、このアルバムを
聞いてみな。80年代にぼこぼこと登場するオーストラリアのバンドにとっても
大きな影響を与えた国宝級のバンドだ。30年近く前の音なのに、今でもちくち
くと刺激されてしまう。
http://www.saintsmusic.com/eternallyyours.htm

なんて調子でブログに投稿しようとしたら、どうもうまく行かない。技術担当の
人に尋ねると、使っているコンピュータのシステムが古いこと、それに非MSのブ
ラウザーが原因だとのこと。システムは今まで不都合がなかったのでアップグ
レードすることは考えてなかった。MS製品を使わないのは、ひとつのこだわりが
あるからだけど、MS製品なら、アップできるはずとのこと。さてはて、どうしま
しょう。しばらく悩むことにする。

でも、とりあえず、なんかアップしてみたい。
それで、昔、日本語のプリンターが手に入らなかったころ、どうしても印刷しな
けりゃならなくて、あれこれ悩んだ末、隣の事務所へファックスで送り、なんと
かしのいだことなんか思い出した。デジタルな問題だって、アナログに解決する
ことはできる。ってなわけで、IE(英語版)を使っているお隣さんのとこにアッ
プしたい内容(日本語)をメールで送る。それからお邪魔して、そこから投稿し
てみる。フュー。どうにか投稿できた。これから毎日、毎日、お世話になるわけ
にはいかないけど、とりあえず、これをきっかけにお隣さんと顔をあわせる機会
が増えれば、それもまた怪我の巧妙かな。などと思った。
とりあえず、よろしく。
Eternally Yours,

(1/12/5)

ハッピー・オイル・ピーク・デイ!?/Happy Oil Peak Day!?

日本では、主流メディアに取り上げられることもなく、報道されたとしても11月4日付けの毎日新聞の記事の見出し「<原油高騰>枯渇?無限? 年々増える埋蔵量」が示すように、懐疑的で楽観的な見方をされるオイル・ピークだが、11月24日、世界は「オイル・ピークの日(World Oil Peak Day)」を迎えた。

これはオイルピークに警鐘を鳴らしてきたプリンストン大学名誉教授のケネス・ディフェイスの冗談混じりな予言に基づくものだ。ディフェイスは、今年初めに出版された「Beyond Oil: The View from Hubbert's Peak」のなかで、世界がオイル・ピークを迎える日として、2005年の感謝祭の日をあげた。

オイル・ピーク問題を少しでもかじったものなら、現実的に、ピークは後になってからしか検証することができないことを承知しているはずだ。ましてや、その日時を特定することなど不可能なことだ。ディフェイスほどの人間が、センセーショナルな予言をあえてした真意は、もちろん、ピークへの一般の注意を喚起することにある。

特定の日時を予言することはできないが、世界がピークを迎えつつある(迎えた?)ことは間違いない。11月10日、日産200万バレルの生産が可能だろうといわれてきたクウェート南部の大ブルガン油田は、実際は、それよりもかなり低い170万バレルが限界だと国営クウェート石油会社(KOC)のファローク・アル・ザンキ会長はブルームバーグに対し、発言している。


ブルガン油田はサウジアラビアのガワール油田に次いで世界第二の推定埋蔵量といわれる油田で、2004年の日産平均は135万バレルで、現在は130万から170万バレルの原油生産だが、「この油田はすでに使い果たしてしまい、日産200万、190万とがんばってみたが、170万バレルが精一杯だということが分かった」とザンキ会は発言している。

大ブルガン油田が170万バレルでピークに達したことは、約550億バレル(約965億バレルと推定されるクウェート全体の半分以上)といわれてきた埋蔵量そのものも怪しいことになる。同じ週にIEAはこの油田から2020年になっても日産164万バレル、2030年にも153万バレルが可能だという予測を発表したが、それらの数字も、もはや希望的観測にすぎない。

昨年8月、「原油生産が820万バレル/日を上回ることはもはや、絶対にあり得ない」と発言したのは、90年代に小糸製作所の買収工作で日本でもよく知られる企業買収家のT・ブーン・ピケンズだ。

今年になってから、様々な団体、機関が2005年の統計上の数字を830~840万バレルに押し上げようと努力しているが、生産は日産820万バレルあたりで頭打ちになったままだ。これが生産ピークなのかどうか、それはまだ意見の分かれるところだが、これらの現実に対応するかのように、欧米ではUSA Today、New York Times, Wall Street Journal, San Francisco Chronicleなど主要日刊紙や、ナショナル・ジオグラフィック誌やタイム誌(10月31日号)など、主流メディアがこぞってオイル・ピークを取り上げている。

世界で生産される石油の1/4近くを消費し、オイル・ピークの影響をもろに受けるから当然といえば当然だが、アメリカでは今年2月、エネルギー省の要請で、SAICやランド・コーポレーションの上級エネルギー分析者であるロバート・ハーシュを筆頭とするチームが「Peaking of World Oil Production: Impacts, Mitigation and Risk Management(世界的な石油生産ピークについて: その衝撃、緩和、そしてリスク管理について」と呼ばれる報告書をまとめている。通称「ハーシュ報告書」の結論はWorld oil peaking is going to happen(世界はオイル・ピークを迎えつつある)。


オイル・ピークは地質学者のキング・ハバートが1956年、アメリカの石油生産について発表したに基づいている。


有限資源である石油は使っていけば、生産はいつか頂点(ピーク)に達し、それからは減耗していくものだが、ハバートは(アラスカを除く本土48州)のピークが、それまでの生産量や発見された油田の規模、頻度などから割り出すと、メリカの石油生産は1970年にピークに達すると予言したのだ。ハバートの説は、発表当時、笑われたものだが、あとになってみると正しかったことが分かった。

現在言われているオイル・ピークはハバートの理論を世界全体に適用したものだ。日本語では、元環境庁国立環境研究所長で、現在は富山国際大学教授/東京大学名誉教授の石井吉徳のサイトがこれを詳しく紹介している。

有限な化石燃料時代がいつかは生産ピークを迎え、それからは年々減耗していくことでは合意する識者の間でも、それがいつになるのかになると、意見が分かれる。前述のハーシュ報告書は専門家による予想されるピークの時期を載せている。

2006~2007年  アリ・サムサム・バクティアリ
国営イラン石油会社副社長
イラン史講師(テヘラン大学)
http://www.sfu.ca/~asamsamb/homedown.htm#

2007~2009年  マシュー・シモンズ
世界最大のエネルギー投資銀行であるSimmons & Co. Internationalを1974年に
設立し、会長をつとめる投資銀行家。
ブッシュ大統領のエネルギー政策顧問。
「Twilight in the Desert: The Coming Saudi Oil Shock and the World
Economy」(2005)などの著書がある。
http://www.simmonsco-intl.com/

2007年以降 クリス・スクレボウスキー
英国の業界紙「ペトロリアム・レビュー」編集長
http://www.globalpublicmedia.com/articles/537

2009年以前 ケネス・ディフェイス
50年代にハバートとシェル石油で一緒に仕事をした石油地質学者。
プリンストン大学名誉教授
http://www.hubbertpeak.com/deffeyes/

2010年以前 デビッド・グッドスタイン
カリフォルニア・インスティチュート・オブ・テクノロジー(カルテク)の物理
学教授。
「Out of Gas: The End of the Age of Oil」の著者、
http://www.its.caltech.edu/~dg/

2010年前後 コリン・キャンベル
石油地質学者。
「The Coming Oil Crisis」の著者、ピーク・オイル研究学会 ASPO( The
Association for the Study of Peak Oil)の設立者
http://www.peakoil.net/Colin.html
http://www.hubbertpeak.com/campbell/

2010年以降 世界エネルギー評議会(WEC)
http://www.worldenergy.org/wec-geis/

2010~2020年 ジャン・ラヘレリ
石油地質学者、石油会社TOTALに37年勤務、退職後コンサルタント業。
www.hubbertpeak.com/laherrere/

2016年 EIA /DOE(米エネルギー省)
www.eia.doe.gov/

2020年 ケンブリッジ・エネルギー・リサーチ・アソシエイツ(CERA)エネル
ギー・コンサルタント
http://www.cera.com/home/

2025年以降 シェル
http://www.shell.com


もっとも楽観的な予測でもこれから20年以内にピークが訪れるというのだ。はっきりしていることは、石油会社が発見する新しい油田の数は減少の一途を辿り、発見される油田の規模もどんどん小粒になり、かつてのような巨大な油田が発見されることはない。現在世界で生産される石油の8割は1970年以前に発見された油田からだ。

それなのに、それなのに。

「資源の乏しい国」を自認し、食料の大半を海外に依存(ということは安い石油に頼る輸送に依存)し、オイル・ピークが国民一般に与える影響は先進国のなかではアメリカに次いで大きいのに、日本ではこの問題に対する関心が異様に低い。生活への影響ははかり知れないものがあるのに、政治団体でこの問題に正面から取り組んでいるのは、荒岱介の率いるブントの戦旗派(最近は衣替えしたのかSenkiと表記する?)くらいだ。日経(11月11日付け)にいたっては、IEAのラムゼイ事務局次長の発言を引用しながら、『ピークオイル説については「サウジアラビアは25年後に現在の倍の日量1800万バレルの生産も可能だ。手つかずの油田が多いイラクの潜在力も大きい」と退けた。』とまったく脳天気な報道をしている。

1970年代初めに国営イラン石油会社(NIOC)に入社、その後上級研究員、重役などを務め、ここ数年はオイル・ピークについて警鐘を鳴らしてきた論客のひとり、アリ・サムサム・バクティアリは10月28日付けのホームページで、ピークはすでに過ぎたことを宣言している。

日本人のほとんどがオイル・ピークとは何なのかと気付く前に、すでに世界は未曾有の石油減耗時代に突入した。

(1/12/5)