Monday, January 02, 2006

いまだに少数民族を抱えることのできない悲劇的な大国/Kuidas laeb?

英語が「世界共通語」になりつつある。だから、猫も杓子も英語を学ぶ。世界中の人がある程度の意思疎通をできるようになる、という意味で「共通語」の存在はありがたい。しかし、その一方で、少数の人しか話さない言葉が死に絶えていくのは気にかかる。


日本でも東京中心の「標準語」が学校教育やテレビやラジオなど、電波メディアの影響で全国津々浦々にまで広がっている。それはそれでいいことだ。しかし、その一方、地方独特の「方言」が駆逐されていく。子供のころ、テレビらラジオで聞く言葉が「かっこよく」て、自分の身の回りで方言を喋る大人を「遅れている」、「田舎臭い」と思ったものだ。学校でも、「標準語」が知らず知らずのうちに奨励されてたような気がする。

昔、日本に暮らしていた時、土方の仕事で飯場に寝泊まりすると、地方からやってきた人たちの会話がまったくわからず、面喰らったことがある。同じ日本人だと思ったのに、話している言葉がまったくわからない。そうかと思えば、自分の育った場所では当たり前に使われていた言葉のいくつかを、ほかの地方の人は理解できずにきょとんとしていたことも憶えている。「ぼけたリンゴ」とか、「ずくなしのごた息子で、せつないことばかりしていた」なんて、標準語でどう表現するのだろう。

「標準語」が内包する帝国主義的な力を実感するようになったのは80年代に、帝国の周縁地方である沖縄やエストニアへ行くようになってからだ。人口150万人のエストニアは「ロシア同化政策」のおかげでロシア語が公用語、教育もロシア語で行われ、しかもロシア語しかしゃべれない人の移民が続き、エストニア語人口のほうが少なくなりかけていた。エストニアの独立運動はソ連の政治的な
支配を脱することだったが、それは自らの言葉、文化を守る文化的な運動でもあった。

それもあってか、独立を達成してからも、エストニアは少数民族の自立援助に熱心で、例えばドゥダーエフ大統領に率いられたチェチェン独立運動には早い時期から支持を表明していた。ドゥダーエフは、かつてタルトゥの駐留ソ連爆撃機軍の指揮官だった時にエストニア民衆戦線から独立闘争の方法を学んだからだとも言われていた。エストニアがチェチェンに連帯を示したのも、ドゥダーエフが武
力で独立運動を潰そうとしなかったことへのお返しだとも言われている。後にモスクワに叛旗を翻すドゥダーエフがエストニア駐留中にモスクワの命令に背いたのかどうか、わからないが、確かに、ラトビアやリトアニアのように「流血の惨事」は少なかったような気がする。

チェチェニアへの支持を含め、エストニアやエストニア人の行為はモスクワ、ロシア政府の側から見れば「内政干渉」や「分離工作」ととられるようだ。昨年5月には、エストニアなどの提案で欧州議会がマリにおける「ロシア化」を糾弾する決議をしたが、これもロシア政府は内政干渉だとはねつけている。

年末のエコノミスト誌に、エストニアがロシア国内のフィノ・ウゴール語を喋る民族に支援を与えていて、それをロシア政府が快く思っていないという記事が載っていた。

フィノ・ウゴール語は中央アジアに端を発する民族の言葉で、この系統にはエストニアのほか、国としてはハンガリーとフィンランド(スオミ)がある。エストニアとスオミのあいだでは会話も可能だと聞いているが、ハンガリーまで含めると共通の語源に基づく単語は200くらいしか見つからないそうだ。エコノミストの記事によれば、そのうち、55は魚に関するもので、15はトナカイに関する単語だってのがおもしろい。3つの国の人に共通して理解できる文章は「生きた魚は水の中を泳ぐ」くらいだそうな。

ロシア内では、フィノ・ウゴール系の言葉を母語とする人たちは2002年の国勢調査によれば270万人(前回の89年調査から60万人減)でカレリア、モルダビア、ウドムルト、コミ、マリなどの共和国に暮らしている。これらの場所では、ソ連崩壊直後こそ、圧力が少し弱まったものの、かつてエストニアで行われていたような「ロシア化」が進行しており、それぞれの母語を話す人は老化し、年々数が減っている。出版物も限られ、ラジオやテレビで言葉が聞かれる機会もほとんどない。しかも、公文書はキリル文字を使わなければならないという言語法の改訂があった。実際に言語を操れる人口となると、国勢調査よりさらに少ない、200万人以下という見積りもある。現地でロシア化に対抗して、言語(や民族のアイデンティティ)の保存に関わる人たちにとって「主権回復したエストニアは奇跡であり、フィンランドはうらやましい超大国」(エコノミスト誌)なのだ。

エストニアにあるSoome-Ugri Rahvaste Infokeskusというフィノ・ウゴール民族ウエッブによれば、すでに絶滅したり、絶滅に瀕している言語もある。ヴォ-シャンという言葉はエストニア語にかなり近い言葉だそうだが(エストニア人は数日でその言葉をマスターできるそうだ)、これを喋る人口はフィンランド湾近辺のいくつかの村に、20人しか残っていないそうだ。

フィノ・ウゴール系の言語保存にもっとも熱心なのはエストニアだ。去年8月には第4回フィノ・ウゴール民族世界大会が首都のタリンで開催された。99年からそれらの自治共和国からエストニアに学生を招き、勇気づけ、勉強させようという奨学生プログラムがあり、これまでに100人以上がタリンなどで学んだそうだ。しかし、このプログラムに参加した半数がエストニアに居残ることを決め、帰ったものの中にはロシア式のシステムに再び溶け込むことができないものが多いという問題があり、現在は、もっと年齢の高い高校卒業生を対象とした奨学生プログラムが検討されている。エストニアはこの奨学生資金に300万クローネ(約2300万円)を用立てているが、経済規模が格段に大きなフィンランドはそれと同額程度、ハンガリーにいたってはほとんどかかわっていないそうだ。ハンガリーにとってはフィノ・ウゴール系といっても、かなり離れているせいか、それともロシアを無用に刺激したくないという政治的配慮が働いているのか、保存運動にはあまり関心がないようだ。逆にエストニアには、あの時独立していなかったら、自分達もこうなっていたかもしれない、そんな思いがまだ、鮮明にあるのかもしれない。

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<エコノミスト誌より>

フィノ・ウゴール系民族の自治共和国は、近隣のタタールスタンとともに、1917年から18年、短い間ではあったがイデル・ウラルという独立国だったこともあるが、現状では、ロシアが何かの理由で分裂でもしない限り、エストニア式の独立はまず、不可能だろう。だから、エストニアが肩入れするような、地道な「文化活動」を続けていくしかない。

ロシア政府は、もちろん「保安上の理由」を掲げ、外国から資金援助を受ける国内団体の取締強化に躍起だが、エコノミストの記事によれば、プーチン政権に近いウエッブサイト、news12.ruはマリ支援団体を名指ししている(この同じサイトは最近のパリ暴動はエストニア人国粋主義者が煽った、と非難している)。ロシア政府は、いまだにエストニアの独立やその後の経済繁栄を快く思っていないと言われてもしかたがない。

帝国中央の言葉を強引に押し付けようとするのは、きわめて前世紀的な行為であるということにモスクワ政府はいまだに気付いていないようだ。どんどん同質化する21世紀世界では、異質を抱える太っ腹なことが大国の資質、なんてことにロシア政府はいまだに気付いていないようだ。

何年も前から学ぼうと思っているエストニア語、今年こそは取りかかるぞ、と新年の計。

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