2006年が開け、そろりそろりと起き出して、日陰にある温度計を見れば35度を指している。どうりで、暑いわけだ。標高千メートの高原でこの気温ならと、ラジオをつけると麓のシドニーでは44度とか45度。暑いぜ、これは。平均より20度とかも上回っているそうだ。
こんな日はタオルを水で湿らせ、首にまく。うちにはエアコンも扇風機もないけど、こんな暑い日でも、少量の水を湿したタオルが一本あれば、頭にのせたり、首にまいたり、かなり凌げるものだ。もっと暑くなれば、洗面器に水を張り、足をつける。水とタオル一本あれば、かなりの暑さでも凌げるものだ。
こんな日は本能的にブッシュ・ファイヤーが気になってしまう。もちろん、トータル・ファイヤー・バンが出ていて、屋外での裸火はすべて禁止されている。バーベキューとかももちろんだめ、キャンプに行っていたらキャンプファイヤーなんてのもだめ。とにかく、屋外での火はなんでもだめ。
音楽とかドキュメンタリーは聞くけど、情報源としては普段、あんまり顧みることがないのに、こういう時、一番頼りになるのはラジオだ。と思いながら、ラジオをつけると、聞こえてくるのはブッシュ・ファイヤーのニュースばかり。ブッシュって聞けば、普段はアメリカの大統領のことをまず考えるけど、この時期、ブッシュといえば薮のことで、ブッシュ・ファイヤーってのは山火事のことだ。
今日、火の手があがっているシドニーの北部と南部。ビクトリアでも火が燃え盛っている。ボラの消防団に動員がかかり、ヘリタンカーなんていう山火事消火専門のヘリコプターなどが動員され、消火作業が続いている。ラジオからは消防団本部や道路情報センター、気象観測当局などから、現状から、道路の状況、避難先の情報などが逐一流れてくる。トークバックだから、遮断された道路で立ち往生している人、火の手が自宅から100メートルまで迫った人の声も流れてくる。ぱちぱちなんて生易しい音じゃなく、ぐぉーっていう火の手のあがる音が背後から聞こえてる。ラジオってのはつくづく瞬時性の媒体だ。
幸い、今のところうちのまわりでは火の手はあがっていない。でも、ラジオからの報告はとても他人事のようには聞こえない。何年か前に出版された「楽農パラダイス」にも書いたが、山火事がかなり近くまで迫ったことがある。重要な書類とかの荷物をまとめ、飼っている鶏とともに、近所だけどより安全そうな友人や親類のところへ非難させたこともある。強風に煽られた山火事のたてる音は今でも耳に残っているし、何日も立ち篭めた煙のにおいも簡単には忘れられない。気温があがり、風の強い日は気が気じゃない。いつ、火の手があがり、襲い掛かってきても不思議じゃない。
空を見上げながら、庭を歩くとカサカサと枯れた草や落ち葉が足許で音をたてる。鶏たちは、日陰で暑さに耐えている。日中、何度か水くれしてやる。鶏はもともと熱帯の出身だというのに、裏庭で鶏を飼う時の一番の大敵は夏の暑さだそうだ。突然の暑さが原因で何羽も鶏をなくした友人もいる。だから、こんな日は朝と夕に野菜に水をやるほか、何時間かに一度、鶏の囲いの周辺に水くれして回ることになる。この前、雨が降ったのはいつのことだろう、なんて考えながら。
いくつか、枯れそうになっている木にも水をくれる。無駄かもしれないけど、止められない。うちには雨水タンクが4つあり、あわせて3万リットルを貯蔵できるけれど、残りは1万リットルを切った。だんだん、心細くなってくる。
コンピュータの前に座り、気象レーダーを見ると、南から涼風前線がこっちへ向かっているようだ。風速100メートル以上の南風前線だ。もう何時間かすると、このあたりにも到着するはずだ。南風がやってくれば、気温も10度くらい下がるだろう。でも、あんまり水分は含まれていないようだ。ということは、山火事が燃え盛る場所では逆に火に油、じゃなく、空気を注ぐことになりかねない。火事が燃えているところに強風がふくと、方向があちこち変わり、しかも火の手は早くなる。何年か前に、このあたりでも強い南風で火勢が増し、いくつかの火事がひとつの巨大な火焔前線になったことがある。それはそれは恐いものだ。
こんな時、消防当局なんかあてにできない。もちろん、当局や個々の消防員が手を抜いているとか、装備が不十分だとか、そういうことじゃない。自然が燃えようとする時、人間の消防力ではどうすることもできないのだ。消防にできることは、延焼を食い止めること、火の手が家屋や居住地に及ばないようにすることくらいで、とても燃え盛る火を消すことなんてできない。都市の住宅火災とはわけが違う。山火事が迫った時、頼りになるのは自分だけで、自分で判断をしなけりゃならない。消防が何とかしてくれる、なんて甘く考えていたらこっぴどい目にあう。
今日、燃え盛る火の原因はまだ分かっていない。放火、という可能性は十分あるそうだ。だが、これらは「放火」と呼ばれ、「?系テロ」なんてくくられることはない。政府や警備当局は認めたがらないが、オーストラリアでテロを計画するなら、都市の建物だとか原発だとか、そんなものをわざわざ標的にする必要はない。飛行機を乗っ取ったり、爆弾を用意する必要もない。今日のような日和にマッチ箱ひとつもって、ブッシュへでかけりゃそれでいい。風力と風向きによっては、百ヘクタール以上が1時間で灰になる。これほど危険が少なく、効果的な戦術がほかにあるだろうか。こればっかりは、新しく制定された対テロ法でいくら激しく取り締まったってどうにもならない。オーストラリアはぜい弱な脇腹を
露呈しながら、また新しい年が始まった。
今年はどこへ行くのか、なにをやるのか、まったく白紙で未定。それだけにわくわくぞくぞくしてしまう。何はとりあえず、今年もよろしく。てなことで。
こんな日はタオルを水で湿らせ、首にまく。うちにはエアコンも扇風機もないけど、こんな暑い日でも、少量の水を湿したタオルが一本あれば、頭にのせたり、首にまいたり、かなり凌げるものだ。もっと暑くなれば、洗面器に水を張り、足をつける。水とタオル一本あれば、かなりの暑さでも凌げるものだ。
こんな日は本能的にブッシュ・ファイヤーが気になってしまう。もちろん、トータル・ファイヤー・バンが出ていて、屋外での裸火はすべて禁止されている。バーベキューとかももちろんだめ、キャンプに行っていたらキャンプファイヤーなんてのもだめ。とにかく、屋外での火はなんでもだめ。
音楽とかドキュメンタリーは聞くけど、情報源としては普段、あんまり顧みることがないのに、こういう時、一番頼りになるのはラジオだ。と思いながら、ラジオをつけると、聞こえてくるのはブッシュ・ファイヤーのニュースばかり。ブッシュって聞けば、普段はアメリカの大統領のことをまず考えるけど、この時期、ブッシュといえば薮のことで、ブッシュ・ファイヤーってのは山火事のことだ。
今日、火の手があがっているシドニーの北部と南部。ビクトリアでも火が燃え盛っている。ボラの消防団に動員がかかり、ヘリタンカーなんていう山火事消火専門のヘリコプターなどが動員され、消火作業が続いている。ラジオからは消防団本部や道路情報センター、気象観測当局などから、現状から、道路の状況、避難先の情報などが逐一流れてくる。トークバックだから、遮断された道路で立ち往生している人、火の手が自宅から100メートルまで迫った人の声も流れてくる。ぱちぱちなんて生易しい音じゃなく、ぐぉーっていう火の手のあがる音が背後から聞こえてる。ラジオってのはつくづく瞬時性の媒体だ。
幸い、今のところうちのまわりでは火の手はあがっていない。でも、ラジオからの報告はとても他人事のようには聞こえない。何年か前に出版された「楽農パラダイス」にも書いたが、山火事がかなり近くまで迫ったことがある。重要な書類とかの荷物をまとめ、飼っている鶏とともに、近所だけどより安全そうな友人や親類のところへ非難させたこともある。強風に煽られた山火事のたてる音は今でも耳に残っているし、何日も立ち篭めた煙のにおいも簡単には忘れられない。気温があがり、風の強い日は気が気じゃない。いつ、火の手があがり、襲い掛かってきても不思議じゃない。
空を見上げながら、庭を歩くとカサカサと枯れた草や落ち葉が足許で音をたてる。鶏たちは、日陰で暑さに耐えている。日中、何度か水くれしてやる。鶏はもともと熱帯の出身だというのに、裏庭で鶏を飼う時の一番の大敵は夏の暑さだそうだ。突然の暑さが原因で何羽も鶏をなくした友人もいる。だから、こんな日は朝と夕に野菜に水をやるほか、何時間かに一度、鶏の囲いの周辺に水くれして回ることになる。この前、雨が降ったのはいつのことだろう、なんて考えながら。
いくつか、枯れそうになっている木にも水をくれる。無駄かもしれないけど、止められない。うちには雨水タンクが4つあり、あわせて3万リットルを貯蔵できるけれど、残りは1万リットルを切った。だんだん、心細くなってくる。
コンピュータの前に座り、気象レーダーを見ると、南から涼風前線がこっちへ向かっているようだ。風速100メートル以上の南風前線だ。もう何時間かすると、このあたりにも到着するはずだ。南風がやってくれば、気温も10度くらい下がるだろう。でも、あんまり水分は含まれていないようだ。ということは、山火事が燃え盛る場所では逆に火に油、じゃなく、空気を注ぐことになりかねない。火事が燃えているところに強風がふくと、方向があちこち変わり、しかも火の手は早くなる。何年か前に、このあたりでも強い南風で火勢が増し、いくつかの火事がひとつの巨大な火焔前線になったことがある。それはそれは恐いものだ。
こんな時、消防当局なんかあてにできない。もちろん、当局や個々の消防員が手を抜いているとか、装備が不十分だとか、そういうことじゃない。自然が燃えようとする時、人間の消防力ではどうすることもできないのだ。消防にできることは、延焼を食い止めること、火の手が家屋や居住地に及ばないようにすることくらいで、とても燃え盛る火を消すことなんてできない。都市の住宅火災とはわけが違う。山火事が迫った時、頼りになるのは自分だけで、自分で判断をしなけりゃならない。消防が何とかしてくれる、なんて甘く考えていたらこっぴどい目にあう。
今日、燃え盛る火の原因はまだ分かっていない。放火、という可能性は十分あるそうだ。だが、これらは「放火」と呼ばれ、「?系テロ」なんてくくられることはない。政府や警備当局は認めたがらないが、オーストラリアでテロを計画するなら、都市の建物だとか原発だとか、そんなものをわざわざ標的にする必要はない。飛行機を乗っ取ったり、爆弾を用意する必要もない。今日のような日和にマッチ箱ひとつもって、ブッシュへでかけりゃそれでいい。風力と風向きによっては、百ヘクタール以上が1時間で灰になる。これほど危険が少なく、効果的な戦術がほかにあるだろうか。こればっかりは、新しく制定された対テロ法でいくら激しく取り締まったってどうにもならない。オーストラリアはぜい弱な脇腹を
露呈しながら、また新しい年が始まった。
今年はどこへ行くのか、なにをやるのか、まったく白紙で未定。それだけにわくわくぞくぞくしてしまう。何はとりあえず、今年もよろしく。てなことで。
No comments:
Post a Comment