明日に投票が迫ったパレスチナの選挙について、UCLAで英語と比較文学を教えるサリー・マクディシ教授がエレクトロニック・インティファーダに寄稿した記事、「民主主義の幻想」を訳出します。急いで訳したので、いろいろおかしなところがあるかも知れません。御指摘下さい。投票に至るまでの選挙戦や背景、その他パレスチナの現状についてはp-navi infoを御覧下さい。
民主主義の幻想
サリー・マクディシ
エレクトロニック・インティファーダ/2006年1月23日
http://electronicintifada.net/v2/article4411.shtml
投票を許される者のおよそ80パーセントが登録し、パレスチナ議会、132の議席に700人以上 の候補者が立つ激しい選挙戦が展開され、これで水曜日に占領下のパレスチナ人が投票にでかければ、あたかも民主主義が機能していると印象付けるお膳立ては整いつつある。
しかし、まったくバラ色ってわけでもない。
ひとつには、ハマスの候補者が、ライバルでパレスチナ自治政府のマフムド・アッバス議長の与党、ファタハに対し、重要な勝利を収めようとしていることだ。アメリカと欧州連合はパレスチナ自治政府に対し、もし投票の結果、ハマスが入閣するようなことがあれば援助を差し止める脅迫した。そして、イスラエルは、ハマスの参加する政権は相手にしないことを言明している。
ハマスへの高い支持は、パレスチナ人がハマスのかかげるイデオロギーや乱暴なやり方を支持しているということではなく、39年に及ぶイスラエルの軍事占領に辟易とし、ファタハの主導の指導部が、1993年ののオスロ合意で約束された平和と繁栄をひとつももたらしていないことに我慢がならないからだ。
和平交渉が頂点の時でさえ、ヨルダン川西岸地域のうち、パレスチナ人の配下に戻されたのは18パーセント未満だった。そして、それすらも、つながりのない何十の小さな破片に分割されていた。それはファタハの誤りではなく、むしろ、条約義務と国際法の原理を守ろうとせず、占領を止めようとしないイスラエルの責任だ。
しかし、アッバスなどのファタハ指導者は、パレスチナの人々を麻痺させ、惨めさに突き落とすだけのプロセスへの参加に固執し、どんな代案も認めようとしない。こんな状況だから、反ファタハ票はハマスへ流れるのだ。
これは、絶望が生み出した政治的なシニシズムだ。
どの指導者をもっとも信頼するかと尋ねられると、「上記以外」を選ぶパレスチナ人がアッバス支持者の倍以上にもなる。アッバスは一番信頼されているのにもかかわらず。世論調査によれば、もとのパレスチナにイスラム国家建設をかかげるハマスの目的を支持するものは、占領地域に暮らすパレスチナ人の3パーセント足らずに過ぎない。イスラエルとの紛争に、一国家もしくはニ国家制で、平和的な解決を求める人間が3/4を占める。
選挙に関する話はどれも、非常に異常な状況を常態だと感じさせようとするものだ。普通の状態だとされてしまうのは、恒久化する占領だけではない。パレスチナの人々の未来はいまだに定まっていない。そして、2/3のパレスチナ人は占領地を逃れ、難民 キャンプや、国外に離散するか、イスラエルで二等市民として暮らしているため、選挙から締め出されている。この状況はどれも、選挙によっては変わらない。
国民のほとんどに投票権がないという状態で、いったいどんな「国政」選挙が可能なのかという疑問は置くとしても、軍事占領下で生きる人たちは、投票は許されてはいるものの、選挙の課程自体にもいろいろ、問題ばかりだ。
イスラエル軍は占領地区のパレスチナ人に移動の自由を認めておらず、集会どころか投票所へ出かけることさえ、当たり前に許されてはいない。現在、たとえば、西岸地域北部に暮らす80万人のパレスチナ人は自分達の地区から外に出ることを禁止されている。西岸地区の動脈であるルート60のほとんどは、去年の8月以来、パレスチナ人には立入禁止だ。
選挙運動にあたっても、立候補者はイスラエルのチェックポイントやパトロール、ロードブロックにいつも通り苦労させられる。そればかりでなく、昨年の大統領選挙の際、 イスラエルが支持するアッバスだけに行動の自由が与えられたような、政治的な動機に基づく干渉行為のなかを、かき分けなければならない。対立候補は、イスラエルの チェックポイントでしばしば拘留され、肉体的な虐待にさらされることもあった。
イスラエルは最近になって、東エルサレムに暮らすパレスチナ人に投票許可を与えたが、ハマスの候補がそこで選挙運動をしたり、そこの投票用紙にハマスの候補を載せることは禁止したままだ。
もちろん、国際法に従えば東エルサレムは占領地域と見なされており、そもそも、投票を許したり、パレスチナ人が政治的なプロセスに参加することを禁じたり、イスラエルの決めることではない。
全体的に、この選挙を本物の民主的な選挙だと見なすことはとてもできない。パレスチナ人がそれを望んでいないのではない。しかし、人口の1/3が軍事占領下に暮らし、そして残り2/3は投票権が与えられないという状況では、本物の国政選挙の実行は不可能だという忘れてはならない事実、そういうまわりの状況があるからだ。
とは言っても、選ばれても治める国がない政府を選ぶ選挙にまったく目的がないわけではない。やがてパレスチナ人の「国家」建設に至る政治的なプロセスは可能だとする幻想を維持すること、それがこの選挙の目的だ。選挙は、オスロ合意以来、アメリカとイスラエルが押し進め、パレスチナ自治政府が黙認する壮大な作り話、「パレスチナ人による国のない国家」に適合するものだ。
水曜日に投票される選挙はこの虚構をささえるもので、いわゆる和平交渉の将来の鍵をにぎるパレスチナの「改革」と「民主化」というプロセスの一部であるという感覚を補完するものだ。
どっちにしたところで、アメリカは、和平のプロセスはイスラエル人ではなく、すべてパレスチナ人の肩にかかっていると決めたのだ。軍事占領を黙認し、その一方で、占領下に暮らすことをはなっから望みもしなかった人たちに、そんな重荷を背負わせたところで、たぶん、まっとうな結果は出てこないだろう。
しかし、まっとうな結果なんて、最初からどうでもいいんだ。だから、イスラエルのアリエル・シャロン首相のアドバイザー、ドン・ウェイスグラスはこの状況を指して「ホルマリンの瓶」と表現したんだ。ウェイスグラスによれば、政治的プロセスの幻想を維持すれば、「パレスチナ人がフィンランド人に変わるまで」対立は解決しないことを保証する。それは、もちろん、イスラエルにとって好都合だ。この幻想が維持されるかぎり、何もしなくても、1967年に力ずくでもぎ取った地域にしがみついていられるからだ。
民主主義の幻想
サリー・マクディシ
エレクトロニック・インティファーダ/2006年1月23日
http://electronicintifada.net/v2/article4411.shtml
投票を許される者のおよそ80パーセントが登録し、パレスチナ議会、132の議席に700人以上 の候補者が立つ激しい選挙戦が展開され、これで水曜日に占領下のパレスチナ人が投票にでかければ、あたかも民主主義が機能していると印象付けるお膳立ては整いつつある。
しかし、まったくバラ色ってわけでもない。
ひとつには、ハマスの候補者が、ライバルでパレスチナ自治政府のマフムド・アッバス議長の与党、ファタハに対し、重要な勝利を収めようとしていることだ。アメリカと欧州連合はパレスチナ自治政府に対し、もし投票の結果、ハマスが入閣するようなことがあれば援助を差し止める脅迫した。そして、イスラエルは、ハマスの参加する政権は相手にしないことを言明している。
ハマスへの高い支持は、パレスチナ人がハマスのかかげるイデオロギーや乱暴なやり方を支持しているということではなく、39年に及ぶイスラエルの軍事占領に辟易とし、ファタハの主導の指導部が、1993年ののオスロ合意で約束された平和と繁栄をひとつももたらしていないことに我慢がならないからだ。
和平交渉が頂点の時でさえ、ヨルダン川西岸地域のうち、パレスチナ人の配下に戻されたのは18パーセント未満だった。そして、それすらも、つながりのない何十の小さな破片に分割されていた。それはファタハの誤りではなく、むしろ、条約義務と国際法の原理を守ろうとせず、占領を止めようとしないイスラエルの責任だ。
しかし、アッバスなどのファタハ指導者は、パレスチナの人々を麻痺させ、惨めさに突き落とすだけのプロセスへの参加に固執し、どんな代案も認めようとしない。こんな状況だから、反ファタハ票はハマスへ流れるのだ。
これは、絶望が生み出した政治的なシニシズムだ。
どの指導者をもっとも信頼するかと尋ねられると、「上記以外」を選ぶパレスチナ人がアッバス支持者の倍以上にもなる。アッバスは一番信頼されているのにもかかわらず。世論調査によれば、もとのパレスチナにイスラム国家建設をかかげるハマスの目的を支持するものは、占領地域に暮らすパレスチナ人の3パーセント足らずに過ぎない。イスラエルとの紛争に、一国家もしくはニ国家制で、平和的な解決を求める人間が3/4を占める。
選挙に関する話はどれも、非常に異常な状況を常態だと感じさせようとするものだ。普通の状態だとされてしまうのは、恒久化する占領だけではない。パレスチナの人々の未来はいまだに定まっていない。そして、2/3のパレスチナ人は占領地を逃れ、難民 キャンプや、国外に離散するか、イスラエルで二等市民として暮らしているため、選挙から締め出されている。この状況はどれも、選挙によっては変わらない。
国民のほとんどに投票権がないという状態で、いったいどんな「国政」選挙が可能なのかという疑問は置くとしても、軍事占領下で生きる人たちは、投票は許されてはいるものの、選挙の課程自体にもいろいろ、問題ばかりだ。
イスラエル軍は占領地区のパレスチナ人に移動の自由を認めておらず、集会どころか投票所へ出かけることさえ、当たり前に許されてはいない。現在、たとえば、西岸地域北部に暮らす80万人のパレスチナ人は自分達の地区から外に出ることを禁止されている。西岸地区の動脈であるルート60のほとんどは、去年の8月以来、パレスチナ人には立入禁止だ。
選挙運動にあたっても、立候補者はイスラエルのチェックポイントやパトロール、ロードブロックにいつも通り苦労させられる。そればかりでなく、昨年の大統領選挙の際、 イスラエルが支持するアッバスだけに行動の自由が与えられたような、政治的な動機に基づく干渉行為のなかを、かき分けなければならない。対立候補は、イスラエルの チェックポイントでしばしば拘留され、肉体的な虐待にさらされることもあった。
イスラエルは最近になって、東エルサレムに暮らすパレスチナ人に投票許可を与えたが、ハマスの候補がそこで選挙運動をしたり、そこの投票用紙にハマスの候補を載せることは禁止したままだ。
もちろん、国際法に従えば東エルサレムは占領地域と見なされており、そもそも、投票を許したり、パレスチナ人が政治的なプロセスに参加することを禁じたり、イスラエルの決めることではない。
全体的に、この選挙を本物の民主的な選挙だと見なすことはとてもできない。パレスチナ人がそれを望んでいないのではない。しかし、人口の1/3が軍事占領下に暮らし、そして残り2/3は投票権が与えられないという状況では、本物の国政選挙の実行は不可能だという忘れてはならない事実、そういうまわりの状況があるからだ。
とは言っても、選ばれても治める国がない政府を選ぶ選挙にまったく目的がないわけではない。やがてパレスチナ人の「国家」建設に至る政治的なプロセスは可能だとする幻想を維持すること、それがこの選挙の目的だ。選挙は、オスロ合意以来、アメリカとイスラエルが押し進め、パレスチナ自治政府が黙認する壮大な作り話、「パレスチナ人による国のない国家」に適合するものだ。
水曜日に投票される選挙はこの虚構をささえるもので、いわゆる和平交渉の将来の鍵をにぎるパレスチナの「改革」と「民主化」というプロセスの一部であるという感覚を補完するものだ。
どっちにしたところで、アメリカは、和平のプロセスはイスラエル人ではなく、すべてパレスチナ人の肩にかかっていると決めたのだ。軍事占領を黙認し、その一方で、占領下に暮らすことをはなっから望みもしなかった人たちに、そんな重荷を背負わせたところで、たぶん、まっとうな結果は出てこないだろう。
しかし、まっとうな結果なんて、最初からどうでもいいんだ。だから、イスラエルのアリエル・シャロン首相のアドバイザー、ドン・ウェイスグラスはこの状況を指して「ホルマリンの瓶」と表現したんだ。ウェイスグラスによれば、政治的プロセスの幻想を維持すれば、「パレスチナ人がフィンランド人に変わるまで」対立は解決しないことを保証する。それは、もちろん、イスラエルにとって好都合だ。この幻想が維持されるかぎり、何もしなくても、1967年に力ずくでもぎ取った地域にしがみついていられるからだ。
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