Tuesday, May 07, 2013

永続的な経済へ


「パーマカルチャー」って言葉、聞いたことがありますか?日本でもかなり知られるようになってきたので、耳にしたことがあるかもしれません。でも、耳にしたことがある人でも、それがお金や経済とどう関係するのか、理解できない人もいるかもしれません。

パーマカルチャーはオーストラリアで70年代にビル・モリソンとデビッド・ホルムグレンの二人によって体系化された考え方で、そもそもはパーマネント(永続的)とアグリカルチャー(農業)という単語を組み合わせた造語です。1978年に出版された『パーマカルチャー・ワン』で二人はパーマカルチャーは次のように定義しています。
「動物と多年生植物を人間が利用するために組み合わせた、常に進化するシステム」
これは単年生の野菜や穀物の生産を中心に、数少ない作物の栽培と販売に特化する近代的な農業へのアンチテーゼであり、食料の生産を自然の中に見られるパターンを参考にデザインし、組み合わせていくことに主眼がおかれていました。たしかに、日本でも果物農家を除けば、たいていの農家は単年生の作物を育て、しかも「キャベツ」農家、「レタス」農家、「リンゴ」農家などのように特化しています。また、家畜農家は飼料はよそから買い入れ、植物の栽培と切り離されたシステムを営んでいることがほとんどです。今の農業は自然に見られるパターンからほど遠い形で営まれており、これでは永続きしないでしょう。パーマカルチャーは、人間が経済的な効率を追求するあまり、ばらばらに切り離してしまった要素を自然に見られるようにつなぎあわせ、それぞれの関係性を再構築することを提唱しました。

その後、「パーマカルチャー」は生まれ故郷のオーストラリアでは国語辞典に載るくらい一般に知られる言葉になりました。そしてパーマカルチャーは「オーストラリア最大の知的な輸出品」といわれるほど、オーストラリアだけでなく世界中に波及していきました。運動としてのパーマカルチャーはいわゆる先進国で農業や暮らし方、食べ方の変革を迫るだけでなく「開発途上国」にも普及し、これまでの開発型に代わる新たなモデルを提供しています。たとえば、1990年代初頭、ソ連崩壊の余波で、それまでのように原油が輸入できなくなったキューバで、パーマカルチャーの食料生産システムが大々的に取り入れられた結果、食料危機を乗り切ったことはよく知られています。
キューバの例からもわかるように、これまではパーマカルチャーといえば、原点である「永続する農」の側面が強調されてきました。しかし、パーマカルチャーにはもともとの定義にもあるように「常に進化する」ことが含まれています。個人や社会もそうですが、人間は時間の経過とともに変化するものであり、パーマカルチャーも実践、経験を振り返り、不断な分析を重ねることで大きく変化してきました。誕生から30年以上を経て、パーマカルチャーは「持続的な農業(パーマネント・アグリカルチャー)」から「パーマネント・カルチャー、つまり永続的な文化」に進化してきました。その過程で、自然と人間の関係は「自然に歯向かうのではなく、手を携えてと一緒に働くんだ(モリソン)」という共生、共働関係から、人間も生態系の一部に過ぎない、人間は自然だという認識に変わってきました。このように、人間社会も生態系の一部だという認識に立てば、社会のデザインや営みもパーマカルチャーの大きな関心にならざるを得ないということです。
こうした進化について、創始者の一人、デビッド・ホルムグレンは『パーマカルチャー:農的暮らしを実現するための12の原理』(2012年、コモンズ)のなかで次のように言っています。
「パーマカルチャーのデザインが当てはまるのは風土だけではない。パーマカルチャーは有機農業の技術、持続可能な農業、エネルギー効率の良い建築、エコビレッジの開発だけでもない。パーマカルチャーは人間が家庭や地域社会を持続可能にするため、自発的にデザインし、作り上げ、世話をし、手を加えていくために活用できるものだ。」
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図版1)パーマカルチャーの花
『パーマカルチャー:農的暮らしを実現するための12の原理』(2012年、コモンズ)より
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 図版1には社会を持続可能にするために変えていかなければならない分野が示されています。「建築」「道具と技術」「文化と教育」「健康福祉」「金融・経済」「土地所有と地域社会の運営」と「風土の世話役」の7つに分けられていますが、人間社会全般と考えていいでしょう。パーマカルチャーの唱える倫理と原理を基礎に、そこから出発した変革のベクトルはぐるぐるとらせん状に社会全体をめぐり、進化を遂げていきます。この過程で、自発的な行動を基点に、人間は他力本願な消費者から脱皮し、責任ある自然の中の一員に変身します。パーマカルチャーにもとづく行動や暮らし方を取り入れることで、個人や家庭だけでなく、地域社会、国、地球規模の変革が可能なことがわかります。個人の生き方の方向を見直し、変革に舵を取ることが社会全体の変革も可能であるというビジョンをそこに見ることができます。パーマカルチャーは個人の暮らしを変える道具であるばかりか、社会を身の丈にあうように変革する、地に足のついた方法と言っていいかもしれません。

パーマカルチャーがただ単に畑作りや庭いじりの手引きではなく、有機農法や自然農法、バイオダイナミック農法などとも違う点はここです。たとえば有機農法を都会で実践するのはなかなかむずかしいことですが、パーマカルチャーは土のないアパート暮らしの都会人でも倫理や原理を生活に取り入れ、実践することができます。都会のビルの屋上に工夫して菜園を作ることもパーマカルチャーですが、それは図版1でいえば「風土の世話役」という一つの領域に過ぎず、「文化と教育」や「建築」においてもパーマカルチャーは実行できるのです。
もうひとつ、パーマカルチャーが農法に限らないのは、その時代認識です。いま、私たちはどんな時代に生きていて、これからどんな時代に向かっているのか。それを観察し適格に判断することで、新たな生活様式のデザインが可能になります。
ホルムグレンは『未来のシナリオ(2010年、農文協)』で、現代社会の直面する最も大きな問題として、気候変動とピークオイルをあげています。気候変動については、すでに私たちがその渦中にあることを疑う人はいないと思います。日本近辺では台風が凶暴さを増し、ゲリラ豪雨や爆弾低気圧などの突発的な過酷気象現象が頻繁に起きています。地球全体でも記録破りの旱魃や大洪水、凶暴化する嵐が頻繁に起きています。気候変動がもたらす影響については、社会での理解が広がっていますが、ピークオイルについてはどうでしょうか。フクシマ以後の日本では、脱原発時代という文脈で代替エネルギー、自然エネルギー、持続可能なエネルギーの可能性が模索されるようになりました。しかし、経済活動を含め人間の営みにエネルギーの占める役割についての理解はまだまだ十分とは言えません。
「2007年の世界的な食糧危機は鎮静したかに見えるが、またすぐに鎌首をもたげるであろう。メキシコ湾の海底油田事故は海洋環境を破壊しただけでなく、深海油田一般の将来にも暗い影を投げかけた。再生可能エネルギーのインフラ作りは加速しているが、資金繰りや設備的な問題は山積みされたままだ。世界的危機は激化し、症状は多様化しているのに、その危機の源であるエネルギーの役割についてはまだまだ理解されていない。」『未来のシナリオ(2010年、農文協)』

パーマカルチャーの経済に関する理解は、日々の銭勘定ではなく、人間社会の営みを可能にするエネルギーに基礎を置いています。そして、安価な石油が手に入る時代が終わり、下り坂にさしかかる時、それに伴う文化の変革が必要になる。そういう時代にパーマカルチャーは特に有用である。つまり、パーマカルチャーはエネルギー低減時代に必要とされる「下山の文化」であると言うことができます。
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図版2)化石エネルギーの消費量に沿う文化の大きな変遷
『パーマカルチャー:農的暮らしを実現するための12の原理』(2012年、コモンズ)より
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(安価な)原油の生産が指数関数的に増えることで、経済成長が可能になり、経済のグローバル化も可能になりました。経済がこれからも成長し続るためには原油の増産が必要になります。もし十分な原油が国際市場に出回らなければ、グローバル経済は立ち止まってしまいます。近年の世界的な金融危機、債務危機はいわゆるリーマンショックに端を発したとされていますが、それに先立つ2005年暮れ以降、世界の原油生産は頭打ちの状態が続いています。
「アメリカで金融危機が勃発する前から日本では景気後退が始まっていた。そのことだけをとっても今回の世界不況は、ここ数十年の間に起きた不況と同様、エネルギー価格の変動がもたらしたものであることがわかる。各国政府が大型の景気刺激策をとったおかげで、最悪の不況は回避されたが、ヨーロッパを中心に債券危機がじわじわと悪化していくだろう。」(前掲書)
私たちは化石燃料生産の上り坂を上り詰め、下り坂に差し掛かっています。これから手に入るのは採掘、精製、輸送などにコストがかかるエネルギーになります。これまでのように規模の拡大だけを金科玉条にする経済は立ちいかなくなります。エネルギーの下り坂には「上り坂の文化」に代わる暮らし方、生き方、経済が求められるのです。上り坂の時代には消費の拡大が経済成長につながりましたが、下山の時代は逆に消費を減らすことが幸せの増進につながるかもしれません。
たとえ、このまま下り坂にならないとしても、ヘリーナ・ノーバグ・ホッジが映画『幸せの経済学』で描いたように、経済がグローバル化したおかげで、幸せの実感は薄れています。指数関数的な成長を有限な地球環境の中でいつまでも永遠に続けることはできません。人間社会や環境、生態系全体にひずみがでるのは避けられません。目先のカネに一喜一憂する短期的な投機型経済のもたらすひずみで、社会はギシギシと悲鳴を上げています。日本でも特徴とされた「生涯雇用」は過去のものになり、派遣やパートなどの非正規雇用が当たり前になり、こうした雇用不安のため、サービス残業(無賃労働)も断れない、どんなに劣悪な環境であっても仕事を辞められないワーキング・プアが増えています。地域経済の疲弊、空洞化も指摘されていますが、TPPへの参加で、限られた数の多国籍大企業に利益をもたらす環境が整備され、地方経済の収奪はますます加速することでしょう。
国の内外からやってくる大型店や大型企業の進出で地域社会はグローバル経済に吞込まれ、地場経済の崩壊が進んでいます。現在の経済システムでは地方で使うカネは企業の本社が集中する東京に集まりがちで、地方はその購買力を自分たちの地元のために使えない仕組みになっています。地方で使われるカネはどんどんと域外へ流出していき、地方の店や企業は、もともと交換手段に過ぎない「円」が不足し、地域の中ですらモノやサービスの決済、取引ができなくなってしまい倒産が増え、駅前の商店街は「シャッター通り」になり、地方経済は空洞化します。バイパス沿いに並ぶ全国展開、どこに行ってもおなじみの大型チェーン店ばかりがにぎわうことになります。大企業や銀行は特定の地域に縛られることなく、もし不利益と判断すれば、店を畳み、支店を閉じ、工場を閉鎖し、従業員を解雇し、もっと儲かる場所を求めて移動していきます。こうして地元には「買い物難民」が生まれ、失業が蔓延し、地域経済は行き詰まってしまいます。

こうした永続できない経済の仕組みをどう変えたらいいのでしょうか。パーマカルチャーの極意の一つに「問題は解決である」があります。「災い転じて福となす」や「危機は好機」などに共通する考え方です。今の経済が自分たちに幸せをもたらさないのならば、購買力が国境や地域の外へなるべく流出しないような仕組みをデザインすればいいのです。
個人のレベルではまず必要な消費のレベルを下げることです。まったくカネを使わない生活をする人もありますが、そこまでいかなくても、家庭で食糧を生産したり、料理や食品加工をすること、家を自作したり、自分の家の補修や修繕、リフォームをすることもこうしたデザインです。パーマカルチャーにかなう経済活動です。それでも食糧を100%自給したり、家のリフォームをすべて自分の手でまかなうのはなかなか大変なことです。どれだけ家庭経済を発展させても、よそからモノやサービスを手に入れないで暮らしていくことはほとんど不可能です。その足りないぶんを補うため、近所や地域社会からモノやサービスを手に入れる必要が生まれます。そこから取引や交換が生まれ、地域社会の中で経済活動が始まります。たとえば近隣の農家から野菜を直接、定期的に買い入れることもパーマカルチャー的な経済活動です。これからの時代の経済をデザインする際には、昔ながらの相互扶助にもとづく経済が参考になります。
地方の中小企業や店を支え、地域経済を活性化させるツールには地域通貨や補完通貨があります。これらの通貨は「円」や「ドル」のような中央銀行が発行する法定通貨とは違い、特定の店や商店街、特定の村や町、特定の催しなど、特定の地域でしか使えません。ポイントカードなども一種の補完通貨とみなすことができます。地域通貨は使える場所が限定されることで、地域の中に「富」をとどめ置き、循環させる働きがあります。
たとえば、ドイツのバベリア地方、バイエルン州のキームガウを中心に、地場経済の振興、市民活動の支援を目的に導入されたキームガウワという地域通貨があります。2003年に導入されて以来、現在では3300人の会員、600の企業を抱えるまでになりました。11年には620万キームガウワ(ユーロと等価交換なので620万ユーロ=約6200万円)が取引されたそうです。同じ年に発行された金額が55万キームガウワですから、地域通貨が地域の中で循環する様子がこの数字からもわかります。
また、イギリスではイングランド南西部の港町,ブリストルでは12年の9月にブリストル・ポンド(£B)という地域通貨が導入されました。イギリスで8番目に大きな都市で、周辺の町を合わせた人口は約56万人を対象に導入された£Bは「イギリス最大の地域通貨」として注目を集めています。イギリスではこれまでにも住民の環境意識が高いとされるストラウドなどで地域通貨が鳴り物入りで導入されたが、あまり根付かなかったという歴史があります。果たして£Bがキームガウワのように根付くのかどうかはわかりませんが、すでに14万£B(ポンドと等価交換なので約2030万円)が市場に出回り,来年には600万£Bの取引を目指しているそうで、滑り出しは好調です。
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図版3)ブリストル・ポンド紙幣
Bristol Pound-Our City, Our Moneyより)
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B紙幣には地元意識を掻き立てるようにブリストルの名所や郷土の偉人が描かれています。それぞれのデザインは公募で選ばれ、20£B紙幣には地元の10才の子供の絵が採用され、裏面には地元の飛行機工場で開発された超音速旅客機コンコルドが描かれています。5£B紙幣にはグラフィティ・アーテイストのバンクシーが登場します。しかもこれらの紙幣には本物のポンド札より偽造しにくい工夫が凝らされているそうです。
Bの特徴はこうした目に見える部分にとどまりません。£Bの発行、決算は地元のブリストル信用金庫が担当し、そこに保有されるポンドが法定通貨との交換を保証します。行政の取り組みもこれまでに見られない積極的なもので、市の公務員は給与の一部を地域通貨で受け取ることができます。昨年11月に市長に当選したジョージ・ファーガソンは自分の給料を全て£Bで受け取ることを公約に掲げました。£Bは参加する350の店や企業にとどまらず、美術館など公共の施設で利用できるほか、地方税や電気料金の支払いにも使えます。行政がこれほど積極的に関わる地域通貨はイギリスでも初めてでしょう。
Bのもうひとつの大きな特徴は、ケータイやオンライン決済にも使えることです。クレジットカードやデビットカードを持たない人も地方通貨を使った電子決済ができ、事実、£Bの取引の半分は電子決済だそうです。こうした使い勝手のよさも£Bの人気につながっています。

このような地域通貨や補完通貨という法定通貨以外の「別なカネ」のほかに、カネそのものを介在しない経済を目指すタイムバンキングという取り組みもあります。これは、どちらかと言うと、モノよりもサービスの交換を主眼とするシステムです。労働やサービスの取引は働いた時間に「時給」をかけ、カネに換算して行われがちですが、このシステムでは労働やサービスをカネに換算せず、がかかった時間で交換されます。地域社会の活動の手伝いから、ショッピング、ペットの散歩、家庭教師、楽器を教える、高齢者支援活動、散髪、オフィス仕事の手伝い、タイピングなど様々なサービスが直接、時間で交換されるのです。
たとえば、タイムバンクを併用するカフェにはふたつのメニューが用意されています。ひとつは現金のみの支払いメニューで、もうひとつは支払いの半分を現金、残りはタイムバンクによる支払うものです。店側は受け取った現金を仕入れや賃金に充てることができます。カネのない人はそのカフェで仕事をするという形で、自分の食事代を半分払うことができるというシステムです。タイムバンキングに取り組むグループがイギリスには100、アメリカには80あり、日本でも1970年代前半に「時間預託」という言葉で取り入れられ、社会福祉の現場を中心に44のシステムがあるそうです。奉仕活動やボランティアをとおし、社会参加が促進されることに着目し、行政が積極的に関わる事例もあちこちにあり、オーストラリアのニューサウスウエールズ州政府はニューカッスルで12年8月からこのシステムの実験に取り組んでいます。
このように行政や信用金庫などが「別な経済」作りに積極的に関わることは、これからの時代にますます増えていくことでしょう。そうして見ると、「中小企業金融円滑化法」などという形でカネが集中した場所から正当な分け前を要求することは当然ですが、それ以外にも地場の中小企業を助け、地方経済を活性化し、地域社会に活気を取り戻す方法はたくさんあります。経済について、これまでの固定観念の枠の外へでて、眺めてみることで、これからの道筋が見えるかもしれません。
パーマカルチャーの倫理や原理は伝統的な暮らし方から学んだものもあれば,現代社会の中に数多く存在する「無意識の実践者」から学び、抽出されたものです。社会の中にはパーマカルチャー的な装置がたくさんあります。それは村の古老の手に残る伝統的な技術や工夫かもしれません。それぞれの土地における作物の作り方かもしれません。水を貯める方法、近隣社会のしきたりなどもそうです。金融や経済においては信用金庫のように属地的な金融機関がそれにあたるかもしれません。地域に根ざし、地域から動けない信用金庫はエネルギー危機、気候変動、経済危機を迎えて地域社会の再構築を急がなければならない時代にますます、その真価を発揮するはずです。ブリストルやキームガウのように信用金庫がパーマカルチャーの「意識的な実践者」になれば、地域経済の復興に大きな役割が果たせるかもしれません。

(月刊『信用金庫』2013年5月号)
http://www.kikanshi.net/archives/263/

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