Tuesday, December 21, 2010

ピークと英国/The poms are getting serious.

英国のエネルギー担当相、クリス・フーンは12月16日に放送されたラジオのインタビューでオイルピークに言及し、それが国の舵取り、政策立案に影響を与えるとしています。

「アブラがいつ頂上を越し、生産が減りだすのか、しっかりとはわからない。しかし、国としては、こういうような市場に首根っこをつかまれるようではまずい(...we don't know when exactly the oil is going to start peaking and production is going to start running down, but...we don't as a nation want to be putting ourselves in hock...to these sorts of markets...)」

BBCのラジオ4、トゥデイという番組の中での発言です。
(引用した発言は2分15秒目くらい)

現職の大臣や首相がオイルピークに言及することはまれです。現職の首相ではニュージーランドのヘレン・クラーク首相が2006年4月に言及しているくらいでしょうか。英国ではブレア政権の環境大臣を務めたマイケル・ミーチャーがピークについて発言していますが、現職ではありませんでした。

今年の3月、時のブラウン内閣のエネルギー担当相がピークに関するサミットを開き、ピークの論客、クリス・スケボウスキーやトランジション運動の創始者、ロブホプキンスを招いて意見を聞きました。おっかなびっくり、問題を聞くということで、それがすぐ政策に反影されることはありませんでした。だから、現職閣僚ではたぶんはじめてではないでしょうか。

ピークの時期については、あの保守的なIEAですら、フツーのアブラのピークは2006年だったと過去形で語っているのですから、もっと踏み込んでもよかったかもしれません。しかし、少しずつではあれ、政策担当者の意識が変わっていることは事実です。

英国でここまでピークに関する意識が高まっているのは偶然ではありません。英国はわずか10年ほど前には、イランやクゥエートと肩を並べるアブラ輸出国でした。それが虎の子の北海油田がピークを前のばしして、絞れるところまで絞ってしまったためか、いったんピークに達したあとは恐ろしい勢いで減耗しています。1980年以来25年ぶりにアブラの輸入国になったのはつい5年前のことです。(ブレアと石油参照)

英国では産業界においてピークを死活問題としてとらえ、ピーク・オイル・タスクフォースが結成され,真剣な取り組みも始まっています。これにはバス会社のステージコーチやリチャード・ブランソン率いる航空会社のバージンなど運輸輸送会社だけでなく、ソーラーセンチェリー(英国一の太陽エネルギー企業)などのエネルギー企業が参加しています。

早くからこの問題に関心があり、労働党内閣の再生可能エネルギー諮問委員も務めた(2002年〜06年)ジェレミー・レゲット(日本でも『ピークオイル・パニック』が邦訳出版されている)あたりが中心になっているのでしょう。

いわば、英国はピーク以後の時代にすでに突入している、ピークは際物でも「説」でも傍流でもない。左翼やユダヤの陰謀でもない。それに関して産業界でも取り組みが始まっている、政治の場でもそれなりの興味を引いてきた。今回のエネルギー担当相の発言もそうした理解が世間一般に広がっていること、切羽詰まってきたことが反映されただけなのかもしれません。

日本はどうなのでしょう。まだ、そこまで切羽詰まっていないのかな。それとも自分たちは大丈夫だと思い込んでいるのでしょうか。代替がきっと見つかるだろう、なぜだかわからにけど、そういう期待があるのかな。企業にも政府にも、国民の間にもそういう気持ちがあるのかな。どういう理由にせよ、オイルピークが国会で取り上げられたと聞いたことがありません。企業人でピークを理解している人もあまりいません(数少ない例外はアシスト社のビル・トッテンくらいかな)。

金儲けにあくせくするのもいいけど、真剣に未来のシナリオを考えたほうがいいんじゃないかなあ、という気もします。

Sunday, December 19, 2010

へんてこな連中がまたふたり/Somebody's had too much to think.


Muddleheaded Wombatの作者、Ruth Parkが死んだ。30以上のオーストラリア人ならこの話を聞かずに育ったガキはいないんじゃないかな。自分のガキがまだ小さかった頃、一緒にウォンバット本をよく読んだっけ。へんてこ言葉が楽しい本だった。本当に。あいつ、覚えてるかな。

Captain Beefheartを名乗り、いかした音楽をやっていたDon Van Vlietが死んだ。まだ小さい頃よく聞いたなあ。1982年に音楽からすっぱり縁を切り、絵描きになってたから、音楽家としてはもうずっと「過去の人」だったんだけど、やっぱりなあ。

BBCが1997年に制作したドキュメンタリー

80年代の始め、シドニーの町中にはキャプテンのようにかっこいい音楽をやりたがる連中がゴロゴロしてたっけ。まだ20歳だったライ・クーダーが彼のMagic Bandに参加したとか、ビートルズが入れ込んでいて自分たちのザップル・レーベルと契約させようとしたとか、まあ、それなりに知られてはいたけど、たいていの人は知らないだろうなあ。

ふたりともたいていの人は知らないだろうなあ。だから死んだって聞いても驚きもしないし、悲しむことなんてないよね。今日はキャプテン・ビーフハートのアルバムを聴きながらウォンバット本を引っ張りだして読もうかな。

狂牛、狂大豆/It's a very, very, mad world.

狂っていくのは牛だけではなく、大豆もおかしくなっているようです。

年間約6千万トン、世界全体の大豆の1/4を生産するブラジルで大豆が狂牛病ならぬ狂大豆病にかかっていることを農業情報研究所が伝えています。


写真はWake-up Callより転載

この病気にかかった大豆は生育が止まってしまい、上の方の葉っぱが少なくなり、茎は太く変形してしまう。葉の色は濃く、枯れず青いままで、実が入らないまま、枯れてしまうそうだ。原因は狂牛病同様、今のところ不明で、対策もない。幸いなことに、大豆さび病に比べれば感染性は弱く、病気にかかった大豆が直接触れない限り、他の株への感染の恐れはないそうです。

今年、8月頃からの報道を総合すると、狂大豆病は同国の大豆の3割を生産する内陸中西部のマット・グロッソ州で発見された。この病気はこれまでにも熱帯の産地で時々見られることはあったが、現在は温帯の畑にも広がっているそうで、4割から6割の収量減になるかもしれないと見られている。

原因については真菌や細菌ではなく寄生生物によるものだという報道もあるが、グリフォセート除草剤が関係しているのではないかという関係者が多い。グリフォセート除草剤はラウンドアップなど遺伝子組み換え作物の除草に使われる。アメリカ農務省の世界農業情報ネットワークによれば、ブラジルにおける大豆の作付け面積は2400万ヘクタール。植えられる大豆の8割近くが遺伝子組み換え種である。また、遺伝子組み変え大豆は不耕起栽培され、雑草は除草剤まかせになる。大豆に障害を起こすペストや病原菌もそのまま土のなかに残り、繁殖する可能性がある。グリフォセート除草剤や遺伝子組み換え植物を何年も研究した学者によれば、狂大豆病は驚くことではなく、これまでにグリフォセート除草剤使用が原因と見られる新種の病気の数はすでに40を越すそうで、その数は増加中だ。

(グリフォセート除草剤の原料であるリン酸がピークを迎えたことについては「リン酸ピーク」を参照)

牛や大豆が狂ってしまうのは症状に過ぎない。本当にいかれているのは人間社会のようだ。

TPPについて私が知っている二、三の事項/Deux ou trois choses que je sais d'elle.

日本ではTPPに関する議論があれこれ続いています。これについて、ふたつほど。

ひとつは歴史的な認識。このごろはTPPですが、これまでにも「貿易自由化」の流れがあったわけで特に目新しいことではない。この自由化を世界的にやろうとした交渉はすでに2003年にメキシコのカンクンで決裂しています。これをホルムグレンは『未来のシナリオ』のなかで「グローバル化の果実を維持しようとする大企業の最後の絶望的なあがき」だったと言っています。「最後の絶望的な」というのは、もちろん、人類の手にできる化石資源エネルギーの量がどんどん減っていく時代だということで、国際的な信用に基づく交易体制も変わっていくだろうし、資源ナショナリズムも当然出てくるだろうからです。資源獲得を巡る「国境紛争」があちこちで起きているのも偶然ではありません。

TPPにしてもそういう変化の時代の文脈で読む必要があります。これからも世界貿易体制がずっと続いていくのかどうなのか。そういうことを検討せずに、当然これからも世界貿易体制がつづくものだと考えて議論を進めてしまうと、変化の時代には通用しないかもしれません。

ふたつ目はもっと細かいことになりますが、果たして自由貿易はそれほど得なのかということです。

オーストラリアには生産性委員会という独立研究機関が政府のなかにあり、これが12月13日、自由貿易協定について報告書を発表しています。ケーススタディとして自由貿易を考える際に参考になるでしょう。

オーストラリアは83年にニュージーランドとの間で自由貿易協定を締結して以来、90年代、ハワード政権の時にシンガポール、タイ、アメリカと協定を結び、ラッド政権ではこれにチリとASEANが加わり、現在は6つの国、地域とのあいだに自由貿易協定を結んでいます。日本だけでなく、中国、マレーシア、インドネシア、湾岸協力会議(GCC)、太平洋諸島フォーラムとのFTAを現在、交渉中です。

生産委員会の報告書はその6つの自由貿易協定に関して、これが果たしてオーストラリアのためになっているのか、一年かけた研究に基づくものです。400ページもある報告書、最初の要約を読んだだけですが、それによれば、自由貿易は二国間のものであれ、ASEANとのあいだの地域協定であれ、コストばかり高くついて、いわれたような利益をもたらしていない。自由貿易協定を結んだからといって、必ずしも貿易拡大や経済成長につながるわけではない。「メンバー国間の貿易が拡大し、域外よりも急速に拡大したという証拠はない」としています。新しく自由貿易に合意する前に、貿易活性化、投資の保護、基準の相互認証などのようにコストが安くて、もっと効果のあがる策を検討するべきだと勧告しています。

自由貿易協定の恐ろしいところは、モノやサービスに関する直接的なカネのやり取りだけにとどまらないことです。13日付けの日経には「毒素条項」という毒々しい見出しでこの種の自由貿易協定につきものの条項について記事がありました。TPP大賛成の新聞にしては珍しい記事です。オンラインでは全文を読むことができませんが、できれば、ぜひ、読んででください。「毒素条項」がどんなものであるのかは、このログに簡単にまとめられています。

この「毒素条項」のなかで、生産性委員会も言及しているのはInvestor State Dispute Settlement(ISDS)、国対投資家の紛争解決、です。ISDSは別名「NAFTA(北米自由貿易圏)の11章」とよばれ、投資家がパートナー国の政策により被害を被った場合、訴訟を起こすことができ、その投資家が買った場合、パートナー国は損害賠償をしなければならないという条項です。

NAFTA加盟国のカナダの事例が、2005年のものですが、PSI加盟組合日本協議会のサイトで報告されています。これによれば、カナダではNAFTA発足以来10年の間に10件の訴訟があったそうですが、すべてはアメリカ企業が「カナダの一般市民を保護する法律、たとえば、環境保護条例、有毒廃棄物輸出禁止法、カナダの水を保護する法律などが差別的であると主張」し、政府を訴えたものだそうです。

オーストラリアがこれまで結んだ自由貿易協定にはアメリカのものも含め、ISDSは含まれていませんでした。しかし、TPPでは持ち出される可能性があります。生産性委員会の報告書も、ほかはともかく、これだけはだめだと勧告してます。主権国家が国民のために政策を導入すれば、訴えられ、国民の血税がぶんどられてしまう。まさに主権に関わるような条項ですから当然です。

日本における議論では、TPPはアメリカが一人勝ちするだけだというような意見も見られます。

しかし、自由貿易はアメリカにとっても国益にそわないという報告もあります。

アメリカと自由貿易協定を結んだ17の国との貿易について、パブリックシティズンが今年の9月に出した報告書は、オーストラリアの生産性委員会と同じように、自由貿易がアメリカの利益になっていない、協定を結んでいない国との貿易の方が伸びている、など否定的な内容です。また、ISDSによる主権侵害に関しても、パブリックシティズンは警鐘を鳴らしています。

つまるところ、自由貿易はアメリカであれ、オーストラリアであれ、どこの国の経済にとっても利益を出さないばかりでなく、どこの国の主権も侵害されかねないものかもしれません。

日本ではTPPの議論が農業がああだこうだということに偏りがちです。

もちろん農業についての議論も大切ですが、まず、果たして世界貿易はこれからも続けていけるものなのかどうか。そして、広く自由貿易というものの功罪について議論することが必要なのではないでしょうか。

Thursday, December 16, 2010

チェルノブイリへようこそ/Greetings from Chernobyl

chernobyl.gif
(バニティフェアより転載)

CNNバニティフェアなどによれば、ウクライナがチェルノブイリ原発を正式に観光地として開放することに決めたそうです。バロガ非常事態相によれば、これまで立ち入り禁止になっていた、原発周辺の半径30キロ以内が12月21日から開放されるそうです。これまでも夏の間は管理当局公認のガイドによる短時間の観光は可能だったようですが、もっと大々的に客を誘致することを考えているようです。
第4号炉の炉心が溶解し、ヨーロッパだけでなく地球全体に放射能を振りまく史上最悪の原発事故以来、来年4月で25年になります。科学者によれば、再爆発の危険はないようですが、「原発には推定180トンといわれる放射性物質が閉じ込められており、それがどんな状態であるのか未だにはっきりしない」とのこと。
先週日曜にバロガといっしょに一般公開前のチェルノブイリを視察した国連開発プログラムのチーフ、ヘレン・クラーク(元ニュージーランド首相)は「個人的には、こういうことがあったと伝えることは大事であり、悲しいことには違いないが、それを伝えることが大切で、経済的な利益にもなる」と今回の提案を歓迎しています。

ちなみにお値段の方は、カナダの旅行会社によれば、100キロ離れたキエフから日帰り旅行で150ドルくらいとのこと。日本の原発推進派の人はぜひツアーを組み見学にいかれたらいいのではないでしょうか。もう、待ちきれないという人にはエレナという近所のウクライナ人がカワサキの大型バイクで出かけた報告がありますので、ぜひご覧ください。廃墟好きには堪えられない光景が並んでいます。また、緊縮財政のおり、日本政府もウクライナに倣い東海村だとかもんじゅや柏崎などの事故現場を大胆に観光地にしたらいかがでしょう。

Sunday, December 12, 2010

新たな高み/(What will you do) After the News?

世界の液体燃料生産が新たな頂上に到達しました。
国際エネルギー機関(IEA)が10日に発表した数字によれば、今年11月、世界全体では日産8810万バレルのアブラが生産されました。これは、2008年7月の記録を更新し、人類史上でかつてない規模の液体エネルギーが生産されたことになります。

2008年7月には原油価格が1バレル150ドル近くまで上がり、それが世界の金融危機の引き金になりました。原油の値段はその後、一時40ドル近くにまで下落しましたが、各国政府が税金を投入し、景気回復にともない、アブラの需要も増えて来ています。やはり10日には、ここ2年で最高の値をつけました。



スチュワード・スタニフォードのEarly warning より。

この数字で注意しなければならないことは、この数字は原油(プラスコンデンセート)のみの数字ではないことです。アブラというと世間一般では原油をイメージしますが、この数字にはそういう「在来型」の原油だけではなく、カナダのタールサンド、ベネズエラのオリノコ超重質原油など「非在来原油」も含まれます。それだけではありません。液化石炭、液化ガス、エタノールなどの人造石油も入っています。

「非在来」や沖合深海油田、人造石油に共通するのはEroei(エネルギー収支)がきわめて低いということです。Eroeiについてはあまり理解されていませんが、簡単にいえば、エネルギー投資とエネルギー収穫の割合です。どんなエネルギーを獲得するためにもエネルギーを使わなければなりません。この効率が悪いと、社会が獲得できるエネルギーもかなり下がってしまいます。1930年代あたりの油田では、1のエネルギーを投入して100のエネルギーを獲得することができました。それが1対30になり、最近の油田は1対15くらいだそうです。かなり落ちてきたとはいえ、人造石油などに比べればかなりましです。



D.ホルムグレンの近刊、『未来のシナリオ』より転載。

つまり、味噌も糞も一緒にして液体燃料をすべて含めた数字で見ると人類はこれまでにない量のエネルギーを獲得したということです。しかし、エネルギー収支という質のことまで考えると、実際に使える正味のエネルギーはそれほど増えていないのかもしれません。

Friday, December 10, 2010

『未来のシナリオ』の表紙/How the Future Scenarios look like.



今月発売予定の『未来のシナリオ』の表紙です。帯がつくとこんな感じ。



よろしく。はい。

Thursday, December 09, 2010

アサンジェ氏について公開書簡/Open letter re. Assange

米外交公電の公表以来、内部告発サイト「ウィキリークス」が追いつめられています。米インターネット通販大手のアマゾンからサーバー貸し出しが打ち切られてしまってから、ほとんど閲覧できなくなってしまいました。ネットには言論の自由なんか存在しないことをあらためて感じさせます。
米決済サービス大手「PayPal」の寄付金送金業の務取り扱いが停止され、カネの流れも止められてしまいました。創設者のジュリアン・アサンジェ氏がスイス郵便銀行にもっていた口座も閉鎖されてしまいました。また、女性に暴行した疑いでアサンジェ氏は国際指名手配中です。

25万点を超える公開文書のうち、在日大使館からの資料が3番目に多いそうで、「武器禁輸の見直し」を米政府が要求していたことなども明らかになっています。まあ、日本の外交関係者はウィキが見えなくなり、秘密の外交電がまた見えないようになってくれたらいいなあと願っているのではないでしょうか。
WSJの日本版で、いくつか、日本関係の公開文書を読むことができます。

(もし、ウィキリークをを見られる場所があったら、こっそり教えてくださいね)

アサンジェ氏の出身国のオーストラリアでは著者、編集人、文化人、法曹人や政治家などが中心となり、彼の身の保護と公正な取り扱いを首相に求める公開書簡が出されています。

以下は国営放送ABCのウエッブサイトに掲載されたものの翻訳です。
わずか1日半で集められたそうですが、オーストラリアを代表する名前が並んでいます。政府はともかく、公平さを尊ぶ気質は根強く残っているようで、うれしくなります。

ーーーー
以下に署名するものがこの公開書簡を出すのは、ジュリアン・アサンジェ氏には法治国家で認められる保護をオーストラリア政府から受ける権利があるからです。オーストラリア政府にはアサンジェ氏がそれを享受できるように取りはからう義務があります。
署名は、出版界、法曹界、政治に関わる人を中心に一日半で集められたものです。ウィキリークスやそのやり方にについては署名したものの間にもさまざまな見解があります。しかし、アサンジェ氏が公平な取り扱いを受けるべきだという点では一致しています。

この書簡に書名をしたい人はまだたくさんいると思います。しかし、事態の火急さを考えると、たくさんの書名を集めることよりも、先に公開することが得策であると考えました。
これを読んだ方で署名に加わりたい方は、ぜひとも下記のコメント欄に自分の名前を残してください。
ーーーーー
親愛なる内閣総理大臣、

私たちはウィキリークスのジュリアン・アサンジェ氏に向けられる言動が度を超して過激になっていることを憂慮しています。



「我々は、アサンジェ氏をほかの価値の高いテロリストと同等に扱うべきだ。殺してしまえ」ワシントンタイムズの保守的なコラムニスト、ジェフリー・T・クーナーはそう書いています。

ダン・クエイル副大統領の元チーフ・スタッフのウィリアム・クリストルはこう言っています。「ジュリアン・アサンジェや彼の協力者がどこにいようと、ありったけの力を使って、嫌がらせをしたり、ひったくって、制圧しちゃうことがどうしてできないのだろうか?」

"なぜジュリアン・アサンジェはまだ生きているのだろう?"著名な米国の評論家ジョナ・ゴールドバーグは問いかけます。

"CIAはジュリアン・アサンジェを血祭りにしてなきゃおかしい"ライト・ウィング・ニュースのサイトでジョン・ホーキンズ氏は述べています。

大統領候補の呼び声の高いサラ・ペイリンは、アサンジェをアルカイダの指導者と変わらないといいます。元ペンシルバニア州の上院議員でやはり大統領候補の一人と噂されるリック・サントラムはアサンジェの"テロ"を非難します。

このような例には枚挙にいとまがありません。

こうした言辞をただ大言壮語として見過ごすことはできません。この10年間、私たちは、'囚人特例引き渡し'(すなわち誘拐)から'強化尋問'(すなわち拷問)にいたるまで、それまではとても想像することができなかった超法規的措置が当たり前になることを見てきました。

こうした背景を考慮すると、アサンジェ氏の安寧に重大な懸念を持たざるを得ません。

ウィキリークスをめぐる政治的な論争に関係なく、アサンジェ氏には身の安全が保障されるべきであり、もし、法の裁きを受けなければならないとしたら、それは正当な手続きをふんで行われるべきです。

内閣総理大臣もご存知の通り、アサンジェ氏はオーストラリア国民です。国民の一人であるアサンジェ氏に対する身体的危害を呼びかける脅しが、個人から発せられるものであれ、国家からもたらされるものであれ、オーストラリア政府を代表し、あなたが糾弾してください。アサンジェ氏には当然認められる権利があり、保護を受けられるようにすることを、オーストラリア政府を代表し、あなたが確約してください。

私たちは総理大臣にオーストラリアは政治的なコミュニケーションの自由を保証することを再確認していただきたい。アサンジェ氏の旅券をそれが必要であるというしっかりした証拠もないのに失効させるようなまねは差し控えてください。アサンジェ氏に支援と擁護を与えてください。そして、彼に対して取られる法的措置は、法律と公正な手続きという原則に則るよるものであることを確認するために全力を挙げてください。

あなたがこれらのことを述べてもまったく問題にはなりません。それは民主主義と法治の原則を再確認するだけに過ぎないのですから。

この件はアサンジェ氏とウィキリークスだけの問題ではありません。もっと大きな意味を持つ、分岐点になるのではないかと思います。問題のある文書を公開したり配ったりするものは殺すぞと脅かされ、沈黙を余儀なくされることは世界のあちこちで普通に起きています。アサンジェ氏(アムネスティインターナショナルのメディア賞の受賞者)に対する暴力の脅しがまかり通るならば、英語圏で不穏な先例が新たに確立されることを意味します。
この大切な時に、あなたとあなたの内閣が毅然とした宣言をびしっと出すことは大きな違いを生むに違いありません。

あなたからのお返事をお待ちしております。
ーーーーー

アサンジェ氏は英ガーディアンのサイトを通し、さまざまな質問に答えています。この応答、今ではもうできないようですが、なかには、オーストラリア政府の追米な対応をちくりと批判する部分もあります。

「首相やマクレランド法相は自分が帰国できないというだけでなく、米政府が自分や自分のスタッフを攻撃するのに積極的に加担することを明らかにしている。これじゃオーストラリア国民であっても何の意味もないじゃないか」

石炭ピーク(は思ったより近い?)/Peak Coal may be around the corner.

中国が金融引き締めに転換というニュースが世界を駆け巡っています。たとえば、12月4日付けのasahi.com。アメリカでは失業率が悪化し、ヨーロッパでは主権国家の債務危機が収まらず、日本の好況も「エコなんとか」補助金(税金)というバイアグラが頼りなので、世界経済の回復は中国やインドなどにかかっています。
エコといえば、こういうニュース報道に接すると巷で大はしゃぎするわりに、生態系についてまったくわかっていないなあと感じないわけにはいきません。すべての生態系は基礎となるエネルギーの制約を受けるもので、人類の経済、政治や文化も同様にエネルギー源の制約を受けるということです。人間の生活や経済を律する「見えざる手」は市場ではなくエネルギーなのです。
そういう純粋にエコな視点から見れば、12月4日のニュースはすでに予想可能なことです。中国の経済成長のエネルギー基盤は石炭です。1800億トンといわれる埋蔵量の石炭を掘り出し、燃やすことで中国経済は発展してきました。1950年には年間1億トンほどの生産、消費でしたが、世界の工場となり、世界経済のエンジンルームになったこのごろでは年間30億トンの石炭が消費されています。中国の発電の8割は石炭でまかなわれています。世界的に見れば石炭消費の5割は中国です。中国(そして世界)の経済は(中国の)石炭にかかっています。

[caption id="attachment_76" align="aligncenter" width="300" caption="中国の石炭生産と消費"][/caption]

グラフはtheoildrumより転載

[caption id="attachment_77" align="aligncenter" width="300" caption="中国が世界の石炭消費に占める割合"][/caption]

グラフはtheoildrumより転載

ウォールストリートジャーナル紙は11月16日付けで中国国家エネルギー局(National Energy Administration)の張国宝(Zhang Guobao)局長の発言を引用し、中国政府は次の5カ年計画(2011年から2015年)で石炭の国内生産に36から38億トンの上限を設けることを検討していると報道しました。引用元の新華社通信の記事は見つかりませんでしたが、上限を設ける理由について、WSJは国内の炭坑では年10%で上昇する石炭需要を賄うことが難しくなっているからだとしています。毎年10%近い成長を続けてきた中国経済ですが、これからは国内の石炭だけでどうやらまかないきれない、減速せざるを得ない、そういう苦しい台所事情が今回の金融引き締めの裏にあるのです。

BPの世界エネルギー統計によれば、中国の石炭生産は2009年には30、5億トンでした。これが年率10%ずつ伸び続ければ2011年には前述の36億トンに達してしまいそうです。
しかし、年率10%といえば,7年で倍増することになります。つまり、このままいけば2017年頃には現在世界全体で燃やすのと同じ60億トンの石炭を中国一国で消費することになります。そんな成長率を維持できるわけがない、それが今度の金融引き締め発表の裏にあるのではないでしょうか。ドイツのエネルギーウォッチグループの研究(2006年)では中国の石炭はすでに分水嶺を超えたと見ています。
[caption id="attachment_82" align="aligncenter" width="300" caption="中国の石炭(2006年エネルギーウォッチグループの研究)とその後の生産"][/caption]
しかし、ここ数年の生産はその予想をはるかに上回る勢いで拡大しています。エネルギーウォッチグループの計算よりも埋蔵量が大きい可能性があります。また、石炭だけでなく、ピーク以前にピークの時期を予測する、また、埋蔵量を予測することが如何に難しいことであるのかと言うことも同時にこのことからわかります。
しかし、ここ数年の生産だけを見て、中国の石炭埋蔵量が格段に多いだろうと結論することもできません。それは英国の北海油田の減耗を見てもわかるように、進歩した技術や桁違いの投資をすれば、ピークの時期を先送りすることは可能になります。しかし、その代償はピーク以降の急激な減耗です。
北海油田の2002年から2008年にかけての減耗率は年率6.7%です(それに相当する時期の米本土48州の減耗率は3.9%)。中国が同じように石炭を絞れるだけ絞っているならば、ピーク以後、生産は急にがくんと落ち込むことでしょう。中国を当てにする世界経済への影響は深刻です。
ピークに達していないにしても中国で石炭が不足すれば国内経済、そして世界経済は減速を余儀なくされます。中国は不足分を輸入で補い、経済成長を維持することも考えられます。2007年までは輸出国だった中国も今では石炭の輸入国です。人民日報によれば、2009年には国際市場で取引される石炭の1/5にあたる1億2千6百万トンを中国は輸入しています。今年は1月から5月までで、すでに7千万トン近い石炭が輸されています。オーストラリアなどの石炭輸出国にとっては朗報かもしれませんが、石炭の価格上昇は避けられません。そして、オイルピークに続き、石炭価格も上昇すれば、商品価格の上昇に跳ね返ることは間違いありません。数年前にリチャード・ハインバーグが言ったように、オイルピークは「すべてのピーク」を引き起こします。

ハインバーグはデビッド・フリッドリーとの共著で「ネイチャー」誌の11月18日号に「廉価な石炭時代の終わり」という記事を発表しています。全文は購読者でないと読むことができませんが、その要約はふたりが関わるポストカーボン研究所のサイトで読むことができます。
オイルピークをかじったことのある人なら、この記事のタイトルは1998年にサイエンティフィック・アメリカン誌に掲載され、以後のオイルピーク論争に火を付けることになったキャンベルとラエレールの論文「廉価な石油時代の終わり」を意識していることに気付くでしょう。
石炭はとてつもなく膨大な埋蔵量があり、気候変動がどうだとかこうだとか、炭素隔離の導入があろうがなかろうが、オイルピークの影響で石油が安く手に入らなくなれば、当然そちらにシフトしていくだろうと思われています。石炭火力発電の拡大が可能であり、石炭液化が真剣に論議されるのも、石炭がたくさんあると思われているからです。しかし、それが本当にそんなにたくさんあるのだろうか。廉価な石炭はそれほど残っていないのではないか。著者は問いかけます。
石油と同じで石炭の埋蔵量についても、その質や獲得の難易を計算に入れなければなりません。埋蔵量の数字も、やはり石油同様、疑ってかかるべきなのかもしれません。しかも埋蔵量が巨大であっても、それがそのまま生産量の増加につながるわけではない。例えば、アメリカには2400億トンの埋蔵があり、現在は年間10億トンの使用だから少なくとも200年以上は持つだろう。なんて考えがちです。石油の場合もそうですが、人間というのはより良い品質のものをできるだけ近いところから採掘するものです。石油についてならば、自噴する油田、しかもマーケットに近いところから手をつけるもので、わざわざ最初からオリノコ川沿いの石炭のいとことも呼ばれる低質な油や、海面下何千メートルの海底油田になんか手をつけたりはしません。石炭も同様で、最初に掘り出すのは安くて質がいいものです。たとえこれだけの埋蔵が現実にあったとしても、そのなかには掘り出すに値しないものや、掘り出せないものもあることでしょう。
通常原油がIEAが認めるように2006年に達したとすれば、ほかのエネルギー源にしわ寄せがいくのは十分に理解できることで、とりあえずは天然ガスと石炭の需要が急増するだろうと予測されています。しかし、このふたつも有限な資源であり、それぞれの生産ピークはそれほど遠いことではないのかもしれません。

トンデモな時代の幕開け/Welcome to the brave new world

人間の必要はよく衣食住と言われます。どれも大切なものですが、食べることは毎日毎日のことで、それをやめてしまえば、何日かで生死に関わる問題になります。食べ物を生産したり獲得することは生存にかかわる基本的な権利なのです。
その食料は現在、どんな形で生産されているのでしょうか。農業に関わる人口は日本など先進国では1割以下になっています。つまり、たいていの人が自分の生死に関わる作業を誰かにゆだねているわけです。
スーパーの棚を見れば、軒並みアメリカ産、オーストラリア産、ニュージーランド産、チリ産、ノルウェー産などの鮮魚や肉、野菜が並んでいます。加工食品の原料を見ていけば、それこそ、世界中からの産品が詰め込まれています。これらの食品を生産したり、加工したり流通する作業はどんどん企業がやるようになっています。頭がくらくらしてきます。まあ、これがフツーだと考えれば、TPPもFTAも仕方がない、当然の流れだってことになるのでしょう。でも、これは本当にフツーなのでしょうか。かなりトンデモなのではないでしょうか?
映画「フード・インク」は、こういうトンデモな現在の他人まかせ、企業まかせの食のあやうさを描く作品です。企業は金儲けのためならば、何でもやる。放っておいたら大変なことになる。
この映画の共同制作者でもあり、作家のエリック・シュローサーは今年7月24日付けのニューヨークタイムス紙の意見欄
「アメリカでは毎日20万人の人が汚染された食品のおかげで食中毒にかかっている。毎年、食中毒で病院に運ばれる人は32万5千人にも上る。そして、2003年以来、イランやアフガニスタンで殺されたアメリカ兵とほぼ同じ数の人間が毎年食中毒で命を落としている」
と書いています。

じゃあ、どうしたらいいのか。

11月29日、アメリカでは食の安全管理を強化する目的で食品安全近代化法案(S.510)という法案を上院本会議に上程するための討論終結決議(Cloture vote)の投票が行われ、74対25で可決されました。

アメリカの立法の過程はそれほど詳しくないので、間違っているかもしれませんが、調べた限りでは、このあと60日以内に上院本会議で、さまざまな修正が加えられ最終的な投票になるようです。今回の投票結果から見て可決されるのは間違いないでしょう。
そのあとは、すでに下院ではs.510の下院バージョンである食品安全強化法(H.R. 2749)が2009年の7月に283対142の圧倒的多数で可決されているので、両院の法案がすりあわせられたあと、大統領の署名を受けて発効ということになります。

この法律の根幹は役人が食の安全に目を光らせるということです。監督官庁である食品医薬品局(FDA)が食品の安全を決め、違法なものはびしびし取り締まる。前述のシュローサーの記事も、汚染食品が出回るのはは企業に問題があるからで、それを監督する官庁の権限が強めればいいとS.510の早期法制化を呼びかけています。

しかし、それで果たして問題は解決するのでしょうか。企業や政府に人間の生存をゆだねるという構造そのものが問題なのではないでしょうか。それをないがしろにして、他人に自分の生死をゆだねてしまって、本当にいいのでしょうか。S.510が突きつける問題の核心はそこにあります。

5年前にNAISという動物管理制度について「狂牛病時代」という記事を書きました。今度の S.510とまったく同じレトリックであることがわかります。NAISは、狂牛病やら鶏フルを予防し、拡大を防ぐためにすべての家畜にマイクロチップを埋め込み、生まれた時から屠殺されるまでその居場所を把握し、移動をチェックするというものです。「安全管理がしっかりしない」裏庭や小規模農家を排除しようとするものです。食品安全法も似たようなもので、サルモネラ菌やら大腸菌やらがついた危険な食品を流通させないように、「安全管理がしっかりしない」連中を排除しようということでしょう。シュローサーには、残念ながら、そこのところが見えないようです。

S.510にはとりあえず、年間のグロスの売上が50万ドル(約5千万円)以下の小規模企業、また275マイル以内で消費されるものは適用しないという修正がなされており、法律ができても、今すぐに家庭菜園が違法になったり、お裾分けができないということはなくなりました。しかし、いったん法律という枠組みができてしまえば、あとはどんどん厳しくしていくことは簡単なことです。事務手続きを煩雑にしたり、免許制にしたり、登録料を上げたり、そんな方法はどんな間抜けな人間でも簡単に想像がつきます。種にしても、市場に出回るのがF1ばかりになれば、法律で禁止しなくたって、自家採種なんかできなくなっちゃいます。固定種を売ってる小さな種屋ですか?そんなの合併吸収したり、潰しちゃえばいい。

自分の家庭菜園がとりあえず引っかからないからといって安心してたら大変なことになります。

近刊の『未来のシナリオ』のなかで著者のホルムグレンは気候変動が発症し、石油文明が分水嶺を超え、エネルギー下降時代に入ると、政府は対症療法的な政策をなりふり構わず導入していく。ファシズムの到来さえあり得ると言っています。アメリカの動きはまさに、その兆候なのかもしれません。

自分の食べ物を作ることさえが過激な政治的な意味を持つ、トンデモな時代に人類は足を踏み入れています。

ベルベッツ、カン、そしてパーマカルチャー/The Velvets Can Permaculture.

そもそも、本書の存在を教えてくれたのはエネルギー・ブレティン(EB)の設立編集者で、この本の成り立ちにも大きく関わったアダム・グラブだった。

謝辞でも言及されているが、EBはオイルピークや気候変動、そこから複合的に派生するさまざまな問題に関する報道を世界中のメディアからクリッピングする秀逸なサイトだ。もう何年にもわたり,朝、コンピュータの前に座ると必ずチェックするサイトのひとつだ。情報の洪水の中でもここへ行けば本当に必要な情報だけ,手にすることができる。

グラブと最初に話をしたのは、トランジション・タウン運動を始めた英国人のパーマ活動家、ロブ・ホプキンスのサイトでのこと。確か,本書の著者であるホルムグレンとピークの論客、リチャード・ハインバーグが一緒にオーストラリア講演ツアーをやることを紹介してた。ちなみに、本書に書かれているようなシナリオをホルムグレンが話すようになるのは,2006年のこのツアーあたりからのことだ。ホプキンスはこのふたりの講演ツアーを「まるでカンとベルベッツが一緒のステージに立つようなものだ」と評した。

ふたつの60年代のバンドはもちろん、ホプキンスのお気に入りのバンドなのだが、ルー・リードやジョン・ケイル、モゥ・タッカーがいたニューヨークのベルベット・アンダーグラウンドもそうだが、ドイツの「前衛」ロックバンドのカンが、オイル・ピーク以降の生き方,社会を変えようとする人の口から、こんなにさらりと言及されるとは思っていなかった。このての運動に関わる連中は音楽に縁がなかったり,あったにしても、手をつないで仲良しこよし、ぴーちくぱーちく踊るような,箸にも棒にもかからない気の抜けた音楽が関の山だろうと高をくくっていたからだ。

ヤクでギンギラギンな目をして売人を待ちこがれる歌を歌う連中や、70年代後半のパンク・ロックを触発した先駆的なバンドの名前が出てきたのは正直,驚いた。

ちょっとうれしくなって「でも、カンって,どの時代のことだい?」と尋ねると「もちろん,ダモ・スズキがボーカルをやっていた頃さ」と返答がある。マルコム・ムーニーの時代も悪くないし,ダモの抜けたあとの「いかさま」音楽の時代もそれなりに悪くないけど,カンの全盛はやっぱりダモのいた頃だろう。ホプキンスって結構,つぼを心得てんじゃないなんて,コンピュータの前でにんまりしてると,「今,ダモはメルボルン暮らしなんだ」と横レスを入れてきたのが(当時はフェンダーソンと名乗っていた)グラブだった。EBの発起人もこのての音楽を好きだったんだ。僕らはひとしきり音楽の話で盛り上がり,それからシマを変え、もっと深刻なことやら、たわいもないことをいろいろ話しあった。双子の大量破壊兵器に人類が首根っこをつかまれた時代をしっかりと意識し,その啓蒙に忙しい連中の中にも、こういうふうにイカレタ時代の真剣にイカレタ音楽を評価するフツーな連中がいることを知って,あっ、これなら人間の将来も大丈夫かなあなんて思ったものだ。

グラブに実際に会うのはそれから1年くらい経ってからのことで,20数年にわたるオーストラリア暮らしから足を洗い,大陸の東南の島に引越す前の日だった。オーストラリアで最後に会った知人ということになる。グラブはホルムグレンたちが世界中をあちこち講演旅行をしている間,この本にも出てくるメリオドラ(ホルムグレン邸)の番をしていたが、そのとき、この本の元になるウエッブサイトにかかわっていることを教えてくれた。僕らが長年住み慣れたオーストラリアをあとにするのは、まさにこの本に書かれているような理由からだった。

オイルピークと気候変動に苛まれ,オーストラリアは既にブラウンテクへの道に踏み出していた。旱魃で農家や内陸の町の住民は音を上げていたが,鉱業は未曾有の好景気にわき、保守党の首相は対症療法的な政策を有無をいわさぬ態度で矢継ぎ早に打ち出していた。本書でブラウンテクはファシズムに傾斜するかもしれないとも指摘されているが,じわじわと首を絞められてるような気分もあった。気候変動も,ピークも、ファシズムも、そろりそろり。抜き足差し足だから,たいていの人は気がつかない。

こんな時代だから,ウエッブサイトという形態で急いで発表するのは至極当然に思えた。一刻も早く伝えなければならない。もたもたしている時間はない。アダムもホルムグレンも現代がどういう時代なのか,しっかりと認識している。ゆっくりとではあれ,急がなくてはならない。パンクの時代に似た性急さが本書にはある。だから、本書をホルムグレンから送ってもらった時もなるべく早く翻訳を出したいと思った。

それでも,何のかんの、いろいろな事情で,ここまで時間がかかってしまった。本書の日本での出版をアレンジしてくれた天空企画の智内好文さんや出版を引き受てくれた農文協の遠藤隆士さんも叱咤激励、急いでもらった。ありがとう。忙しいというのに拙い訳文にしっかりと目をとおし、建設的な助言をいただいたばかりか、すばらしい序文を書いてくれた糸長浩司さんにも大感謝。

月島亭の大ちゃんと幸ちゃん,長野の丸山さん夫妻、安曇野のシャロム・ヒュッテの皆さん,泉岳寺のチャコちゃんユウちゃん、そして千葉の鴨川自然王国の皆さん(ヤエちゃん,カズマにケンタ,ミチオさん、ニキに林さん、小原さんに石井さん,んでもって登紀子さん)には飯を食わせてもらったり,酒を飲ませてもらったり,机に寝床にインターネット、風呂から図書館,下駄箱から郵便受けまで使わせていただいた。インサイダーの高野孟と西城鉄男両氏からはいつも以上に励ましてもらった。皆さん,本当にありがとう。多謝。

この本の著者のホルムグレンは日本でもよく知られるようになったパーマカルチャーの言い出しっぺの一人だ。もともと70年代のエネルギー危機への対応のひとつとしてオーストラリアのタスマニアで産声を上げたパーマカルチャーはオイルピークや環境変動の時代に,どんどん,重要さを増していくだろう。パーマカルチャーはいろいろに解釈できるが、エネルギー認識や地球環境のありようをしっかりと把握しなければ、社会の中で妥当性を持ち得ず、行動も意味を持たない。

この本を読み,じゃあ,どうしたらいいんだという人は、ホルムグレンの二〇〇二年の著作「パーマカルチャー(コモンズより邦訳が近刊予定)」を読んでほしい。気候変動とエネルギー下降が同時に訪れる時代を賢く迎えるための原理が満載された本は,大切な道具になるはずだ。また,ベルベッツとカンの好きなロブ・ホプキンスの「トランジション・ハンドブック」も第三書館から翻訳が出るのであわせて読んでほしい。下降時代の優雅な道連れにはうってつけだ。各個撃破,またどこかで。

地球のどこかでアレクサンダー・ハッケの微細な轟音に耳をそぎ落とされるのを楽しみながら。
rita

『未来のシナリオ』出版のお知らせ/Future Scenarios

パーマカルチャー創始者のデビッド・ホルムグレンの「未来のシナリオ」が12月17日,農文協より出版されます。

ホルムグレンは西オーストラリア州の出身で、タスマニアでの学生時代にビル・モリソンと共にパーマカルチャーを生み出しました。現在は,ビクトリア州中部 の自宅で自給的生活を送る一方,パーマカルチャーの講義やデザイン・コンサルタント業で、世界中で活躍しています。

この書でホルムグレンは、現在人類は双子の難問を抱えているという時代認識を示します。それは気候変動とオイルピークです。気候変動についてはそれなりの 理解がある一方、オイルピークについてはその本質が理解されているとはいえません。本書はピーク問題の主要な論点をまとめ,これからの時代がエネルギー下 降の時代であると説きます。日本のようなエネルギー輸入国にとりさらに深刻なのは,輸出国が高騰する原油価格で潤い,自国の需要が増加するため,輸出でき る量が減るという「石油輸出の崩壊」があります。本書はエネルギー下降の速度と気候変動の発症の度合いをふたつの変数とし、その複合作用を4つのシナリオ にまとめ、それぞれの特徴を検討します。今人類の呼吸する時代がどんな時代であるのか解明する本書をぜひ,ご一読ください。

発売日:12月17日
価格:本体1200円(税込1260円)
出版:農文協
お問い合わせ:遠藤隆士
(社)農山漁村文化協会 編集局
〒107-8668 東京都港区赤坂7-6-1
TEL03-3585-1145 FAX03-3585-6466

また、ホルムグレンの二〇〇二年の著作「パーマカルチャー」の邦訳がコモンズより来年早々出版される予定です。30年にわたるパーマカルチャーの実践、教 育活動から抽出された12の原理はこうした時代を賢く生きるための大切な道具になるでしょう。

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海外での原著(Future Scenarios)の書評から抜粋

●ジョン・ポール・フリントフ (タイムズ・オンライン)
文明はいかに、そしていつ崩壊するか
簡単に言えばパーマカルチャーとは、自分自身に制御不可能なシステムから自らを切り離し、何らかの形で持続可能な形で自給を達成しようとすることをめざす ものである。今、人類が直面する問題に哲学的で実用的な枠組みをあたえるものである。パーマカルチャーをすでに実感する自分のように人間にとり、ホルムグ レンの言説はとても説得力がある。しかし、この本は予想以上だった。本を読み終わってから数日になるが、いまだに頭蓋骨がガタガタしたままだ。

●マイク・リン(イン・ジーズ・タイムス)
未来を再考する
この本の大事な点は、これからもこれまでのようになるだろうという思い込みを捨てなければならないと力説するところにある。

フランク・カミンスキー(エネルギー・ブレティン)
鋭い分析力を持ち、チャートや統計分析の使用に長けるホルムグレンは、シナリオのすべての側面を徹底的に解析する。ホルムグレンはそれぞれのシナリオの社 会的、生態学的、農業、経済的な影響に深く切り込み、最後のまとめと議論の章ではそれらをすべて見事にまとめあげる。


ジョアンナ・シュローダー(ドメスティック・フュエル)
エネルギーに関する本は問題を解説し、解決法にいくつか言及するだけで、特定の行動のもたらす影響を長期的に掘り下げるものはほとんどない。その点でこの 本 はきわめてユニークだ。オイルピークと気候変動を憂慮し、自分たちのとる行動が将来にもたらす影響について議論するつもりなら、この本を読書リストに加え なくてはならない。

マイク・グレンビル(トランジション・ネットワーク・ニュース)
気候変動とオイルピークに直面し、これまでとは異なる将来のシナリオを構築しなければならない時、いろいろなオプションを冷静に、深く検討するデビッド・ ホ ルムグレンの「フューチャー・シナリオ」は価値ある一冊だ。

●(ミーン・モア
世界がとりうるオプションをバランスをとりながら明晰に考慮する「フューチャー・シナリオ」は、今年出版された本の中で、最も重要な本の一冊と見なされる ことだろう。

ハッピー・オイルピーク・デイ(2)/Happy Oil Peak Day (2)


(World Energy Outlook,2010より転載)

オイル・ピークについて最初に書いたブログのタイトルは”ハッピー・オイル・ピーク・デイ”。ちょうど今から5年くらい前のことだ。この5年の間に、ピークに対する理解は社会の中で深まってきたのだろうか。少しは備えができたのだろうか。

国際エネルギー機関(IEA)は2010年11月はじめに発表した「世界エネルギー展望」という年次報告で、はじめてオイルピークそのものにページを割いている。日本語版のエクゼクティブ・サマリーでは8ページ目で「ピークは朗報か悲報か」という見出しの下で取り上げている。ピークへの言及が去年まではまったくなかったのだから、ぽろっとしたさりげなさにびっくりする。もっとも、公式な報告書ではないにしろ、IEAはピークを小出しにしてきたので、この機関の発言を追ってきた人にはそんなに驚くことではないかもしれない。たとえば、OPECの主要国以外についてピークを過ぎたと主任エコノミストのファティ・ビロールが発言し たのはすでに 2007年のことだ。

それでもちょっとびっくりするのは、同報告書が「(在来型)原油生産量は、多少の変動はあるが(中略)2006年に記録した過去最高の7000万バレルには決して届かない」と、ピークを過去形で語っていることだ。もちろん、ピークはあとになって検証してみないとわからないから、IEAのような機関がいまごろになり、ピークは4年前でしたと言ったとしても、それはそれでふさわしいのかもしれない。

問題はそれを報じるメディアの無能さである。朝日新聞は「廉価な石油の時代終わった」(11月17日付け)という見出しで、田中伸男IEA事務局長 の談話を載せている。15日に東京での会見に基づくものだ。田中は「チープオイルの時代は終わった」と「展望」を踏まえた見解を繰り返している。しかし、この記事の筆者には田中の発言の意味するところ、すなわちオイルピークの意味がわからないようだ。新聞社にも事の重大さは理解できていない。理解できていれば、この記事は1面トップの扱いになるはずだ。商業メディアに期待することはないが、それでも、社会の基本となることくらい、しっかり報道してほしい。

奇しくも「廉価な石油時代の終わり」は98年にサイエンティフィック・アメリカン誌に掲載されたコリン・キャンベルとジーン・ラエレールの論文(英語)のタイトルでもある。現在の世界的なピーク議論の口火を切ることになった歴史的な論文である。「格安な石油時代」が終わるという警告を「石油枯渇」と読み間違え、むきになって反論した人もたくさんいる。例えば、2005 年、そろそろ絶頂にさしかかろうかという時だから、その勢いがわかるが、エコノミスト誌にはこんな記事(日本語)が載った( 訳者の気合いの入ったコメントも忘れずにお読みください)。今となっては笑い話な内容だが、メディアの人間、そして社会の舵取りに関わる人間はいまだにこんな理解なのではないだろうか。

上のグラフをもう一度眺めてほしい。一番下の濃い青色の部分が2006年にピークに達した(在来型)石油である。これから予想される需要を賄うと期待されるのは(非在来型)石油であり、天然ガスであり、未だ発見されていない油田からの上がりなのだ。(非在来型)石油の生産が伸び悩んでいるのはなぜなのだろう。天然ガスのピークは頭に入れておかなくていいのだろうか。油田発見は1964年が最高だった。40年以上も前 の話だ。技術も進歩し、金もつぎ込んでいるはずなのに、新しい巨大油田がぼこぼこ見つからないのはなぜなのだろう。これからの発見に過大な期待をしていいものなのだろうか。

「朗報なのか悲報なのか」といえば、IEAの論調は「ピークは過ぎたけど、どうってことなかったでしょ?」というものだ。ちょいと待ってくれ、2008年7月に始まった不況はどうなんだろう。2007年の食糧価格高騰、食糧危機はどうなんだろう。IEAにも、メディアにもピークの本質はわかっていないようだ。

5年前の記事ではピークの時期に関する研究者の予想を載せた。ピークを過ぎてからしか検証できないので、それを予言することは難しい。しかし、ほとんどの識者の予想が正しかったことになる。アリ・サムサム・バクティアリとマット・シモンズのふたりは、自分たちの予想がIEAにより「正式に」正しかったことを認められることなく、鬼籍に入ってしまった。実際、2005年から2010年まで原油生産は頭打ちだ。これからまだ生産が伸びないなんて言わないが、現代人が盲目的にあて込むような勢いで増えることはないだろう。「これまで通り」が続くことを当て込んでいると「大波乱へ乱降下」してしまうかもしれない。