Friday, May 05, 2006

ソ連崩壊の真相/the peak killed the Soviet Union.


オイル・ピークに興味を持つようになってから、いろいろな文献を読んでいますが、最近おもしろかったのはソ連と東欧でいわゆる共産主義社会が80年代後半から90年代初頭にかけて、ばたばたと崩壊したのはロシアの石油危機が引き起こしたものだというダグラス・レイノルズの論文です。レイノルズはアラスカ・フェアバンクス大学でエネルギー経済を教える経済学助教授です。執筆時期はかなり前になるようなので、お目にしている人もいるかも知れません。

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(グラフ)
1980年から2004年、旧ソ連の申告された推定埋蔵量(紫/左軸、単位ギガ・バレル=10億バレル)と平均日産(緑/右軸、単位キロバレル=千バレル)。BP Statistical Review of World Energyに基づいている。
The Oil Drumより転載。


ソ連の経験はピークの文脈でも重要視されてきました。たいていは、ピークが社会に及ぼす影響については、ソ連崩壊の教訓から学べという論調です。

ソ連型の「戦時共産体制」がもともと危機には強い体質であり、私有が公式に禁じられた社会には住宅ローンもなく、いざという時にも、文字どおり、失うものはほとんどない社会でした。商品は限られた量しかなく、人々は行列を作るのに慣れていた。非公式なブラックマーケットが発達しており、公式経済の外で、自家菜園などが当たり前に行われていたことなど、爛熟状態の資本主義経済社会の直接参考になるかどうか分かりません。しかし、社会というものは脆いものであり、経済崩壊の影響をもろにかぶるのは社会的な弱者であることは見て取れます。

ソ連という政治体制が崩壊したのは、経済破綻とそれに続く社会崩壊が原因だと言われています。レイノルズ論文は、それに疑問を差し挟み、実は石油危機の産物だったと結論を出します。石油の生産が落ちたのは、経済や社会が破綻したからではなく、オイル・ピークに達したからである。ピークがもとで、統制型経済が潰れたのだ。ただ同然でソ連から手にいれる石油に頼ってきた東欧諸国が倒れ、ソ連型の共産主義社会が倒れたのではないか、と論じます。

ソ連には終わりのころ、ちょこっとお邪魔しただけですが、いわゆる共産諸国が1980年代後半から90年代初期にかけ、ばたばたと崩壊したのはなぜなのだろうかという疑問は、ずっと持っていました。ゴルバチョフがグラスノストを打ち出さなければならなかった理由はなぜなのか。それまでの非効率的な経済システムがもたらした制度疲労によるものという説明もありますが、はたしてそれですべて説明できるのだろうか。

レイノルズ論文は、従来の定説は見方が逆で、1987年、88年に石油生産がピークに達したこと、それが経済政策の転換につながったのだと説きます。ソ連のオイル・ピークが、世界的に見れば「第三次石油危機」を引き起こし、そのあおりで「共産体制」は崩壊したとしています。言い換えれば、曲がりなりにも70年間、ソ連と「共産主義社会」が存在できたのも、ロシアに石油があったからだ。二十世紀を支配した両超大国はどちらも石油本位制の国だったわけです。

レイノルズは石油の消費量からソビエト経済を分析しなおします。

「CIAによれば、1960年から1975年にかけ、ソ連の石油消費量は年率7%で増加した。同じ時期、石油の生産は年率8%で増加、ソ連の経済は年率6%で成長した。1975年から1980年にかけ、石油消費量は年率4%の増加にとどまり、生産は3.5%の増加で、経済成長率は2.6%に落ち込んだ。1980年から1985年、ソ連の石油生産は微増、消費は横ばいだった。経済成長率は1.8%に落ち込んだ。そして1988年から1992年、ソ連と東欧経済は崩壊する。重要なことは、最初に石油の生産が落ちたことであり、それに続いて石油の消費が落ちたという事実である。逆ではない。経済危機のおかげで石油生産が減ったのではなく、石油生産が減ったから経済危機になったのだ。

経済成長と石油消費の相関関係は米国経済にもあてはまる。1960年から1973年にかけ、石油消費は年率7%の増加、経済は5%の成長を記録した。1973年から1975年、オイルショックのおかげで米国の石油消費は年率にして6%減り、経済も6%の縮小を経験した。1975年から1979年にかけ、石油消費量は年率6%で上昇し、経済のほうも5.5%の成長を示した。しかし、1979年に始まる第二次オイルショックで1982年まで、石油消費は年率5% 減、そして経済は横ばいを記録した」

それでは、ソ連の石油生産の減少を招いたものは何だったのか。一般には、投資が足らず、旧式な技術、いい加減な経営、供給網の不備などがその理由だとされています。しかし、レイノルズはそれが埋蔵量の減耗にともなう自然なピークだったと結論します。ソ連のシステムや技術が西側と同じであり、大量の資本が投下されていたとしても、どうにもならなかった、ということです。

たしかにソ連の石油生産の技術は西側より劣っていたかも知れませんが、最新の技術を使えば生産が上がるわけではありません。限られた量の資源が相手なのです。最新の技術を使えば、限られた量を早く取り出すことはできるかもしれませんが、多くを取り出すことはできません。

経営がいい加減だったという説にも頷いてしまいそうですが、ソ連の石油生産の減少を説明し切れません。生産の高かった時期と低い時期、経営の差はそれほど考えられないし、ソ連でも生産をあげれば、それなりの報酬につながったわけで、生産の向上を目指す誘因は十分にあったはずです。

むしろ、70年代から80年代にかけての過剰生産こそが、急激な石油生産の低下につながったのではないか、とさえ思われます。そういう意味では、「いい加減な経営」と言えますが、サウジアラビアなどでも、油田開発の初期から水やガスを注入し、圧力をあげ、無理なレベルまで生産を上げる経営方針がとられているので、これはソ連に限ったことではありません。

投資が不十分であったともいわれますが、レイノルズはこれにも否定的です。「もし、巨大油田があれば、見つかるだけの投資が行われていた」としています。ピークに達してしまえば、どれだけ金を注ぎ込んだところで、アブラは出てきません。もうひとつの超大国、米国の石油生産の歴史もそれを如実に証明しています。米国では、ソ連より格段の最新技術、優れた経営、そして石油危機による価格の高騰という誘因がありながら、70年の生産ピークを超えることができません。どんなに金や技術を注ぎ込んでも、ない袖は振れないのです。

ソ連の生産は87年の日産1千266万バレルから95年には7百万バレルにまで減少しました。その後、生産は上向きで、ここ数年は10%以上の成長を続けてきましたが、それでもこれまでの生産ピークを超えるには至っていません。そして、クロード・マンディルIEA事務局長は「ロシアの生産がこれから4年間も今のようなペースで伸びるというのは楽観的すぎる」と発言しています。(4月11日付けのファイナンシャル・タイムズ。記事は有料ですが、マイケル・ルパートのサイト、from the wilderness
で見ることができます。)

旧ソ連と東欧諸国はソ連のピーク以降、石油消費を半分に削りました。87年には一日あたり1千万バレル以上が、95年には550万バレルです。これだけの短い時間で消費を半減するというのは大変なことです。西側経済は73年から81年にかけ、二度のオイルショックを経験しましたが、石油消費は二割削っただけでした。それでも、あれほどの経済危機を引き起こしたのです。1988年以降、共産圏を襲ったのは、それを上回る規模の石油危機だったのです。

ここ数年、世界の石油生産の増加のほとんどはサウジ・アラビアとロシアがになってきました。サウジの生産はこのところ横ばいが続いています。そして、ロシアの増産にもかげりが見えてきたことを、楽観的なIEAの事務局長が発言しています。10年後に現在の半分のエネルギーしか手に入らない、使えないという事態は十分にあり得る時代です。これは年率にすると約8%。いまから、毎年8%削っていけば、10年後、すくなくとも、うろたえることはないでしょう。

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