Tuesday, May 23, 2006

傾向と対策/search and mitigate.


グーグルは世界的な検索ツールの標準になっていますが、最近は言葉の検索だけに留まらず、いろいろな機能が加わっています。

よく知られているのはグーグルマップです。これはいろいろ、シュミレーションの道具として応用することもできるようで、最近話題になったのは、温暖化による海面の上昇の結果、どれだけの地域が水没するのかシュミレーションするアレックス・ティングル(Alex Tingle)の作品です。グリーンピース・インターナショナルなど、環境問題に取り組む市民団体などもすでに積極的に利用しているようで、先日のアースデイでも大好評だったようです。

確かに、グリーンランドの氷が溶けて海面が7メートル上昇するといわれても、ちょっとピンときませんが、それでどれだけの場所が水没するのか、具体的なイメージとして見せられると、危機感も具体的になります。


うちのピュータは旧式なのか、グーグルマップそのものを使うこともできず、この水没予測版も見ていませんが、御覧になった人によれば、日本では「有明海の北側の佐賀平野などは、1メートルくらいの海面上昇でずいぶん広い面積が沈んでしまう」ようです。永田町や霞ヶ関なんか、何メートルくらい上昇したら水没するのでしょうね。機会があれば、こちらから覗いてみてください。

さて、うちのピュータからでも使える新しい機能は、トレンドサーチです。過去二年くらい、言葉が検索された傾向を示す機能です。その言葉を検索した人の検索者全体に対する割合の変遷が折れ線グラフで示されます。関心の高まり、低下のきっかけとなるような事件や報道も日付けとともに明示されているほか、その言葉がニュースに取り上げられた割合もグラフで見ることができます。また、いくつかの言葉の検索傾向を比較することもできます。

トレンドサーチについては、ロイターもダブリン発で15日に伝えています。(この記事の訳はライブドアニュースに載っています。)この記事では、「lonely(孤独な)」という単語が検索された傾向をもとに、アイルランドのダブリンが世界でもっとも淋しい街ではないかと結んでいます。まあ、これはひとつの目安に過ぎないとその記事もいっていますが、本当に淋しい人は、淋しいという言葉を検索するのでしょうか。また、南半球人としては、その記事では付け足しのように言及されているだけですが、メルボルン、ニュージーランドのオークランド、シドニー、パースがダブリンに次いでこの言葉を検索する人が多いということに、戸惑ってしまいます。
 
さて、このトレンドサーチを使って、例えば、peak oilの検索傾向を見てみましょう。検索傾向そのものは上がったり、下がったりですが、ニュースに取り上げられる割合はここ1年くらい上昇しています。しかし、ピークとガソリン価格ヘの関心を比較してみるとどうでしょう。ガソリン価格の高騰がピークと関連つけて考えられていないことを証明するように、一般の検索もそうですが、特にニュースでは大きな差があります。(そして、これはおもに米国の状況を示すだけであることも注意しておきたい。だって、ガソリンって単語、イギリスやオーストラリアでは、gasじゃなくてpetrolだもん)。

トレンドサーチでは、その言葉を検索した人の割合の大きな都市や国(米国以外)もランク付けされ、見ることができます。先に引用したロイターの記事はこのランキングを使ったわけです。ピークについて、国外ではニュージーランドがトップ、その次にオーストラリアがきます。先月、クラーク首相がピークを認める発言をしたのも、なんとなく納得。そして、都市ではポートランドがトップにきます。

それと関連あるのかどうか分かりませんが、ポートランド市議会は5月10日にピーク対策のタスクフォースを結成することを全会一致で決議しました。ポートランドで採択された決議、それを積極的に働きかけた市民団体、ポートランド・ピーク・オイルのプレスリリースはエネルギー・ブレティンに転載されています。

市議会にタスクフォースの設置呼び掛けが始まったのは今年の一月でした。ピークヘの備えはどうなっているのか、と市当局への問いかけが始まりでした。署名を集め、議員や役人へのロビー活動の末、わずか半年足らずで、決議が採択されました。ピークの影響を考えると、このくらいの速度でも、遅すぎるかも知れませんし、別な見方をすれば、ポートランドにはそれなりの素地があったから、こんなに素早い決議につながったということもできます。ポートランドでは、去年暮れ、市長が食料の1割はローカルでまかなうようにと自発的な行動を呼び掛けたそうです。また、先日紹介したSustainlane.comのピークにやられにくい全米大都市の一覧リストで、ニュー・ヨーク、ボストン、サンフラン、シカゴ、フィラデルフィアに次いで第六位です。

ピークの影響は、石油漬けの社会を反映し、驚くほど広範にわたると考えられています。ガソリンの値段が上がるだけでしょ、なんて考えていると大変です。食べ物や水の入手からゴミや排泄物の処理、暖房や寝床なんていう個人の生活(生存?)から、企業や軍隊から市民社会まで、すべてに及びます。

グローバル経済も、安い石油に輸送を依存する現状では、とても心もとないものです。ピークが現状のようなグローバル経済を根底から揺さぶることは十分に考えられます。地域社会の生存はどれだけ、グローバル経済から自立し、再ローカル化できるかにかかっています。

ポートランドの動きも再ローカル化の大きな潮流のひとつに過ぎませんが、元気づけられます。ピークの意味を理解し、市民ひとりひとりが行動するのはもちろんですが、それぞれの市や町では、手遅れになる前に、ピーク対策タスクフォースの設置が急務です。ひとりひとりが、自分の暮らす市や町当局にオイルピーク対策はどうなっているんだって尋ねるところから、始めてみましょう。

Wednesday, May 10, 2006

ルイジアナ沖に新油田発見?/and the earth is flat.


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というニュースを見かけました。シェブロン社がコーネル大学と共同で発見したそうで「埋蔵量は600億バレル」だそうです。

New Tech Spyの5月1日付けによれば、発見された油田の規模は、北海油田の2倍以上、アラスカはANWR地区の採掘可能埋蔵量の6倍。600億バレルがすべて採掘可能な埋蔵量をさしているのか、明らかではありませんが、世界でも一ニの規模の巨大油田ということになります。

と、ピークを疑う人は、それ見たことか、石油はまだふんだんにあるじゃないか。発見されていないだけだ。というかも知れません。

しかし、これだけの油田の発見がなぜ、メインストリームのメディアにでないのかなと不思議になって、記事をよく読み直すと、なるほど。発見に関わったコーネル大のチームを率いたのがLarry Cathlesです。ピーク論壇では良く知られた名前です。

なぜ有名かというと、石油の「無機起源説」を唱え、地球の深奥で今現在もじゃんじゃんと生成されているからなくならない。ピークになんかならない。油田はいったん枯れても、再び採掘できるようになる、石油はじゃんじゃんある。そういうトンデモ説を流布している人です。こういう人の話にすがりついて、「石油は無尽蔵なの。ラッキー」なんて思い込む人たちがあちこちにいて。

無尽蔵説の旗ふり役なら、埋蔵量にしても、もっと、大風呂敷を広げても良さそうなのに、たったの600億バレル。これって、米国の石油消費は一日2千万バレル以上なので、もし、仮にこの「新油田」が本物で、すべて採掘できたにしてもわずか3000日分にしかならない。つまり8年ちょっとしかもたない。

あっ、でも、埋蔵量はどんどん増えるものだし、いったん枯れてもまた、どこからか石油が流れ込んできて採掘できるようになるし、もともと「無尽蔵」なのだから無くなる心配なんかいらないのか。んだったら、埋蔵量なんか、最初からわざとらしく発表するな。

ああ。目眩がしそうだ。

Sunday, May 07, 2006

日本の文化は西洋文化よりもよほど美しい/in the eyes of behold.


もちろんですとも。

慎ましさを美徳とする日本の美しい文化を体言するような人の記事が、リベラシオン紙に出ていることを知人から教えてもらいました。以下、4月24日付けリベラシオン紙の記事のを「石原都知事のフランス語発言に抗議する会」のサイトより転載しますので、御一読あれ。

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東京都知事、現代美術を腹にすえかねカルチエ財団、展覧会の開会式でとんだ「とばっちり」

東京特派員ミシェル・テマン

木曜〔4月20日〕、午後6時過ぎ、東京都現代美術館(MOT)----10年前、木場公園に建設された巨大な建物----の大ホールに、各界の著名人を含む1500人の人々が招かれ、この春もっとも注目される文化イベントの開幕セレモニーが行われた。1年前からパリと東京のカルチエ社スタッフが準備を進めてきた「カルチエ財団所蔵現代美術コレクション」の会場が、ついにその門扉を開け放とうとしていたのである。門扉といっても、ただの門ではない。入り口は高さ5メール、スライド式の巨大な壁でできており、招待客らはそこを通って一般公開前の会場内に導かれるのだ。4つのフロアにわたって19室を占める展示場は、まるで迷宮のよう。美術館の建物がそっくり芸術の宮殿に変身し、現代美術の偉業に捧げられた趣である。


「彼は酔っぱらってるのか?」----普通、日本の式典は、ありがたいお言葉をもって華やかに開会を告げる。この日、開会の式辞の栄に浴したのは、炎と燃える(そして炎を燃やしたがる)東京都知事、石原慎太郎、73歳である。彼の隣には、カルチエ・インターナショナル会長ベルナール・フォルナス、東京都現代美術館館長・氏家齊一郎、カルチエ財団理事エルヴェ・シャンデスも顔をそろえている。会場のざわめきが徐々に静まる。しかし、石原は何も事前の準備をしていなかった。マイクを手に、正面の巨大スクリーンを見据えながら(そこには、硫黄質の雲、ボンデージ・アートの作品、暗殺された写真家アレール・ゴメスによる裸体などが映し出されている)、石原は、いくぶん口ごもりながら、いつもながらの歯に衣着せぬ言辞を繰り出した。

「都知事は酔っぱらってるのか?」----彼の最初の数語に「ショックを受けた」ある日本の有名スタイリストが首をかしげる。実のところ、東京都知事は、フロアの招待客たちを前にして、いつもながらのお家芸を披露してみせたにすぎなかったのだ。彼はすべてをぶち壊しにしてやろうと考えた。手加減などまったく抜きにして、彼は現代美術をこき下ろし、愚かしくもそれを西洋芸術だけの専売品のごとく描き出してみせるのだった。招待客に背を向けて話す尊大無礼、決めつけの口調と難解を装った語彙をもって、石原は、展覧会そのものをこっぴどくやっつける。たった今、案内付きで鑑賞してきたばかりの展示がよほど退屈だったのだろう。「今日ここに来て、なにかすごいものが見られるんだろうと思っていました。ところが、実際は何も見るべきものはなかった。」イヤホーンで同時通訳を聴きながら、ベルナール・フォルナスはぐっと息をこらえる。

しかし、東京において、これだけの作家を一堂に集めた現代美術展は過去に例を見ないことであった。コンゴのシェリ・サンバからフランスのジャン=ミシェル・オトニエルまで、アイルランドのジェームズ・コールマンからアメリカのデニス・オッペンハイムまで、イタリアのアレッサンドロ・メンディーニからアメリカ女性作家ライザ・ルーまで、12カ国から32人の作家たちが出品している。ライザ・ルーなどは、今回の企画を「芸術の国連」と評しているほどだ。カルチエ財団が20年前から収集にいそしんできた芸術作品のすべてが、空路、海路、気の遠くなるような取り扱い注意の気配りとともに、今回、ようやく東京に結集させられたのだったが・・・・・・。

札付きのナショナリスト----こうした文化の財宝も、石原慎太郎のお眼鏡にはまったく適わなかったらしい。「ここに展示されている現代美術は、まったくもって笑止千万なものである」と彼は付け加える。たとえば、先頃パリで人々の注目を集めたオーストラリアのロン・ミュエクによる巨大な彫刻作品「ベッドのなかで」も、石原には揶揄の対象だ。「ベッドのなかの巨大な母親像は、まるで赤ん坊のような目をしている。」ほかならぬ、この作品こそは、展覧会のポスターとカタログの表紙にも選ばれた目玉作品なのだ。

常々、ナショナリズムと朝鮮・中国への敵視の言説で知られる石原は(2004年にはフランス語をも痛罵した)、1999年以来、東京都知事をつとめる元・人気小説家である(1955年、日本のゴンクール賞に当たる芥川賞を受賞)。みずから余暇には絵を描いて過ごすというが、末っ子〔石原延啓〕とは仲違いしており、そしてその末っ子というのが、これまた折悪しく画家なのである。ここぞとばかりに彼が述べるところによれば、「見る者に説明を要する現代美術というのは無に等しい。」そして、最後のとどめのように、「日本の文化は西洋文化よりもよほど美しい。」会場内には衝撃が走った。一部には、これを冗談と受けとめ、笑い声を上げる人もいる。しかし、多くの人々は憤慨をあらわにした。

席に戻って天井ばかりを凝視している東京都知事に続いて挨拶に立ったのは、ベルナール・フォルナスである。彼は、一転して、今回の出展作家たちにさかんな讃辞を送った。挨拶のなかでフォルナスが、ジャン=ミシェル・アルベローラ、松井えり奈といった画家たちから、森山大道といった写真家まで、東京都現代美術館に展示されている作品を「重要な傑作」と評するにおよんで、会場から一斉に拍手喝采が巻き起こる。こうして、石原の主張も宙に浮いた格好となる。

Friday, May 05, 2006

ソ連崩壊の真相/the peak killed the Soviet Union.


オイル・ピークに興味を持つようになってから、いろいろな文献を読んでいますが、最近おもしろかったのはソ連と東欧でいわゆる共産主義社会が80年代後半から90年代初頭にかけて、ばたばたと崩壊したのはロシアの石油危機が引き起こしたものだというダグラス・レイノルズの論文です。レイノルズはアラスカ・フェアバンクス大学でエネルギー経済を教える経済学助教授です。執筆時期はかなり前になるようなので、お目にしている人もいるかも知れません。

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(グラフ)
1980年から2004年、旧ソ連の申告された推定埋蔵量(紫/左軸、単位ギガ・バレル=10億バレル)と平均日産(緑/右軸、単位キロバレル=千バレル)。BP Statistical Review of World Energyに基づいている。
The Oil Drumより転載。


ソ連の経験はピークの文脈でも重要視されてきました。たいていは、ピークが社会に及ぼす影響については、ソ連崩壊の教訓から学べという論調です。

ソ連型の「戦時共産体制」がもともと危機には強い体質であり、私有が公式に禁じられた社会には住宅ローンもなく、いざという時にも、文字どおり、失うものはほとんどない社会でした。商品は限られた量しかなく、人々は行列を作るのに慣れていた。非公式なブラックマーケットが発達しており、公式経済の外で、自家菜園などが当たり前に行われていたことなど、爛熟状態の資本主義経済社会の直接参考になるかどうか分かりません。しかし、社会というものは脆いものであり、経済崩壊の影響をもろにかぶるのは社会的な弱者であることは見て取れます。

ソ連という政治体制が崩壊したのは、経済破綻とそれに続く社会崩壊が原因だと言われています。レイノルズ論文は、それに疑問を差し挟み、実は石油危機の産物だったと結論を出します。石油の生産が落ちたのは、経済や社会が破綻したからではなく、オイル・ピークに達したからである。ピークがもとで、統制型経済が潰れたのだ。ただ同然でソ連から手にいれる石油に頼ってきた東欧諸国が倒れ、ソ連型の共産主義社会が倒れたのではないか、と論じます。

ソ連には終わりのころ、ちょこっとお邪魔しただけですが、いわゆる共産諸国が1980年代後半から90年代初期にかけ、ばたばたと崩壊したのはなぜなのだろうかという疑問は、ずっと持っていました。ゴルバチョフがグラスノストを打ち出さなければならなかった理由はなぜなのか。それまでの非効率的な経済システムがもたらした制度疲労によるものという説明もありますが、はたしてそれですべて説明できるのだろうか。

レイノルズ論文は、従来の定説は見方が逆で、1987年、88年に石油生産がピークに達したこと、それが経済政策の転換につながったのだと説きます。ソ連のオイル・ピークが、世界的に見れば「第三次石油危機」を引き起こし、そのあおりで「共産体制」は崩壊したとしています。言い換えれば、曲がりなりにも70年間、ソ連と「共産主義社会」が存在できたのも、ロシアに石油があったからだ。二十世紀を支配した両超大国はどちらも石油本位制の国だったわけです。

レイノルズは石油の消費量からソビエト経済を分析しなおします。

「CIAによれば、1960年から1975年にかけ、ソ連の石油消費量は年率7%で増加した。同じ時期、石油の生産は年率8%で増加、ソ連の経済は年率6%で成長した。1975年から1980年にかけ、石油消費量は年率4%の増加にとどまり、生産は3.5%の増加で、経済成長率は2.6%に落ち込んだ。1980年から1985年、ソ連の石油生産は微増、消費は横ばいだった。経済成長率は1.8%に落ち込んだ。そして1988年から1992年、ソ連と東欧経済は崩壊する。重要なことは、最初に石油の生産が落ちたことであり、それに続いて石油の消費が落ちたという事実である。逆ではない。経済危機のおかげで石油生産が減ったのではなく、石油生産が減ったから経済危機になったのだ。

経済成長と石油消費の相関関係は米国経済にもあてはまる。1960年から1973年にかけ、石油消費は年率7%の増加、経済は5%の成長を記録した。1973年から1975年、オイルショックのおかげで米国の石油消費は年率にして6%減り、経済も6%の縮小を経験した。1975年から1979年にかけ、石油消費量は年率6%で上昇し、経済のほうも5.5%の成長を示した。しかし、1979年に始まる第二次オイルショックで1982年まで、石油消費は年率5% 減、そして経済は横ばいを記録した」

それでは、ソ連の石油生産の減少を招いたものは何だったのか。一般には、投資が足らず、旧式な技術、いい加減な経営、供給網の不備などがその理由だとされています。しかし、レイノルズはそれが埋蔵量の減耗にともなう自然なピークだったと結論します。ソ連のシステムや技術が西側と同じであり、大量の資本が投下されていたとしても、どうにもならなかった、ということです。

たしかにソ連の石油生産の技術は西側より劣っていたかも知れませんが、最新の技術を使えば生産が上がるわけではありません。限られた量の資源が相手なのです。最新の技術を使えば、限られた量を早く取り出すことはできるかもしれませんが、多くを取り出すことはできません。

経営がいい加減だったという説にも頷いてしまいそうですが、ソ連の石油生産の減少を説明し切れません。生産の高かった時期と低い時期、経営の差はそれほど考えられないし、ソ連でも生産をあげれば、それなりの報酬につながったわけで、生産の向上を目指す誘因は十分にあったはずです。

むしろ、70年代から80年代にかけての過剰生産こそが、急激な石油生産の低下につながったのではないか、とさえ思われます。そういう意味では、「いい加減な経営」と言えますが、サウジアラビアなどでも、油田開発の初期から水やガスを注入し、圧力をあげ、無理なレベルまで生産を上げる経営方針がとられているので、これはソ連に限ったことではありません。

投資が不十分であったともいわれますが、レイノルズはこれにも否定的です。「もし、巨大油田があれば、見つかるだけの投資が行われていた」としています。ピークに達してしまえば、どれだけ金を注ぎ込んだところで、アブラは出てきません。もうひとつの超大国、米国の石油生産の歴史もそれを如実に証明しています。米国では、ソ連より格段の最新技術、優れた経営、そして石油危機による価格の高騰という誘因がありながら、70年の生産ピークを超えることができません。どんなに金や技術を注ぎ込んでも、ない袖は振れないのです。

ソ連の生産は87年の日産1千266万バレルから95年には7百万バレルにまで減少しました。その後、生産は上向きで、ここ数年は10%以上の成長を続けてきましたが、それでもこれまでの生産ピークを超えるには至っていません。そして、クロード・マンディルIEA事務局長は「ロシアの生産がこれから4年間も今のようなペースで伸びるというのは楽観的すぎる」と発言しています。(4月11日付けのファイナンシャル・タイムズ。記事は有料ですが、マイケル・ルパートのサイト、from the wilderness
で見ることができます。)

旧ソ連と東欧諸国はソ連のピーク以降、石油消費を半分に削りました。87年には一日あたり1千万バレル以上が、95年には550万バレルです。これだけの短い時間で消費を半減するというのは大変なことです。西側経済は73年から81年にかけ、二度のオイルショックを経験しましたが、石油消費は二割削っただけでした。それでも、あれほどの経済危機を引き起こしたのです。1988年以降、共産圏を襲ったのは、それを上回る規模の石油危機だったのです。

ここ数年、世界の石油生産の増加のほとんどはサウジ・アラビアとロシアがになってきました。サウジの生産はこのところ横ばいが続いています。そして、ロシアの増産にもかげりが見えてきたことを、楽観的なIEAの事務局長が発言しています。10年後に現在の半分のエネルギーしか手に入らない、使えないという事態は十分にあり得る時代です。これは年率にすると約8%。いまから、毎年8%削っていけば、10年後、すくなくとも、うろたえることはないでしょう。