Tuesday, November 27, 2007

時代にふさわしい暮らし方

環境ゲテモノ化
オイル・ピーク時代のエコライフ

■2005年:越してしまった
後戻りできない一線
歴史には何年か、時には何十年か後にな
ってから、「あぁ、あれが転換期だったん
だな」という瞬間があります。人間という
のは日々の所業に忙殺されがちで、その変
化があまり急激なものでない場合、そうい
う瞬間を見逃しがちなものです。日々の雑
事にかまけて、大変動の兆候も往々にして
見逃してしまいがちです。
今年一年、大変動を告げる警告はいくつ
も発せられました。希有な時代を示す兆候
や報告、警告はその気になりさえすれば、
あちこちに散見することができます。現在
私たちは、未曾有な時代を生きています。
これほどの時代を人類はかつて経験したこ
とはなかったんじゃないでしょうか。そう
いう時代認識のもとに、それなりの行動を
起こすのか、それとも「これまで通り」を
決め込み、ほおかむりをしてやり過ごそう
とするのか。いまほど、個人1人ひとりの
叡智が求められ、行動が問われている時代
はありません。
11月に発表された気候変動に関する政府
間パネル(IPCC)の第四次評価報告書は、
未曾有の時代を告げる報告のひとつです。
今年、アル・ゴア元アメリカ副大統領とと
もにノーベル平和賞を受賞したIPCCの最
新の報告書はこれまで以上に深刻な状況を
伝えています。大気中の温暖化ガス濃度
( 二 酸 化 炭 素 換 算 ) は 2 0 0 5 年 半 ば に
455ppmに達してしまった、この報告はそ
う伝えています。オーストラリアの著名な
科学者、ティム・フラナリーによれば、こ
れは「ある種、越えられない一線と見られ
ていたもので、しかもそこまで悪化するに
はまだ、10年くらいはかかるだろうと思わ
れていた」のですが、後戻りできないと思
われていた一線を、人類はすでに2年前に
あっさりと越してしまったようです。報告
書が「これからどんな緩和策を取り入れ、
温暖化ガスの削減に取り組んでもその影響
が出るまで,一定の気候変化が避けられな
い。したがって適応策も取り入れなければ
ならない」と、かなり悲観的な警告を盛り
込んでいるのも、なるほど、です。
「温暖化」というとぬくぬく、ほんわか
とあったかくなるような印象があるので
「ゲテモノ化(英語ではglobal weirding
とかcli mate wei rdi ng)」という言葉を
使うようにしているのですが、環境ゲテ
モノ化はすでに現実なだけでなく、危険
水域に到達している。危険水域に至るま
で、もうしばらくはかかるだろう、とあ
てにしていた時間もない。切羽詰まって
います。私たちの呼吸する時代はそうい
う時代であること、それをまず、しっか
り肝に銘じていないと大変な思い違いを
することになります。
もうひとつの公式報告には、やはり11月
末に発表された国連気候変動枠組み条約
(UNFCCC)の報告書があります。今月3
日から14日まで、インドネシアのバリで
2012年に失効する「京都議定書」に変わ
る国際的枠組みを話し合う会議に先立って
発表されたものです。「京都議定書」や各
国での取り組みにも関わらず、2005年の
温暖化ガス排出量はこれまでで最悪であっ
たことが報告されています。「京都」を拒
否し続ける先進国の2つ、アメリカの温暖
化ガス排出量は2005年末の時点で1990年
レベルを16.3%上回っており、オーストラ
リアはと言えば1990年レベルを25.6%も
上回っていたそうです。「京都」を批准し、
対策義務を負う先進国が掲げている政策を
実行に移すならば、全体で2012年までに
(1990年当時の)10.8%の削減が見込まれ
るのは救いには違いありませんが、果たし
て、どこまで約束が実行できるのか、報告
書も疑問のようです。
そしてもう1つ、世界の通常原油生産は
2005年5月に頂点に達したのではないかと
の観測が強まりつつあります。有限な資源
であるアブラは掘り出していく限り、やが
てはなくなるものですが、その半分を使い
切った時点がオイル・ピークと呼ばれてい
ます。(グラフ参照)ピークは環境ゲテモ
ノ化の醜い双子です。
もちろんピーク以降も、まだこれまで使
ったのと同じだけの量のアブラが残ってい
ます。今すぐに枯渇するというわけではあ
りません。しかし、150年ほど前に生産が
始まって以来、ずっと右肩あがりで来た石
油生産ですが、いったん頂点を極めてしま
えば、それ以降、再び上向きになることは
ありません。どれだけ技術革新が進もうが、
ハイテク技術が導入されようが、どうしよ
うもない。すでに世界の65産油国のうち、
54がピークを越し、生産減耗に入ってい
ます。
ピーク以降もまだまだ量はふんだんにあ
るのですが、手に入るアブラはこれまでの
「チープ・オイル」ではありません。残され
たアブラは深海や極地など、手に入れるの
が難しい場所だったり、精製に膨大なエネ
ルギーを必要とする種類のアブラになりま
す。極地や深海などの油田はハリケーンや
嵐など、環境ゲテモノ化の巻き起こす「異
常気象」に対しても脆弱であることを忘れ
てはなりません。供給ラインはますます不
安定になります。
人間というのは、良質の自噴する油井が
あれば、そこから手をつけるもので、わざ
わざ、何千メートルの深海や極地などから
手をつけたりしません。近年発見される油
田が極地や深海であるのはそのためです。
楽に手をつけられるところはすでに手をつ
けてしまったということです。これは質に
ついても同様で、人間は精製に手間やエネ
ルギーのかからないアブラから使い始める
もので、「石炭のいとこ」のような種類の
アブラは当然、後回しになります。やはり、
ここ数年、アルバータのタールサンドやベ
ネズエラのオリノコ原油が話題になるの
も、簡単に使えるアブラを使い切ってしま
ったという証左です。
現在、世界では毎日毎日8,400万バレル
程度のアブラが消費されています。全エ
ネルギーの43%、交通運輸燃料の95%が
アブラに頼っています。チープ・オイルの
存在が経済のグローバル化を支え、我々
が享受する近代的で快適な生活を支えて
きたのです。その一方、チープ・オイルの
消費が環境ゲテモノ化に拍車をかけてき
たのです。
現時点で原油価格は1バレル100米ドルに
迫る勢いで高騰しています。年の初めから
比べると50%以上の値上がりになります。
2002年には20米ドルだったので、わずか5、
6年の間に5倍になったことになります。こ
の勢いでいけば、これから5年、6年後には
1バレル500米ドルもあり得ないことでは
ありません。もちろん、米ドル自体が弱く
なっていること、インフレなどを加味する
と単純に「史上最高値」ということはでき
ません。しかし米ドルの減退そのものに
「原油本位制」、そしてアブラに立脚する文
明の衰退が含まれていることを読み取るべ
きでしょう。
通常原油の世界生産はここ2年半、減耗
する一方であり、液体燃料全部についても、
ドイツのシンクタンク、エネルギー・ウォッチ
・グループは2006年にピークに達した、
これからは減耗すると10月に報告していま
す。もちろん、これらを上回る可能性が丸
っきりないとは言えません。しかし、「ピ
ークを過ぎた」という声は石油業界のトッ
プや産油国、そしてこれまで「ピーク」に
言及することを避けてきた機関や政治家、
メディアのなかからも上がっていることは
注目するべきです。
■不自然な食料事情:近代化の歪み
環境ゲテモノ化/オイルピークの影響は
衣食住、人間の必要のすべてを直撃します
が、一番心配なのは食料生産です。世界の
穀物備蓄はここ数年の豊作にも関わらず、
すでに2カ月分を切っています。拡大する
消費に生産が追いついておらず、備蓄をど
んどん切り崩しているのです。ゲテモノ
化/オイルピーク時代には、これまでのよ
うな飽食習慣を続けていくことはできませ
ん。世界各地からチープ・オイルで運ばれ
てきた食材を好きなだけ食べ散らかす、そ
ういう食習慣が持続不可能なものであるこ
とは言うまでもありません。
ゲテモノ化が本格化するにつれ、世界各
地で干ばつや洪水が頻繁化し、その規模も
烈しさを増していきます。何カ月も干ばつ
が続いたあと、雨が降ったと思えば土砂降
り、というように年間降水量の辻褄は合っ
ても、人間や植物に利用可能な水の量はこ
れからますます減少していくことが予想さ
れます。そして、水がふんだんにあれば良
いかと言うと、そうでもありません。過度
の湿潤は害虫やカビの発生につながります。
7月に2週間ほど、これが見納めとばかり、
それまで住んでいたシドニー郊外からアデ
レードまで内陸部を旅行する機会がありま
した。レッドガムが川辺に影を落とす姿は、
オーストラリアならではの独特の風景です
が、大陸そのものの未来を示唆するかのよ
うに、川も生態系も瀕死の様相でした。マ
レー川/ダーリング川流域はちょろちょろ
とした流れで、大河と言うにはほど遠い有
様で、こんなにやせ細るまで水を搾り取っ
ているのか、と悲しくなりました。
レッドガムは樹齢が500年から1000年に
も達し、ちょっとやそっとの干ばつにも耐
えられるはずですが、それが息絶え絶え、
死にかけていました。レッドガムの林の7
割以上が、すでに危機的な状況にあるとい
われています。未曾有の干ばつとやたらぼ
ったくりな取水のおかげで洪水が跡絶えて
いるので、種が発芽できない。だから新し
い木が生えてこない。そして、成木すら枯
れ始めていました。
全国農産物の約4割は、この流域で生産
されてきましたが、それも壊滅的な様相を
呈してきました。例えば、これらの川から
搾り取った水で稲作が行われ、日本へも盛
んに輸出攻勢がかけられてきました。しか
し、稲作農家への灌漑割当がなくなり、農
業資源経済局(ABARE)によれば、来シ
ーズン、米の生産は5万トンに落ち込むだ
ろうといわれています(業界筋によれば
1.5万トンに落ちるという報道もある)。オ
ーストラリアのように乾燥した場所で、稲
作はもともと無理だったのではないでしょ
うか。
そうかと思えば、昨今の水不足のおか
げで、VIC州では1週間に3, 000頭以上の
牛がと殺されているそうです。そのおか
げで、これまで高騰を続けてきた小麦価
格は少し下がっています。これまで家畜
の餌に回されていた分が市場に出回って
きたからです。
農家の苦労には同情するものの、よくよ
く考えてみると、近代型農業、自然を収奪
する農業、そして、そんな農業生産に頼っ
たこれまでの食生活の方がおかしいのでは
ないか。私たちは分不相応に、生産できる
以上のものを消費してきたのではないの
か。そして、オーストラリアなどの脆弱な
食料生産基盤を当てにして、経済連携協定
やら自由貿易協定を推進し、これまで何百
年も生産を続けてきた田んぼを潰して平気
な日本の自由貿易論者のもくろみがいかに
時代錯誤なもので、近視眼なものであるの
か。そんな気がしてきます。
「近代的な農業」は肥料から農機具燃料、
保存から輸送までチープ・オイルがなけれ
ば成り立ちません。パーマ・カルチャーの
開祖、デビッド・ホルムグレンが「オース
トラリアで口にするコップ1 杯の牛乳の
20%は石油である。ヨーロッパでは50%、
イスラエルでは80%が石油だ」と言ったよ
うに、私たちの口にする食物には大量のア
ブラがしみ込んでいます。アブラ生産が減
耗する時代には、当然、玉突き状態で食料
品、食材の値上げに跳ね返ります。
しかも、限られた農地や水をめぐり、バ
イオ燃料用の作物を生産するか、それとも
食料生産にあてるのか、そういう競争が激
化します。10月末、国連人権委員会、食料
の権利担当特別報告者ジャン・ジーグラー
が、口にできる作物をバイオ燃料生産に回
すことは「人類に対する罪」だと断罪する
ほど、すでに競争はし烈になっています。
例えば、世界の食物輸出の3分の2を賄う米
国では、来期収穫予定のトウモロコシの3
割がすでにバイオ燃料用に買い上げられて
います。
■食のローカル化:
アブラまみれの生活からの脱却
私たちの暮らすゲテモノ化/ピーク以降
の時代の対策として、もっとも有効なこと
は、自分の食生活に責任を持ち、食生活か
ら積極的にアブラを抜いていくことです。
これは「食のローカル化」であり、「食の
グローバル化」の対極となる行動です。自
ら口にするものは自らが育てる、「王様」
と不当に祭り上げられた「消費者」の座を
自ら進んで退位し、自分自身を「生産者」
と位置づけし直すことから食のローカル化
が始まります。
まず、食のローカル化は自宅の裏庭から
始まります。都会のアパート暮らし、ネコ
の額ほどの庭のない人もあきらめることは
できません。生産はアパートのベランダ、
屋上、どこでも始められるところから手を
着けます。近所に空き地があるかもしれな
いし、共同菜園があるかもしれません。
これがどれほどこれからの時代に重要な
ことであるのか、「エネルギー・ブレティン」
の編集者、アダム・フェンダーソンは次の
ように試算しています。
オーストラリアでは家庭あたり年間28.5
万リットルが直接消費されているが1万リ
ットルの雨水タンクを設置すれば、3割か
ら4割は賄うことができる。貯めた水を使
い、自宅で食料生産を始めれば、買わなけ
ればならない食料の量が減る。食料に含ま
れる水の量というのが半端ではなく、オー
ストラリアでは水消費の65%が農業用であ
る。つまり、ひと家庭では食料を購入する
ことで、毎年164.7万リットルを消費して
いる。自宅で食料生産を始めれば、大量の
水の節約につながる。
裏庭で食の生産を始めることは、温暖化
ガスの削減にもつながる。「我々はクルマ
に注ぐ以上のアブラを冷蔵庫に注いでい
る」と言ったのは前副首相のジョン・アン
ダーソンだが、オーストラリアでは1人当
たり、年間8バレルのアブラを食に費やし
(クルマにはその半分)、3トンの温暖化ガ
スを生産している。自ら食の生産者になる
ということは温暖化ガスの発生を抑え、ア
ブラ減耗時代の備えにもなる。
また、これまで埋め立て地を汚染して
いた「生ゴミ」や庭から出る「ゴミ」は
貴重な肥料になり、自宅で循環すること
ができる。家庭から出る「ゴミ」の6割以
上、年間1. 5トンはそれぞれの家庭で肥料
化できる。
食の生産者になるって言っても、食材の
すべてを裏庭で賄おうというのではありま
せん。半分でもできりゃ上出来ですが、そ
れにしてもものすごい量のアブラや水の節
約になり、ゲテモノ化の抑制になります。
そして、残りの半分も何千キロも離れた地
球のはてからアブラまみれで届く食物では
なく、近場の生産者から手に入れるように
する。グローバル化した食生活に慣れた体
には大変なことのようにも思えますが、な
るべく自分に近い場所で食料を確保するこ
とを心がける、それが環境ゲテモノ化/オ
イル・ピーク時代を生き残るひとつの戦略
であることは間違いありません。
2008年、ポジティブな時代に向け、第
一歩を踏み出せる年になることを祈ってい
ます。皆様、よいお年をお迎えください。


(日豪プレス12月号)