オリンピックやスポーツに一喜一憂することは、もう、ほとんどありませんが,忘れられないシーンがいくつかあります。
<1968年、メキシコシティー。挿入写真は生前のノーマン。写真はヘラルド紙より。>
東京から4年後,1968年にメキシコで開かれたオリンピック大会でアメリカの黒人選手が表彰台でアメリカ国旗に拳をかざす姿もそのひとつ。覚えている人も多いかと思います。政治とスポーツは別物だという戯れ言を聞くたびにこの写真を思い出してしまいます。
かなり,しっかり脳裏に焼き付いた写真が数日前の新聞に載っていたのは、この3人のうちの一人が先日,心臓発作で死亡したからでした。
アメリカ国歌の流れるお立ち台で黒い手袋,右の拳をあげるのは金メダリストのトミー・スミス,銅メダリストのジョン・カーロスは左の拳をあげています。スミスとカーロスはこの抗議行動のため、メキシコ大会から放り出され,オリンピックからも追放されました。オリンピックは国威発揚の機会であり、それに歯向かう個人は追放する、そんな仕組みをよく示す出来事でした。
その一方,国旗掲揚をまっすぐ見据えるのは,銀メダリストのオーストラリア人、ピーター・ノーマンです。白人であり,オーストラリア人であるノーマンは場違いなようにも見えます。
ずっと、抗議行動には関係ない,むしろ、あっけにとられていたのではないか,と思っていたのですが,実はそうではなかったようです。
昨年のインタビューによれば,ノーマンは自分の腕こそあげなかったものの,二人の行動に同情的で,むしろ積極的に手を貸したのだそうです。ひとつしかない黒い手袋を分け合うように提案したのも実はノーマンだそうで、そうか,二人のアメリカ人選手は右と左,別な拳を突き上げているのは、そういう理由だったのですね。また、この写真では小さくてわかり難いのですが,お立ち台のノーマンはこのとき,アメリカの人権運動のバッジを胸につけていたそうです。
ノーマンのメキシコシティーでのタイム,20.06秒は38年間破られることがなく未だにオーストラリア記録です。それも,ものすごい名誉なことでしょうが,ノーマンにとってはスミスとカーロスの抗議に居合わせたことが生涯の誇りだったようです。
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