大げさなイントロに続いて,そんな一説で始まる十代の切なさを歌う曲(”Shivers”, the Boys next door)に共鳴していた時期がある。いまはすっかり、こぎれいになった町の汚い一角に暮らしていた頃だ。近所の連中の間でも人気があったから,喫茶店にあるジュークボックスからは,何時間かに一回,その曲が聞こえてきたものだ。売れない作家や,映画監督にミュージシャン,詩人に俳優や絵描き,ジャンキーやなんかと一緒に,何杯もコーヒーを飲みながら、一日中、自分も厭きた振りをしていた。
しばらく聴いてなかったあの曲が耳に鳴り響き始めたのは数日前,晩飯を食べながら,ラジオを聞いている時だった。
「環境にいいこと,何をやっているか教えてください」とラジオのクイズ番組の司会者が聞いている人に呼びかけていた。クイズ参加者はそれぞれ、風呂やシャワーの排水を庭に撒いているとか、庭で野菜を作っているとか、古紙をゴミにせず,リサイクルに出すようにしているとか,そういうことを得意そうにしゃべっていた。みんな,それなりに意識が高まり,自発的にいろいろやり始めている。それはそれでいいことに違いない。でも、誰も,人間の存在そのものを疑うものはいなかった。
夕飯の前に読んだニューサイエンティスト誌の記事がいけなかったのかもしれない。その記事は人間こそが環境破壊の元凶であるというわかりきったことを伝えていた。
人間がいなくなりゃ,地球環境にはどれほどいいことか。タイムズ紙でも似たような図(ビッグ・ギャブのpeak energy経由)を見た。人間さえいなくなれば,絶滅に瀕する植物や動物は復活するチャンスを与えられる。1日から2日で光公害も終わり,3ヶ月もすれば大気も回復する。50年すれば,魚のストックも回復する。などなど。いいことだらけだ。
わかりきったことには違いないが、そういわれてみりゃ,人間にできる一番環境にいいことは,テメーの首を絞めることなのかもしれない。一人いなくなるだけでも,地球への負荷はずっと減る。だから、メシ食うな。息をするな。糞をたれるな。クルマに乗るな。電気を使うな。ケータイを捨てろ。ヒコーキをやめろ。その方がずっといい。人間の存在そのものが地球にはメーワクなんだ。
だから、それから、ずっと、死のうと考えている(でも,それは自分のスタイルに合わない。だから,実は厭きた振りをするだけさ)。
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