ジム・ラブロックがガイアの復讐/Revenge of Gaiaという近著のプロモーションをかね、英国各地を講演中だそうだ。
アイルランドのキンセールという町の「エネルギー下降タウンプラニング計画」に携わったロブ・ホプキンスのブログには、3月はじめ、ダーティントンで行われたジム・ラブロックの講演を聞きにいった話が載っている。
しょっぱなから「聞く者の人生を変えてしまうほどのデビュー・アルバムを作りながら、それから10年余、目先が定まらず、どうしようもない音楽を大汗かいてやっているバンドを見にいくようなもの」と、手厳しく、しかしきわめて分かりやすい比較。
講演の内容は先日気候変動はすでに手遅れなのか/Too late to act?で紹介したガーディアンの記事に近いもののようです。ガイア仮説の生みの親、地球環境の観察や分析においては優れているかも知れませんが、解決法を編出すことにかけてはあまり長けていないようです。
前述の記事の中でも触れましたが、ラブロックは「需要は増えていくものであり、それを賄うには、っていう議論の展開をします。んで、その答えは原発ってパターン」。ちなみに、ラブロックの「げ」の字に関するポジションですが、新設しろって呼び掛けているんじゃないそうです。これから10年間の間、廃炉予定になっている「げ」の字の廃炉を延期し、そのまま使うべきだとのこと。「げ」の字推進派というより、容認派と呼んだ方がいいかも知れません。もっとも、これはラブロックが英国についてだけ語っているから、という部分を差し引く必要があります。
それにしても、ラブロックの「げ」の字容認の言説は度が過ぎています。核廃棄物は危険かもしれないが、その量は「人々が想像するよりはるかに少ない」、しかも「1950年代には、ロンドンで石炭を燃やしたおかげで、1年に5000人が死んだ」と、危険を矮小化する発言もしたそうです。
同じ頃、南オーストラリア博物館館長、ティム・フラナリーも自著が英国で出版されたのにあわせてイギリス・ツアーをやっていましたが、ラブロック同様、盛んに「げ」の字の連発だったようです。「げ」の字に関して、フラナリーのほうは完璧に推進派。ウラン大国オーストラリアということもあり、フラナリーの「げ」の字に関する発言はウランの輸出が頭にあります。インドや中国で急増するエネルギー需要を賄うため、石炭をじゃんじゃん燃すより、「げ」の字のほうがずっと温暖化を抑えることができる。オーストラリアはそれらの国へウランを積極的に輸出することで、地球全体の温暖化ガス排出を減らすことができる、と。
ラブロックの講演を聞きに出かけたホプキンスも、エネルギー需要を減らそうという頭がない。はなっから、これだけのエネルギーを使わなければならないものと決めてかかり、その上で、こっちとこっち、どっちがいいかと比べている、と批判しています。
エネルギー需要はこれだけある、それを賄うためにこれとこれのどっちがいいのか。石炭よりも「げ」の字のほうがずっといい。という袋小路な二者択一論がフラナリーやラブロックの言い分のようです。「危機は好機」とか「問題の中に解決法がある」なんてこと持ち出すまでもなく、消費を抑えりゃいいじゃん。
ホプキンスは、講演よりもあとの質疑応答のほうがためになった、と報告しています。
ラブロックは、人類は不帰点を通過してしまったので、もう何をやろうが現実的な効き目がない、そして、人間というものは、不吉な予感を感じながらも、危機やショックがあるまで何もしないと言ったそうです。大衆は何も自ら行動しない、だから、人類はもうだめだ。と語ったそうです。
これにはいろいろなレベルからの反論ができます。
まず、そんなにフツーの人間はだめかなあ。政府やリーダーや企業に指図されないと、本当に何もしないのだろうか。人々が予感を行動に積極的に結び付ける社会的な仕組みが欠けているだけなんじゃないか。不吉な予感を行動に移すことを妨げているものがあるんじゃないか。脱石油社会という現実を意識し、人のネットワークを再構築し、積極的な行動を呼び掛けるシステムが欠けているだけじゃないんだろうか。
ラブロックの言うように政府が指導力を発揮し、問題に取り組むことももちろん大切ですが、どれだけ旗を振られても、フツーの人が生活様式を自発的に変えない限り、結局はなんにも変わらない。逆に言えば、それぞれの人間がひとりひとり、行動を起こせば、政府が何もしなくたって、社会は変わるんじゃないでしょうか。フツーの人に過大な期待をしても仕方ないけど、過小評価することもない。そんな気がします。
ラブロックは再生可能エネルギーについて答えを求められ、「田舎は食物を栽培するものであり、都市は生活する場所」という、時代遅れで役にたたない認識を披露し、そのうえで、「田舎に風力タービンを設置するなんてもってのほか。すべての土地は食物の栽培のために必要だ」と発言したそうです。食料の生産が先、ってのは分かりますが、都市は消費者、田舎は生産者ってのは、ラブロックの発想の限界を示しているような気がします。都市でも食物生産のできる条件はあるし、風力タービンと牧畜は共存できないわけじゃない。
また、オイル・ピークと気候変動について、ASPO(ピークオイル研究学会)の代表、キエル・アレケットや学会創立者のコリン・キャンベルは、IPCCが見込んでいるほど、石油と天然ガスは残されていないんじゃないか。IPCCは石油換算で5兆?18兆バレルと見積もっているが、実際は3兆5千億バレルであり、IPCCの気候変動の予測を満たすほど、残ってはいないんじゃないか。そういう報告をしています。オイル・ピーク以後、石炭が再び活用されることも考えられるので、これは重要な問題ですが、意見を求められたラブロックは、すでに引返し不可能な地点を超えてしまったので、重要ではない、と返答したそうです。
ガイア仮説で、かつては革新的なアイデアの先端にいたラブロックですが、もうすっかり、さじを投げてしまったようです。そういう絶望した人に、これからどうしたらいいのか、変動の時代の生き方、処方せんを尋ねるほうが筋違いってことかも知れません。
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