オイル・ピークだ、石油減耗時代だって、おののいているばかりではしかたがない。そういう時代を積極的に迎える方法のひとつは、これから不要になるものをどう創造的に利用するか、考えてみることじゃないだろうか。すくなくとも、そっちのほうがずっと建設的だ。
たとえば石油減耗時代にまっ先にだぶついてくるのはドラム缶じゃないか。石油時代を象徴するドラム缶がゴロゴロと、お役御免になるんじゃないか。そしたら、まず、こいつらの退役後の身の振り方から、考えておくのも悪くない。
一番オーソドックスなのはたぶん、オリジナルな用途を流用し容器として使うことでしょう。ドラム缶ってのはこちらでは44ガロンと言われてますが、アメリカ式のガロンだと55ガロン、200リットル入りが標準です。もともと液体を入れる容器なので、水をためたりするのには適しています。数えてみたら、うちの庭にはドラム缶が9つ、あちこちにゴロゴロしてましたが、そのうちのひとつは、雨漏りのする雨樋の下においてあります。かなり受動的で場当たり的な「装置」ですが、一雨降れば、それでも結構な量の水がたまります。
容器としてドラム缶をとらえれば、なかに入れるものは液体でなくても構いません。ふたがしっかり密閉できるドラム缶なら、穀物や飼料の保存用に使えます。これならネズミも歯がたたない。うちでもいくつかをこの用途に使ってます。
たまった雨水はバケツや柄杓や如雨露で上からくみ出せばいいし、動物のエサや玄米はふたをあけて上から取り出せばいいので、何かをためる容器としてはそのままで十分に機能します。しかし、ちょっとした改修をするだけで、かなり便利になります。近所にはいくつかのドラム缶を雨水タンクとして使っている人もいます。
ひとつのドラム缶が一杯になると、雨水は上のほうにあるパイプから次のドラム缶に流れていく仕掛けで、それが一杯になると次、という具合。ドラム缶ひとつはたかだか200リットルですが、いくつか連結すればちょっとした量になります。で、これらの連結ドラム缶は、ちょっとした高さの台にのっけてあり、最後のドラム缶には底の方に蛇口がついている。重力利用の水道で、蛇口をひねれば水が出る。大規模、エネルギー消費型、「近代的」な暮しとほとんどまったく変わらない便利さです。
空のドラム缶は筏の浮きにもなります。手塚治虫のマンガ、「大洪水時代」のクライマックス、押し寄せてくる津波にビルの上に取り残されたで主人公たちが筏を作る場面があります。ずっと、ドラム缶を使ったんだと思い込んでましたが、しばらくぶりに読み返してみると、浮きに使われたのは木製の風呂桶でした。が、石油減耗時代ならば、ここはドラム缶でしょう。ドラム缶の筏といっても、標高千メートルのこのあたりではせいぜい、湖とか池に浮かべる以外あまり使い道もなさそうですが、地球温暖化で海面の水位が上昇するこの頃のこと、海の近くに暮らしている人はひとつ、ドラム缶で筏を作っておくということも現実的かも知れません。
そういえば、風呂やトイレに入る時に眺める1945年に出版されたHandy farm and home devices and how to make them(農場や家庭の手軽な装置とその作り方)って本にも、ドラム缶を利用したアイデア、工夫がたくさん載ってます。いまから60年前の工夫や発想は参考になることばかり、いらすとも楽しい本です(いくつか、この本のイラストをここで紹介しようと思ったんですが、しばらく使ってなかったスキャナーが死んでました。ので、図版はなし)。
ためた水を使う方法として、この本にはドラム缶のふたに穴をあけて空気ボンプをつける方法が紹介されています。水を入れたドラム缶にふたをしっかり固定し、ポンプで圧力をかければ、快適快適、シャワーになります。このあたりのような冷涼気候だと、太陽熱を利用した温水器なんかと組み合わせないと実際には使わないかも知れません。でも、シャワーなんて、そもそもひとり10リットルから20リットルもあればすんでしまうものだから、200リットル入りのドラム缶を使うってのは大袈裟かなという気もします。
このあたりの使い方になると、ドラム缶は受動的な容器でありながら、積極的な道具に変わってきます。
道具としてのドラム缶でまっ先に思い付くのは、その中で火を燃やすこと。昔たむろした飯場や工事現場なんかでは、半端な屑材がドラム缶の中に投げ込まれ、常時燃やされていたような気がします。屑材を片付けることが主な目的なのか、それとも寒い現場でつかの間、暖をとるのが目的なのか、よく分かりませんでしたが。薪の質が悪かったのか、それともドラム缶で裸火を燃やしてももともとそれほど暖かくならないのか、いくら火に手をかざしても少しも暖まらなかったことを憶えています。
なんて思ってたら、ロブ・ホプキンスのトランジッション・カルチャーというブログが「ドラム缶の正しい使い方」を連載中。アイルランドのキンセールは石油減耗時代へ意識的に下降をはじめた世界で最初の町だが、ホプキンスはこの町が去年採択した「エネルギー下降計画」に大きく加わった人物。それだけに、ホプキンスが紹介する方法は、奥が深い。ドラム缶の底のほうにいくつか穴をあけて、空調用とし、詰めた木を燃やし木炭作りに使うなんてのは、エネルギー下降の時代
を読み切った人のアイデアだ。第二時大戦中にガソリンが不足した時、木炭がクルマの燃料に使われたということが記事の中にもでてくるが、木炭バス、木炭トラックなんてのは減耗時代に復活しそうなアイテムだ。
ドラム缶を筏の浮きにすることはホプキンスもあげている。しかし、違うのはそこからで、その筏を浮かぶ野菜畑にしようと言っている。筏の上に雑草やほし草などを積み上げて床を作り、野菜は筏の下まで伸びた根から直接水を吸収する。うーん、おもしろい。
その他、ホプキンスは採集したコンフリー(ヒメハリソウ)を詰め、ふたをして数カ月、エキスを採集する道具として使うことも提唱しています。コンフリーの効能についてはよく知られており、うちでも、水をはったドラム缶に入れて液肥を作ったことがあります。効果はともかく、匂いが強烈で、手につくと、石鹸で何度洗っても、一週間くらいは残ります。すぐに止めてしまいましたが、ホプキンスの説明するやり方は、水を加えないようで、余り匂いもひどくなさそう。次の機会に試してみようっと。
ホプキンスのブログに共感することが多いのは、「行動」を理念としていることもそうだが、同じような音楽を聞いてきたんじゃないかって思わせるところ。「ドラム缶の正しい使い方」にも、きわめて「実用的」なアイデアだけじゃなく、ドラム缶を楽器にすることも紹介している。エネルギーを使う「音楽の消費者」から「音楽の生産者」へ、というわけだ。喜納昌吉あたりなら「すべてのドラム缶を楽器に」なんて言い出しそうだ。ドラム缶から本格的なスティール・ドラムを作るとなると大変そうだが、生のドラム缶をひっ叩いて音楽ができるってことはあちこちでみている。ホプキンスは、テスト・デパートメントとアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの例をあげているが、これらの「インダストリアル」系バンドは意識的にか無意識にか、石油減耗時代を先取りしていたのかもしれない。
こうやってみてくると、核廃棄物を詰め込んでコンクリートづけにするのに使うなんて、かなり安直でダサイ。
ちょっと錆びはじめ、くたびれてきたのは鶏など小動物の小屋として使うこともできます。半分に切って使う人もいますが、うちでは横にして、転がらないようにレンガなどで支えをしてやるだけ。この中にワラを敷いて、簡易鳥小屋の出来上がり。
ドラム缶の独創的な使い方、うちではこんなふうに利用している、とか、おもしろいアイデアがあれば、教えてください。
(ちなみに。液体のアブラを貯蔵し運搬するには容器が必要で、しばらくは木でできた樽が使われたそうです。この樽(バレル)が42米ガロン=約159リットルだったので、いまでも売り買いの単位や量を計ったり、石油価格を示す時はバレルという単位が使われるのだそうです。でも、樽が実際に使われたのは短い時期のようで、小売りや消費者レベルではともかく、すぐにパイプラインだとか鉄道やトラックのタンカーに切り替えられたそうです。なので、石油といえばオイル・ドラムとか、ドラム缶を連想しがちですが、実際はあまり正しくないことになり、減耗時代になってもドラム缶が直接だぶつくということはなさそうです。まあ、象徴、ということで。はい)
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