うちから30キロほどの場所に人口1万2千人の町があります。この辺の行政の中心で、ちょっとした商店街があり、スーパーや動物関係の店、金物屋、市役所などもここにあります。1870年代のゴールドラッシュの頃にできた町で、近所で産出するホワイトストーン作りの建物がドシーン,ドシーンと鎮座する、それなりに豪勢な町です(実は最初にここを訪れたときに、古い銀行やらの建物に結構うっとりと見とれ、滞在を延ばしたのでした)。
うちからはクルマで20分ほど、アブラ代が往復でなんのかんの10ドルくらい(クルマのメンテ代とかそういうのは含まれておらず、単純なガソリン料金)です。まあ、たいていの買い物はここで済ませます。着いてしばらくは2、3日に一回、この町にでかけてましたが、だんだん、ストックがたまり、今では2週間に一度、買い物に出かけるくらいですむようになりました。あんまり出かけないので、でかければあれもこれも、図書館から本を借りたり、銀行に出かけたり、知人を尋ねたり、何でもすませるようにしています。これがなんとか、ひと月に一度くらいで済ませられるようになるのが理想で、そうすれば、いまの10倍くらいになってもなんとか、やっていけるだろうと踏んでます。
ただ、心配なのは結構アーティストや職人など、かなり面白い人間がいるので、それらの人間に会うために出かけなくっちゃならないかなあということです。今日も、ほとんどほかに用事もないのに、この町に出かけました「お椀舟レース」があったからです。
クルミを半分に割ったようなお椀舟、日本やベトナムでもありましたが、この辺の連中が参考にするのは、アイルランドやスコットランド、ウェールズのもの。それぞれ手作りで素材や形もいろいろ。
この町、ペニー・ファージングと呼ばれる前輪の大きな自転車が走ったり、休日には蒸気機関車が走ったりと、ビクトリア時代の町並みにあった活動が盛んで、それが観光の目玉にもなっています。アーティストや職人たちの中には、ピーク時代を意識した上で、「伝統」へ向かう連中もいます。日本でいえばオイル・ピークだから、江戸時代の技術を見直そうってな乗りでしょうか。知り合いの木工職人は電動工具など、いっさい使わず、人力だけで籠や鋤などの道具を作り上げます。
すでに「脱石油時代」を既に生きている連中が、手作りのお椀のような小舟を持ち寄り、速さを競い、お互いの舟を転覆させ合う。小さな浜は笑い声があふれてました。参加したのは10隻ほどですが、この「お椀舟レース」、どんどん、盛んになりそうな気がします。だって「適正技術」であり、おもしろいんだもん。
(本日の勝者、マイクが柳のかごのようなお椀舟をこぐ。これを作るのに一週間かかったそう。)
レースのあと、今日の勝者、普段は柳でかごを作るマイクがうちへ寄って、裏にある池で自作の舟に乗せてもらいました。なかなか、思うように舟を進めることができず、くるくるくるくる、回ってばかりでしたが、だんだん、櫂の使い方がわかってくるとおもしろい。思うような方向にもだんだん進めるようになります。でも、ちょっと強い風が吹くと、もう、木の葉のように風まかせ。これは仕方がありませんね。逆らえない。岸辺から「どこへ行くつもりなの」なあんて笑い声がきこえても、どうしようもない。
この池で魚を養殖しようというアイデアはありましたが、収穫をどうしようかとあれこれ考えてましたが、丸いお椀舟がどうやら解決策のようです。早速、作り方を習い、池に浮かべ、一寸法師のまねごとをするつもり。
No comments:
Post a Comment