環境ゲテモノ化時代、ピーク以降の社会では一人一人に利用できるエネルギー量が低下するものとみられています。一人一人の使えるガソリンの量だけでなく,食料から何から,アブラ漬けで生産されるもの,すべての量が減るということです。
先進国では現在当たり前に思われていること,例えば,これまでのようにじゃぶじゃぶとアブラを燃やして食料を生産することはかなわなくなります。これまでのようにハウスでじゃんじゃん重油を燃やして季節外れに生産されたトマトやイチゴを食べるなんてことはかなわなくなります。世界の果てからえっちらおっちら、アブラ漬けで輸送された食料に頼る,なんてことも難しくなるはずです。
日本でも、エネルギー消費の少なかった100年前とかには人口の大半が農業に従事していたはずです。それが現在では1割以下。大半の人間がアブラ漬けの食料に頼っています。アメリカでは産業化以前には3割以上が農業に携わっていたのに,現在では2%くらいだそうです。
そういう歴史的な事実から将来を類推することはできますが,江戸時代にそうだったからといって,必ずしも過去が繰り返すわけではありません。昔の知恵や社会構成は参考にはなるものの,それがそのまま役に立つとは限りません。
エネルギー消費と農業人口,現在ではどうなのでしょうか。消費の少ないところでは農業人口は多くなっているのでしょうか。
(オイルドラムより)
これはカリフォルニア州のウィルッツの町で,地域経済のローカル化を進めるジェイソン・ブラッドフォードがエネルギー消費と農業人口の割合を国別にグラフにしたものです。
205の国について,国連食料農業機関(FAO)のデータをもとに、それぞれの国の総人口に対する農業従事者の人口を割り出し(縦軸),アブラ,ガス,石炭、電気など米エネルギー省EIAのデータをもとに個人のエネルギー消費(横軸)と対比させたものです。
さあ,これから何が見えるか。
もちろん,歴史的な考察同様,断定することは危険です。エネルギーには薪だとか動物の糞など,すべてのエネルギー源がカバーされている訳ではありません。それぞれの国勢調査がどれほど正確なものかわかりません。しかし,傾向は歴史的な考察と同じことを示しています。
低エネルギー社会では,自分の食べる物に自分で責任を持つ人間の数が多い。どうやら,それが来るべき社会のようです。
そんな時代の到来に向け,「帰農」なんかしなくても,少しずつでも自分の食べる物を自分で生産する。足りないものは歩ける範囲の場所で調達する。そんなふうに暮らしたい。たとえ、ピークが「ユダヤの謀略の所産」でゲテモノ化が「原発推進派の謀略」の所産で、どちらも現実にならなくってもちっともかまわない。
だって,そんな暮らし,気持ちいいんだもの。
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