1975年、東チモール侵略の際、インドネシア軍の行った残虐行為について、西側政府はどこまでその事実を掴んでいたのか。その事実を英国政府は知りながら黙認し、国際社会に黙認を求め、インドネシア政府に加担したことを示す外交文書が公開された。
(1日付けのザ・タイムズ紙(ロンドン)に要旨が報道されたということだが、その原文はまだ見つからない)以下はメルボルンのジ・エイジ紙などに掲載された記事などからの要約。
http://theage.com.au/news/NATIONAL/Australia-UK-hushed-up-Balibo-killings/2005/11/30/1133311106799.html
http://www.theage.com.au/news/national/britain-lied-about-1975-timor-deaths/2005/11/30/1133311106658.html
1975年のクリスマス・イブ、ジョン・フォード駐ジャカルタ英大使はロンドンへの電報で、インドネシア軍は制圧した東チモールの首都、ディリで「略奪と殺害、蛮行の限り」を尽くしたと報告した。しかし、同大使は「蛮行について尋ねられたら、私たちの手許には情報が全くないと言うことを進言する」と付け加えた。
その理由は「チモールは、米国が口をはさんだり、関わりになりたくない地域としてキッシンジャー(米国務長官)があげるリストの上位にある場所」だからで、「我々も米国の例にならうべきだと確信する」と大使は述べている。
その進言に従うように、国連安全保障理事会の議長をつとめていた英国は「チモール問題に熱を上げないように」しむけ、インドネシア政府の東チモール侵略に対し、国連はやんわりとした非難を出しただけだった。
同大使は、バリボの町でインドネシア軍の侵略を撮影していて殺された5人のTVクルーについて、インドネシア側に詳細を追求しないよう、ジャカルタのオーストラリアの大使館に進言していたことも分かった。
1975年10月、5人の殺害から8日後に送られた電報で同大使は、次のように言っている。
「ジャーナリストたちの身の上に何が起きたのか、こちらで事実上把握しているのだから、インドネシア側が出したがらず、出せもしない情報を要求することは無意味だとオーストラリア側には言っておいた」
「抗議をしたところで、ジャーナリストたちの遺体が出てくるわけじゃないんだから、我々も、この件に関し、抗議は控えるべきだと思う」
「それに、5人は自らの意志で戦闘地帯にいたんだから」
オーストラリア大使館は自国人を含む5人がインドネシア軍により殺害された事実を知りながら、英国大使の要請に従い、黙認を決めこんだのだ。
「バリボの5人(オーストラリア人2人、英国人2人、ニュージーランド人ひとり)」はインドネシア軍により殺されたのではないかという疑いが根強くあるが、オーストラリア政府は長い間、5人は戦闘の巻き添えになって死んだというインドネシア側の説明を繰り返してきた。
来年早々、シドニーで開かれる予定の公聴会では、両政府が東チモール侵略に関し、これまでついてきた嘘ともみ消し工作の実体ががさらにあきらかになるだろう。
(1/12/5)
(1日付けのザ・タイムズ紙(ロンドン)に要旨が報道されたということだが、その原文はまだ見つからない)以下はメルボルンのジ・エイジ紙などに掲載された記事などからの要約。
http://theage.com.au/news/NATIONAL/Australia-UK-hushed-up-Balibo-killings/2005/11/30/1133311106799.html
http://www.theage.com.au/news/national/britain-lied-about-1975-timor-deaths/2005/11/30/1133311106658.html
1975年のクリスマス・イブ、ジョン・フォード駐ジャカルタ英大使はロンドンへの電報で、インドネシア軍は制圧した東チモールの首都、ディリで「略奪と殺害、蛮行の限り」を尽くしたと報告した。しかし、同大使は「蛮行について尋ねられたら、私たちの手許には情報が全くないと言うことを進言する」と付け加えた。
その理由は「チモールは、米国が口をはさんだり、関わりになりたくない地域としてキッシンジャー(米国務長官)があげるリストの上位にある場所」だからで、「我々も米国の例にならうべきだと確信する」と大使は述べている。
その進言に従うように、国連安全保障理事会の議長をつとめていた英国は「チモール問題に熱を上げないように」しむけ、インドネシア政府の東チモール侵略に対し、国連はやんわりとした非難を出しただけだった。
同大使は、バリボの町でインドネシア軍の侵略を撮影していて殺された5人のTVクルーについて、インドネシア側に詳細を追求しないよう、ジャカルタのオーストラリアの大使館に進言していたことも分かった。
1975年10月、5人の殺害から8日後に送られた電報で同大使は、次のように言っている。
「ジャーナリストたちの身の上に何が起きたのか、こちらで事実上把握しているのだから、インドネシア側が出したがらず、出せもしない情報を要求することは無意味だとオーストラリア側には言っておいた」
「抗議をしたところで、ジャーナリストたちの遺体が出てくるわけじゃないんだから、我々も、この件に関し、抗議は控えるべきだと思う」
「それに、5人は自らの意志で戦闘地帯にいたんだから」
オーストラリア大使館は自国人を含む5人がインドネシア軍により殺害された事実を知りながら、英国大使の要請に従い、黙認を決めこんだのだ。
「バリボの5人(オーストラリア人2人、英国人2人、ニュージーランド人ひとり)」はインドネシア軍により殺されたのではないかという疑いが根強くあるが、オーストラリア政府は長い間、5人は戦闘の巻き添えになって死んだというインドネシア側の説明を繰り返してきた。
来年早々、シドニーで開かれる予定の公聴会では、両政府が東チモール侵略に関し、これまでついてきた嘘ともみ消し工作の実体ががさらにあきらかになるだろう。
(1/12/5)
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