IEAが去年の「世界エネルギー展望」という年次報告書で「在来型原油の生産ピークは2006年だった。もうこれからそれが上向きになることはない」と報告して以来、「ピークオイル」という言葉はかなり普通にあちこちで目にするようになりました。しかし、(IEAを含めて)意味が分かっていない人が多いですね。
昨日もイギリスのガーディアン紙がウィキリークスが暴露した外交電を転載しています。ウィキリークスが暴露した5つの外交電は現地のアメリカ大使館から国務省に送られたものです。外交官の目から見て「極秘」だとか「秘密」としただけで、ピークオイルを追ってきた人たちにはとりたてて目新しい内容はありません。これまで秘密のベールに包まれてはいたものの、すでにかなり想像がついていたこともたくさんあります。
たとえば、2007年12月10日付けの外交電では国有石油会社のサウジ・アラムコの元石油探索生産部長のサダド・アル・フセイニの公称確認埋蔵量(7160億バレル)が4割程度も過大報告されているという発言を引用しています。まあ、これなんかも、すでにピーク論者の間では当たり前に考えられていたことです。
(自分のようなシロートですら5年前にこんなことを書いてます。水増しされたクウェートの原油埋蔵量)
アル・フセイニはまた「ピーク・オイル説には組しないものの、世界の原油生産は5年から10年以内に高原状態に達し、15年くらい続いたあと、減少し始めるだろう」と述べたとされています。この発言がなされた時期から察すると、早ければ2012年には「高原状態」に達するかもしれないということです。アル・フセイニはは組しないとは言うものの、認めていることはピーク・オイルそのものです。彼が組しないというのはピークオイル「説」で言及されるピークの大きな影響のことかもしれません。
その点では、昨年「2006年が原油生産のピークだった」と認めたIEAにしても同じで、エネルギー展望でも「だから、どうだったっての?」という立場をとっています。ピークオイルがただ単に原油生産が頭打ちになる、これ以上伸びないだけだ。だからどうなのって論調は、昨今日本のメディアでも目にします。
例えば、こんなのがあります。
近年、ピークオイル論が法華の太鼓のように声高になる中、将来のエネルギー問題は、我々の生活の屋台骨を揺るがしかねないことになってきているわけだが、 今回のブラジルの巨大油田の発見と開発のニュースは、この、エネルギー問題を、緩和させる、あるいは薄れさせることとして、大いに歓迎されるべきことである。
油田発見のピークは1964年のことです。もう50年前のこと。カリオカ油田のようなのがボコンボコン、それこそ「だんだんよくなるなんとやら」なペースで見つからないのはなぜなのでしょう。50年の間に技術は進歩しなかったのか。金もばんばんつぎ込まなかったのか。
この筆者もアル・フセイニやIEAと同じで、ピークの意味がまったく理解できていないようで、だからどーなのと。2008年以来の不況はどうなんだ。それと同じこと、もしくはもっとひどいことがわずか3年後の今年繰り返されようとしている。その理由はなんなんでしょう。
「法華の太鼓のように」繰り返すのは、これからの石油ショックが恒常的なものであり、石油の有用性、エネルギー収支のよさを考えると、現在のようなぬるま湯につかった社会は続いていけないからです。現代人はぬるま湯から自ら抜け出ることができるのか、それともどんどん冷えていく風呂の中で風邪を引いて、最悪、こごえてしまうのか。そういう岐路に立たされている。そういう時代に主体的に、現代社会という暴走列車を止めることができるのか。行く手には線路が途切れてることをしかっと目を見開き、見ようとするのか。これからの道のりは、がつんがつんとケツがどんどん痛くなっていきます。乗り心地は悪くなるばかりです。しかし、今なら、まだ社会を補修するだけの資源が残っている。それを浪費するのではなく、エネルギーが減少する将来のために使うことができるのかどうか。
自分たちが生きているのはこういう希有な時代なんです。そういうまれな時代にはそれにふさわしい見方が必要になります。そういう見方を欠いたまま、TPPがなんちゃらかんちゃらって言われてもねえ。
How long, indeed, here is a live recording of Die Haut song, Subterranean World (How Long) with Anita Lane and Blixa Bargeld.
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