もともと、うちのピュータから記事を投稿できず、あちこちを経由して投稿するってことで対応してきましたが、途切れがちになり、すみません。ここしばらく、新しいピュータを買うことについて、いろいろ考えていました。地主の高野さんあたりには「何をバカなことで悩んでんだ」って笑われそうですが、大したことなんですよ。読者、友人、知人の皆様、いろいろ御心配をかけ、すみませんでした。
こもんずには立ち上がった当初から、うちのピュータからは直接投稿できませんでした。新しいピュータにするか、それともマイクロソフト社のブラウザーを使うしかありませんでした。で、とりあえずは、IE搭載のお隣さんのピュータへメールでうちから送り、そこから投稿すると言うことでしのいでいました。不便さはそれほど気になりませんでしたが、そのうち、そこのピュータの調子が悪くなり、まあ、自分のせいじゃないけど、あんまり気軽にお邪魔できなくなってしまいました。
うーん。どうしよう。
まず考えたのはMS帝国のIEを使うことでした。それなら、器械を新しくすることもない。でも、できない。どうしてもやりたくない。ほとんど生き方とか信条のレベルで使いたくない。MSのソフトは使い勝手が悪いし、独占的で閉鎖的な体質も嫌い。なおかつ、イスラエルがばかすか、やりたい放題に殺人を繰り返すこの御時世、そういうテロ国家に肩入れしている企業の製品は使いたくない。そうかと思えば、MSソフトを使ってくれないと仕事を回さない、そんな圧力がごく自然にかかってくるくらい、準「国際基準」として使われていることにもかちんと反発してしまう。まあ、理屈より、生理的に「使いたくない」というところが一番大きいのですが。
うーん。困ったぞ。
80年代に最初のマックを使って以来、しばらくは、2年に1度くらいで新しいのに買い換えていました。あたかもそれが当たり前のように。ところが、ここ何年か、購入のペースが鈍くなってます。なんか、もうこれ以上「便利」にならなくてもいいんじゃないか。いろいろ、機能がついて、スピードが早くなるのはそれなりにありがたいけど、必要なのかなあ。次第にそんなふうに考えるようになりました。これまでのピュータでたいがいのことはできるし。
そんなふうに考えるようになったのは、ピュータなどをバックエンド,ゴミの視点から見始めたからでした。お釈迦になったピュータはどうなるのか。うちではSE30をしばらく骨董品のノリで置き物にしてたこともありましたが、PowerBookなんかただの灰色の固まり。置き物にもならない。で、結局誰かにあげたりして、責任をごまかしてきました。でも、最終的にはゴミ捨て場にいくってことは誰だって了解している。庭にほっぽっておけば自然に腐るようなものじゃない。
だからピュータも家電も壊れるまで使う。壊れたらできるだけ直す。もう、直せなくなったら、その時にはあわてて買い替えるんじゃなく、それが本当に必要なのか考えよう。と。
ゴミ捨て場は東京の夢の島からエストニアのシラマエにある高濃度放射性廃棄物投棄場まで、いろいろ足を運んだことがありますが、ここ何年かは、ゴミ捨て場の隣で暮らしています。といっても距離的にはうちから何百メートルか離れてますが。でも、風向きによっては匂う時もあるし、ブルドーザーの地ならしの音もしょっちゅう聞こえてきます。散歩に出れば、埋め立て地から風で舞い上がった買い物袋やプラスチックのテイクアウト容器などがフェンスを超えて散乱していることもあります。下流には2キロもしないところに世界遺産指定の国立公園が広がっているってのに。そんなことを見ているうちに、ゴミを生産することが生理的に耐えられなくなっちゃいました。
こうやってバックエンドのほう、ケツのほうから暮し方を眺めると、なかなか、ものを持ち込めない体質になってしまいます。いったんうちの門をくぐったら、自然にかえるまで、最後まで面倒を見る。そのくらい、大袈裟な覚悟をすることになります。そんなですから、どこも調子の悪くないピュータをお釈迦にすることは、ちょっとできない。
うーん、困ったぞ。
しかしなあ、いつまでも逡巡してるわけにもいかないぞ。
そこへきて、ここ何年か、腕や足がだるくて、時には感覚がなく、ひじや膝などの関節に痛みがある。原因は長年の悪さに決まっていますが、時々、電磁波過敏症のような徴候もある。この際ピュータとの付き合い方を根本的に考えたほうがいいというシグナルかも知れないぞ。
なんて、ぶつくさ、悩んでいたら友人から中古の出物がありました。3、4年落ちですが、うちのこれまでのピュータよりずっと新しい。もちろん、ここへも書き込めるぞ。いろいろ言っても、こういうことは起こるべくして起こるものだ。そんなふうに無理矢理納得させ、新中古のピュータを入手、まだワープロソフトが搭載されておらず、ちょいと不便ではありますが、とりあえず、復活のお知らせまでl。はい。
こもんずには立ち上がった当初から、うちのピュータからは直接投稿できませんでした。新しいピュータにするか、それともマイクロソフト社のブラウザーを使うしかありませんでした。で、とりあえずは、IE搭載のお隣さんのピュータへメールでうちから送り、そこから投稿すると言うことでしのいでいました。不便さはそれほど気になりませんでしたが、そのうち、そこのピュータの調子が悪くなり、まあ、自分のせいじゃないけど、あんまり気軽にお邪魔できなくなってしまいました。
うーん。どうしよう。
まず考えたのはMS帝国のIEを使うことでした。それなら、器械を新しくすることもない。でも、できない。どうしてもやりたくない。ほとんど生き方とか信条のレベルで使いたくない。MSのソフトは使い勝手が悪いし、独占的で閉鎖的な体質も嫌い。なおかつ、イスラエルがばかすか、やりたい放題に殺人を繰り返すこの御時世、そういうテロ国家に肩入れしている企業の製品は使いたくない。そうかと思えば、MSソフトを使ってくれないと仕事を回さない、そんな圧力がごく自然にかかってくるくらい、準「国際基準」として使われていることにもかちんと反発してしまう。まあ、理屈より、生理的に「使いたくない」というところが一番大きいのですが。
うーん。困ったぞ。
80年代に最初のマックを使って以来、しばらくは、2年に1度くらいで新しいのに買い換えていました。あたかもそれが当たり前のように。ところが、ここ何年か、購入のペースが鈍くなってます。なんか、もうこれ以上「便利」にならなくてもいいんじゃないか。いろいろ、機能がついて、スピードが早くなるのはそれなりにありがたいけど、必要なのかなあ。次第にそんなふうに考えるようになりました。これまでのピュータでたいがいのことはできるし。
そんなふうに考えるようになったのは、ピュータなどをバックエンド,ゴミの視点から見始めたからでした。お釈迦になったピュータはどうなるのか。うちではSE30をしばらく骨董品のノリで置き物にしてたこともありましたが、PowerBookなんかただの灰色の固まり。置き物にもならない。で、結局誰かにあげたりして、責任をごまかしてきました。でも、最終的にはゴミ捨て場にいくってことは誰だって了解している。庭にほっぽっておけば自然に腐るようなものじゃない。
だからピュータも家電も壊れるまで使う。壊れたらできるだけ直す。もう、直せなくなったら、その時にはあわてて買い替えるんじゃなく、それが本当に必要なのか考えよう。と。
ゴミ捨て場は東京の夢の島からエストニアのシラマエにある高濃度放射性廃棄物投棄場まで、いろいろ足を運んだことがありますが、ここ何年かは、ゴミ捨て場の隣で暮らしています。といっても距離的にはうちから何百メートルか離れてますが。でも、風向きによっては匂う時もあるし、ブルドーザーの地ならしの音もしょっちゅう聞こえてきます。散歩に出れば、埋め立て地から風で舞い上がった買い物袋やプラスチックのテイクアウト容器などがフェンスを超えて散乱していることもあります。下流には2キロもしないところに世界遺産指定の国立公園が広がっているってのに。そんなことを見ているうちに、ゴミを生産することが生理的に耐えられなくなっちゃいました。
こうやってバックエンドのほう、ケツのほうから暮し方を眺めると、なかなか、ものを持ち込めない体質になってしまいます。いったんうちの門をくぐったら、自然にかえるまで、最後まで面倒を見る。そのくらい、大袈裟な覚悟をすることになります。そんなですから、どこも調子の悪くないピュータをお釈迦にすることは、ちょっとできない。
うーん、困ったぞ。
しかしなあ、いつまでも逡巡してるわけにもいかないぞ。
そこへきて、ここ何年か、腕や足がだるくて、時には感覚がなく、ひじや膝などの関節に痛みがある。原因は長年の悪さに決まっていますが、時々、電磁波過敏症のような徴候もある。この際ピュータとの付き合い方を根本的に考えたほうがいいというシグナルかも知れないぞ。
なんて、ぶつくさ、悩んでいたら友人から中古の出物がありました。3、4年落ちですが、うちのこれまでのピュータよりずっと新しい。もちろん、ここへも書き込めるぞ。いろいろ言っても、こういうことは起こるべくして起こるものだ。そんなふうに無理矢理納得させ、新中古のピュータを入手、まだワープロソフトが搭載されておらず、ちょいと不便ではありますが、とりあえず、復活のお知らせまでl。はい。
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