一時は30羽もいた鶏も徐々に行き先を見つけてやり、ついには一羽もいなくなり、朝も夕も、ちょっと気抜けするくらい、勝手の違う日々になりました。これまでは台所に鶏用のバケツがあったのに、それもなくなり、これまた、ちょっと寂しいくらいに勝手が違います。あっけらかん。
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さて、これから引っ越していく村を実際に訪れたのは,もとはといえばその村に魚屋があったからでした。
(北島,カイタイアの釣り道具店の看板)
南島最大の都会(といっても人口は30万)、クライストチャーチから物件を見ながら南下して、たどり着いたのがオァマルの町でした。人口は1万2千人ほどですが、1860年代に絶頂を迎えるゴールドラッシュの頃からの町で,その頃のカネで贅沢に建てられたライム・ストーン建築の豪壮な建物が、どしんどしんと鎮座する町です。そういう歴史の重厚さが現実に目に見える形で残る町並みってのには目がない方なので、近所に泊まることにしました。
宿のおかみさんから近所の話を聞くと、漁港が近くにあるということでした。そう聞いたら,たちまち,生の魚を手に入れたくなりました。ニュージーランドは島国で,どこの町にも魚屋の一軒や二軒ありそうなものなのに,これがどこにもない。ときどき、スーパーで売っているところもありますが、かなり、いい加減で魚と肉と野菜の区別もほとんどつかない店員が番をしてます。ネイピアの漁港,クライストチャーチの町中には何度でも通いたくなるような魚屋がありましたが,それは例外で、新鮮な魚はなかなか手に入らないのです(小さな魚屋は、かつてはどこの町にもあったのに、スーパーの進出で駆逐されてしまったのだとあとで知りました)。
宿のおかみさんに詳しく尋ねると、さっそく隣村の魚屋に電話してくれ,残っている魚を予約してくれました。その魚屋のある村に引っ越していくだろう、なんて、その時にはちっとも思いませんでした。隣にコンピューター・ショップを構える兄ちゃんが,お隣というだけの脈絡で魚屋の店番をしていて、なかなか、のほほんとしていい感じ。その晩は久しぶりで、タラの一種、ブルー・コッドの新鮮なところにありついたのでした。
村を再び訪れたのは、それからまた二、三日してからでした。
あたりをうろうろし,いくつか物件を眺めた夕方、たまたまのぞいた不動産屋の窓にその村のはずれにある物件が並んでました。土地は15エーカーで,なんとか,手の届きそうな値段です。不動産屋のお兄ちゃん,「ここはちょっと変わっているんだ」とか言いながら、先日空撮した写真を見せてくれました。興味をそそられ,いますぐにも見に出かけたかったのですが、今日はもう遅いから,明日,見に行けるように手配をする。そういうことでした。まだ,午後の4時くらい,しかも夏は日が長いので、まだまだ、見に行けそうな気分でしたが、まあ、ニュージーランドの不動産屋のペースにもすっかり慣れっこになっていて、そういうことですか。じゃあ、また明日。と分かれて、宿に向かったんですが、またぞろ,新鮮な魚が食べたくなってきました。あっ、それじゃ,先日の魚屋に行きましょ。とロゴでぶるんぶるん。
魚屋には先日のコンピューターショップのあんちゃんがいて,あれやこれや、話のついでに,くだんの物件がどの辺りにあるのか,そんな話になりました。そのうち、自ら漁に出る魚屋の店主が奥の方から出てきて,ああ,その物件なら知っている,案内しようか。ってな話になり,それじゃ,周りからだけでも見ておこう。あんまりひどかったら,明日、見に行く予定もキャンセルして、次の町を目指そう。と。魚の代金を払うと,早速ロゴに飛び乗り,魚屋のあんちゃんのトラックのあとを追いました。
(海の見える丘の上にある農場)
農場の表まで案内され,魚屋の店主に礼を言って,相棒と二人,柵の外からのぞいていると中から、おじさんが出てきました。物件を外から見にきたというと,中からも見ていけという話になり,それじゃあ,まあ,お言葉に甘えてお邪魔しました。
夕立のあと,沖あいには虹がかかっています。うーん、偶然にしてはなかなか,でき過ぎです。
夕暮れ時,そろそろ晩飯時にもかかわらず,おじさんはそれからたっぷり2時間、案内してくれました。
おじさんは鳥が好きで,鳥の来る場所にしたかったと言うことで,近所では「木男」と呼ばれるほどに、広さは6ヘクタールほどの農場はびっしりと植林されています。丘の上まで木という木を刈り取り牧場にするのがあたりまえなニュー・ジーランドでは、なるほど「ちょっと変わって」ます。
冬には冷たい南極颪が吹く南の斜面には木が植えられ,防風林。しかも,エネルギー下降時代に備えるかのように、燃料用,資材用の木もどっちゃり植えられていて、中にはすでに収穫できそうなほどに育っている木もあります。もちろん果樹やナッツの木もたくさん植えられてます。ポサム対策はどうしているのか、と尋ねると、野菜畑と果樹園は波打ちトタン板の塀で囲われています。なるほど、これじゃ、ポサムも上れない。農場はトラクターなしでも経営できるように設計したそうで、いくつかの小さなパドックに区切られ、動物の移動も簡単にできそうです。2時間ほど農場を歩き回りながら、自分のやろうとしていることと驚くほど似てる。そんな気がして仕方がありませんでした。
その夜は相棒と二人で採点しながら、ほとんど非の打ち所がないのに驚いてしまいました。ほとんど、その気になりながら、でも、こういう時はちょっと、興奮を冷まして見るべきだ。なんて言い聞かせ、明朝、もう一度尋ねてみることにしました。
(続く)
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