アルゼンチンでは首都のブエノスアイレスにたぶん1918年以来の雪が降り、パンパスも数センチ程度だそうですが雪に覆われたそうです。そうかと思えば、タラナキが先週竜巻に襲われたばかりのニュー・ジーランドの北島、今週はサイクロン級の雨風がオークランド以北を水浸しにしています。
これでも環境ゲテモノ化時代のまっただ中にいることを疑うなら、役立たずな目も皮膚感覚も耳もきっぱりと削ぎ落とした方がいいでしょう。
そして、原油価格は高騰を続け、需要と供給は逼迫状態が続いています。オイルピークの方も容赦なしで進行中です。これまで楽観的な「予測」ばかりをたれ流してきたIEAも、7月の報告書(これは無料リンクのpdf)で「ちょっと問題が」なんて言い始めてます。衰えたとは言え、曲がりなりにも産油国のイギリスでは大手メディアが大きく取り上げてますが、「アブラの大消費国」日本では相変わら知らんぷり、ですねえ。大丈夫ですか。ほおかむりしていて。今月の参院選とかでピークを争点に取り上げないと間に合いませんよ。
と、人のことばかり心配してもいられない。自分自身で取りかかれるところから取り組まないと。
なんて言いながら、減量を始めたのはかなり以前のような気がしますが、それでもまだまだ、そぎ落とさなければならない贅肉が腰の周りこびりついていて、わずらわしいったら。時間も残されておらず、贅肉の処分に躍起になっています。ひえーっ(と言いながら、明日は夜汽車に乗ってブリスベンへ音楽三昧の週末にでかけます。ああ、待ち遠しい)。
来月引っ越す村には因縁のように引き寄せられていたのかもしれない、って書きましたが、実はこの村とはニュー・ジーランドにでかける前に出会っていたのです。
(近所の漁港から村はずれ、農場のある丘を見上げる)
去年の末,ばたばたと慌ただしく出発前に書いたブログのエントリーのひとつに、かの国のエネルギー・気候変動担当大臣、デビッド・パーカーのスピーチの訳出がありました。現職の大臣が「ピーク」を口にすることは滅多にない,しかも,それを正面から取り上げることもない。しかも,「ピークは重大だけど,環境変動の方がもっと危急の課題だ」って文脈で取り上げたのでした。そこまで理解している人が適材適所についている。ニュー・ジーランドってすげえなあと思ったものでした。しかも,そんなスピーチが人口300人程度の村で行われたってところにも感動したことを覚えてます。
それがこの村との最初の出会いだったのでした。
もちろん,この時は、まさかブログの上で「人口300人そこそこの村」と表記したこの村に出かけることになるとは夢にも思わず、現地を旅行し始めてからもすっかりと忘れていました。
そのことは、村外れにある物件を見に行って、気にいってからもまったく、脳裏の片隅にも浮かびませんでした。
さて、これはありそうかなって気がしてからも気は許せませんでした。何しろ、引っ越しはこれでおしまい、やりたいと思ってもピーク以降の時代、そんなに簡単にできるわけがない。やり直しはできず、後戻りもできない。あちこち、漂流してきた人生もこれで打ち止め。慎重の上にも慎重にならざるを得ません。骨を埋める場所です。
だから、物件を見に行った翌朝、おじさんに「相棒が数週間後に帰国したあと、もう一度戻ってきて、一週間くらいウーフさせてくれませんか」って、図々しくも申し出たのでした。断られて当然な厚かましい願いを、おじさんたちは二つ返事で快諾してくれました。波長がどこかであってたのかもしれません。
ここはどうしてこういうデザインなんだ。なぜ、この木はここに植えたんだ。なんて、それから一週間、重箱の隅を突っつくように非の打ち所をさがしましたが見つかりません。ウーフなんて言ってもほとんど作業らしいことはほとんどなし。肥料にする海藻を海岸に集めにいったくらいで、あとはあれやこれや、村や近隣の町を案内してくれるのについて回るだけ。あっという間に一週間が過ぎてしまいました。
滞在中、何日目かに政治の話になり、エネルギーの話になり、くだんのデビッド・パーカーが地元選出(先の選挙では選挙区で落選、比例で復活)であることを知りました。ああ、そう言えばあの大臣、去年の暮れにこれこれこういうスピーチをしたねと思い出して尋ねると、ああ、あれは通りを下ったとこにある、村の集会場でだ。そもそも、この村のエネルギーフォーラムが主催した集会でのことだ。ええっ。そうなの。奇遇と言えば奇遇、因縁と言えば因縁を感じました。
呼ばれるようにしてたどり着いたその村に、オーストラリアから環境難民がふたり、あとひと月もしないうちに流れ着きます。
2 comments:
なんとまあ、「約束の地」だったわけですね。
sgwさん、こんにちは。
そうですねえ、気がついてみたら、ってことですけど。
まあ、人生、なるようにしかならない、あれこれ焦ってみても仕方がないということかもしれません。
見えない力の存在を感じます。
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