Wednesday, August 24, 2011

地球にやさしい生活(という映画を観た感想)

今年後半(?)に日本で公開されるアメリカ映画「地球にやさしい生活」を観た感想。
予告編

邦題がとにかください(原題は「no impact man」)。配給会社のセンスを疑ってしまう。タイトルだけなら,絶対に観に行かない。dvdも(なにがしかの関係で机の上に載っていなければ)観ない。とにかください。題名の字体もださい。でも,行きがかり上観ちゃったんで,感想をメモ。しとく。

内容について。
ニューヨーク在住の一家(30代後半〜40代のカップル、プラスおしめをする年代の子供一人)が地球に負荷をかけない暮らしにがむしゃらに一年間突入。電気を使わず(ガスは使っているみたい),トイレットペーパーを使わず,コーヒーも飲まず、地下鉄も利用せずってな暮らしを期間限定(1年間)で実験するドキュメンタリー。

この映画ではあまり深く立ち入らないが,「やさしい生活」っていうと都市対田舎っていう軸で語られることが多い。特に日本ではそうだ。しかし,都市でもできることはたくさんある。また,都会暮らしの方が多分,負荷は田舎暮らしの方より少ないかもしれない。「自給自足」っていうとき,「自給(生産)」にばっかり目がいきがちで,「自足(消費)」の部分がおろそかになりがち。がむしゃらに生産するより,消費を減らす方がずっと簡単に負荷を減らすことができる。

都会暮らしの方が公共交通が発達し、公共施設が充実しているという利点もある。田舎なら,何でも自分たちで全部やらなければならないことも,都市ならば共有することができる。そういうところにこの映画は立ち入らない。

もうひとつの不満は,何かひとつやるとしたら何がいいかかと問われ,「環境団体にボラとして参加することだ」というコメントだ。この映画の最大の弱さだろう。他人に暮らしの変化を求めることは難しいが,自分の生活は自分で変えられる。自発的な行動の強さを矮小化するコメントだと思う。他人(地域社会,企業,政府)を変えるのは大変だけど,自らの生活、癖,習慣はずっと簡単に変えることができるものだ。

もうひとつ,この映画の弱点はどこかでうまく使える道具を持ち込むことで解決を図ろうとすること。他人のうちでうまくいっているものは、どこでも使えるだろうという思い込みが現代人にはある。電気の来ているところでは使える(電気)炊飯器も電気のないところでは全く役に立たない。乾いた環境ではうまくいく建築方法も湿った環境にはそぐわない。熱帯では寒帯で役に立つ知恵も機能しない。風の強いところでは使える方法も,風のないところでは使えない。一見当たり前のようなことだが,現代人はそれを忘れてしまっている。自然とうまく折り合いを付けようとするなら,そういった根本的な原理を思い出す必要がある。電気冷蔵庫を「非電化冷蔵庫」で置き換えるなどという小手先のごまかしじゃ,だめだ。

もし,自分が何かひとつやるとしたら何がいいかかと問われたら,なんと答えるか。まず,自分の暮らしの家計簿をつけることだ。一週間でかまわない。自分がどれだけのエネルギー(電気、ガス、ガソリン,水,食料,移動手段、情報など)を使っているのか,帳簿をつける。それら、自分の生活を支えているエネルギーがどこから来ているのか,たどる。そうすれば,地球環境に与えている負荷が見えてくる。それがわかったら,減らすものも見えてくる。そして,自分のいる環境を地図にすることだ。自分の生存に必要なエネルギー(電気、ガス,ガソリン、水,食料、移動手段、情報など)はどこからどのようにして自分のとこまでたどり着くのか。それを視覚化することだ。それがわかれば,冬のニューヨーク(や東京)なら,電気冷蔵庫は(多分)必要ないことがわかるだろう。
行動は,一番大きなものから取りかかるのがベストだ。やみくもになんでもかんでもただゼロにしようとすれば,ただ苦しいだけで行き詰まってしまう。気持ちよくやるためには,まず,観察,そして監査、そして行動だ。

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