Monday, March 12, 2007

雨雨降れ降れ/gumboots and all.

降水量の多い場所なので,雨の心配もした方がいいかなと思いましたが,彼の地の典型的な服装もそれなりに雨に対処したものであろうし、それなら,それなりの雨具が古物屋にも廉価で出回っているはずだと思い直して,結局,雨の対策はいつもどおり、行き当たりばったりでした。
傘をもつくらいなら,濡れた方がまだまし、傘は持ち歩きません。普段はドライズアボーンというモールスキンの雨避け外套をもっぱら愛用しています。梅雨の日本へ出かけなければならない時でも、雨具に持っていったのは20年近く前にヘルシンキの古物屋で見つけたチェコスロバキア製の帽子だけです。帽子なら日よけ兼用にもなります。

今回も結局これだけにしました。もし、雨具が必要になるほどなら、近所の古着屋でなんか見つかるんじゃないか,雨の文化がかなり発展してんじゃないか。そんな期待もありました。

んで、ニュージーランドに到着してみると,男性,足回りはゴム長靴が基本です。ブーツの場合もありますが,編み上げは少なく,着脱に便利なスリッポンが多い。長靴は雨の日だけかと思えば,晴れている日でもこれを履いてます。農作業とか,晴れててもぐちゃぐちゃすることがあるからなのでしょう。んで、ぐちゃぐちゃして汚れているから,家に上がる時,というか,入る時は長靴を脱ぎます。

ニュージーランドでは長靴を脱ぐ習慣が広まっているからなのか,泊めてもらったところでは,日本のように家のなかで靴を履かないところが多かった。まあ,でも,日本とは着脱の感覚が少し異なるようで,日本でなら靴を脱がないような場面でも脱いでしまう人もいます。スーパーや店の入り口に長靴が並んでいるのも目にしました。あらあら,誰かの忘れ物かしらと思ったら,店内にはソックス姿で買い物する人がいました。長靴の下には毛糸のソックス。夏なんか,蒸れちゃわないかと心配になるような厚手のソックス。雨に強いんだそうです,この組み合わせ。
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格別泥がついて汚れているわけでもないので,習慣なのでしょう。何となくわかる気もしますが。

足下はともかく,ニュージーランドの伝統の雨具っ何なんでしょう。ウーフに泊めてもらったところで、雨模様の空を見上げながら,そう聞くと,スワンドライをもってきて,見せてくれました。創業100何年というスワンドライは国民的なファッションだそう。毛織りのジャケットは、ゆったりとして,フードのついたデザイン。膝上くらいまでの長さがあるので、これならなるほど少々の雨でもへっちゃら。なるほど、雨の多いニュージーランドならではの製品です。新品は250ドル近くしますが、かなり普及しているし、模造品も含めれば,オプショップや古着屋で中古が安く見つかります。自分はレッドクロスのオプショップで5ドルでひとつ、手に入れました。

毛織りのジャケットに長靴,ニュージーランドの雨具はかなり使い出のあるコンビネーションです。

Sunday, March 11, 2007

サウジのアブラ生産、年率8%の減産/8% decline in the desert kingdom.

意識的な措置なのか,それともピーク後の減耗なのか、その理由はわかりませんが,昨年1年間,サウジアラビアの原油生産が前年に比べ8%の減産であることをスチュワート・スタニフォードが8日付けのオイル・ドラムで報告しています。下記に要点と主要グラフを転載します。

世界最大のガワール油田の減耗やサウジのアブラについては何度かここでも書いていますが,これほど重要なニュースを主要メディアはなぜ,取り上げないのでしょうね。
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(サウジアラビアがスイング生産者であることをやめ,供給サイドの事情で生産んをすることを示すグラフ。すべてのグラフはすべてのグラフはオイルドラムより)

●2004年の第3四半期まで,サウジは余剰生産能力を持つスイング生産者として、市場を沈静化するためなら、すすんで生産量を急激に増減させていた。この時期,サウジの生産量の増減はすべて、需要サイドの要求に基づくものであることが理解できる。
●2002年,世界経済の回復に基づく需要の増加に応えるため,サウジは生産量を増加させた。
●2003年,米国のイラク侵攻の直前から,原油生産は急上昇する。これはサウジが侵攻によるイラクの生産減を肩代わりし,市場を沈静化するために自ら行ったもので、戦闘が静まり,イラクの原油生産が回復するにつれ,サウジの生産は侵攻以前より少し高いレベルに落ち着いた。
●2003年から2004年初頭にかけ,米国、中国などの好景気による需要増を受け,原油価格は上昇する。バレル22ドルから28ドルというOPECの望む価格レベルを大きく上回る価格の急騰に対処するため,サウジは2004年春,生産量を大幅に増加させる。しかし,サウジには日産百万バレルの増産がやっとで、原油価格は沈静化することができない。これ以降,原油価格はOPECの希望価格に戻ることはなく,翌年,希望価格帯自体が廃止された。
●サウジのアブラ生産は微増を続けるが、2004年後半には減少し始める。2004年末以来、サウジには需要サイドの要求に基づく生産調整ができなくなり、それ以後,生産量の変化は供給サイドの事情によるものになった。
●2005年初頭、新油田,カティフ/アブサファが生産を開始し,減少に歯止めがかかる。しかし、日産69万バレルの新油田が加わったというのに,2005年の生産量は平坦で,原油価格の急騰やメキシコ湾を直撃したハリケーンに対応し,生産量を増加させたあとは少しも見えない。

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●2005年後半に始まる生産減は2006年に入ってからも続き、春にハラダ3油田(30万バレル/日産)が生産を開始するまで続く。結局2006年の生産は前年比マイナス8%。この傾向が10年も続けば,サウジの生産は現在の半分になる。

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●ハラダ3の導入は焼け石に水,数ヶ月後にはすっかりもとの減少率に復帰する。


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スタニフォードは最近の別な記事で,サウジの原油採掘用リグの数が急激に増えていることを報告しています。生産を上げようとしゃかりきになっていることが見て取れます。サウジのアブラ生産が去年のような率で減少していくことはないでしょう。

しかし、カティフ/アブサファやハラダ3のような規模の油田では,生産曲線の下降そのものを止めることはできません。せいぜい数ヶ月,下降を遅らせるだけです。サウジ,そして世界の石油生産は限られた数の巨大油田や大油田に頼っており、それらの減耗から生じる穴は、ちょっとやそっとの規模の油田が稼働しても簡単に埋められるものではありません。サウジアラビアにある世界一の巨大油田、ガワールの減耗による生産減を埋められる油田はありません。

ここがピークを理解する重要なポイントのひとつですが、どれだけ設備投資をしようが、探査に金をかけようが、どれだけしっちゃきになっても,ないものは見つからない。掘り出せない。使えないのです。

使えないといえば、サウジのアブラ減産との関連で,ジェフリー・ブラウンが重要な指摘をしています。それは産油国における経済成長です。

アブラ収入の増加で中産階級が増えると,エネルギー消費が増加します。ということはサウジやロシアなどの産油国がアブラを増産しても、国内での消費が増えれば,市場に出回るアブラの相対的な量は減ります。オイルピークによるアブラ生産の絶対量の減耗に加え,世界市場に出回るアブラの量はサウジやロシアなどの国の経済成長にも影響されることになります。

地震に住む/gone to Earthquakes.

肩が上がらない。かかりつけの指圧師のおばさんはちょうどインドへ出かけている。しかも,それに気づくのに2週間もかかってしまった。

ニュー・ジーランドへそもそもでかけることにした理由は、環境ゲテモノ化の時代、オイルピーク時代にオーストラリアはとても心もとない,それで,彼の地に「救命艇」になる場所を見つけるためです。

「救命艇」なる場所が必要になるそもそもの理由やそこに至るまでの経過、「救命艇」の条件について書き出したのですが,とても長くなりそう。なので,実際のニュージーランドの印象,あちこちの角度から眺めた社会のこと,忘れないうちにメモ的に書いときます。

●ニュー・ジーランドで一番気に入ったアドレス。

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真剣に住まいを探しているのに、地名だけに惹かれてしまうこともあります。のほほんと「こんな住所を持ちたい」という地名にあちこちで出会いました。

「お住まいはどちらですか?」と聞かれ,「ああ、あそこの悲嘆山の麓です」とか「嘆きの丘35番地です」とかって言えたらいいなあ。って。

極めつけは「地震」という集落でしょう。近くを通りかかったので,つい寄り道して,「地震通り」をずんずんと行ってしまいました。



ニュー・ジーランドはオーストラリアと違い火山性の国で,あちこちでプレートが交錯しているので年間に1万4000ほどの地震があります。そのうち体感できるものは100から150ということです。先週の日曜にも南島のフィヨードランドを震源にマグニチュード4.5の地震があったそうです。滞在中に体感できるもの経験しませんでしたが、地震の爪痕はあちこちで目にしました。

北島のネイピアはアールデコ建築の残る町で、魚もうまい,果物もうまい,地中海性の気候で住みたくなる場所ですが,美しい建築や町並みは、1931年の大地震でそれまでの町がすっかり破壊されたからだそうです。地震や火山の動きは地球表面の大きな動きなので,予測がしにくいものですが、できれば,活火山やプレートがぐちゃぐちゃ交錯するようなところは避けたいなあ。

なので、まあ、地震にはどこかで出会うだろうと思ってましたが、そんな地名の場所があるとは思ってもいませんでした。南島の東部、ワイタキ川という大河の流域にEarthquakes(地震)という地名を見つけた時はちょっと信じられませんでした。日本にも「新幹線」という地名があるそうですが,同じように地震関係の施設があったのでしょうか。いや,いまでも地震観測所や研究所があるのかもしれない。それとも、群発地震の震源地なのだろうか。街道から「地震通り」へと進みながら,地名のいわれを想像します。

周りは何の変哲もない放牧地がだあっと続きます。家はほとんどありません。ハンドルを握る相棒は未舗装の道をしっかと凝視し,「地震地区地震通り42番地なんて、格好いいアドレスだと思わない?」って尋ねても,まったく反応しません。

結局,「地震地区」にはこれといった集落があるでもなく、研究施設らしきものも見えず,農家が時折,ぽつりぽつりとあるだけでした。「地震通り」の語感にも飽きる頃、ドーッと岩壁が現れます。なんだなんだと停まってみると,クジラの化石が埋まっているそうです。あんまり地震と関係はなさそうでしたが,しっかり観光しました。昔はここまで海だったのでしょうか。地震地区の岩の上から目を凝らしましたが、目の下には平原がどおっと広がるだけで,海はどこにも見えませんでした。