肩が上がらない。かかりつけの指圧師のおばさんはちょうどインドへ出かけている。しかも,それに気づくのに2週間もかかってしまった。
ニュー・ジーランドへそもそもでかけることにした理由は、環境ゲテモノ化の時代、オイルピーク時代にオーストラリアはとても心もとない,それで,彼の地に「救命艇」になる場所を見つけるためです。
「救命艇」なる場所が必要になるそもそもの理由やそこに至るまでの経過、「救命艇」の条件について書き出したのですが,とても長くなりそう。なので,実際のニュージーランドの印象,あちこちの角度から眺めた社会のこと,忘れないうちにメモ的に書いときます。
●ニュー・ジーランドで一番気に入ったアドレス。
真剣に住まいを探しているのに、地名だけに惹かれてしまうこともあります。のほほんと「こんな住所を持ちたい」という地名にあちこちで出会いました。
「お住まいはどちらですか?」と聞かれ,「ああ、あそこの悲嘆山の麓です」とか「嘆きの丘35番地です」とかって言えたらいいなあ。って。
極めつけは「地震」という集落でしょう。近くを通りかかったので,つい寄り道して,「地震通り」をずんずんと行ってしまいました。
ニュー・ジーランドはオーストラリアと違い火山性の国で,あちこちでプレートが交錯しているので年間に1万4000ほどの地震があります。そのうち体感できるものは100から150ということです。先週の日曜にも南島のフィヨードランドを震源にマグニチュード4.5の地震があったそうです。滞在中に体感できるもの経験しませんでしたが、地震の爪痕はあちこちで目にしました。
北島のネイピアはアールデコ建築の残る町で、魚もうまい,果物もうまい,地中海性の気候で住みたくなる場所ですが,美しい建築や町並みは、1931年の大地震でそれまでの町がすっかり破壊されたからだそうです。地震や火山の動きは地球表面の大きな動きなので,予測がしにくいものですが、できれば,活火山やプレートがぐちゃぐちゃ交錯するようなところは避けたいなあ。
なので、まあ、地震にはどこかで出会うだろうと思ってましたが、そんな地名の場所があるとは思ってもいませんでした。南島の東部、ワイタキ川という大河の流域にEarthquakes(地震)という地名を見つけた時はちょっと信じられませんでした。日本にも「新幹線」という地名があるそうですが,同じように地震関係の施設があったのでしょうか。いや,いまでも地震観測所や研究所があるのかもしれない。それとも、群発地震の震源地なのだろうか。街道から「地震通り」へと進みながら,地名のいわれを想像します。
周りは何の変哲もない放牧地がだあっと続きます。家はほとんどありません。ハンドルを握る相棒は未舗装の道をしっかと凝視し,「地震地区地震通り42番地なんて、格好いいアドレスだと思わない?」って尋ねても,まったく反応しません。
結局,「地震地区」にはこれといった集落があるでもなく、研究施設らしきものも見えず,農家が時折,ぽつりぽつりとあるだけでした。「地震通り」の語感にも飽きる頃、ドーッと岩壁が現れます。なんだなんだと停まってみると,クジラの化石が埋まっているそうです。あんまり地震と関係はなさそうでしたが,しっかり観光しました。昔はここまで海だったのでしょうか。地震地区の岩の上から目を凝らしましたが、目の下には平原がどおっと広がるだけで,海はどこにも見えませんでした。
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